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山女魚
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山女魚
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)森井保馬《もりいやすま》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)口|邑右衛門《むらえもん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
森井保馬《もりいやすま》はいちど終りまで読んでから、丈之助の指摘《ゆびさ》したところをあらためて読みかえした。
――おれの身にまんいちの事があったら、母上と親族との合議を尊重すること。また螺鈿《らでん》のほうの手文庫に遺書が入れてある、これはおまえひとりで読まなければならない、そしてすなおな気持でうけて貰いたい。……こんなことをいうとおまえはにがい顔をするだろう、去年からの憂鬱癖がまたぶりかえしたと思うかも知れないが、おれはごくおちついた平穏な気持でこれを書いている。じっさいおれの頭は近来になく透明だし、暗くふさがっていた胸も窓をあけはなしたように軽くさばさばしている。だからこそおまえにこだわりなくこれが云えるのだ。このごろは晴れてさえいれば大瀬川へ魚釣りにゆく、今日もとの手紙を書きおわったらでかける積りである。つい先日のことだがおち鮎《あゆ》を釣りにいったところがすっぽん[#「すっぽん」に傍点]が釣れたにはびっくりした、あの兜岩《かぶといわ》の淵《ふち》のところだ、どうしようもないから糸を切ってにがしてやったけれど。
保馬はそこで手紙をおいて丈之助をみた。
「べつにそう心配するようなところはないじゃないか、まんいちの事とか遺言状のことが気になるのか」
「それもあるがむしろ文章の明るい調子なんだ」丈之助は憂いふかげに云った、「――これまでの手紙とは別の人が書いたように文章が違う、これまではひどくじめじめして鬱陶しかったんだ、死とか、生きることの倦怠《けんたい》とか、運命のおそろしさなどということを書いてきた、あのとおりからだの弱いひとだし、仏教の書物をこのんで読んだりするくらいだから、他人がみればそれほどふしぎはないかもしれない、しかしおれにはわかるんだ、尋常の暗さではない、なにかある、なにかひじょうに悩んでいることがある、辞句のあいだにそれが感じられるんだ」
「結婚して生活が変ったからじゃないのか、春樹《はるき》さんはどっちかというと沈んだひとなのに、しず江さんは美貌なのと横笛の名手ということでかなり華やかな存在だったからな」
「それもあるかもしれない、兄には意志がないのに周囲の情勢でやむなくした結婚だから、けれどもしず江というひとは兄にはふさわしいひとがらなんだ、おれは幼いころから知っているが、華やかな噂《うわさ》とはおよそ反対につつましやかな静かにおちついた性質だ」
「気質が似ているためにかえってうまくゆかないばあいもある」
「けれどもそんな単純なことではなさそうなんだ、もっと本質的なものがありそうなんだ、いちど北沢の叔父にでも問合せようと思っていたところへこの手紙なんだが、この明るくわりきれた調子はあたりまえじゃない、正直に云うとおれは寒くなるようなものを感じたんだ」
保馬は眼を伏せてちょっと口をつぐんだ。
「頼まれがいがあるかどうかわからないが、そういうことならできるだけ気をつけてみよう、話というのはそれだけか」
「ついでにこの本を届けてくれないか、兄に頼まれていた種電抄が手にはいったんだ、邪魔だろうけれどこれを頼む、……なにか思い当ることがあったら知らせて貰いたい」
「いいとも、じゃあこれは預かってゆくよ」
森井保馬はまもなく帰っていった。丈之助は少しばかり肩の軽くなったような気持で、久しく使わなかった竹刀《しない》と稽古着をとりだし、ひと汗かくために攻道館へでかけていった。
兄から来る便りが暗い悒鬱《ゆううつ》ないろを帯びはじめたのは去年の十二月ころからであった。これといってとりとめたことはないのだが、ぜんたいの調子が陰気で、倦怠と絶望的なにおいがしみついていた。――自分はからだが弱いので小さい頃からしばしば死の恐怖におそわれた、絶えず死とにらみあって生きてきたと云っても誇張ではない。そんな風に書いてきたこともある。――仏教などをのぞいたのは精神的な世界に生きがいをみいだせるかと思ったからだ、文学や絵などをやったのもおなじ意味だった、そしてあるところまでは興味も感動もゆつことはできたのであるが、幼いじぶんからにらみあってきた死ほどつよく自分を魅さない。こんな意味の手紙もあった。――物質的な生活力のない者には精神的な世界へり深くはいってゆけないのかもしれない、ちかごろはあんなに怖《おそ》ろしかった死がむしろ自分を惹《ひ》きつけることさえある。こういう幾通かの手紙は丈之助をひどく驚かした、兄とは二つしか年がちがわないし、一昨年この江戸邸へ来るまではずっといっしょに暮していたので、兄がとかく病気がちであることも陰気なくらいおとなしい性質であることも知っている、けれどもそんな風に暗い考えや悩みをもっていようとは想像もしなかった。去年の十一月に太田税所《おおたさいしょ》のむすめしず江と結婚したいという知らせを受取ったときは、ことによるとこれで健康にもなり明るくなるかもしれないと思ったくらいであるが、事実はまったく反対になり、以上のような予想外の手紙となってあらわれたのである。……特につい三日まえに届いたものは、「まんいちのばあい」とか、「手文庫の中の遺書」などという文字とともに、それまでとは違う妙に冴えた明朗な筆致で彼をぎょっとさせた。ただごとではないという感じがした。慥《たし》かになにかあったにちがいないという気がした。それで、折よく国許《くにもと》へ帰ることになった森井保馬に、兄の身辺を注意してくれるようにと頼んだのであった。
保馬に頼んだことでいくらか気が軽くなったし、書庫での仕事がいちだんらくに近づいて忙しかったりするので、日の経つにつれて心配も少しずつうすれていった。仕事というのは藩史編纂《はんしへんさん》のための文通整理で、藤島仲斎《ふじしまちゅうさい》という老職の下に十二人の者が助手をつとめている。仲斎は定日に昌平坂《しょうへいざか》学問所へ日講の教授に出なければならない。そのため丈之助は取締補役という役目をもたされ、ひと一倍に忙しい日をおくっていたのである。――兄からはその後ぱったり便りがなく、二月になって保馬の手紙が届いた。彼は丈之助のいちばん親しい友人として、兄とも以前からなじみはあったのであるが、こんど帰国しても案外たやすく親しい往来《ゆきき》をするようになり、もう幾たびかいっしょに魚釣りなどもしたようすだった。
――おれの眼には少しも変ったところはみえない、禅の書物などもあまり読まず、ひまさえあると兜岩の上で釣糸を垂れているという風だ。まえよりは話もよくなさるし笑うことさえある、暗いかげなどは殆んどなくなったといってもいいだろう。家庭のようすも無風帯のように平穏だ、母堂などはいくらか肥えられたようにみえる、むろんこれからも気をつけてはいるが、そこもとの想像するような不吉な事だけは起こる心配はないと思う。そちらは梅がもう散るころだろう、こっちは阿仏山《あぶつやま》にはまだ雪が残っている。しかし大瀬川には雪解《ゆきげ》の濁った水がふえだしたから、まるなく春がやってくるだろうと楽しみにしている。
「では一時的なものだったんだな」丈之助は手紙を巻きながら、ほっとしたようにこう呟《つぶや》いた、「――なにか起こるとすればもう起こっている筈だし、どうかこれが本当であってくれればいい」
保馬からは、十日にいちどくらいの割で通信があった。兄とはたびたび魚釣りにゆくらしいし、家へ食事を招かれることも多いらしい、だが丈之助の案ずるようなことはなに一つ発見できないという、もうすっかり忘れていいだろうとさえ書いてきた。
――おれもこんど納戸役所へ勤めるようになった、頼まれたことをなおざりにはしないが、これまでのように頻繁に往来するわけにもいかなくなる、もちろん変ったことがあれば知らせるけれど、なにもなければ手紙も暫《しばら》く書かないからそのつもりでいてくれるように。
最後のものにはそう書いてあった。そのまま彼からも便りが来なくなり丈之助自身もしぜんと忘れていった。――こうして月にはいり、すべてが安穏におちつくかとみえたとき、とつぜん兄の死が伝えられたのである。それはじめじめと梅雨の降る日のことだった。書庫で仕事をしていると藤島仲斎が来て、
「話したいことがあるから来てくれ」
こう云って彼をつれだし、自分の役部屋へいって坐った。容子がいつもと違うのでなにか仕事に誤りでもあったかと思った。
しかし仲斎の口から出た言葉はまったく意外なものであった。
「そこもとの兄は病気でもしていたのか」
「いかがでございましょうか、暫く便りがないので存じません、もともとあまり丈夫なほうではございませんでしたが……」
「この三日に亡くなられたそうだ」
丈之助はふっとからだが浮くように感じた。ついで全身の血がぬけてゆくような眩暈《めまい》におそわれ、両手を膝《ひざ》についてけんめいに身を支えた。
「詳しいことはわからないが、病気が急変して亡くなられたという」仲斎はそっと眼を伏せてから続けた、「――しぜんそこもとが家督をつぐことになりお許しも下ったそうで、もし出来るなら早く帰国させるようにということになったのだ、もちろんそうしたいだろうが」丈之助は頭を垂れ歯をくいしばっていた。
「わしとてもすぐ帰してやりたいのだが、知っているとおり整理がまだ少し残っている、もうひと月もあればいちおう片付くので、それまでいて貰いたいと思うのだが」
「もちろんそれまではおります、私もいま帰国する積りはございません」
「情にはしのびないがそうして貰いたい、支配へはわしが云っておく、国許へはそこもとから事情を書いてやるように、……おそらく一日二日のうちには通知が来るだろうから」
廊下へ出た丈之助は、ひろい芝生のうえにけぶるこぬか雨を放心したように眺めながら、柱に片手をもたせてながいこと立竦《たちすく》んでいた。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
藩の公的な通信が私信よりはやいのは云うまでもない、しかしなにか事情があったのだろう、丈之助への便りはそれから五日ののちにようやく届いた。差出人は北沢平五郎という叔父で、ごく簡単に兄の死をつげ、家督相続の許しのあったこと、一日もはやく帰国するように、母が待ちかねていることなどが書いてあった。――仲斎から話のあった日に、丈之助は森井保馬へ手紙を出して、兄がどのようにして死んだかを知らせてくれと頼んでやったが、叔父への返事にも仲斎との約束でひと月ほど帰国の延びることを伝え、なお兄の死の詳しいことが知りたいむねを書きそえてやった。
丈之助はおちつかない日をおくった。仲斎から聞いた刹那《せつな》には大きな衝撃をうけたけれども、時の経過するにしたがって現実感がうすれ、誰かに騙《だま》されているような、またはそれが事実であるためにはなにか[#「なにか」に傍点]が足りないような、もどかしい苛《いら》いらした気持におそわれるのだった。――保馬からはなんの便りもなかった。北沢の叔父からは返事が来たが、ただ病勢が急に嵩《たか》まってというだけで、ほかに原因のありそうなことはいささかも書いてなかった。丈之助はかなりきびしい調子で保馬に督促状をやった。しかしそれに対しても返事はなかった。そしてやがて彼自身に帰国の日が来た。
城下へついたのは、七月はじめの暑い日であった。山ぐにには珍しい何十年ぶりかの暑さだそうで、町なかの川でも子供たちが水をはねちらして遊びたわむれていた。――町家より一段高くなっている武家やしきへはいるまもなく、用達《ようた》しの戻りらしい老僕の佐平とであった。わずか三年たらずみないうちに佐平はすっかり髪が灰色になり腰も曲りかけているようだった。
「これはこれは、思いがけない、ようようお帰りでござりましたか」老人は驚きとよろこびに声を震わせた、「――まいにちまいにち、御隠居さまが歌にしてお待ちかねでござりましたぞ、さあ早くお顔みせておあげなされませ」
「おまえ、からだでも悪くしたのか」
あまりの老けかたに、つい丈之助はこうきいてみた。佐平は眩《まぶ》しそうにこちらを見たが、すぐに眼をそらし、頭をゆらゆらと横に振るだけであった。――三番町《さんばんちょう》の家の門をはいると、すぐ右脇にある百日紅《さるすべり》が赤く咲きだしていた。前栽《せんざい》の松も庭じきりの柾木《まさき》の生垣も三年まえと少しも変らないようだ。
「旦那さまのお帰りでございます」
佐平のこう呼ぶのを聞きながら、玄関さきへ近よっていった彼は、黒ぐろと冷たそうに光るひろい式台を見てはっとした。年代を経てみがきあげられた敷板の面の、埃《ほこり》ひとつとめないしんとしたひろさ、それはそのまま主人のいない家の虚《むな》しい嘆きをあらわしているようにみえたからだ。――兄上、丈之助は眼をつむって頭を垂れた、――丈之助ただいま帰りました。
保馬の書いてきたとおり、母は少し肥えていた。そのためだろう、愁《うれ》いのいろも予想したほど深くはなく、むしろ丈之助の帰国のよろこびになにもかも忘れるようすだった。あによめは窶《やつ》れていた、ちょっとみちがえるほどの窶れかたであった。もともとほそおもてで脊丈《せたけ》もそれほど高くはなかったが、関節のきりっとひき緊った弾力のある肉付きで、いかにも賢《さか》しげに動く大きな眸子《ひとみ》と、波をうつようにやや尻の切上がった唇《くち》つきが、評判の美貌をひときわひきたてていた。――それが今はまるで変っている、しかも娘から妻になったという変化ではなく、もとの姿のまま凋落《ちょうらく》したという感じなのだ。良人《おっと》に死なれた傷心のためだろうか。もちろんそれもあるだろう、しかしそれだけではないという直感を丈之助は受けた。
風呂舎《ふろや》で汗を拭いて着替え、仏壇に香をあげて、居間へおちつくと、すぐ彼は母にむかって兄の臨終のようすをきいた。母はすらすらと話した、兄は肝臓部に癌《がん》ができていたという、それを持病の胃腸の疾患だとばかり信じていた、医者もそう思っていたのであるが、四月末から急に病状が変り、わかったときはすでに手のほどこしようがなく、五月三日の早朝に死んだということであった。
「母上のお話にまさか嘘や隠しはないでしょうが」丈之助は聞き終ってから暫《しばら》くしてこう云った、「――それはもうそのとおりでしょうけれど、私にはどうにも腑《ふ》におちないことがあるんですよ」
「まあなにを仰《おっ》しゃるの、だっておまえ現在お母さんが」母はこう云ってふと作ったように微笑した、「――いやですねえそんな、お母さんがなんのために嘘を云うんですか、いったいどこが腑におちないと仰しゃるの」
「いや母上を疑うわけではないんです、それとは違うんですが、……それはまたおちついてから申上げます」
「そうなさい、疲れて神経が昂《たか》ぶっているんですよ、いましたくをさせますからちょっと横におなりなさるがいい、晩には北沢の叔父さまだけでも、およびしなければなりませんからね、少しお酒でもあがりますか」
「いちにんまえの扱いですね」丈之助は気を変えたように笑ってみせた、「――それには及びません、このまま横になります」
彼はなによりさきに、螺鈿《らでん》の手文庫をみたかった。けれども「おまえひとりで」という注意があるので、人眼につかぬ折をと思い、したくの出来た寝間へはいった。
晩餐《ばんさん》には北沢平五郎だけでなく、米村六左衛門、阿部忠弥、野口|邑右衛門《むらえもん》、野口久之進など、親族のおもだった人たちが殆んど顔をそろえた。北沢と阿部と米村は父方であり、野口は里方の者である。――帰ったその夜の招きにしてはおおげさすぎる、丈之助はこう思って用心していたが、はたして食事が済んで茶になると思いもよらぬ話が出た。いちばん年長でもあり近いみうちでもある北沢平五郎が、親族を代表するような口ぶりで「家督を相続するについては、亡兄の嫁しず江を丈之助の妻になおしたい」と云いだしたのである。
「この話は、じつを云うと春樹どのの遺言なのだ」平五郎はこう云った、「――亡くなる四五日まえ、御母堂とわしのいるところでそう云われた、しず江を丈之助の妻になおして平松の家を継ぐように、念をおしてそう云われたのだ、そこで亡くなられたあと親族御一同に集まって頂き、またしず江どの御尊父にも列座を願ったうえで合議したところ、いずれにも異議なく、このばあいそれがなにより妥当なしかたであるということになったのだ、春樹どのはなおこれについてはそこもとへも、かねて通じてあると申されたから、おそらく承知のこととは思うが」
「いや存じません」丈之助はむしろ狼狽《ろうばい》してさえぎった、「――手紙はたびたび貰いましたが、婚姻のことなどは少しも書いてはございませんでした、ただ……」
こう云いかけて、丈之助はふと絶句した。さいごに来た手紙に、まんいちのばあいは母と親族の合議を尊重するように、と書いてあったのを思いだしたから。――平五郎は彼の言葉をそのまま聞きながし、この問題がすでに決定して動かすことができないものだということを証明するように続けた。
「御母堂はじめ親族一統の意見もまとまったので、相続願いと同時に右のおもむきもお届け申し、すべてとどこおりなくお許しが下った、常のばあいならいちおうそこもとの意志もたしかめるべきであろうが、このたびは平松の家名という件が中心であるから、その点をよく了解して承諾されたいと思う」
丈之助は、やや暫く黙っていた。あまりに思いがけないことで、どう答えていいか自分でも見当がつかなかったのである。
「これでまずわれわれの役目も済んだ」野口久之進がはっとしたように云った、「――あとは祝言の日取だが、これは当人同士の意見もあることだろうし、そういそぐにも及ばぬだろう」
「とにかく丈どのも幼ななじみのことだし、これはかえって良縁と云うべきかもしれない」
そして人々はさりげない座談に移った。
客が帰ったあと、母はしず江と三人で話したいようすだったが、丈之助は疲れているからと断わり、居間へはいって独りじっと坐りこんだ。――あによめを弟が妻にもつ、あながち例のないことではない、むしろ常識的なくらい世間ではよくおこなわれている。ことにこのばあいは兄の死が急であったこと、しず江に子供ができていないこと、彼とも幼ななじみであることなどから、兄の遺言どおり親族でそういう便法をとったのは当然かもしれなかった。また「家」というものが、比較的には人間よりも重要に考えられている時代のことで、いちどそう決定したからには丈之助にそれを拒む自由はないのである。しかし彼にはいまそれをうけいれることができない。彼は兄を尊敬し愛していた、彼と兄との関係は、ほかのどんな兄弟とも違う密接な尊敬と愛とでむすばれていた。あまりに近しくじかであった、その兄の妻は丈之助にとってすでに肉親の姉である、ひとがその姉や妹に異性を感ずることができないように、丈之助はもう彼女に異性を感ずることができない、彼女と結婚することは不自然であり不倫でさえある。しかもそれは、本能的なくらい激しく根強い感情であった。
母もしず江も寝たらしい、丈之助は行燈《あんどん》から手燭《てしょく》に火をうつして、そっと兄の居間へはいっていった。机も書棚も、兄のいた頃のままそっとしてある。床間の軸だけは外されていたが、違棚《ちがいだな》の上も手をつけたようすがなく、愛玩の李朝《りちょう》の鉢や、いつか保馬に托《たく》して届けた帙入《ちつい》りの種電抄とならんで二つの手文庫が置いてあった。――蒔絵《まきえ》の方は鍵《かぎ》であけるが、螺鈿のほうは組込細工で、側面と底の板を交互に動かしてあける仕掛けだった。丈之助は手燭をそこにおき、手文庫をひきよせてしずかに仕掛けを動かした。
だがその中には、遺書らしいものは無かった。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
蒔絵のほうもあけてみた。それからまた螺鈿のほうをたんねんにしらべた、けれども手紙で云って来たようなものはついにみつからなかった。――その手文庫は亡父が京都から買って来たものである。あけかたは亡父と兄と丈之助だけが知っている。母でさえ手をつけたこともなかった。
――遺書は書かれずにしまったのだろうか。
――いや決してそんなことはない、それならあとからそう書いてよこす筈だ。
――では誰かぬき取ったのだろうか。
――そうかもしれない、だが遺書などを取ってどうするのだ、どんな必要があって、……
丈之助は、手燭の消えるまでそこに思いあぐねていた。
彼のほうもそうだし、しず江も彼を避けるようすだった、母もしいて二人を近づけようとはしなかった。帰って三日めに竜源寺で法会をし、そのあとで家督相続の披露宴を設けた。それまでに来なければならない筈の森井保馬は、いちども姿をみせず、披露宴には使いをやったのに断わってきた。
――なにかわけがあるな。
江戸で出した手紙に返事の来なくなったときから、なにか理由があるとは思っていたが、帰国したのを知っていながら来ず、招待まで断わるというのは普通のことではない。こんどはもう怒る気持などはなく、なるべくはやく会ってその理由を慥《たし》かめねばならぬと思った。
披露の宴をした翌日、藩主いきのかみ敦治《あつはる》から、召し出しの使者があった。登城すると中老《ちゅうろう》筆頭《ひっとう》の出仕をせよという沙汰だった、平松はもともと筆頭中老のいえがらで、野口家と七年交代にその職をつとめてきた。兄が家督をしたときは野口邑右衛門の在任のうちで、去年その任期が切れたのであるが、春樹は病弱のため交代を延ばしていたものであった。――丈之助は江戸を立つまえ、藤島仲斎からないぶんの話として、藩譜《はんぷ》編纂《へんさん》がはじまったらその局に当って貰うだろうということを聞いていた。若い彼には、筆頭中老などという気ぶっせいな役より、もちろんそのほうがやってみたい、そこで陪侍《ばいじ》している側用人の中山|義太夫《ぎだゆう》にむかって、自分にはほかに仰せつけられる役目があるように聞いていたが、それはお取止《とりや》めになったのかとたずねた。
すると、敦治がひきとって、「ほかの役目がある筈とはどういうことか、直答《じきとう》で申せ」
こう云って、ふきげんな眼をした。敦治はわがままな癇癖《かんぺき》のつよいひとである、これはいけなかったと思ったが、口を切ってしまったので仲斎からの話を申し述べた。
「さようなことは聞いておらぬ」敦治はいよいよきげんを悪くした、「――余の知らぬところで、役目の授受がおこなわれようとは思わなかった、義太夫、みだれておるぞ」
丈之助は、めんぼくを失って下城した。
午後になって、北沢平五郎と野口久之進がやって来た。もちろん御前の不首尾のはなしである、敦治はあれから老職をよび集め、平松の家格を下げろとまで忿《いか》ったそうである。列座の人々の諫止《かんし》でそれだけは沙汰やみになったが、筆頭中老はひきつづき野口邑右衛門に仰せつけられ、丈之助は当分無役ということに定《きま》ったということであった。
「どうして、あんなばかなことを申し上げたのだ」平五郎はなんどもぐちのように云った、「――ほかのときならまだしも、役目の沙汰をうけてすぐそんなことを言上するなどとは、無思慮にもほどがあるではないか」
「藤島御老職からそのはなしが申し上げてあると思ったのです、お受けをしてしまえば編纂にまわるわけにはいきませんから」
「二男でいるころならそういうことも許されるだろうが、平松の当主となれば筆頭中老以外の役につくわけにはまいらぬ、そのくらいのことは知らぬわけはあるまい」平五郎はしきりに汗を拭いた、「――さいわい老職がたが殿へおとりなしをして下さるそうだから、暫くは謹慎しているように、これからも一族の迷惑になるようなかるがるしい言動は、つつしんで貰わなければならぬ」
丈之助は、すっかりくさってしまった。
余をさしおいて役目の授受をするという藩主の云いようも子供めいているし、そんなことでうろうろ周旋する人たちもばかばかしく思える、若い人間をとしよりのするような名ばかりの砂に据えるより、じっさいに生きた仕事をさせるほうが藩のためにも得策ではないか、――しかし彼がいまどういきまいてみたところで、因習と伝統でかたまっている制度をくつがえすわけにはいかない、まあ当分おとなしくして時期の来るのを待つよりしかたがないだろう、こう思ってなるべくはやく忘れることにした。
それからほんの数日のちの或夜、丈之助は庭へ涼みに出ていて偶然にしず江と逢った。さして広くはないが、松のあいだに梅を配した亡父じまんの林があり、芝生になった築山《つきやま》のまわりは芒《すすき》や萩《はぎ》や桔梗《ききょう》などが繁っている、築山の上にある腰掛で丈之助が涼んでいると、しず江がひとりで来て、その芒のしげみのところにひっそりと跼《かが》んだ。丈之助は黙ってみていた、麻の白地になにか小さく草花を染めだした帷子《かたびら》が、繁っている芒の葉がくれに、宵闇《よいやみ》を暈《くま》どってまぼろしのようにみえた。丈之助は立ってしずかにそっちへ近よっていった、しず江は驚いて立上がったが去ろうとはしなかった。
「なにをしていたんです」
「佐平が虫を買ってまいりましたので、ここへ放してやりました」
「こんなにうるさいほど鳴いているのにね」
「鈴虫でございますわ」
しず江は手にした空の虫籠を、そっとまさぐっていた。丈之助は、彼女がなにか話しかけるのを、待っていることに気づいた。それで、思いきってこう問いかけた。
「あなたは、親族のとりきめた話を知っていますね」
「――はい」
「それで承知したんですね」
しず江は、ちょっとためらった。
「――はい、そうすることがいちばん春樹さまのおぼしめしに添うと存じましたから」
「あなた自身は、どうなんですか」
丈之助の調子がするどかったのだろう、しず江はぴくっと肩をふるわせた。それからごく低いこえで、しかしはっきりとこう答えた。
「わたくしにも、そうして頂くのがいちばん仕合せでございますわ」
「私がそれを信じると思いますか」
「――でもわたくし、本当に」
「あなたの窶れかたは普通ではない、私は人ちがいをしたくらいです、帰って来てはじめて見たとき、とうていあなたとは思えなかった、いまあなたの仰《おっ》しゃった言葉は、それ以上に私をとまどいさせる、あなたはそんなにも変ってしまったんですか」
しず江の手で、なにかの折れるような音がした。持っている手に、ちからがはいって、虫籠がどうかしたらしい、同時に彼女は顔をあげて丈之助を見た。
「もしもわたくしがお気にめしませんでしたら、どうぞ丈之助さまのおよろしいようになすって下さいまし」
「あなたは私にとって大事なひとだ」丈之助は苦痛を訴えるように云った、「――私のたったひとりのあによめだったのだから」
そして彼は、家のほうへ去っていった。
丈之助は保馬の家をたずねた、二度たずねて二度とも「不在」であると断わられた。三度めにいったとき手紙を置いて、ぜひ会いたいからということづけをしたが、その翌日すぐ返事があって、御用繁多のためここ暫くは会えない、そういう意味だけどく簡単に書いてよこした。――もうあたりまえの手段ではだめだと思い、浜野雄策《はまのゆうさく》という友をたずねて保馬をさそいだしてくれるようにたのんだ、雄策とはふだんあまりつきあいはないが、藩の学堂でいっしょに机をならべた友のひとりである。
「おれがよびだすなんておかしいじゃないか、喧嘩《けんか》でもしたのかね」
「それがわからないんだ、ぜひ会って聞きたいことがあるんだが避けてばかりいる、どうして避けるのか見当もつかないが、とにかくおれではだめらしいんだ」
「じゃあ魚甚《うおじん》へでもさそうかね」雄策はこう云って笑った、「――但し勘定はそっちでもつんだぜ」
四五日して、雄策から使いがあった、夕方の六時ころ、魚甚へ来いという知らせである、丈之助は時刻をはかってでかけていった。――魚甚は花屋橋をちょっとさがった河岸《かし》ぞいにあり、川魚料理で名を知られた料亭だった。雷雨でも来そうな空もようで、いつもなら夕風の立つじぶんなのに柳の葉もうごかず、じっとしていても汗の出るほどむし暑かった。二階のひと間へとおされるとすぐ、女中に二人の来ていることを慥かめ、窓際で少し涼んでから雄策を呼んでもらった。雄策はもう赭《あか》い顔をして、団扇《うちわ》ではたはた衿《えり》をあおぎながらはいって来た。
「まだ始めたばかりだからもう少し経ってのほうがいいだろう、酒でも飲んで待っていないか」
「こっちは構わないからたのむよ」
それから約|半刻《はんとき》ほど待ったろうか、雄策が来てめくばせをした。立ってゆくと廊下の端の部屋をゆびさし、おれは先に帰るよと云った。丈之助は目礼を交《か》わして、教えられた部屋へはいっていった。――保馬は窓框《まどがまち》に肱《ひじ》をもたせ、団扇をつかいながら川のほうを眺めていたが、はいって来た丈之助に気づくとあっと声をあげ、そのまま石のようにからだを硬くした。
「こんな風によびだして済まない」丈之助は少しはなれた処《ところ》へ坐って保馬の眼を見た、「――だがこうするよりほかに手段がなかったことは、認めてくれるだろう」
「断わっておくが、おれはなんにも話せないぜ」
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
「いや話さなくちゃあいけない、おれはどうしてもきくよ」丈之助は、相手の顔から眼をはなさずに云った、「おれは、あによめと結婚しなければならぬことになった、兄が母と叔父とにそう遺言したのだそうだ、江戸にいるときおれに兄が遺書をのこしてくれたと書いて来たことは知っているだろう、もし母や叔父にそういう遺言をしたのが事実なら、遺書にもそれが書いてあるにちがいない、おれは指定された手文庫をあけてみた、しかしその中には遺書はなかったのだ」
「遺書がなかったって、手紙にあったあの遺書が……」
「どうしてもなければならぬ筈のものがない、兄が書かなかったとすればその後にそういって来るわけだ、慥《たし》かに兄は入れたにちがいない、それがないとすれば誰かが取ったことになる、いったい誰がなんのために取ったのだ、――訝《いぶか》しいのはそれだけではない、あれほどたのんでおいたそこもとは、兄の死の前後からばったり沈黙してしまった、いくら手紙をやっても返事をよこさない、こっちへ帰って来てからもおれを避けとおしに避けている、保馬、いったいなにがあったんだ」
保馬は眼をつむった。口のなかで、「遺書が取られた」と呟き、なにか思いなやむ風に、俯向《うつむ》いたり首を振ったりした。
「云ってくれ保馬、おれには兄の病死したということさえ信じられないんだ、いったいなにごとがあったんだ、そこもとはなにを見たんだ、どうしておれに話すことができないんだ、保馬、たのむ、本当のことを云ってくれ」
「おれは他言しないことを誓った、誰にも他言しないということを……」
「なにごとに就いてだ、なにを他言しないというんだ」
「そこもとの母堂にも、親族のひとたちにも誓った、決して他言しないと、……それはそともとが遺書をみれば、なにもかもわかると思ったからだ、しかしその遺書が誰かの手で取られたとすると」保馬はそう云いかけてまた口ごもった、「――そうだ、やっぱり黙っておしとおすわけにはいかないだろう、おれにもおれで納得のいかないことがあるんだから」
「まず兄の死のことを聞かせてくれ、兄はどういう風に死んだんだ」
「春樹さんは」保馬は、苦しげに眉をひそめて云った、「――自殺されたんだ」
「自殺、どうして」丈之助はこくっと喉《のど》で音をさせて、「――どんな風に自殺したんだ」
「大瀬川の、いつもゆかれる兜岩《かぶといわ》のところから、身を投げて死なれた」
「川へ身を投げて、……兄が――」
「過失で死んだとみせるためだったらしい、兜岩のところに魚籠《びく》が置いてあったし、死躰《したい》の右手には釣竿《つりざお》を握っていた、おれがみつけさえしなければ、おそらく過失で死んだことになっただろうと思う」
「そこもとがみつけたというのは……」
「まったく偶然なんだ、手紙にも書いたと思うがおれはよく春樹さんと釣りにいった、きまって兜岩のところなんだが、そのうち納戸役へつとめるようになって一緒にゆけなくなった、暫く竿を持たなかったが、五月二日の日だ、ちょっと非番が続くので久しぶりに伴《つ》れていって貰おうと思ってたずねた、するともう出掛けられたという、おそらくいつもの場所だろうと見当をつけてゆくと、川のほうへおりてゆく石段のところ、――われわれが水浴びにいったころ帰りによく蜜《みつ》を舐《な》めに登った古い松がある、あの松のところでふと下を覗《のぞ》いてみた、ちょうどそのときなんだ、兜岩の上からさっと誰かが川の中へとびこんだ、片手に釣竿を持って着物を着たままの姿が、白くさっとしぶきをあげて水の中に消える瞬間に、春樹さんだということがわかった」
丈之助はかすかに身ぶるいをした、まるでそのしぶきを浴びたかのようだった。
「おれは狼狽《ろうばい》して石段をかけおりた、まったく狼狽していたんだ、知っているとおり兜岩から川下は両岸が高い絶壁ので、流れのつよい瀬が十町あまりも続いている」保馬はこ答うつづけた、「――下までおりてからそう気がついた、それですぐ石段をかけあがり、崖《がけ》の上を走りに走って堰《せき》の上から川へおりた、あそこからは川幅もひろくなり流れもゆるくなっている、水も浅いからおれは川の中へはいっていった、だがみつからなかった」
保馬は断岸《きりぎし》のほうまで遡《さかのぼ》ってみた。さらに川下のほうも捜した、しかしどうしてもみつからないので、いったん岩のところへひきかえし、そこにあった遺品を持って北沢平五郎の屋敷へかけつけた。――すぐに米村と阿部をよび集め、舟を借りて四人だけで川筋を捜した。死躰は兜岩から五六丁さがった淵《ふち》の底から発見され、夜になるのを待ってひそかに家へはこんだのである。……保馬はそこで口をつぐみ、ふかい溜息《ためいき》をついてから静かにこう云った。
「親族のかたたちの相談で病死という届けをし、いかなる事情があろうとも他言しないという約束をした、それはそれでいいのだが、おれの眼にはあの瞬間の春樹さんの姿がはっきりのこっている、岩の上からさっととびこんだ動作が、――いったいどうしてそんな死にようをされたのか、おれはずいぶん思いなやんだ、そのうちにただひとつだけ記憶にうかんだことがある、それはいつか一緒に釣りをしているときだったが、春樹さんがおれにまだ嫁を貰わないのかと云われた、おれは来年の春に貰う約束がありますと答えた、春樹さんは暫く黙っていたが、ふと述懐のようなくちぶりで、こんなことを云われた、
――結婚というものは心もからだも違ったもの同志がひとつになるのだから、潔癖に考えすぎると却《かえ》って失敗しやすい、むしろごく楽な単純なきもちで、世間一般の習慣だというくらいにやるほうがいいようだ、もっとも世の中のことは、すべてあまりまじめに思いすぎないほうがいいらしいがね。
こういうような言葉だった、思いだすとそれがいかにも意味ありげにおもえてくる、江戸で二人が話したときおれはこんどの結婚に原因があるんじゃないかと云ったが、その想像がまたしつこく頭にうかんできた、やっぱり問題はそこにある、みかけではわからないし、ほかにも理由はあるかもしれないが、直接の動機はそこにあるに違いない、おれはこう考えるようになったんだ」
保馬はそこでまた、ややながく沈黙した。それから川のほうへふりかえり、すっかり昏《く》れてしまった対岸の燈を眺めながら、独り言のようにこう低く呟いた。
「これはおれが云うべきことではないかもしれないが、春樹さんの死の原因のひとつがそこにあるとして、それが遺書に書いてあったとすれば、その責任を感ずるひとがそれをひそかに破棄するということはあり得ないだろうか」
丈之助はしまいまで黙っていた。兄が病死したと聞かされているうちは、なにか不自然で納得のゆかない気持だったが、保馬の話からうけた打撃は強烈であった。――自殺、しかも川へ身を投げて死ぬ、それは過失をよそおうためだったかもしれないが、当時の武家の風としては承認しがたいものである、どうしてそんな手段をえらんでまで死ななければならなかったのか。……彼はうちのめされた者のように、数日のあいだ居間にこもって暗い溜息ばかりついていた。
丈之助はそれからしばしば大瀬川へでかけた。城下町から一里たらず山へはいると、断崖の岩に段をつくって下へおりるところがある。そのあたりは川なかに巨《おお》きな岩がたくさんあり、崖沿いにも岩床が続いていて、水は淵となり瀬をなし淀《よど》みをつくるというように変化が多く、鮎やうぐい[#「うぐい」に傍点]や鯉、やまめ[#「やまめ」に傍点]などがよくとれる、丈之助は少年のころ夏になると毎日のようにそこへ水浴びにいった、落ちるような流れの急な瀬に乗って淀みへすべりこむのがなんともいえずおもしろい、また淵の水底へもぐって、岩の窪《くぼ》みにひそんでいるやまめ[#「やまめ」に傍点]を掴《つか》むこともできる。よそから人に見られる惧《おそ》れがないので、どんなに騒いでも叱られる心配がなかった。――はるかなむかしだ。断崖の段々をおりてゆきながら、丈之助は胸いっぱいに音楽を聴くような感動をおぼえた。
兜岩はその段をおりて川上へ二十間ほどいったところにある、ぜんたいが八|帖《じょう》敷《じ》きの家くらいの大きさで、兜の鉢金《はちがね》に目庇《まびさし》だけ付けたようなかたちをしている。丈之助はその上へのぼって腰をおろした。――水はすでに秋の色をひそめていた。向うに迫っている断崖の中腹にところどころ小松が生《は》えていて、それに絡んでいる蔓《つる》のなかには、すでに赤く色づいたのが鮮やかにみえた。
「兄さん」丈之助は川の水にむかってそっとこう呼びかけた、「――いったいどんなことがあったんですか、どうしてそんな風に死んでおしまいなすったんですか」
絶え間なく水は流れていた。かなりつよい流れの脈にゆられて、薄青く染まったような川底の石が、ゆらゆらと動くように透けてみえる。丈之助はそれをみつめているうちに、ふとひとつの遠い出来ごとを思いだした。それは彼が十二歳兄が十四の年の初秋のことだ、もう肌さむい風が吹きはじめていたが、兄と彼は二人きりで水浴びにいった。去ってしまう夏へのなごりという気持だったろうか、水は冷たかった、暫く遊んでいるうちに兄がやまめ[#「やまめ」に傍点]を掴もうと云いだした。兄はそれまで見ているだけで、いちどもやったことがなかった。
――兄さんに掴めるかな、むずかしいんだよ。
――掴めなくってさ、今まで隠していたんだ、わけないよ。
――どうだかね、あぶないね。
そんな問答をしているうちに兄はとびこんだ。そこは丈之助も、たびたびもぐったことのある場所だった、深さは七八尺で、岩床の根のところに穴があり、よくその中にやまめ[#「やまめ」に傍点]が尾鰭《おひれ》を休めている、上手な者は両手に一尾ずつ掴むことも稀《まれ》ではなかった。――兄は水を蹴《け》りながらもぐっていった、上から見ていると、どうやら穴へ手を入れたようだ、掴んだかなと思ったがなかなかあがって来ない、白い二本の脚がひらひらと動く、上躰は岩に貼着《はりつ》いていてよく見えないが、足はしきりに水を蹴っている、少しながくかかりすぎるようだ、丈之助は不安になった、そのうちに二本の足は動かなくなり、ぶくぶくと水泡《すいほう》が浮いてきた。……溺《おぼ》れたにちがいない、丈之助は逆《さか》さになってとびこんだ。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
兄は右手を岩穴へさしこんだまま、僅かにもがいていた。丈之助はその手につかまって引張った、手はなにかに閊《つか》えるようでどうしても出ない、そこで穴の中をさぐってみると、兄の手は一尺もありそうな大きな魚を掴んでいた。つまりその魚を掴んでいる拳《こぶし》が穴に閊えているのである、――丈之助は苦しくなってくる呼吸をがまんしながら、兄の指を一本ずつひきはなし、ようやく魚を取去るとともに、兄の腕を抱えて水面へ浮きあがった。それはいま思いかえしても、冷汗の出るような時間であった。殆んど失神しているからだを岩の上へひきあげ、「兄さん、兄さん」と泣きながら転がしたり叩いたりした。兄はまもなく多量の水を吐いて意識をとりもどした。そして兄弟は裸のまま抱合って泣いたり笑ったりした。……兄のほうはそれでなにごともなかったが、丈之助はその夜から激しい下痢と高熱をわずらい、二十日あまり寝てしまったのである。
――あのときの魚はずいぶん大きかったね兄さん、でもあれはうぐい[#「うぐい」に傍点]だったよ。
――いやあれはやまめ[#「やまめ」に傍点]さ。
――うぐい[#「うぐい」に傍点]ですさ、私にはちゃんとわかってましたからね。
その後よく二人でこんなことを云いあったが、そういうときこっちを見る兄の眼の、ふいにぬれてくるような色を丈之助は忘れることができない。
「いつかまたあのときの事を話して、いっしょに笑おうと思ったのに」丈之助は水にむかってそう云った、「――貴方《あなた》はそんな風に死んでおしまいなすった、こんどは私の助力では役に立たなかったんですか」
三十間ほど上に急湍《きゅうたん》があって、淙々《そうそう》と冴《さ》えた水音が両岸の絶壁に反響している、丈之助はその音のなかから兄の声を聞きとろうとでもするように、じっと眼をつむってながいことそこに坐っていた。
螺鈿《らでん》の手文庫から遺書がぬき取られたという想像は、かたときも丈之助の頭から去らなかった。むだだということを承知で、母にもしず江にもそれとなくきいてみたが、もちろん答えはにべもないものであった。彼は兄の遺品の整理をしながら、どこかにそれがありはしないかと多くの時間をかけて捜した。しかしそれとおぼしい物はなにもみっからない、丹念によく日記をつけていたようであるが、それさえも自分で始末したものか一冊もなかった。――九月にはいると祝言の日どりの相談がはじまった、普通なら一周忌が済んでからというところであるが、これは故人の遺志でもあるし、すでに家督もしたことであるから、今年のうちには式を挙げるべきだ。こういう風に相談は現実的になりだした。丈之助は、まだとうていそういう気持にならないからと拒んだ。
「まだ半年にもならないのですから、私はもちろんあのひとにとっても早すぎると思います、とにかくもう少し待って下さい」
「しかし過日の御不興のこともあるからな」北沢の叔父はとういうことも云った、「――来春早々に殿は参覲《さんきん》の御出府をなさる、それまでには婚姻のお届けをして家内のおちついたことを御承知ねがっておかなければならぬと思うが」
「いずれにしてもまだ私にはその気持はございません、どうかお待ちを願います」
丈之助はそう云って、押しとおした。
秋が深くなると、兜岩あたりの水はぐっと減ってきた。川上から流れて来る落葉も、ひところは黄色く紅《あか》く殆んど水のおもてを掩《おお》うようであったが、しだいに鮮やかな色をうしない、茶色にきたなく縮れたのや蝕《むしく》いのみにくい葉ばかりになり、その数も日ごとに少なくなっていった。――丈之助は岩の上に腰をおろして、ときにはまる半日も、惘然《もうぜん》と流れの上の落葉を眺めくらすことがあった。痩《や》せてゆく川水はいよいよ冷たく澄みとおり、研《と》いだような底石のうえをついついと魚のはしるのがよく見えた。……こうして、やがて冬が来た。
十一月のこえをきくと間もなく阿仏山《あぶつやま》にまず雪が降り、その白い部分が一日ごとに下へ下へと延びてくる。山麓《さんろく》から里へかけてみぞれの降る日が続き、朝になるとそれが氷りついた。そんな或日、太田の実母が急病だという知らせで、しず江は実家へでかけていった。折返し使いが来て病気は卒中でありいつ急変があるかわからない症状なので、今夜はこちらへ泊るという断わりがあった。
「それでは貴方もゆかなければね」母は彼の顔色をうかがうように云った、「――もう義理の母ということになるんですから、顔だけでも出さないと……」
「母上がいらして下さい、私にはどうも、祝言を延ばしてもいるし、具合がわるいですよ」
「お厭《いや》ならそれでもいいけれど」
母はむりじいもせず、しず江の部屋から着替えなど取出して包み、佐平をつれてみぞれのなかを出ていった。――丈之助は母がしず江の部屋へはいったとき、今までかつて考えてもみなかった事をふと思いついた、それは卑しくもあり武家の人間としては恥ずべきおこないであった、しかし彼は些《いささ》かの躊躇《ちゅうちょ》もなくそう決心をし、母が出ていって半刻《はんとき》ほどするとしず江の部屋へはいっていった。……保馬がほのめかすまでもなく、遺書を取った者があるとすればまず彼女とみていいだろう、そしてもしそれが事実で、そうする必要があるほどの意味をもつものなら、或いはすでに焼くか破棄するかしてしまったかもしれない、だが捜すだけは捜してみようと思いついたのであった。
箪笥《たんす》三|棹《さお》、長持、葛籠《つづら》、小箪笥二棹、いくつかの手筐《てばこ》、文台、鏡箱、針箱、櫛筐《くしばこ》、鏡台、硯箱《すずりばこ》、これらを辛抱づよくみていった。夕食のあと少し休み、十時に茶と菓子をつまんだきりで、ほんの端切《はぎれ》の詰ったような容物《いれもの》まで念入りにさぐってみた。――御菩提寺《ごぼだいじ》の鐘が丑満《うしみつ》をつげたときには、もう天床裏か畳の下以外には捜すものはなくなっていた。丈之助はちから尽きた感じで部屋のまん中に坐り、溜息をつきながらぼんやりと周囲を眺めまわした。
「しず江ではなかったのだろうか、それともどうにか始末をしてしまったのだろうか」
四半刻もそうしていたであろう、やがて彼は立上がり、取出したままの手筐などを元のところへ戻しはじめた。するとどうしたはずみか、小箪笥の上にあった南京瑠璃《ナンキンるり》らしい壺《つぼ》がころげ落ち、彼の足もとでくるくると廻った。おそらく彼女が兄から貰ったものであろう。丈之助は拾いあげて小箪笥の上へのせようとしたが、ふと中になにかあるような感じなので覗いてみると、どうやら封書のような物がはいっている。どきっと胸が鳴った、すぐ行燈のそばへゆき、慥かに封書らしいのをみて引出した。――封が切ってある、だが表には丈之助殿とあり裏には兄の名が書いてあった。
「ああやっぱり」丈之助は喘《あえ》ぐようにこう云った、「――やっぱりそうだった、やっぱり取られていたんだ、……この壺が落ちたのは兄上のみちびきだったかもしれない」
彼はそれをふところにしまい、部屋の中をできるだけ元どおりに片付けた。
居間へもどった丈之助は、燈《ともし》をかき立てて机に向い、すぐにその遺書を読みはじめた。火桶《ひおけ》の火はすっかり消えていたし、寒気はするどく、机に倚《よ》った丈之助はしきりに胴ぶるいが出たけれども彼は、寒さも疲れも感じなかった、兄の遺書はその思いがけない告白で彼をひっ掴み、殆んど息詰らせたくらいであった。――すばやく、むさぼるようにいちど終りまで読み、それをまたはじめから読み直し、さらにもういちど、次のような章から繰り返して読んだ。
――こういう考えかたがお笑い草になるか厳粛にうけとるかは人々の自由であります。ただ私にはそう考えるよりほかにしかたがなかったのです。だがこういうことも云えなくはありません、私がそれをもう少しおそく知ったら、つまりあのひとと私とが夫婦としてむすびついてしまっていたとしたら、……それはさらに私の苦痛を大きくしたことでしょうが、まったく別の手段をとらなければならなかったことでしょう、こう想像することは今でも私をぞっとさせます。そして祝言の夜からはじまった発熱を感謝せずにはいられません。
――あのひとがおまえを想っていたということ、それもずっとはやくから想いあこがれていたということは、私が偶然にみつけた日記よりも正確にあのひと自身が表明していました。花嫁|衣裳《いしょう》をぬいだあのひとは灰で作った人形のようにみえたのです、姿かたちの衰えよりも心の悄亡《しょうもう》しつくしたひと、少し誇張していえば形骸だけのひとという感じなのです。自分が良人《おっと》になるたちばだったからかもしれませんが、私はすぐにこれは尋常のことではないと感じました、おそらくその疑惧《ぎぐ》があったために偶然みつけた日記をひらく気になったのでしょう、そうしてそこに書いてあることを読みとったあと、私がいったいなにを思ったかおまえにわかりますか、……云いましょう、それは兜岩のところでやまめ[#「やまめ」に傍点]を掴んだときのこと、おまえにあやうく助けてもらったあのときのことでした。
――あのやまめ[#「やまめ」に傍点]は大きすぎた、しかしすぐに手を放してえしまえばなんでもなかった。
――私の病気が肝臓の癌腫《がんしゅ》だったということはまもなくおまえも聞くでしょう、誰にも知らせてはないけれど癌腫はもう腎臓《じんぞう》へも移っているそうです、四月中旬にそういう診断をうけました、この病気は治療の法もないし、今のうちは進行も徐々としているが、やがて(おそらく最大限二年以内には)腹腔内《ふっこうない》ぜんぶに蔓延《まんえん》して死ぬのが通例だということです、なんのために便々《べんべん》と待つことがありますか、手紙でも書いたように、私と死とはごく幼いころからのなじみです、かつては恐怖であったがあんまりにらみ合っていたために狎《な》れてしまいました。これから生きることは、私にとっては徒労であり、あのひとにとっては苦痛をひきのばすだけです、無意味でもあり、まったく不必要な苦痛を……。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
――人間はいちどしか生きることが出来ない、どんなちからを以《もっ》てしてもやり直すことが出来ないのです。人が人をこれほど深く想う、こんなに美しい厳粛なものはありません、その想いがかなえられないとしたら、かなえられないままに一生を終るとしたら。……私はおまえにたのみます、どうかすなおな気持で、あのひとの心と兄の賜物《たまもの》とをうけて下さい、兄のさいごのねがいを生かしてくれるように、信じかつ祈ります。
――終りにもういちど断言しますが、私の掴んだあの魚は慥かにやまめ[#「やまめ」に傍点]でしたよ。
手紙を巻きおさめた丈之助は、両手で顔を掩《おお》ってやや暫く噎《むせ》びあげた。
なにを考えることもできなかった。不幸な兄、不幸なめぐりあわせ、そういうほかにはもうどんな感慨をさしはさむ余地もない、彼はただ兄のまえに低頭する気持で泣くだけだった。
明くる朝はやく、母ひとり帰って来た。太田の病人はひとまずおちついて急にどういうこともなさそうであるが、しず江だけはもう一日二日、みとりをするということだった。その日の午後から雪になり、昏れがたにはかなり積ったが、宵の八時ごろにその雪のなかをしず江が帰って来た。病人はもう口をきくようになり、医者もこのぶんなら案外はやく恢復《かいふく》するだろうと云っている、そんなことを母と話すのが聞えた。
――十時すぎて母が寝たあと、しず江も部屋へはいったがなにかしているようすで、いつまでもかすかに起《た》ち居《い》のけはいがしていた。壺《つぼ》の中のものが無いのに気づいたのかみまもしれない、丈之助はそっと立っていって、襖《ふすま》のこちらから低いこえで呼んだ。
「はい、まだ起きております」
「では済まないが私の部屋まで来て下さい」
こう云って丈之助はひき返した。――火桶に炭をつぎ終
って、ややながく待ってからしず江が来た。氷ったような暫表情で、唇の色まで白くみえた、端に坐ろうとするのを火
桶のそばまで招き、つとめて調子をやわらげながら兄の遺書をそこへさしだした。
「これを知っていますね」
しず江は罰をうけるように頷《うなず》いた。
「私がこれを捜しだした理由は、云う必要がないでしょう、弁解もしません、しかしあなたがなぜこれを隠したか聞き
たいと思います」彼はこう云ってじっと相手をみつめた、「――正直に云って下さい、なぜです」
膝《ひざ》の上においた両手の指が、いたましいほどわなわなと震えている。その指をひしと握り合せ、低くうなだれたままにましず江はながいこと黙っていた。丈之助は辛抱づよく待った。――油が少なくなったのだろう、行燈の火がちらちらまたたき、蒼白《そうはく》なしず江の頬がかすかにゆれるようにみえた。
「春樹さまが、わたくしに、お触れなさいませんのに気がつきましたとき」
しず江は、おののく声でこう口を切った。
「わたくしが秘めてきたことを、お知りなすったのではないかと存じました、けれど病弱だからとおことわりなさるのも、お信じ申さずにはいられなかったのです、――あのようにしてお亡くなりあそばしたとき、わたくし夢中でお手文庫をあけてみました、いつか春樹さまがその中へ文のようなものをお入れなさるのを、つい拝見したことがございましたから、……そして御遺言を読ませて頂きました、やっぱりあのとき思ったとおりでした」しず江は肩をふるわせて嗚咽《おえつ》した、揉《も》みしだく手の上へ、音をたてんばかりに涙がこぼれた、「――わたくしがどんな気持になったか、おわかり下さいますでしょうか、わたくしその場で自害をしようと存じました、でもすぐにそうしてはならぬことに気づきました、春樹さまがあのようにお亡くなりなすったあとで、わたくしがまた自害しては御家名に瑾《きず》がつかずにはいませんから、そればかりでなく、この罪をつぐなわずに死ぬことは、罪を重ねることだと存じました、……生きていなければならない、生きて罪のつぐないをしなければ、――わたくし御遺言どおりに生きようと思いました、そして、それには……わたくしの秘めていたものを、貴方に知られてはならないと思ったのでございます」
「どうしてです、どうしてそれを私に知られてはいけないのです」
「こんな気持は」と、しず江は嗚咽をこらえながら云った、「――こんな気持は殿がたにはおわかりにならないでしょうか、わたくしがお慕いしていたということを貴方に知られて結婚しては、あまりに春樹さまへ申しわけがない、なにもお知らせせずに、かえって嫌って頂くようにしなければ、罪のつぐないにはならないと存じたのでございます」
丈之助はそっと頷いた。おぼろげではあるがわからなくはない、それで遺書を隠したのか、可哀そうにこのひともそのように苦しんだのだ。――じじじと油皿の鳴る音がして、ついに行燈の火がはたと消えた。部屋は一瞬まっ暗になったが、やがてほのかに薄明のように光がうきだしてきた。
窓の障子が、いっぱいの雪明りだった。
「すなおな気持でうけいれてくれ」丈之助は思いをこめたこえで云った、「兄はこう書いていますね、――有難くうけましょう、すなおな気持で、兄の賜物を二人ですなおにうけしょう」
「――そうしても宜しいでしょうか」
「それが兄のなによりの冥福《めいふく》になる、しず江……手をおかし」
丈之助は、しず江の両手をとった。握り合された二人の手を、雪明りがほのかにうつしだしていた。
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「講談雑誌」
1949(昭和24)年1月号
初出:「講談雑誌」
1949(昭和24)年1月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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《》:ルビ
(例)森井保馬《もりいやすま》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
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[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
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[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
森井保馬《もりいやすま》はいちど終りまで読んでから、丈之助の指摘《ゆびさ》したところをあらためて読みかえした。
――おれの身にまんいちの事があったら、母上と親族との合議を尊重すること。また螺鈿《らでん》のほうの手文庫に遺書が入れてある、これはおまえひとりで読まなければならない、そしてすなおな気持でうけて貰いたい。……こんなことをいうとおまえはにがい顔をするだろう、去年からの憂鬱癖がまたぶりかえしたと思うかも知れないが、おれはごくおちついた平穏な気持でこれを書いている。じっさいおれの頭は近来になく透明だし、暗くふさがっていた胸も窓をあけはなしたように軽くさばさばしている。だからこそおまえにこだわりなくこれが云えるのだ。このごろは晴れてさえいれば大瀬川へ魚釣りにゆく、今日もとの手紙を書きおわったらでかける積りである。つい先日のことだがおち鮎《あゆ》を釣りにいったところがすっぽん[#「すっぽん」に傍点]が釣れたにはびっくりした、あの兜岩《かぶといわ》の淵《ふち》のところだ、どうしようもないから糸を切ってにがしてやったけれど。
保馬はそこで手紙をおいて丈之助をみた。
「べつにそう心配するようなところはないじゃないか、まんいちの事とか遺言状のことが気になるのか」
「それもあるがむしろ文章の明るい調子なんだ」丈之助は憂いふかげに云った、「――これまでの手紙とは別の人が書いたように文章が違う、これまではひどくじめじめして鬱陶しかったんだ、死とか、生きることの倦怠《けんたい》とか、運命のおそろしさなどということを書いてきた、あのとおりからだの弱いひとだし、仏教の書物をこのんで読んだりするくらいだから、他人がみればそれほどふしぎはないかもしれない、しかしおれにはわかるんだ、尋常の暗さではない、なにかある、なにかひじょうに悩んでいることがある、辞句のあいだにそれが感じられるんだ」
「結婚して生活が変ったからじゃないのか、春樹《はるき》さんはどっちかというと沈んだひとなのに、しず江さんは美貌なのと横笛の名手ということでかなり華やかな存在だったからな」
「それもあるかもしれない、兄には意志がないのに周囲の情勢でやむなくした結婚だから、けれどもしず江というひとは兄にはふさわしいひとがらなんだ、おれは幼いころから知っているが、華やかな噂《うわさ》とはおよそ反対につつましやかな静かにおちついた性質だ」
「気質が似ているためにかえってうまくゆかないばあいもある」
「けれどもそんな単純なことではなさそうなんだ、もっと本質的なものがありそうなんだ、いちど北沢の叔父にでも問合せようと思っていたところへこの手紙なんだが、この明るくわりきれた調子はあたりまえじゃない、正直に云うとおれは寒くなるようなものを感じたんだ」
保馬は眼を伏せてちょっと口をつぐんだ。
「頼まれがいがあるかどうかわからないが、そういうことならできるだけ気をつけてみよう、話というのはそれだけか」
「ついでにこの本を届けてくれないか、兄に頼まれていた種電抄が手にはいったんだ、邪魔だろうけれどこれを頼む、……なにか思い当ることがあったら知らせて貰いたい」
「いいとも、じゃあこれは預かってゆくよ」
森井保馬はまもなく帰っていった。丈之助は少しばかり肩の軽くなったような気持で、久しく使わなかった竹刀《しない》と稽古着をとりだし、ひと汗かくために攻道館へでかけていった。
兄から来る便りが暗い悒鬱《ゆううつ》ないろを帯びはじめたのは去年の十二月ころからであった。これといってとりとめたことはないのだが、ぜんたいの調子が陰気で、倦怠と絶望的なにおいがしみついていた。――自分はからだが弱いので小さい頃からしばしば死の恐怖におそわれた、絶えず死とにらみあって生きてきたと云っても誇張ではない。そんな風に書いてきたこともある。――仏教などをのぞいたのは精神的な世界に生きがいをみいだせるかと思ったからだ、文学や絵などをやったのもおなじ意味だった、そしてあるところまでは興味も感動もゆつことはできたのであるが、幼いじぶんからにらみあってきた死ほどつよく自分を魅さない。こんな意味の手紙もあった。――物質的な生活力のない者には精神的な世界へり深くはいってゆけないのかもしれない、ちかごろはあんなに怖《おそ》ろしかった死がむしろ自分を惹《ひ》きつけることさえある。こういう幾通かの手紙は丈之助をひどく驚かした、兄とは二つしか年がちがわないし、一昨年この江戸邸へ来るまではずっといっしょに暮していたので、兄がとかく病気がちであることも陰気なくらいおとなしい性質であることも知っている、けれどもそんな風に暗い考えや悩みをもっていようとは想像もしなかった。去年の十一月に太田税所《おおたさいしょ》のむすめしず江と結婚したいという知らせを受取ったときは、ことによるとこれで健康にもなり明るくなるかもしれないと思ったくらいであるが、事実はまったく反対になり、以上のような予想外の手紙となってあらわれたのである。……特につい三日まえに届いたものは、「まんいちのばあい」とか、「手文庫の中の遺書」などという文字とともに、それまでとは違う妙に冴えた明朗な筆致で彼をぎょっとさせた。ただごとではないという感じがした。慥《たし》かになにかあったにちがいないという気がした。それで、折よく国許《くにもと》へ帰ることになった森井保馬に、兄の身辺を注意してくれるようにと頼んだのであった。
保馬に頼んだことでいくらか気が軽くなったし、書庫での仕事がいちだんらくに近づいて忙しかったりするので、日の経つにつれて心配も少しずつうすれていった。仕事というのは藩史編纂《はんしへんさん》のための文通整理で、藤島仲斎《ふじしまちゅうさい》という老職の下に十二人の者が助手をつとめている。仲斎は定日に昌平坂《しょうへいざか》学問所へ日講の教授に出なければならない。そのため丈之助は取締補役という役目をもたされ、ひと一倍に忙しい日をおくっていたのである。――兄からはその後ぱったり便りがなく、二月になって保馬の手紙が届いた。彼は丈之助のいちばん親しい友人として、兄とも以前からなじみはあったのであるが、こんど帰国しても案外たやすく親しい往来《ゆきき》をするようになり、もう幾たびかいっしょに魚釣りなどもしたようすだった。
――おれの眼には少しも変ったところはみえない、禅の書物などもあまり読まず、ひまさえあると兜岩の上で釣糸を垂れているという風だ。まえよりは話もよくなさるし笑うことさえある、暗いかげなどは殆んどなくなったといってもいいだろう。家庭のようすも無風帯のように平穏だ、母堂などはいくらか肥えられたようにみえる、むろんこれからも気をつけてはいるが、そこもとの想像するような不吉な事だけは起こる心配はないと思う。そちらは梅がもう散るころだろう、こっちは阿仏山《あぶつやま》にはまだ雪が残っている。しかし大瀬川には雪解《ゆきげ》の濁った水がふえだしたから、まるなく春がやってくるだろうと楽しみにしている。
「では一時的なものだったんだな」丈之助は手紙を巻きながら、ほっとしたようにこう呟《つぶや》いた、「――なにか起こるとすればもう起こっている筈だし、どうかこれが本当であってくれればいい」
保馬からは、十日にいちどくらいの割で通信があった。兄とはたびたび魚釣りにゆくらしいし、家へ食事を招かれることも多いらしい、だが丈之助の案ずるようなことはなに一つ発見できないという、もうすっかり忘れていいだろうとさえ書いてきた。
――おれもこんど納戸役所へ勤めるようになった、頼まれたことをなおざりにはしないが、これまでのように頻繁に往来するわけにもいかなくなる、もちろん変ったことがあれば知らせるけれど、なにもなければ手紙も暫《しばら》く書かないからそのつもりでいてくれるように。
最後のものにはそう書いてあった。そのまま彼からも便りが来なくなり丈之助自身もしぜんと忘れていった。――こうして月にはいり、すべてが安穏におちつくかとみえたとき、とつぜん兄の死が伝えられたのである。それはじめじめと梅雨の降る日のことだった。書庫で仕事をしていると藤島仲斎が来て、
「話したいことがあるから来てくれ」
こう云って彼をつれだし、自分の役部屋へいって坐った。容子がいつもと違うのでなにか仕事に誤りでもあったかと思った。
しかし仲斎の口から出た言葉はまったく意外なものであった。
「そこもとの兄は病気でもしていたのか」
「いかがでございましょうか、暫く便りがないので存じません、もともとあまり丈夫なほうではございませんでしたが……」
「この三日に亡くなられたそうだ」
丈之助はふっとからだが浮くように感じた。ついで全身の血がぬけてゆくような眩暈《めまい》におそわれ、両手を膝《ひざ》についてけんめいに身を支えた。
「詳しいことはわからないが、病気が急変して亡くなられたという」仲斎はそっと眼を伏せてから続けた、「――しぜんそこもとが家督をつぐことになりお許しも下ったそうで、もし出来るなら早く帰国させるようにということになったのだ、もちろんそうしたいだろうが」丈之助は頭を垂れ歯をくいしばっていた。
「わしとてもすぐ帰してやりたいのだが、知っているとおり整理がまだ少し残っている、もうひと月もあればいちおう片付くので、それまでいて貰いたいと思うのだが」
「もちろんそれまではおります、私もいま帰国する積りはございません」
「情にはしのびないがそうして貰いたい、支配へはわしが云っておく、国許へはそこもとから事情を書いてやるように、……おそらく一日二日のうちには通知が来るだろうから」
廊下へ出た丈之助は、ひろい芝生のうえにけぶるこぬか雨を放心したように眺めながら、柱に片手をもたせてながいこと立竦《たちすく》んでいた。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
藩の公的な通信が私信よりはやいのは云うまでもない、しかしなにか事情があったのだろう、丈之助への便りはそれから五日ののちにようやく届いた。差出人は北沢平五郎という叔父で、ごく簡単に兄の死をつげ、家督相続の許しのあったこと、一日もはやく帰国するように、母が待ちかねていることなどが書いてあった。――仲斎から話のあった日に、丈之助は森井保馬へ手紙を出して、兄がどのようにして死んだかを知らせてくれと頼んでやったが、叔父への返事にも仲斎との約束でひと月ほど帰国の延びることを伝え、なお兄の死の詳しいことが知りたいむねを書きそえてやった。
丈之助はおちつかない日をおくった。仲斎から聞いた刹那《せつな》には大きな衝撃をうけたけれども、時の経過するにしたがって現実感がうすれ、誰かに騙《だま》されているような、またはそれが事実であるためにはなにか[#「なにか」に傍点]が足りないような、もどかしい苛《いら》いらした気持におそわれるのだった。――保馬からはなんの便りもなかった。北沢の叔父からは返事が来たが、ただ病勢が急に嵩《たか》まってというだけで、ほかに原因のありそうなことはいささかも書いてなかった。丈之助はかなりきびしい調子で保馬に督促状をやった。しかしそれに対しても返事はなかった。そしてやがて彼自身に帰国の日が来た。
城下へついたのは、七月はじめの暑い日であった。山ぐにには珍しい何十年ぶりかの暑さだそうで、町なかの川でも子供たちが水をはねちらして遊びたわむれていた。――町家より一段高くなっている武家やしきへはいるまもなく、用達《ようた》しの戻りらしい老僕の佐平とであった。わずか三年たらずみないうちに佐平はすっかり髪が灰色になり腰も曲りかけているようだった。
「これはこれは、思いがけない、ようようお帰りでござりましたか」老人は驚きとよろこびに声を震わせた、「――まいにちまいにち、御隠居さまが歌にしてお待ちかねでござりましたぞ、さあ早くお顔みせておあげなされませ」
「おまえ、からだでも悪くしたのか」
あまりの老けかたに、つい丈之助はこうきいてみた。佐平は眩《まぶ》しそうにこちらを見たが、すぐに眼をそらし、頭をゆらゆらと横に振るだけであった。――三番町《さんばんちょう》の家の門をはいると、すぐ右脇にある百日紅《さるすべり》が赤く咲きだしていた。前栽《せんざい》の松も庭じきりの柾木《まさき》の生垣も三年まえと少しも変らないようだ。
「旦那さまのお帰りでございます」
佐平のこう呼ぶのを聞きながら、玄関さきへ近よっていった彼は、黒ぐろと冷たそうに光るひろい式台を見てはっとした。年代を経てみがきあげられた敷板の面の、埃《ほこり》ひとつとめないしんとしたひろさ、それはそのまま主人のいない家の虚《むな》しい嘆きをあらわしているようにみえたからだ。――兄上、丈之助は眼をつむって頭を垂れた、――丈之助ただいま帰りました。
保馬の書いてきたとおり、母は少し肥えていた。そのためだろう、愁《うれ》いのいろも予想したほど深くはなく、むしろ丈之助の帰国のよろこびになにもかも忘れるようすだった。あによめは窶《やつ》れていた、ちょっとみちがえるほどの窶れかたであった。もともとほそおもてで脊丈《せたけ》もそれほど高くはなかったが、関節のきりっとひき緊った弾力のある肉付きで、いかにも賢《さか》しげに動く大きな眸子《ひとみ》と、波をうつようにやや尻の切上がった唇《くち》つきが、評判の美貌をひときわひきたてていた。――それが今はまるで変っている、しかも娘から妻になったという変化ではなく、もとの姿のまま凋落《ちょうらく》したという感じなのだ。良人《おっと》に死なれた傷心のためだろうか。もちろんそれもあるだろう、しかしそれだけではないという直感を丈之助は受けた。
風呂舎《ふろや》で汗を拭いて着替え、仏壇に香をあげて、居間へおちつくと、すぐ彼は母にむかって兄の臨終のようすをきいた。母はすらすらと話した、兄は肝臓部に癌《がん》ができていたという、それを持病の胃腸の疾患だとばかり信じていた、医者もそう思っていたのであるが、四月末から急に病状が変り、わかったときはすでに手のほどこしようがなく、五月三日の早朝に死んだということであった。
「母上のお話にまさか嘘や隠しはないでしょうが」丈之助は聞き終ってから暫《しばら》くしてこう云った、「――それはもうそのとおりでしょうけれど、私にはどうにも腑《ふ》におちないことがあるんですよ」
「まあなにを仰《おっ》しゃるの、だっておまえ現在お母さんが」母はこう云ってふと作ったように微笑した、「――いやですねえそんな、お母さんがなんのために嘘を云うんですか、いったいどこが腑におちないと仰しゃるの」
「いや母上を疑うわけではないんです、それとは違うんですが、……それはまたおちついてから申上げます」
「そうなさい、疲れて神経が昂《たか》ぶっているんですよ、いましたくをさせますからちょっと横におなりなさるがいい、晩には北沢の叔父さまだけでも、およびしなければなりませんからね、少しお酒でもあがりますか」
「いちにんまえの扱いですね」丈之助は気を変えたように笑ってみせた、「――それには及びません、このまま横になります」
彼はなによりさきに、螺鈿《らでん》の手文庫をみたかった。けれども「おまえひとりで」という注意があるので、人眼につかぬ折をと思い、したくの出来た寝間へはいった。
晩餐《ばんさん》には北沢平五郎だけでなく、米村六左衛門、阿部忠弥、野口|邑右衛門《むらえもん》、野口久之進など、親族のおもだった人たちが殆んど顔をそろえた。北沢と阿部と米村は父方であり、野口は里方の者である。――帰ったその夜の招きにしてはおおげさすぎる、丈之助はこう思って用心していたが、はたして食事が済んで茶になると思いもよらぬ話が出た。いちばん年長でもあり近いみうちでもある北沢平五郎が、親族を代表するような口ぶりで「家督を相続するについては、亡兄の嫁しず江を丈之助の妻になおしたい」と云いだしたのである。
「この話は、じつを云うと春樹どのの遺言なのだ」平五郎はこう云った、「――亡くなる四五日まえ、御母堂とわしのいるところでそう云われた、しず江を丈之助の妻になおして平松の家を継ぐように、念をおしてそう云われたのだ、そこで亡くなられたあと親族御一同に集まって頂き、またしず江どの御尊父にも列座を願ったうえで合議したところ、いずれにも異議なく、このばあいそれがなにより妥当なしかたであるということになったのだ、春樹どのはなおこれについてはそこもとへも、かねて通じてあると申されたから、おそらく承知のこととは思うが」
「いや存じません」丈之助はむしろ狼狽《ろうばい》してさえぎった、「――手紙はたびたび貰いましたが、婚姻のことなどは少しも書いてはございませんでした、ただ……」
こう云いかけて、丈之助はふと絶句した。さいごに来た手紙に、まんいちのばあいは母と親族の合議を尊重するように、と書いてあったのを思いだしたから。――平五郎は彼の言葉をそのまま聞きながし、この問題がすでに決定して動かすことができないものだということを証明するように続けた。
「御母堂はじめ親族一統の意見もまとまったので、相続願いと同時に右のおもむきもお届け申し、すべてとどこおりなくお許しが下った、常のばあいならいちおうそこもとの意志もたしかめるべきであろうが、このたびは平松の家名という件が中心であるから、その点をよく了解して承諾されたいと思う」
丈之助は、やや暫く黙っていた。あまりに思いがけないことで、どう答えていいか自分でも見当がつかなかったのである。
「これでまずわれわれの役目も済んだ」野口久之進がはっとしたように云った、「――あとは祝言の日取だが、これは当人同士の意見もあることだろうし、そういそぐにも及ばぬだろう」
「とにかく丈どのも幼ななじみのことだし、これはかえって良縁と云うべきかもしれない」
そして人々はさりげない座談に移った。
客が帰ったあと、母はしず江と三人で話したいようすだったが、丈之助は疲れているからと断わり、居間へはいって独りじっと坐りこんだ。――あによめを弟が妻にもつ、あながち例のないことではない、むしろ常識的なくらい世間ではよくおこなわれている。ことにこのばあいは兄の死が急であったこと、しず江に子供ができていないこと、彼とも幼ななじみであることなどから、兄の遺言どおり親族でそういう便法をとったのは当然かもしれなかった。また「家」というものが、比較的には人間よりも重要に考えられている時代のことで、いちどそう決定したからには丈之助にそれを拒む自由はないのである。しかし彼にはいまそれをうけいれることができない。彼は兄を尊敬し愛していた、彼と兄との関係は、ほかのどんな兄弟とも違う密接な尊敬と愛とでむすばれていた。あまりに近しくじかであった、その兄の妻は丈之助にとってすでに肉親の姉である、ひとがその姉や妹に異性を感ずることができないように、丈之助はもう彼女に異性を感ずることができない、彼女と結婚することは不自然であり不倫でさえある。しかもそれは、本能的なくらい激しく根強い感情であった。
母もしず江も寝たらしい、丈之助は行燈《あんどん》から手燭《てしょく》に火をうつして、そっと兄の居間へはいっていった。机も書棚も、兄のいた頃のままそっとしてある。床間の軸だけは外されていたが、違棚《ちがいだな》の上も手をつけたようすがなく、愛玩の李朝《りちょう》の鉢や、いつか保馬に托《たく》して届けた帙入《ちつい》りの種電抄とならんで二つの手文庫が置いてあった。――蒔絵《まきえ》の方は鍵《かぎ》であけるが、螺鈿のほうは組込細工で、側面と底の板を交互に動かしてあける仕掛けだった。丈之助は手燭をそこにおき、手文庫をひきよせてしずかに仕掛けを動かした。
だがその中には、遺書らしいものは無かった。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
蒔絵のほうもあけてみた。それからまた螺鈿のほうをたんねんにしらべた、けれども手紙で云って来たようなものはついにみつからなかった。――その手文庫は亡父が京都から買って来たものである。あけかたは亡父と兄と丈之助だけが知っている。母でさえ手をつけたこともなかった。
――遺書は書かれずにしまったのだろうか。
――いや決してそんなことはない、それならあとからそう書いてよこす筈だ。
――では誰かぬき取ったのだろうか。
――そうかもしれない、だが遺書などを取ってどうするのだ、どんな必要があって、……
丈之助は、手燭の消えるまでそこに思いあぐねていた。
彼のほうもそうだし、しず江も彼を避けるようすだった、母もしいて二人を近づけようとはしなかった。帰って三日めに竜源寺で法会をし、そのあとで家督相続の披露宴を設けた。それまでに来なければならない筈の森井保馬は、いちども姿をみせず、披露宴には使いをやったのに断わってきた。
――なにかわけがあるな。
江戸で出した手紙に返事の来なくなったときから、なにか理由があるとは思っていたが、帰国したのを知っていながら来ず、招待まで断わるというのは普通のことではない。こんどはもう怒る気持などはなく、なるべくはやく会ってその理由を慥《たし》かめねばならぬと思った。
披露の宴をした翌日、藩主いきのかみ敦治《あつはる》から、召し出しの使者があった。登城すると中老《ちゅうろう》筆頭《ひっとう》の出仕をせよという沙汰だった、平松はもともと筆頭中老のいえがらで、野口家と七年交代にその職をつとめてきた。兄が家督をしたときは野口邑右衛門の在任のうちで、去年その任期が切れたのであるが、春樹は病弱のため交代を延ばしていたものであった。――丈之助は江戸を立つまえ、藤島仲斎からないぶんの話として、藩譜《はんぷ》編纂《へんさん》がはじまったらその局に当って貰うだろうということを聞いていた。若い彼には、筆頭中老などという気ぶっせいな役より、もちろんそのほうがやってみたい、そこで陪侍《ばいじ》している側用人の中山|義太夫《ぎだゆう》にむかって、自分にはほかに仰せつけられる役目があるように聞いていたが、それはお取止《とりや》めになったのかとたずねた。
すると、敦治がひきとって、「ほかの役目がある筈とはどういうことか、直答《じきとう》で申せ」
こう云って、ふきげんな眼をした。敦治はわがままな癇癖《かんぺき》のつよいひとである、これはいけなかったと思ったが、口を切ってしまったので仲斎からの話を申し述べた。
「さようなことは聞いておらぬ」敦治はいよいよきげんを悪くした、「――余の知らぬところで、役目の授受がおこなわれようとは思わなかった、義太夫、みだれておるぞ」
丈之助は、めんぼくを失って下城した。
午後になって、北沢平五郎と野口久之進がやって来た。もちろん御前の不首尾のはなしである、敦治はあれから老職をよび集め、平松の家格を下げろとまで忿《いか》ったそうである。列座の人々の諫止《かんし》でそれだけは沙汰やみになったが、筆頭中老はひきつづき野口邑右衛門に仰せつけられ、丈之助は当分無役ということに定《きま》ったということであった。
「どうして、あんなばかなことを申し上げたのだ」平五郎はなんどもぐちのように云った、「――ほかのときならまだしも、役目の沙汰をうけてすぐそんなことを言上するなどとは、無思慮にもほどがあるではないか」
「藤島御老職からそのはなしが申し上げてあると思ったのです、お受けをしてしまえば編纂にまわるわけにはいきませんから」
「二男でいるころならそういうことも許されるだろうが、平松の当主となれば筆頭中老以外の役につくわけにはまいらぬ、そのくらいのことは知らぬわけはあるまい」平五郎はしきりに汗を拭いた、「――さいわい老職がたが殿へおとりなしをして下さるそうだから、暫くは謹慎しているように、これからも一族の迷惑になるようなかるがるしい言動は、つつしんで貰わなければならぬ」
丈之助は、すっかりくさってしまった。
余をさしおいて役目の授受をするという藩主の云いようも子供めいているし、そんなことでうろうろ周旋する人たちもばかばかしく思える、若い人間をとしよりのするような名ばかりの砂に据えるより、じっさいに生きた仕事をさせるほうが藩のためにも得策ではないか、――しかし彼がいまどういきまいてみたところで、因習と伝統でかたまっている制度をくつがえすわけにはいかない、まあ当分おとなしくして時期の来るのを待つよりしかたがないだろう、こう思ってなるべくはやく忘れることにした。
それからほんの数日のちの或夜、丈之助は庭へ涼みに出ていて偶然にしず江と逢った。さして広くはないが、松のあいだに梅を配した亡父じまんの林があり、芝生になった築山《つきやま》のまわりは芒《すすき》や萩《はぎ》や桔梗《ききょう》などが繁っている、築山の上にある腰掛で丈之助が涼んでいると、しず江がひとりで来て、その芒のしげみのところにひっそりと跼《かが》んだ。丈之助は黙ってみていた、麻の白地になにか小さく草花を染めだした帷子《かたびら》が、繁っている芒の葉がくれに、宵闇《よいやみ》を暈《くま》どってまぼろしのようにみえた。丈之助は立ってしずかにそっちへ近よっていった、しず江は驚いて立上がったが去ろうとはしなかった。
「なにをしていたんです」
「佐平が虫を買ってまいりましたので、ここへ放してやりました」
「こんなにうるさいほど鳴いているのにね」
「鈴虫でございますわ」
しず江は手にした空の虫籠を、そっとまさぐっていた。丈之助は、彼女がなにか話しかけるのを、待っていることに気づいた。それで、思いきってこう問いかけた。
「あなたは、親族のとりきめた話を知っていますね」
「――はい」
「それで承知したんですね」
しず江は、ちょっとためらった。
「――はい、そうすることがいちばん春樹さまのおぼしめしに添うと存じましたから」
「あなた自身は、どうなんですか」
丈之助の調子がするどかったのだろう、しず江はぴくっと肩をふるわせた。それからごく低いこえで、しかしはっきりとこう答えた。
「わたくしにも、そうして頂くのがいちばん仕合せでございますわ」
「私がそれを信じると思いますか」
「――でもわたくし、本当に」
「あなたの窶れかたは普通ではない、私は人ちがいをしたくらいです、帰って来てはじめて見たとき、とうていあなたとは思えなかった、いまあなたの仰《おっ》しゃった言葉は、それ以上に私をとまどいさせる、あなたはそんなにも変ってしまったんですか」
しず江の手で、なにかの折れるような音がした。持っている手に、ちからがはいって、虫籠がどうかしたらしい、同時に彼女は顔をあげて丈之助を見た。
「もしもわたくしがお気にめしませんでしたら、どうぞ丈之助さまのおよろしいようになすって下さいまし」
「あなたは私にとって大事なひとだ」丈之助は苦痛を訴えるように云った、「――私のたったひとりのあによめだったのだから」
そして彼は、家のほうへ去っていった。
丈之助は保馬の家をたずねた、二度たずねて二度とも「不在」であると断わられた。三度めにいったとき手紙を置いて、ぜひ会いたいからということづけをしたが、その翌日すぐ返事があって、御用繁多のためここ暫くは会えない、そういう意味だけどく簡単に書いてよこした。――もうあたりまえの手段ではだめだと思い、浜野雄策《はまのゆうさく》という友をたずねて保馬をさそいだしてくれるようにたのんだ、雄策とはふだんあまりつきあいはないが、藩の学堂でいっしょに机をならべた友のひとりである。
「おれがよびだすなんておかしいじゃないか、喧嘩《けんか》でもしたのかね」
「それがわからないんだ、ぜひ会って聞きたいことがあるんだが避けてばかりいる、どうして避けるのか見当もつかないが、とにかくおれではだめらしいんだ」
「じゃあ魚甚《うおじん》へでもさそうかね」雄策はこう云って笑った、「――但し勘定はそっちでもつんだぜ」
四五日して、雄策から使いがあった、夕方の六時ころ、魚甚へ来いという知らせである、丈之助は時刻をはかってでかけていった。――魚甚は花屋橋をちょっとさがった河岸《かし》ぞいにあり、川魚料理で名を知られた料亭だった。雷雨でも来そうな空もようで、いつもなら夕風の立つじぶんなのに柳の葉もうごかず、じっとしていても汗の出るほどむし暑かった。二階のひと間へとおされるとすぐ、女中に二人の来ていることを慥かめ、窓際で少し涼んでから雄策を呼んでもらった。雄策はもう赭《あか》い顔をして、団扇《うちわ》ではたはた衿《えり》をあおぎながらはいって来た。
「まだ始めたばかりだからもう少し経ってのほうがいいだろう、酒でも飲んで待っていないか」
「こっちは構わないからたのむよ」
それから約|半刻《はんとき》ほど待ったろうか、雄策が来てめくばせをした。立ってゆくと廊下の端の部屋をゆびさし、おれは先に帰るよと云った。丈之助は目礼を交《か》わして、教えられた部屋へはいっていった。――保馬は窓框《まどがまち》に肱《ひじ》をもたせ、団扇をつかいながら川のほうを眺めていたが、はいって来た丈之助に気づくとあっと声をあげ、そのまま石のようにからだを硬くした。
「こんな風によびだして済まない」丈之助は少しはなれた処《ところ》へ坐って保馬の眼を見た、「――だがこうするよりほかに手段がなかったことは、認めてくれるだろう」
「断わっておくが、おれはなんにも話せないぜ」
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
「いや話さなくちゃあいけない、おれはどうしてもきくよ」丈之助は、相手の顔から眼をはなさずに云った、「おれは、あによめと結婚しなければならぬことになった、兄が母と叔父とにそう遺言したのだそうだ、江戸にいるときおれに兄が遺書をのこしてくれたと書いて来たことは知っているだろう、もし母や叔父にそういう遺言をしたのが事実なら、遺書にもそれが書いてあるにちがいない、おれは指定された手文庫をあけてみた、しかしその中には遺書はなかったのだ」
「遺書がなかったって、手紙にあったあの遺書が……」
「どうしてもなければならぬ筈のものがない、兄が書かなかったとすればその後にそういって来るわけだ、慥《たし》かに兄は入れたにちがいない、それがないとすれば誰かが取ったことになる、いったい誰がなんのために取ったのだ、――訝《いぶか》しいのはそれだけではない、あれほどたのんでおいたそこもとは、兄の死の前後からばったり沈黙してしまった、いくら手紙をやっても返事をよこさない、こっちへ帰って来てからもおれを避けとおしに避けている、保馬、いったいなにがあったんだ」
保馬は眼をつむった。口のなかで、「遺書が取られた」と呟き、なにか思いなやむ風に、俯向《うつむ》いたり首を振ったりした。
「云ってくれ保馬、おれには兄の病死したということさえ信じられないんだ、いったいなにごとがあったんだ、そこもとはなにを見たんだ、どうしておれに話すことができないんだ、保馬、たのむ、本当のことを云ってくれ」
「おれは他言しないことを誓った、誰にも他言しないということを……」
「なにごとに就いてだ、なにを他言しないというんだ」
「そこもとの母堂にも、親族のひとたちにも誓った、決して他言しないと、……それはそともとが遺書をみれば、なにもかもわかると思ったからだ、しかしその遺書が誰かの手で取られたとすると」保馬はそう云いかけてまた口ごもった、「――そうだ、やっぱり黙っておしとおすわけにはいかないだろう、おれにもおれで納得のいかないことがあるんだから」
「まず兄の死のことを聞かせてくれ、兄はどういう風に死んだんだ」
「春樹さんは」保馬は、苦しげに眉をひそめて云った、「――自殺されたんだ」
「自殺、どうして」丈之助はこくっと喉《のど》で音をさせて、「――どんな風に自殺したんだ」
「大瀬川の、いつもゆかれる兜岩《かぶといわ》のところから、身を投げて死なれた」
「川へ身を投げて、……兄が――」
「過失で死んだとみせるためだったらしい、兜岩のところに魚籠《びく》が置いてあったし、死躰《したい》の右手には釣竿《つりざお》を握っていた、おれがみつけさえしなければ、おそらく過失で死んだことになっただろうと思う」
「そこもとがみつけたというのは……」
「まったく偶然なんだ、手紙にも書いたと思うがおれはよく春樹さんと釣りにいった、きまって兜岩のところなんだが、そのうち納戸役へつとめるようになって一緒にゆけなくなった、暫く竿を持たなかったが、五月二日の日だ、ちょっと非番が続くので久しぶりに伴《つ》れていって貰おうと思ってたずねた、するともう出掛けられたという、おそらくいつもの場所だろうと見当をつけてゆくと、川のほうへおりてゆく石段のところ、――われわれが水浴びにいったころ帰りによく蜜《みつ》を舐《な》めに登った古い松がある、あの松のところでふと下を覗《のぞ》いてみた、ちょうどそのときなんだ、兜岩の上からさっと誰かが川の中へとびこんだ、片手に釣竿を持って着物を着たままの姿が、白くさっとしぶきをあげて水の中に消える瞬間に、春樹さんだということがわかった」
丈之助はかすかに身ぶるいをした、まるでそのしぶきを浴びたかのようだった。
「おれは狼狽《ろうばい》して石段をかけおりた、まったく狼狽していたんだ、知っているとおり兜岩から川下は両岸が高い絶壁ので、流れのつよい瀬が十町あまりも続いている」保馬はこ答うつづけた、「――下までおりてからそう気がついた、それですぐ石段をかけあがり、崖《がけ》の上を走りに走って堰《せき》の上から川へおりた、あそこからは川幅もひろくなり流れもゆるくなっている、水も浅いからおれは川の中へはいっていった、だがみつからなかった」
保馬は断岸《きりぎし》のほうまで遡《さかのぼ》ってみた。さらに川下のほうも捜した、しかしどうしてもみつからないので、いったん岩のところへひきかえし、そこにあった遺品を持って北沢平五郎の屋敷へかけつけた。――すぐに米村と阿部をよび集め、舟を借りて四人だけで川筋を捜した。死躰は兜岩から五六丁さがった淵《ふち》の底から発見され、夜になるのを待ってひそかに家へはこんだのである。……保馬はそこで口をつぐみ、ふかい溜息《ためいき》をついてから静かにこう云った。
「親族のかたたちの相談で病死という届けをし、いかなる事情があろうとも他言しないという約束をした、それはそれでいいのだが、おれの眼にはあの瞬間の春樹さんの姿がはっきりのこっている、岩の上からさっととびこんだ動作が、――いったいどうしてそんな死にようをされたのか、おれはずいぶん思いなやんだ、そのうちにただひとつだけ記憶にうかんだことがある、それはいつか一緒に釣りをしているときだったが、春樹さんがおれにまだ嫁を貰わないのかと云われた、おれは来年の春に貰う約束がありますと答えた、春樹さんは暫く黙っていたが、ふと述懐のようなくちぶりで、こんなことを云われた、
――結婚というものは心もからだも違ったもの同志がひとつになるのだから、潔癖に考えすぎると却《かえ》って失敗しやすい、むしろごく楽な単純なきもちで、世間一般の習慣だというくらいにやるほうがいいようだ、もっとも世の中のことは、すべてあまりまじめに思いすぎないほうがいいらしいがね。
こういうような言葉だった、思いだすとそれがいかにも意味ありげにおもえてくる、江戸で二人が話したときおれはこんどの結婚に原因があるんじゃないかと云ったが、その想像がまたしつこく頭にうかんできた、やっぱり問題はそこにある、みかけではわからないし、ほかにも理由はあるかもしれないが、直接の動機はそこにあるに違いない、おれはこう考えるようになったんだ」
保馬はそこでまた、ややながく沈黙した。それから川のほうへふりかえり、すっかり昏《く》れてしまった対岸の燈を眺めながら、独り言のようにこう低く呟いた。
「これはおれが云うべきことではないかもしれないが、春樹さんの死の原因のひとつがそこにあるとして、それが遺書に書いてあったとすれば、その責任を感ずるひとがそれをひそかに破棄するということはあり得ないだろうか」
丈之助はしまいまで黙っていた。兄が病死したと聞かされているうちは、なにか不自然で納得のゆかない気持だったが、保馬の話からうけた打撃は強烈であった。――自殺、しかも川へ身を投げて死ぬ、それは過失をよそおうためだったかもしれないが、当時の武家の風としては承認しがたいものである、どうしてそんな手段をえらんでまで死ななければならなかったのか。……彼はうちのめされた者のように、数日のあいだ居間にこもって暗い溜息ばかりついていた。
丈之助はそれからしばしば大瀬川へでかけた。城下町から一里たらず山へはいると、断崖の岩に段をつくって下へおりるところがある。そのあたりは川なかに巨《おお》きな岩がたくさんあり、崖沿いにも岩床が続いていて、水は淵となり瀬をなし淀《よど》みをつくるというように変化が多く、鮎やうぐい[#「うぐい」に傍点]や鯉、やまめ[#「やまめ」に傍点]などがよくとれる、丈之助は少年のころ夏になると毎日のようにそこへ水浴びにいった、落ちるような流れの急な瀬に乗って淀みへすべりこむのがなんともいえずおもしろい、また淵の水底へもぐって、岩の窪《くぼ》みにひそんでいるやまめ[#「やまめ」に傍点]を掴《つか》むこともできる。よそから人に見られる惧《おそ》れがないので、どんなに騒いでも叱られる心配がなかった。――はるかなむかしだ。断崖の段々をおりてゆきながら、丈之助は胸いっぱいに音楽を聴くような感動をおぼえた。
兜岩はその段をおりて川上へ二十間ほどいったところにある、ぜんたいが八|帖《じょう》敷《じ》きの家くらいの大きさで、兜の鉢金《はちがね》に目庇《まびさし》だけ付けたようなかたちをしている。丈之助はその上へのぼって腰をおろした。――水はすでに秋の色をひそめていた。向うに迫っている断崖の中腹にところどころ小松が生《は》えていて、それに絡んでいる蔓《つる》のなかには、すでに赤く色づいたのが鮮やかにみえた。
「兄さん」丈之助は川の水にむかってそっとこう呼びかけた、「――いったいどんなことがあったんですか、どうしてそんな風に死んでおしまいなすったんですか」
絶え間なく水は流れていた。かなりつよい流れの脈にゆられて、薄青く染まったような川底の石が、ゆらゆらと動くように透けてみえる。丈之助はそれをみつめているうちに、ふとひとつの遠い出来ごとを思いだした。それは彼が十二歳兄が十四の年の初秋のことだ、もう肌さむい風が吹きはじめていたが、兄と彼は二人きりで水浴びにいった。去ってしまう夏へのなごりという気持だったろうか、水は冷たかった、暫く遊んでいるうちに兄がやまめ[#「やまめ」に傍点]を掴もうと云いだした。兄はそれまで見ているだけで、いちどもやったことがなかった。
――兄さんに掴めるかな、むずかしいんだよ。
――掴めなくってさ、今まで隠していたんだ、わけないよ。
――どうだかね、あぶないね。
そんな問答をしているうちに兄はとびこんだ。そこは丈之助も、たびたびもぐったことのある場所だった、深さは七八尺で、岩床の根のところに穴があり、よくその中にやまめ[#「やまめ」に傍点]が尾鰭《おひれ》を休めている、上手な者は両手に一尾ずつ掴むことも稀《まれ》ではなかった。――兄は水を蹴《け》りながらもぐっていった、上から見ていると、どうやら穴へ手を入れたようだ、掴んだかなと思ったがなかなかあがって来ない、白い二本の脚がひらひらと動く、上躰は岩に貼着《はりつ》いていてよく見えないが、足はしきりに水を蹴っている、少しながくかかりすぎるようだ、丈之助は不安になった、そのうちに二本の足は動かなくなり、ぶくぶくと水泡《すいほう》が浮いてきた。……溺《おぼ》れたにちがいない、丈之助は逆《さか》さになってとびこんだ。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
兄は右手を岩穴へさしこんだまま、僅かにもがいていた。丈之助はその手につかまって引張った、手はなにかに閊《つか》えるようでどうしても出ない、そこで穴の中をさぐってみると、兄の手は一尺もありそうな大きな魚を掴んでいた。つまりその魚を掴んでいる拳《こぶし》が穴に閊えているのである、――丈之助は苦しくなってくる呼吸をがまんしながら、兄の指を一本ずつひきはなし、ようやく魚を取去るとともに、兄の腕を抱えて水面へ浮きあがった。それはいま思いかえしても、冷汗の出るような時間であった。殆んど失神しているからだを岩の上へひきあげ、「兄さん、兄さん」と泣きながら転がしたり叩いたりした。兄はまもなく多量の水を吐いて意識をとりもどした。そして兄弟は裸のまま抱合って泣いたり笑ったりした。……兄のほうはそれでなにごともなかったが、丈之助はその夜から激しい下痢と高熱をわずらい、二十日あまり寝てしまったのである。
――あのときの魚はずいぶん大きかったね兄さん、でもあれはうぐい[#「うぐい」に傍点]だったよ。
――いやあれはやまめ[#「やまめ」に傍点]さ。
――うぐい[#「うぐい」に傍点]ですさ、私にはちゃんとわかってましたからね。
その後よく二人でこんなことを云いあったが、そういうときこっちを見る兄の眼の、ふいにぬれてくるような色を丈之助は忘れることができない。
「いつかまたあのときの事を話して、いっしょに笑おうと思ったのに」丈之助は水にむかってそう云った、「――貴方《あなた》はそんな風に死んでおしまいなすった、こんどは私の助力では役に立たなかったんですか」
三十間ほど上に急湍《きゅうたん》があって、淙々《そうそう》と冴《さ》えた水音が両岸の絶壁に反響している、丈之助はその音のなかから兄の声を聞きとろうとでもするように、じっと眼をつむってながいことそこに坐っていた。
螺鈿《らでん》の手文庫から遺書がぬき取られたという想像は、かたときも丈之助の頭から去らなかった。むだだということを承知で、母にもしず江にもそれとなくきいてみたが、もちろん答えはにべもないものであった。彼は兄の遺品の整理をしながら、どこかにそれがありはしないかと多くの時間をかけて捜した。しかしそれとおぼしい物はなにもみっからない、丹念によく日記をつけていたようであるが、それさえも自分で始末したものか一冊もなかった。――九月にはいると祝言の日どりの相談がはじまった、普通なら一周忌が済んでからというところであるが、これは故人の遺志でもあるし、すでに家督もしたことであるから、今年のうちには式を挙げるべきだ。こういう風に相談は現実的になりだした。丈之助は、まだとうていそういう気持にならないからと拒んだ。
「まだ半年にもならないのですから、私はもちろんあのひとにとっても早すぎると思います、とにかくもう少し待って下さい」
「しかし過日の御不興のこともあるからな」北沢の叔父はとういうことも云った、「――来春早々に殿は参覲《さんきん》の御出府をなさる、それまでには婚姻のお届けをして家内のおちついたことを御承知ねがっておかなければならぬと思うが」
「いずれにしてもまだ私にはその気持はございません、どうかお待ちを願います」
丈之助はそう云って、押しとおした。
秋が深くなると、兜岩あたりの水はぐっと減ってきた。川上から流れて来る落葉も、ひところは黄色く紅《あか》く殆んど水のおもてを掩《おお》うようであったが、しだいに鮮やかな色をうしない、茶色にきたなく縮れたのや蝕《むしく》いのみにくい葉ばかりになり、その数も日ごとに少なくなっていった。――丈之助は岩の上に腰をおろして、ときにはまる半日も、惘然《もうぜん》と流れの上の落葉を眺めくらすことがあった。痩《や》せてゆく川水はいよいよ冷たく澄みとおり、研《と》いだような底石のうえをついついと魚のはしるのがよく見えた。……こうして、やがて冬が来た。
十一月のこえをきくと間もなく阿仏山《あぶつやま》にまず雪が降り、その白い部分が一日ごとに下へ下へと延びてくる。山麓《さんろく》から里へかけてみぞれの降る日が続き、朝になるとそれが氷りついた。そんな或日、太田の実母が急病だという知らせで、しず江は実家へでかけていった。折返し使いが来て病気は卒中でありいつ急変があるかわからない症状なので、今夜はこちらへ泊るという断わりがあった。
「それでは貴方もゆかなければね」母は彼の顔色をうかがうように云った、「――もう義理の母ということになるんですから、顔だけでも出さないと……」
「母上がいらして下さい、私にはどうも、祝言を延ばしてもいるし、具合がわるいですよ」
「お厭《いや》ならそれでもいいけれど」
母はむりじいもせず、しず江の部屋から着替えなど取出して包み、佐平をつれてみぞれのなかを出ていった。――丈之助は母がしず江の部屋へはいったとき、今までかつて考えてもみなかった事をふと思いついた、それは卑しくもあり武家の人間としては恥ずべきおこないであった、しかし彼は些《いささ》かの躊躇《ちゅうちょ》もなくそう決心をし、母が出ていって半刻《はんとき》ほどするとしず江の部屋へはいっていった。……保馬がほのめかすまでもなく、遺書を取った者があるとすればまず彼女とみていいだろう、そしてもしそれが事実で、そうする必要があるほどの意味をもつものなら、或いはすでに焼くか破棄するかしてしまったかもしれない、だが捜すだけは捜してみようと思いついたのであった。
箪笥《たんす》三|棹《さお》、長持、葛籠《つづら》、小箪笥二棹、いくつかの手筐《てばこ》、文台、鏡箱、針箱、櫛筐《くしばこ》、鏡台、硯箱《すずりばこ》、これらを辛抱づよくみていった。夕食のあと少し休み、十時に茶と菓子をつまんだきりで、ほんの端切《はぎれ》の詰ったような容物《いれもの》まで念入りにさぐってみた。――御菩提寺《ごぼだいじ》の鐘が丑満《うしみつ》をつげたときには、もう天床裏か畳の下以外には捜すものはなくなっていた。丈之助はちから尽きた感じで部屋のまん中に坐り、溜息をつきながらぼんやりと周囲を眺めまわした。
「しず江ではなかったのだろうか、それともどうにか始末をしてしまったのだろうか」
四半刻もそうしていたであろう、やがて彼は立上がり、取出したままの手筐などを元のところへ戻しはじめた。するとどうしたはずみか、小箪笥の上にあった南京瑠璃《ナンキンるり》らしい壺《つぼ》がころげ落ち、彼の足もとでくるくると廻った。おそらく彼女が兄から貰ったものであろう。丈之助は拾いあげて小箪笥の上へのせようとしたが、ふと中になにかあるような感じなので覗いてみると、どうやら封書のような物がはいっている。どきっと胸が鳴った、すぐ行燈のそばへゆき、慥かに封書らしいのをみて引出した。――封が切ってある、だが表には丈之助殿とあり裏には兄の名が書いてあった。
「ああやっぱり」丈之助は喘《あえ》ぐようにこう云った、「――やっぱりそうだった、やっぱり取られていたんだ、……この壺が落ちたのは兄上のみちびきだったかもしれない」
彼はそれをふところにしまい、部屋の中をできるだけ元どおりに片付けた。
居間へもどった丈之助は、燈《ともし》をかき立てて机に向い、すぐにその遺書を読みはじめた。火桶《ひおけ》の火はすっかり消えていたし、寒気はするどく、机に倚《よ》った丈之助はしきりに胴ぶるいが出たけれども彼は、寒さも疲れも感じなかった、兄の遺書はその思いがけない告白で彼をひっ掴み、殆んど息詰らせたくらいであった。――すばやく、むさぼるようにいちど終りまで読み、それをまたはじめから読み直し、さらにもういちど、次のような章から繰り返して読んだ。
――こういう考えかたがお笑い草になるか厳粛にうけとるかは人々の自由であります。ただ私にはそう考えるよりほかにしかたがなかったのです。だがこういうことも云えなくはありません、私がそれをもう少しおそく知ったら、つまりあのひとと私とが夫婦としてむすびついてしまっていたとしたら、……それはさらに私の苦痛を大きくしたことでしょうが、まったく別の手段をとらなければならなかったことでしょう、こう想像することは今でも私をぞっとさせます。そして祝言の夜からはじまった発熱を感謝せずにはいられません。
――あのひとがおまえを想っていたということ、それもずっとはやくから想いあこがれていたということは、私が偶然にみつけた日記よりも正確にあのひと自身が表明していました。花嫁|衣裳《いしょう》をぬいだあのひとは灰で作った人形のようにみえたのです、姿かたちの衰えよりも心の悄亡《しょうもう》しつくしたひと、少し誇張していえば形骸だけのひとという感じなのです。自分が良人《おっと》になるたちばだったからかもしれませんが、私はすぐにこれは尋常のことではないと感じました、おそらくその疑惧《ぎぐ》があったために偶然みつけた日記をひらく気になったのでしょう、そうしてそこに書いてあることを読みとったあと、私がいったいなにを思ったかおまえにわかりますか、……云いましょう、それは兜岩のところでやまめ[#「やまめ」に傍点]を掴んだときのこと、おまえにあやうく助けてもらったあのときのことでした。
――あのやまめ[#「やまめ」に傍点]は大きすぎた、しかしすぐに手を放してえしまえばなんでもなかった。
――私の病気が肝臓の癌腫《がんしゅ》だったということはまもなくおまえも聞くでしょう、誰にも知らせてはないけれど癌腫はもう腎臓《じんぞう》へも移っているそうです、四月中旬にそういう診断をうけました、この病気は治療の法もないし、今のうちは進行も徐々としているが、やがて(おそらく最大限二年以内には)腹腔内《ふっこうない》ぜんぶに蔓延《まんえん》して死ぬのが通例だということです、なんのために便々《べんべん》と待つことがありますか、手紙でも書いたように、私と死とはごく幼いころからのなじみです、かつては恐怖であったがあんまりにらみ合っていたために狎《な》れてしまいました。これから生きることは、私にとっては徒労であり、あのひとにとっては苦痛をひきのばすだけです、無意味でもあり、まったく不必要な苦痛を……。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
――人間はいちどしか生きることが出来ない、どんなちからを以《もっ》てしてもやり直すことが出来ないのです。人が人をこれほど深く想う、こんなに美しい厳粛なものはありません、その想いがかなえられないとしたら、かなえられないままに一生を終るとしたら。……私はおまえにたのみます、どうかすなおな気持で、あのひとの心と兄の賜物《たまもの》とをうけて下さい、兄のさいごのねがいを生かしてくれるように、信じかつ祈ります。
――終りにもういちど断言しますが、私の掴んだあの魚は慥かにやまめ[#「やまめ」に傍点]でしたよ。
手紙を巻きおさめた丈之助は、両手で顔を掩《おお》ってやや暫く噎《むせ》びあげた。
なにを考えることもできなかった。不幸な兄、不幸なめぐりあわせ、そういうほかにはもうどんな感慨をさしはさむ余地もない、彼はただ兄のまえに低頭する気持で泣くだけだった。
明くる朝はやく、母ひとり帰って来た。太田の病人はひとまずおちついて急にどういうこともなさそうであるが、しず江だけはもう一日二日、みとりをするということだった。その日の午後から雪になり、昏れがたにはかなり積ったが、宵の八時ごろにその雪のなかをしず江が帰って来た。病人はもう口をきくようになり、医者もこのぶんなら案外はやく恢復《かいふく》するだろうと云っている、そんなことを母と話すのが聞えた。
――十時すぎて母が寝たあと、しず江も部屋へはいったがなにかしているようすで、いつまでもかすかに起《た》ち居《い》のけはいがしていた。壺《つぼ》の中のものが無いのに気づいたのかみまもしれない、丈之助はそっと立っていって、襖《ふすま》のこちらから低いこえで呼んだ。
「はい、まだ起きております」
「では済まないが私の部屋まで来て下さい」
こう云って丈之助はひき返した。――火桶に炭をつぎ終
って、ややながく待ってからしず江が来た。氷ったような暫表情で、唇の色まで白くみえた、端に坐ろうとするのを火
桶のそばまで招き、つとめて調子をやわらげながら兄の遺書をそこへさしだした。
「これを知っていますね」
しず江は罰をうけるように頷《うなず》いた。
「私がこれを捜しだした理由は、云う必要がないでしょう、弁解もしません、しかしあなたがなぜこれを隠したか聞き
たいと思います」彼はこう云ってじっと相手をみつめた、「――正直に云って下さい、なぜです」
膝《ひざ》の上においた両手の指が、いたましいほどわなわなと震えている。その指をひしと握り合せ、低くうなだれたままにましず江はながいこと黙っていた。丈之助は辛抱づよく待った。――油が少なくなったのだろう、行燈の火がちらちらまたたき、蒼白《そうはく》なしず江の頬がかすかにゆれるようにみえた。
「春樹さまが、わたくしに、お触れなさいませんのに気がつきましたとき」
しず江は、おののく声でこう口を切った。
「わたくしが秘めてきたことを、お知りなすったのではないかと存じました、けれど病弱だからとおことわりなさるのも、お信じ申さずにはいられなかったのです、――あのようにしてお亡くなりあそばしたとき、わたくし夢中でお手文庫をあけてみました、いつか春樹さまがその中へ文のようなものをお入れなさるのを、つい拝見したことがございましたから、……そして御遺言を読ませて頂きました、やっぱりあのとき思ったとおりでした」しず江は肩をふるわせて嗚咽《おえつ》した、揉《も》みしだく手の上へ、音をたてんばかりに涙がこぼれた、「――わたくしがどんな気持になったか、おわかり下さいますでしょうか、わたくしその場で自害をしようと存じました、でもすぐにそうしてはならぬことに気づきました、春樹さまがあのようにお亡くなりなすったあとで、わたくしがまた自害しては御家名に瑾《きず》がつかずにはいませんから、そればかりでなく、この罪をつぐなわずに死ぬことは、罪を重ねることだと存じました、……生きていなければならない、生きて罪のつぐないをしなければ、――わたくし御遺言どおりに生きようと思いました、そして、それには……わたくしの秘めていたものを、貴方に知られてはならないと思ったのでございます」
「どうしてです、どうしてそれを私に知られてはいけないのです」
「こんな気持は」と、しず江は嗚咽をこらえながら云った、「――こんな気持は殿がたにはおわかりにならないでしょうか、わたくしがお慕いしていたということを貴方に知られて結婚しては、あまりに春樹さまへ申しわけがない、なにもお知らせせずに、かえって嫌って頂くようにしなければ、罪のつぐないにはならないと存じたのでございます」
丈之助はそっと頷いた。おぼろげではあるがわからなくはない、それで遺書を隠したのか、可哀そうにこのひともそのように苦しんだのだ。――じじじと油皿の鳴る音がして、ついに行燈の火がはたと消えた。部屋は一瞬まっ暗になったが、やがてほのかに薄明のように光がうきだしてきた。
窓の障子が、いっぱいの雪明りだった。
「すなおな気持でうけいれてくれ」丈之助は思いをこめたこえで云った、「兄はこう書いていますね、――有難くうけましょう、すなおな気持で、兄の賜物を二人ですなおにうけしょう」
「――そうしても宜しいでしょうか」
「それが兄のなによりの冥福《めいふく》になる、しず江……手をおかし」
丈之助は、しず江の両手をとった。握り合された二人の手を、雪明りがほのかにうつしだしていた。
底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社
1983(昭和58)年12月25日 発行
底本の親本:「講談雑誌」
1949(昭和24)年1月号
初出:「講談雑誌」
1949(昭和24)年1月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ