BRIGHT STREAM(1) ◆gry038wOvE
【序】
戦いを終えた参加者たちを、再び宴に誘う船──時空管理局艦船アースラ。
現在、世界の命運をかけ、再び「変身ロワイアル」を始めようとする数名の参加者たちを乗せ出航したこの船は、侍たちが戦う世界で
血祭ドウコクの説得に失敗し、
蒼乃美希を探して時空を彷徨っていた頃だった。
話は、変身ロワイアル終了から、四日目の正午──。
─────────────ゲームは、再び動き出す。
◆
アースラ内部にある食堂で、生還者一同は卓を囲っていた。
長方形の長い机の片隅で、世界の運命をかけて殺し合いに行く者たちは、各々が呑気に好きな食べ物を注文して胃の中に掻きこんでいる。気に留めず、飯を食べている者もいれば、決戦前の緊張であまり食が進まない者もいる。
まあ、実際のところ、腹が減っては戦ができない──という以前に、何かを食べなければ彼らは生きられない。これまで三日間、それぞれの動向があったが、今は何となく、好きな物に対する食欲くらいは生まれていた。
食堂で食べる白米の料理の味は、あの殺し合いの最中に支給されていた簡素なパンとは大違いだった。やはりまともな料理は美味い。
こうして、このメンバーでまともな食事をしている時に彼らが、ふと思い出すのは、翠屋のケーキをここにいるみんなで食べた時の事であった。──ただ、あの時にいたのに、今はいない人間もいるという事実も、同時に思い出されてしまうのだった。
救出された生還者は、ミーティングを兼ねて共に飯を食べているが、結局そのミーティングとやらも手がかりなしでは進まないまま、何となく、一緒に生還した残りの血祭ドウコクや蒼乃美希の事ばかり、話すようになっていた。
共通の話題として出てくるのは、主にそんなところだ。
ベリアルの名前が彼らの口から出てくる事はほとんどなかった。──もし名前を出した時、それぞれの食を止めるのが目に見えたからだろう。逃避にしかならないとしても、食事時くらいはまともな会話をしたかった。
「はぁ~~~、結局失敗か~~~ドウコクさんは不参加~~~」
高町ヴィヴィオは、その場にいる大勢の前で、体全体から溜息を吐いた。
今日は軽食で済ませたので他と違い皿は片付いている。上半身を伸ばすようにして、机に凭れかかっている彼女の顔は、どこか気疲れに塗れていた。
それというのも、つい数時間ほど前、血祭ドウコクの説得の為に
左翔太郎が地上に向かって、それがようやくこうして帰って来たのを見たせいである。──ドウコクに対して怖い印象を持たない参加者はいない。とりわけ、関わりの薄いヴィヴィオなどはその傾向が強い。
何せ、ドウコクは一時的に組んだとしても、ここにいる面子と相いれない存在なのである。
そして、あの離島とは違い、彼らを縛る首輪はもうない。元々、首輪がなくなって以来、ドウコクが彼らを生かす理由はほとんどなくなっていたはずだった。
もしかすれば翔太郎が……という疑念が湧くのも無理はない話だ。
──それでも、当の翔太郎は説得前、妙な自信を持っていたように見えたが。
「まあ、いいじゃねえか。……あんな奴いなくても、俺たちだけでやってやればいいだ」
今も、左翔太郎が、チャーシュー麺の卵を割り箸で半分に割りながらそう語っていた。これまた、誰もが絶句するような陽気さだ。羨ましく思う者もいただろう。
それにしても、チャーシュー麺を頼んで、最初に卵を割る人間というのは初めて見た気がする。──彼の腕は今や義手だ。リハビリも兼ねているのだろうか。
「……おっ、この卵──良い感じに完熟じゃねえか!!」
──……そうではなかった。ただ単に、卵の焼き加減に個人的な拘りがあるだけだった。
ぱっくりと割れた白身から覗く黄身は、ぽそぽそと固まっている。とろみがある方が好みな者も多いと思うが、翔太郎は熟すまで焼かれた卵が好きだった。
──いや、それは好みというほどでもないかもしれない。彼は、自身が「ハードボイルド」の資格があるという証明の為に、願掛けに近い形で完熟ばかり食べるのだ。
とにかく、こんな状況で、チャーシュー麺の卵が半熟(ハーフボイルド)か完熟(ハードボイルド)かで熱くなれる翔太郎の神経は流石としか言いようがない。
ラーメンのスープに比べると少し冷たい卵の半分を箸でつまんで口の中に入れると、翔太郎はその味を噛みしめた。
「しかも、なかなか美味いじゃねえかコレ。俺好みの風麺の味に似てるぜ」
その香を嗅ぐような表情を見るに、嘘やお世辞ではないのだろう。──元々、そうして周囲に気を使う性格でもないが。
「──おい、もし半熟だったとしても、残したらバチが当たるぜ。こんな状況だし好き嫌い言うなよ? どれ」
隣に座る少女──
佐倉杏子が、翔太郎のどんぶりの上に乗った卵のもう半分を割り箸で掴み、自らの口に放りながら言った。あまりの早業に翔太郎が呆然としている目の前で、杏子は全く意に介すことなくそれを咀嚼する。
「うん、確かに美味いな」
食べ物を粗末にしないのは、彼女の主義だ。
そもそも、世界が侵略されている最中で、その侵略に抗う勢力が大勢の艦の乗員の為に食料調達をする際には、普段以上に大きな苦労がかかるのは目に見えている。それを見越すと、ここでは僅かでも食べ残しは大罪だった。ただし、そんな主義を取っ払って、「美味い」、「不味い」という味覚の施しで物事を計っても、それは、充分美味だと言えた。
「おい! おまっ……それ俺の!! 完熟卵、半分しか食えなかったじゃねえか!!」
「……結局、あんたにはハーフがお似合いって事だよ。ごちそうさん」
「──んな事言ったって、俺だってちゃんとおやっさんに認められてきたんだからな!」
翔太郎がそう大声で反論した。彼は、元の世界にこそ帰れなかったが、死んだ鳴海壮吉と同一の男に出会い、彼に認められた充足感の余韻に浸り続けている。だからか、ここに帰ってから、何かと「おやっさん」の話題を出す事が多くなった。
死者としての話題ではなく、今も生き続けている生者という認識が一層強くなったのだろう。
だが、実際のところ、こうして普段の翔太郎を見ていると、そこにはハードボイルドの欠片も見られない。──鳴海壮吉という男について、結局杏子は知らないままだが、彼が憧れるハードボイルドが今の翔太郎のような男ではなさそうだ。
彼が、その外側まで「ハードボイルド」になるには、まだずっと時間がかかりそうである。
「だいたい、わざわざチャーシュー麺を頼んでおきながら卵から食べるってなんだよ」
「はぁっ!? 俺は完ッッッ……全に、熟したハードボイルドな卵が食いたかったんだよ! チャーシューを頼んだのは──」
食べ物を巡る二人の痴話喧嘩を、呆れ半分面白半分で眺めていた各々も、そのすぐ直後、翔太郎の向井に座ってカレーライスを食べていた
響良牙の一言で、静まった。
「──おい、翔太郎。俺にも聞かせろ。……何故、わざわざ俺の前でチャーシュー麺を頼んだ?」
彼もその時、カレーライスを食べる手を止め、翔太郎に視線を合わせた。
妙に冷静に、しかし、明らかに強い口調で、眼前の翔太郎に上半身だけで詰め寄り始める良牙。
翔太郎は、座りながらも上半身だけ背もたれより後ずさり、良牙の威圧感に冷や汗を流す。
「チャーシュー麺は、“ブタ”だよな?」
既に答えが出ている問いを、あえて確認して念押しするように言った。何か言い知れぬ怒りを覚えているようにわなわなと震えている。──無理もない。
翔太郎は、良牙の方をまっすぐに見て、出来る限りのキメ顔で言う。
「そうだぜ!」
「──つまり、それは俺へのあてつけか!?」
良牙が、翔太郎に対して、堪えきれずに憤怒した。
すぐに、茶色がかったスプーンにがっついて最後の一口を食べきった良牙は、立ち上がるとトタトタと歩きだし、すぐさま翔太郎の胸倉に掴みかかった。いつもの調子ならば机を叩きつけていたところだが、そんな事をすればこの長い机一列に乗っかっている昼飯全てが無になる。
良牙なりに冷静に怒りを燃やしたつもりだった。衝動的に怒ってはいけない。──そう思って心を落ち着かせる為のスプーンの一舐めだ。
そんな良牙の自戒を知ってか知らずか、翔太郎が、チャーシューを一切れ掴み、良牙の口元に向けて差し出していた。
「……美味いぞ、良牙。お前も食うか? それ、あーん……」
「食えるかっ!」
──何せ、この響良牙は、つい最近まで「豚」をやっていた身なのだ。
どうも、豚を見ていて愉快な気持ちがしない精神がこびりついている。わざわざ目の前で豚肉の料理を食べるのはどういう了見だ。
まして、よりにもよって、雲竜あかりと会った後に。
「──待て! 冷静になれ、Pちゃん、なっ?」
良牙が後ろを振り向くと、良牙の肩に手を乗せ、にやけ面を見せている
涼村暁の姿があった。普段なら気配に気づくような良牙ですら、いつ彼が後ろに回り込んだのかわからなかったが、まあ彼も気が立っていたせいがあるのだろう。間違っても、暁が武道の達人なわけではない。
……しかし、宥めようとした暁の一言は良牙を更に怒らせた。
「誰がPちゃんだっ!」
これも当たり前である。
あからさまにからかっているとしか思えないこの暁の口ぶり。「Pちゃん」という呼び名はとうに捨てられたはずだが、未だ良牙はあかね以外にこう呼ばれるのを気に入らない。
「悪い悪い。間違えた。……だがな、響少年よ。このバカ探偵に、お前をからかう意図なんてあるわけない。こいつは根っからのバカなんだから」
「あ、こら待て! バカ探偵はむしろお前だろ! 俺はハードボイルドな名探偵の──」
横入りして暁に異議を唱える翔太郎。
だが、暁は、そんな翔太郎の口をがばっと押え、すぐに椅子を降りて、二人だけで耳を貸すようにしてひそひそと話し出した。その動作もまた早く、翔太郎も一瞬は呆気にとられたようだが、とりあえず小声で暁に悪態をついた。
(誰がバカ探偵だコノヤロ……!)
翔太郎は、暁に小声で囁く。
暁はふと後ろを振り向き、怪訝そうに見守る良牙たちの目を笑顔のウインクで誤魔化しながら、話を続けた。
(──まあまあ、抑えろ抑えろ。なあ左、あいつにあんなに可愛い彼女がいた罪は重いぞ。もっと思いっきりからかってやれ)
(言われなくてもやってるんだよ、俺は……! なんでお前はチャーシュー麺を頼まなかったんだ? ああ?)
(だってチャーシュー麺は野菜が入ってるだろ! ネギ!)
(ガキかっ!)
まさに二人とも、良牙を相手にムキになって小さい嫌がらせをする子供そのものにしか見えないのだが、両者だけで話したが為に、それを突っ込む人間はいなかった。
もしかすると、勘の良い者──たとえば、
涼邑零などはそれを聞いていたかもしれない。彼は席に座ったまま、腕を組んでその光景をにやにやと見つめるだけで、別段、何か口を挟む事はなかった。
「……良牙の兄ちゃん、あれ絶対何か企んでるぜ」
「言われんでもわかっとるわい!」
杏子に忠告されずとも、あからさまに良牙の方を見てひそひそと会議する翔太郎と暁の姿は、ひたすらに怪しいだけだった。
鈍い良牙であっても、それに気づかないはずがないほど露骨な態度である。翔太郎の方が突然良牙を見て目を光らせたり、暁が突然笑い出したりするので、良牙も気が気ではない。
何を言われているのか気になり、問いただそうとした所で、高い聴力でそれを耳にしていた零が、ようやく口を挟んだ。
「──あいつら二人とも、お前に可愛い彼女がいた事を妬いてるんだよ」
全員の視線が、零に集中した。
涼邑零は、その状況の全てを知った上で、その光景が続くのが面白いから、放置して楽しんでいたのだった。
彼は、全員が一食分しか食べていない中、五皿分ほどの飯を平らげ(彼曰く、「今日は食欲がない」らしい)、食後のデザートを決めようと考えていた最中なのである。──だが、そんな中で面白い喧嘩が始まったので、そちらに数秒だけ注目していたわけだ。
零に図星を突かれた二人が固まる。すると、良牙が零に訊いた。
「……あかりちゃんの事か?」
「ああ。でも、その事で妬いてる人は、もう一人いるかもね」
『──しかも、この中にな』
零と魔導輪ザルバが悪戯っぽく笑うと、良牙は、きょろきょろと周囲を見回した。
別にあかりとの事を、誰が妬いていようが関係ないが、こう言われてしまうと少し気になったのだ。
ざっと見て、ここに集合している男は、翔太郎、暁の他には一人──零だけだ。
「……お前しかいねえじゃねえか」
「そうだったりして」
零が、にこにこと満面の笑みで返した。──いや、本気とは思えない。
だが、まるで謎かけのような言葉には裏の意図があるようにも思えた。
「……」
「……」
「ははは」
「わははははははははは……」
──だが、やはり零特有の冗談だろうと思い、良牙はにこにこと冷や汗入りの笑みを返して、気を静めた。何故か、零に弄ばれている感じがして、これ以上怒るのは恥ずかしい気がしてきたのだ。
ただ、翔太郎と暁の方をキッと人睨みすると、良牙は再び、自分の座っていた席に戻り、米一つ残さずにカレーを食べ終えた皿を返却口に返しに行った。足取りは乱暴だ。
「まあいいさ! 俺にあんなに可愛い彼女がいた事を嫉妬しちまうのは仕方ないかもしれないな!! いやあっ、もてる男はつらいぜ!! わはははははははははは」
わざと大声でそう捨て台詞のように高笑いしながら歩きだした。妙に胸を張り、心の底から自慢気にも見える。食堂の視線が良牙に集中し、ひそひそと笑いが起きている事など彼は気づいてもいないらしい。
そんな調子の良い彼の姿に食堂中が注目している中、翔太郎と暁は、ほぼ同時に、あからさまに不愉快そうな顔で舌打ちをした。
「──なんだか、こうして見ると、彼らに世界の命運がかかっているとは思えませんね」
「あはは……私もちょっと思ったかも……」
レイジングハート・エクセリオンとヴィヴィオは、そんな一連の様子を見て、一言ずつ、冷静に告げる。
レイジングハートは二皿を何とか食べきったあたりだ。──色々食べてみたかったのだが、先日、食堂のバリエーションをある限り食べようとして、「人間の腹に入る食べ物の量には限界がある」、「まだいけそうだと思っても駄目な時は駄目だ」という事実に途中で気づき、残り物を食堂にいるクルーに諸々のお裾分けした経験がある。
今日も、チャーハンと牛丼で二皿食べる事が意外とぎりぎりである事を悟り、それだけを頼み、何とか平らげたところであった。
とはいえ、我慢半分に食べている人間もいれば、流石に我慢しきれないタイプもいた。
たとえば、ここにも。
「────すみません。御馳走様です」
花咲つぼみは、両手を合わせて、申し訳なさそうにそう言った。
彼女は、オムライスを頼んだのだが、三分の一ほどの量が残ってしまっている。元々、精神的にも肉体的にもそこまで頑丈ではない彼女は、この状況下、あまり食欲も出なかったのだろう。
杏子が、その様子を目にして一言言った。
「ん? 結構残ってるじゃないか」
「……ごめんなさい。あまり食が進まなくて」
つぼみなりに、残さないように奮闘した方なのだが、胃の容量も限界となると、掻きこもうにも吐き気に負けて入らなくなる。早い内にそれくらいの段階まで来ていたので、半分以上食べてみせただけ偉いと思える。
食べ残しにうるさい杏子も、ここ数日のクルーの食べ残しに対して、あまり咎める様子はなかった。多少、眉を顰めつつも、やはりつぼみには性格的にも悪気はないし、広い心で許すしかないだろう。
杏子は、つぼみが、普段、西隼人が配給するドーナツも快く受け取り、間食としていくつか──多少口に合わず、食欲がなくても、ちゃんと食べていた事を杏子は知っている。それも彼女の腹が膨れた原因の一つかもしれない。
「……まあ、仕方がないか。ここんとこ毎日、誰かしら少しは残すしな」
それに、先日のレイジングハートに比べればずっとマシだ。
杏子も──普段、菓子を口にしている事が多いとはいえ、極貧生活で縮こまった胃は、時に易々と限界に達する事があった。残すしかない気持ちはわかる。
時にストレスが、食事を拒絶する事もやむを得ない話だ。
「──ん? つぼみ、それ残すのか?」
と、そんな時に、丁度、良牙がカレーの皿を返却して帰って来た。手ぶらで自分の席に戻って来ようとする時、丁度、つぼみがスプーンを置き、杏子が何か言っているのが良牙の目に見えたのだろう。
見れば、オムライスがまだ結構残っていたので、それを気にしてみせたわけだ。
つぼみは、そんな良牙の顔を一度見てから、少し視線を下げて、答えた。
「え、ええ……勿体ないですけど。口をつけちゃいましたし」
「……いいよ、そんくらい食ってやる。俺も、元々カレーかオムライスかで迷ってたからな。まあ、ちょっと口をつけてたくらいはどうってことないだろ」
「そ、そうですか!? じゃあ、すみません! ……お願いします」
すると、良牙がつぼみの皿とスプーンを横取りして、そのままつぼみの食べ残しのオムライスに舌舐めずりした。
良牙も食べようと思えばいくらでも口に入れられる元気の持ち主だ。元々、あかねの料理など、良牙の人生には食を強要される場面も多く、胃が常人の比ではないほど鍛えられていた。──脳天に突き刺さるほど不味い飯ですら完食できるほどだ。
それに比べてみれば、ここの食堂の飯は並より上。いくらでも入る。
つぼみの食べかけのオムライスに、つぼみが使っていたスプーンを入れ、良牙もまずは最初の一口分を掬いだすと、それを口に入れようとした。
「間接キッス……」
「……だな」
翔太郎と暁が、そんな様子を、至近距離からじーっと見ていた。二人は、良牙の顔の近くまで顔を接近させていく。
それどころか、零や杏子やレイジングハートまでも、良牙がオムライスを食べ始めるのを間近で見ようと、顔を近づけていた。
その妙な威圧感で、良牙はスプーンを止める。良牙の顔には汗が滲んでいた。
「……」
刹那、「ばっこん!」と音が鳴る──。
「──食いづらいだろぉが!!」
良牙が頭に怒りのマークを浮かばせながら、翔太郎と暁をアッパーで吹っ飛ばしたのだ。「ちゅどーん」という音と共に、両手十指の中指と薬指だけを折った翔太郎と暁が空の彼方(※すぐ上が天井)に吹っ飛んでいった。
杏子とレイジングハートは元の性別的にも女なので殴らず、零は実力差ゆえに殴らずおいた。──そもそも、良牙がこの時、突発的な怒りを覚えたのは翔太郎と暁だけだ。
「まったく……」
「あはは……」
良牙は、何となく少しだけつぼみの方を一瞥した。彼女は、別段恥ずかしがる事もなかったが、多少は照れたように笑って誤魔化していた。
それで、良牙はあまり気にせずに、オムライスを口に入れ始める事にした。自分の態度を考え直すと、良牙の方も少し照れて視線を逸らしたかもしれない。
もしかすると、つんとした態度と受け取られ、気を悪くしてしまっただろうか……少し、良牙もそれを気にした。
──オムライスの味は、卵が美味しいと聞いていたが、冷めてきたせいか、普通の味であるように感じた。だが、不味くはない。
翔太郎と暁が「いててて……」などと言いながら起き上がり、先ほど呆気にとられていた者たちも安心し始め、僅かばかりの静寂があった。
二人とも、やたらと頑丈である。──良牙も別に本気で殴ったわけではないのだろう。
そんな落ち着いた空気が流れた時、ひときわ幼い声が、それを不意に打ち破った。
「────なんだか、良いですね。こういうのも」
誰の言葉かと、全員が一斉に見ると、それはヴィヴィオであった。
しばらく口を開かずに、彼らのやり取りを、どこか温かい目で眺めていた彼女の姿は、到底中学校に上がるか上がらないかという年齢の少女の年相応の様子には見えない。
却って心配になって、レイジングハートが訊いた。
「ヴィヴィオ……急にどうしました?」
「ううん。何でもない。なんだか、私たちがこれからするのは、戦いなのに……ううん、ずっと戦いをしてきたのに、ここしばらく、良い事もいっぱいあったよね……こうして見ていたら、やっぱりそう思っちゃうなって……」
戦っている真っ最中も警察署にここにいるほとんどが泊まった事があったが、こうして、取り立てて命を狙われる事もなく、このアースラで寝泊まりしているのも彼女たちには良い日々だったのだろう。
──まだ、ここではそれぞれ一泊だが、こうして揃うと楽しく会話もできる。
蒼乃美希がいないのは残念だが、彼女を探す為に今アースラは尽力している状況だ。──死亡報告もないので、このまま探し続ければ、きっと見つかるだろうと思う。
それぞれがこの一週間足らずのうちに打ち解け合い、まるで何気ない日常のような楽しいやり取りをしている──そんな光景が、不意に、彼女にはどうしようもなく、美しく見えたのだ。それは、数日前まで自分が置かれていた状況と正反対だ。
周囲の友人や家族がいなくなり、一歩間違えばふさぎ込んだかもしれない彼女にとって、ここにいる人々は差しこんだ新しい光のようだったに違いない。
この時間もまた、ヴィヴィオには代えがたいほど楽しいひと時になった。
ヴィヴィオは、そうして懐かしさを覚えるように、遠い瞳で続けた。
「また、全部終わったら……ここにいるみなさんと会えたらいいなって。──私、今はそう思ってるんです」
それぞれが、胸をなで下ろすように息をついた。ヴィヴィオの言い分にそれぞれ、どこか共感できてしまう所があったのだ。
杏子がまさに、以前に同じような事を言った気がする。また会って、翔太郎や暁に何か奢ってもらおうと思っていたところだ。翔太郎には、「風都に来い」などとも言われていた。彼女自身、いずれきっとまた会う事になるだろうと、普通に思っている。
ただ一人、暁だけが、それを聞いて、少しだけ顔を暗くし、少し俯いた。
そんな様子を零がふと横目で見ていたが、暁はそれに気づかず、笑顔を無理に形作って、ヴィヴィオに声をかける。
「何言ってんだよ、ヴィヴィオちゃん。そんなの当たり前だろ? 男三人はともかくとして、ここにいる女の子が大人になるのをこの俺が見守らなくてどうするの?」
全てが終わったら、もう彼らに会えなくなると──そう思っているのは、もしかすると暁だけかもしれない。
誰もが、この艦やあらゆる移動手段が存在する限り、またきっと会えるだろうと自然に思っている。今はむしろ、ベリアルに勝利できるかというのが問題で、帰る事そのものに対する不安の方が大きい者の方が多いだろう。
暁の場合は、違う。
ベリアルを倒せなければ……という問題と同時に、ベリアルを倒してしまった場合、彼の世界は、消えてしまう──そんな現実が待ち構えているのだから。
それゆえの強がりだったが、ほとんど誰も彼の強がりには気づいていないようだった。彼も、自分の存在や元の世界の事は誰にも告げていない。──だから、ベリアルを倒せば暁が消えてしまう事など、誰も知らない。
「──そうだな。全部終わったら、忙しい日々が続くだろうけどさ。また、ずっと付き合い続けたいよな……ここにいるみんなで」
杏子が、暁のおちゃらけた言葉をそのままに受け取ったのか、女の子に関する話を無視してそう言った。ただ、杏子自身も、この暁という男ともきっと、また会いたいと思っている。
時が経つと自然と離れ離れになってしまう人間もいるが、自分たちはそうならないと、信じたい──そんな年頃なのだろう。だから、死なない限りは、これから誰かと会えなくなるかもしれない事など、疑いたくない杏子だった。
実際、ずっと共にいた人間や、友達になれた人間と離れ離れになる経験が彼女には多くあった。──だが、彼女は孤独が嫌いだった。
だから、他のみんなも応とするのを、彼女はどこかで待っているのかもしれない。
「……All right(その通りです)。全部が終わってから、私たちがお互いに楽しめる……些細な事でまた出会える、新しい日常が始まるんです」
レイジングハートが重ねた。杏子が、彼女の方を一瞥する。
新しい日常……という言い方は、まさに彼女らしいかもしれない。──娘溺泉で初めて女性の姿になった彼女は、これまで文化的な人間の生活を知る事なく生きてきた事になる。だからこそ、彼女の前ではまた新しい日常が始まっていくわけだ。
食べる事が刺激であったように、これから幾つもの刺激が待っているだろう。
「じゃあ……その時、私たちの関係は、やっと“殺し合い”じゃなくて、“助け合い”に── “変わる”んですね」
つぼみは、ふと、何か思いついたように、レイジングハートの言葉に付け加えた。
──「変わる」という事。それは、彼女が殺し合いの最中もずっと、気にしていた現象だ。
この過酷な数日の戦いで、あらゆるものが変わっていったのをつぼみは知っている。
……今までの日常。今までの世界。今までの自分。今までの周囲。繋がっていなかった世界とのコネクト。信じがたい強敵との戦い。新しい仲間。
多くは、ベリアルによって、「変えさせられてしまった」物だった。
だが、今度はこの──つぼみが嫌いな「殺し合い」を変えてしまえるかもしれない、と、ふと思ったのだ。
「つぼみ。面白えな、それ。──あいつらはこの戦いを“変身ロワイアル”って言ってたが、だとするなら……ベリアルを倒したら、この戦いは、 “助け合い”に“変身”するって事か」
翔太郎が、ラーメンを食べる手を止めて、便乗した。
彼も、それを聞いた時、「変身ロワイアル」という言葉の意味が、ここに来て、新しい意味に変わってくるような気がしていたのだ。だから、直感的に、そう思った。
この殺し合いに対する認識もまた、何度も翔太郎の中で変わっていた。──「参加者と参加者」の殺し合い、「参加者と人々」の殺し合い、「参加者と主催者」の殺し合いと、順に姿を変えて行ったこのゲームも、「殺し合い」である点は変わらなかった。
だが、その根っこを変えてしまおうという話だ。──“殺し合い”から、“助け合い”に。
「俺たちを変身させて戦わせるゲームそのものが“変身”する……良い皮肉だな」
そんな風にニヒルな言い方をしたのは、デザートのティラミスを貪る零である。
彼もまた、ベリアルに反旗を翻る者の一人として、彼を打ち破る最良の策を、「殺し合いそのものを今から完全に打ち破る」という風にしてみるのも悪くないと感じたのだろう。
主催との戦いが続く限り、今はまだ、殺し合いが終わったとは言い切れない。
だが、散々「変身ロワイアル」を強要し、「変身」を利用してきたベリアルに、自らのたくらみそのものが「変身」する姿を見せてやりたいと思ったのだ。──きっと、ベリアルを倒し、彼が考えたこの殺し合いまで変身させてみせてやろうと。
「じゃあ……俺たちはその時、やっと、この変身ロワイアルっていうゲームに本当に乗るってわけだ。──今から、俺たちがこのゲームの本質を、“変えて”」
良牙も、オムライスの最後の一口を食べ終え、言った。
──彼も、つぼみの先ほどの言葉を発端として、内心で燃え始めていたのだ。良牙自身、本来はむしろ好戦的な人間であったが、「殺し合い」という悪趣味な名目のゲームだった為に、戦いに乗る事はなかった。
だが、こうして
ルールそのものをこちらから都合良く変えて、乗っかってやるのも悪くない──。
何せ、それは「殺し合い」などという彼に嫌悪を齎す言葉ではない。「助け合い」……ずっと良い響きではないか。
こうして、納得のいくルールが決まった時、一人の男として、「守りたい」や「戦わなければならない」に縛られない「楽しみ」を見つけ出せたのかもしれない。──良牙自身の性格に最も合致した戦いに。
「──じゃあ、この戦いが、ちゃんと助け合いに“変身”できたら、みんな、またこうして一緒にご飯を食べたりしましょうよ。そうだ……場所は風都がいいですかね。じゃあ、きっと、ここにいる全員で“第三ラウンド”に行けるように!」
ヴィヴィオもまた、一人の武闘家として、“助け合いの未来”へと勝ち進む事を祈っていた。ヴィヴィオとつぼみの一言は、思わぬ目的を生みだしたわけだ。
変身ロワイアル──その第三ラウンド。
そこに進出する為に、今からベリアルを倒す。
そう、──そこから先が、延長戦になるという事だ。
◆
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最終更新:2015年09月04日 15:01