グリーンランド
国旗 |
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国名 |
グリーンランド |
正式名称 |
グリーンランド共和国 |
首都 |
ヌーク |
与党 |
SIUMUT(進歩) |
イデオロギー |
社会民主主義 |
開始時指導者 |
ヨナタン・モッツフェルト |
言語 |
グリーンランド語 |
通貨 |
USドル |
GDP |
30,000,000$ |
経済体制 |
完全市場資本主義 |
概要
現実ではデンマーク王国の一部(デンマークとほぼ対等)となっているグリーンランド。TNO世界ではアメリカの占領下でアメリカはグリーンランドに基地を作っている。しかしそんなグリーンランドにも独立のチャンスがあるのだ。
ヌークについて
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ヌークはグリーンランドという世界最大の島で、7000人足らずの人口を有する最大の都市である。ここ最近、小さなヌークではどうしようもないような大きな出来事により、何千人もの人々がこの街に移り住んでいる。かつてはのんびりとした小さな漁村に過ぎなかったこの街は、今や冷戦の間接的な犠牲者となってしまった。この街は独裁政治の惨禍や、ミサイルや爆弾の慄きに見舞われたわけではない。それでも、ヌークを包み込んだ無視、無関心による冷酷な支配は、この街を凍りつかせるには十分であった。
ヌークの周辺には中石器時代から人の定住が確認されているが、近代のヌークはデンマーク人のゴットホープ砦から始まった。この世界の片隅でひとりぼっちだったイヌイットを、デンマーク人が抑圧し、無視する。そんな砦が何世紀も続いた。ある日、再び始まりが訪れる。地球全土に響き渡る大激変が、孤立した氷河地帯でしか無かったこの島を、冷戦における最前線へと仕立て上げたのだ。
なんの前触れもなく、幾千ものアンクル・サムがグリーンランドを占領するために流れ込み、この街を新たな砦として作り変えた。新たな占領の中、ヌークの人々は相も変わらず抑圧され続けている。
現在、ヌークは慢性的な資金不足に悩まされており、支配者の見て見ぬふりのせいで、街はひどく打ちひしがれている。新たなる支配者であるアメリカ人は、自らは整備の行き届いた基地に居を構えながら、ヌークの抱える問題を気にも留めない。
結局のところ、彼らはこの街をグレート・ゲームの駒の一つとしか認識していないのだろう。ヌーク、そして全グリーンランドの人々は、今のところはこの惨めなる状況に甘んじているが、いつまでこの状態が続くかは誰にもわからない。
翻訳者 センセン氏
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歴史
この世界では
第二次世界大戦で連合国が負けたことで、デンマークが影響力を持っていたアイスランド、
フェロー諸島共和国、そしてグリーンランドは統治国不在に追いやられた。(アイスランドは1918年にデンマークの同君連合として独立している)OFNの介入によってアイスランド、
フェロー諸島共和国は独立を勝ち取ったが、グリーンランドは人口の少なさとチューレ基地の存在によりいまだ独立を勝ちとれない。しかし、そんな国にも転機が訪れる。1968年にチューレ基地で事故が起こったのだ。そのことから、アメリカがグリーンランドに核兵器を持ち込んでいたことがわかり、独立への動きが発生する。
イベント
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チューレ事故
チューレ空軍基地事故に関する覚書
要旨: 1968年1月21日、チューレ基地は、クロームドーム作戦 (ドイツまたは日本の先制攻撃を抑止するための進行中の航空作戦) の一環としてB-52爆撃機を操縦していた操縦士が、爆撃機から避難を強いられたことを報告した。
クロームドームの義務として、すべてのストラトフォートレス爆撃機は核爆弾を搭載しており、操縦士は地上衝突前に危険を軽減するための安全策を試みることができなかったのである。 ストラトフォートレスはチューレ基地から少し離れた場所に墜落し、通常弾の爆発によるものと思われる低水準の放射線が確認された。搭載されていた4発の核爆弾はいずれも爆発していないことが確認されている。
操縦士は全員生存しており、 回復に向かっている。チューレ空軍基地チームは現在、被害状況、地域汚染の度合い、環境への影響を評価している。結果が公表されるまでには数週間かかると思わ れる。
影響
この事件はすでに広くメディアの注目を浴びている。グリーンランドの住民からは大きな怒りの声が上がっている。 彼らは、 米国と自由国家機構がこの状況を著しく誤って処理したことを非難 し、規制の強化やクロームドームの完全停止を要求している。
ドイツは、米国と自由国家機構の「無責任」を非難する声明を発表し、同様に抑止力の運用を中止するよう求めている。 実際の被害はごくわずかだが、国際的に否定的な注目を集めることになった この事件に関しては、すでに「チューレ事故」という言葉が生まれており、 米国と自由国家機構はともに軽微な風評被害を受けたと評価している。
少なくとも被害は最小限にとどまった。
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次に動くのは1971年
アイスランド共和国選挙の時だ。この選挙では
アイスランド共和国がOFNから離脱するかどうかが問われる。OFN残留が決まった際はグリーンランドではラーズケムニッツらが唱える【アメリカはグリーンランドに自分たちだけでは維持できない安全保障を提供しているのだから、彼らの支配者と敵対するのではなく、協力するのが一番である。】という考えがグリーンランドでは強くなっていきます。しかし、
アイスランド共和国がOFN離脱を決めた場合は独立への勢いが最高潮になり、ヨナタン・モッツフェルトによる独立国家が建国されることになる。
グリーンランド独立ニュース
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グリーンランドが内政自治を獲得
グリーンランドがアメリカからの自治権獲得に成功したことで、アメリカは今日も大西洋戦線に打撃を受けた。ヨナタン・モッツフェルト率いる独立派の進歩党が一般市民から大きな支持を集めることに成功し、アメリカは旧領土グリーンランドの独立を認めることになった。
多くの国際的な観測筋は、この独立の主なきっかけは、グリーンランドへの乏しい投資と、地域の軍事作戦にグリーンランドが不釣り合いなほど依存していることにあると指摘している。アイスランドが自由国家機構から独立し、フェロー諸島が米国と距離を置き始めたことで、北大西洋における米国の力が衰えつつあることに多くの人が疑問を抱くようになった。
自由世界が少し暗くなった。
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現状
閣僚
大統領 |
ヨナタン・モッツフェルト |
政府首班 |
空位 |
外務大臣 |
空位 |
経済大臣 |
空位 |
保安大臣 |
空位 |
国民精神
新たな時代の幕開け |
政治力+0.2,安定度+25%,政策変動率0.5 |
長い冬への対抗 |
GDP成長率+10%,貧困率減少+0.02,学術基盤,産業基盤,医療品質+0.5 |
北極圏の混乱の欠けら |
戦争協力度+20%,航空基地,海軍基地,レーダー基地建設速度+15% |
国力
登場人物
ヨナタン・モッツフェルト |
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所属政党 |
SIUMUT(進歩) |
イデオロギー |
民主社会主義 |
紹介文
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ヨナタン・モッツフェルト
グリーンランドの指導者
彼は「グリーンランドの父」などと呼ばれている。しかしヨナタン・モッツフェルトが豊かな生い立ちを持つ人物 であることを明らかにするために、「父なる祖先」という大げさな呼称は必要ないのだ。
はるか北方で戦争が激化し、古い秩序が崩壊する中、モッツフェルトははるか北のイリニアルフィスアックの教員養 成学校で教育を受けた。それから彼は神学を学び牧師の叙階を受けるためにカナダへと南下した。そこで彼は、神の 言葉だけでなく、グリーンランドに欠けていた政治の世界という、より世俗的なものを見たのである。
モージズ・オルセンやラルスエミール・ヨハンセンらと協力し、進歩党は、ほんの10年前には夢物語だったグリーンランドの自治を成功させた。最初の選挙で進歩党は勝利し、グリーンランドの自治を拡大し、北極圏の島に対する 米国の支援を強化する人道的な民主社会主義を約束した。
モッツフェルトは、進歩党の他の重要な人物に影響を与えないよう、自身の大きな個性に注意を払わなければならない。しかし、現状では、グリーンランドは自由であり、他の人がどう言おうと、そうあり続けるだろう。
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ゲームでは彼はモージズ・オルセンやラルス・エミール・ヨハンセンらと協力し進歩党を立ち上げることになる。冷戦に翻弄されることになるが、うまくいったら彼らによってグリーンランドは自治を得られるだろう!
グリーンランドイベント集
アイスランドOFN残留時
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止まった勢い
州議会選挙で進歩党が圧勝したとき、独立を実現できるのではないかという楽観と希望が沸き起こった。政権を握った進歩党の三大政治家はその勢いに乗り、利用することを望んでいた。
アイスランドはそんな希望に冷たく濡れた毛布を投げつけた。
アイスランドが自由国家機構やアメリカに固執することに、各自が不満や軽蔑の念を抱かずにはいられなかった。 アイスランドがもっと過激な方向に進んでいれば、あるいはアメリカともっと対等な関係を築いていれば、そこから発展させることができたかもしれなかった。しかし、現状維持に終始したことで、現状を変えることはできなくなった。
それでも、彼らは組織作りを続けた。グリーンランドの独立は当分凍結されるかもしれないが、その時が来たら、そのための土台作りをするのは彼らである。たとえ挫折しても、自分たちの闘いは必ず成功すると信じていた。
しかし、この事態を不愉快に思う人ばかりではなかった。 アイスランドの選択によって自由国家機構の存続は確実となり、時が経つにつれて穏健派のとある有力者に注目する人が増えてきた - その名はラーズ・ケムニッツ。 アメリカはグリーンランドに自分たちだけでは維持できない安全保 障を提供しているのだから、彼らの支配者と敵対するのではなく、協力するのが一番であるというのが彼の主張だ。
独立を目指す人たちの多くはこのような「譲歩」に興味はなかったが、それが良い方法なのではないかと考える人が増えてきた。現状、アメリカも自由国家機構もすぐに撤退するわけではないのでより強固な関係が魅力的に見えてきたのだ。
アメリカとの関係が良くなったところで何か悪いことでもあるのか?
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グリーンランド独立イベント
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第1回グリーンランド議会選挙
グリーンランド初の国政選挙は盛大に行われ、投票率も高く、この日は全国的に非公式の休日となった。 投票後、多くの人が友人や家族と集まり、夕方に発表される選挙結果を待った。
そして、ついに結果が出た。
その結果、進歩党が圧倒的な勝利を収め、全国の支持者から歓喜の声が上がった。新設されたグリーンランド議会のイナティサルトゥットで圧倒的な権力を握りながらも、ラーズ・ケムニッツの保守政党である連帯党が少数議席を獲得していたため、野党がいないわけではなかった。
その後、 最初の議会が開かれ、首相候補として何人かの名前が噂されたが、最終的には明確な選択がなされることになった。党内の穏健派であること、 グリーンランドの自治権獲得に統率力を発揮したことなどから、ヨナタン・モッツフェルトがグリーンランドの初代首相に選ばれたのである。
モッツフェルトは、国民と議会に対して初めて演説を行い、政権発表の前に、このような歴史的瞬間 を達成するために協力してくれた多くの親しい仲間やグリーンランド国民に感謝の意を表した。貿易大臣にラルス・エミール・ヨハンセン、社会大臣にモーゼス・オルセン、文化大臣にトトゥエ・クリスチャンセンなど、多くのおなじみの名前が最初の内閣に名を連ねた。
グリーンランド出身者であろうとなかろうと、見ている誰もが、この幸福感はすぐに消え去り、若き国家は成長痛と、新しい民主主義国家が直面する避けられない問題に直面することになるとわかっていた。しかし、それは各自が覚悟を決めたことであり、初めて自分たちの運命が自分たちの手に委ねられたのである。
グリーンランドの未来はもはや彼女自身のものだった。
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最終更新:2024年09月16日 22:36