国家社会主義ドイツ労働者党 |
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略称: NSDAP |
総統: アドルフ・ヒトラー |
副総統: マルティン・ボルマン |
設立年: 1920年 |
本部所在地: ミュンヘン ブリエンナー通り 45番地 褐色館 |
準軍事組織: 親衛隊(SS) |
学生組織: 国家社会主義ドイツ学生同盟 |
青少年組織: ヒトラーユーゲント | ドイツ女子連盟 |
イデオロギー:国家社会主義(*1) |
公式カラー: 黒、白、赤 |
慣習カラー: 茶色 |
ボルマンルート---
統制派は渦潮のようにライヒ全土に広がり、あらゆる機関や有力者を底知れぬ深海へと引きずり込んでいく。その渦の中心にいるのが、NSDAPの褐色の枢機卿、マルティン・ボルマンだ。
ボルマン派は、NSDAPを、全ての社会・国家機関を包括する最高機関へと変貌させることを目指している。党員は、ボルマンの忠実な同盟者と、ヒトラーユーゲントから集められた熱狂的な若者であり、エリートかつ中央集権的でなければならない。
正統派の国家社会主義者やヒトラーの栄光の遺産を信奉しているため、統制派は影響力を広げているのだと述べる者もいる。汚職、賄賂、恐喝の存在を主張する者もいる。だが、この派閥が、ライヒの 官僚機構内部において確立されたボルマンの権力を表しているということに、異議を唱える者はいない。
シュペーアルート---
かつて彼らは未来だった。最近では、統制派はますます遺物のように見える。かつてはマルティン・ポルマンが率いていたが、現在は彼の弟子であるゲルハルト・クロップファーが、褐色の枢機卿の未来像である党化社会の実現に専念する一派を率いている。
彼らの理想は、献身的な下僕で構成される党であり、最も教育を受けた献身的な国家社会主義者たちが、自分たちの未来に合うように国家の構造を形成する一方、総統に口先だけの奉仕をするだけの応召者は排除されることである。この一派の急進的な前衛主義者の一派はさらに進んで、狂信的なヒトラー青少年団だけを集めたほとんど貴族的な精鋭で構成される党を望んでいる。
今日、統制派はシュペーアの党内における主要な対抗勢力として機能し、彼の計画を引き裂こうと躍起になっている反動勢力である。明日、シュペーアの幻想が必然的に崩壊するとき、彼らは再び未来となるだろう。
ボルマンルート---
ヒトラーが首相に就任した時、そして彼が国家社会主義革命による栄光とボリシェヴィキに対する勝利をもたらした時、アルトゥール・アクスマンはまたただの若者だった。ヨーゼフ・ゲッベルスが暗殺されてから、アクスマンは反動派の手綱を握り、その政治的実権を手に入れた。
この派閥は、社会の根本的な退行を信じている。市民は停滞と経済的困難によって自由を奪われ、子供の未来は腐敗した政治家によって賭けのタネにされ、失われている。アクスマンは皆がその立ち位置を知っていた、1940年代の栄光の日々への回帰を主張している。あの時、男は戦場で、農園で、工場で国家の兵士として働き、女は家庭の戦士として戦った。若者は国家と人種を愛し、指導者らは全てを以て国家社会主義に奉仕していた。
アクスマンとその同盟者にとって、原因はNSDAPにある。ボルマン政権の腐敗した幹部層は見て見ぬふりをし、党の下層部は非イデオロギー的日和見主義者に埋め尽くされている。変革は、上からもたらさねばならない。
シュペーアルート---
正統反動派は、1940年代半ばにヨーゼフ・ゲッベルスを中心に形成された反動派の残党である。1956年にゲッベルスがロシア人パルチザンに暗殺されたことで、派閥の主導権はアルトゥール・アクスマンに移り、新たな政治計画がすぐに確立された。ドイツ社会は後退しており、組織的な修正が必要なのである。強硬なヒトラー主義が支配し、改革など考えられなかった40年代の栄光の時代にドイツを戻すのだ。自己満足を根絶せねばならない。改革を撤回させねばならない。非イデオロギー的な存在をイデオロギー的にせねばならない。
小さくはあるが、正統反動派は、シュペーアの改革によって疎外された国民の間で一定の人気を保っている。彼らにとって、強硬なヒトラー主義を復活させ、若者の下賤な文化を解体し、社会秩序を調整し、あらゆる抵抗勢力を相手に暴れ回り、千年に一度の腐敗と流血の一掃を行うという宣言は、ドイツを救ったヒトラー総統の生ける意志と自身を固く結びつけるものなのだ。
シュペーアルート---
主戦論思想の戦士である革新派は、国防軍内の敬虔な国家社会主義者である。この系統の参加者のほとんどは、ドイツが東欧で行った征服戦争の古参兵、政府関係者、ヒトラ一の思想に鉄壁の信頼を置く、気概と栄光の老将軍だ。こうした集団はともに、最高司令部の守旧派を退陣させ、国防軍内における国家社会主義思想の優位性を確立しようと画策する。
革新派は概して党政治には関与しないが、国民的な問題については意見を持っている。平和がライヒを肥え太らせ、弱体化させたというのだ。鉛筆より重いものを持ったことがないような平均的ドイツ人は、いざという時に祖国を守ることができないだろう。ドイツ人はドイツ人らしく、しつけられるべきなのだ。冷戦に勝利し、20世紀へ戻るためには、汗をかき、緊張し、筋肉に痛みを覚えなければならない。革新派にとって、ドイツ人は偉大となるか無に帰すかなのである。
シュペーアルート---
「シュペーア派」を定義するものとは何か? シュペーアの信奉者が持つ思想信念は、「正統な」国家社会主義のものとどう区別されるのか?実は、その答えは「全くない」のである。
シュペーア自身は、10年ほど前から、個人の自由、経済の自由化、NSDAPの一新など、ライヒのほぼ全域における変革を提唱してきた。しかし、国家社会主義とは異なる立場にある人物として言及するのは間違っている。シュペーアの思想の目的は何より、ライヒを自壊から救い、滅亡寸前まで追い込んだ失敗を元に戻すことである。
シュペーア主義を自由の光と見なす者たちは、全体主義の霧の中で輝く偽りの希望、決してたどり着けない目標を追い求めているのだ。改革を自由と混同し、実利主義を恩情と混同する者は、やがて大きな失望を味わうことになるだろう······だが、ヒトラーの夢を守ろうとする人々にとって、シュペーア主義はもはや唯一の真実なのだ。
ボルマンルート---
テオドール・オーベルレンダーは、党内で悪名高いと同時に、国民的な人気も高い。改革的な大衆主義の波に乗り、パウル・ヴェーゲナーやルドルフ・ヨルダンを抑えて帝国議会議長に就任したのだ。だが、より複雑な信念を持つオーベルレンダーは、シュペーアの改革派とは対立関係にあった。
そのためオーベルレンダーは、党内民主主義の強化や議会委員会に対する権限付与などといった急進的な改革を提案し、独自の規範を設定した。さらに議論を呼んだのは、東欧に対する寛容な態度や、一般的な人種論を提唱している事だ。
オーベルレンダー派は、彼と同じように特異な国家社会主義者と、人気のある船首像を求める元シュペーア派の集合体である。
シュペーアルート---
テオドール・オーベルレンダーは、党内で悪名高いと同時に、国民的な人気も高い。改革的な大衆主義の波に乗り、パウル・ヴェーグナーやルドルフ・ヨルダンを抑えて帝国議会議長に就任したのだ。しかし、党の若返りに関する彼の異端的な見解は、改革派全体の潮流と対立した。
そのためオーベルレンダーは、党内民主主義の強化や議会委員会に対する権限付与などといった急進的な改革を提案し、独自の規範を設定した。さらに議論を呼んだのは、東欧に対する寛容な態度や、一般的な人種論を提唱している事だ。
オーベルレンダー派は、彼と同じように特異な国家社会主義者と、人気のある船首像を求める元シュペーア派の集合体である。クロップファー率いる反動的な対抗勢力から取り残され、シュペーアやその信奉者たちからあまりにも遠い存在であったオーベルレンダーは、彼らの代弁者であり演説や公の場に姿を現すことで彼の印象をますます高め最高の地位に上り詰める機会を得たのだ。
シュペーアルート---
テクノクラート的シュペーア派とは、シュペーアが軍需大臣を務めていたころに血清れた、公務員たちの小規模な集団である。当時、より頑固な国家社会主義者は、この集団を「シュペーアの幼稚園」と呼んだ。党の支配が国家にとって代わられるべきだという素朴な考えを持つ、政治の素人たちだと。しかし、シュペーアが総続に就任したことで、テクノクラートとその綱領はついにライヒ政界の主導的役割を担うことになった。
テクノクラート派に指導者はいないが、その政治活動の多くは、ハンス・ケール厚生・社会福祉省次官とルドルフ・ヴォルタース帝国宣伝大臣に何らかの形で結びついている。彼らは自らを実用主義者だと宣伝しているが、実際には、ナチス政界の他のシーザーたちに劣らずイデオロギー的な存在である。他の仲間たちと同様、党の直接的な統制を犠牲にして、専門的でイデオロギー的に不可解な国家社会主義者たちでライヒの国家機関を固めることを目的としているのだ。大管区も、党機関も、出版社も、国家の専門家による校正を免れる政治機構は一つもない。テクノクラートは、骨の髄まで国家社会主義的な国家機構を望んでいるからだ。
シュペーアルート---
党シュペーア派は、NSDAP内部出身の改革派の仲間たちである。かつてこのような地位は非常に危ういものであったが、アルベルト・シュペーアが総統に即位したことにより、最近になって利益を得られるようになった。党内の彼の支持者たちは重要な指導的地位と広範な職務を与えられるようになったのだ。党シュペーア派を率いるルドルフ・ヨルダン内務大臣のような官僚たちは、その結果、自分たちの権限をさらに拡大し、既存の制度を刷新する綱領を推進する機会をつかんだ。
党の綱領は、当然ながら党員によって推進される。これらの党員は、あらゆる構想、委員会、執行機関のあらゆる水準に配置される。ドイツ労働戦線やヒトラー青少年団などの組織は強化、拡大され、党内反対派の強硬な仲間たちを挫くために利用される。突撃隊は、現在のような旧態依然とした状態から救い出され、党シュペーア派が頼りにすることのできる権力基盤へと変貌を遂げるだろう。この綱領は、社会革命派が提唱する「革命的」変革や、テクノクラートの回覧文書でおずおずと作成される管理モデルとは根本的に異なる。党シュペーア派は、この違いを称賛している。なぜなら、彼らだけが、手袋の中にすでに鉄があることを覚えているからだ、と彼らは言う。
シュペーアルート---
社会革命派は、NSDAPは社会的・経済的生活を完全に作り直すための手段であるべきだと信じている。経済的には、ファシスト・イタリアを彷彿とさせるような一点の曇りもないコーポラティズム経済の確立を目指している。社会的には、党と社会を一体化させることを目指しているという、民族共同体の完璧なベン図である。古くて老朽化した制度は一新され、あるいは覆され、党生活の弱く平穏などん底は打ち砕かれ、新たな生き生きとした活力ある民族共同体が構築される。
社会革命派は、制度的には名残の存在である。運動のシュペーア派の顔役であるルドルフ・ヨルダンのほかには、この傾向に同調する老齢の大管区指導者は数人しかいない。しかし、運動のより「革命的」な一派は、シュペーア派の若者の大きな役割を占めており、彼らの多くはNSDAPを、上向きの刷新が切実に必要な腐敗した組織とみなしている。古参闘士が枯渇して死滅すれば、社会革命派の指導力を受け継ぐのはおそらくこの運動部門であろう。
シュペーアルート---
シュペーア主義者の社会革命派は、どの党派よりも若い党員を多く抱えている。これらの若者は右翼の学生か、西口シア戦争のまだ若い帰還兵であることが多い。彼らの多くは、10代半ばから後半を東部戦線で過ごし、父親たちと同じように紛争に耐えたか、金がなく将来が暗く不確かだと思われる家庭戦線で過ごした。これらの若者にとって、どちらの経験も同じ危機の裏表に過ぎず、その危機は1950年代の「失われた10年」の中の一つの悲痛な挿話的な出来事に過ぎなかった。若者たちは静かな瞬間に立ち止まり、考え、どうしてこんなことになったのかと自問した。彼らは 総統が勝ち取った未来の継承者だった。それ以上に、総統は自分たちこそが未来だと語っていた。しかし、この10年の終わりには、まだ陽の射す野原はなかった。鷲の翼で羽ばたくこともなかった。何かが間違っていたのだ。約束は裏切られたのだ。
シュペーア主義者の社会革命派は、ヒトラー自身よりもむしろ、NSDAPの制度を非難するようになった。これらの機関は腐敗し、怠情で、偽の国家社会主義者であふれかえっている。それは症状であり、治療法は第二次国家社会主義革命である。古い組織は一掃されるか、取り壊される。そして、実業家、貴族、官僚との妥協はなくなる。神聖な茶色の制服を汚す中産階級の弱者は一人もいなくなる。根底からの革命しかない。約束されたこと以外の何ものでもない。すべての国民を自らに巻き込む、完璧で等方的な人民の共同体以外にない。それだけが、「失われた10年」を救済するのであり、それ以外には何もない。
シュペーアルート---
改革派の綱領の純粋に反ナチ的な特徴の責任は、主として側近集団にある。その多くは1950年代の政治危機の中で頭角を現した人物で、ナチス支配に対する内部の反対勢力である。彼らはNSDAPを権力から排除し、多かれ少なかれ民主的な新しい国家体制に移行することを目指している。この目的のために、彼らは、ゲルマニアの中枢にじわじわと浸透していった独特の政治的機敏さを、まったく新たな次元で利用する。
側近集団の戦略は、党をそれ自体に敵対させることである。改革派の反体勢力を徐々にライヒの政権に導入することで、側近集団は党の支配に不可欠な意思決定機関への利用の権利を徐々に奪っていく。党は枯れ、死に、革命を必要としない新体制のための空間を提供することになる。この戦略には当然異論がある。他の反体制派は革命的な綱領を好み、側近集団の仲間たちの中には、ドイツに民主的な未来があるという考えを否定する者もいる。しかし現時点では、側近集団の面々はナチス支配を解体する作業に忙殺されており、対外的な意見に耳を傾ける余裕がない。
*1 派閥:改革派国家社会主義、ローゼンベルク主義、革命的ナチズム、テクノクラート・ナチズム、超教義的ナチズム