マダガスカル条約委員会 |
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略称: マダガスカル軍事政府 |
首都: タナナリヴ |
大統領: マダガスカル条約委員会 |
与党: マダガスカル問題条約委員会 |
イデオロギー: 国家社会主義 |
経済体制: 軍事経済 |
建国: 1973年 |
概要
ドイツの適切な支援と大日本帝国とアメリカ合衆国のミスによって、
マダガスカル軍事政府は
マダガスカル内戦に勝利した。この島の果実を得るのは誰だろうか?エアハルト・ミルヒはエミール・モーリスを追い出してこの島における自らの地位を確固たるものにした。ゲームではドイツの政情が安定するとエアハルト・ミルヒへと元首が移り変わる。しかし
石油危機でしっかりとした対応がとれなかったらこの島の反乱軍の残党がとってかわることすら考えられるだろう
現状
指導者説明
マダガスカル条約委員会
説明
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マダガスカル条約委員会
ドイツはフランス統治という仮面を脱ぎ捨て、マダガスカル島を自国領とした。エミール・モーリスが無気力な支配 者を務めた後、マダガスカルに存在するライヒの2本の腕が島を支配するようになった。ドイツの文民行政はドイツ軍守備隊と手を結び、これまで以上に大規模な条約委員会を結成してマダガスカルの元同盟国領の統治を任されることとなったのだ。
条約委員会は現在、大まかな評議会を頂点とする疑似的な二頭政治を形成している。 片方のマダガスカル軍事委員会は、条約委員会のために領土を確保するため、征服軍へと変化したかつてのドイツ駐屯軍だ。もう片方のマダガスカル問題担当総局は島の文民行政を担当し、物資の手配や公共事業を監督している。戦時中には、小型塹壕や要塞、 大量の墓を用意する手段となる。
現在、条約委員会には指導者がいない。その状況を解決するため、評議会が動いている。エアハルト・ミルヒという 有力候補が現れたが、彼の就任は紛争に明け暮れるライヒの確認を受けていない。それでも、条約委員会は何をする べきか分かっている。島全土にドイツ支配を確立するのだ。血まみれの脱穀機は、新たな操縦者を待ちながらマダガ スカル中を走り回っている。
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エアハルト・ミルヒ
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エアハルト・ミルヒ
ドイツ空軍の設計者の一人であるエアハルト・ミルヒ元帥は、現在、マダガスカル島のドイツ軍の事実上の指導者となっている。かつてゲーリング大将の最も近い支持者の一人であった彼にとって、これは驚くべき転落である。1933年にナチスが政権を奪取すると、ミルヒはドイツ航空省長官となり、発足したばかりのドイツ空軍のために新しい航空機の開発を監督し、1939年にはドイツ空軍総監の役職を与えられた。
戦争中、ミルヒは1941年11月のエルンスト・ウーデットの自殺に伴い、ドイツ空軍の航空機生産と兵站を担当する統括空令担当大臣の役職を追加し、さらに1942年4月にはゲーリングから新設の中央計画委員会に指名された。ミルヒは、アルベルト・シュペーアとともに中央計画委員会の存続期間中、品質を多少犠牲にしながらもドイツの航空機総生産量を増やすことに成功し、1940年代の終わりから1950年代の初めにかけて、ほとんど問題なくその地位を維持し続けた。しかし、1950年代半ばにドイツ空軍の戦力が停滞すると、ゲーリングとの間に対立が生じ、ゲーリングはミルヒの役職を剥奪する。ミルヒがドイツ空軍に残ったのは 戦時中のシュペーアとのつながりがあったからで、彼はヒトラーの側近として総統に説得し、任務や権限はないものの、陸軍元帥に留まることに成功した。
ゲーリングは、かつての部下が対立する政治派閥と結託し彼を追い落とそうとしたり、出し抜こうとしたりすることを望まず、ミルヒをインド洋におけるドイツ空軍の核爆撃機の組織と保守を主に担当するマダガスカル軍事委員会の長という準重要の地位に任命することに成功する。この地位は、失脚した陸軍元帥には少し強すぎると思う人もい るだろうが、それでもミルヒをドイツから遠ざけるという点では、その役割を果たした。
マダガスカル反乱の勃発によりマダガスカル軍事委員会が植民地時代の名残を残す政府を完全に掌握したため、ミルヒは島で最高位の軍人として、気弱なエミール・モーリスの名目上の支配下で反乱への対応を調整する役割を担うことになったが、そのモーリスはヒトラーの死により事実上の軟禁状態に置かれることになった。そして今、反乱が新たな段階へと進む中、ミルヒはライヒにもう1つの勝利をもたらし、事実上の亡命先から政府との良好な関係を保ち、引退して余生を穏やかに過ごすことを望んでいる。
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ゆっくりと、ぼろぼろと、しかし自分の肺で国家は呼吸する
補足 エアハルト・ミルヒの出自について
ゲーム中では「君の血に質問したことはまだ覚えている。失敗するなよ、さもなくば、私自身が質問を開始する。」といった一文がある。実はエアハルト・ミルヒの父はキリスト教に改宗したユダヤ人なのだ。実際にミルヒがニュルンベルク法に定めるところの「ユダヤ人との混血」であるか否かは、現在も歴史研究の対象となっている。おそらく「血に質問したこと」はこのことを指しているのだろう。ちなみに本人は「自分は母の婚外児である」と主張している。
最終更新:2024年09月22日 18:08