来歴
前半生
千葉県のサラリーマン家庭に生まれる。団塊世代が終わりを迎えようとしている中、苛烈な受験戦争は健在で、優秀な受験塾に入塾することが受験成功の第一歩とされていた時代であった。そのような受験戦争に勝ち抜き、
日本大学千葉中学校・高等学校、千葉県立
千葉高等学校を卒業。高校卒業後、三浪目で
東京大学文科一類に合格し、進学する。東京大学では、「
新しい日本の女性楽団」を主宰して女性学研究の学生拠点を形成させた。この団体の楽団長は、女性初の東大学部長となった
村田聖子(1学年下)、外交官の
大矢由紀子(2学年下)が歴任した。
大学3年時、法学部を進学先として選択し専門を地方行政・地方自治学とした。特にドイツ人の女性政治学者として著名な
シュタイン・ベルガーの「
都市自治の変革と未来」に感銘を受けて住民主体・住民決定型の都市自治を熱望。当時は、一連の
戦後革命運動が沈静化していた時代であり、運動を用いる積極的な組織は非合法的な存在として認知されていた。そのような時代のさなか、
全学連の穏健派と呼ばれて、唯一生き残っていた行動革命組織の
全国青年委員会(全青)に入会。全青のメンバーとして静岡空港の半軍半民使用に反対した大規模デモである、
静岡空港封鎖事件に参加。
静岡県警や
警視庁第二機動隊との衝突の末、逮捕されることになった。逮捕後に休学。休学中には、
大矢由紀子によって楽団長の座を追われることになった。復学後、全青を脱退して法学部の
向田邦昭ゼミに所属。東京大学法学部法律学科を卒業。
自治官僚
東大在学中、
高等文官試験行政科に第3位で合格。
自治省に主席で入省した。入省後は、
自治大学校高等教養課程での研修を経て、エリートの出世街道と呼ばれる
自治局に配属。特別地方行政区課主任として東京都や大阪市といった大都市圏における連携事業を統括、次いで法制課係長として地方自治体の規律に関する法律の制定に携わった。1993年10月には、
第3次船中内閣の掲げる縦割り行政改革のために設けられた
内閣官房業務改革チームに自治省担当として参加した。ここでは、国家戦略特区制度の運用や地方分権の推進にかかわる省庁間の事務系統を
地方創世担当大臣に統一する組織改革を訴えた。1996年には、自治行政局法制課に課長補佐として復帰。地方自治法の改正や
市町村合併の促進に取り組んだ。また、市町村合併の本丸とされた、市町村合併政策企画室の2代目室長を兼務することとなる。地方自治に関する研修会やセミナーなどで講師を務めるなど、全国の自治体の支援にも力を注いだ。
高級官僚時代
その後、
大臣官房での要職を経験して、大臣補佐官を歴任。社会党政権において
池田万千代地方創生担当大臣、
鳥居瀬直自治副大臣、
守谷聡介内閣官房長官の補佐官を歴任する。政府全体の政策を統括する立場にあって、地方自治分野だけでなく、高齢者対策や教育政策など、広範な業務に携わった。自治省でのキャリアを通じて、地方自治に関する多くの功績を残し、女性として官僚として高く評価された。その後、2019年7月に、女性として初の
自治大学校長に就任。
茨城県
つくば市長
晩年
市長引退後、
日本大学の求めに応じる形で
日本大学筑波校客員教授として教鞭をふるう。専門の地方行政、地方自治論の研究を続ける。政府や県からの委員要請を受けずに在野の研究者としてあり続ける。その後、2040年には高齢を理由に客員教授職を辞任。幼いころに住んでいた千葉県で余生を過ごす。1950年ころから病院での暮らしが長くなり、1958年に死去。世間に報じられたのは、死後8年の経ったのちであった。
選挙歴
年史
最終更新:2025年07月16日 18:07