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伊藤誠司

伊藤誠司(いとうせいじ)〈1884年5月ー1969年12月〉は、大日本政治会保守党などで活躍した衆議院議員

来歴

生い立ち

1884年5月、長崎県に生まれる。伊藤家は、長崎県内で有名な網元の出自で、県下最大の従業員を雇用する伊藤屋水産商会のオーナーとして知られている。ほかの兄弟と同様に長崎県立水産講習所水産物加工部で学ぶ。

政治を志して

1900年3月、講習所を卒業。実家を手伝いながら、父の仕事仲間を頼って県議会議員の選挙運動員として政治キャリアの第一歩を歩む。その後、県議の後見を受けて周囲の家族を説得され、九州大学の聴講生として学ぶ。大学在学中に「水産業は世知辛いから政治家になれ」と父から告げられて政治家を志す。1908年、九州大学法学部法律学科の聴講生を修了。大学修了後、地元県議の秘書となる。

水産業統制協会帝国水産

1916年にお世話になっていた県議が引退。県議の紹介状を受けて、水産業統制協会に就職。事務局秘書課、総務課、副会長専属秘書を経て、会長秘書となる。会長は、戦前の水産業を支配していた帝国水産天海一比古代表取締役会長だった。天海一比古会長は、1925年に任期満了に伴って退任。1925年、天海一比古の誘いを受けて、帝国水産に入職。会長室事務取扱、会長室次長を歴任。1928年から、会長室長に就任。

長崎市

1931年、激動の時代において政治家となるため地元長崎へ帰郷。1932年、長崎市長選挙に出馬。水産業界からのバックアップを前面に受けて当選。1932年、1936年、1940年の選挙で立て続けに連続当選。1939年2月からは、大日本政治会に所属する地方首長となる。市政運営では、水産加工業者への税制優遇措置などを進めた。

国会議員へ

1941年5月、衆議院旧長崎全県区選出の妻田新拓が粛軍演説を行ったため、大日本政治会から非推薦となり、その代替候補として伊藤の名前が挙がった。伊藤は、水産業統制協会が組織的応援を行うことを決定したため、1942年3月に長崎市長を辞職。1942年9月投開票の第12回衆議院総選挙で初当選。当選後、水産業統制協会顧問に就任。水産業統制協会が応援する4名の国会議員の1人となり、水産族の中核議員として活躍する。
1945年8月に終戦を迎えると、国会議員の1人として敗戦の結果責任を背負い、9月に議員辞職

保守党の創立

1945年10月、議員辞職ののち長崎に帰郷する予定であったが、保守党結党に動く長田秀三からの誘いを受けて、保守党へ参加。1945年12月17日投開票の第13回衆議院総選挙で、保守党公認候補として旧長崎全県区から二選目を果たす。素早く国会に戻ると、党副幹事長に就任。1946年4月、「重大国会」と呼ばれた、「第56回通常会」の終幕後、族議員の勉強会とされる日曜会を結成。派閥会長に就任する。同派閥の外部講師として数度招かれていたのが、後に政界に転身する加藤信彦大蔵省官僚)であった。

保守党の重鎮

第14回衆議院総選挙を終えた1946年12月、党幹事長代行に就任。幹事長の田中八を支えた。1947年8月から、党幹事長に就任。第1回参議院通常選挙で目標の比較第2党に届かなかったことで責任を負い、幹事長を辞職。その後、派閥の力がありながらも党内では冷遇され、1951年から民主党共和党との三党合意として、衆議院議院運営委員長に就任。1958年まで、憲政史上最長の常任委員長となる。この間には、加藤信彦ら派閥の新人議員らの指導役などを担当した。1958年6月、長田秀三が2期目の総裁に就任すると、個人的な恩顧もあり、新人議員の指導役として党国対委員長代行に就任。
1963年に大場達夫の招きに応じる形で、日曜会を解散。派閥政治の恩恵を捨て、派閥政治から離れた。

引退・その後

1963年、高齢を理由に政界引退。政界を離れ、日本水産業協会名誉会長に就任。没後、地元長崎県では、功績をたたえて長崎県立長崎水産高等学校に胸像が建立される。

略年歴

1884年5月 長崎県佐世保市に生まれる
1897年3月 小学校を卒業
1903年3月 長崎県立水産講習所水産物加工部を卒業
4月 伊藤屋水産商会へ入社
水産加工場在勤
1909年1月 長崎県議事務所へ入所、選挙運動員

1916年5月 水産業統制協会へ入会
事務局秘書課
1919年10月 事務局総務課
1920年6月 副会長専属秘書
1922年6月 会長秘書
1925年10月 帝国水産へ入社
会長室事務取扱
1926年10月 会長室次長
1928年10月 会長室長
1931年12月 退職

1932年7月 長崎市長選挙へ出馬し初当選
第23代長崎市長
1936年7月 第24代長崎市長
1939年2月 大日本政治会へ入会
1940年7月 第25代長崎市長
1942年3月 退職

1942年9月 第12回衆議院総選挙に、長崎全県区から初当選
10月 水産業統制協会顧問
1945年9月 議員辞職
10月 保守党へ参加
最終更新:2026年03月16日 22:53