伊原健次郎(いはらけんじろう、1907年9月29日-1995年8月)は、
衆議院議員(10期)、軍人(
日本軍大佐)。
来歴
軍役時代
政界入り
保守党、
共和党の保守合同を進めるため、
大阪製作所元社長の
飯豊清史郎からの資金供与を受けて、
税と社会保障の国民会議を結成し、両党からの国会議員を受け入れることを実現させた。この国民会議の事務局長を務めたのが伊原であった。
1975年4月の
自由党結党後、当選5回ながらに
自由党/選挙対策委員会委員長に起用される。党人派の要職を抑え、日整会を中心とした派閥闘争にも力を入れた。1976年に
片山愛康が、派閥を飛び出して独自に推薦人を集めて
自由党/1977年党首公選に出馬したことに対抗して、八政会から候補者を擁立するように奔走するが失敗。党内の
国防族のじゅうちんとして力を及ぼすも、片山愛康から要職を外されて党内で干される経験をする。
党内復帰
1983年から、
商工省出身の
浅上浩二が
自由党党首に起用されると、党防衛政策調査会長・党国防基本法調査会長に就任する。このことから日成会は、治水会出身の浅上浩二を支援する体制を整えた。1989年10月の
第29回衆議院総選挙には立候補をせず、政界を引退する。
略年歴
| 1926年 |
4月 |
陸軍少尉へ |
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第13師団幕僚部経理課 |
| 1928年 |
10月 |
第13師団第28歩兵連隊小隊長 |
| 1930年 |
7月 |
第2師団第4歩兵連隊小隊長 |
| 1932年 |
7月 |
陸軍中尉へ |
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第2師団第4歩兵連隊第2中隊副中隊長 |
| 1935年 |
10月 |
第2師団第4歩兵連隊事務室次長 |
| 1946年 |
2月 |
大阪製作所へ入社 |
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大阪火薬第1工場長 |
| 1947年 |
4月 |
京都大学へ復員特例枠学士入学 |
| 1949年 |
3月 |
京都大学法学部公法学科を卒業 |
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4月 |
高等文官試験を経て、大本営へ入営 |
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日本軍中佐へ任官 |
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監察本部監察局第2監察課長補佐 |
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10月 |
監察局第2監察課長 |
| 1951年 |
4月 |
教育総監部教育政策局予算課長 |
| 1953年 |
10月 |
教育政策局政策課長 |
| 1955年 |
1月 |
日本軍大佐へ |
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兵務本部兵営局次長 |
| 1956年 |
10月 |
兵務本部復員局次長 |
| 1957年 |
1月 |
退官 |
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2月 |
陸軍軍人会館岐阜県分館長 |
| 1975年 |
4月 |
自由党へ合流 |
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党選対委員長 |
| 1977年 |
6月 |
党租税・社会保障一体改革推進本部長 |
| 1983年 |
6月 |
党安全保障部会長・党国防基本法調査会長(~87.5) |
| 1989年 |
10月 |
政界引退 |
選挙歴
最終更新:2026年03月25日 19:22