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伊原健次郎

伊原健次郎(いはらけんじろう、1907年9月29日-1995年8月)は、衆議院議員(10期)、軍人(日本軍大佐)。
生誕 1907年9月29日
岐阜県岐阜市
逝去 1995年8月
東京都
職歴 陸軍軍人(少佐)
日本軍軍人(大佐)
衆議院議員(9期・27年9ヵ月)
親族 長男-伊原勝也(1937.6) 自由党衆議院議員
次男-伊原正康(1939.5) とうかいFG会長・中日本銀行頭取
長女-向原安音(1945.6) 向原欣哉(明和大栄社長)の夫人
三男-板山和邦(1948.6) 富国製剤社長

来歴

1907年9月、岐阜県岐阜市に生まれる。

軍役時代

小学校卒業後、倍率114倍と呼ばれる陸軍士官学校大阪予科を経て、陸軍士官学校へ進学。1944年11月の小笠原玉砕を経験し、拳銃自殺未遂で生きながらえて捕虜となる。1945年4月の「日米戦時捕虜交換交渉」の結果として、小笠原の捕虜収容所から解放されて帰国する。
1945年8月の第2次世界大戦終戦後、大阪製作所勤務を経て、京都大学を卒業する。大学卒業後、再び大本営の道を歩む。1957年1月、日本軍大佐を最後に、大本営を退官する。

政界入り

1957年6月9日投開票の第18回衆議院総選挙で、保守党公認候補として、衆議院/旧岐阜1区から出馬するも落選する。1959年7月12日の第19回衆議院総選挙で初当選を果たす。
当選後、党内派閥/治水会の所属員となる。当選2回で、保守党/幹事長加来島一郎の下で選対副本部長。当選3回生時、1967年2月に「保守支流の一国独立主義」を掲げる党内派閥/日成会として独立する。派閥構成員19名の党内派閥となる。1967年6月から、加山武彦総裁の下、保守党/国会対策委員会委員長に就任する。のち保守党/幹事長代行に起用される。
時の幹事長である本山太市は、保守党/岐阜県支部長として、衆議院/旧岐阜1区から2名の公認候補を当選させた論功行賞人事で幹事長にまで駆け上がった八政会の重鎮である。本山は、日成会の独立にも強く影響しており、派閥結成に関して治水会系議員5名を融通した恩があった。

自由党結成への貢献

保守党共和党の保守合同を進めるため、大阪製作所元社長の飯豊清史郎からの資金供与を受けて、税と社会保障の国民会議を結成し、両党からの国会議員を受け入れることを実現させた。この国民会議の事務局長を務めたのが伊原であった。
1975年4月の自由党結党後、当選5回ながらに自由党/選挙対策委員会委員長に起用される。党人派の要職を抑え、日整会を中心とした派閥闘争にも力を入れた。1976年に片山愛康が、派閥を飛び出して独自に推薦人を集めて自由党/1977年党首公選に出馬したことに対抗して、八政会から候補者を擁立するように奔走するが失敗。党内の国防族のじゅうちんとして力を及ぼすも、片山愛康から要職を外されて党内で干される経験をする。

党内復帰

1983年から、商工省出身の浅上浩二自由党党首に起用されると、党防衛政策調査会長・党国防基本法調査会長に就任する。このことから日成会は、治水会出身の浅上浩二を支援する体制を整えた。1989年10月の第29回衆議院総選挙には立候補をせず、政界を引退する。

略年歴

1907年 9月 岐阜県岐阜市に生まれる
1920年 3月 小学校を卒業
1923年 3月 陸軍士官学校大阪予科を卒業
4月 陸軍准尉へ任官
1926年 3月 陸軍士官学校を卒業(陸士35期)

1926年 4月 陸軍少尉
第13師団幕僚部経理課
1928年 10月 第13師団第28歩兵連隊小隊長
1930年 7月 第2師団第4歩兵連隊小隊長
1932年 7月 陸軍中尉
第2師団第4歩兵連隊第2中隊副中隊長
1935年 10月 第2師団第4歩兵連隊事務室次長

1936年 1月 陸軍徳山火薬製造所在勤
1937年 4月 国防大学校へ入学
1939年 3月 国防大を卒業(防大26期)
4月 陸軍大尉
沖縄南西兵団司令部兵営部課長
1940年 12月 沖縄県庁陸軍部連絡課長
1942年 10月 陸軍少佐
八重山本土防衛前線指揮所建設委員
1944年 7月 小笠原兵団幕僚部兵営部長
11月 小笠原玉砕
1945年 4月 捕虜開放
7月 陸軍日立火薬製造所第1実験場長
8月 軍籍離脱

1946年 2月 大阪製作所へ入社
大阪火薬第1工場長
1947年 4月 京都大学へ復員特例枠学士入学
1949年 3月 京都大学法学部公法学科を卒業
4月 高等文官試験を経て、大本営へ入営
日本軍中佐へ任官
監察本部監察局第2監察課長補佐
10月 監察局第2監察課長
1951年 4月 教育総監部教育政策局予算課長
1953年 10月 教育政策局政策課長
1955年 1月 日本軍大佐
兵務本部兵営局次長
1956年 10月 兵務本部復員局次長
1957年 1月 退官
2月 陸軍軍人会館岐阜県分館長

1957年 5月 保守党へ入党
6月 第18回衆議院総選挙において、旧岐阜1区から落選
1959年 7月 第19回衆議院総選挙において、旧岐阜1区で初当選
治水会へ入会
1963年 7月 党選対本部長(~63.7)
1967年 2月 日成会を設立し、会長に就任
6月 国対委員長
1969年 6月 幹事長代行(~75.3)
1972年 10月 税と社会保障の国民会議事務局長

1975年 4月 自由党へ合流
選対委員長
1977年 6月 党租税・社会保障一体改革推進本部長
1983年 6月 党安全保障部会長・党国防基本法調査会長(~87.5)
1989年 10月 政界引退

選挙歴

選挙 開票日 年齢 選挙区 政党 定数 順位
第18回衆議院総選挙 1957年6月9日 49 旧岐阜1区 保守党 4 6/7
第19回衆議院総選挙 1959年7月12日 52 旧岐阜1区 保守党 4 4/7
第20回衆議院総選挙 1963年7月14日 56 旧岐阜1区 保守党 4 3/8
第21回衆議院総選挙 1966年4月24日 59 旧岐阜1区 保守党 4 3/9
第22回衆議院総選挙 1970年4月26日 63 旧岐阜1区 保守党 4 1/6
第23回衆議院総選挙 1973年9月16日 65 旧岐阜1区 保守党 4 1/5
第24回衆議院総選挙 1978年7月2日 70 旧岐阜1区 自由党 4 2/6
第25回衆議院総選挙 1980年5月18日 72 旧岐阜1区 自由党 4 1/7
第26回衆議院総選挙 1983年6月5日 75 旧岐阜1区 自由党 4 1/6
第27回衆議院総選挙 1987年5月1日 79 岐阜1区 自由党 1 1/3
最終更新:2026年03月25日 19:22