吉岡信敬:「いだてん~オリムピック噺~」
演:満島真之介
「日本初の応援団団長」として全国津々浦々で応援活動をし、学生たちには「ヤジ将軍」の二つ名で知らぬ者はいない男。
「
天狗倶楽部」の一員であり、その暑苦しさの象徴的存在。
羽田で行われた「日本初のオリンピック予選会」に協力し、後に読売新聞社の一員として
金栗四三の協力者となる。
史実での「吉岡信敬」
早稲田大学の学生であり、早稲田大学「応援隊長」。
また史実での二つ名は「
虎髯野次将軍」。
明治時代における「バンカラ」の象徴人物であった。
野球は下手だが野球好き。そのため各試合に
駆けつけては応援していたのだが、それにより応援隊長となる。
いわゆる「早慶戦」で過熱な応援をしてしまった為、約15年もの間中断させてしまったという伝説もある。
親友である「
押川春浪」の縁で「
天狗倶楽部」にも加入。
原稿執筆の傍ら、羽田で行われた日本初の「オリムピック予選会」に審判員として協力した。
国際オリムピック大会選手予選会 - Wikipedia
1914年(大正3年)に
押川春浪が亡くなった後は
天狗倶楽部と距離を置き、表舞台に立つことも無くなったという。
吉岡信敬 - Wikipedia
吉岡信敬の史料・文献・書籍
『冒険世界』や『武侠世界』などの雑誌に寄稿していた、と言われているのだが、そんなに「自筆の文献」は多くないらしい。
「蛮骨化身弥次将軍 吉岡信敬」
『壮絶壮遊〔天狗倶楽部〕』
『運動之裏面』
「早慶戦野球試合 野次将軍騒動」伝説
前述した通り吉岡信敬には、
早慶戦の野球試合の時に応援の野次のやり過ぎで試合を中止に追い込んでしまい、挙げ句の果てに約15年もの間中断させてしまった、という伝説がある。
吉岡信敬が馬に乗りながら野次応援をし、その為に試合が中断した、という話が「史実」としてまかり通っていたりする。
(後でまたいろいろ追記します。)
関連人物
関連項目
天狗倶楽部
大日本体育協会
ストックホルムオリンピック
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最終更新:2020年03月03日 21:10