徳三宝:「いだてん~オリムピック噺~」
演:阿見201
金栗四三が通う「東京高等師範学校」の、一つ年上の先輩。
そして「柔道日本一」の男。
柔道は強いが気は優しく(
美川以外)、甘いもの好きで大福をたらふく食べていたり、四三のストックホルム遠征費の募金を集めていたり、ベルリン五輪中止の時には皆と一緒に四三の下宿に押し掛けたりと、渋い活躍を見せた。
史実での「徳三宝」
「
野中の一本杉」と謳われた柔道家。
講道館に属し、
嘉納治五郎の弟子の一人である。
一方で「暴れん坊」としても有名であり、道場破りに来たブラジル艦隊の水兵15人を相手に返り討ちにし講道館を破門された、なんていう逸話もあり、
「いだてん」でも第15話にてこの逸話がシナリオで扱われている(本編ではカット)
そして第二次世界大戦の最中の1945年:昭和20年3月10日、「東京大空襲」に巻き込まれ逝去した、とされている。
徳三宝の史料・文献・書籍
『柔道一代 徳三宝』
「柔道の鬼 徳三宝」
東京高等師範学校での徳三宝
で、そんな凄い人がなんで「いだてん」に出ていたのか?というと、
結論から言うと「
金栗四三や美川秀信と同じ時期に東京高等師範学校に在籍していたから」である。
関連ツイート
以下、順を追って解説する。
明治42年:1909年
徳三宝、文科兼修体操専修科 国語漢文兼修部に入学。
ちなみに学費は官費:日本政府に出して貰ったのではなく、私費:自分持ちだったそうです。
明治43年:1910年
徳三宝、二学年に進級。
明治44年:1911年
金栗四三が本科一学年(二年生)に進級。
しかし徳三宝、そして美川秀信は東京高師から去りましたとさ。
どうして東京高師を去ったのか
なんでも徳三宝、毎晩のようにお酒飲んでは夜遅くに寮に帰り、寮監に対して派手に乱暴狼藉をやらかしていた、そうで。
そりゃ追い出されるわw
で、永井道明いわく、自分は手を出されなかったし、追放された仕返しもされなかった、との事、らしい。
なにせ永井道明が言ってた事を記述したのでまだ確定では無いのだが、まあ嘘ではない、とは思われる。
この記述によると「いだてん」シナリオの逸話が史実通りという事になるのだが、はたして。
他に何か史料無いんでしょかねぇ?
指宿家の人々
徳三宝には子どもがいなかった。
しかし、妹の嫁ぎ先の親族である「指宿家」の人たちが「徳三宝の物語」を語り継いでいる。
指宿英造
指宿良彦
先述した「柔道一代 徳三宝」のCDを発売したのもこの会社。
で、アルバムの形でだがこの楽曲、まだ販売していたりする。
(上記「セントラル楽器」サイトのトップページ一番下を参照のこと)
指宿清秀
今現在、国会図書館デジタルコレクションで読むことが出来るのは、この方の功績、という事になるのですが。
マジですか?
そして指宿家の皆さんいわく、
徳三宝は寡黙な人で
たまに訪れると、二、三時間もの間、ずっと正座し続けていた。
そして
「お母さん、元気か?」
と、妹さんの近況を訪ねたりしていたそうな。
(何かまた見つかったら追記しますよ。)
関連人物
関連項目
東京高等師範学校
講道館
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最終更新:2020年03月22日 16:32