二階堂トクヨ:「いだてん~オリムピック噺~」
演:寺島しのぶ
「東京高等女子師範学校」助教授にして「
永井道明の弟子」。
初登場早々
金栗四三に食ってかかり、ついでに
野口源三郎に対して「棚から落ちたボタ餅め!!」と暴論を吐くなど勝ち気な「じゃじゃ馬」。
永井の導きで英国に留学したが、帰国後、永井の思惑とは裏腹に体育に「チュニック」と「ダンス」を導入し、
「女子の体育は女子の手で!」
と論じながら永井と対立してしまう。
そして実は何故か野口に一目惚れしており、それが縁で野口が「女子体育とスポーツの普及」に協力するきっかけとなる。
後に「二階堂体操塾」を設立。
「
人見絹枝の師」となる。
第26回「明日なき暴走」はまさに伝説。
要必見。
史実での「二階堂トクヨ」
二階堂体操塾:現在の「日本女子体育大学」を創設した事により、「日本女子体育の母」と呼ばれる女性教育者。
永井道明の導きで英国に留学し、帰国後に永井と対立、それにより「二階堂体操塾」を創設した。
実は「実際の二階堂トクヨ」を調べると、とにかく「いろいろとんでもない」逸話が多い。
「いだてん」でも扱われたネタである、
はいずれも史実準拠である。
その一方で「いだてん」では史実とは異なる設定が多い。
- 史実では永井道明の弟子ではなく「部下」。
- 二階堂トクヨは大日本体育協会の一員になった事はない(関わった事はある)
- 実際の二階堂トクヨは和装好き
- 永井道明と二階堂トクヨは喧嘩別れとなる
- 実際には二階堂トクヨは野口源三郎に片想いしていない
- そもそも見た目が全く違う!異なり過ぎている!!w
などなど。
しかし永井道明と二階堂トクヨの史実をくまなく調べると、様々な出来事や他の人物からの「史実の逸話からの転用と改変」がある事がわかる。
二階堂トクヨの史料・文献・書籍
二階堂トクヨ伝
二階堂トクヨ伝 - 国立国会図書館デジタルコレクション
二階堂トクヨの弟たち:二階堂清寿と二階堂真寿、そして二階堂トクヨの弟子である「戸倉ハル」による伝記。
「実際の二階堂トクヨ」を知るためには一読をお勧め。そして読むと「二階堂トクヨの凄まじさ」がわかる一冊となっている。
「棚から落ちたボタ餅」や剃髪カツラネタもここからの出典となる。
「足掛四年・英国の女学界」
二階堂トクヨが英国に留学した時の出来事を記した体験記。
留学出発前から綴られており「二階堂トクヨの半生記」の面もある一冊。
「ロンドン通信」:「わがちから」「ちから」
ロンドン通信
二階堂トクヨが英国留学していた時に、日本とやり取りしていた手紙の書簡集。
「わがちから」「ちから」
二階堂トクヨが発行していた雑誌。
二階堂トクヨが著した論文が多数載っている
(まだまだ追記します。)
「いだてん」二階堂トクヨの基になった人物
上記のように「いだてん」の二階堂トクヨは史実との相違が多い。
そのため以下の「いだてん」に登場しなかった人物が「補填設定」のモデルの可能性がある。
三橋喜久雄
藤村トヨ
戸倉ハル
戸倉ハル - Wikipedia
永井道明の「史実上の女性の愛弟子」。
また二階堂トクヨの愛弟子でもある。
つまり「喧嘩別れした筈の永井道明と二階堂トクヨに共通の愛弟子がいた」という事になるのだが、いったいどういう事なんです?(笑汗)
ちなみに「永井道明の香水ネタ(永井道明自叙伝)」及び「二階堂トクヨの『棚からボタ餅』他いろいろな口癖と、剃髪カツラネタ(二階堂トクヨ伝)」はこの人が書き残した逸話である。
ますますいったいどういうことなんです???w
関連人物
関連項目
東京高等女子師範学校
二階堂体操塾
アムステルダムオリンピック
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最終更新:2020年03月03日 21:18