『野口源三郎 遺稿集』
野口源三郎の逝去後、三回忌の折に教え子たちによって編纂された遺稿集。
雑誌などに掲載された論文や、大学の講義の原稿などがまとめられている。
ちなみに「遺稿」とは「死後に遺された未発表の原稿」の意味なので、
この本は厳密には「遺稿集」とは言わないのだが、まあいいや(待て)
1,733ページに及ぶ、これぐらい太い本である。
「
野口源三郎の文筆量の莫大さ」の一端がわかる一冊となっている。
以下、簡単だが内容を紹介解説していく。
内容
巻頭写真
野口源三郎の写真が多数掲載。
家族との写真もある。
序文
論説
19ページから333ページまで。
研究・指導
337ページから953ページまで。
様々な雑誌に載せられた、
野口源三郎の論文を掲載。
主に体育論やスポーツ競技論や体育スポーツ教育論になる。
38ページ
野口「私は今度行われる第九回アムステルダムオリムピック大会において、女子陸上に八百メートル走を加えるのに反対である」
(大正15年1月 雑誌「体育と競技」より)
野口さん!!人見絹枝銀メダルのフラグ立ててる!!w
随筆
957ページから1,403ページまで。
「いだてん」クラスタにとってはある意味この本のメイン。
「アントワープオリムピック大会」旅行記の雑誌『アスレチックス』掲載文章とか、
金栗四三の解説文や、
人見絹枝と
岸清一の追悼文など「いだてん」ファンには読みどころ満載な章。
講義
1,407ページから1,704ページまで。
野口源三郎が在職した各大学にて行われた講義の原稿。
つまり「
野口源三郎の研究のまとめ」的文章となり、
「遺稿」と呼ぶに相応しい章となる。
年譜
1,706ページから1,733ページまで。
生前、
野口源三郎が自ら毛筆で、達筆かつ克明に書き留めておかれた物を基に作成。
これを読めば
野口源三郎の詳しい生涯(家族の事も含む)がわかる。
逝去の一年前まで記され、以降は「
野口源三郎遺稿集」編集により追記されている。
(まだまだ追記します。)
関連人物
関連項目
東京高等師範学校
大日本体育協会
大日本体育協会機関誌「アスレチックス」
アントワープオリンピック
パリオリンピック(1924年)
アムステルダムオリンピック
東京オリンピック(1964年)
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最終更新:2020年03月04日 00:59