野口源三郎:「いだてん~オリムピック噺~」

演:永山絢斗

「東京高等師範学校」での金栗四三の後輩。
共に東京高師徒歩部に所属し、共に羽田競技場で行われたオリンピック予選会のマラソン種目に出場する。

卒業後は教師になるも、東京に戻り「大日本体育協会」の一員となる。
そして「アントワープオリンピック」に「十種競技」で出場するも最下位で終わる。

その後は体協の一員として「田畑政治」と関わる事に。

基本的には無理無茶無謀な事をする金栗四三や嘉納治五郎や田畑政治たちへの突っ込み役。
また「二階堂トクヨ」に一目惚れされたりとか何かと大変な目に遭うが、
その縁で「人見絹枝の師」ともなる。

史実での「野口源三郎」

「いだてん」ではコメディ寄りに描かれていたが、
日本体育史における重要人物である。
特に「日本に陸上競技を広めた」事から「日本陸上競技の父」と呼ばれる。

また膨大な量の陸上やスポーツに関する文献、論文などなどを書き残したことでも有名。
「いだてん」でも扱われた(コメディ扱いであったが)「大日本体育協会機関誌「アスレチックス」」の刊行や、「大日本体育協会史」の編集委員長なども務めた。

そして二階堂トクヨに請われ「二階堂体操塾」に講師として協力。
その縁で「人見絹枝を教え子とした」のは史実となる。

ちなみに史実でも東京高師での金栗四三の後輩、なのだが、
実は野口源三郎の方が3歳年上。
なので実際には野口源三郎が「金栗くん」、金栗四三からは「野口さん」と呼び合う仲である。


野口源三郎の史料・文献・書籍

とにかく膨大な量なので読み切れるのだろうか?w
国立国会図書館デジタルコレクション - 「野口源三郎」検索結果
とにかく「いだてん」に関わる文献や論文を中心紹介する。

アントワープオリンピック出場旅行記

前出の通り野口源三郎はアントワープオリンピックに出場したのだが、その「出場旅行記」を書き残している。
しかも3種類くらいある。
著した順に紹介する。

なお史実では「いだてん」とは異なり永井道明がアントワープ行きの途中で合流しオックスフォード見学に同行したり開会式に参加しているので混乱しないこと(笑汗)

まず最初に1921年:大正10年に「アントワープオリンピック報告書」としてこちらの文献が刊行された。
第七回オリンピック陸上競技の印象 - 国立国会図書館デジタルコレクション

次に「大日本体育協会機関誌「アスレチックス」」にその詳細な旅行記が連載され、
国立国会図書館デジタルコレクション - 「アスレチックス」検索結果

そしてそれらがまとめられて1924年:大正13年にこちらが刊行された。
「オリンピア」への旅 - 国立国会図書館デジタルコレクション

この三種類の旅行記、それぞれ載っている写真や文章が少しずつ異なるので読み比べると面白い。

大日本体育協会機関誌「アスレチックス」


「いだてん」では激しくネタ扱いであったが(笑涙)
この雑誌を読みスポーツ選手を志し、スポーツ評論を書き始めた者も数多い。
嘉納治五郎岸清一永井道明可児徳、武田千代三郎、金栗四三などなど、数多くの寄稿が寄せられ、
「平沢和重」の論文が入選していた、という情報もある(事実かどうかまだ未確認です)
また「いだてん」どは「二階堂トクヨ」絡みでネタ扱いされたが、その二階堂トクヨ本人の講演会での演説が「アスレチックス」に載っていたりする。
アスレチックス. 2(3) - 国立国会図書館デジタルコレクション
(15コマ目)

あと当時大学生だった「松澤一鶴」が「アスレチックス」を読みスポーツ評論に目覚め、後に大日本体育協会機関誌の編集に携わる事になる。
体育日本. 20(4):「アスレチツクス」より「體育日本」まで―二十周年特輯―(座談會) - 国立国会図書館デジタルコレクション
(68ページ~86ページ:40コマ目)

そう、「いだてん」では思いっきりスルーされましたが、野口源三郎と松澤一鶴、実際にはかなり仲が良く、この座談会のみならず様々な交流が確認されてます。


(まだまだ追記します。)

関連人物

金栗四三
嘉納治五郎
永井道明 可児徳
二階堂トクヨ 人見絹枝
松澤一鶴
織田幹雄

関連項目

東京高等師範学校
大日本体育協会

大日本体育協会機関誌「アスレチックス」

アントワープオリンピック
パリオリンピック(1924年)
アムステルダムオリンピック
東京オリンピック(1964年)

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最終更新:2020年02月10日 12:41