大森兵蔵:「いだてん~オリムピック噺~」
演:竹野内豊
お洒落なスーツを着こなす優男。
国際結婚をしたアメリカ人の妻「
安仁子」を連れ英語混じりの会話をするため「西洋被れの気障男」に見えてしまう。
しかし実は早くからアメリカに「スポーツ」を学ぶ為に留学し、バスケットボールやバレーボールを日本に持ち込んだ「日本スポーツのパイオニア」。
ストックホルムオリムピックに選手を送るために大日本体育協会の一員となり、羽田に競技場を作るなど尽力する。
そして「ストックホルムオリムピック日本選手団」の監督となり、
金栗四三や
三島弥彦とともにスウェーデンへ向かう。
しかし、その先には過酷な運命が待っていた。
史実での「大森兵蔵」
アメリカに留学し、各種スポーツを学び、バスケットボールとバレーボールを日本に持ち込んだ「日本スポーツのパイオニア」。
そしてアメリカから大恋愛の末、「
大森安仁子」を連れて帰って来たのも史実。
けれども史実では大森安仁子の方が20才年上。
ちょっとびっくり。
「いだてん」と同様、
嘉納治五郎の招聘に応じ「大日本体育協会」に理事として参加、羽田競技場設置に尽力した後、日本選手団監督としてストックホルムへ渡ったが、その際に肺結核を悪化させてしまい、帰国途中のアメリカで逝去してしまう。
その死は「日本スポーツの歩みを滞らせてしまった」とも語られた。
しかし「大森安仁子」という偉大な女性を日本に遺すことになる。
大森兵蔵の史料・文献・書籍
オリンピック式陸上運動競技法
『野口源三郎 遺稿集』
1,576ページにバスケットボール、1,580ページにバレーボールについて、それぞれのスポーツが大森兵蔵によってどのように渡来したのか解説されている。
大森兵蔵 追悼会
1913年:大正2年 3月22日の朝日新聞記事。
記事タイトルは「黒紗の未亡人 大森兵蔵氏 追悼会」。
ストックホルムオリムピック大会報告会を兼ねた「大森兵蔵追悼会」が行われた。
司会は
永井道明。
嘉納治五郎、
三島弥彦、
金栗四三からストックホルムオリムピックでの戦況報告がなされた。
そして
大森安仁子はこの会で、日本に残り、夫・大森兵蔵の遺志を継ぐことを宣言したという。
(まだまだ追記します。)
関連人物
関連項目
大日本体育協会
ストックホルムオリンピック
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最終更新:2020年03月03日 21:40