前畑秀子:「いだてん~オリムピック噺~」
演:上白石萌歌
神宮プールのこけら落としで開催された「極東大会」の平泳ぎで日本新記録を打ち立てた、若干16歳の少女。
名古屋の豆腐屋に生まれたが、両親を早くに亡くしてしまう。
それでも「椙山女学校」の校長の計らいで学校に通いながら水泳を続けていた。
やがて「ロサンゼルスオリンピック」に代表選手として選ばれ、銀メダルを獲得する。
しかし、それは「水泳選手・前畑秀子」の人生の始まりであった。
史実での「前畑秀子」
日本女性初のゴールドメダリスト。
アナウンサー「
河西三省」による「
前畑がんばれ!!」の名実況と共に有名となっている。
「いだてん」では河西三省による実況と共に、
- 東京市長・永田秀次郎からの叱咤激励
- 1日に二万メートルもの距離を泳ぐ猛練習
- 親が枕元に立つ(改変あり)
- ベルリンオリンピック決勝戦前に御守りを飲み込む(改変あり)
など、その過酷なオリンピック水泳選手としての人生が綴られた。
その一方で「オリンピックのメダルと結婚、どっちも手に入れた日本で初めての女性」であったことなど様々な逸話が省略されているので、書籍や映像などで「前畑秀子の人生」を読んだり観たりする事をお勧めする。
前畑秀子の史料・文献・書籍
文献検索の時の注意
『前畑ガンバレ』
両親を亡くし、校長たちの支援により競技生活を続け、ロサンゼルスオリンピックに出場し銀メダルを獲得。しかし永田秀次郎や多くの日本人に叱咤激励されてしまい戸惑うも、枕元に立った母親の言葉により「頑張るんだ!!」という言葉と共に一転奮起。1日二万メートルもの猛練習の末、ベルリンオリンピック代表となり、プレッシャーに堪えつつも御守りを飲み、ゲネンゲルとの戦いの後、金メダルを獲得した。
これらの内容により、「いだてん」第36話「前畑がんばれ」を始めとした「前畑秀子物語」の基となったと考えられる。
その一方で「いだてん」では省略された、椙山女学校での支援の詳細な話や他の兄弟たちの話(特に大変だったのは長兄であったそうな)
そして「
鶴田義行」との逸話が綴られている
ていうかこれが「いだてん」ツルさんに対する「憧れ片想い」の元ネタなんじゃね?説をですな(・ω・)
『婦人公論』手記「泳いで、泳っで、泳ぎぬいて」
『文藝春秋』特別再録「オリンピックの英雄たち」
そしてこの中で兵藤秀子こと前畑秀子の、ロサンゼルスとベルリンでの思い出話が語られている。
そして中編の終盤(有料部分)にベルリンオリンピックと河西三省の談話が載っている。
更に言えば
意外な人物が意外な形で登場するので、一読をお勧めする。
(まだまだ追記します。)
関連人物
関連項目
ロサンゼルスオリンピック(1932年)
ベルリンオリンピック
東京オリンピック(1964年)
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最終更新:2020年02月23日 20:47