嘉納治五郎:「いだてん~オリムピック噺~」

演:役所広司

「講道館柔道」の創始者。即ち「柔道の父」。
「いだてん」では教育者として「日本に体育とスポーツの概念を広めた功績」と
日本人初、アジア人初のIOC委員として日本に「『オリンピック』の概念と精神」を広め定着させた人物として語られる。

また「金栗四三」が入学した「東京高等師範学校」の校長。
四三が「日本人初のオリンピック選手」となった事で「金栗四三の人生の師」となり、
IOC委員として「日本にオリンピックを持ち帰る」ために行動し、その姿を見せる事で「田畑政治の師」ともなる。
「二人の主人公」金栗四三、田畑政治に並ぶ「物語の軸となる、主人公以上の『超重要なオジサン』」として扱われた。

そして人並み外れた情熱で常に「極論」をぶっ放しては周りを翻弄し、
また人並み外れたユーモアとチャーミングさ故のカリスマ性で周りの人たちを引っ張っていく。
その一方で借金とか金銭感覚の緩さなど、あまり大っぴらにされて欲しくない事まで広まってしまってしまった訳なのだが。

また「最後の最後までOPの大トリを務める」事になる。
一体全体どういう事なんです?(笑汗)

史実での「嘉納治五郎」

上記の通り「講道館柔道」の創始者として「柔道の父」と呼ばれ、
教育者として日本に体育とスポーツを広めた「日本の体育の父」もしくは「日本のスポーツの父」と呼ばれる人物。
嘉納治五郎 - Wikipedia
嘉納治五郎師範の教え | 講道館

そしてそれが故に基本的に「柔道家」、もしくは「教育者」として「真っ当な部分」でしか語られず、その人となりについてはあまり語られる事はなかった。

実は「日本のオリンピック」に多大なる貢献をした事が語られる事も珍しく、
「いだてん」はその「珍しい作品」の一つとなった。
嘉納治五郎と日本のオリンピックムーブメント| オリンピックの歴史|スポーツ歴史の検証

嘉納治五郎の史料

上記の通り、「柔道」もしくは「教育」に関するモノが多めであり、人となりを著したモノはそんなに見当たらない。
「いだてん」において「史実での口癖」と言われている「そこだよそこ!!」も、私はソースを見たことが無かったりする。
なので情報下さい。

また国会図書館デジタルコレクション他、図書館及び新聞では、「嘉納治五郎」や「大日本体育協会」などの文献を中心に読んでいく予定です。


関連人物

金栗四三
永井道明 可児徳 野口源三郎
岸清一 武田千代三郎
徳三宝

田畑政治
東龍太郎 松澤一鶴
平沢和重

関連項目

大日本体育協会
東京高等師範学校

ストックホルムオリンピック
アントワープオリンピック
パリオリンピック(1924年)
アントワープオリンピック
ロサンゼルスオリンピック(1932年)
ベルリンオリンピック
幻の東京オリンピック(1940年)

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最終更新:2020年03月03日 02:27