第229話 レスタン領撤退
1485年(1945年)2月22日 午後8時 レスタン領フランジェムド
レスタン領軍集団司令官である、ルィキム・エルグマド大将は、2日前より、新たに司令部となったフランジェムドの旧村長宅の窓辺から、
玄関先に馬車が駆け込んでくる様子をじっと見つめていた。
馬の鳴き声と共に、車輪のきしみ音が聞こえた後、ドアをノックする音が聞こえた。
「入れ!」
エルグマドは、ドアの向こう側に居る人物に向けてそう叫んだ。
ドアが開かれるや、耳障りなきしみ音が司令部の中に響き渡る。
「司令官閣下。予定より遅くなり、申し訳ありません。」
前線視察より帰還して来た、軍集団作戦参謀ヒートス・ファイロク大佐は、予定の時刻に間に合わなかった事を詫びながら、エルグマドに敬礼する。
「ご苦労。待っていたぞ。」
エルグマドは答礼しながら、ファイロク大佐に労いの言葉をかけつつ、自らも椅子に腰を下ろした。
「まずは座りたまえ。みな、君の報告を待っておるぞ。」
エルグマドの側に座っていた主任参謀長のヴィルヒレ・レイフスコ中将は、ファイロク大佐に、空いている席に座るように促した。
「主任参謀長、そこは兵站参謀の席ですが……」
「兵站参謀は体調を崩して寝込んでおる。彼が起きるまで座っていても問題はあるまい。」
「そうですか……」
ファイロク大佐は、複雑そうな顔つきを浮かべつつも、軽く頷きながら席に座った。
「それでは、報告をさせていただきます。」
彼は、室内に集まっている幕僚達の顔を見回しながら、説明を始める。
「東部戦線の状況ですが、現在は第20石甲軍が、壊滅した第22石甲軍の残存兵力を組み込み、ここ、フランジェムド南方9ゼルドにある
ウィリブハウト付近で、依然健在である第16軍の残存部隊と共に、防御線を構築しております。ただ、バイスエの第59軍を撃退した
バルランド軍と、ファブスード南方で停止しているアメリカ軍が再び前進を開始する恐れがあります。ウィリブハウト、ファブスードの防御線は
何分、急造であるため、敵の攻勢に十分耐えきれるとは思えません。もし、敵が前進を再開した場合、我が方は再び大損害を受ける恐れがあります。
ここは、展開する部隊を再び下げ、山岳地帯のあるファラストラ近郊まで、戦線を引き下げた方が宜しいかと、私は思います。」
「作戦参謀は第20石甲軍が受け持っている前線で2日ほど、戦闘を観戦したようだが……報告にあった通り、やはり、戦力は不足していたのか?」
「はい。前線の石甲兵力の不足は深刻です。」
レイフスコの問いに、ファイロクは淀みなく答えた。
「第20石甲軍は現在、第56軍団と第32軍団に加え、壊滅した第22石甲軍の3個師団を編成に加え、計5個師団並びに、2個旅団で敵と
戦っております。編成上はほぼ、1個軍団半に匹敵する物ですが、実際の戦闘力はそれ以下です。」
ファイロクは、鞄から紙を取り出して、それをレイフスコとエルグマドに見せた。
「第20石甲軍の昨日現在の編成表と、各師団の戦力図です。戦力数に関しては大雑把ではありますが、実情はそれに近いと、ライバスツ閣下は
言われております。」
レイフスコとエルグマドは、しばしの間、ファイロクが渡した紙を見つめた後、一様に頭を抱えてしまった。
「閣下。この戦力では、連合軍の攻勢を支え切る事は不可能ですな。」
「……第20石甲軍の消耗率は、予め予測はついておったが、まさか、これほどまでとはのう。」
第20石甲軍は、敵の攻勢作戦開始当初から今日まで、前線で戦い抜いて来た部隊であり、決戦開始当初は4個石甲師団と1個石甲歩兵師団
(通常の歩兵師団の編成に輸送用キリラルブスと、戦闘用キリラルブスを2個大隊加えた物である。)、1個石甲機動砲兵旅団が編成に
加わっていた。
だが、連戦続きで各隊は消耗を重ね、今となっては、元々、編成に加わっていた部隊が第173石甲師団、第82石甲歩兵師団、第72親衛石甲師団、
第202石甲師団の4個師団しか残っていない。
第123石甲師団と第68石甲機動砲兵旅団は、共に損耗率が6割を超えて潰滅状態に陥り、残存部隊は各師団に分散して編入され、この
2個部隊は編成図から消えていた。
第20石甲軍は、この4個師団に、第22石甲軍から回されて来た第120石甲師団と第108石甲機動砲兵旅団を戦列に加え、連合軍と戦っている。
書類上では強力な野戦軍ではあるものの、実情は強力とは言い難い物である。
第20石甲軍の各石甲師団は、戦闘可能なキリラルブスが、良くて60台、酷い場合には30台しか無く、第20石甲軍全体のキリラルブス数は
計300台足らずである。
ちなみに、通常の石甲師団は、戦闘キリラルブス主体の石甲連隊を2つ有しており、1個連隊は144台、師団全体では288台もの
キリラルブスが与えられていた。
だが、第20石甲軍は、軍全体保有キリラルブス数が通常の1個師団分程度という状態に陥っている。
交戦開始前は、第20石甲軍だけでも1300台以上の戦闘キリラルブスを有していたのだが、米軍の新鋭戦車パーシングの出現と、依然として
強力な楔形隊形の破壊力。そして、連合軍航空部隊の呵責無い猛爆撃の前に、この大キリラルブス軍団は瞬く間に消耗して行った。
キリラルブスの損害は、激戦に告ぐ激戦で潰滅に至った第22石甲軍や、他の師団の石甲部隊の物も含めると、2000台は下らないと言われ、
ある兵站将校は、戦闘キリラルブスのみならず、戦場で撃破、または放棄された砲兵型キリラルブスや、輸送キリラルブスといった支援用の
石甲兵力も含めた場合、損害は3000の大台をも突破するのでは、と漏らしたほどである。
魔法の応用技術のお陰で、キリラルブス等の快速兵器を大量に生産できる環境を整えたシホールアンルといえど、僅か1ヵ月余の期間で、これほどの
大量喪失を埋めるにはかなりの時間が掛かる。
早期生産体制が確立された今の時期でも、この損害から立ち直るには、早くても3カ月はかかるであろう。
また、それ以上に手痛いのが、熟練したキリラルブス搭乗員や兵員を大量に牛無かった事だ。
今回の防衛戦で、レスタン領軍集団は、総兵力75万のうち、死傷者・行方不明者40万名という大損害を出しており、損害40万名の内、戦死、
捕虜といった純粋な損失人員だけでも20万以上に上っている。
この中には、かつて、レスタン領西部方面軍の中核戦力として期待されながら、壊滅的打撃を被った第2親衛石甲軍も含まれている。
「東部戦線の軍で一応の戦闘が可能なのは、第20石甲軍と第16軍、第17軍の3個軍のみ。第14軍は全滅し、第18軍は本国に後退中です。」
レイフスコが、沈痛な声音で言う。
「敵にも、大損害を与えている事は確かなのですが……やはり、制空権を敵に抑えられている以上、現状では全部隊壊乱という事態に陥って
いないだけでも、まだマシと言える方です。」
ファイロク大佐も、声音を沈ませながらそう言った。
「たった数年で、我が軍の装備は飛躍的に進歩した物じゃが……それでも、あちこちで敗走してしまうとはのう。」
エルグマドは、深いため息を吐きながら、頭を振った。
「4日前に、ハタリフィクを放棄して、このぼろ屋に司令部を移したが……もしかすると、近い内に、このぼろ屋からも出て行くことになるかもしれん。」
「あの時は、ハタリフィク近郊にも、敵の偵察隊が出没しておりましたからな。」
魔道参謀のフーシュタル中佐が、渋い表情を浮かべながら言う。
彼らが司令部を構えていたハタリフィクは、今から4日程前から敵の偵察隊が現れるようになった。その頃には、戦線もハタリフィクから
5ゼルド南にまで迫っており、エルグマドはやむを得ず、司令部の移転を命じた。
ハタリフィクは、移転から2日後の2月20日に、ミスリアル軍第1軍によって占領された。
「確か、後衛部隊の話では、ハタリフィクの中央庁舎にはミスリアルの旗が翻ったそうです。」
「ハタリフィクを占領したミスリアル軍は、第14軍の包囲殲滅に多大な貢献をしたそうだな。」
「はい。そのミスリアル軍も、アメリカ製の戦車や装甲車等で、完全に機械化されています。北大陸に侵攻して来た南大陸連合軍は、今や、ほぼ全てが、
米国製兵器のお陰で機動力、攻撃力、共にアメリカ軍並みとなっています。そればかりか、5日前には、ミスリアルの識別マークを付けたエアラコブラが
前線に現れ始めています。ミスリアル軍は、戦線に大量のエアラコブラを動員しているとの情報が入っておりますから、我が軍と連合軍の航空戦力の差は、
これで更に広まったと考えられます。」
「増え続ける敵航空部隊。しかし、わしらが動かせる航空部隊は、もはや多くは無いからのう……」
エルグマドの悲しげな一言に、質素な作りの作戦室内の空気がより一層重くなる。
レスタン領軍集団の配下にある航空部隊は、敵の攻勢開始前までには約3000ほどの戦力を有していたが、今では、使える戦力は1200しか無い。
それに対して、推定される連合国軍側の航空戦力は、作戦中にも頻繁に増強重ねた影響で、陸上基地の物だけでも、約4000機。
これとは別に、レスタン領沖には、1000機前後の航空戦力を有する大機動部隊が控えている。
単純に計算しただけでも、シホールアンル側航空部隊は約4倍もの敵航空部隊相手に戦っている事になる。
そして、シホールアンル側航空部隊の数は、断続的に本国からの応援が来ているにもかかわらず、その戦力は、減りこそはすれど、増えた事は1度も無かった。
レスタン領の航空部隊は、2月初め頃までは、制空権を奪われつつある物の、敵地上部隊に波状攻撃を仕掛けたりする等、まだ活発に動けた
時期もあった。
だが、シェリキナ連峰周辺の航空部隊が2月8日に、レスタン領北部に完全撤退を行った頃から、レスタン領上空の戦力バランスは一気に連合軍にへと
傾き、2月15日には、連合軍側が更に航空兵力を増派した頃から、制空権は連合軍側が握るようになった。
連合軍側には、新編されたばかりのミスリアル陸軍航空隊のP-63キングコブラ180機を始めとし、約600機が新たに投入されており、
これらの航空部隊は、シホールアンル軍航空部隊は勿論の事、地上部隊に対しても容赦の無い航空攻撃を加え続けた。
2月18日には、ケルフェラク隊やドシュダム隊で編成された飛空挺部隊も、部隊損耗率7割という壊滅的打撃を受け、再編成のために本国へ後退
したばかりか、20日には、西部方面のワイバーン部隊が、本国から送られて来た200騎の増援部隊共々、米機動部隊の波状攻撃を受けて壊滅し、
翌日にほぼ同様の攻撃を受けて、遂に第10空中騎士軍が壊滅した。
シホールアンル軍は、地上のみならず、空の上でも危機的状況に陥っており、このままでは、空の上に飛ぶ物は、連合軍の航空機やワイバーン
のみになるのも、そう遠くは無いと思われていた。
(部隊によっては、ここ1週間、連合軍機しか見ていないという所もあるほどだ)
「閣下。本国の司令部では、最低でも4月まではレスタン領の防衛に徹せよとの命令が、再三再四に渡って届けられております。しかし、現状では、
4月まで我が軍集団が領内に踏みとどまる事は、難しいかと思われます。」
ファイロク大佐が、遠慮の無い口ぶりで言う。
少し前までは、ここでレイフスコ中将が異論を唱えるのが常である。
だが、この1ヶ月間でこの戦争の真実を学び、疲れ果てたレイフスコは、もはや、それを行う気力を残していなかった。
逆に……
「私も、作戦参謀の言われる通りかと思います。」
犬猿の仲でもあったファイロクの意見に同調する程、レイフスコの意識は大きく変わりつつあった。
「本国では、新たに編成した第6親衛石甲師団と、再編中の部隊を石甲師団化して編成した2個軍をレスタン領に送り込むと言っておりますが、
制空権の無いこのレスタン領では、いくら増援を送り込んでも、敵航空部隊の餌食になるだけです。我々の部隊が、ここ1カ月の間、敵の空陸
一体攻撃の為に、どれだけの戦力を失ったのか………本国の連中は理解していないのでしょうか。」
「主任参謀長が言っておる通りじゃな。」
エルグマドは、眉間にしわを寄せながら頷く。
「少なくとも、防衛用の航空部隊が多数布陣している本国南部や、ヒーレリ領まで後退できれば、航空戦力の差は縮められるのじゃが……レイフスコ
の言う通り、上層部はそれを理解しておらんのだろう。」
「本国上層部は、属国をまた1つ失う事を懸念しているのではないですかな。我が帝国は、この戦争で得た領土の多くを、敵に奪われておりますから。」
魔道参謀がそう言うと、レイフスコは不快な表情を浮かべた。
「本国ならまだしも、居ても、何ら自由に活動する事が出来ぬ土地のために、まだ使える30万以上の兵を張り付かせると言うのか。
上の連中がそう考えておるのならば、我が軍集団は、ただ、上のメンツを立てる為に死ねと言われている様な物だぞ……!」
彼は、自分達に不利な事を知りながら、このレスタン領に踏みとどまれと言い張る上層部に怒りを感じていた。
「閣下!このまま、レスタン領に居座り続けるのは考え物です。我々は、今すぐにでもここから出て、首都の暖炉でぬくぬくとしておる連中を
無理矢理にでも、この現場に連れて来るべきです!」
「まぁ主任参謀長、君の気持は分からんでもないが、まぁ、落ち着け。」
エルグマドの落ち着いた口調で宥められたレイフスコは、知らず知らずのうちに、自らが興奮している事に気が付いた。
「ハッ!私とした事が……閣下、勝手な事を申し上げてしまい、お詫びを申し上げます。」
「いや、良い。」
エルグマドは手を振りながら返す。
「君と同じ事をわしも思っておる。もし、君が言っていなかったら、今頃はわしが怒声を上げながら喚き散らしていただろう。」
彼はそう言いながら、心中では、レイフスコはすっかり変わってしまったと思った。
レイフスコ中将には、1人息子が居た。
その1人息子は、子供の頃から魔法使いに憧れていた。レイフスコは、努力家である息子を大切に育て上げ、遂に、念願の魔道士養成
学校に入学し、優秀な成績を収めて学校を卒業した後は軍人になる事を決め、20歳の頃に第73魔法騎士師団に入隊した。
その1年後、第73魔法騎士師団は、第3親衛石甲師団に改編され、息子はキリラルブスの操縦員に抜擢されている。
そして、2月14日。息子は、ミルスティーズ回廊を巡る攻防戦の際、窮地に陥る味方部隊を援護するため、たった4台のキリラルブス
を率いて戦地に向かったまま、帰らぬ身となった。
その時から、レイフスコの中で何かが変わり始めた。
最初は、ちょっとした変化であったが、レイフスコは次第に、無謀な攻撃命令を送る司令部に対してあからさまに批判する事が多くなった。
それから日が経った今日、レイフスコは、司令部内でも、エルグマドと同等か、それ以上かと思わる程に、本国嫌いになっていた。
エルグマドが、レイフスコの心情の変わり具合に驚いている時、唐突にドアが開かれた。エルグマドは、ドアの方向に顔を向ける。
「おお、リンブ少佐。体は大丈夫かね?」
エルグマドは、急病で倒れていた筈のリンブ少佐に向けて、心配そうな口ぶりで話し掛けた。
「ハッ。私が倒れた事で迷惑をかけてしまい、申し訳ありません。少しばかり休息を取ったお陰で、大分楽になりました。」
「そうか……このような時期だ。体調を崩すのも致し方ないが……体力が回復したのは良い事だ。ささ、空いている席に座りたまえ。」
エルグマドはそう言いながら、右斜めの席に座る様に促す。
いつもは末席に座っているリンブ少佐は、エルグマドのすぐ近くに座る事になって内心戸惑った物の、それを現す事無く、落ち着いた動きで席に座った。
「今、前線視察から戻って来たファイロク大佐の説明を聞いていた所だ。」
「はっ。大佐、よくぞご無事で。」
「……2度ほど、アメリカ軍機に襲われたが、何とか生き延びる事が出来たよ。その時、たまたま輸送用に改造されたキリラルブスに乗って居た
お陰で難を逃れられた。普通の馬車で移動している時に、アメリカ軍機に襲われていたら……今こうして、君と顔を合わす事は叶わなかっただろう。」
「ほう……アメリカ軍機に襲われたのかね?」
話を聞いていたレイフスコ中将が横から口を挟んで来た。
「はい。サンダーボルト3機に襲われました。乗っていた輸送用キリラルブスの乗員がなかなかの腕前で、彼らの好判断のお陰で空襲を切り抜ける事が
出来ました。しかし、サンダーボルトが裁断機の異名を取るのも納得です。運が悪ければ、私も、8丁の機銃の餌食になっていた事でしょう……」
「最近は、輸送用キリラルブスの武勇伝がよく耳に入って来るのう……兵站参謀。確か、輸送用キリラルブスの投入には、君も少しばかり関わって
いたと話していたな。」
「はい。普通の馬車では実現できぬ速さで、物資を運ぶ事が出来ますからな。前線用のキリラルブスも良いのですが、輸送用キリラルブスも充分に
揃える事が出来れば、前線に送れる物資も増えたのですが……」
リンブ少佐の声音が、次第に小さくなっていく。
レスタン領戦線では、武装を最小限に抑えた代わりに、機動力と物資運搬量を増強した輸送型キリラルブスが、少数ながら、試験的に西部戦線と
東部戦線に配備されている。
この輸送型キリラルブスは、西部戦線と東部戦線で目覚ましい活躍を見せており、つい最近では、壊滅した第4親衛石甲師団のキリラルブス乗り達を
救出して、敵から逃れたと言う、胸のすくような報告ももたらされている。
だが、各戦線で活躍するこの輸送用キリラルブスも、少数と言う事もあって様々な限界が生じていた。
「いかんせん、数が少なすぎる上、今では戦闘喪失も加わって、輸送用キリラルブスでもってしても、前線に遅れる物資の量は微量です。」
リンブは、エルグマドの目を見据えた。
「閣下。敵に制空権を握られている以上、このレスタン領には安全な場所はありません。そして、安全な輸送路も、交戦開始初期と比べて極めて
少なくなっています。最初の頃は、街道を堂々と行動していた輸送隊は、今では敵の空爆で掘り返された街道を通るか、空襲を恐れて、道なき道を
行くしか方法はありません。このままでは、近い内に前線の補給路は寸断されてしまうでしょう。」
「……兵站参謀。つまり、我がレスタン領軍集団は、長期に渡って敵を食い止める事は出来ぬ、と言う事だな?」
レイフスコ中将がすかさず聞いて来る。
「主任参謀長。今の補給能力では、長期どころか、短期……よくて、1週間まともに戦えれば良い方です。それも、これ以上、補給路が敵の爆撃を
受けない前提で。我が軍の補給部隊は、これ以上の爆撃や妨害に耐え切れません。」
「……我が軍集団の戦闘力が低下している事は明白なのに、それを知っている上で、この地方を維持しろとは……これほど、不本意な戦は、今までに
見た事も聞いた事も無い!」
リンブの説明を聞いたレイフスコは、内心でやりきれない怒りが湧き起こるのを感じた。
「参謀長閣下。私としても、甚だ不本意ではあります。しかし、このまま居残り続けても、我が軍集団が壊滅しては元も子もありません。本国の命令は、
連合軍にレスタン領と、疲弊し切った我が軍の2つをえさとして譲り渡すような物です。本国の考えはわかりかねますが、残った30万名以上の兵を
むざむざ失う様な事になれば、レスタン戦以降の戦いで、我が地上軍は、敵連合軍相手に、更に兵力差をつけられた状態で戦わねばなりません。」
リンブ少佐は、悲痛めいた口調でエルグマドに言う。
「………閣下。どうされますか?」
主任参謀長がエルグマドに聞いて来る。
「兵站参謀の説明はこのような物ですが、本国は本国で命令を発しております。我々としましては、既に意見は出尽くしています。後は……」
「わしの判断次第……そうだな?」
エルグマドは、レイフスコに目を向け、次いで、幕僚達全員に目を向けた。
「君達もそう思っておるな?」
エルグマドの問いに、幕僚達は頷いた。
「そうか………軍人は、命令に従うのが仕事じゃ。こう言う時こそ、シホールアンル軍人の意地と言う物を敵見見せ付けるべきだ。しかし……
そう思っていたのも、つい昔の事だ。答えなぞとうに決まっておる。」
エルグマドは、皆の顔を見回した。
「このような土地からはさっさと立ち去って、次に備えた方が良い。陸も空も、連合軍だらけの土地で戦うよりは、味方の多い土地で戦った方が
やりやすかろう。」
「では閣下……我が軍集団はレスタン戦線から撤退するのですな?」
レイフスコが、念を押すような口ぶりで聞いて来る。
「そう。撤退だ。前にも似たような事を言ったが、まだ補給路が生きているうちに、全部隊をレスタン領から引き揚げさせるのだ。」
エルグマドは、きっぱりとそう言い放った。
彼の命令は、幕僚達に伝えられた後、魔道参謀を通じて、直ちに全部隊に伝えられた。
それから1日、また1日と月日が過ぎて行く。
レスタン戦線は、エルグマドが苦渋の決断を下したその翌日から、再び降雪を伴う悪天候に戻り始めた。
最初はしとしとと降り注いでいた雪は、僅か1日で吹雪に代わり、アメリカ軍を始めとする連合軍各部隊の進撃は停止した。
その一方、シホールアンル軍は、この悪天候を隠れ蓑に全戦線で後退を開始。
悪天候下での後退作戦は、敗残兵同然のレスタン領軍集団にとって過酷な物であり、後退中、体力が尽きて脱落した将兵は実に1万名以上にも及び、
その7割は、後日、凍死体として発見され、残りは力尽きた所を、連合軍部隊に捕えられた。
後退中に少なからぬ犠牲を出したレスタン領軍集団だが、エルグマドは、この損害にはあえて目を瞑り、残存部隊には強行軍を命じて、後退を続けさせた。
2月27日には、天候は回復し始め、夕方頃までには吹雪は止み、再び、緩やかな降雪が始まった。
2月28日 午後3時 レスタン領エルトラム
第5親衛石甲師団独立石甲大隊第1中隊に所属するウィーニ・エペライド軍曹は、同じ中隊のキリラルブスと共に、レスタン=ヒーレリ領境から
1000グレル(2キロ)離れた寒村で待機していた。
「本当に……いつ見ても酷い……」
ウィーニは、後退して来る味方部隊を見つめながら、驚きの滲んだ口調で呟く。
「これが、戦闘開始前までは、威風堂々としていた精鋭部隊とは思えませんね。」
ウィーニの側に立っていた、射手のフィルス・バンダル伍長が感情のこもらぬ口調でウィーニに言う。
「あちらから見れば、あたし達も同じように見られているんだろうけど。」
彼女は自嘲気味に呟いた後、自ら操るキリラルブスに目を向けた。
ウィーニが操縦して来たキリラルブスは、奇跡的にも、今まで撃破される事無く激戦を潜り抜けて来た。
だが、キリラルブスの損傷具合は激しく、かつては傷1つ無かった石の体には、全身に砲弾の破片によって出来た傷や、機銃弾を撃ち込まれた後が
生々しく残っている。
このように、傷だらけのキリラルブスは、彼女の物だけではない。
第5親衛石甲師団は、生き残った40台のキリラルブスを集めて、独立石甲大隊を編成しているが、この40台のキリラルブスは、ウィーニが操縦して
いる物と同じく、全身に夥しい弾痕やヒビがあり、しかも、車体は全身が戦闘中の硝煙や、爆煙によって薄黒く彩られている。
第5親衛石甲師団最期のキリラルブス大隊に見送られながら、後退して行く将兵達もまた、軍服がぼろぼろになり、兵員輸送用のキリラルブスは負傷兵を
満載して、ゆっくりと後退して行く。
街道の両端を歩く将兵は、しっかりと隊列を作って歩いている。
彼らも、元は優秀な魔法使いでもあり、闇の代行人であり、この1ヶ月間、新式の携行型魔道銃を携えて、連合軍部隊相手に激戦を繰り広げてきた。
だが、その彼らもまた、凄惨な地上戦に疲れ果て、かつては威風堂々としたその姿も、今では見る影もない。
「俺達は、今後、どうなってしまうんでしょうか。」
バンダル伍長が呟く。
「第2親衛石甲軍は敵に叩きのめされ、師団の中核であるキリラルブス隊はほぼ壊滅状態。失った戦力は、俺達の師団だけでも半数近く……この状態から
元の状態に戻るまで、一体、どれぐらいの時間が掛かるのだろうか……」
「さあ……」
ウィーニは、首をかしげた。
彼女もまた、第5親衛石甲師団がどれほどの期間で再編できるのかが予測できなかった。
第2親衛石甲軍は、このレスタン領戦線で連合軍相手に善戦を重ねてきた。
2月1日の戦闘では、第2親衛軍の片割れでもある第1親衛軍団が連合軍部隊に包囲された物の、2月2日に包囲網を突破し、第2親衛軍団に合流した。
この包囲突破の際、第1親衛軍団は第6石甲旅団が壊滅的打撃を被った物の、軍団の中核戦力である2個石甲師団は敵陣を突破出来たため、1個軍団丸ごと
包囲殲滅に遭う危機は回避できた。
連合軍部隊は、航空部隊も使用して後退する第2親衛石甲軍を叩いたため、各部隊とも被害が続出し、これに追撃する敵機械化部隊が食らいつくという光景が
何度も繰り返され、犠牲を出しながらも追手を振り切って来た。
2月12日に起きたミルスティーズの攻防戦では、アメリカ海兵隊1個師団相手に第3親衛石甲師団所属の第332石甲化歩兵連隊が防衛戦を行い、1週間に
渡って重要拠点であるミルスティーズ回廊を守り続けてきた。
ミルスティーズ回廊は、ミルスティーズ高原を縫うようにして開かれた主要街道であり、ここにはアメリカ軍1個海兵師団が攻略に向かった。
第322石甲化歩兵連隊の将兵は、第314機動砲兵連隊と第315石甲連隊の支援の下に奮戦し、中盤では、元々得意としていた、召喚獣による敵部隊襲撃や、
暗殺術を駆使した奇襲攻撃を行い、アメリカ海兵隊を大いに苦しめた。
第322連隊の活躍は、勇猛を馳せた頃の魔法騎士師団の再来を思わせる物があったが、それも長続きはせず、圧倒的な航空戦力と機甲戦力を全面に押し出して
来たアメリカ軍の前には、ただの時間稼ぎにしかならなかった。
とはいえ、最終的に連隊は全滅し、第3親衛石甲師団自体も大損害を負ったものの、攻略に当たったアメリカ海兵隊1個師団はパーシング戦車を始めとする
装甲車両48両を喪失し、死傷者3400名という大損害を出していた。
ウィーニは知らなかったが、このミルスティーズ回廊攻略には、アメリカ第6海兵師団が投入されており、このちっぽけな回廊を巡る戦いは、後にアメリカ軍が
名付けた回廊の渾名、シュガーローフ・ヒルをもじって、シュガーローフ・ヒルの激戦として広く知られる事になる。
第2親衛石甲軍は、指揮下部隊の奮戦の甲斐あって、レスタン領から脱出する事に成功しつつあったが、第2親衛石甲軍で残っている編成上に部隊は、
第2親衛石甲師団と第3親衛石甲師団、第4親衛石甲師団と第5親衛石甲師団だけである。
残りの4個旅団は編成上から消失し、残りの4個師団も、損耗率は5割から7割という悲惨な状態に陥っており、第2親衛石甲軍は、名称こそ軍である物の、
実際の戦力は1個軍団程度しか無かった。
ウィーニの属する独立石甲大隊は、その敗走途上にある軍の後衛部隊として、1個石甲中隊と共に味方部隊の後退を見送り続けている。
ウィーニは、後退して行く味方部隊を見つめながら、バンダルに話し掛けた。
「バンダル。今、あたし達の目の前を通り過ぎて行く部隊はどこの隊かな?」
「時折、通り過ぎて行く兵員輸送キリラルブスに描かれているエンブレムからして、第511連隊の第3大隊の連中かもしれませんね。」
「第3大隊か。て事は、あと少しと言う事ね。」
ウィーニはやれやれといった口調で、バンダルに答えた。
「しかし、早く後退して貰いたい物です。少しでも雪が止むと、コルセアやサンダーボルトが襲って来ますからねぇ。」
バンダルはそう言った後、後ろで炎上している空き家や、その側でくすぶっている対空用キリラルブスや兵員輸送用キリラルブスに視線を向ける。
今から2時間前、第5親衛石甲師団はアメリカ軍機の空襲を受けていた。
僅かな晴れ間を利用して出撃して来た12機のコルセアからなる敵編隊は、後退中の部隊にロケット弾攻撃を見舞った。
ウィーニを含む後衛部隊に付いていた対空部隊がすぐに迎撃し、コルセア2機を撃墜したが、この空襲で兵員輸送用キリラルブス5台と対空キリラルブス2台、
荷台に対空兵器を搭載した馬車3台が破壊され、兵員24名が死亡、34名が負傷した。
コルセアは、ウィーニ達の独立石甲大隊にも押し寄せ、何度か機銃掃射を仕掛けたが、不幸中の幸いで、彼女達の部隊に損害は無かった。
「早いとこ、ここから逃げ出したいもんです。」
「……今は、待つしかないよ。」
不安げな口ぶりで言うバンダルに対し、ウィーニは相変わらず、冷たい声音で喋る。
「私達がここで待っている限り、彼らは安心して進めるんだから。」
「……台長の言う通りですね。」
バンダルは苦笑しながら、ウィーニにそう言った。
午後4時頃には、最後の部隊が彼らの待機地点を通過して行った。
独立石甲大隊と歩兵中隊は、それから1時間の間、脱落者がまだ通らないか待っていたが、その間、1台の輸送用キリラルブスが大慌てで通過して行った以外は
(正確には途中で立ち止まり、どこぞでくすねて来た酒や食糧を、ウィーニ達に分けてくれた)、1人の歩兵すら通る事は無かった。
「台長!」
キリラルブスの車内から通信手が顔を出した。
「大隊長より命令。後衛部隊はこれより、本隊の後を追うため、ヒーレリ領に向かう、との事です。」
「了解。バンダル、乗るわよ。」
「ふぅ、やっとですか。」
バンダルとウィーニは、伏せの形で待機しているキリラルブスの体によじ登り、ウィーニは台長席から、バンダルは横のハッチから内部に入って行った。
ウィーニは、台長席から上半身を出し、味方部隊が後退して来た方向を望遠鏡越しに眺めてみた。
「……敵らしき物は……居るね。」
この時、ウィーニは、南側に1つの怪しい影を見つけた。
ウィーニは望遠鏡の倍率を上げて、その影の正体を確かめる。
「4つの転輪に、戦車のような砲塔……スタッグハウンドか。」
彼女は、即座に敵と思しき物の正体を見抜いた。
スタッグハウンドは、カレアント軍が使用する装甲車だ。
元はアメリカ製の装甲車だが、カレアント軍が機甲師団を作る際に、アメリカから大量に供与されたと聞いていた。
カレアント軍は、このスタッグハウンドを主に偵察用に使用している。
ウィーニが見つけたスタッグハウンドも、偵察のために現れたのであろう。
「大隊長より通信。装甲車と思しき敵影を発見。各隊、これに警戒しながら後退に移れとの事。」
「了解。」
ウィーニは即答する。
彼女は小声で呪文を唱え、キリラルブスに意識を繋げる。
脳裏で、キリラルブスが稼働状態に移るのを感じた後、ウィーニはキリラルブスを前進させた。
むっくりと石の巨体が起き上がるや、街道をゆく味方部隊にウィーニのキリラルブスは続行して行った。
午後5時40分 第5親衛石甲師団の後衛部隊は、レスタン領からの脱出に成功した。
ウィーニらの属する後衛部隊は、レスタン領軍集団の所属部隊では最後に離脱した部隊となり、シホールアンル軍はこの時を持って、
レスタン領からの完全撤退を果たす事になった。
2月28日の完全撤退までに、レスタン領軍集団は総兵力75万名中、41万もの死傷者、並びに捕虜を出し、喪失したワイバーン、飛空挺は
1600騎にも上った。
また、レスタン領駐留軍の援護のため、バイスエより出撃した1個軍も、バルランド軍第62軍と激戦を展開した末に大損害を受けて撃退されている。
こちらの被害は戦死者7800名、負傷者は12000名にも及んだ。
一方、連合国軍側の損害も少なくなく、総計で20万名以上もの死傷者を出していた。
両陣営で60万以上もの死傷者を出したレスタン戦線は、エルグマドの決断によって幕を閉じる事となった。
戦後、大多数の戦史家は、まだ戦力のあったレスタン領軍集団の撤退を高く評価しているが、それは、遠い未来の話である。
1485年(1945年)3月2日 午前8時 カリフォルニア州サンディエゴ
この日の天候は、雲の少ない良く晴れた日であった。
アイオワ級戦艦の5番艦として完成した戦艦モンタナは、昨年の10月から2月の23日までに行われた慣熟訓練を修了した後、第58任務部隊
第4任務群への配備を命ぜられた。
3月2日午前7時、モンタナはTG58.4の所属艦となる戦艦ウィスコンシンとエセックス級空母のキアサージ、大西洋艦隊より回航されて来た
空母ベニントンと、ボルチモア級重巡洋艦のメーコン、クリーブランド級軽巡洋艦のコッツビュー、ウィルクス・バール、そして、最新鋭の駆逐艦で
あるギアリング級駆逐艦のネームシップ、ギアリングと、2番艦ベレイス・ヒューリック、アレン・M・サムナー級駆逐艦6隻と共に、サンディエゴ基地を
出港した。
戦艦、正規空母を主力とする15隻の艦隊は、輪形陣を組んだまま、16ノットの速力で一路、マルヒナス運河へ向かいつつあった。
戦艦モンタナ艦長ジョシュア・ラルカイル大佐は、艦橋の後ろ側にある張り出し通路から、輪形陣を組む味方の艦艇に見入っていた。
「艦長、こうして見ると、胸が躍るものだな。」
モンタナ、ウィスコンシンで編成される第9戦艦戦隊司令官であるハワード・ベンソン少将がはにかみながら、ラルカイル艦長に話して来た。
「司令の言われる通りです。僅か、空母2隻を主力とする小艦隊ですが、空母は新鋭のエセックス級。それに、護衛艦も最新鋭艦ばかりです。
先のレーミア沖海戦で我が太平洋艦隊は大損害を受けましたが、この艦隊を見ていると、そのような損害など、嘘のように見えますな。」
「うむ。これぞ、合衆国の力技だよ。」
ベンソン少将は満足気に言い放った。
戦艦モンタナ艦長を務めるジョシュア・ラルカイル大佐は、元々は軽巡洋艦サヴァンナの艦長であったが、同艦が戦没した後は、ボルチモア級重巡洋艦の
ボストンの艦長を務めていた。
昨年の10月から戦艦モンタナの艦長に任じられ、彼はその時から、猛訓練を課して乗員達を鍛えつづけた。
訓練の甲斐あって、モンタナは訓練終了予定日よりも1ヵ月以上も早い、2月23日に慣熟訓練を修了し、その翌日、モンタナは太平洋艦隊に編入された。
「艦長!」
ラルカイル艦長は、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこには、モンタナの砲術長を務める士官が、自信に満ちた表情を浮かべていた。
「主砲塔の点検完了。異常ありません!」
「よし、万事順調だな。」
ラルカイル艦長は、モンタナ砲術長であるジョシュア・ラルカイル中佐にそう返した。
実を言うと、艦長と砲術長は、共に、ジョシュア・ラルカイルという姓名を持っている。
2人のジョシュア・ラルカイルは、同時にモンタナに乗り組んでいるが、同姓同名である2人は、最初の間はかなり混乱した。
だが、2人の名前は、一見すると全く同じに見るが、姓名の間に入るミドルネームは違っていた。
艦長の方は、ジョシュア・“フレデリック“・ラルカイル。
砲術長の方は、ジョシュア・“ウィリスティル“・ラルカイルとなっている。
2人のラルカイルは、ファーストネーム呼ぶにも同じであるため、仕方なく、ミドルネームで呼ぶようになった。
元々、互いに人懐こい2人は、共に巡洋艦乗り出身(ウィリステルは軽巡クリーブランドに乗り組んでいた)という事もあってすぐに意気投合し、
乗員達からはまるで兄弟のようであると言われるほど、命令を出すタイミングも、受けるタイミングもぴったりであった。
また、当初はこの姓名が同じである艦長と砲術長をどう呼ぶかで苦悩していたモンタナの乗員達も、艦長を呼ぶ場合はフレディの方を、砲術長を
呼ぶ場合はウィリスの方を、という具合で区別を付けたため、問題視されていた命令伝達もスムーズに行われるようになった。
「おお、ラルカイル兄弟が集まったな。」
キャラガン少将は陽気な口調で、2人のラルカイルに言った。
「いやいや、司令。私達は別に兄弟ではありませんよ。艦長はニューヨーク生まれですが、私はワシントン州生まれです。それに、背も
艦長の方が大きいですぞ。」
「体重は砲術長の方がやや重いがな。」
咄嗟の掛け合いを見つめていたベンソンは、屈託の無い笑みをこぼした。
「うむ!なかなかいいコンビだな。これなら……赤さびWの仇も取ってくれそうだ。」
「はい。必ずや、シホールアンル軍の新鋭戦艦を討ち取って見せます。」
ウィリス・ラルカイル中佐が明瞭な口調でベンソンに言った。
ベンソン少将は、以前は赤さびW……BB-56ワシントンの初代艦長として就任し、第2次バゼット海海戦から、44年9月のサウスラ島沖海戦まで
艦を指揮して来た。
ベンソンにとって、戦艦ワシントンは思い入れの深い船であったが、そのワシントンは、1月23日のレーミア沖海戦で、敵新鋭戦艦相手に奮闘するも
大損害を受けた。
ワシントンは、海戦終了後はまだ浮いていたが、損害は深刻であり、最終的にはレーミア湾沖に座礁している。
先月から、海軍工廠より派遣された技術者が、座礁したワシントンを浮揚修理できぬか調査した物の、ワシントンは、艦深部の機関室に致命的な
ダメージを追っている他、船体部分にも大損傷を負っていたため、修理不能と判断された。
ワシントンは、レスタン領から最期の部隊が撤退したその日の内に喪失判定が下され、ベンソンは、長い間、馴染みの乗員達と苦楽を共にした
ワシントンの最期を酷く悲しんだ。
だが、彼にとって、悪い事ばかりが起きている訳では無く、ベンソンは、ワシントンを凌ぐ巨艦、モンタナとウィスコンシンを率いる事が出来ている。
彼は、いつの日か、ワシントンを葬ったシホールアンル海軍の戦艦部隊と再び相まみえる事を、心の内で強く望んでいた。
「ウィリス、他に何かないか?」
「いえ、特にありません。では、自分はこれで失礼いたします。」
砲術長はそう言うと、2人の元から離れて行った。
ベンソンはしばらくの間、洋上を眺めていたが、この時、彼は何かを思い出し、ラルカイル艦長に声をかける。
「艦長。そういえば、このモンタナは、前の4隻とは違って変わった物が取り付けられたと聞いているが。」
「バルバスバウの事ですな。」
ラルカイル艦長は答えた。
「モンタナは建造中に、試験的にバルバスバウが取り付けられています。モンタナの建造には、元日本の海軍工廠で働いていた技術者が加わっておりまして、
何でも、従来の物と違って、艦船の航行性能を安定させる効果があるようです。私は最初、艦首の喫水部を丸く加工したら、逆にスピードが落ちてしまのでは
ないかと思いましたが、実際は違いました。」
彼は、右手の人差し指を下に向けながら説明する。
「バルバスバウは、通常の船首形状では常に付き物の造波抵抗を生んでいましたが、バルバスバウは、設定どおりの喫水ならその造波抵抗を減少する効果が
あるので、船の航行もスムーズに行けるようになります。このモンタナは、従来のアイオワ級4隻では30.5ノットしか出せなかった速度が、バルバスバウの
お陰で31.5ノットという最高速度叩き出す事に成功しています。」
「31.5ノットか。アラスカ級には及ばんが、それでも充分高速と言えるな。」
「もっとも、公式にはモンタナも、あとから出て来るイリノイ、ケンタッキーも、30.5ノットしか出せぬ事になっていますが。」
ラルカイル艦長は苦笑しながら、ベンソンに言った。
「という事は、バルバスバウに関する速力向上の事は機密、という事か。」
「そうなりますな。しかし、このモンタナは大したものです。私は先日、ニュージャージーから異動して来た乗員に乗り心地はどうかと話したのですが、
意外にも、ニュージャージーよりも揺れが穏やかで、特に荒天時の航行性能は、アイオワを始めとする初期型よりも良いらしいです。」
「モンタナ以降は、初期型でも指摘された、両用砲弾庫回りの防御も改良されたようだな。そのせいで、モンタナ、イリノイ、ケンタッキーは、重量が
500トンほど重くなっていると聞く。重量が増したお陰で、安定性も向上したのかもしれないな。もともと、アイオワ級自体は全幅が最大36.2メートルと
広い方だ。原案通りに行っていたらちょいとばかり不満の残る船になっていただろうが、改定案通りに行った当初は、かなりの良戦艦として褒め称えられ、
実戦では期待通り……いや、期待以上の成果を出している。だが、問題は無くなっていた訳では無かった。」
「確かに。初期型4隻もいい船ですが、それでも、荒天時の航行性能にはやや難がありました。それをほぼ無くしたモンタナは、合衆国戦艦の中で最も
優良な戦艦と言えるでしょうね。」
「うむ。問題は、これからになるな。」
ベンソン少将はそう言いながら、僚艦ウィスコンシンに目を向ける。
「あそこのウィスコンシンは、レーフェイル戦線で敵新鋭戦艦を撃沈し、ゾンビの大群を吹き飛ばした猛者だが、このモンタナには、ウィスコンシンのように
実戦での戦歴が無い。無論、乗員達の錬度は素晴らしいが、古参達が教えて来た戦技が、実戦ではどのように発揮されるか。私としては、少し不安だな。」
「司令のおっしゃる通りです。」
ラルカイル艦長は頷いた。
「ですが、私は、このモンタナの乗員達を信じております。乗員達の大半は、確かに新米でありますが、彼らも、5か月に渡る慣熟訓練をこなして来ています。
実戦でも、彼らは期待にたがわぬ成果を残すでしょう。大丈夫、問題はありません。」
彼は、自信に満ちた口調で、そう言った。
「そうか。なら、私も不用意に不安がる事は無いな。」
ベンソンは、陽気な口調でラルカイル艦長に言う。
「そういえば、来月には6番艦イリノイも就役する頃だな。」
「5月にはケンタッキーも戦力化されます。その前に、4月に戦力化されるイリノイの他にも、エセックス級空母の19番艦レイク・シャンプレインと
20番艦モントレイⅡ、そして、期待の空母リプライザルも就役しますな。」
「最新鋭の重巡や軽巡も続々と就役して来る。今年も、太平洋艦隊は派手に暴れられるぞ。」
ベンソンは自信ありげな口ぶりでそう言った後、空を見上げた。
モンタナを始めとする、新編TG58.4の上に広がる青空は、どこまでも大きく広がっている。
その透き通るような青空は、まるで、モンタナの征途を祝福しているかのようであった。
1485年(1945年)2月22日 午後8時 レスタン領フランジェムド
レスタン領軍集団司令官である、ルィキム・エルグマド大将は、2日前より、新たに司令部となったフランジェムドの旧村長宅の窓辺から、
玄関先に馬車が駆け込んでくる様子をじっと見つめていた。
馬の鳴き声と共に、車輪のきしみ音が聞こえた後、ドアをノックする音が聞こえた。
「入れ!」
エルグマドは、ドアの向こう側に居る人物に向けてそう叫んだ。
ドアが開かれるや、耳障りなきしみ音が司令部の中に響き渡る。
「司令官閣下。予定より遅くなり、申し訳ありません。」
前線視察より帰還して来た、軍集団作戦参謀ヒートス・ファイロク大佐は、予定の時刻に間に合わなかった事を詫びながら、エルグマドに敬礼する。
「ご苦労。待っていたぞ。」
エルグマドは答礼しながら、ファイロク大佐に労いの言葉をかけつつ、自らも椅子に腰を下ろした。
「まずは座りたまえ。みな、君の報告を待っておるぞ。」
エルグマドの側に座っていた主任参謀長のヴィルヒレ・レイフスコ中将は、ファイロク大佐に、空いている席に座るように促した。
「主任参謀長、そこは兵站参謀の席ですが……」
「兵站参謀は体調を崩して寝込んでおる。彼が起きるまで座っていても問題はあるまい。」
「そうですか……」
ファイロク大佐は、複雑そうな顔つきを浮かべつつも、軽く頷きながら席に座った。
「それでは、報告をさせていただきます。」
彼は、室内に集まっている幕僚達の顔を見回しながら、説明を始める。
「東部戦線の状況ですが、現在は第20石甲軍が、壊滅した第22石甲軍の残存兵力を組み込み、ここ、フランジェムド南方9ゼルドにある
ウィリブハウト付近で、依然健在である第16軍の残存部隊と共に、防御線を構築しております。ただ、バイスエの第59軍を撃退した
バルランド軍と、ファブスード南方で停止しているアメリカ軍が再び前進を開始する恐れがあります。ウィリブハウト、ファブスードの防御線は
何分、急造であるため、敵の攻勢に十分耐えきれるとは思えません。もし、敵が前進を再開した場合、我が方は再び大損害を受ける恐れがあります。
ここは、展開する部隊を再び下げ、山岳地帯のあるファラストラ近郊まで、戦線を引き下げた方が宜しいかと、私は思います。」
「作戦参謀は第20石甲軍が受け持っている前線で2日ほど、戦闘を観戦したようだが……報告にあった通り、やはり、戦力は不足していたのか?」
「はい。前線の石甲兵力の不足は深刻です。」
レイフスコの問いに、ファイロクは淀みなく答えた。
「第20石甲軍は現在、第56軍団と第32軍団に加え、壊滅した第22石甲軍の3個師団を編成に加え、計5個師団並びに、2個旅団で敵と
戦っております。編成上はほぼ、1個軍団半に匹敵する物ですが、実際の戦闘力はそれ以下です。」
ファイロクは、鞄から紙を取り出して、それをレイフスコとエルグマドに見せた。
「第20石甲軍の昨日現在の編成表と、各師団の戦力図です。戦力数に関しては大雑把ではありますが、実情はそれに近いと、ライバスツ閣下は
言われております。」
レイフスコとエルグマドは、しばしの間、ファイロクが渡した紙を見つめた後、一様に頭を抱えてしまった。
「閣下。この戦力では、連合軍の攻勢を支え切る事は不可能ですな。」
「……第20石甲軍の消耗率は、予め予測はついておったが、まさか、これほどまでとはのう。」
第20石甲軍は、敵の攻勢作戦開始当初から今日まで、前線で戦い抜いて来た部隊であり、決戦開始当初は4個石甲師団と1個石甲歩兵師団
(通常の歩兵師団の編成に輸送用キリラルブスと、戦闘用キリラルブスを2個大隊加えた物である。)、1個石甲機動砲兵旅団が編成に
加わっていた。
だが、連戦続きで各隊は消耗を重ね、今となっては、元々、編成に加わっていた部隊が第173石甲師団、第82石甲歩兵師団、第72親衛石甲師団、
第202石甲師団の4個師団しか残っていない。
第123石甲師団と第68石甲機動砲兵旅団は、共に損耗率が6割を超えて潰滅状態に陥り、残存部隊は各師団に分散して編入され、この
2個部隊は編成図から消えていた。
第20石甲軍は、この4個師団に、第22石甲軍から回されて来た第120石甲師団と第108石甲機動砲兵旅団を戦列に加え、連合軍と戦っている。
書類上では強力な野戦軍ではあるものの、実情は強力とは言い難い物である。
第20石甲軍の各石甲師団は、戦闘可能なキリラルブスが、良くて60台、酷い場合には30台しか無く、第20石甲軍全体のキリラルブス数は
計300台足らずである。
ちなみに、通常の石甲師団は、戦闘キリラルブス主体の石甲連隊を2つ有しており、1個連隊は144台、師団全体では288台もの
キリラルブスが与えられていた。
だが、第20石甲軍は、軍全体保有キリラルブス数が通常の1個師団分程度という状態に陥っている。
交戦開始前は、第20石甲軍だけでも1300台以上の戦闘キリラルブスを有していたのだが、米軍の新鋭戦車パーシングの出現と、依然として
強力な楔形隊形の破壊力。そして、連合軍航空部隊の呵責無い猛爆撃の前に、この大キリラルブス軍団は瞬く間に消耗して行った。
キリラルブスの損害は、激戦に告ぐ激戦で潰滅に至った第22石甲軍や、他の師団の石甲部隊の物も含めると、2000台は下らないと言われ、
ある兵站将校は、戦闘キリラルブスのみならず、戦場で撃破、または放棄された砲兵型キリラルブスや、輸送キリラルブスといった支援用の
石甲兵力も含めた場合、損害は3000の大台をも突破するのでは、と漏らしたほどである。
魔法の応用技術のお陰で、キリラルブス等の快速兵器を大量に生産できる環境を整えたシホールアンルといえど、僅か1ヵ月余の期間で、これほどの
大量喪失を埋めるにはかなりの時間が掛かる。
早期生産体制が確立された今の時期でも、この損害から立ち直るには、早くても3カ月はかかるであろう。
また、それ以上に手痛いのが、熟練したキリラルブス搭乗員や兵員を大量に牛無かった事だ。
今回の防衛戦で、レスタン領軍集団は、総兵力75万のうち、死傷者・行方不明者40万名という大損害を出しており、損害40万名の内、戦死、
捕虜といった純粋な損失人員だけでも20万以上に上っている。
この中には、かつて、レスタン領西部方面軍の中核戦力として期待されながら、壊滅的打撃を被った第2親衛石甲軍も含まれている。
「東部戦線の軍で一応の戦闘が可能なのは、第20石甲軍と第16軍、第17軍の3個軍のみ。第14軍は全滅し、第18軍は本国に後退中です。」
レイフスコが、沈痛な声音で言う。
「敵にも、大損害を与えている事は確かなのですが……やはり、制空権を敵に抑えられている以上、現状では全部隊壊乱という事態に陥って
いないだけでも、まだマシと言える方です。」
ファイロク大佐も、声音を沈ませながらそう言った。
「たった数年で、我が軍の装備は飛躍的に進歩した物じゃが……それでも、あちこちで敗走してしまうとはのう。」
エルグマドは、深いため息を吐きながら、頭を振った。
「4日前に、ハタリフィクを放棄して、このぼろ屋に司令部を移したが……もしかすると、近い内に、このぼろ屋からも出て行くことになるかもしれん。」
「あの時は、ハタリフィク近郊にも、敵の偵察隊が出没しておりましたからな。」
魔道参謀のフーシュタル中佐が、渋い表情を浮かべながら言う。
彼らが司令部を構えていたハタリフィクは、今から4日程前から敵の偵察隊が現れるようになった。その頃には、戦線もハタリフィクから
5ゼルド南にまで迫っており、エルグマドはやむを得ず、司令部の移転を命じた。
ハタリフィクは、移転から2日後の2月20日に、ミスリアル軍第1軍によって占領された。
「確か、後衛部隊の話では、ハタリフィクの中央庁舎にはミスリアルの旗が翻ったそうです。」
「ハタリフィクを占領したミスリアル軍は、第14軍の包囲殲滅に多大な貢献をしたそうだな。」
「はい。そのミスリアル軍も、アメリカ製の戦車や装甲車等で、完全に機械化されています。北大陸に侵攻して来た南大陸連合軍は、今や、ほぼ全てが、
米国製兵器のお陰で機動力、攻撃力、共にアメリカ軍並みとなっています。そればかりか、5日前には、ミスリアルの識別マークを付けたエアラコブラが
前線に現れ始めています。ミスリアル軍は、戦線に大量のエアラコブラを動員しているとの情報が入っておりますから、我が軍と連合軍の航空戦力の差は、
これで更に広まったと考えられます。」
「増え続ける敵航空部隊。しかし、わしらが動かせる航空部隊は、もはや多くは無いからのう……」
エルグマドの悲しげな一言に、質素な作りの作戦室内の空気がより一層重くなる。
レスタン領軍集団の配下にある航空部隊は、敵の攻勢開始前までには約3000ほどの戦力を有していたが、今では、使える戦力は1200しか無い。
それに対して、推定される連合国軍側の航空戦力は、作戦中にも頻繁に増強重ねた影響で、陸上基地の物だけでも、約4000機。
これとは別に、レスタン領沖には、1000機前後の航空戦力を有する大機動部隊が控えている。
単純に計算しただけでも、シホールアンル側航空部隊は約4倍もの敵航空部隊相手に戦っている事になる。
そして、シホールアンル側航空部隊の数は、断続的に本国からの応援が来ているにもかかわらず、その戦力は、減りこそはすれど、増えた事は1度も無かった。
レスタン領の航空部隊は、2月初め頃までは、制空権を奪われつつある物の、敵地上部隊に波状攻撃を仕掛けたりする等、まだ活発に動けた
時期もあった。
だが、シェリキナ連峰周辺の航空部隊が2月8日に、レスタン領北部に完全撤退を行った頃から、レスタン領上空の戦力バランスは一気に連合軍にへと
傾き、2月15日には、連合軍側が更に航空兵力を増派した頃から、制空権は連合軍側が握るようになった。
連合軍側には、新編されたばかりのミスリアル陸軍航空隊のP-63キングコブラ180機を始めとし、約600機が新たに投入されており、
これらの航空部隊は、シホールアンル軍航空部隊は勿論の事、地上部隊に対しても容赦の無い航空攻撃を加え続けた。
2月18日には、ケルフェラク隊やドシュダム隊で編成された飛空挺部隊も、部隊損耗率7割という壊滅的打撃を受け、再編成のために本国へ後退
したばかりか、20日には、西部方面のワイバーン部隊が、本国から送られて来た200騎の増援部隊共々、米機動部隊の波状攻撃を受けて壊滅し、
翌日にほぼ同様の攻撃を受けて、遂に第10空中騎士軍が壊滅した。
シホールアンル軍は、地上のみならず、空の上でも危機的状況に陥っており、このままでは、空の上に飛ぶ物は、連合軍の航空機やワイバーン
のみになるのも、そう遠くは無いと思われていた。
(部隊によっては、ここ1週間、連合軍機しか見ていないという所もあるほどだ)
「閣下。本国の司令部では、最低でも4月まではレスタン領の防衛に徹せよとの命令が、再三再四に渡って届けられております。しかし、現状では、
4月まで我が軍集団が領内に踏みとどまる事は、難しいかと思われます。」
ファイロク大佐が、遠慮の無い口ぶりで言う。
少し前までは、ここでレイフスコ中将が異論を唱えるのが常である。
だが、この1ヶ月間でこの戦争の真実を学び、疲れ果てたレイフスコは、もはや、それを行う気力を残していなかった。
逆に……
「私も、作戦参謀の言われる通りかと思います。」
犬猿の仲でもあったファイロクの意見に同調する程、レイフスコの意識は大きく変わりつつあった。
「本国では、新たに編成した第6親衛石甲師団と、再編中の部隊を石甲師団化して編成した2個軍をレスタン領に送り込むと言っておりますが、
制空権の無いこのレスタン領では、いくら増援を送り込んでも、敵航空部隊の餌食になるだけです。我々の部隊が、ここ1カ月の間、敵の空陸
一体攻撃の為に、どれだけの戦力を失ったのか………本国の連中は理解していないのでしょうか。」
「主任参謀長が言っておる通りじゃな。」
エルグマドは、眉間にしわを寄せながら頷く。
「少なくとも、防衛用の航空部隊が多数布陣している本国南部や、ヒーレリ領まで後退できれば、航空戦力の差は縮められるのじゃが……レイフスコ
の言う通り、上層部はそれを理解しておらんのだろう。」
「本国上層部は、属国をまた1つ失う事を懸念しているのではないですかな。我が帝国は、この戦争で得た領土の多くを、敵に奪われておりますから。」
魔道参謀がそう言うと、レイフスコは不快な表情を浮かべた。
「本国ならまだしも、居ても、何ら自由に活動する事が出来ぬ土地のために、まだ使える30万以上の兵を張り付かせると言うのか。
上の連中がそう考えておるのならば、我が軍集団は、ただ、上のメンツを立てる為に死ねと言われている様な物だぞ……!」
彼は、自分達に不利な事を知りながら、このレスタン領に踏みとどまれと言い張る上層部に怒りを感じていた。
「閣下!このまま、レスタン領に居座り続けるのは考え物です。我々は、今すぐにでもここから出て、首都の暖炉でぬくぬくとしておる連中を
無理矢理にでも、この現場に連れて来るべきです!」
「まぁ主任参謀長、君の気持は分からんでもないが、まぁ、落ち着け。」
エルグマドの落ち着いた口調で宥められたレイフスコは、知らず知らずのうちに、自らが興奮している事に気が付いた。
「ハッ!私とした事が……閣下、勝手な事を申し上げてしまい、お詫びを申し上げます。」
「いや、良い。」
エルグマドは手を振りながら返す。
「君と同じ事をわしも思っておる。もし、君が言っていなかったら、今頃はわしが怒声を上げながら喚き散らしていただろう。」
彼はそう言いながら、心中では、レイフスコはすっかり変わってしまったと思った。
レイフスコ中将には、1人息子が居た。
その1人息子は、子供の頃から魔法使いに憧れていた。レイフスコは、努力家である息子を大切に育て上げ、遂に、念願の魔道士養成
学校に入学し、優秀な成績を収めて学校を卒業した後は軍人になる事を決め、20歳の頃に第73魔法騎士師団に入隊した。
その1年後、第73魔法騎士師団は、第3親衛石甲師団に改編され、息子はキリラルブスの操縦員に抜擢されている。
そして、2月14日。息子は、ミルスティーズ回廊を巡る攻防戦の際、窮地に陥る味方部隊を援護するため、たった4台のキリラルブス
を率いて戦地に向かったまま、帰らぬ身となった。
その時から、レイフスコの中で何かが変わり始めた。
最初は、ちょっとした変化であったが、レイフスコは次第に、無謀な攻撃命令を送る司令部に対してあからさまに批判する事が多くなった。
それから日が経った今日、レイフスコは、司令部内でも、エルグマドと同等か、それ以上かと思わる程に、本国嫌いになっていた。
エルグマドが、レイフスコの心情の変わり具合に驚いている時、唐突にドアが開かれた。エルグマドは、ドアの方向に顔を向ける。
「おお、リンブ少佐。体は大丈夫かね?」
エルグマドは、急病で倒れていた筈のリンブ少佐に向けて、心配そうな口ぶりで話し掛けた。
「ハッ。私が倒れた事で迷惑をかけてしまい、申し訳ありません。少しばかり休息を取ったお陰で、大分楽になりました。」
「そうか……このような時期だ。体調を崩すのも致し方ないが……体力が回復したのは良い事だ。ささ、空いている席に座りたまえ。」
エルグマドはそう言いながら、右斜めの席に座る様に促す。
いつもは末席に座っているリンブ少佐は、エルグマドのすぐ近くに座る事になって内心戸惑った物の、それを現す事無く、落ち着いた動きで席に座った。
「今、前線視察から戻って来たファイロク大佐の説明を聞いていた所だ。」
「はっ。大佐、よくぞご無事で。」
「……2度ほど、アメリカ軍機に襲われたが、何とか生き延びる事が出来たよ。その時、たまたま輸送用に改造されたキリラルブスに乗って居た
お陰で難を逃れられた。普通の馬車で移動している時に、アメリカ軍機に襲われていたら……今こうして、君と顔を合わす事は叶わなかっただろう。」
「ほう……アメリカ軍機に襲われたのかね?」
話を聞いていたレイフスコ中将が横から口を挟んで来た。
「はい。サンダーボルト3機に襲われました。乗っていた輸送用キリラルブスの乗員がなかなかの腕前で、彼らの好判断のお陰で空襲を切り抜ける事が
出来ました。しかし、サンダーボルトが裁断機の異名を取るのも納得です。運が悪ければ、私も、8丁の機銃の餌食になっていた事でしょう……」
「最近は、輸送用キリラルブスの武勇伝がよく耳に入って来るのう……兵站参謀。確か、輸送用キリラルブスの投入には、君も少しばかり関わって
いたと話していたな。」
「はい。普通の馬車では実現できぬ速さで、物資を運ぶ事が出来ますからな。前線用のキリラルブスも良いのですが、輸送用キリラルブスも充分に
揃える事が出来れば、前線に送れる物資も増えたのですが……」
リンブ少佐の声音が、次第に小さくなっていく。
レスタン領戦線では、武装を最小限に抑えた代わりに、機動力と物資運搬量を増強した輸送型キリラルブスが、少数ながら、試験的に西部戦線と
東部戦線に配備されている。
この輸送型キリラルブスは、西部戦線と東部戦線で目覚ましい活躍を見せており、つい最近では、壊滅した第4親衛石甲師団のキリラルブス乗り達を
救出して、敵から逃れたと言う、胸のすくような報告ももたらされている。
だが、各戦線で活躍するこの輸送用キリラルブスも、少数と言う事もあって様々な限界が生じていた。
「いかんせん、数が少なすぎる上、今では戦闘喪失も加わって、輸送用キリラルブスでもってしても、前線に遅れる物資の量は微量です。」
リンブは、エルグマドの目を見据えた。
「閣下。敵に制空権を握られている以上、このレスタン領には安全な場所はありません。そして、安全な輸送路も、交戦開始初期と比べて極めて
少なくなっています。最初の頃は、街道を堂々と行動していた輸送隊は、今では敵の空爆で掘り返された街道を通るか、空襲を恐れて、道なき道を
行くしか方法はありません。このままでは、近い内に前線の補給路は寸断されてしまうでしょう。」
「……兵站参謀。つまり、我がレスタン領軍集団は、長期に渡って敵を食い止める事は出来ぬ、と言う事だな?」
レイフスコ中将がすかさず聞いて来る。
「主任参謀長。今の補給能力では、長期どころか、短期……よくて、1週間まともに戦えれば良い方です。それも、これ以上、補給路が敵の爆撃を
受けない前提で。我が軍の補給部隊は、これ以上の爆撃や妨害に耐え切れません。」
「……我が軍集団の戦闘力が低下している事は明白なのに、それを知っている上で、この地方を維持しろとは……これほど、不本意な戦は、今までに
見た事も聞いた事も無い!」
リンブの説明を聞いたレイフスコは、内心でやりきれない怒りが湧き起こるのを感じた。
「参謀長閣下。私としても、甚だ不本意ではあります。しかし、このまま居残り続けても、我が軍集団が壊滅しては元も子もありません。本国の命令は、
連合軍にレスタン領と、疲弊し切った我が軍の2つをえさとして譲り渡すような物です。本国の考えはわかりかねますが、残った30万名以上の兵を
むざむざ失う様な事になれば、レスタン戦以降の戦いで、我が地上軍は、敵連合軍相手に、更に兵力差をつけられた状態で戦わねばなりません。」
リンブ少佐は、悲痛めいた口調でエルグマドに言う。
「………閣下。どうされますか?」
主任参謀長がエルグマドに聞いて来る。
「兵站参謀の説明はこのような物ですが、本国は本国で命令を発しております。我々としましては、既に意見は出尽くしています。後は……」
「わしの判断次第……そうだな?」
エルグマドは、レイフスコに目を向け、次いで、幕僚達全員に目を向けた。
「君達もそう思っておるな?」
エルグマドの問いに、幕僚達は頷いた。
「そうか………軍人は、命令に従うのが仕事じゃ。こう言う時こそ、シホールアンル軍人の意地と言う物を敵見見せ付けるべきだ。しかし……
そう思っていたのも、つい昔の事だ。答えなぞとうに決まっておる。」
エルグマドは、皆の顔を見回した。
「このような土地からはさっさと立ち去って、次に備えた方が良い。陸も空も、連合軍だらけの土地で戦うよりは、味方の多い土地で戦った方が
やりやすかろう。」
「では閣下……我が軍集団はレスタン戦線から撤退するのですな?」
レイフスコが、念を押すような口ぶりで聞いて来る。
「そう。撤退だ。前にも似たような事を言ったが、まだ補給路が生きているうちに、全部隊をレスタン領から引き揚げさせるのだ。」
エルグマドは、きっぱりとそう言い放った。
彼の命令は、幕僚達に伝えられた後、魔道参謀を通じて、直ちに全部隊に伝えられた。
それから1日、また1日と月日が過ぎて行く。
レスタン戦線は、エルグマドが苦渋の決断を下したその翌日から、再び降雪を伴う悪天候に戻り始めた。
最初はしとしとと降り注いでいた雪は、僅か1日で吹雪に代わり、アメリカ軍を始めとする連合軍各部隊の進撃は停止した。
その一方、シホールアンル軍は、この悪天候を隠れ蓑に全戦線で後退を開始。
悪天候下での後退作戦は、敗残兵同然のレスタン領軍集団にとって過酷な物であり、後退中、体力が尽きて脱落した将兵は実に1万名以上にも及び、
その7割は、後日、凍死体として発見され、残りは力尽きた所を、連合軍部隊に捕えられた。
後退中に少なからぬ犠牲を出したレスタン領軍集団だが、エルグマドは、この損害にはあえて目を瞑り、残存部隊には強行軍を命じて、後退を続けさせた。
2月27日には、天候は回復し始め、夕方頃までには吹雪は止み、再び、緩やかな降雪が始まった。
2月28日 午後3時 レスタン領エルトラム
第5親衛石甲師団独立石甲大隊第1中隊に所属するウィーニ・エペライド軍曹は、同じ中隊のキリラルブスと共に、レスタン=ヒーレリ領境から
1000グレル(2キロ)離れた寒村で待機していた。
「本当に……いつ見ても酷い……」
ウィーニは、後退して来る味方部隊を見つめながら、驚きの滲んだ口調で呟く。
「これが、戦闘開始前までは、威風堂々としていた精鋭部隊とは思えませんね。」
ウィーニの側に立っていた、射手のフィルス・バンダル伍長が感情のこもらぬ口調でウィーニに言う。
「あちらから見れば、あたし達も同じように見られているんだろうけど。」
彼女は自嘲気味に呟いた後、自ら操るキリラルブスに目を向けた。
ウィーニが操縦して来たキリラルブスは、奇跡的にも、今まで撃破される事無く激戦を潜り抜けて来た。
だが、キリラルブスの損傷具合は激しく、かつては傷1つ無かった石の体には、全身に砲弾の破片によって出来た傷や、機銃弾を撃ち込まれた後が
生々しく残っている。
このように、傷だらけのキリラルブスは、彼女の物だけではない。
第5親衛石甲師団は、生き残った40台のキリラルブスを集めて、独立石甲大隊を編成しているが、この40台のキリラルブスは、ウィーニが操縦して
いる物と同じく、全身に夥しい弾痕やヒビがあり、しかも、車体は全身が戦闘中の硝煙や、爆煙によって薄黒く彩られている。
第5親衛石甲師団最期のキリラルブス大隊に見送られながら、後退して行く将兵達もまた、軍服がぼろぼろになり、兵員輸送用のキリラルブスは負傷兵を
満載して、ゆっくりと後退して行く。
街道の両端を歩く将兵は、しっかりと隊列を作って歩いている。
彼らも、元は優秀な魔法使いでもあり、闇の代行人であり、この1ヶ月間、新式の携行型魔道銃を携えて、連合軍部隊相手に激戦を繰り広げてきた。
だが、その彼らもまた、凄惨な地上戦に疲れ果て、かつては威風堂々としたその姿も、今では見る影もない。
「俺達は、今後、どうなってしまうんでしょうか。」
バンダル伍長が呟く。
「第2親衛石甲軍は敵に叩きのめされ、師団の中核であるキリラルブス隊はほぼ壊滅状態。失った戦力は、俺達の師団だけでも半数近く……この状態から
元の状態に戻るまで、一体、どれぐらいの時間が掛かるのだろうか……」
「さあ……」
ウィーニは、首をかしげた。
彼女もまた、第5親衛石甲師団がどれほどの期間で再編できるのかが予測できなかった。
第2親衛石甲軍は、このレスタン領戦線で連合軍相手に善戦を重ねてきた。
2月1日の戦闘では、第2親衛軍の片割れでもある第1親衛軍団が連合軍部隊に包囲された物の、2月2日に包囲網を突破し、第2親衛軍団に合流した。
この包囲突破の際、第1親衛軍団は第6石甲旅団が壊滅的打撃を被った物の、軍団の中核戦力である2個石甲師団は敵陣を突破出来たため、1個軍団丸ごと
包囲殲滅に遭う危機は回避できた。
連合軍部隊は、航空部隊も使用して後退する第2親衛石甲軍を叩いたため、各部隊とも被害が続出し、これに追撃する敵機械化部隊が食らいつくという光景が
何度も繰り返され、犠牲を出しながらも追手を振り切って来た。
2月12日に起きたミルスティーズの攻防戦では、アメリカ海兵隊1個師団相手に第3親衛石甲師団所属の第332石甲化歩兵連隊が防衛戦を行い、1週間に
渡って重要拠点であるミルスティーズ回廊を守り続けてきた。
ミルスティーズ回廊は、ミルスティーズ高原を縫うようにして開かれた主要街道であり、ここにはアメリカ軍1個海兵師団が攻略に向かった。
第322石甲化歩兵連隊の将兵は、第314機動砲兵連隊と第315石甲連隊の支援の下に奮戦し、中盤では、元々得意としていた、召喚獣による敵部隊襲撃や、
暗殺術を駆使した奇襲攻撃を行い、アメリカ海兵隊を大いに苦しめた。
第322連隊の活躍は、勇猛を馳せた頃の魔法騎士師団の再来を思わせる物があったが、それも長続きはせず、圧倒的な航空戦力と機甲戦力を全面に押し出して
来たアメリカ軍の前には、ただの時間稼ぎにしかならなかった。
とはいえ、最終的に連隊は全滅し、第3親衛石甲師団自体も大損害を負ったものの、攻略に当たったアメリカ海兵隊1個師団はパーシング戦車を始めとする
装甲車両48両を喪失し、死傷者3400名という大損害を出していた。
ウィーニは知らなかったが、このミルスティーズ回廊攻略には、アメリカ第6海兵師団が投入されており、このちっぽけな回廊を巡る戦いは、後にアメリカ軍が
名付けた回廊の渾名、シュガーローフ・ヒルをもじって、シュガーローフ・ヒルの激戦として広く知られる事になる。
第2親衛石甲軍は、指揮下部隊の奮戦の甲斐あって、レスタン領から脱出する事に成功しつつあったが、第2親衛石甲軍で残っている編成上に部隊は、
第2親衛石甲師団と第3親衛石甲師団、第4親衛石甲師団と第5親衛石甲師団だけである。
残りの4個旅団は編成上から消失し、残りの4個師団も、損耗率は5割から7割という悲惨な状態に陥っており、第2親衛石甲軍は、名称こそ軍である物の、
実際の戦力は1個軍団程度しか無かった。
ウィーニの属する独立石甲大隊は、その敗走途上にある軍の後衛部隊として、1個石甲中隊と共に味方部隊の後退を見送り続けている。
ウィーニは、後退して行く味方部隊を見つめながら、バンダルに話し掛けた。
「バンダル。今、あたし達の目の前を通り過ぎて行く部隊はどこの隊かな?」
「時折、通り過ぎて行く兵員輸送キリラルブスに描かれているエンブレムからして、第511連隊の第3大隊の連中かもしれませんね。」
「第3大隊か。て事は、あと少しと言う事ね。」
ウィーニはやれやれといった口調で、バンダルに答えた。
「しかし、早く後退して貰いたい物です。少しでも雪が止むと、コルセアやサンダーボルトが襲って来ますからねぇ。」
バンダルはそう言った後、後ろで炎上している空き家や、その側でくすぶっている対空用キリラルブスや兵員輸送用キリラルブスに視線を向ける。
今から2時間前、第5親衛石甲師団はアメリカ軍機の空襲を受けていた。
僅かな晴れ間を利用して出撃して来た12機のコルセアからなる敵編隊は、後退中の部隊にロケット弾攻撃を見舞った。
ウィーニを含む後衛部隊に付いていた対空部隊がすぐに迎撃し、コルセア2機を撃墜したが、この空襲で兵員輸送用キリラルブス5台と対空キリラルブス2台、
荷台に対空兵器を搭載した馬車3台が破壊され、兵員24名が死亡、34名が負傷した。
コルセアは、ウィーニ達の独立石甲大隊にも押し寄せ、何度か機銃掃射を仕掛けたが、不幸中の幸いで、彼女達の部隊に損害は無かった。
「早いとこ、ここから逃げ出したいもんです。」
「……今は、待つしかないよ。」
不安げな口ぶりで言うバンダルに対し、ウィーニは相変わらず、冷たい声音で喋る。
「私達がここで待っている限り、彼らは安心して進めるんだから。」
「……台長の言う通りですね。」
バンダルは苦笑しながら、ウィーニにそう言った。
午後4時頃には、最後の部隊が彼らの待機地点を通過して行った。
独立石甲大隊と歩兵中隊は、それから1時間の間、脱落者がまだ通らないか待っていたが、その間、1台の輸送用キリラルブスが大慌てで通過して行った以外は
(正確には途中で立ち止まり、どこぞでくすねて来た酒や食糧を、ウィーニ達に分けてくれた)、1人の歩兵すら通る事は無かった。
「台長!」
キリラルブスの車内から通信手が顔を出した。
「大隊長より命令。後衛部隊はこれより、本隊の後を追うため、ヒーレリ領に向かう、との事です。」
「了解。バンダル、乗るわよ。」
「ふぅ、やっとですか。」
バンダルとウィーニは、伏せの形で待機しているキリラルブスの体によじ登り、ウィーニは台長席から、バンダルは横のハッチから内部に入って行った。
ウィーニは、台長席から上半身を出し、味方部隊が後退して来た方向を望遠鏡越しに眺めてみた。
「……敵らしき物は……居るね。」
この時、ウィーニは、南側に1つの怪しい影を見つけた。
ウィーニは望遠鏡の倍率を上げて、その影の正体を確かめる。
「4つの転輪に、戦車のような砲塔……スタッグハウンドか。」
彼女は、即座に敵と思しき物の正体を見抜いた。
スタッグハウンドは、カレアント軍が使用する装甲車だ。
元はアメリカ製の装甲車だが、カレアント軍が機甲師団を作る際に、アメリカから大量に供与されたと聞いていた。
カレアント軍は、このスタッグハウンドを主に偵察用に使用している。
ウィーニが見つけたスタッグハウンドも、偵察のために現れたのであろう。
「大隊長より通信。装甲車と思しき敵影を発見。各隊、これに警戒しながら後退に移れとの事。」
「了解。」
ウィーニは即答する。
彼女は小声で呪文を唱え、キリラルブスに意識を繋げる。
脳裏で、キリラルブスが稼働状態に移るのを感じた後、ウィーニはキリラルブスを前進させた。
むっくりと石の巨体が起き上がるや、街道をゆく味方部隊にウィーニのキリラルブスは続行して行った。
午後5時40分 第5親衛石甲師団の後衛部隊は、レスタン領からの脱出に成功した。
ウィーニらの属する後衛部隊は、レスタン領軍集団の所属部隊では最後に離脱した部隊となり、シホールアンル軍はこの時を持って、
レスタン領からの完全撤退を果たす事になった。
2月28日の完全撤退までに、レスタン領軍集団は総兵力75万名中、41万もの死傷者、並びに捕虜を出し、喪失したワイバーン、飛空挺は
1600騎にも上った。
また、レスタン領駐留軍の援護のため、バイスエより出撃した1個軍も、バルランド軍第62軍と激戦を展開した末に大損害を受けて撃退されている。
こちらの被害は戦死者7800名、負傷者は12000名にも及んだ。
一方、連合国軍側の損害も少なくなく、総計で20万名以上もの死傷者を出していた。
両陣営で60万以上もの死傷者を出したレスタン戦線は、エルグマドの決断によって幕を閉じる事となった。
戦後、大多数の戦史家は、まだ戦力のあったレスタン領軍集団の撤退を高く評価しているが、それは、遠い未来の話である。
1485年(1945年)3月2日 午前8時 カリフォルニア州サンディエゴ
この日の天候は、雲の少ない良く晴れた日であった。
アイオワ級戦艦の5番艦として完成した戦艦モンタナは、昨年の10月から2月の23日までに行われた慣熟訓練を修了した後、第58任務部隊
第4任務群への配備を命ぜられた。
3月2日午前7時、モンタナはTG58.4の所属艦となる戦艦ウィスコンシンとエセックス級空母のキアサージ、大西洋艦隊より回航されて来た
空母ベニントンと、ボルチモア級重巡洋艦のメーコン、クリーブランド級軽巡洋艦のコッツビュー、ウィルクス・バール、そして、最新鋭の駆逐艦で
あるギアリング級駆逐艦のネームシップ、ギアリングと、2番艦ベレイス・ヒューリック、アレン・M・サムナー級駆逐艦6隻と共に、サンディエゴ基地を
出港した。
戦艦、正規空母を主力とする15隻の艦隊は、輪形陣を組んだまま、16ノットの速力で一路、マルヒナス運河へ向かいつつあった。
戦艦モンタナ艦長ジョシュア・ラルカイル大佐は、艦橋の後ろ側にある張り出し通路から、輪形陣を組む味方の艦艇に見入っていた。
「艦長、こうして見ると、胸が躍るものだな。」
モンタナ、ウィスコンシンで編成される第9戦艦戦隊司令官であるハワード・ベンソン少将がはにかみながら、ラルカイル艦長に話して来た。
「司令の言われる通りです。僅か、空母2隻を主力とする小艦隊ですが、空母は新鋭のエセックス級。それに、護衛艦も最新鋭艦ばかりです。
先のレーミア沖海戦で我が太平洋艦隊は大損害を受けましたが、この艦隊を見ていると、そのような損害など、嘘のように見えますな。」
「うむ。これぞ、合衆国の力技だよ。」
ベンソン少将は満足気に言い放った。
戦艦モンタナ艦長を務めるジョシュア・ラルカイル大佐は、元々は軽巡洋艦サヴァンナの艦長であったが、同艦が戦没した後は、ボルチモア級重巡洋艦の
ボストンの艦長を務めていた。
昨年の10月から戦艦モンタナの艦長に任じられ、彼はその時から、猛訓練を課して乗員達を鍛えつづけた。
訓練の甲斐あって、モンタナは訓練終了予定日よりも1ヵ月以上も早い、2月23日に慣熟訓練を修了し、その翌日、モンタナは太平洋艦隊に編入された。
「艦長!」
ラルカイル艦長は、後ろから声を掛けられた。
振り返ると、そこには、モンタナの砲術長を務める士官が、自信に満ちた表情を浮かべていた。
「主砲塔の点検完了。異常ありません!」
「よし、万事順調だな。」
ラルカイル艦長は、モンタナ砲術長であるジョシュア・ラルカイル中佐にそう返した。
実を言うと、艦長と砲術長は、共に、ジョシュア・ラルカイルという姓名を持っている。
2人のジョシュア・ラルカイルは、同時にモンタナに乗り組んでいるが、同姓同名である2人は、最初の間はかなり混乱した。
だが、2人の名前は、一見すると全く同じに見るが、姓名の間に入るミドルネームは違っていた。
艦長の方は、ジョシュア・“フレデリック“・ラルカイル。
砲術長の方は、ジョシュア・“ウィリスティル“・ラルカイルとなっている。
2人のラルカイルは、ファーストネーム呼ぶにも同じであるため、仕方なく、ミドルネームで呼ぶようになった。
元々、互いに人懐こい2人は、共に巡洋艦乗り出身(ウィリステルは軽巡クリーブランドに乗り組んでいた)という事もあってすぐに意気投合し、
乗員達からはまるで兄弟のようであると言われるほど、命令を出すタイミングも、受けるタイミングもぴったりであった。
また、当初はこの姓名が同じである艦長と砲術長をどう呼ぶかで苦悩していたモンタナの乗員達も、艦長を呼ぶ場合はフレディの方を、砲術長を
呼ぶ場合はウィリスの方を、という具合で区別を付けたため、問題視されていた命令伝達もスムーズに行われるようになった。
「おお、ラルカイル兄弟が集まったな。」
キャラガン少将は陽気な口調で、2人のラルカイルに言った。
「いやいや、司令。私達は別に兄弟ではありませんよ。艦長はニューヨーク生まれですが、私はワシントン州生まれです。それに、背も
艦長の方が大きいですぞ。」
「体重は砲術長の方がやや重いがな。」
咄嗟の掛け合いを見つめていたベンソンは、屈託の無い笑みをこぼした。
「うむ!なかなかいいコンビだな。これなら……赤さびWの仇も取ってくれそうだ。」
「はい。必ずや、シホールアンル軍の新鋭戦艦を討ち取って見せます。」
ウィリス・ラルカイル中佐が明瞭な口調でベンソンに言った。
ベンソン少将は、以前は赤さびW……BB-56ワシントンの初代艦長として就任し、第2次バゼット海海戦から、44年9月のサウスラ島沖海戦まで
艦を指揮して来た。
ベンソンにとって、戦艦ワシントンは思い入れの深い船であったが、そのワシントンは、1月23日のレーミア沖海戦で、敵新鋭戦艦相手に奮闘するも
大損害を受けた。
ワシントンは、海戦終了後はまだ浮いていたが、損害は深刻であり、最終的にはレーミア湾沖に座礁している。
先月から、海軍工廠より派遣された技術者が、座礁したワシントンを浮揚修理できぬか調査した物の、ワシントンは、艦深部の機関室に致命的な
ダメージを追っている他、船体部分にも大損傷を負っていたため、修理不能と判断された。
ワシントンは、レスタン領から最期の部隊が撤退したその日の内に喪失判定が下され、ベンソンは、長い間、馴染みの乗員達と苦楽を共にした
ワシントンの最期を酷く悲しんだ。
だが、彼にとって、悪い事ばかりが起きている訳では無く、ベンソンは、ワシントンを凌ぐ巨艦、モンタナとウィスコンシンを率いる事が出来ている。
彼は、いつの日か、ワシントンを葬ったシホールアンル海軍の戦艦部隊と再び相まみえる事を、心の内で強く望んでいた。
「ウィリス、他に何かないか?」
「いえ、特にありません。では、自分はこれで失礼いたします。」
砲術長はそう言うと、2人の元から離れて行った。
ベンソンはしばらくの間、洋上を眺めていたが、この時、彼は何かを思い出し、ラルカイル艦長に声をかける。
「艦長。そういえば、このモンタナは、前の4隻とは違って変わった物が取り付けられたと聞いているが。」
「バルバスバウの事ですな。」
ラルカイル艦長は答えた。
「モンタナは建造中に、試験的にバルバスバウが取り付けられています。モンタナの建造には、元日本の海軍工廠で働いていた技術者が加わっておりまして、
何でも、従来の物と違って、艦船の航行性能を安定させる効果があるようです。私は最初、艦首の喫水部を丸く加工したら、逆にスピードが落ちてしまのでは
ないかと思いましたが、実際は違いました。」
彼は、右手の人差し指を下に向けながら説明する。
「バルバスバウは、通常の船首形状では常に付き物の造波抵抗を生んでいましたが、バルバスバウは、設定どおりの喫水ならその造波抵抗を減少する効果が
あるので、船の航行もスムーズに行けるようになります。このモンタナは、従来のアイオワ級4隻では30.5ノットしか出せなかった速度が、バルバスバウの
お陰で31.5ノットという最高速度叩き出す事に成功しています。」
「31.5ノットか。アラスカ級には及ばんが、それでも充分高速と言えるな。」
「もっとも、公式にはモンタナも、あとから出て来るイリノイ、ケンタッキーも、30.5ノットしか出せぬ事になっていますが。」
ラルカイル艦長は苦笑しながら、ベンソンに言った。
「という事は、バルバスバウに関する速力向上の事は機密、という事か。」
「そうなりますな。しかし、このモンタナは大したものです。私は先日、ニュージャージーから異動して来た乗員に乗り心地はどうかと話したのですが、
意外にも、ニュージャージーよりも揺れが穏やかで、特に荒天時の航行性能は、アイオワを始めとする初期型よりも良いらしいです。」
「モンタナ以降は、初期型でも指摘された、両用砲弾庫回りの防御も改良されたようだな。そのせいで、モンタナ、イリノイ、ケンタッキーは、重量が
500トンほど重くなっていると聞く。重量が増したお陰で、安定性も向上したのかもしれないな。もともと、アイオワ級自体は全幅が最大36.2メートルと
広い方だ。原案通りに行っていたらちょいとばかり不満の残る船になっていただろうが、改定案通りに行った当初は、かなりの良戦艦として褒め称えられ、
実戦では期待通り……いや、期待以上の成果を出している。だが、問題は無くなっていた訳では無かった。」
「確かに。初期型4隻もいい船ですが、それでも、荒天時の航行性能にはやや難がありました。それをほぼ無くしたモンタナは、合衆国戦艦の中で最も
優良な戦艦と言えるでしょうね。」
「うむ。問題は、これからになるな。」
ベンソン少将はそう言いながら、僚艦ウィスコンシンに目を向ける。
「あそこのウィスコンシンは、レーフェイル戦線で敵新鋭戦艦を撃沈し、ゾンビの大群を吹き飛ばした猛者だが、このモンタナには、ウィスコンシンのように
実戦での戦歴が無い。無論、乗員達の錬度は素晴らしいが、古参達が教えて来た戦技が、実戦ではどのように発揮されるか。私としては、少し不安だな。」
「司令のおっしゃる通りです。」
ラルカイル艦長は頷いた。
「ですが、私は、このモンタナの乗員達を信じております。乗員達の大半は、確かに新米でありますが、彼らも、5か月に渡る慣熟訓練をこなして来ています。
実戦でも、彼らは期待にたがわぬ成果を残すでしょう。大丈夫、問題はありません。」
彼は、自信に満ちた口調で、そう言った。
「そうか。なら、私も不用意に不安がる事は無いな。」
ベンソンは、陽気な口調でラルカイル艦長に言う。
「そういえば、来月には6番艦イリノイも就役する頃だな。」
「5月にはケンタッキーも戦力化されます。その前に、4月に戦力化されるイリノイの他にも、エセックス級空母の19番艦レイク・シャンプレインと
20番艦モントレイⅡ、そして、期待の空母リプライザルも就役しますな。」
「最新鋭の重巡や軽巡も続々と就役して来る。今年も、太平洋艦隊は派手に暴れられるぞ。」
ベンソンは自信ありげな口ぶりでそう言った後、空を見上げた。
モンタナを始めとする、新編TG58.4の上に広がる青空は、どこまでも大きく広がっている。
その透き通るような青空は、まるで、モンタナの征途を祝福しているかのようであった。