第254話 潜入する者達(前篇)
1485年(1945年)10月12日 午後12時 ミスリアル王国エスピリットゥ・サント
この日の天候は、西から接近して来た低気圧の影響で朝からずっと雨であった。
かつては、太平洋艦隊の主力部隊が駐留し、北大陸へ向かう輸送艦艇で埋まっていたエスピリットゥ・サントの広い入り江は、今では入港する船が
少なくなった事もあり、すっかり閑散としていた。
そんな中、潜水艦フラックスナークは、2日前からこの港で、僚艦と一緒に待機を命じられていた。
フラックスナークの艦長であるクロック・ノヴォトニー中佐は、雨合羽を着た状態で自艦を係留している桟橋から降りた後、既に桟橋でタバコを
加えながら待っている僚艦シーダンプティの艦長、ヴェリンク・ブラトリスク中佐に話しかけた。
「おう。調子はどうだ?」
ブラトリスク艦長はノヴォトニー艦長に顔を振り向け、タバコをくわえたまま答えた。
「悪くは無いぜ。そっちはどんな感じだ?」
「君んトコと一緒さ。悪くも無く、良くも無く……かな。」
ノヴォトニー艦長の言葉を聞いたブラトリスク艦長は、紫煙を吐いた後、夜空に顔を向けた。
「雨が止まんな。」
「西から来た低気圧のせいでこうなっちまっているらしい。今の所は小雨だが、沖は荒れてそうだな。」
「確実に荒れているよ。」
ブラトリスクが断言する。
「雨は弱いが、北風が強い。波高は大体、4、5メートルと言った所だろうね。」
「4、5メートルか。しばらくは浮上航行で行くが……この波なら相当揺れるぞ。お客さん達は耐えられるかねぇ。」
ノヴォトニーは苦笑しながらブラトリスクに聞く。
「100%耐えられんだろうさ。あそこに付くまで、奴さん達は使い物にならんじゃないのかと心配だよ。」
「全くだぜ。」
ブラトリスクにそう答えたノヴォトニーは、懐からタバコとジッポライターを取り出す。
箱からタバコを1本取ると、それを口にくわえ、ライターで火を付ける。
「ブラトリー、今何時だ?」
ノヴォトニーはタバコを一息吸い、同僚の艦長をニックネームで呼びつつ、時間を聞いた。
「12時5分だ。早寝早起きを良しとする奴は、今頃、とっくに夢の中だな。」
「お客さんの到着まではあと10分程はあるか。さて、どんな奴が来るのかね。」
「ロックウッド長官の話では、スパイをシホット共の本国まで連れて行って欲しい、としか聞いていない。恐らくは、歴戦のガチガチとした軍人が来るんじゃねえかな?」
「おいおい。野郎はお断りだぜ。」
ノヴォトニーはしかめっ面を浮かべてそう言う。
「ただでさえ、野郎ばかりでむさ苦しいと言うのに……これ以上、男が来るのはご勘弁願いたい物だ。」
「クリックの所には、ミスリアルから来た綺麗所がいるだろうが。」
ブラトリスクが整えられた口髭をニヤリと歪めながら言う。
「馬鹿!ありゃ男だぞ!しかも、年が89歳と78歳のご老体だぜ!?」
「外見は普通の若者じゃないか。」
「年齢は俺の2倍以上だぞ……」
ノヴォトニーはげんなりとしながら、ブラトリスクに答える。
「そっちはいいよなぁ。魔法石の様子を見る魔法使いが美人の女で。やはり、ダークエルフはいつ見ても綺麗だぜ。」
「羨ましそうだな。」
「当然だろうが……あれを見て羨ましがらない奴が居たら、そいつはどこかがおかしくなっとるのさ。」
ノヴォトニーはため息を吐きながら、早口でそうまくしたてる。
その一方で、ノヴォトニーに羨ましがられているブラトリスクはと言うと、表面上では笑っていたが、心の底では全く笑って居なかった。
(……こっちも69歳というお年頃の方だがね)
ブラトリスクは心中でぼやきつつ、吸っていたタバコを地面に捨てる。
「……なあ。この作戦、本当に成功すると思うか?」
ノヴォトニーは、語調を変えてブラトリスクに問うた。
「いくらミスリアルから貸し与えられた、魔法石の加護があるとはいえ、俺達が向かうのは敵国本土西海岸だ。当然、警戒も厳重になっている筈だ。」
「怖いのか?」
ブラトリスクは冷気のこもった口調で親友に聞き返す。
「怖いに決まっているだろうが。派手に陽動を行って、現場海域の敵を散らすと、ロックウッドの親父さんは言っていたが、ある程度の敵が残っているだろう。
当然、敵も最新の装備を有して、こそこそと嗅ぎ回る下手人はいないかと、鵜の目鷹の目で見張っている筈だ。そこを突破しろと言われている……この最新鋭の
アイレックス級でも、これは難しい任務だと思う。」
「……俺も、お前と同じように、怖いと思っているさ。」
ブラトリスクは、どこか暢気さを感じさせる語調でノヴォトニーに返す。
「でも、任務前にあれこれ考えるのは性分じゃないね。俺達は任務を受けた。後は、その任務をこなすだけさ。」
「相変わらず、あっさりとしている奴だ。その味気なさは何年立っても、健在だな。」
ブラトリスクの短い返事に、ノヴォトニーは半ば呆れた。
まるで、何も感じていないのだろうと言わんばかりの口調であるが、ブラトリスクとは兵学校時代からの腐れ縁であるノヴォトニーは、その何気無い口調が、
心中では彼が自分なりに任務をどう成功させるか考えている証しである事を知っていた。
彼は、それも知った上で、親友にそう言ったのである。
「普段は味気なくていい。だが、本番の時は味のある行動を見せろ。元Uボート乗りだったウチの親父の言葉さ。」
「知ってるよ。まぁ、余計な事を言わせて貰うと、俺の親父も元Uボート艦長だけどね。」
ブラトリスクの言葉に、ノヴォトニーは半ば誇らしげな顔つきで答える。
その時、桟橋の入り口の方から、1台の車がヘッドライトを点けたまま現れた。
小雨に打たれながら登場したダッジWCトラックは、潜水艦が係留されている場所まで10キロ程のスピードで近付いた後、2人の前方20メートル手前で停止した。
「お客さんが来たようだな。」
ブラトリスクの言葉に、ノヴォトニーは無言で頷いた。
ノヴォトニーは、半分ほど間に縮んだタバコを地面に捨て、それを踏み潰した。
それと同時に、トラックから4人の人影が降りて来るのが見えた。
ミスリアル王国王立魔道研究所より派遣されたレイリー・グリンゲルは、トラックのライトに照らし出された2隻の潜水艦をちらりと見た後、その間に佇んでいる
2人の将校に視線を向けた。
小雨が降っているため、傘をさしていないレイリーは、着ている濃緑色のコートが水で濡れて行くのに心中で舌打ちをしつつ、表面上は平静さを装いながら歩いて行った。
「グリンゲルさん。あれが、私達の乗る船でしょうかね?」
レイリーの左隣を歩く、グレンキア軍のサミリャ・クサンドゥス中尉が聞いて来る。
「だろうね。大方予想は付いていたが……しかし、航空機を搭載している潜水艦とはね。」
レイリーは隣の女性将校に鮮やかな口調で答える。
やがて、2人の士官の前で立ち止まったレイリー達は、それぞれ自己紹介を始めた。
「ミスリアル王立魔道研究所より派遣された、レイリー・グリンゲルと申します。」
「私はサミリャ・クサンドゥス中尉と申します。グレンキア軍中央情報局より任を受けて参りました。」
2人の紹介が終わった後、今度は2人の潜水艦艦長が自らの名前と、指揮する艦を紹介した。
「クサンドゥス中尉は、シーダンプティに乗って貰います。」
「では、私は……」
ブラトリスクの言葉を聞いたレイリーは、隣のフラックスナークに視線を向ける。
「はい。グリンゲル導師には、私のフラックスナークに乗艦して貰います。出港まであまり猶予はありません。すぐに中へ行きましょう。」
ノヴォトニーはレイリーにそう言うと、艦上で待機していた水兵に指示を飛ばした。
潜水艦から桟橋に降りて来た水兵が、程良い声音で挨拶しながら、レイリーと、往路一緒であった陸軍の軍曹が持っていた荷物を手に取り、
ささっと艦内に入って行く。
右舷前部側から艦上に上がったレイリーは、艦中央部の艦橋前にある格納庫から艦首に向けて伸びるカタパルトに目を向けつつ、
ノヴォトニーの後を追って行く。
艦橋に上がると、先にノヴォトニーから司令塔に入って行った。
程無くして、降りたノヴォトニーから手招きされたレイリーは、初めて乗る潜水艦はどんな物なのかと呟きながら、ゆっくりと、梯子を降りて行った。
最後の一段を降りたレイリーは、ぐるりと室内を見回した。
「これが潜水艦ですか……」
彼は、初めて見る潜水艦の内部に、興味津津と言った表情を現した。
「後ほど、艦内をご案内します。その前に、まずは部屋にご案内しましょう。」
ノヴォトニーがやんわりとした口調でレイリーに言う。
「あ、ああ。わかりました。」
普段冷静なレイリーにしては珍しく、半ばぼうっとしていた。
彼はやや慌てたようにノヴォトニーの後を付いていき、司令塔から発令所に降りて行く階段に足を運ぼうとした時、不意に、壁に見覚えのある紋様が描かれていた。
「む……これは結界?どこかで見た覚えが……!!」
レイリーは急に、恥ずかしさの余り顔を赤くしてしまった。
(い、いや……とにかく、今は俺の住処となる部屋に行かなければ!)
レイリーは気持ちを素早く落ち着けつつ、発令所に降り立った。
そこで作業に当たっていた乗員達が気を付けの態勢を取り、艦長と新たな来訪者の通過を待つ。
ノヴォトニーに続いて艦内を行くレイリーは、次に兵員食堂に入ったが、そこで彼は、通路にびっしりと積まれた食料品や消耗品の木箱の群れに度肝を抜かれた。
「な……道が……」
半ば唖然となるレイリーなぞ露知らずとばかりに、ノヴォトニーは手狭となった通路を軽い足取りで乗り越えて行く。
その後ろ姿が、妙に頼もしく見えてしまった。
木箱を踏み砕かぬように用心して進むレイリーだが、兵員食堂を抜け、兵員区画に付いてからも、通路には依然として木箱が置かれており、通行状態は、
レイリーにとって最悪の一語に尽きた。
「こちらが寝台となっています。」
彼は用意された寝台を見るや、その場で固まってしまった。
寝台は、上、中、下と3つ並んでおり、うち中段と下段に人が入っていた。
レイリーは、中段と下段に入っている人物に対して、目を大きく見開いていた。
「よお、久しぶりじゃないか。我が一番弟子よ。」
中段の金髪エルフが、レイリーを見るなり、人懐こい笑みを浮かべながら挨拶して来た。
「あれ……先輩の弟子って、若手ではかなり有名なレイリー君ですか?」
下段に入っている銀髪のダークエルフが意外だとばかりに中段のエルフに聞いた。
「そうだ。何だ、さっき言わなかったか?」
「言ってませんよ。」
「おかしいな……俺はさっき言った筈なんだが。」
「トシの取り過ぎでボケてるんじゃないですかね?」
「失礼な奴だな、お前は。」
中段と下段のベッドを陣取っている、外見は若い“老齢”のエルフ達は、掛け合い漫才の様な会話をひとしきり交わした後、ベッドから降りた。
「る、る、ルヴィシレス老師にヴェストレンネ族長じゃないですか!?ミスリアル魔道界の重鎮ともあろう方が、なぜこの艦に!?」
レイリーは声を裏返しながら聞いた。
金髪のエルフ……ベドヴィル・ルヴィシレスがその質問に答える。
「暇だったから。」
ニカッと笑いながら出てきたその答えに、レイリーは固まってしまった。
「だから先輩。適当に答えるのは止めた方が良いと。」
もう1人のダークエルフ、フォリック・ヴェストレンネがルヴィシレスの腕をつつきながら注意する。
「何言ってるんだ。本当の事じゃないか。」
「過程を言わんと駄目でしょうが……」
ヴェストレンネが困った顔つきで言うが、その彼に対し、レイリーは更に困った表情を貼りつかせつつ、新たな質問をぶつけた。
「僕としては、ヴェストレンネ族長がここにいらっしゃる事もかなり驚きだと思っているですが………エスパレイヴァーン族の長でもあるあなたが、何故ここへ?」
「最近暇だったんでな。氏族の幹部を説得して、気合を入れ直しがてらの旅に出る事にしたのさ。」
自らの師匠が言った事と、大差ないと思わんばかりの言葉を吐く族長に、レイリーは思わず頭を抱えたくなった。
「そんな時にね、女王陛下から連絡が来たのさ。」
「ヒューリック陛下からですと?」
レイリーが頓狂な声を上げる。
「近い内に、アメリカと共同作戦を行うため、首都の魔道研究所で派遣要員に訓練をお願いしたいとね。」
「訓練ですか……何の訓練でしょうか?」
「生命反応探知妨害魔法の新式魔法石の動作方法と、精度向上のやり方だ。最初は、魔道研究所の試験部副主任だったスレンティがこの艦に派遣される
予定だったんだが……どうせ教えるだけじゃつまらんから俺がその座を奪ってやった。」
「はぁ!?何でそうなるんですか!?」
レイリーは、自分勝手な判断で任務に参加した目の前の族長殿に大声を上げてしまった。
「スレンティは俺の教え子だからな。あれこれ言ってやったら最終的に折れてくれたよ。」
「何馬鹿な事やってるんですか!陛下があなたに下した命令は、派遣要員の訓練ですよ!?」
「そんな事は、こいつは百も承知だよ。」
唐突に、ルヴィシレスが口を挟んだ。
「何を言っているんですか、老師!そもそも、あなたがここに居る事も、自分としては信じられない……本来ならば、老師は首都で魔道の研究に専念して
おられた筈。このような任務は、若い自分達の仕事です。それなのに、ミスリアル魔道界の至宝とも言うべきあなた方がここに居ると言うのが……」
レイリーは、途中から声を震わせる。
「……なぁ、レイリー。俺達エルフ族は不老長寿だ。」
「何を……そんな事、自分も知っていますよ。」
唐突に今の話とは関係の無い言葉を吐くルヴィシレスを、レイリーは睨みつけつつ、荒い口調でそう答えた。
「話をはぐらかさないでください。」
「まぁ最後まで聞け。」
苛立つレイリーを抑えつけるかのように、ヴェストレンネが右肩に手を添えた。
「俺達は確かに、80年以上の時を生きた。だが、死ぬまでは、最低でも、あと80年以上の月日を過ごさなければいけない。本来なら、このまま
のんびりと仕事をして過ごすか、家に帰って自分の趣味に耽るまま過ごすのが常だが……今は非常時だ。この戦争で、ミスリアルは若い血を流し過ぎた。」
ルヴィシレスはレイリーの目を真っ直ぐ見据えたまま、自分の胸の内を明かして行く。
「3年前のミスリアル本土戦でも、多くの命が失われた。その大半は、お前のように、国の為に殉じようとしていた若者だ。なのに、“年寄り”だった俺達は、
比較的安全な西部や首都にこもっていただけだ。そして、戦場が北大陸に移った今も、前線で命を散らして行くのは、10代後半から40代の働き盛りの奴らばかりだ。」
「そして、年ばかりを重ねまくった俺達は、相も変わらず、後ろにいるだけ。だが……俺達はもう、若い連中ばかりに苦労はさせたくない。」
「族長……」
ルヴィシレスとヴェストレンネの覚悟は本物だ……
レイリーは、2人の言葉を聞いて行くうちに、心中でそう思っていた。
「一応、リクレア……じゃなくて、女王陛下には話は通してある。」
ヴェストレンネは、途中でヒューリック女王の名を呼び捨てにしかけたが、慌てて訂正した。
(……昔は女王陛下の教師を務めていたようだから、今のは仕方ないかな)
レイリーは内心そう思いつつ、ヴェストレンネの言葉を聞き続けた。
「無論、最初は猛反対されたがね。」
「だけど、俺達は懸命に粘ったよ。その甲斐あって、俺らはこの作戦の参加を許された。」
「そうですか……1週間前、ルィールが妙に落ち込んでいたのは、あなた達のせいだったのですね。」
「彼女には悪い事をしてしまったかな。」
「む……ちょっと待って下さい。」
レイリーはふと、疑問に思った。
「自分が出撃前に聞かされた話では、魔法石調整役には4名ほどの人員を先に派遣している、と言われていますが、もう1隻の潜水艦には今、
誰が乗っているんですか?」
「ああ。もう1隻には事前に決められていた魔道士を乗せてある。予定外なのはここだけだな。」
ルヴィシレスの言葉に、レイリーはひとまず、安堵の溜息を吐いた。
「そうですか……てっきり、師匠達が何か根回しをして、メンバーを変えたのかと思いましたよ。」
「メンバーは、計画が立案された瞬間から決まっていたよ。」
ヴェストレンネが答える。
「もう1隻に乗るメンバーは誰です?」
「ヴェリカ・ミランダス導師とレミシャ・ドヴェンクィル導師だ。」
ヴェストレンネの出した答えを聞いたレイリーは、再び目を丸くした。
「え……そのお二方って、押しも押されぬ大物じゃないですか!?なんであの人達までがこの作戦に!?」
「理由は、俺達と似たようなものだ。」
「若い娘達ばかりに任せてはいられないってさ。」
2人はそう言った後、互いに顔を見合わせ、高笑いするが、レイリーは今度こそ、両手で頭を抱えてしまった。
「と言う事は……この2隻の潜水艦がやられてしまったら、ミスリアル王国の魔道界はとんでもない損失を食らうと言う事ですかな?」
それまで黙って聞いていたノヴォトニー艦長がレイリーに質問する。
それにレイリーが答えようとするが、先にルヴィシレスが口を開いた。
「いや、そうはなりませんよ。本国には、私達の後釜なぞ幾らでも居ます。例え、私達が死んだとしても、後は彼らが上手くやってくれるでしょう。」
「し、師匠!そんな事はありませんよ!あなた達に先立たれたら、我が国の魔道技術はどうなるんです?」
レイリーが慌てて否定しようとするが、ルヴィシレスは予想通りとばかに口元を歪めた。
「フフ、大丈夫だよ。」
「……何を根拠に、そう言われるのですか、老師。」
「お前達を見ていると、自然とそう思ってしまうのさ。それとも、お前達は自分達が何もできない小心者だと思っているのか?機械技術と、魔法技術を
融合したモノ……今までに全く類の無い代物を、“たった数年で”作ったお前達が?」
「う………」
レイリーは押し黙ってしまった。それを見たルヴィシレスは、思わず苦笑しながら、彼の肩をポンと叩いた。
「それじゃ、元の気の小さいガキのままだぞ。もっとしっかりせんか!」
「……老師。」
「お前は、ミスリアルの中で5本の指に入るぐらい優秀な魔道士だ。そして、魔法技術以外にも才能がある事を、俺は知っている。だからこそ、今回の
任務にお前が選ばれたんだ。いいか、これは、お前と、クサンドゥス中尉にしかできない仕事だ。もう、元の小心者になる暇は無い。アメリカ本土で
成し遂げたような感じでやれば、この任務もきっと成功する。」
「……はい。」
レイリーは、ゆっくりと頷いた。
「自信を持て。いいな?」
「はい。わかりました、老師。」
レイリーは、覇気のある声音でそう答えた。
「よし。流石は自慢の弟子だ。これなら、この任務も成功したも同然だな。」
「いや、それはちょいとばかり、気が早いと思うんですけどね。」
早くも自信満々に言うルヴィシレスに対して、ノヴォトニーはやや控えめな口調で突っ込みを入れた。
「まぁまぁ、艦長さん。そう思っておけば、きっと成功するって。特に、あの新型の魔法石を自在に操る俺達が居る限りは大丈夫だ。大船に乗った
つもりでいてくれ!」
ヴェストレンネは満面の笑みを顔に浮かべながらノヴォトニーに言った。
「いや、そのようなセリフは自分が言うような気がするんですが……」
ノヴォトニーは、ダークエルフの“老魔道師”が発する迷言に首を傾げたが、付き合い続けるのは体力の無駄と判断し、その場から撤退する事にした。
「話が長くなったようですが、ひとまず、グリンゲル魔道士は今日からここで寝泊まりしてもらいます。目的地までは2週間近くかかりますが、それまでは
我慢して下さい。」
「わかりました。艦長、今後ともよろしくお願いします。」
レイリーは右手を差し出した。ノヴォトニー艦長はそれに答え、彼と固い握手を交わした。
ノヴォトニーはでは、と呟いてから発令所に戻って行った。
「……レイリー、俺達は見ていたぞ?」
「へ?何をです?」
いきなり、怪しげな笑いを浮かべながら不可解な事を言い始めた老師と族長に、レイリーは怪訝な表情を現した。
「潜水艦に入った瞬間のあの間抜け面だ!いやぁ、面白かったぞ!」
「……ああ!思い出した!!」
彼は、司令塔で見た呪文を思い出した。あの呪文は、師匠であったルヴィシレスが使っていた、監視魔法の物であり。
レイリーはそこで、初めて目にする潜水艦の内部を目を輝かせながら見回していた。
普段目にする事の無い恥ずかしい場面を、目の前の師匠達はクスクス笑いながら見ていたのである。
どちらかというと、イタズラ好きで人の悪い事でも有名なルヴィシレスであるから、ヴェストレンネにも色々と、恥ずかしい過去を
暴露しまくっていたのであろう。
「先輩から聞かせて貰ったぞ。お前もなかなか、派手な事をしまくっていたようじゃないか。いやはや、有名人は色事も付き物だな。」
「ヴェストレンネ、これで奴の正体も分かっただろう?いやはや、今回の旅はなかなか、楽しませてくれそうだぞ。」
更に怪しさを増す2人のおっかないエルフ。
「……こりゃ、苦労するぜ……」
レイリーは、今回の航海はストレスを溜めるだけのろくでもない物になるであろうと、心中でそう確信したのであった。
潜水艦フラックスナークは、午前0時丁度に、僚艦シーダンプティと共にエルピリットゥ・サント港を出港した。
2隻のアイレックス級潜水艦は、港外に出た後はひたすら北上を続けた。
出港から2日後にはマルヒナス運河に向かい、10月18日には運河の東側に抜けた。
その後は、丸1日ほど東進した後、進路を北北東に変えた。
10月20日には、シホールアンル帝国本土東岸の国境付近の港、デヴォルスクムより400キロ沖合に到達し、そこから昼間は潜水し、
夜間は浮上航行という方法で進み続けた。
2隻の潜水艦は、10月25日にはシホールアンル本土北東側の沿岸部より200キロの位置にまで進出する予定であり、行動は順調に推移しつつあった。
1945年(1485年)10月23日 午前9時 シホールアンル帝国バーシトリス沖280マイル地点
潜水艦フラックスナークは、深度90メートルを時速3ノット(約5キロ)のスピードで航行を続けていた。
ノヴォトニー艦長は、発令所でソナー員の報告聞きながら、海図台に敷かれている海図を見つめ続けていた。
「艦長。左舷方向より接近中の敵艦、間も無く、我が艦の真上を通過します。」
ソナー員がノヴォトニーに知らせて来た。
彼は頷くと、天井に顔を向けた。
艦の真上から、ピーン、ピーンという甲高い音が伝わって来る。
この音は、警戒中のシホールアンル艦から発せられている物だ。
「いつ聞いても、連中の発する音は不快に感じますな。」
「ああ。しかも、こっちの駆逐艦の発するソナー音に嫌な程似ているのが、これまた腹が立つ。嫌がらせとはいえ、これはかなり利くな。」
ノヴォトニー艦長は、副長のヴェルキン・ティルクロット大尉にそう返した。
「連中が、マジックソナーに音を付け始めたのは、今年の2月からか。最初は、敵もアクティブソナーを導入したかと慌てたが。」
「生命反応を探知するから、実質的にはアクティブソナーと似たような物だがね。」
海図台に向かい合う様な形で立っているルヴィシレスが、ノヴォトニーにそう言った。
「確かにそうでしたね。」
「アクティブソナーは音を出して、目標に当たった反応を捉える物だ。君達がマジックソナーと言っている生命反応探知魔法も、原理はそれと似ている。
最も、私とヴェストレンネが操作している魔法石は、魔法の探知波を完全にごまかしているから、その原理は全く通用していない。」
ノヴォトニーは相槌を打った。
「艦長、敵の哨戒艦が通り過ぎて行きます。速度は24ノット。針路は190度です。」
ソナー手の報告を耳にしたノヴォトニーは、海図台に記した現在位置から南方向にペン先をなぞらせた。
「南に向かっているか……と言う事は、ヴェンプレクロ周辺に向かう増援かもしれんな。」
「これで6隻目です。陽動は上手くっているようですな。」
ティルクロット副長が事務的な口調でノヴォトニーに言う。
「だな。このまま、現場海域の周辺が空になればこっちの物だが、さて、どうなる事かな。」
ノヴォトニーは、ペンを片手でくるくると回しながら副長に言葉を返した。
アメリカ軍は、敵陣後方の潜入要員を護送する潜水艦を援護するため、10月21日から23日にかけて、シホールアンル帝国国境から東にある港、
デヴォルスクムと、その北100キロにあるルバンテリクロに航空攻撃を行った。
攻撃は、占領したバイスエ東部に進出した第8航空軍指揮下の4個航空団と、第2海兵航空団を動員して行われた。
最初の第1日目はB-17、B-24を主力とした戦爆連合編隊が、後方基地と化していたデヴォルスクム港とその周辺の物資集積所を爆撃した。
2日目にはB-24爆撃機が前日に引き続き、デヴォルスクムに爆撃と、港湾に機雷を投下した他、夕方前にはB-17がルバンテリクロ港に爆弾と機雷の雨を降らせた。
3日目には、機雷の除去のために掃海に出たシホールアンル海軍艦艇を攻撃するため、B-25爆撃機と海兵隊のSB2C、TBFが多数の戦闘機を伴って同港を攻撃した。
この攻撃で、機雷を除去していた23隻の掃海艦のうち、11隻が撃沈され、6隻が損傷を負って最寄りの港に避難した。
この攻撃でシホールアンル海軍は掃海戦力に少なからぬ打撃を被り、特に、最新型のB-25Hの攻撃は凄まじく、機首に集中された50口径機銃を受けて無残にも引き裂かれ、
沈没する艦が相次いだ。
B-25Hの攻撃から運良く生き延びた掃海艦も、海兵隊航空隊のコルセア、ヘルダイバーやアベンジャーに追い回され、次々と撃沈されていった。
この3日間の攻撃で、米軍は総計1800機を動員し、シホールアンル側に少なからぬ損害を与えた。
その一方で、シホールアンル側の迎撃も熾烈を極め、第8航空軍は帰還後に廃棄と判断された物も含めて、B-17、B-24を26機、B-25を23機、戦闘機21機を失い、
第2海兵航空団はF4U9機、F7F4機、SB2C12機、TBF5機を失っている。
この一連の大空襲で東南部沿岸の掃海戦力に大きな穴が開いたシホールアンル軍は、急遽、首都近郊にあるシギアル港より掃海艦艇と駆逐艦の増派を決定し、多数の艦艇が南に向かっていた。
ノヴォトニーの指揮するフラックスナークの上を行くのは、いずれも東南部沿岸の増援として送られつつある掃海艦か、駆逐艦ばかりであった。
ノヴォトニーらが発令所で、敵艦の通過音に聞き耳を立てている頃、そのすぐ後ろ側……やや艦尾寄りに位置している兵員食堂では、レイリーが1人の士官と共に座って会話を交わしていた。
「また、シホット共の軍艦が上を通過しているようですね。」
フラックスナークの水上機を操縦するアーヴィン・グラハム中尉が上に顔を向けながらレイリーに話しかける。
「昨日からちょくちょくと、上を通っているね。これで6隻目だ。」
「国境に近い東部沿岸に陸軍さんが陽動で空襲を仕掛けたようですが、北から敵艦が続々と南下していると言う事は、陽動は上手く行ったようですな。」
「多分な。」
レイリーが一言答えた後、側から偵察員のテリー・ヴィッキーニ兵曹長が両手にカップを持ちながら2人に声をかけた。
「お待たせしました。これ、機長の分です。これはエルフの旦那の分です。」
ヴィッキーニ兵曹長は、2人の手元にアイスクリームの入ったカップを置いた。
「おう、ご苦労さん。」
グラハム中尉は、伸びた顎髭をさすりながらヴィッキーニ兵曹長に礼を言った。
ヴィッキーニはレイリーの隣に腰を下ろした。
「それにしても、シホット共の本拠地に潜入するとは、グリンゲルさんもどえらい任務を仰せつかりましたな。」
ヴィッキーニは、畏怖と尊敬の混じった口調でレイリーに言う。
「そうかな?ただ侵入して、待つだけの任務だけど。」
「簡単に言いますがね、潜入する場所は飛んでも無い場所ですよ。いくら、あっち側に居るスパイの手助けが借りれるとは言え………下手すりゃシホット共に
やられちまいますよ。」
「おいおい。これから任務に当たろうとしている人になんつー事言うんだ、馬鹿!」
グラハム中尉は厳しい口調で注意しながら、ヴィッキーニの頭をはたいた。
「すんませんね、グリンゲルさん。こいつ、昔から頭が足りんやつでしてね。」
「いや、別に気にしてないぜ。彼の言う事は本当の事だからね。」
レイリーは微笑みながら、部下の非礼を詫びるグラハムにそう言った。
彼は、カップのアイスクリームをスプーンですくい、それを口に入れた。
「うん、やっぱりアイスクリームは美味いね。潜水艦の中は独特な感じがして、俺は一生慣れねぇ環境だなと思ったが……このような艦に居ても、
アイスクリームを食べられるとは、流石はアメリカだと思ってしまうな。」
「何言ってるんですか、グリンゲルさん。アイスクリームは必需品ですよ。それがない艦は軍艦じゃないですよ。」
「おい!また変な事口走ってんじゃねえぞ!」
ヴィッキーニの軽やかな言葉に反応したグラハムが、握りこぶしを振り上げながら叱責した。
この2人の搭乗員は、最初にレイリーと出会ってからずっとこんな感じである。
「いやぁ、あんたらって良い兄妹だよな。」
「違いますよ、グリンゲルさん。こいつが頻繁にアホなことばっかり抜かすから自分が叱っているだけです。まぁ、偵察員としての腕前は確かなんですがね。」
グラハムがそう言いつつ、半目になりながらヴィッキーニを見つめた。
「自分、イタリア系な物ですから、普段は陽気じゃないとやってられないんですよ。」
「お前は陽気過ぎだ。もうちょっとピシッとせんか。」
グラハムは苦笑しながら、アイスクリームを頬張った。
(一見、デコボココンビに見える2人だが、飛行機乗りとしては本当にベテランだからな。グラハム機長はともかく、ヴィッキーニ兵曹長があんなにヘラヘラしているのは、
任務中に真剣にやっている反動なのかもしれないな)
レイリーは互いに話し合う2人を見つめながらそう思った。
グラハムとヴィッキーニは、1941年に重巡洋艦ポートランドの水偵乗りとしてペアを組んで以来、ずっと一緒に飛び続けていたと言う。
1942年5月には軽巡洋艦ヘレナに乗り組み、第2次バゼット海海戦の前後には、夜間の偵察任務に従事している。
1943年7月からは重巡洋艦ボルチモアに搭乗し、翌年2月には空母レキシントンとサラトガ搭載機を主軸として行われた夜間空襲に先導機として参加し、敵地に照明弾を
落として空襲を支援した。
1944年9月にはボルチモアから降り、本国で新鋭機であるSO3Aシーラビットの機種転換訓練を行った。
訓練終了後は、竣工したばかりの最新鋭潜水艦フラックスナークに乗り組みとなり、同艦で哨戒海域の航空偵察に従事していた。
2人の飛行時間は、共に2000時間を超えており、経験も豊富である。
帝国本土潜入の際には、2隻のアイレックス級潜水艦から夜間の内に水上機を発進させ、現地の協力者が待つ沿岸部にスパイを運ぶ事になっているが、この危険かつ、困難な任務を
行う上では、2人はまさにうってつけのベテラン搭乗員と言えた。
「そう言えば、俺が乗る事になっている飛行機の事だが……2人の話を聞く限りでは、元々は2人乗り用だと聞いている。そこに俺が入るスペースはあるのかな?」
「準備はしてありますよ。出港前に、後部座席の後ろに座席を追加した奴が格納庫に容易されています。手狭ですが、多少の荷物と、人が1人入れる分のスペースはありますよ。」
「どれぐらいのスペースだい?」
レイリーが聞くと、唐突にヴィッキーニが立ち上がり、テーブルの側にあぐらをかいた。
彼はそこで体育座りをし、続けて、頭を股間と膝の間にうずめた。
「入る時は大体こんな感じになりますよ。まぁ、後部の機銃座は取っ払ってあるんで、少しは広いですよ。」
「………そう、ですか。」
レイリーは引き攣った笑みを浮かべながら、ヴィッキーニにありがとうと告げた。
「きつい姿勢ですが、まっ、最低でも1時間。長くても2時間こっきり我慢すれば大丈夫ですよ。」
グラハムは他人事のように言うと、軽やかな笑い声を上げた。
レイリーは、暗澹たる気持ちになりながらも、手元のアイスクリームを口に入れた。
バニアラアイスの甘い味わいのお陰で、不安が多少和らいだのが救いとなり、レイリーは前向きに考える事で往路の心配を打ち消したのであった。
1485年(1945年)10月12日 午後12時 ミスリアル王国エスピリットゥ・サント
この日の天候は、西から接近して来た低気圧の影響で朝からずっと雨であった。
かつては、太平洋艦隊の主力部隊が駐留し、北大陸へ向かう輸送艦艇で埋まっていたエスピリットゥ・サントの広い入り江は、今では入港する船が
少なくなった事もあり、すっかり閑散としていた。
そんな中、潜水艦フラックスナークは、2日前からこの港で、僚艦と一緒に待機を命じられていた。
フラックスナークの艦長であるクロック・ノヴォトニー中佐は、雨合羽を着た状態で自艦を係留している桟橋から降りた後、既に桟橋でタバコを
加えながら待っている僚艦シーダンプティの艦長、ヴェリンク・ブラトリスク中佐に話しかけた。
「おう。調子はどうだ?」
ブラトリスク艦長はノヴォトニー艦長に顔を振り向け、タバコをくわえたまま答えた。
「悪くは無いぜ。そっちはどんな感じだ?」
「君んトコと一緒さ。悪くも無く、良くも無く……かな。」
ノヴォトニー艦長の言葉を聞いたブラトリスク艦長は、紫煙を吐いた後、夜空に顔を向けた。
「雨が止まんな。」
「西から来た低気圧のせいでこうなっちまっているらしい。今の所は小雨だが、沖は荒れてそうだな。」
「確実に荒れているよ。」
ブラトリスクが断言する。
「雨は弱いが、北風が強い。波高は大体、4、5メートルと言った所だろうね。」
「4、5メートルか。しばらくは浮上航行で行くが……この波なら相当揺れるぞ。お客さん達は耐えられるかねぇ。」
ノヴォトニーは苦笑しながらブラトリスクに聞く。
「100%耐えられんだろうさ。あそこに付くまで、奴さん達は使い物にならんじゃないのかと心配だよ。」
「全くだぜ。」
ブラトリスクにそう答えたノヴォトニーは、懐からタバコとジッポライターを取り出す。
箱からタバコを1本取ると、それを口にくわえ、ライターで火を付ける。
「ブラトリー、今何時だ?」
ノヴォトニーはタバコを一息吸い、同僚の艦長をニックネームで呼びつつ、時間を聞いた。
「12時5分だ。早寝早起きを良しとする奴は、今頃、とっくに夢の中だな。」
「お客さんの到着まではあと10分程はあるか。さて、どんな奴が来るのかね。」
「ロックウッド長官の話では、スパイをシホット共の本国まで連れて行って欲しい、としか聞いていない。恐らくは、歴戦のガチガチとした軍人が来るんじゃねえかな?」
「おいおい。野郎はお断りだぜ。」
ノヴォトニーはしかめっ面を浮かべてそう言う。
「ただでさえ、野郎ばかりでむさ苦しいと言うのに……これ以上、男が来るのはご勘弁願いたい物だ。」
「クリックの所には、ミスリアルから来た綺麗所がいるだろうが。」
ブラトリスクが整えられた口髭をニヤリと歪めながら言う。
「馬鹿!ありゃ男だぞ!しかも、年が89歳と78歳のご老体だぜ!?」
「外見は普通の若者じゃないか。」
「年齢は俺の2倍以上だぞ……」
ノヴォトニーはげんなりとしながら、ブラトリスクに答える。
「そっちはいいよなぁ。魔法石の様子を見る魔法使いが美人の女で。やはり、ダークエルフはいつ見ても綺麗だぜ。」
「羨ましそうだな。」
「当然だろうが……あれを見て羨ましがらない奴が居たら、そいつはどこかがおかしくなっとるのさ。」
ノヴォトニーはため息を吐きながら、早口でそうまくしたてる。
その一方で、ノヴォトニーに羨ましがられているブラトリスクはと言うと、表面上では笑っていたが、心の底では全く笑って居なかった。
(……こっちも69歳というお年頃の方だがね)
ブラトリスクは心中でぼやきつつ、吸っていたタバコを地面に捨てる。
「……なあ。この作戦、本当に成功すると思うか?」
ノヴォトニーは、語調を変えてブラトリスクに問うた。
「いくらミスリアルから貸し与えられた、魔法石の加護があるとはいえ、俺達が向かうのは敵国本土西海岸だ。当然、警戒も厳重になっている筈だ。」
「怖いのか?」
ブラトリスクは冷気のこもった口調で親友に聞き返す。
「怖いに決まっているだろうが。派手に陽動を行って、現場海域の敵を散らすと、ロックウッドの親父さんは言っていたが、ある程度の敵が残っているだろう。
当然、敵も最新の装備を有して、こそこそと嗅ぎ回る下手人はいないかと、鵜の目鷹の目で見張っている筈だ。そこを突破しろと言われている……この最新鋭の
アイレックス級でも、これは難しい任務だと思う。」
「……俺も、お前と同じように、怖いと思っているさ。」
ブラトリスクは、どこか暢気さを感じさせる語調でノヴォトニーに返す。
「でも、任務前にあれこれ考えるのは性分じゃないね。俺達は任務を受けた。後は、その任務をこなすだけさ。」
「相変わらず、あっさりとしている奴だ。その味気なさは何年立っても、健在だな。」
ブラトリスクの短い返事に、ノヴォトニーは半ば呆れた。
まるで、何も感じていないのだろうと言わんばかりの口調であるが、ブラトリスクとは兵学校時代からの腐れ縁であるノヴォトニーは、その何気無い口調が、
心中では彼が自分なりに任務をどう成功させるか考えている証しである事を知っていた。
彼は、それも知った上で、親友にそう言ったのである。
「普段は味気なくていい。だが、本番の時は味のある行動を見せろ。元Uボート乗りだったウチの親父の言葉さ。」
「知ってるよ。まぁ、余計な事を言わせて貰うと、俺の親父も元Uボート艦長だけどね。」
ブラトリスクの言葉に、ノヴォトニーは半ば誇らしげな顔つきで答える。
その時、桟橋の入り口の方から、1台の車がヘッドライトを点けたまま現れた。
小雨に打たれながら登場したダッジWCトラックは、潜水艦が係留されている場所まで10キロ程のスピードで近付いた後、2人の前方20メートル手前で停止した。
「お客さんが来たようだな。」
ブラトリスクの言葉に、ノヴォトニーは無言で頷いた。
ノヴォトニーは、半分ほど間に縮んだタバコを地面に捨て、それを踏み潰した。
それと同時に、トラックから4人の人影が降りて来るのが見えた。
ミスリアル王国王立魔道研究所より派遣されたレイリー・グリンゲルは、トラックのライトに照らし出された2隻の潜水艦をちらりと見た後、その間に佇んでいる
2人の将校に視線を向けた。
小雨が降っているため、傘をさしていないレイリーは、着ている濃緑色のコートが水で濡れて行くのに心中で舌打ちをしつつ、表面上は平静さを装いながら歩いて行った。
「グリンゲルさん。あれが、私達の乗る船でしょうかね?」
レイリーの左隣を歩く、グレンキア軍のサミリャ・クサンドゥス中尉が聞いて来る。
「だろうね。大方予想は付いていたが……しかし、航空機を搭載している潜水艦とはね。」
レイリーは隣の女性将校に鮮やかな口調で答える。
やがて、2人の士官の前で立ち止まったレイリー達は、それぞれ自己紹介を始めた。
「ミスリアル王立魔道研究所より派遣された、レイリー・グリンゲルと申します。」
「私はサミリャ・クサンドゥス中尉と申します。グレンキア軍中央情報局より任を受けて参りました。」
2人の紹介が終わった後、今度は2人の潜水艦艦長が自らの名前と、指揮する艦を紹介した。
「クサンドゥス中尉は、シーダンプティに乗って貰います。」
「では、私は……」
ブラトリスクの言葉を聞いたレイリーは、隣のフラックスナークに視線を向ける。
「はい。グリンゲル導師には、私のフラックスナークに乗艦して貰います。出港まであまり猶予はありません。すぐに中へ行きましょう。」
ノヴォトニーはレイリーにそう言うと、艦上で待機していた水兵に指示を飛ばした。
潜水艦から桟橋に降りて来た水兵が、程良い声音で挨拶しながら、レイリーと、往路一緒であった陸軍の軍曹が持っていた荷物を手に取り、
ささっと艦内に入って行く。
右舷前部側から艦上に上がったレイリーは、艦中央部の艦橋前にある格納庫から艦首に向けて伸びるカタパルトに目を向けつつ、
ノヴォトニーの後を追って行く。
艦橋に上がると、先にノヴォトニーから司令塔に入って行った。
程無くして、降りたノヴォトニーから手招きされたレイリーは、初めて乗る潜水艦はどんな物なのかと呟きながら、ゆっくりと、梯子を降りて行った。
最後の一段を降りたレイリーは、ぐるりと室内を見回した。
「これが潜水艦ですか……」
彼は、初めて見る潜水艦の内部に、興味津津と言った表情を現した。
「後ほど、艦内をご案内します。その前に、まずは部屋にご案内しましょう。」
ノヴォトニーがやんわりとした口調でレイリーに言う。
「あ、ああ。わかりました。」
普段冷静なレイリーにしては珍しく、半ばぼうっとしていた。
彼はやや慌てたようにノヴォトニーの後を付いていき、司令塔から発令所に降りて行く階段に足を運ぼうとした時、不意に、壁に見覚えのある紋様が描かれていた。
「む……これは結界?どこかで見た覚えが……!!」
レイリーは急に、恥ずかしさの余り顔を赤くしてしまった。
(い、いや……とにかく、今は俺の住処となる部屋に行かなければ!)
レイリーは気持ちを素早く落ち着けつつ、発令所に降り立った。
そこで作業に当たっていた乗員達が気を付けの態勢を取り、艦長と新たな来訪者の通過を待つ。
ノヴォトニーに続いて艦内を行くレイリーは、次に兵員食堂に入ったが、そこで彼は、通路にびっしりと積まれた食料品や消耗品の木箱の群れに度肝を抜かれた。
「な……道が……」
半ば唖然となるレイリーなぞ露知らずとばかりに、ノヴォトニーは手狭となった通路を軽い足取りで乗り越えて行く。
その後ろ姿が、妙に頼もしく見えてしまった。
木箱を踏み砕かぬように用心して進むレイリーだが、兵員食堂を抜け、兵員区画に付いてからも、通路には依然として木箱が置かれており、通行状態は、
レイリーにとって最悪の一語に尽きた。
「こちらが寝台となっています。」
彼は用意された寝台を見るや、その場で固まってしまった。
寝台は、上、中、下と3つ並んでおり、うち中段と下段に人が入っていた。
レイリーは、中段と下段に入っている人物に対して、目を大きく見開いていた。
「よお、久しぶりじゃないか。我が一番弟子よ。」
中段の金髪エルフが、レイリーを見るなり、人懐こい笑みを浮かべながら挨拶して来た。
「あれ……先輩の弟子って、若手ではかなり有名なレイリー君ですか?」
下段に入っている銀髪のダークエルフが意外だとばかりに中段のエルフに聞いた。
「そうだ。何だ、さっき言わなかったか?」
「言ってませんよ。」
「おかしいな……俺はさっき言った筈なんだが。」
「トシの取り過ぎでボケてるんじゃないですかね?」
「失礼な奴だな、お前は。」
中段と下段のベッドを陣取っている、外見は若い“老齢”のエルフ達は、掛け合い漫才の様な会話をひとしきり交わした後、ベッドから降りた。
「る、る、ルヴィシレス老師にヴェストレンネ族長じゃないですか!?ミスリアル魔道界の重鎮ともあろう方が、なぜこの艦に!?」
レイリーは声を裏返しながら聞いた。
金髪のエルフ……ベドヴィル・ルヴィシレスがその質問に答える。
「暇だったから。」
ニカッと笑いながら出てきたその答えに、レイリーは固まってしまった。
「だから先輩。適当に答えるのは止めた方が良いと。」
もう1人のダークエルフ、フォリック・ヴェストレンネがルヴィシレスの腕をつつきながら注意する。
「何言ってるんだ。本当の事じゃないか。」
「過程を言わんと駄目でしょうが……」
ヴェストレンネが困った顔つきで言うが、その彼に対し、レイリーは更に困った表情を貼りつかせつつ、新たな質問をぶつけた。
「僕としては、ヴェストレンネ族長がここにいらっしゃる事もかなり驚きだと思っているですが………エスパレイヴァーン族の長でもあるあなたが、何故ここへ?」
「最近暇だったんでな。氏族の幹部を説得して、気合を入れ直しがてらの旅に出る事にしたのさ。」
自らの師匠が言った事と、大差ないと思わんばかりの言葉を吐く族長に、レイリーは思わず頭を抱えたくなった。
「そんな時にね、女王陛下から連絡が来たのさ。」
「ヒューリック陛下からですと?」
レイリーが頓狂な声を上げる。
「近い内に、アメリカと共同作戦を行うため、首都の魔道研究所で派遣要員に訓練をお願いしたいとね。」
「訓練ですか……何の訓練でしょうか?」
「生命反応探知妨害魔法の新式魔法石の動作方法と、精度向上のやり方だ。最初は、魔道研究所の試験部副主任だったスレンティがこの艦に派遣される
予定だったんだが……どうせ教えるだけじゃつまらんから俺がその座を奪ってやった。」
「はぁ!?何でそうなるんですか!?」
レイリーは、自分勝手な判断で任務に参加した目の前の族長殿に大声を上げてしまった。
「スレンティは俺の教え子だからな。あれこれ言ってやったら最終的に折れてくれたよ。」
「何馬鹿な事やってるんですか!陛下があなたに下した命令は、派遣要員の訓練ですよ!?」
「そんな事は、こいつは百も承知だよ。」
唐突に、ルヴィシレスが口を挟んだ。
「何を言っているんですか、老師!そもそも、あなたがここに居る事も、自分としては信じられない……本来ならば、老師は首都で魔道の研究に専念して
おられた筈。このような任務は、若い自分達の仕事です。それなのに、ミスリアル魔道界の至宝とも言うべきあなた方がここに居ると言うのが……」
レイリーは、途中から声を震わせる。
「……なぁ、レイリー。俺達エルフ族は不老長寿だ。」
「何を……そんな事、自分も知っていますよ。」
唐突に今の話とは関係の無い言葉を吐くルヴィシレスを、レイリーは睨みつけつつ、荒い口調でそう答えた。
「話をはぐらかさないでください。」
「まぁ最後まで聞け。」
苛立つレイリーを抑えつけるかのように、ヴェストレンネが右肩に手を添えた。
「俺達は確かに、80年以上の時を生きた。だが、死ぬまでは、最低でも、あと80年以上の月日を過ごさなければいけない。本来なら、このまま
のんびりと仕事をして過ごすか、家に帰って自分の趣味に耽るまま過ごすのが常だが……今は非常時だ。この戦争で、ミスリアルは若い血を流し過ぎた。」
ルヴィシレスはレイリーの目を真っ直ぐ見据えたまま、自分の胸の内を明かして行く。
「3年前のミスリアル本土戦でも、多くの命が失われた。その大半は、お前のように、国の為に殉じようとしていた若者だ。なのに、“年寄り”だった俺達は、
比較的安全な西部や首都にこもっていただけだ。そして、戦場が北大陸に移った今も、前線で命を散らして行くのは、10代後半から40代の働き盛りの奴らばかりだ。」
「そして、年ばかりを重ねまくった俺達は、相も変わらず、後ろにいるだけ。だが……俺達はもう、若い連中ばかりに苦労はさせたくない。」
「族長……」
ルヴィシレスとヴェストレンネの覚悟は本物だ……
レイリーは、2人の言葉を聞いて行くうちに、心中でそう思っていた。
「一応、リクレア……じゃなくて、女王陛下には話は通してある。」
ヴェストレンネは、途中でヒューリック女王の名を呼び捨てにしかけたが、慌てて訂正した。
(……昔は女王陛下の教師を務めていたようだから、今のは仕方ないかな)
レイリーは内心そう思いつつ、ヴェストレンネの言葉を聞き続けた。
「無論、最初は猛反対されたがね。」
「だけど、俺達は懸命に粘ったよ。その甲斐あって、俺らはこの作戦の参加を許された。」
「そうですか……1週間前、ルィールが妙に落ち込んでいたのは、あなた達のせいだったのですね。」
「彼女には悪い事をしてしまったかな。」
「む……ちょっと待って下さい。」
レイリーはふと、疑問に思った。
「自分が出撃前に聞かされた話では、魔法石調整役には4名ほどの人員を先に派遣している、と言われていますが、もう1隻の潜水艦には今、
誰が乗っているんですか?」
「ああ。もう1隻には事前に決められていた魔道士を乗せてある。予定外なのはここだけだな。」
ルヴィシレスの言葉に、レイリーはひとまず、安堵の溜息を吐いた。
「そうですか……てっきり、師匠達が何か根回しをして、メンバーを変えたのかと思いましたよ。」
「メンバーは、計画が立案された瞬間から決まっていたよ。」
ヴェストレンネが答える。
「もう1隻に乗るメンバーは誰です?」
「ヴェリカ・ミランダス導師とレミシャ・ドヴェンクィル導師だ。」
ヴェストレンネの出した答えを聞いたレイリーは、再び目を丸くした。
「え……そのお二方って、押しも押されぬ大物じゃないですか!?なんであの人達までがこの作戦に!?」
「理由は、俺達と似たようなものだ。」
「若い娘達ばかりに任せてはいられないってさ。」
2人はそう言った後、互いに顔を見合わせ、高笑いするが、レイリーは今度こそ、両手で頭を抱えてしまった。
「と言う事は……この2隻の潜水艦がやられてしまったら、ミスリアル王国の魔道界はとんでもない損失を食らうと言う事ですかな?」
それまで黙って聞いていたノヴォトニー艦長がレイリーに質問する。
それにレイリーが答えようとするが、先にルヴィシレスが口を開いた。
「いや、そうはなりませんよ。本国には、私達の後釜なぞ幾らでも居ます。例え、私達が死んだとしても、後は彼らが上手くやってくれるでしょう。」
「し、師匠!そんな事はありませんよ!あなた達に先立たれたら、我が国の魔道技術はどうなるんです?」
レイリーが慌てて否定しようとするが、ルヴィシレスは予想通りとばかに口元を歪めた。
「フフ、大丈夫だよ。」
「……何を根拠に、そう言われるのですか、老師。」
「お前達を見ていると、自然とそう思ってしまうのさ。それとも、お前達は自分達が何もできない小心者だと思っているのか?機械技術と、魔法技術を
融合したモノ……今までに全く類の無い代物を、“たった数年で”作ったお前達が?」
「う………」
レイリーは押し黙ってしまった。それを見たルヴィシレスは、思わず苦笑しながら、彼の肩をポンと叩いた。
「それじゃ、元の気の小さいガキのままだぞ。もっとしっかりせんか!」
「……老師。」
「お前は、ミスリアルの中で5本の指に入るぐらい優秀な魔道士だ。そして、魔法技術以外にも才能がある事を、俺は知っている。だからこそ、今回の
任務にお前が選ばれたんだ。いいか、これは、お前と、クサンドゥス中尉にしかできない仕事だ。もう、元の小心者になる暇は無い。アメリカ本土で
成し遂げたような感じでやれば、この任務もきっと成功する。」
「……はい。」
レイリーは、ゆっくりと頷いた。
「自信を持て。いいな?」
「はい。わかりました、老師。」
レイリーは、覇気のある声音でそう答えた。
「よし。流石は自慢の弟子だ。これなら、この任務も成功したも同然だな。」
「いや、それはちょいとばかり、気が早いと思うんですけどね。」
早くも自信満々に言うルヴィシレスに対して、ノヴォトニーはやや控えめな口調で突っ込みを入れた。
「まぁまぁ、艦長さん。そう思っておけば、きっと成功するって。特に、あの新型の魔法石を自在に操る俺達が居る限りは大丈夫だ。大船に乗った
つもりでいてくれ!」
ヴェストレンネは満面の笑みを顔に浮かべながらノヴォトニーに言った。
「いや、そのようなセリフは自分が言うような気がするんですが……」
ノヴォトニーは、ダークエルフの“老魔道師”が発する迷言に首を傾げたが、付き合い続けるのは体力の無駄と判断し、その場から撤退する事にした。
「話が長くなったようですが、ひとまず、グリンゲル魔道士は今日からここで寝泊まりしてもらいます。目的地までは2週間近くかかりますが、それまでは
我慢して下さい。」
「わかりました。艦長、今後ともよろしくお願いします。」
レイリーは右手を差し出した。ノヴォトニー艦長はそれに答え、彼と固い握手を交わした。
ノヴォトニーはでは、と呟いてから発令所に戻って行った。
「……レイリー、俺達は見ていたぞ?」
「へ?何をです?」
いきなり、怪しげな笑いを浮かべながら不可解な事を言い始めた老師と族長に、レイリーは怪訝な表情を現した。
「潜水艦に入った瞬間のあの間抜け面だ!いやぁ、面白かったぞ!」
「……ああ!思い出した!!」
彼は、司令塔で見た呪文を思い出した。あの呪文は、師匠であったルヴィシレスが使っていた、監視魔法の物であり。
レイリーはそこで、初めて目にする潜水艦の内部を目を輝かせながら見回していた。
普段目にする事の無い恥ずかしい場面を、目の前の師匠達はクスクス笑いながら見ていたのである。
どちらかというと、イタズラ好きで人の悪い事でも有名なルヴィシレスであるから、ヴェストレンネにも色々と、恥ずかしい過去を
暴露しまくっていたのであろう。
「先輩から聞かせて貰ったぞ。お前もなかなか、派手な事をしまくっていたようじゃないか。いやはや、有名人は色事も付き物だな。」
「ヴェストレンネ、これで奴の正体も分かっただろう?いやはや、今回の旅はなかなか、楽しませてくれそうだぞ。」
更に怪しさを増す2人のおっかないエルフ。
「……こりゃ、苦労するぜ……」
レイリーは、今回の航海はストレスを溜めるだけのろくでもない物になるであろうと、心中でそう確信したのであった。
潜水艦フラックスナークは、午前0時丁度に、僚艦シーダンプティと共にエルピリットゥ・サント港を出港した。
2隻のアイレックス級潜水艦は、港外に出た後はひたすら北上を続けた。
出港から2日後にはマルヒナス運河に向かい、10月18日には運河の東側に抜けた。
その後は、丸1日ほど東進した後、進路を北北東に変えた。
10月20日には、シホールアンル帝国本土東岸の国境付近の港、デヴォルスクムより400キロ沖合に到達し、そこから昼間は潜水し、
夜間は浮上航行という方法で進み続けた。
2隻の潜水艦は、10月25日にはシホールアンル本土北東側の沿岸部より200キロの位置にまで進出する予定であり、行動は順調に推移しつつあった。
1945年(1485年)10月23日 午前9時 シホールアンル帝国バーシトリス沖280マイル地点
潜水艦フラックスナークは、深度90メートルを時速3ノット(約5キロ)のスピードで航行を続けていた。
ノヴォトニー艦長は、発令所でソナー員の報告聞きながら、海図台に敷かれている海図を見つめ続けていた。
「艦長。左舷方向より接近中の敵艦、間も無く、我が艦の真上を通過します。」
ソナー員がノヴォトニーに知らせて来た。
彼は頷くと、天井に顔を向けた。
艦の真上から、ピーン、ピーンという甲高い音が伝わって来る。
この音は、警戒中のシホールアンル艦から発せられている物だ。
「いつ聞いても、連中の発する音は不快に感じますな。」
「ああ。しかも、こっちの駆逐艦の発するソナー音に嫌な程似ているのが、これまた腹が立つ。嫌がらせとはいえ、これはかなり利くな。」
ノヴォトニー艦長は、副長のヴェルキン・ティルクロット大尉にそう返した。
「連中が、マジックソナーに音を付け始めたのは、今年の2月からか。最初は、敵もアクティブソナーを導入したかと慌てたが。」
「生命反応を探知するから、実質的にはアクティブソナーと似たような物だがね。」
海図台に向かい合う様な形で立っているルヴィシレスが、ノヴォトニーにそう言った。
「確かにそうでしたね。」
「アクティブソナーは音を出して、目標に当たった反応を捉える物だ。君達がマジックソナーと言っている生命反応探知魔法も、原理はそれと似ている。
最も、私とヴェストレンネが操作している魔法石は、魔法の探知波を完全にごまかしているから、その原理は全く通用していない。」
ノヴォトニーは相槌を打った。
「艦長、敵の哨戒艦が通り過ぎて行きます。速度は24ノット。針路は190度です。」
ソナー手の報告を耳にしたノヴォトニーは、海図台に記した現在位置から南方向にペン先をなぞらせた。
「南に向かっているか……と言う事は、ヴェンプレクロ周辺に向かう増援かもしれんな。」
「これで6隻目です。陽動は上手くっているようですな。」
ティルクロット副長が事務的な口調でノヴォトニーに言う。
「だな。このまま、現場海域の周辺が空になればこっちの物だが、さて、どうなる事かな。」
ノヴォトニーは、ペンを片手でくるくると回しながら副長に言葉を返した。
アメリカ軍は、敵陣後方の潜入要員を護送する潜水艦を援護するため、10月21日から23日にかけて、シホールアンル帝国国境から東にある港、
デヴォルスクムと、その北100キロにあるルバンテリクロに航空攻撃を行った。
攻撃は、占領したバイスエ東部に進出した第8航空軍指揮下の4個航空団と、第2海兵航空団を動員して行われた。
最初の第1日目はB-17、B-24を主力とした戦爆連合編隊が、後方基地と化していたデヴォルスクム港とその周辺の物資集積所を爆撃した。
2日目にはB-24爆撃機が前日に引き続き、デヴォルスクムに爆撃と、港湾に機雷を投下した他、夕方前にはB-17がルバンテリクロ港に爆弾と機雷の雨を降らせた。
3日目には、機雷の除去のために掃海に出たシホールアンル海軍艦艇を攻撃するため、B-25爆撃機と海兵隊のSB2C、TBFが多数の戦闘機を伴って同港を攻撃した。
この攻撃で、機雷を除去していた23隻の掃海艦のうち、11隻が撃沈され、6隻が損傷を負って最寄りの港に避難した。
この攻撃でシホールアンル海軍は掃海戦力に少なからぬ打撃を被り、特に、最新型のB-25Hの攻撃は凄まじく、機首に集中された50口径機銃を受けて無残にも引き裂かれ、
沈没する艦が相次いだ。
B-25Hの攻撃から運良く生き延びた掃海艦も、海兵隊航空隊のコルセア、ヘルダイバーやアベンジャーに追い回され、次々と撃沈されていった。
この3日間の攻撃で、米軍は総計1800機を動員し、シホールアンル側に少なからぬ損害を与えた。
その一方で、シホールアンル側の迎撃も熾烈を極め、第8航空軍は帰還後に廃棄と判断された物も含めて、B-17、B-24を26機、B-25を23機、戦闘機21機を失い、
第2海兵航空団はF4U9機、F7F4機、SB2C12機、TBF5機を失っている。
この一連の大空襲で東南部沿岸の掃海戦力に大きな穴が開いたシホールアンル軍は、急遽、首都近郊にあるシギアル港より掃海艦艇と駆逐艦の増派を決定し、多数の艦艇が南に向かっていた。
ノヴォトニーの指揮するフラックスナークの上を行くのは、いずれも東南部沿岸の増援として送られつつある掃海艦か、駆逐艦ばかりであった。
ノヴォトニーらが発令所で、敵艦の通過音に聞き耳を立てている頃、そのすぐ後ろ側……やや艦尾寄りに位置している兵員食堂では、レイリーが1人の士官と共に座って会話を交わしていた。
「また、シホット共の軍艦が上を通過しているようですね。」
フラックスナークの水上機を操縦するアーヴィン・グラハム中尉が上に顔を向けながらレイリーに話しかける。
「昨日からちょくちょくと、上を通っているね。これで6隻目だ。」
「国境に近い東部沿岸に陸軍さんが陽動で空襲を仕掛けたようですが、北から敵艦が続々と南下していると言う事は、陽動は上手く行ったようですな。」
「多分な。」
レイリーが一言答えた後、側から偵察員のテリー・ヴィッキーニ兵曹長が両手にカップを持ちながら2人に声をかけた。
「お待たせしました。これ、機長の分です。これはエルフの旦那の分です。」
ヴィッキーニ兵曹長は、2人の手元にアイスクリームの入ったカップを置いた。
「おう、ご苦労さん。」
グラハム中尉は、伸びた顎髭をさすりながらヴィッキーニ兵曹長に礼を言った。
ヴィッキーニはレイリーの隣に腰を下ろした。
「それにしても、シホット共の本拠地に潜入するとは、グリンゲルさんもどえらい任務を仰せつかりましたな。」
ヴィッキーニは、畏怖と尊敬の混じった口調でレイリーに言う。
「そうかな?ただ侵入して、待つだけの任務だけど。」
「簡単に言いますがね、潜入する場所は飛んでも無い場所ですよ。いくら、あっち側に居るスパイの手助けが借りれるとは言え………下手すりゃシホット共に
やられちまいますよ。」
「おいおい。これから任務に当たろうとしている人になんつー事言うんだ、馬鹿!」
グラハム中尉は厳しい口調で注意しながら、ヴィッキーニの頭をはたいた。
「すんませんね、グリンゲルさん。こいつ、昔から頭が足りんやつでしてね。」
「いや、別に気にしてないぜ。彼の言う事は本当の事だからね。」
レイリーは微笑みながら、部下の非礼を詫びるグラハムにそう言った。
彼は、カップのアイスクリームをスプーンですくい、それを口に入れた。
「うん、やっぱりアイスクリームは美味いね。潜水艦の中は独特な感じがして、俺は一生慣れねぇ環境だなと思ったが……このような艦に居ても、
アイスクリームを食べられるとは、流石はアメリカだと思ってしまうな。」
「何言ってるんですか、グリンゲルさん。アイスクリームは必需品ですよ。それがない艦は軍艦じゃないですよ。」
「おい!また変な事口走ってんじゃねえぞ!」
ヴィッキーニの軽やかな言葉に反応したグラハムが、握りこぶしを振り上げながら叱責した。
この2人の搭乗員は、最初にレイリーと出会ってからずっとこんな感じである。
「いやぁ、あんたらって良い兄妹だよな。」
「違いますよ、グリンゲルさん。こいつが頻繁にアホなことばっかり抜かすから自分が叱っているだけです。まぁ、偵察員としての腕前は確かなんですがね。」
グラハムがそう言いつつ、半目になりながらヴィッキーニを見つめた。
「自分、イタリア系な物ですから、普段は陽気じゃないとやってられないんですよ。」
「お前は陽気過ぎだ。もうちょっとピシッとせんか。」
グラハムは苦笑しながら、アイスクリームを頬張った。
(一見、デコボココンビに見える2人だが、飛行機乗りとしては本当にベテランだからな。グラハム機長はともかく、ヴィッキーニ兵曹長があんなにヘラヘラしているのは、
任務中に真剣にやっている反動なのかもしれないな)
レイリーは互いに話し合う2人を見つめながらそう思った。
グラハムとヴィッキーニは、1941年に重巡洋艦ポートランドの水偵乗りとしてペアを組んで以来、ずっと一緒に飛び続けていたと言う。
1942年5月には軽巡洋艦ヘレナに乗り組み、第2次バゼット海海戦の前後には、夜間の偵察任務に従事している。
1943年7月からは重巡洋艦ボルチモアに搭乗し、翌年2月には空母レキシントンとサラトガ搭載機を主軸として行われた夜間空襲に先導機として参加し、敵地に照明弾を
落として空襲を支援した。
1944年9月にはボルチモアから降り、本国で新鋭機であるSO3Aシーラビットの機種転換訓練を行った。
訓練終了後は、竣工したばかりの最新鋭潜水艦フラックスナークに乗り組みとなり、同艦で哨戒海域の航空偵察に従事していた。
2人の飛行時間は、共に2000時間を超えており、経験も豊富である。
帝国本土潜入の際には、2隻のアイレックス級潜水艦から夜間の内に水上機を発進させ、現地の協力者が待つ沿岸部にスパイを運ぶ事になっているが、この危険かつ、困難な任務を
行う上では、2人はまさにうってつけのベテラン搭乗員と言えた。
「そう言えば、俺が乗る事になっている飛行機の事だが……2人の話を聞く限りでは、元々は2人乗り用だと聞いている。そこに俺が入るスペースはあるのかな?」
「準備はしてありますよ。出港前に、後部座席の後ろに座席を追加した奴が格納庫に容易されています。手狭ですが、多少の荷物と、人が1人入れる分のスペースはありますよ。」
「どれぐらいのスペースだい?」
レイリーが聞くと、唐突にヴィッキーニが立ち上がり、テーブルの側にあぐらをかいた。
彼はそこで体育座りをし、続けて、頭を股間と膝の間にうずめた。
「入る時は大体こんな感じになりますよ。まぁ、後部の機銃座は取っ払ってあるんで、少しは広いですよ。」
「………そう、ですか。」
レイリーは引き攣った笑みを浮かべながら、ヴィッキーニにありがとうと告げた。
「きつい姿勢ですが、まっ、最低でも1時間。長くても2時間こっきり我慢すれば大丈夫ですよ。」
グラハムは他人事のように言うと、軽やかな笑い声を上げた。
レイリーは、暗澹たる気持ちになりながらも、手元のアイスクリームを口に入れた。
バニアラアイスの甘い味わいのお陰で、不安が多少和らいだのが救いとなり、レイリーは前向きに考える事で往路の心配を打ち消したのであった。