ラ・カサミ級戦艦

「ラ・カサミ級戦艦」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

ラ・カサミ級戦艦 - (2022/03/08 (火) 02:56:06) の1つ前との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

&font(b,#555){ら かさみきゅうせんかん} ---- [[ムー]]の最新鋭戦艦。[[リグリエラ・ビサンズ社]]製。確認されている限りでは全5隻(6隻の可能性あり)。 日露戦争時に連合艦隊旗艦を務めた&link_wikipedia(戦艦三笠){戦艦「三笠」}とほぼ同等の性能を持つ。 &small(1){&font(Black){作中で似ているとされた大日本帝国海軍所属 敷島型戦艦四番艦「三笠」 呉入港 1905年2月}} &image(Japanese_battleship_Mikasa.jpg) &small(1){&font(Black){※原典:呉市海事歴史科学館所蔵品&br()日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。&br()1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。&br()1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。}} |全長|>|131.7m| |全幅|>|23.2m| |基準排水量|>|15,140t| |機関|>|ディーゼルエンジン(書籍版)&br()重油燃焼型機関(Web版、機関種別不明)&br()出力:15,000馬力| |速力|>|最大18kt| |兵装|主砲&br()口径:30.5cm|連装2基&br()4門| |~|副砲&br()口径:15.2cm|単装14門| |装甲|>|表面硬化装甲?(ちなみに三笠はクルップ製)| &anchor(ラ・カサミ){} **ラ・カサミ [[日本>日本国]]外交使節団のムー訪問時に初登場。ムー海軍の象徴として紹介され、その時[[佐伯]]が「三笠にそっくり」と発言している。 続いての登場は1642年の[[先進11ヵ国会議]]でのこと。外交団護衛艦隊のうちの1隻として派遣された。 例年通り無事に任務を終えて帰路につく…と思われたが突如、[[カルトアルパス]]に[[グラ・バルカス帝国]]艦隊が押し掛け、これの相手をすることになる。 ムー艦隊で唯一、航空攻撃を中破でかいくぐり生き残り、「[[しきしま]]」の最期を目の当たりにするも果敢に[[敵艦>グレードアトラスター型戦艦]]へ向かっていく。しかし射程外から15.5cm砲弾が直撃し、操舵不能になった上に機関が暴走。そのまま岩礁に乗り上げ大破してしまった。 だが不幸中の幸いというべきか、座礁したおかげで''少なくとも撃沈は免れた。''その後日本のドックに移され、修理を名目に改修が行われる。 この件に関し、みのろう氏はこのようにコメントを残している。 #blockquote(){船舶に関しては改修よか新造の方が早いし安上がりなんだよなぁ みのろう [2016年 12月 26日 07時 12分] そう、安上がりですが、技術流出防止法が妨げるのです。 日本では、法解釈で非効率、非経済的な事が多々なされていますので、今回の描写もそれ故です。   __ ∧ ∧ /\  (*゜∀゜)\ \/| ̄ ̄∪ ∪ ̄|\  \|  〓〓  |     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ """"""""""""""""""""""""""""} Web版では機関は重油を燃焼させる機関としか言及がなく、後の日本国内のドックでの説明によると三笠とほぼ同じとのことで、外燃型のレシプロ機関の模様。 書籍版では蒸気機関では出力不足だったらしく、内燃機関と明言された。ただその際、重油を燃料とすることも明記された。 重油の質が軽油寄りのA型重油なのか、ほぼ残渣レベルのC型重油なのか不明だが、もしC重油なら、&bold(){フィルター技術が戦後日本並み}という脅威的技術レベルである。 なお、重油ディーゼルの特徴は、蒸気レシプロ機関よりも遥かに高効率・低燃料費・蒸気タービンと比べて高出力化に難点、の三つであり、恐らく内燃機関の発明が地球より早く、レシプロ機関は早々に時代遅れになった模様。 すこし話は逸れるが、グレートアトラスターにあっさりとやられたことと、地球では前弩級ということで過小評価されるが、実は三笠クラスの時点で、&bold(){装甲部材は第一次、第二次大戦時の弩級戦艦と大きく変わっていない}。 三笠が建造された時期はちょうど表面硬化装甲が開発されており、&bold(){"戦艦級の徹甲弾ですら装甲を貫通できない"}という事実が見られ、日本海海戦では撃沈された艦より榴弾による損傷による自沈ないし降伏が大半で、トドメが水雷艇の魚雷という結果も多く見られた時期である。 そしてこの表面硬化装甲で少なくとも地球での戦艦装甲技術は頂点に達し、あとは合金比率の調整による改良が主となっている。 つまり、この時点で少なくとも&bold(){グ帝艦艇に比して装甲技術には大きく差は開けられていない}のである。((ちなみに三笠の前級の富士型は甲板以外は装甲厚が大和型を上回っている。もっとも、大和より強固だとか防御重視とかではなく、表面硬化装甲発明直後のために木材と鋼鉄と錬鉄を使った旧式設計を流用したために結果的にそうなっただけ。しかも強いわけでなく、むしろ全て金属装甲になったせいでそのままだと実用に耐える排水量を超えてしまうため、甲板装甲や側面砲郭は薄くし、艦首と艦尾寄りはほぼ無装甲にせざるを得なかった。)) むしろ、&bold(){ガソリンエンジンより高圧縮に耐えうるディーゼル用大型シリンダー}を開発できることを考えると、ムーの治金技術は互角(艦艇用の15000hp級ディーゼルを運用していたのは第二次大戦時のドイツぐらいである)かもしれない。 ではなぜ第一次以降で轟沈する艦艇が増えたのか(そしてグ帝に圧倒されたのか)。それは徹甲弾が第一次前後で急速な進化を遂げたことと、火器管制の発達が5000m前後での撃ち合いから10000m以上の長距離砲撃を可能にし、結果、垂直装甲より薄い甲板装甲を撃ち抜く事例が増えたことにある。 また装甲の弱い上から攻撃できる航空機や魚雷の発達なども要因である。 ラ・カサミが副砲であっさり大破したのも、恐らく装甲よりも砲戦能力や弾頭技術において劣位にあったからだと想定される。 スペックが公開されていないので、この辺りは推測するしかないが・・・・。 [[そして、改修の結果…>ラ・カサミ改]] &anchor(ラ・エルド){} **ラ・エルド ムー機動部隊旗艦として[[バルチスタ沖大海戦]]に参戦する。 日本の軍事資料を研究し、新たに20mm機関銃を多数増設している。 ただしそれでもグラ・バルカス帝国軍航空機に対して有効な対空兵装には及ばず、その後の第8打撃群との戦闘で、敵巡洋艦からの砲撃で前部主砲塔が大破・使用不能になる等の損害を被った。 [[空中戦艦パル・キマイラ>http://www65.atwiki.jp/jp-summons/pages/74.html]]の参戦により九死に一生を得た後は、神聖ミリシアル帝国海軍魔導連合艦隊からの連絡を受けて作戦終了、残存艦艇とともに帰投した。 #table_color(#aae){} |~&big(){関連項目}| |&bold(){[[兵器]]}|[[ムー]]| ---- ''※既存のコメントに返信する場合、返信したいコメントの左側にチェックを入れて下さい。'' [[過去のコメント>コメント/ラ・カサミ級戦艦]] #pcomment(reply,enableurl,20) &link_edit(text=ここを編集,page=ラ・カサミ級戦艦) 〔最終更新日:&date(j)〕
&font(b,#555){ら かさみきゅうせんかん} ---- [[ムー]]の最新鋭戦艦。[[リグリエラ・ビサンズ社]]製。確認されている限りでは全5隻(6隻の可能性あり)。 日露戦争時に連合艦隊旗艦を務めた&link_wikipedia(戦艦三笠){敷島型戦艦「三笠」}とほぼ同等の性能を持つ。 &small(1){&font(Black){作中で似ているとされた大日本帝国海軍所属 敷島型戦艦四番艦「三笠」 呉入港 1905年2月}} &image(Japanese_battleship_Mikasa.jpg) &small(1){&font(Black){※原典:呉市海事歴史科学館所蔵品&br()日本を本国とするこの写真画像は、以下の条件のいずれかに合致するため、日本の旧著作権法(明治32年法律第39号)第23条及び著作権法(昭和45年5月6日法律第48号)附則第2条の規定により、日本での著作権の保護期間が満了しています。&br()1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。&br()1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。}} |全長|>|131.7m| |全幅|>|23.2m| |基準排水量|>|15,140t| |機関|>|ディーゼルエンジン(書籍版)&br()重油燃焼型機関(Web版、機関種別不明)&br()出力:15,000馬力| |速力|>|最大18kt| |兵装|主砲&br()口径:30.5cm|連装2基&br()4門| |~|副砲&br()口径:15.2cm|単装14門| |装甲|>|表面硬化装甲?(ちなみに三笠はクルップ製)| &anchor(ラ・カサミ){} **ラ・カサミ [[日本>日本国]]外交使節団のムー訪問時に初登場。ムー海軍の象徴として紹介され、その時[[佐伯]]が「三笠にそっくり」と発言している。 続いての登場は1642年の[[先進11ヵ国会議]]でのこと。外交団護衛艦隊のうちの1隻として派遣された。 例年通り無事に任務を終えて帰路につく…と思われたが突如、[[カルトアルパス]]に[[グラ・バルカス帝国]]艦隊が押し掛け、これの相手をすることになる。 ムー艦隊で唯一、航空攻撃を中破でかいくぐり生き残り、「[[しきしま]]」の最期を目の当たりにするも果敢に[[敵艦>グレードアトラスター型戦艦]]へ向かっていく。しかし射程外から15.5cm砲弾が直撃し、操舵不能になった上に機関が暴走。そのまま岩礁に乗り上げ大破してしまった。 だが不幸中の幸いというべきか、座礁したおかげで''少なくとも撃沈は免れた。''また艦長[[ミニラル]]ほか生き残った乗員もグラ・バルカス帝国の捕虜にならずに済んだ。その後日本のドックに移され、修理を名目に改修が行われる。 この件に関し、みのろう氏はこのようにコメントを残している。 #blockquote(){船舶に関しては改修よか新造の方が早いし安上がりなんだよなぁ みのろう [2016年 12月 26日 07時 12分] そう、安上がりですが、技術流出防止法が妨げるのです。 日本では、法解釈で非効率、非経済的な事が多々なされていますので、今回の描写もそれ故です。   __ ∧ ∧ /\  (*゜∀゜)\ \/| ̄ ̄∪ ∪ ̄|\  \|  〓〓  |     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ """"""""""""""""""""""""""""} Web版では機関は重油を燃焼させる機関としか言及がなく、後の日本国内のドックでの説明によると三笠とほぼ同じとのことで、外燃型のレシプロ機関の模様。 書籍版では蒸気機関では出力不足だったらしく、内燃機関と明言された。ただその際、重油を燃料とすることも明記された。 重油の質が軽油寄りのA型重油なのか、ほぼ残渣レベルのC型重油なのか不明だが、もしC重油なら、&bold(){フィルター技術が戦後日本並み}という脅威的技術レベルである。 なお、重油ディーゼルの特徴は、蒸気レシプロ機関よりも遥かに高効率・低燃料費・蒸気タービンと比べて高出力化に難点、の三つであり、恐らく内燃機関の発明が地球より早く、レシプロ機関は早々に時代遅れになった模様。 すこし話は逸れるが、グレートアトラスターにあっさりとやられたことと、地球では前弩級ということで過小評価されるが、実は三笠クラスの時点で、&bold(){装甲部材は第一次、第二次大戦時の弩級戦艦と大きく変わっていない}。 三笠が建造された時期はちょうど表面硬化装甲が開発されており、&bold(){"戦艦級の徹甲弾ですら装甲を貫通できない"}という事実が見られ、日本海海戦では撃沈された艦より榴弾による損傷による自沈ないし降伏が大半で、トドメが水雷艇の魚雷という結果も多く見られた時期である。 そしてこの表面硬化装甲で少なくとも地球での戦艦装甲技術は頂点に達し、あとは合金比率の調整による改良が主となっている。 つまり、この時点で少なくとも&bold(){グ帝艦艇に比して装甲技術には大きく差は開けられていない}のである。((ちなみに三笠の前級の富士型は甲板以外は装甲厚が大和型を上回っている。もっとも、大和より強固だとか防御重視とかではなく、表面硬化装甲発明直後のために木材と鋼鉄と錬鉄を使った旧式設計を流用したために結果的にそうなっただけ。しかも強いわけでなく、むしろ全て金属装甲になったせいでそのままだと実用に耐える排水量を超えてしまうため、甲板装甲や側面砲郭は薄くし、艦首と艦尾寄りはほぼ無装甲にせざるを得なかった。)) むしろ、&bold(){ガソリンエンジンより高圧縮に耐えうるディーゼル用大型シリンダー}を開発できることを考えると、ムーの治金技術は互角(艦艇用の15000hp級ディーゼルを運用していたのは第二次大戦時のドイツぐらいである)かもしれない。 ではなぜ第一次以降で轟沈する艦艇が増えたのか(そしてグ帝に圧倒されたのか)。それは徹甲弾が第一次前後で急速な進化を遂げたことと、火器管制の発達が5000m前後での撃ち合いから10000m以上の長距離砲撃を可能にし、結果、垂直装甲より薄い甲板装甲を撃ち抜く事例が増えたことにある。 また装甲の弱い上から攻撃できる航空機や魚雷の発達なども要因である。 ラ・カサミが副砲であっさり大破したのも、恐らく装甲よりも砲戦能力や弾頭技術において劣位にあったからだと想定される。 スペックが公開されていないので、この辺りは推測するしかないが・・・・。 [[そして、改修の結果…>ラ・カサミ改]] &anchor(ラ・エルド){} **ラ・エルド ムー機動部隊旗艦として[[バルチスタ沖大海戦]]に参戦する。 日本の軍事資料を研究し、新たに20mm機関銃を多数増設している。 ただしそれでもグラ・バルカス帝国軍航空機に対して有効な対空兵装には及ばず、その後の第8打撃群との戦闘で、敵巡洋艦からの砲撃で前部主砲塔が大破・使用不能になる等の損害を被った。 [[空中戦艦パル・キマイラ>http://www65.atwiki.jp/jp-summons/pages/74.html]]の参戦により九死に一生を得た後は、神聖ミリシアル帝国海軍魔導連合艦隊からの連絡を受けて作戦終了、残存艦艇とともに帰投した。 #table_color(#aae){} |~&big(){関連項目}| |&bold(){[[兵器]]}|[[ムー]]| ---- ''※既存のコメントに返信する場合、返信したいコメントの左側にチェックを入れて下さい。'' [[過去のコメント>コメント/ラ・カサミ級戦艦]] #pcomment(reply,enableurl,20) &link_edit(text=ここを編集,page=ラ・カサミ級戦艦) 〔最終更新日:&date(j)〕

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: