ら かさみきゅうせんかん
ムーの最新鋭戦艦。
リグリエラ・ビサンズ社製。確認されている限りでは全5隻(6隻の可能性あり)。本編が開始した1639年には既に配備されている。
日露戦争時に連合艦隊旗艦を務めた
敷島型戦艦「三笠」とほぼ同等の性能を持つ。しかし実態は敷島型戦艦よりも
数十年先の技術が使われていて、
地球視点だと中々にチグハグな戦艦である。
作中で似ているとされた大日本帝国海軍所属 敷島型戦艦四番艦「三笠」 呉入港 1905年2月
※原典:呉市海事歴史科学館所蔵品
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1956年(昭和31年)12月31日までに公表(発行)された。
1946年(昭和21年)以前に撮影(製作)された。
全長 |
131.7m |
全幅 |
23.2m |
基準排水量 |
15,140t |
機関 |
ディーゼルエンジン(書籍版) 重油燃焼型機関(Web版、機関種別不明) 出力:15,000馬力 |
速力 |
最大18kt |
兵装 |
主砲 口径:30.5cm 口径長:40 |
連装2基 4門 |
副砲 口径:15.2cm |
単装14門 |
装甲 |
表面硬化装甲?(ちなみに三笠はクルップ製) |
機甲戦列艦までの設計思想では搭載できない大口径砲の搭載を可能とするため、大口径砲の重量に耐えられる鋼鉄製の船体と出力不足とディーゼル機関を開発に成功。更に回転砲塔によって戦術の幅も広がりラ・カサミ級の主砲が最大射程13.7kmに達する30.5cm連装砲の配備に至った。口径長は40口径でこれも「三笠」と同じである。
30.5cm砲は完成した当時に大々的に試射を行い、標的艦の戦列艦を4発で沈めた威力は語り草になっている……何か威力が低くないかと思うが、おそらく標的艦に弾薬等が搭載されてなかったのと
これと同じことが起きたからだと思われる。
ここまでの情報だとディーゼル機関なのを除けば作中で言われた通り三笠と同等の戦艦でしかないのだが……
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主砲の性能が低すぎる? |
ラ・カサミ級が登場した時は30.5cm砲がムーの火砲の技術の基準として語られていたのだが、6巻で登場した105mmイレール砲の登場で基準が根底から変わってしまった。というのも105mmイレール砲は既に長門型の配備も完了した1925年の旧日本軍が採用した一四年式十糎加農砲と 同等の性能があるのである。これだけならイレール105mm砲がラ・カサミ級よりも後に作られたのでは?と思うかもしれないが、イレール105mm砲が配備されたのは 中央歴1622年と本編開始の17年前に制式採用された 旧式兵器なのである。にも関わらず最新の技術がつぎ込まれているはずの30.5cm砲は、旧式兵器よりも四半世紀遅れた性能なのである。
後述のようにラ・カサミ級の設計思想やムーの発想自体が地球とは異なるという事情もあるが、それを考慮しても性能があまりにも低すぎるのである。
この疑問が本編で指摘されたことは今の所なく、 マイラスですらラ・カサミ級の30.5mm砲が技術限界であるかのような評価をしている。
余談だが仮に地球と同じ速度で発展をした場合だとイレール105mm砲の完成から17年あれば大和型と主砲である 46cm砲の完成が見えてくるレベルである。
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ラ・カサミ
日本外交使節団のムー訪問時に初登場。ムー海軍の象徴として紹介され、その時
佐伯が「三笠にそっくり」と発言している。
続いての登場は1642年の
先進11ヵ国会議でのこと。外交団護衛艦隊のうちの1隻として派遣された。
例年通り無事に任務を終えて帰路につく…と思われたが突如、
カルトアルパスに
グラ・バルカス帝国艦隊が押し掛け、これの相手をすることになる。
ムー艦隊で唯一、航空攻撃を中破でかいくぐり生き残り、「
しきしま」の最期を目の当たりにするも果敢に
敵艦へ向かっていく。しかし射程外から15.5cm砲弾が直撃し、操舵不能になった上に機関が暴走。そのまま岩礁に乗り上げ大破してしまった。
だが不幸中の幸いというべきか、座礁したおかげで
少なくとも撃沈は免れた。また艦長
ミニラルほか生き残った乗員もグラ・バルカス帝国の捕虜にならずに済んだ。その後日本のドックに移され、修理を名目に改修が行われる。
この件に関し、
みのろう氏はこのように
コメントを残している。
船舶に関しては改修よか新造の方が早いし安上がりなんだよなぁ
みのろう [2016年 12月 26日 07時 12分]
そう、安上がりですが、技術流出防止法が妨げるのです。
日本では、法解釈で非効率、非経済的な事が多々なされていますので、今回の描写もそれ故です。
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Web版では機関は重油を燃焼させる機関としか言及がなく、後の日本国内のドックでの説明によると三笠とほぼ同じとのことで、外燃型のレシプロ機関の模様。
書籍版では蒸気機関では出力不足だったらしく、内燃機関と明言された。ただその際、重油を燃料とすることも明記された。
重油の質が軽油寄りのA型重油なのか、ほぼ残渣レベルのC型重油なのか不明だが、もしC重油なら、フィルター技術が戦後日本並みという脅威的技術レベルである。
なお、重油ディーゼルの特徴は、蒸気レシプロ機関よりも遥かに高効率・低燃料費・蒸気タービンと比べて高出力化に難点、の三つであり、恐らく内燃機関の発明が地球より早く、レシプロ機関は早々に時代遅れになった模様。
すこし話は逸れるが、グレートアトラスターにあっさりとやられたことと、自国の軍人で技術士官の
マイラスからもグラ・バルカス帝国に50年ほど差をつけられていると分析されたこと、地球では前弩級ということで過小評価されるが、実は三笠クラスの時点で、
装甲部材は第一次、第二次大戦時の弩級戦艦と大きく変わっていない。
三笠が建造された時期はちょうど表面硬化装甲、それも第二次世界大戦まで使われたクルップ鋼が開発・採用されており、
"戦艦級の徹甲弾ですら装甲を貫通できない"ケースが散見され 、日本海海戦では撃沈された艦より榴弾による損傷による自沈ないし降伏が大半で、トドメが水雷艇の魚雷という結果も多く見られた時期である。
そしてこのクルップ鋼による表面硬化装甲で少なくとも地球史での戦艦装甲技術は頂点に達し、あとは合金比率や製造法の調整による小改良が主となっている。
つまり、ラ・カサミ級が敷島型戦艦と同等と考えるならば、この時点で少なくとも
グ帝艦艇に比して装甲技術には大きく差は開けられていないのである。
むしろ、
ガソリンエンジンより高圧縮に耐えうるディーゼル用大型シリンダーを開発できることを考えると、ムーの治金技術は互角(艦艇用の15000hp級ディーゼルを運用していたのは
第二次大戦時のドイツぐらいであるドイツは
第一次世界大戦時に海軍が一度壊滅しており、さらにヴェルサイユ体制による極端な軍備制限によって、軍艦・船舶建造技術が大きく後退していた。ドイツの高圧蒸気タービン機関は日本海軍が自信喪失状態になってしまうほどだったが、実は…………
まさにドイツもコイツもトラブルまみれ。故に
次善策として軍用としては過度に高度な冶金技術を使ったディーゼルエンジンに走ったわけである。)。ムーの冶金技術の程を例えるなら、1970年頃の日本だろう。
ではなぜ第一次以降で轟沈する艦艇が増えたのか(そしてグ帝に圧倒されたのか)。それは徹甲弾が第一次前後で急速な進化を遂げたことと、火器管制の発達が5000m前後での撃ち合いから10000m以上の長距離砲撃を可能にし、結果、垂直装甲より薄い甲板装甲を撃ち抜く事例が増えたことにある。
また装甲の弱い上から攻撃できる航空機や魚雷の発達なども要因である。
ラ・カサミが副砲であっさり大破したのも、恐らく装甲よりも砲戦能力や弾頭技術において劣位にあったからだと想定される。
そもそもラ・カサミ級の設計思想が第一次世界大戦レベルですらない。
大和型、アイオワ級、ヴァンガードに至る「艦軸上の複数砲塔配置」「砲兵装で中間砲を廃止して大口径主砲に集約」は1906年に完成した、「H.M.S.ドレッドノート」によって実現したもので、世界各国がこの画期的な戦艦に衝撃を受けた。敷島型戦艦が参加した「日本海海戦」はその前年の1905年のことである。
それまでの戦艦、つまり後世で「前弩級戦艦(ドレッドノート以前の旧式)」は長距離で主砲が当たるのは非常に疑わしかったため、主砲で撃ちあいながら急接近、中距離で副砲で戦列艦のように叩きあうことが想定されていた。
数少ない実例である日清戦争では確かに速射砲を大量装備した日本海軍が大艦巨砲を装備した清国海軍を蹂躙したが、逆に前弩級末期に当たる日露戦争では従来想定を上回る10km以上での主砲弾命中に成功しており、これに触発されたイギリス海軍が“優速でなるべく多くの主砲を遠距離から同時斉射できる戦艦”として開発したのがドレッドノートである。これにより、「中距離以内での戦闘を主眼とした前弩級戦艦」は遠距離から一方的に自分より多くの主砲で叩かれることになり、当時の地球世界に衝撃と軍拡をもたらすことになる。
ドレッドノートの登場後に発生した大型戦艦建造ブームの中でも、日本は扶桑型に始まり八八艦隊計画に至るまでとにかく多数の砲塔を積みたがり、艦橋前方を向けることができない背負式にしてでも多数積みたがったが、これは要するに日本海海戦の戦訓から来ている。
ところがムーは事情が特殊で、近代海軍の整備に取り掛かった頃には、
レイフォルあたりがヤンチャしない程度の軍備でよく、日本海海戦といった戦艦の運用ドクトリンに衝撃を与えるような事象が発生していなかった。
上記の経緯から推測すると、ミ帝以外の
魔導艦が相手となると想定交戦距離が5000mを上回ることはほぼなく、順当に装甲艦から進化した前弩級戦艦が想定していた中距離以内での交戦で問題なかったと思われる。
一応ミ帝というお手本はいるが、技術体系が違う上に、ムー以外に流体力学がほぼ広まっていないせいで、
ミ帝ですら流体力学を一切理解していないので、科学に落とし込むのに難航していると思われる。
むしろ全体的に前近代で留まっているはずのパ皇などが
ワイバーンを空母機動部隊として運用し始めたため、戦艦の改良よりこれを抑える航空戦力の拡充に迫られた。
つまり、ムー海軍は技術的にチグハグというより、
「ドレッドノートの登場より先に1941年12月8日を迎えた世界の産物」なわけである。
もっとも更に突っ込むと、詳細なスペックが公開されていないので、この辺りは推測するしかないが……
ラ・エルド
ムー機動部隊旗艦として
バルチスタ沖大海戦に参戦する。
日本の軍事資料を研究し、新たに
20mm機関砲を多数増設している。
ただしそれでもグラ・バルカス帝国軍航空機に対して有効な対空兵装には及ばず、その後の第8打撃群との戦闘で、敵巡洋艦からの砲撃で前部主砲塔が大破・使用不能になる等の損害を被った。
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〔最終更新日:2025年09月13日〕
最終更新:2025年09月13日 11:05