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【日本公式ペリー・ローダンファンクラブはワシが作ったのだ】
忘れもしない、七七年頃だから大学一年の頃、札幌で「宇宙戦艦ヤマト」の
ファンクラブを運営していたんですよ。その前に高校生の頃「スター・ウォ
ーズ」のファンクラブを作ろうとしたんですよ。まだ日本に「スター・ウォ
ーズ」が来る前に、ファンクラブを作って日本で最初の公認を取ろうとした
んですよ。実は、「ペリー・ローダン」で取っているんですよ、公認を。
会員があんまり活動してくれなかったので終わったんだけど。「SFマガジン」
に広告出して、ドイツの「ペリー・ローダン」の出版元まで許可を取って、
一応、僕は事務局長をやってたんです。で、「ペリー・ローダン」は地味だ
から、これからは「スター・ウォーズ」で公認を取ろうとしたら、大阪の方
かどこかで先に取られちゃったんだよね。その「スター・ウォーズ」ファン
クラブで作った会誌をジョージ・ルーカスのところに送ったら、「勝手に作
るな、五百万円払え」って言われてた。あーとかった、最初に津倉無くって
という(笑)。
唐沢史の中では「ペリー・ローダン」→「スターウォーズ(頓挫)」→「宇宙戦艦ヤマト」というファンクラブ活動があったという事になっている。
「スターウォーズ」の前ということは1977年以前に「ペリー・ローダン」のファンクラブを作っていたという事になる。しかも本国ドイツに許可を得て、SFマガジンに会員募集の公告まで打て、唐沢俊一は事務局長をやっていたという。
とりあえず「ペリー・ローダン」のもっとも古いファンクラブは1974年らしい。
ドイツに公認を取る手紙を出すぐらいの情熱がありながら「会員があんまり活動してくれなかったので終わった」とアッサリ切り止めて「スターウォーズ」をやろうかとか、「ヤマトが」とか。情熱あれば、少人数でも、ひとりでもファンジン(同人誌:ファンのマガジン)を出せたりするんだが。
唐沢の自慢に語るファンクラブ活動の実体の無さは、ファンクラブ活動のもっとも重要なファンジンの存在の無さ。それだけファンクラブ活動を自慢するのなら、ファンジンの1冊でも出てきそうなものだが、ヤマトでも出てこない。布教するという活動で一番思いつくのはそれだと思うんだが。
そして唐沢史のこの手の話で思うのが「熱量のなさ」。ペリー・ローダンに関してドイツへの手紙や、SFマガジンへの募集広告やらをしておきながら、アッサリと「他の人が活動しないのでや〜めた」で次に移ってしまうところ。
そもそも唐沢俊一の話にペリー・ローダンって出てきたことあるっけ?
「オタク第一世代」というよく分からない自慢をする時に、あの時代自分は精力的に活動しており、それが現在のオタクというものの基板になったのだ。ワシがその基板を作ったのだ。と言いたいんだと思うが。
ついでに言うと1977年、唐沢は「大学一年の頃、札幌で」はなく、浪人生活を札幌で送っている。
最終更新:2017年05月28日 09:10