ミワシ部隊・旧第十二部隊
基本情報
| 略称 | 開発隊 |
|---|---|
| 部隊長 | 陸八 萬平 |
| 規模 | 3042名(*1) |
| 本部 | 長野県某市菰引村(*2) |
概要
ミワシ部隊第十二隊(以下第十二部隊)は、開発隊の通称を持つ部隊である。主な業務としては名前の通り、開発業務と解析業務を行うことが多く、今までの実績としてがシンプウノメや、祓戸の結界が存在する。
成立時期は不明だが、陸八幡平(以下陸八)という人物によって七三一部隊を基礎に成立した。
2014年に離反しており、現在まで行方は分かっていない。
成立時期は不明だが、陸八幡平(以下陸八)という人物によって七三一部隊を基礎に成立した。
2014年に離反しており、現在まで行方は分かっていない。
歴史
石井陸軍二等軍医の論文「穢れを浄化するウイルスについて」から穢化戦研究の機関設立 1927年~1932年
まず、石井陸軍二等軍医(以下石井軍医と記述)についての軽い説明をしたいと思う。彼は関東軍防穢給水部(以下731部隊と記述)の創設者であり、イザナミ計画(通称:国産み)の立案者である。生まれは千葉県にある村で、家は大地主であったという記録はあるが、それ以前の記憶に関してはあまりなく、今回とも関係ないので省かせてもらう。
さて、石井軍医が初めて表舞台に立ったのは彼が京都帝国大学にて博士論文「穢れを浄化するウイルスについて」を出した時だろう。元々、石井軍医は京都帝国大学を卒業し、そのまま、医官として軍隊に入っていた。石井軍医が大学院にいたのは単純に配属先がそこであったことからなのだが、そこで出した上記の博士論文は京大総長として当時勤めていた寅木三郎(*3)の目にとまった。
論文の内容に関して、α竜体病ウイルスについてまとめたり、その進行を遅らせるために手段を調査した物なのだが、その中で寅木三郎の目に止まったのは「解胃」の転用による穢れへの対抗手段の提案であった。これ自体は過去から様々な論文で語られたことであるのだが、その項目内で語られた穢れ及び加護からの分解の逆転、つまり、穢れから加護への転換を実施すれば神産みが行えるのではないかという提案は類例のない物であった。
この論文に興味を持った寅木三郎は月に数回、自身の家に石井軍医を招待し、交流を重ねた。
この、交流の際に寅木三郎の娘とも交流を重ね、1929年、論文発表二年後に結婚をしている。
結婚後、寅木三郎は欧州への出張を提案する。寅木三郎がここまで石井軍医を気に入っていた理由として、寅木三郎から同僚への石井軍医の紹介手紙を見る限り、堂々と喋り、自身家であったこと、思慮深く、努力を楽しむ人物であったことが、寅木三郎の気に入った理由と予想される。
京都帝国大学の名義でドイツ及びイギリスへと、出張に向かった石井軍医、ドイツにおいては古き竜の生態や構造についての研究を行うためにフィールドワークに励んでいたが、ウイルスに対する対抗策としての研究は盛んであった一方、古き竜自体の研究は少なく、大した成果を得ることはできなかった。
イギリスにおいては穢血や、第一次世界大戦時の薄れた、または捻れた信仰によって起きた加護に近しい特性を持つ呪いの調査が行われたが、前者に関しては石井軍医の目的であった穢れからの加護への変換による人工神の作成とはあまり関係なく、後者に関しては情報が少なすぎて噂を超えずいたため、今回の出張では成果が何もなかった。これは後に石井軍医からの欧米に対する見下し的な考えへとつながったと思われる。
欧州から帰ってきた石井軍医は陸軍軍医学校教官となり、それにともない、陸軍三等軍医正へと昇進する。それを機に、穢化戦機関設立のための行動を開始した。その時に声をかけた存在の一人が、後に木下秀穏の人化計画を主導し、第二次世界大戦末期から終戦まで部隊長を務めた北納真継という人物である。彼とは京都帝国大学の動機であり、石井軍医が残る記録上で唯一賢いとほめた人物で、いつかともに研究したいと学生時代の日記に書いていた。
北納真継もこれを承諾し、石井軍医と北納真継は共に陸軍省幹部に説いて廻り始めることになる。これ目を付けたのは大量の不安定な穢化兵器(黒不浄弾)などを使い、土地の汚染によって困っていた関東軍参謀本部であり、関東軍参謀本部により、防穢研究室が陸軍軍医の下に設置され、石井軍医の主導をもとに穢れの最適化の工業化もとい、加護への転換が研究され始めた。この時のことを石井軍医は「ここまで上手く進むとは思わなかった」と、寅木三郎へと送る手紙で語っている。
さて、石井軍医が初めて表舞台に立ったのは彼が京都帝国大学にて博士論文「穢れを浄化するウイルスについて」を出した時だろう。元々、石井軍医は京都帝国大学を卒業し、そのまま、医官として軍隊に入っていた。石井軍医が大学院にいたのは単純に配属先がそこであったことからなのだが、そこで出した上記の博士論文は京大総長として当時勤めていた寅木三郎(*3)の目にとまった。
論文の内容に関して、α竜体病ウイルスについてまとめたり、その進行を遅らせるために手段を調査した物なのだが、その中で寅木三郎の目に止まったのは「解胃」の転用による穢れへの対抗手段の提案であった。これ自体は過去から様々な論文で語られたことであるのだが、その項目内で語られた穢れ及び加護からの分解の逆転、つまり、穢れから加護への転換を実施すれば神産みが行えるのではないかという提案は類例のない物であった。
この論文に興味を持った寅木三郎は月に数回、自身の家に石井軍医を招待し、交流を重ねた。
この、交流の際に寅木三郎の娘とも交流を重ね、1929年、論文発表二年後に結婚をしている。
結婚後、寅木三郎は欧州への出張を提案する。寅木三郎がここまで石井軍医を気に入っていた理由として、寅木三郎から同僚への石井軍医の紹介手紙を見る限り、堂々と喋り、自身家であったこと、思慮深く、努力を楽しむ人物であったことが、寅木三郎の気に入った理由と予想される。
京都帝国大学の名義でドイツ及びイギリスへと、出張に向かった石井軍医、ドイツにおいては古き竜の生態や構造についての研究を行うためにフィールドワークに励んでいたが、ウイルスに対する対抗策としての研究は盛んであった一方、古き竜自体の研究は少なく、大した成果を得ることはできなかった。
イギリスにおいては穢血や、第一次世界大戦時の薄れた、または捻れた信仰によって起きた加護に近しい特性を持つ呪いの調査が行われたが、前者に関しては石井軍医の目的であった穢れからの加護への変換による人工神の作成とはあまり関係なく、後者に関しては情報が少なすぎて噂を超えずいたため、今回の出張では成果が何もなかった。これは後に石井軍医からの欧米に対する見下し的な考えへとつながったと思われる。
欧州から帰ってきた石井軍医は陸軍軍医学校教官となり、それにともない、陸軍三等軍医正へと昇進する。それを機に、穢化戦機関設立のための行動を開始した。その時に声をかけた存在の一人が、後に木下秀穏の人化計画を主導し、第二次世界大戦末期から終戦まで部隊長を務めた北納真継という人物である。彼とは京都帝国大学の動機であり、石井軍医が残る記録上で唯一賢いとほめた人物で、いつかともに研究したいと学生時代の日記に書いていた。
北納真継もこれを承諾し、石井軍医と北納真継は共に陸軍省幹部に説いて廻り始めることになる。これ目を付けたのは大量の不安定な穢化兵器(黒不浄弾)などを使い、土地の汚染によって困っていた関東軍参謀本部であり、関東軍参謀本部により、防穢研究室が陸軍軍医の下に設置され、石井軍医の主導をもとに穢れの最適化の工業化もとい、加護への転換が研究され始めた。この時のことを石井軍医は「ここまで上手く進むとは思わなかった」と、寅木三郎へと送る手紙で語っている。
防疫研究室から木下秀穏の殺処分まで 1939年~1940年
防穢研究室が成立し、実績(霊化浄水器や簡易浄化作業機(のちの注連鋼縄へと繋がる系譜とされている))を立てるとともに規模が大きくなっていき、室長であった石井軍医は陸軍二等軍医正となる。その後も、陸軍武官官等表の影響を受けて石井軍医は軍医中佐になり、上記の軽量化や、様々な装置を配備するなどして陸軍軍医大佐に進級。七三一部隊長を務める。
この時、七三一部隊第五部長をしていた寅木三郎は日露戦争において、加護と穢れの転換を成功させた烏有大尉の調査を行うために戦闘があったとされる場所を調査しており、この時の研究結果、穢れから転換した加護の残滓がのちの国産み計画(通称:イザナミ計画)へと大きく貢献することとなる。
ノモンハン事件が起きた際には七三一部隊長として出動し、霊化浄水器を中心に、穢化した水や戦闘区域の浄化などの軍務を務めて、事件後も、ソ連日本両国による穢土汚染の浄化を行った。その功績を称えられ、石井軍医は軍医で初の新聞での顔写真付きの報道が行われた。
この頃には部門も巨大化しており、総務部を除き、第一部門から第五部門まで存在し、第一部門から、基礎研究、実施研究、防穢研究、穢化兵器製造、転換研究を目的として存在している。予算も東京帝国大学と同じ予算である1000万円を支給されている。そのうち、3割ほどは転換研究(人件費は除く)に使われており、上記の烏有先生の残滓により、試験一型が開発されて、着々と研究が進んでいた。また、日中戦争が始まった影響もあり、マルタという隠語のもと、周辺住民や捕虜を実験に使っている。特にその中でも祓魔師の実験に関しては現在までデータが多く残っており、障骸や人体に対する穢染についても、この頃に研究が進んでいた。ただ、これ自体、アメリカが接収していったせいもあり、日本には多く残っていない。
この時、七三一部隊第五部長をしていた寅木三郎は日露戦争において、加護と穢れの転換を成功させた烏有大尉の調査を行うために戦闘があったとされる場所を調査しており、この時の研究結果、穢れから転換した加護の残滓がのちの国産み計画(通称:イザナミ計画)へと大きく貢献することとなる。
ノモンハン事件が起きた際には七三一部隊長として出動し、霊化浄水器を中心に、穢化した水や戦闘区域の浄化などの軍務を務めて、事件後も、ソ連日本両国による穢土汚染の浄化を行った。その功績を称えられ、石井軍医は軍医で初の新聞での顔写真付きの報道が行われた。
この頃には部門も巨大化しており、総務部を除き、第一部門から第五部門まで存在し、第一部門から、基礎研究、実施研究、防穢研究、穢化兵器製造、転換研究を目的として存在している。予算も東京帝国大学と同じ予算である1000万円を支給されている。そのうち、3割ほどは転換研究(人件費は除く)に使われており、上記の烏有先生の残滓により、試験一型が開発されて、着々と研究が進んでいた。また、日中戦争が始まった影響もあり、マルタという隠語のもと、周辺住民や捕虜を実験に使っている。特にその中でも祓魔師の実験に関しては現在までデータが多く残っており、障骸や人体に対する穢染についても、この頃に研究が進んでいた。ただ、これ自体、アメリカが接収していったせいもあり、日本には多く残っていない。
太平洋戦争が始まる少し前、木下家現当主、木下秀穏から関東軍を通して石井軍医へ連絡があった。現在その連絡に関する書類は連絡があったという履歴だけであり、内容まではわからないが、予想を立てることはできる。木下秀優という人物の神化に関して七三一部隊で処理をしてほしいというもの。
これに承諾したのは石井軍医の独断ではあったが、この頃では石井軍医の独裁というものが末端まで伝わっており、関東軍の命令に関しても石井軍医、または総務部を通さない限りは部隊員が拒絶するという徹底ぶりを見せている。。
処分、殺害を命じられていながらも、北納真継はこの実験結果が国産み計画を大きく躍進するとして、命令を無視、木下秀穏の研究に専念する。詳細に関しては以下で説明するが、木下秀穏という人物の研究結果をもとに神という存在の存在をするための大義(*4)が必要であると、判明させ、その大義の人工作成が穢れから加護への変換になるとし、研究を続けた。
時間が経っていくにつれて、木下秀優は自身の存在を不安定化させていく。もともと、人にやさしく傲慢でありながらも、紳士的に行動する性格が周りに対して攻撃的になっていき、脱走を試みるようになる。その際も人間では本来出力することのできない加護をまとい、結界や牢屋を破壊して出ていく様子が確認されている。また、銃殺を試みようとも通常銃弾では届かず、黒不浄弾に変更したところ、あたるようにはなったが、その傷もすぐさまに修復し、殺害に至ることはなかった。最終的には十何人もの結界師により、封じ込め、封印することが可能になった。死亡者数42人(内訳:軍人24人、軍属:18人)を出してしまったことで、北納真継は辞任を申し出るが石井軍医により却下され、事件を対処してからにしてくれと言われた北納真継は辞任を取り下げ、木下秀穏の殺害計画に専念することになる。この際も裏では国産み計画が進んでおり、木下秀穏がプロジェクトから外れた影響で後退はしたものの、試験八型まで作り出し、進めていた。
これに承諾したのは石井軍医の独断ではあったが、この頃では石井軍医の独裁というものが末端まで伝わっており、関東軍の命令に関しても石井軍医、または総務部を通さない限りは部隊員が拒絶するという徹底ぶりを見せている。。
処分、殺害を命じられていながらも、北納真継はこの実験結果が国産み計画を大きく躍進するとして、命令を無視、木下秀穏の研究に専念する。詳細に関しては以下で説明するが、木下秀穏という人物の研究結果をもとに神という存在の存在をするための大義(*4)が必要であると、判明させ、その大義の人工作成が穢れから加護への変換になるとし、研究を続けた。
時間が経っていくにつれて、木下秀優は自身の存在を不安定化させていく。もともと、人にやさしく傲慢でありながらも、紳士的に行動する性格が周りに対して攻撃的になっていき、脱走を試みるようになる。その際も人間では本来出力することのできない加護をまとい、結界や牢屋を破壊して出ていく様子が確認されている。また、銃殺を試みようとも通常銃弾では届かず、黒不浄弾に変更したところ、あたるようにはなったが、その傷もすぐさまに修復し、殺害に至ることはなかった。最終的には十何人もの結界師により、封じ込め、封印することが可能になった。死亡者数42人(内訳:軍人24人、軍属:18人)を出してしまったことで、北納真継は辞任を申し出るが石井軍医により却下され、事件を対処してからにしてくれと言われた北納真継は辞任を取り下げ、木下秀穏の殺害計画に専念することになる。この際も裏では国産み計画が進んでおり、木下秀穏がプロジェクトから外れた影響で後退はしたものの、試験八型まで作り出し、進めていた。
木下秀征(木下秀優)について
木下秀優は木下家の長男であり、過去最も木下藤吉郎秀吉(豊臣秀吉)に近づいたと言われている人物である。というのも、この木下家というものは氏神を豊臣秀吉に持つのだが、氏神の誕生から300年から400年ほどしか離れておらず、血の濃度がとても高い。そのおかげで木下藤吉郎秀吉に似ている要素を持つものが多く産まれる。そのこともあり、この木下藤吉郎秀吉と似ている要素(以下木下要素と記述)というのが直接的に力(祓魔的なものに限らず、頭の良さや身体能力の高さ)になる。そのこともあり、完璧な木下藤吉郎秀吉というものを作ることに一家をかけており、家の外の人間だとしてもその要素を持つものを招き入れては自身の血筋に組み込み、木下要素を増やす計画を豊臣秀吉の死後から行っている。
その中でも、木下秀優は特に優れており、その頭脳、能力ともに歴代最高であった。この家の秘術のもう一つが、魂の融合という技術である、これは外部からもとされた秘術であり、二つ以上の魂を一つの魂に与え、共通する部分を強くし、薄れた場所を打ち消すというものである。これを使い、木下要素の強いものを生み出そうとした。結果として、木下秀優、木下秀征そして、以下五人の融合が決定した。だが、木下秀征という人物は木下要素が少なく、家においてはそこまで重要視されていない人物であったが、唯一にして無二の大きな木下要素である、野望というものを持っていた。世界を自分の手の中に入れたい。すべてを飲み込みたいという気持ちは、上記の融合において他の木下要素を持つものを食い荒らし、木下家の最高の木下要素を持つものと唯一無二のものを持つものが融合し、木下藤吉郎秀吉に等しいものとなってしまった。
これが問題であり、神と等しくなってしまった木下秀征(融合後は木下秀征と表記)は、常に神として何かをしでかす危険性があり、それを問題視した木下家の穏健派は上記のことにかかわっていた家の者を粛清、木下秀征を本土から遠く、関東軍を頼り、七三一部隊へと押し付けることになった。
その中でも、木下秀優は特に優れており、その頭脳、能力ともに歴代最高であった。この家の秘術のもう一つが、魂の融合という技術である、これは外部からもとされた秘術であり、二つ以上の魂を一つの魂に与え、共通する部分を強くし、薄れた場所を打ち消すというものである。これを使い、木下要素の強いものを生み出そうとした。結果として、木下秀優、木下秀征そして、以下五人の融合が決定した。だが、木下秀征という人物は木下要素が少なく、家においてはそこまで重要視されていない人物であったが、唯一にして無二の大きな木下要素である、野望というものを持っていた。世界を自分の手の中に入れたい。すべてを飲み込みたいという気持ちは、上記の融合において他の木下要素を持つものを食い荒らし、木下家の最高の木下要素を持つものと唯一無二のものを持つものが融合し、木下藤吉郎秀吉に等しいものとなってしまった。
これが問題であり、神と等しくなってしまった木下秀征(融合後は木下秀征と表記)は、常に神として何かをしでかす危険性があり、それを問題視した木下家の穏健派は上記のことにかかわっていた家の者を粛清、木下秀征を本土から遠く、関東軍を頼り、七三一部隊へと押し付けることになった。
陸八萬平について
陸八萬平は偽名であり、本名は不明。残された情報から察するに白蓮教を信仰していた村で信仰されていた少年ということだけであり、それ以外の出生が不明である。この子は七三一部隊で計画されていた木下秀征殺害計画のために北納真継が上記の村についてうわさを聞き、連れてきた子で具体的にはこの子に神となりかけの木下秀征を下ろしてそのうえで殺害するというもの。そのためだけに連れてこられた子である。殺害計画はとんとん拍子に進んでいき、木下秀征を下した結果、神としての要素が安定してしまう。それでも殺害を行おうとする北納真継であったが、それに対して石井軍医が殺害を止め、研究対象にすることを決定、それに対して北納真継が反対の異を唱えるも一蹴され、北納真継は木下秀征の暴走を理由に第五部門長を辞任をさせられる。
その後、陸八萬平は看護師に世話されることになる。この時、陸八萬平という名前を与えたのも、この看護師である。名前はわからず、陸八萬平もこの時の記憶を失っているため、不明である。
最初は牢屋の中にとらわれていた陸八萬平であったが、その頭脳や魂を見る目を持つ陸八萬平は石井軍医に気に入られ、プロジェクトの協力を行うことになる。この時、石井軍医に気に入られただけで百何人いる少年隊のリーダーになった陸八萬平に皮肉の意味で大尉という名称が使われるようになり、陸八大尉と呼ばれさげすまれていた。
最初は牢屋の中にとらわれていた陸八萬平であったが、その頭脳や魂を見る目を持つ陸八萬平は石井軍医に気に入られ、プロジェクトの協力を行うことになる。この時、石井軍医に気に入られただけで百何人いる少年隊のリーダーになった陸八萬平に皮肉の意味で大尉という名称が使われるようになり、陸八大尉と呼ばれさげすまれていた。
ソ連侵攻から陸八萬平暴走まで1942年~1945年
1942年の日中戦争、泥沼化を受けて関東軍からは打開するための穢化兵器作成への圧力がかかっており、暴走しないようにと、慎重に進めていた陸八萬平の調査を急遽行い、木下家に提供されたデータをもとに、試験十三型に搭載されていた加護の残滓の情報を木下要素を大きく含むものへと変換し、陸八萬平の魂へと入れる。いわゆる魂の形質転換を行い、木下秀征時に起きていた暴走を再現、試験十三型のコントロールに使われていた式神を使い、戦場へと送ろうと思っていた。だが、魂の改造という超技術を使うのには技術力が足りず、また、試験十三型のコントロール式神が不安定だったということもあり、これを解決するために莫大な費用及び時間が必要になってしまった。試作に一年、まともに動かせる物を作るのにまた1年、実際に結構できたのはさらに一年たったころだった。その頃には石井軍医の不満というものはたまりまくっており、日中戦争の戦績も悪くなっていたことで関東軍からの命令は苛烈となっており、それを受け取る石井軍医の命令も厳しくなっていた。
その状況に北納真継は石井軍医に反対する意見を出し、同じ志を共にする者たちと司令部に対してボイコット運動を行うようになる。この運動には軍属だけではなく、軍人も含まれていたが、石井軍医はその意見を弾圧、関東軍の軍隊を使い、この運動を鎮圧、仕事へと戻した。この事件から石井軍医はさらに結果を求めるようになる。
その状況に北納真継は石井軍医に反対する意見を出し、同じ志を共にする者たちと司令部に対してボイコット運動を行うようになる。この運動には軍属だけではなく、軍人も含まれていたが、石井軍医はその意見を弾圧、関東軍の軍隊を使い、この運動を鎮圧、仕事へと戻した。この事件から石井軍医はさらに結果を求めるようになる。
1945年8月6日 午前8時15分 広島に核兵器が一つ落ちる。
1945年8月9日 午前11時2分 長崎に核兵器が一つ落ちる。
同日、ソ連が満洲の国境を超えた報告が石井軍医へと届いた。
そのことが石井軍医の焦りに決定打をかけ、急遽、陸八萬平への前線投入が計画される。 陸八萬平への魂に書き込みを行い、式神を下ろさせる。
だが、式神が抑えられる加護出力を超えて、辺りを支配(破壊)してしまう。
その時にいた軍人1344人、軍属2208人は死亡。唯一生き残っていたのは実験棟から遠く離れた宿舎にて掃除をしていた少年隊だけであった。
1945年8月9日 午前11時2分 長崎に核兵器が一つ落ちる。
同日、ソ連が満洲の国境を超えた報告が石井軍医へと届いた。
そのことが石井軍医の焦りに決定打をかけ、急遽、陸八萬平への前線投入が計画される。 陸八萬平への魂に書き込みを行い、式神を下ろさせる。
だが、式神が抑えられる加護出力を超えて、辺りを支配(破壊)してしまう。
その時にいた軍人1344人、軍属2208人は死亡。唯一生き残っていたのは実験棟から遠く離れた宿舎にて掃除をしていた少年隊だけであった。
烏有先生による保護
烏有先生がソ連侵攻の中、危険を冒してミワシ部隊跡地に来たのは人体実験のデータとそれによる祓魔的な兵器の数々の技術者の保護であった。だが、崩壊した基地を見て何を思ったのか、わからない。
だが、一つわかるのは烏有先生が子供たちと、陸八大尉と呼ばれた少年を保護したことである。
だが、一つわかるのは烏有先生が子供たちと、陸八大尉と呼ばれた少年を保護したことである。
離反まで
陸八軍医大尉が離反した理由についてはまだ調査の段階であり、詳しくはわかっていない。だが、烏有先生との会話をもとに、烏有先生を神として自身が権力を握り、日本を支配するのが目的ではないかと言われている。
主な所属者
関連ページ
権利情報
| 代表権利者 | イワシコ農相 |
|---|---|
| 権利者 | yukke |
| コンタクト先 | https://twitter.com/yukkenaut_san |
| 他作品での使用範囲 | マナーを守ったうえでの自由!! |
| 登場作品 | 陸八萬平 |






