【百鬼夜行】

日東では古来から端境(はさか)にあたる季節・日時に数多の魑魅魍魎たちが行列をなして移動することが言い伝えられていた。後に陰陽道ではそれを「百鬼夜行」と称し、その発生が予測される「百鬼夜行日」、「忌夜行日」が暦のうえで見立てられ、貴顕のあいだでは重要視されていた。

『今昔物語集』6巻では百鬼夜行は「極テ怖シ気ナル者共」と表現されている。

百鬼夜行に遭遇してしまった人間は、命を奪われてとを食べられてしまう。妖怪たちの百鬼夜行の本来の目的がそこにあるわけではないが、もともと百鬼夜行の出るような日の多くは基本的な年中行事(大晦日など)や時刻(子の刻*1)と連動しており、戸外に出ず慎み居るような日として定められていることが多く、遭遇する可能性のある他出をしている時点で既にその人間は獅子の口に飛び込む行為をしているようなものである。

『今昔物語集』16巻では、百鬼夜行の妖怪に唾をかけられた為に隠形になった(体が他人から見えなくなること)男の説話があるが、その日時は大晦日の夜だったとされる。節用集*2などでは多く「百鬼夜行」は「節分の夜」だと記載されている。

大晦日・節分は十二月(丑)から一月(寅)への変化のときにあたる。冬が春に移る端境であり、子の刻も陰(滅亡・破劫・濁)と陽(再生・輪廻・清)の転換が起こる端境の時刻を現わしている。このことからも、百鬼夜行と端境の日時が重なっていることがわかる。

百鬼夜行日

百鬼夜行日は陰陽道では2ヶ月ごとに変わるとされ、一・二月は子の日、三・四月は午の日、五・六月は巳の日、七・八月は戌の日、九・十月は未の日、十一・十二月は辰の日として計算されていた。
『拾芥抄』には「百鬼夜行日」として夜に歩くことを忌む日の記事に、この記載がある。

道虚日(どうきょび)

百鬼夜行日と同様、陰陽道で定められていた他出を忌む日で、六日・十二日・十八日・二十四日・三十日と、6の倍数にあたる日がそれと計算されていた。

尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)

百鬼夜行は平安京を舞台とした説話では「尊勝陀羅尼」によって祓われることが多い。
『宝物集』3巻には、西三条大将常行(藤原常行)は、百鬼夜行に遭遇したが、小袖に乳母が尊勝陀羅尼を縫い込んでいてくれたおかげで無事だったという説話を載せている。

【百鬼夜行絵巻】

百鬼夜行の様子を描いた絵巻物に『百鬼夜行絵巻』というものがある。土佐光信をはじめとした大和絵師により描かれている作品だが、そこに描かれている魑魅魍魎たちが、それぞれ何であるかについては制作当初の内容を伝える情報や断片が残されていない。

近世に残されている作例には妖怪たちの持っている器物が何であるかを若干記載したものや、他の絵巻物に描かれている妖怪(ふらり火や髪切、ぬっぺっぽう等)を加えたものがものがあり、他には山東京伝の古器物の考証や糸村地蔵坊による手控えに、若干の摸写や伝聞が記載されているに過ぎないが、「最後に登場するものは日球(太陽)であろう」ということをはじめ、伝聞解釈を増やして用いた作画*3も数多く見られる。

妖怪の意味

百鬼夜行の行列の中には『古本説話集』に「手三つ付きて足一つ付きたる者」、『元享釈書』に「隻眼一手・三目二頭」をはじめとした怖ろしい存在たちがいたという記述があるが、『百鬼夜行絵巻』に描かれている妖怪にそのような説話に見られる具体的な描写を反映して描かれた特徴の妖怪はいない。そのことから、このような説話のみを資料として直接描いたものではないと言える。

百鬼夜行をする妖怪たちは実際は灯火を持って道を歩いている事が多いとされるが、『百鬼夜行絵巻』に登場する妖怪たちは、ほとんど灯火を持っていない。しかし、また直接灯火を持つ妖怪は『百鬼夜行絵巻』(京都市立芸術大学、大倉集古館)などには描かれており、これらも百鬼夜行の性質を付け足していった作画例だと言える。

現代においては『百鬼夜行絵巻』に描かれているのは、器物が化けた妖怪たちであると語られることが多いが、これは『付喪神絵』との混同による印象であり、描かれている存在には鬼物・生物も多く、器物に限っているわけではない。

『百鬼夜行絵巻』には、さまざまな妖怪が描かれているが、特徴の一つとして蛇や龍が少ない*4という点がある。いっぽうで後続の作品に蛙は多く描かれている。狐と同様に蛙が農耕と深く関わる存在であることは理解出来るが、蛇や龍がほとんど登場しないのは謎の一つである。あるいは日照りを現わすためなのであろうか。

【百鬼夜行絵巻の日球】

『百鬼夜行絵巻』の最後に描かれているものは、日球つまり太陽を示していると多数の人間に考えられていたということは、数多くある作例からもうかがえる。

『狂画苑』に収められた『土佐大蔵少輔藤原行秀筆 百鬼夜行』には、「鳥無声兮山寂々。夜正長兮風断々。魂魄結兮天沈々。鬼神聚兮雲幕々。日光寒兮草短。月色苦兮霜白。」という題詞*5が書かれている。そこには日と草(陽)月と霜(陰)が詠み込まれており、『百鬼夜行絵巻』に描かれているものが何であるかを示した後世の伝聞が加味されていることがわかる。『土佐大蔵少輔藤原行秀筆 百鬼夜行』が明確に太陽の出現が描かれて終わっていることも、『百鬼夜行絵巻』の最後に描かれるものは日球だとする伝聞が反映されたものと言える。

【百鬼夜行絵巻に描かれている魑魅魍魎たち】

『百鬼夜行絵巻』に描かれている魑魅魍魎たちは、神道などで語られた生成と滅亡、農耕や戦乱についての考えが反映されつつ理解され、拡大していったものだと理解するとわかりやすい。

矛などを持ち武装している妖怪で絵巻物がはじまることが多いのは、スサノオが妖怪たちを集めアマテラスに対して闘ったが破れたとされる「ちはやぶる(千刃破)」の説話を引いていると見られる。矛をかついだ妖怪ではじまるのはイザナギ・イザナミによる国生みを加味した結果、先頭に持っていかれたのであろうと考えるのは、早計であろう。


最終更新:2023年05月07日 01:36

*1 『暦林問答集』

*2 文明本『節用集』

*3 河鍋暁斎『暁斎百鬼画談』も、行列の最後は周囲が桃色に明るくなっており、太陽として描かれている。

*4 河鍋暁斎『暁斎百鬼画談』は、これを補うためか雲を帯びた龍が描き込まれている。

*5 この題詞は、唐の李華による「弔古戦場文」の一節をそのまま記載している。