【鬼門(きもん)】

東北の方角。艮(うしとら)と呼ばれる。禍や鬼、妖怪が入って来る方角であるとされており、古来から建築や造営などの上で非常にこれに対する配慮が行われつづけて来た。

鬼門と端境

方角では、艮(うしとら、東北)が端境にあたり、そこから「鬼門」という考えも生み出されている*1。丑の時刻が過ぎて寅の時刻に移る時帯が、夜から日の出(曙、あけぼの)へ移り替わる時刻、さらにそれに付け加えて、丑は十二月、寅は一月にあたり冬が春に移る「節分」(端境)であることに由来するとされる。*2*3


貴門(きもん)

いっぽうで、夜(丑)から日の出へ向かい(寅)完全な朝(卯)へと近付く時帯をも示しているという点から、これを貴門(きもん)として尊んでもいる。実際、禍や妖怪をこの世から区切る端境の力が増す時帯なのであるから、考え方としては間違っていない。

鬼と鬼門

俗に、鬼のツノとフンドシは、鬼門の方角の十二支をかたどっていて、丑(うし)のツノと寅(とら)のフンドシになったと広く語られている。

【鬼門を封じる結界】

平安京では比叡山などが鬼門封じとされている。江戸もこれにならって都市は造営されており、東叡山(上野)などが鬼門封じに当たっている。

【裏鬼門(うらきもん)】

西南の方角。坤(ひつじさる)と呼ばれる。鬼門の逆方向にあたることから、方角を考える上でやがてこちらも悪い方角であると人々に唱えられるようになった。
「貴門」の考え方と照らし合わせると、日没(王莽時)の時帯は、禍や妖怪をこの世から区切る端境の力が失われはじめる時帯ではある。

本州の形状と鬼門

本州の形状は、東北(鬼門)から南西(裏鬼門)へと延びており、本州及びそれに属する列島全体(日東そのもの)が「端境」に適した形をしていると見る考え方も存在するが、禍や妖怪は万国各地に見られるものであり、やや考え過ぎな説と言えよう。

【四門】

鬼門・裏鬼門という名称は俗に広く使われているが、本来は東西南北の中間の四方向それぞれに門は設定されており、天門・地門・人門・鬼門という考え方が存在している。「裏鬼門」という名称は「鬼門」のみを主体として捉えた状況からの派生でしか無い。

  • 天門(てんもん) 乾・戌亥(いぬい)西北
  • 地門(ちもん) 巽・辰巳(たつみ)東南 
  • 人門(にんもん) 坤・未申(ひつじさる)西南
  • 鬼門(きもん) 艮・丑寅(うしとら) 東北

「天門・地門」と「人門・鬼門」とは性質が異なるとされており、意味としては「人門・鬼門」と「裏鬼門・鬼門」は対応しており共通する。いっぽう、「天門・地門」は明界と幽界のそれぞれの上位の異境である高天原や夜見の国を結ぶ正式な通路であると考えられている。いわば本当の「貴門」である。
「天門・地門」は特に、天門が禍や妖怪を防ぐ力を増すために結界を置く地として、「鬼門封じ」と同様に都の造営では明確に重視されていた。

太陽の動きと四門

夏至と冬至には、四門は太陽の動きと重なる事になる。つまり、「地門・鬼門」は日の出の方角、「天門・人門」は日の入りの方角となるのである。そのため、天門はアマテラスの籠もった「天の岩戸」を示しているとも語られる。

最終更新:2023年02月04日 15:15

*1 吉野裕子『陰陽五行と童児祭祀』人文書院、1986年

*2 『十二支之訓傳』

*3 『大雑書』