総評
- 弓馬の術に剣の道、そして輝く国司茄子。三国司の一角にして全国有数の公卿大名は武勇と風雅を併せ持つ。尾張からの魔手を撥ね退けられるか。
- 伊勢は初代風雲録と同様に伊勢・志摩の2ヶ国分に相当する。なお長島一向一揆関係者は本願寺家に所属。
- 難易度はシナリオ1・2とも普通。周辺国に比べて特別に秀でる点は無いが、特別に劣る点も無い(ただし織田家を除く)。
- 領国はシナリオ1・2・5で伊勢1ヶ国。シナリオ3・4では登場せず。
- 人材は勢州四家ら北中南それぞれの伊勢豪族が集結。数は揃っているが、飛び抜けて優秀な者はいない。
政治面は北畠晴具が最高値となる。鳥屋尾満栄、細野藤敦ら他の面子の大半も平均的な力は備えている。
戦闘面は北畠具教が最高値を誇る。他は能力値・兵科適正のいずれか(あるいは両方)が低く、武功を期待するには不安がつきまとう。
浪人はシナリオ1・2で関盛信、シナリオ2のみ九鬼嘉隆が滞在している。他に尾張や大和から流れてくる場合も多い。有能な武将は逃さないようにしたい。 - 固定戦術は移動系、特殊系、攻撃系が各1つずつ。
「速攻」は効率よく奇襲を仕掛ける際、相手側戦術から逃げ回る際に重宝。序盤は何かとお世話になる。
「挑発」も便利。鉄砲隊の長所を封じられるため、織田家・鈴木家に挟まれた北畠家では非常に有難い。
「弓構」の威力はそれ単体では迫力不足。地形を気にせず使用できる点では鉄砲よりも優れる。 - 伊勢の文化効果は「同盟コマンドの効果上昇」、技法は「兵法」。
- 伊勢は最大石高、初期文化値共に高い。金山も有り。文化効果は急いで獲得する程のものではないが、安全を確保できれば生産拠点として優秀。
- 隣接国は5ヶ国。隣接大名家はシナリオ1・2共に織田家、浅井家、六角家、三好家、鈴木家。
- 外交状況はシナリオ1の状態で足利家・朝倉家との友好が高い。敵対している大名家は特に無し。六角家と同盟関係にある。シナリオ2でも状況は不変。
- ちなみに家紋は「三つ竜胆車」。
固定戦術
- 速攻
- 挑発
- 弓構
注目武将
北畠 晴具‐政治75 戦闘66 教養80 魅力52 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:知将
侵攻、抗争に力を費やす一方で、和歌・書の大御所としても名を馳せる。伊勢国司には文武両道という言葉がしっくり来る。
文化人としての面が強調されたインテリ系大名。弓馬の達人だが兵科適正は全てD。個人芸は通用しないのか。
侵攻、抗争に力を費やす一方で、和歌・書の大御所としても名を馳せる。伊勢国司には文武両道という言葉がしっくり来る。
文化人としての面が強調されたインテリ系大名。弓馬の達人だが兵科適正は全てD。個人芸は通用しないのか。
北畠 具教‐政治68 戦闘79 教養77 魅力79 足軽A 騎馬D 鉄砲D 天性:猛将
大河内城50日戦争で南朝の名門として意地を見せた。剣聖・塚原卜伝も認めた剣豪公卿。人生最後のその時に、剣の舞が乱れ飛ぶ。
大きな穴もなく全てにおいてバランスの取れた好武将。戦闘79に加え足軽適正はA。個人芸は通用するようだ。
大河内城50日戦争で南朝の名門として意地を見せた。剣聖・塚原卜伝も認めた剣豪公卿。人生最後のその時に、剣の舞が乱れ飛ぶ。
大きな穴もなく全てにおいてバランスの取れた好武将。戦闘79に加え足軽適正はA。個人芸は通用するようだ。
北畠 具房‐政治22 戦闘15 教養74 魅力65 足軽D 騎馬D 鉄砲D 天性:知将
茶筅丸入嗣は織田家養子大作戦の総仕上げ。「大腹御所の餅喰らい」と揶揄される程度に肥満体。いや、ぽっちゃりさん。
能力値の低空飛行ぶりには安心と信頼の実績を誇る。教養に見るべきものもあるが、寿命の短さも含め後継者足り得ないか。
茶筅丸入嗣は織田家養子大作戦の総仕上げ。「大腹御所の餅喰らい」と揶揄される程度に肥満体。いや、ぽっちゃりさん。
能力値の低空飛行ぶりには安心と信頼の実績を誇る。教養に見るべきものもあるが、寿命の短さも含め後継者足り得ないか。
九鬼 嘉隆‐政治44 戦闘84 教養56 魅力61 足軽C 騎馬D 鉄砲B 天性:猛将
鉄甲船でお馴染み、紀伊熊野水軍の流れを受け継ぐ志摩九鬼水軍の偉大なるキャプテン。「海賊大名に俺はなる!」。
戦闘84で合戦の舵を取る。北畠家の明るい未来に宜候(ヨーソロー)。シナリオ2では浪人、シナリオ5では初めから北畠家に属している。
鉄甲船でお馴染み、紀伊熊野水軍の流れを受け継ぐ志摩九鬼水軍の偉大なるキャプテン。「海賊大名に俺はなる!」。
戦闘84で合戦の舵を取る。北畠家の明るい未来に宜候(ヨーソロー)。シナリオ2では浪人、シナリオ5では初めから北畠家に属している。
敵大名としての特徴
- シナリオ1・2共に腰は重い。伊勢を動く事は滅多にない。かといって伊勢を保ち続けるかというと、それも滅多にない。
織田家が最大の脅威と思われがちだが、織田家の思考パターンは美濃攻略を最優先するようで伊勢は後回し。序盤に攻め込まれる姿はまず見かけない。
最も多いのは、鈴木家に滅ぼされるケース。伊勢への執着は強いらしく、高確率で合戦を仕掛けこれに勝利する。ちなみに鈴木家はその後紀伊を三好家辺りに奪われることが多い。
織田家の美濃攻略が成るまで生き残った場合は、その織田家にやられる事もある。どちらにせよ長期的に勢力を維持することはまずない。 - 合戦を行う際に注意すべき点は特になし。九鬼嘉隆を超える戦闘能力値を有する武将を指し向ければそう苦戦することはないだろう。
シナリオ別攻略
・シナリオ1
武将は9人。
シリーズ通してその噛ませ犬っぷりが愛されてやまない北畠家。数は充実するものの、決め手に欠ける家臣団。東の蘆名家、西の山名家と同様の悩みを抱える。
最初に遠征すべきは紀伊。相手本陣には鉄砲隊が居座るが、地形を活かせば「弓構」で一方的に攻撃可能。今後のためにも兵数は温存したい所。
紀伊から伊勢に取って返して次は大和に軍を進める。おそらく百地三太夫が登用されているので、大和の訓練が整わないうちに侵攻したい。
更に山城に進行、上洛を果たして室町幕府に引導を渡そう。兄弟弟子である剣豪将軍と剣豪公卿が揃い踏みとなる。六角家との共闘は利用出来ればしておきたい。
以降は摂津・丹波を小目標として西へと遠征していけば良い。三好家打倒を優先し、武将と茶器を漁るのが天下への近道か。
織田家の目は美濃に向いているものの、正直な所その気になられたら伊勢連合では歯が立たない。1557年以降は伊勢の備えを怠らないよう。
伊勢の浪人関盛信とは相性も良く、登用は容易。伊勢国人衆の中では高能力値なので声を掛けておこう。
嫡男たる北畠具教は大名候補としては政治面にやや不安を抱える。余裕が出来たら代替わりを見据えて茶会で強化したい。
・シナリオ1
武将は9人。
シリーズ通してその噛ませ犬っぷりが愛されてやまない北畠家。数は充実するものの、決め手に欠ける家臣団。東の蘆名家、西の山名家と同様の悩みを抱える。
最初に遠征すべきは紀伊。相手本陣には鉄砲隊が居座るが、地形を活かせば「弓構」で一方的に攻撃可能。今後のためにも兵数は温存したい所。
紀伊から伊勢に取って返して次は大和に軍を進める。おそらく百地三太夫が登用されているので、大和の訓練が整わないうちに侵攻したい。
更に山城に進行、上洛を果たして室町幕府に引導を渡そう。兄弟弟子である剣豪将軍と剣豪公卿が揃い踏みとなる。六角家との共闘は利用出来ればしておきたい。
以降は摂津・丹波を小目標として西へと遠征していけば良い。三好家打倒を優先し、武将と茶器を漁るのが天下への近道か。
織田家の目は美濃に向いているものの、正直な所その気になられたら伊勢連合では歯が立たない。1557年以降は伊勢の備えを怠らないよう。
伊勢の浪人関盛信とは相性も良く、登用は容易。伊勢国人衆の中では高能力値なので声を掛けておこう。
嫡男たる北畠具教は大名候補としては政治面にやや不安を抱える。余裕が出来たら代替わりを見据えて茶会で強化したい。
・シナリオ2
武将は10人。
長野家家臣の細野藤敦が加入。
一見すると状況に大差はなさそうだが、さにあらず。浅井家には浅井長政が、鈴木家には鈴木重秀がそれぞれ元服し戦力の大幅強化に成功している。
これに対抗するためにも浪人の九鬼嘉隆は是非家臣に加えておきたい。関盛信も居て困ることはない。両名とも人選を誤らなければ登用は可能。
鈴木家の訓練が整ってからでは勝ち目はほぼ無くなるので、シナリオ1以上に紀伊攻略を急ぎたい。鈴木重秀は繰り返し奇襲を掛けて対処。
次に六角家と共闘して近江に進軍。浅井長政も本陣に籠もっていればただの的。「弓構」と鉄砲で削っていけば被害は最少で済む。
以降は近江・伊勢で東側を警戒しつつ、大和→山城→摂津と畿内を制圧、更に西へと軍を進めていこう。摂津侵攻戦が前半の山場となる。
なお北畠晴具の命数は尽きつつある。開始時点の段階で北畠具教に大名を変更するのも一つの手として考えておきたい(実際は1553年に家督相続)。
武将は10人。
長野家家臣の細野藤敦が加入。
一見すると状況に大差はなさそうだが、さにあらず。浅井家には浅井長政が、鈴木家には鈴木重秀がそれぞれ元服し戦力の大幅強化に成功している。
これに対抗するためにも浪人の九鬼嘉隆は是非家臣に加えておきたい。関盛信も居て困ることはない。両名とも人選を誤らなければ登用は可能。
鈴木家の訓練が整ってからでは勝ち目はほぼ無くなるので、シナリオ1以上に紀伊攻略を急ぎたい。鈴木重秀は繰り返し奇襲を掛けて対処。
次に六角家と共闘して近江に進軍。浅井長政も本陣に籠もっていればただの的。「弓構」と鉄砲で削っていけば被害は最少で済む。
以降は近江・伊勢で東側を警戒しつつ、大和→山城→摂津と畿内を制圧、更に西へと軍を進めていこう。摂津侵攻戦が前半の山場となる。
なお北畠晴具の命数は尽きつつある。開始時点の段階で北畠具教に大名を変更するのも一つの手として考えておきたい(実際は1553年に家督相続)。