潮平(しおひら・スンジャ)
発祥・伝承
- 潮平は北山王(今帰仁按司)の末裔により作られたといわれる。
北山滅亡の際、今帰仁按司・攀安知の二男・志慶真王子と長女・真亜佳度金は叔父の湧川大主に助けられ、南山の兼城按司を頼って海から潮平の地に上陸した。その後、この地で製塩業で生計を立てたのが潮平の始まりだという。
- 今帰仁系統である『大殿内』、『百次』、『名加・湧川』、『宇久佐』、『百次小』は今帰仁腹と呼ばれ、墓を共用している。
『大殿内』は今帰仁按司の長女・真亜佳度金が祖。
『百次』は今帰仁按司の二男・志慶真王子が祖。
『名加・湧川』は湧川系統と名嘉系統から成り、湧川系統は湧川大主が祖である。
名嘉系統は玉城村字玉城『ナーカ』という家の娘が、湧川の男と結婚して名嘉を名乗るようになったという。戦後に「名嘉」を「名加」と改めた。
『宇久佐』は字兼城の奥間グスク系統といわれる。
『百次小』は豊見城市字座安の分かれといわれるが詳細不明。
『百次』は今帰仁按司の二男・志慶真王子が祖。
『名加・湧川』は湧川系統と名嘉系統から成り、湧川系統は湧川大主が祖である。
名嘉系統は玉城村字玉城『ナーカ』という家の娘が、湧川の男と結婚して名嘉を名乗るようになったという。戦後に「名嘉」を「名加」と改めた。
『宇久佐』は字兼城の奥間グスク系統といわれる。
『百次小』は豊見城市字座安の分かれといわれるが詳細不明。
- 『茂屋小』は樋川腹の二男筋といわれ、長男筋字兼城『赤嶺』と三男筋字糸満『上真目』と墓を共用している。
- 『玉江』の始祖は『茂屋小』の養子として育ったが、後に独立して『玉江』を創設したという。始祖の父親は字阿波根『神谷』の人で、始祖の妻は字阿波根『大屋小』の娘とのこと。そのため祭祀では阿波根を拝む。
墓は樋川腹の墓を使ってきたが、1911(明治44)年に墓を新設。長男『玉江』系統と三男『新玉井』系統は新墓に移ったが、二男『下玉江』系統と四男『下門』系統は樋川腹の墓を継続して使っている。
- 『上山城』の出自ははっきりしないが、古くからある『大殿内』と同等の旧家とされる。かつては旧三和村字山城の拝所を拝んでいた。
門中一覧
門中名 | 読み方 | 名字 | 備考 |
大殿内 | ウフドゥンチ | 金城(・川端) | 糸満市字潮平『今帰仁』腹。国元。今帰仁按司の長女が祖。 |
百次 | ムンナン | (百次) | 糸満市字潮平『今帰仁』腹。按司元。今帰仁按司の二男が祖。 |
名加・湧川 | ナーカ・ワキャー | 金城(・湧川・潮川・大城) | 糸満市字潮平『今帰仁』腹。湧川大主、玉城字玉城『仲嘉』の娘が祖。 |
宇久佐 | ウクサ | 金城(・西門) | 糸満市字潮平『今帰仁』腹。字兼城の奥間グスク系統 |
百次小 | ムンナングヮー | 金城 | 糸満市字潮平『今帰仁』腹。豊見城市字座安の分かれ |
茂屋小 | ムヤーグヮー | (新垣) | 糸満市字兼城『樋川』腹。大里村字眞境名の分かれ。 |
玉江 | タマイ | 金城(・玉江・下門・上門) | 糸満市字兼城『樋川』腹。字潮平『茂屋小』の養子が始祖。 |
上山城 | ウィーヤマグスク | 金城 | |
知名 | 知名 | 士族。名乗頭は定。 |
戦後改姓
戦前は全員が金城姓だった。