「いい加減にしなさーい!」
その日、滅多に怒らない人物から怒声が飛んだ。
鏖金の明星、鏖殺を代名詞とする冒険者パーティーに於いて数少ない良心である所の
栗谷 苺の堪忍袋の尾が終に切れたのである。
「えぇ〜そんなに怒ん無くてもいいでしょお母さ〜ん」
「誰がお母さんですか!」
プンスコ。
そんな擬音がぴったりな様子の苺を尻目に億劫そうにしてるのは誰あろう
パッシフローラであった。
そのパッシフローラの周囲に散らばるのは紙、紙、紙。
綴じ本だったり巻き物だったり、あるいは紙束だったりと無造作に広げられたそれらに作者はまるで頓着している様子は無く。
「これは偉大なる我らが神について記された
大っ切な聖典なのです苺様!」
「そんなに大切ならちゃんと管理なさい!毎度毎度そうやって散らかして!いっつも整理して片付けるの私なんですからね!」
「ぐぅ…それはそーなんだけどぉ…イツモアリガトウゴザイマス」
「どういたしまして!!」
ぐぅの音も出ないとは正にこの事、議論の余地無く悪いのはフローラである。
鏖金の明星御一行、現在諸国漫遊廻った後に再び訪れしは
竜の国。
大木を囲む様に木陰で輪になって寝転んでは休憩中である。
そんな中、今回の出来事も聖典に記さねばと筆記具なり紙束なりを引っ張り出してきたのが今回の喧嘩の発端である。
「ハァ…そもそも数が多すぎますよフローラちゃん。書くなとは言わないけど少し処分できないかな?」
「そんな畏れ多い!聖典を捨てるとか教義に反します!」
「初めて聞いたなぁ、その教義」
「今作りましたから!」
しかし意外とフローラも手強い、コレでは堂々巡りである。
「もう…
狗山さん!貴方からも言ってやって下さい!」
二人の大木を挟んだ後ろ、珍しく苺が大きな声を出してるなと思っていた
勇者候補、いきなり水を向けられて正に寝耳に水である。
「言われてるぜー、お父さん」
片腕を本妻に枕にされて動けない事を良いことに茶化す魔族少女に心外であると告げながら、言われたからにはグザンも一応は真面目に思案する。
「売り物になるかは判らんが…買い取るという者を見つけて売るのはどうだ?」
「我が神の御言葉ながら…それでは売られた後に雑に扱われるかも知れません!!」
「野原に散らかすのは違ぇのかよ…?」
「私は良いのー!」
「ならば…きちんと管理してくれる所に寄贈しては如何でしょう」
大木の枝の中で周囲を見張っている
くノ一の少女が助け舟を出す。
「ふむ、妙案だな。然すれば図書館なり教会なり…」
「あー、じゃあ近場にお誂え向きの場所があるぜゴシュジンサマよ」
「ほう、ならばマウルに案内は任せよう」
左様に左様に各々伸びをしつつ出立の準備を整える一行。
次なる目的地は此処に定まった。
「いざ参さん、文殿へ」
「狗山様の仰る通りですわ!」
ほぼ条件反射でそう口にしながら飛び起きて本妻、起床である。
“
文殿”。
竜の国と
グ・リガン・グリラの境目付近に存在する廃城。
現代では他に類を見ない様式から何処か異質な雰囲気を漂わせる建築物。
静かな威厳を感じさせるその建物に、その日訪問者があった。
「頼もう」
「どうれー、ちょいと待たれよー」
その訪問者とは言わずもがな冒険者パーティー、鏖金の明星一行ではあるのだが思い掛けず帰ってきた返事が
薫桜ノ皇国のそれであった為に思わず顔を見合わせた。
「いやさ待たせてしまってすまんのぅ、ささ!挨拶は後じゃ、入られよお客人」
出迎えたのが清潔な着流しに身を包んで帽子と杖を身に着けた珍妙な
スケルトンだというのにも面食らったがおくびにも出さずに取り次ぎを頼む。
「おお構わんぞ、こっちじゃこっちじゃ」
一瞬、グザンの背負う
大太刀を見て目を細める様な仕草をしたそのスケルトンに連れられた先、堆く積み上げられた本にその巨体を埋もれさせる様に鎮座する
竜と相見える事となった。
『…何者か』
「見ての通り勇者候補だ」「そしてその一味ですわー!」
「ほう、解る物か」
『見ての通り、と言ったのは貴公であろう』
「如何にも左様であったな、狗山 座敷郎という。グザンで良い、見知り置かれよ」
『ふん、威勢ばかりの小童めが。儂は…
文殿の竜等と呼ばれておる。それで良い』
「心得た」
『して、我が知識の牙城に何用か勇者候補よ。牙を交えんするのであればこちらも容赦は…』
「いやさ、本の寄贈に参った」
『…それだけか?』
「それだけだ」
『…誠に?』
「誠だ」
_____そのつぶらな瞳と見つめ合う事暫し。
『…どうしてもと言うのなら我が叡智の一端を授けてやっても良いのだぞ』
「結構だ」
_____そのつぶらな瞳と見つめ合う事暫し。
『ええい!新たな蔵書や知識を持ち込んだ物には褒美を与える事になっているのだ、有り難く読むが良いわ!』
「そうか、では有り難く読ませて貰おう」
斯くしてパッシフローラの執筆した聖典が晴れて文殿に納められ、明星一行は蔵書を読む権利を得たのである。
そうして件のスケルトンが用意してくれた椅子に腰掛けて思い思いの本を手にとっては各々ページを捲ったり何やら帳面に書き写したりしている中、それまで蔦と何やら話していた件のスケルトンがグザンへと話しかけてくる。
「カッカッカッ、さっきは上手くやったのう。お主、役者としても食っていけるのではないか?」
「道中、貴殿が此処の主人は『教えたがり』だと耳打ちしてくれたお陰よ御老体」
「カッカッカッ、さぁてどうじゃったかのう!ならその礼では無いがちとこの老骨に少し付き合ってくれなんだかな?」
「是非も無い、今しがた一冊読み終えた」
「早いのぅ…のうお主、随分見事な刀を背負っているではないか。後生じゃからちょっと見せて貰えんか?」
「…構わんが、しかしこれなるは妖刀の類」
「ああ、それに関しては心配いらん」
まるで知っているとばかりに返すとスラリと抜き放った大太刀の刃を見るや小さく当惑とも感嘆とも取れぬ声を漏らす。
「これは…なんともはや」
「むぅ?どうしたお嬢ちゃん?絵本ならあっちの方に……んんん?よもやお嬢ちゃん、この刀か!?」
片眼鏡の様に複数の魔法陣を展開していた空の眼窩を信じられないとばかりに何度か弄ると今度は弾けた様に呵々大笑して。
「カッカッカッカッカッカッ!!こんな事になろうとはな!!よもやよもやよ!!」
傑作だとばかりに大太刀を鞘に納めるとはごろもがスケルトンに向けて両手を伸ばす。
「ほう、はごろもが初対面の相手に懐くとは珍しいな」
「じぃじ、じぃじ」
「おおそうか!じぃじか!そうかそうか!よしよし、じぃじがだっこしてくれような」
そう言ってはごろもを愛おしげに抱き上げる姿はまるで初孫を可愛がるおじいちゃんの様で。
「やわっこいのう、重いのう、命の重さじゃ、尊い物じゃ」
「じぃじのうで、ほそいな」
「なぁにを言うか、じぃじはもっとでっかいんじゃぞう!カッカッカッ!のう、生きるのはどうじゃ?楽しいか?」
「うむ、わるくない」
「そうかそうか、悪くないか!なれば良し!」
そんなこんなで日も傾き始めた頃、世話になったと文殿を後にしようとする一行を見送るスケルトン、
スケさんへと蔦が黴と埃の匂いばかりでは嫌になるだろうからと
万年桜の香を渡して背を向けた時、不意にグザンの頭の中にだけ文殿の竜の物とはまた異なる声が届いた。
『作麼生、生老病死、怨憎会苦、愛別離苦、所求不得苦、以て略五盛陰苦なり。かかるに穢土なるは須らく苦界なりしや?』
愛し子等を生という苦界から解き放ちたい、死に生きるこそ救いとする死想の念。
一切合切を浄土へ導かんとするそれに万感の敬意と共感を込めて否定する。
『説破、四苦八苦なるは即ち菩提の種子なり。人皆仏性有りて苦集滅道により八正道に至る。なればこそ穢土は只苦界であるに非ず』
生無き世界には未来も無い。
思い通りにならない人生を、それでも誇りとして胸を張って生きてゆく。
それこそが人の正道であり、誰もが無為自然に斯く在れる華胥之国を齎す事こそ大義と奉ずるからこそ、明日の光を否定する救済を断じて認めない。
太陽を背に、グザンは一度だけ振り返る。
「案ずるな御老体、それでも烈しく生きる意味はある。私が証して見せよう」
「ばいばい、じぃじ」
「カッカッカッ、全く…大悟しておるわ!」
それを眩しそうに目深に帽子を被る老骨の影は長く伸び、今や
巨大な竜の骸の様であった。
後日談というか今回のオチ。
「旧き友よ、聞いてくれ」
『…どうした、何時に無く神妙な様子で』
「儂、知らん所で孫出来てた」
『ハァ!?お前さんアンデッドじゃろ!というか生前も相手居らんかったろうが!!』
「そんな事無いわい!それに儂の打った刀から生まれたんじゃから実質孫みたいなモンじゃろがい!」
『ええい!死んどるクセに耄碌したかこの老骨ー!!』
何でも暫くは口を開けば孫、孫、孫で文殿の竜を辟易とさせたそうな。
関連
最終更新:2025年07月05日 20:14