文明共立機構は、この世界の国際秩序に責任を持つ唯一無二の連合体である。また、同時に各国間の利害調整も担っている。
時は共立公歴1002年。彼らの任務は、改暦以降の長きに渡る平和を守ることにあった。
「……以上が今回の報告書になります」
「ご苦労様でした。では早速、目を通していきましょう」
「はい」
ここはレクネール邸の一室である。机を挟み向かい合う二人。
一人は紫髪の女性であり、もう一人は金髪を後ろにまとめた少女だ。金髪の少女の名はリティーア。レクネール家に仕えるメイドの一人である。
そして紫髪の女性は、レクネール家の主、つまり、
メレザ・レクネールその人である。
「うん、これは興味深い内容ですね。是非とも実現させたいところですが……」
「お言葉ですがメレザ様、そのようなお戯れはおやめください」
「分かっていますよ。さて、それじゃあ本題に入りましょうか」
「はい」
「まずはこの報告書について。結論から言うと、現状維持が最善策と言えますね」
「そうですか」
「えぇ、少なくとも現時点では」
「承知いたしました。では、
FSRの件はここまでということでよろしいでしょうか?」
「構いません。次は別の話に移りましょう」
「はい」
「あなたには来月のパルディステルで行われる記念行事に参加してもらいます」
「はい」
「詳細は後ほど連絡します」
「かしこまりました。失礼いたします」
「えぇ」
「……」
「何か言いたいことでもありますか?」
「いえ、何でもありません」
「そう。なら、もう行っていいわ」
「はい」
「……まったく、あの子は本当に嘘が下手なんだから」
レクネール邸の庭園。そこには色とりどりの花壇があり、季節ごとに様々な花を見ることができる。
今は春なので、バラ園が最も美しい時期と言えるだろう。そんな場所に一人の女性が立っている。
彼女は、先日、レクネール家に雇われたばかりのメイドで、名前はリティーアという。
彼女がこの屋敷で働き始めたのはほんの二週間前のことである。この二週間の間、彼女に与えられた仕事は主に三つあった。
一つは掃除などの雑用全般。二つ目が共立機構の仕事に携わる役人のお世話。
そして最後に、メレザに頼まれて何故か秘書めいた役割を負わされているのだ。
ちなみに、この三つ目の仕事を引き受けてからまだ一度もメレザと会話らしい会話をしていない。
今日もまたいつも通り、黙々と作業をしていたのだが、ふと視線を感じ、顔を上げるとメレザがこちらを見つめていた。
どうやら、ずっと見られていたらしい。
何となく気まずくなって目を逸らすと、メレザが話しかけてきた。
だが、それは思いがけない言葉だった。
その一言に、リティーアは驚いたように目を大きく見開いた。
式典とは、つまり、レクネール家の代表として出席するということだ。
いくらなんでも急すぎる話である。そもそも、自分はただの使用人として働いているのだ。なぜ自分がそのような場に呼ばれるのかわからない。
それに、もし仮に何かの手違いがあったとしても、自分のような使用人が、いきなり主賓席に座るなど許されるはずがない。
困惑した表情を浮かべていると、メレザは静かに言った。
――あなたには、私の大切な客人をもてなしてほしいのです
メレザのその言葉に、ますます混乱してしまう。
確かに、この家には大勢の来客がある。しかし、自分のような下働きの女にそんなことを頼むなんてどうかしていると思った。
しかも、相手はあの
セトルラーム連邦の大統領だと言うではないか。
悪評ばかり報じられているが、実際のところ、どんな人物なのか想像もつかない。
それとも、まさか…… 一瞬だけ、嫌な予感が頭をよぎった。
だが、すぐに打ち消す。ありえない。
だって、彼の権力はもう…… そう思った瞬間、胸の奥底で小さな痛みを感じた気がしたが、あえて無視をした。
それから数日後、メレザの言葉どおり、その人は屋敷を訪れた。
そして、彼の口から、とんでもない事実を聞かされることになる。それは、あまりにも衝撃的な内容だった。
――あなたは、現時点で確認できている最後の公位継承者です。
今、目の前にいる男性は何を言っているのだろう? とても信じられなかった。
――私は、あの改革期の混乱の中でお隠れになられたウラジス様の御息女をお迎えするため、今日ここに馳せ参じたのです。
私のような使用人に、大統領が嘘を言う理由などないはずだ。
だとしたら、本当に…… 突然、視界が大きく揺れ動いた。
次の瞬間、激しい頭痛に襲われる。まるで脳みそを直接掴まれて揺さぶられているかのような感覚に、思わずその場にうずくまった。
額を押さえながら顔を上げると、怪訝そうな様子の大統領の顔が見える。何か言わなければと思うのだが、言葉が出てこなかった。
それにしても、何ということだ!冗談にしても笑えない話である。
混乱した頭の中で、ただそれだけを考えていた。
「どうやら、私の話は信じていただけないようですね」
その言葉を耳にして我に返った。
いけない! ついボロが出てしまったようだ。慌てて姿勢を正す。
大統領は相変わらず不審げな表情を浮かべていたが、こちらが黙っていることに業を煮やすと、少し口調を和らげた。
「まあ良い。とにかく、私は君に用があるんだ」
そう言うと、彼は椅子に座るよう促してきた。
言われるままに腰掛けると、テーブルの上にカップが置かれた。
温かい飲み物が注がれている。
口をつけると、甘酸っぱく爽やかな味が広がった。
「それは最近、我が国の飲料メーカーが力を入れている特注品でね。そう簡単には手に入れられない代物だよ。ゆっくり味わうといい」
彼の声が聞こえてくる。
「実はね、先程言ったように、君は私達にとって非常に重要な人物なんだ」
そして、こう続けた。
「単刀直入に言おう。いま、我が国と帝国の関係は共存か戦争の瀬戸際にある」
そこで、一旦息をつく。
「この件について、女公陛下は何も仰せになられない。説得するため、君の力を貸してほしい」
「……」
思わず沈黙してしまった。
まさかとは思っていたが、本当にそんなことを言い出すなんて。
しかし、考えてみれば当然かもしれない。
そうでなければ誰が自分のような小娘に。
「もちろん、無理に帰省しろと言っているわけではない。我が国の公に連なるものとして、相応の席を用意するつもりだ」
その言葉に少し安心したが、すぐに思い直す。
「お断りします」
はっきりと言い切った。すると、意外にも相手は食い下がってきた。
「ふむ?悪い話ではないはずなんだが。 理由を教えてくれないか?」
その問いに、今度は逆に質問を投げかける。
「貴方は、どうしてそこまでして戦争を始めたいんですか?」
それには答えずに、 ――それが私の使命だからだよ。とだけ返ってきた。
その言葉には、どこか悲壮感のようなものを感じる。
だが、 ――それだけですか? と聞くと、 ――……そうだな。
彼はそう言って黙り込んだ。
どうやら、これ以上は話す気がないらしい。
ならば仕方ない。
こちらも、こちらで勝手にさせてもらおう。
「……わかりました。では、失礼します」
客室から出ると、大きくため息が漏れた。結局、あの人は最後まで何も言わなかったな……。
でも、これでいい。
きっと、これでよかったのだ。……さて、これから忙しくなるぞ。
まずは、メレザ様と相談しないとね。そして、この世界の未来を考えよう。
最終更新:2021年11月08日 00:33