セトルラーム共立連邦 > エルドラーム星教ルドラス派


概要

 エルドラーム星教ルドラス派は、旧暦時代のセトルラーム共立連邦において成立した。イドゥニア宇宙域(セクター・イドゥニア)における主要教派の一つ。国際交流が進んで久しい今日ではロフィルナ連邦圏を始め、イドゥニア星系の複数国に渡って広く信仰されており、時代の変遷に伴って教義を緩めてきた歴史を持つ。そのため、古典古代の伝統に忠実な創約星教のブルシェク派からは世俗主義に屈した異端として非難された。更に過激な教義を掲げるロフィルナ王国のティラスト派とは幾度となく衝突を繰り返し、特定地域における火薬庫の様相を呈して久しい。同エルドラーム系列に分類される他の創約星教と比較して最も多くの信徒数を誇るが、宗教コミュニティとしての地盤は最も弱く、地域ごとのガバナンスに委ねているのが現状とされる。

歴史

ブルシェク原理主義派閥の最盛期

 まず、現在のルドラス派に繋がる特筆事項として、初期ブルシェク派*1による長期の間接統治が挙げられる。セトルラームが建国される以前の世代航海期において、望郷の掟とされたナーシャクの思想は、長らく人々の精神的拠り所となっており、宗教的権威が世俗的権威に勝る強力な地盤となって浸透した。彼らブルシェク原理主義の指導層は、世俗社会の代表たる時のルドラス・エルク(後の初代連邦筆頭公爵)を裏から操り、第一連邦制と称される教団主導独裁政権を成立させたのである。元々、星間機構の一将校であったルドラスにはイドゥニア由来のイデオロギーに関心がなく、逆に建国の理想を妨げる『狂信者』の力を削ぐための機会を伺っていた。時のヴァンス・フリートン初代大統領も、そうした世俗派の策動に協賛しつつ、建国後、300年以上もの長きにわたる教団の代弁者としての立場を演じ続けたという。来たるべき星間機構との戦いに備えて、相応の力を欲したフリートンは、あえて世俗派との対決姿勢を装い、教団の目を欺くなど常に綱渡りの立ち回りを強いられた。それは、一歩間違えば失脚(=死刑)のリスクを伴う極限状態であったが、並々ならぬ『鉄の信念』をもって民衆(特に新世代)の怒りが爆発する『革命の時』を待ち続けたのだという。(大統領本人の談。信憑性については諸説あり。)

第二連邦制への移行と新ルドラス派の成立過程

 宇宙新暦1812年。世俗派による全国的な武力蜂起が起こると、これを絶好の機会とみなしたフリートンは教団の指令を逆手に取る形で軍主力の裏切りを焚き付けた。ゾレイモス・ヴィ・ケレキラ=プルームダール(後の首相)率いる企業同盟も一連の混乱に乗じ、大勢の武装民兵とともに転進した各地の連邦軍主力部隊を支援したのである。その勢いのままに多くの教団施設が焼かれ、ついに第二連邦制と称される軍主導の時代を迎えた。そうした経緯を得て、ルドラスの信用を得たフリートンは自身の退陣を望む民衆の要求に応える形で失脚からの投獄生活を装い、ほとぼりが冷めた頃に軍の傀儡として返り咲く最悪の復帰を果たしたという。この軍の所業は自由を渇望する多くの国民にとって受け入れがたいものであったが、それ以上に『旧体制派閥』の反撃が危惧される中、新体制による徹底的な情報統制を以て分断される流れを辿った。当のフリートンによると、この間に軍と企業の板挟みとなっていた多くの中間有力層を懐柔するなどして強引な平定へと導いたという。これにより、世俗社会との融和を是とする初期ルドラス派の成立へと至るわけだが……このエピソードには一言では語れない多くの思惑が錯綜し、共立時代を迎えて久しい今日でも完全な解明には至っていないのが現状とされる。常に切り捨てられるリスクに晒され、多くの政治的困難を経験したフリートン大統領の功罪については、未だ統一的な結論を得ておらず、現代教法会議の視点から一定の協力関係の維持に努めざるをえない疑惑*2も指摘された。

関連資料


ルドラス派・基本教義概要

 当代ルドラス派の教義は主に根幹となる五原則と、それを元に策定される各教法会議の法規則に基づいて布告される。
その内容は当時代における帰属社会の常識(社会通念)に照らし合わせて更新されるもので、任意団体として発足した国際星教府の判例を根拠に個々の解釈を補った。
制定の趣旨としては社会的包摂性を重んじており、時代の変化に寛容であることから偉人列聖を主軸とする多神教の形式を採る。

当代五原則

 以下の内容は、ロフィルナ天空叢書に集約される一部神話を参考とし、すべて現代の価値観に適合させたものである。共立公暦0年度.ルドラトリス教法会議の承認をもって広く認知された。

世界観

この世は人々の内に秘められし無数の渇望と数多の界によって成り立つ。
渇望とは、すべての世に照らされし人々の夢の光なり。
夢の光は、創造主の試練によりて約束された命の川の楽園なり。
命の川とは、人々のたゆまぬ祈りによりて築かれし奇跡の道筋なり。
すべての聖人は古き人々の渇望によりて顕現せり。我らの神なり。
古き世の神々は古き人々に試練を与えたり。一人の男が渇望し、創造主となりぬ。
創造とは、この世のすべてを震わせる渇望の源にして、全ての始まりなり。
主の咆哮は更なる光を生み出し、その光もまた命の川を創造せり。
夢の力は川の恵みをもたらし、人々に命の実りをもたらすべし。
魔の試練を恐るることなかれ。それはこの世を照らす大いなる渇望の源なり。

死生観

新たなる命は男女の営みによりて生まる。この世を繋ぐ神聖なる儀式なり。
死せる命を糧とし、新たなる命が芽吹く。この一組の流れを命の川といふ。
不必要なる殺生を行ふことなかれ。その行ひは命の川を損なふゆえなり。
殺すよりも生かすことを考へよ。全てを成し遂げし時、原初の主は列聖の一柱たる神としての地位を与え給ふ。
死せる者を許せ。その者は新たなる命の糧となるゆえなり。

生活観

早く起き、早く寝て、規則正しく過ごせ。その者は壮健なる肉体を得るべし。
正しき食事を続けよ。その者は良き費やす者となり、健勝にあり続けん。
日々入浴し、歯を磨き、他者への礼に努めよ。その姿、その振る舞ひ、その匂ひは、その者の本質を表すなり。
日々自らを鍛へ、自らを識れ。さすれば列聖の恩寵を得られん。
日光を浴びよ。その者の肉体は強靭となり、世に活力を与ふべし。
日々学べ。その者の知識はやがて叡智となり、創造の糧となるべし。

労働観

行き過ぎたる労苦は命の川を損なふ。搾取もまた同じなり。
養生なき労働は奪ふことに等しく、自制されるべき行ひなり。
強欲は可能性を奪ふことに等しく、力を損なふ大罪なり。
働きに対しては十分なる褒美を与へよ。その者は救はるべし。
生み出されたる創造物は費やされん。費やされたる創造物はその者にとっての褒美となるべし。

社会観

働く者を讃へよ。その者は数多の命を救ひ、生み出すべし。
費やす者を讃へよ。その者は更なる褒美を与ふべし。
公は一切の区別なく、全ての者に還せ。それが世の発展に繋がるなり。
創造し、費やし、還せ。さすれば救はれ、新たなる生命が芽吹くべし。
弱き者を許せ。その者は費やす者となり、新たなる活力の源となるべし。

伝統

 エルドラーム星教においては列聖された五大神を称える曜日があり、その内容は以下の通りである。
細かな伝承については一部を除いてブルシェク派と共通するものの、ルドラス派の教義に善神と悪神の対立構造は存在せず、かつ等しく対等に列せられているのが現状である。
さらに、ルドラス派においては神そのものが元は同じ人間であることを明確に定めており、この解釈はブルシェク派と大きく異なる点として議論の対象となった。
ティラストが主神として奉るゲザッセルについてもルドラス派においては列聖の一柱に相当するものとして解釈されている。
ルドラス派において、原初の列聖人に該当するアルヴェファーンの人物像に至っては諸説あるのが現状で、一様に定まってはいない。

 以下、それぞれの神の伝承についてはブルシェク派の記事を参照されたい。
熱曜(ねつよう)
 熱曜は、炎神ゲザッセルを奉る祝日である。この日には街中で大規模な火祭りが行われ、夜空を彩る炎のダンスと花火がハイライトである。人々は赤い衣装を身にまとい、焚火を囲んで宴を楽しむ。炎のダンサーたちは、炎を操る華麗な技を披露し、その技術と勇気が観客を魅了する。夜になると、色とりどりの花火が打ち上げられ、夜空を照らし、ゲザッセルの力強さと美しさを象徴する。人々は赤い衣装を身にまとい、焚火を囲んで食事や飲み物を楽しみ、音楽と踊りが夜遅くまで続く。また、市内を駆け巡る熱曜マラソンも行われ、参加者は赤いタスキをかけて走り、熱意と情熱を表現する。熱曜の起源は古代にさかのぼり、ゲザッセルが人々に火を与え、その重要性を教えたことを記念して始まった。最初の火祭りは小さな集落で始まり、徐々に大規模な都市祭りへと発展し、現在では地域全体が一体となって祝う一大イベントとなっている。熱曜はコミュニティの絆を深め、火の力と美しさを讃える重要な機会である。人々はこの日を通じて、自然の力とその恩恵を再認識し、感謝の意を表す。また、熱曜は地域社会の団結を強める役割も果たしている。

水曜(すいよう)
 水曜は、水神イ・ボラを奉る祝日である。この日には川や海辺で大規模な祭りが行われ、水の精霊を模した舞踏や水上パレードがハイライトである。人々は青い衣装を身にまとい、水の恵みに感謝する。水祭りの参加者は、川や湖で行われる様々な水上競技にも参加することができ、その一部には伝統的な舟競争や水中ダンスが含まれる。夜になると、水辺には無数のランタンが灯され、美しい景観を作り出す。これにより、イ・ボラへの感謝と敬意を示すとともに、過去の水災害からの復興を祈る。水曜の起源は、古代における大洪水からの復興を記念するものであり、イ・ボラがその時人々を導き、水の恵みを再びもたらしたという伝説に基づいている。水曜は、地域社会の絆を深め、水の大切さとその恩恵に感謝する重要な機会である。この日を通じて、人々は自然と共生し、持続可能な生活を再確認する。また、水曜は環境保護活動を奨励し、次世代へと繋がる知識と価値観の共有を促進する役割も果たしている。

風曜(ふうよう)
 風曜は、風神ゲグル・バ・シドを奉る祝日である。この日には広場や高台で風を感じる祭りが行われ、カイト(凧)を飛ばすイベントや風をテーマにしたパフォーマンスがハイライトである。人々は風を表現した衣装を身にまとい、風の精霊と共に踊りを楽しむ。風祭りの参加者は、風を利用した様々な競技にも参加することができ、その一部には伝統的な風船競技や風車作りが含まれる。夜になると、広場には風で揺れるランタンが灯され、幻想的な景観を作り出す。これにより、ゲグル・バ・シドへの感謝と敬意を示すとともに、風の力を称える。風曜の起源は、古代における強風からの恩恵を記念するものであり、ゲグル・バ・シドがその時人々を守り、風の力を教えたという伝説に基づいている。風曜は、人々が風の力を楽しみ、その神秘を感じる機会である。この日を通じて、人々は風を利用した様々な活動を行い、その恩恵に感謝する。また、風曜は特に子供たちに人気があり、凧揚げや風を使ったゲームを通じて楽しさを共有することが多い。

緑曜(りょくよう)
 緑曜は、治癒神ヴァスタルデルを奉る祝日である。この日には緑豊かな場所で癒しの祭りが行われ、ハーブや花を使った治癒の儀式やワークショップがハイライトである。人々は緑の衣装を身にまとい、自然との調和を楽しむ。緑祭りの参加者は、ハーブの収穫や薬草作りの体験にも参加することができ、その一部には伝統的な治癒法や自然療法の紹介が含まれる。夜になると、森や公園には緑色のランタンが灯され、幻想的な景観を作り出す。これにより、ヴァスタルデルへの感謝と敬意を示すとともに、自然の癒しの力を称える。緑曜の起源は、古代における疫病からの回復を記念するものであり、ヴァスタルデルがその時人々を癒し、健康を取り戻したという伝説に基づいている。緑曜は、人々が自然の力を楽しみ、その癒しの力を感じる機会である。この日を通じて、人々は自然と一体となり、その恩恵に感謝する。また、緑曜は特に健康や福祉に関する啓発活動が行われる日として知られ、参加者は治癒の技術や知識を共有することが多い。

祭曜(さいよう)
 祭曜は、祭神ジャネイを奉る祝日である。この日には街全体が色とりどりの装飾で彩られ、様々な文化的イベントが行われる。人々はカラフルな衣装を身にまとい、音楽やダンス、食事を楽しむ。祭りのハイライトは、街の中心部で行われるパレードであり、伝統的な踊りや楽器の演奏が披露される。参加者はその美しさと活気に魅了され、共に踊りながら祝祭を楽しむ。夜になると、街には無数の灯籠が灯され、幻想的な雰囲気が広がる。これにより、ジャネイへの感謝と敬意を示すとともに、平和と繁栄を祈る。祭曜の起源は、古代の収穫祭にさかのぼり、ジャネイが豊かな収穫をもたらしたことを祝うために始まったとされる。祭曜は、人々が一堂に会し、文化や伝統を共有する重要な機会である。この日を通じて、人々はコミュニティの多様性と豊かさを再認識し、互いの文化を尊重し合う。また、祭曜は特に子供たちにとって楽しい思い出を作る日でもあり、様々なゲームやアクティビティが用意されている。

組織構成

 地域または国ごとに異なるのが現状とされる。一方、セトルラーム発祥の経緯から、ルドラトリス教法会議の解釈に従うケースも散見され、そうした方針を共有する教区組織間のネットワークが構築された。
ルドラトリス教法会議自体も特定の長を設けているわけではなく、各地域教会の投票により選出された複数の法学者による合議体制を取る。
国や地域によっては独自の武力を持つ政党組織、または、それに類する教会勢力も存在するが、いずれも王政連合指揮下の星教騎士団には遠く及ばず、衝突自体を忌み嫌う傾向が見て取れる。
ただし、過激なテロリズムに傾倒するティラスト派に対しては制裁の機運が高まりつつあり、民間レベルにおいては史上稀に見る規模のルドラス同盟軍の発足へと繋がった。

国際関係

 世俗社会との共存を掲げたルドラス派の教えは、体制が異なる多くの多元主義勢力にとって受け入れやすく、また、一部の独裁体制においても御しやすい外交政策の道具として広く普及した。
そもそもの大前提として、多くのルドラス系列組織が柔軟路線に傾く現状、布教対象となる地域有力者の選択次第で如何様にも解釈できる余地が認められるため。
多神教の在り方を巡る議論において肯定的な見方を示す無神論者もいるが、一方で『節操のなさ』を咎める有識者もおり、世界宗教としての評価は必ずしも一様ではない。

ブルシェク派との関係

 国や地域によって異なるが、概ね否定的な見方で占められている。無論、すべてのルドラス教徒がブルシェク派を敵視しているわけではないものの、一般的な見方としては単純に旧態依然とした教義を訝しむ風潮が強く、共立主義的視点から友好とは言えない関係とされた。一方、国家間の外交においては概ね理性的な協力体制の維持に努めているのが現状で、必ずしも強硬に対立しているわけではない。とはいえ、共存と礼儀を重んじる多くのルドラス教徒にとって、ブルシェク派(特に星教騎士)の軽蔑的な態度は時に争いの元凶とされて久しく、一部過激派による追及の機運を高めてしまった。双方ともに根深い問題*3を抱える以上、多くの局面において特定権力(ないしは文明共立機構)による取り締まりの強化を求める運動も散見された。そのような世俗社会の情勢に危機感を抱く法学者間の議論が続いているという。

ティラスト派との関係

 ロフィルナ問題を巡る紛争から、過去数世紀にわたり多くの犠牲者を出した。共立公暦998年における『イドルナートの大火』を以て報復の機運が高まりつつあるのが現状で、もはや開戦不可避と見られる(詳しくは、セトルラーム共立連邦国家記事における軍事項目を参照)事件(第二次世界動乱)の起爆地点となったセトルラーム国内においては、『等しく制裁または鏖殺すべきである』の主戦論が繰り返し報道されるなど、前述のブルシェク教徒以上に過激な様相を呈した。これに対して、王政連合をはじめとする多くの中小勢力が旧暦時代におけるセトルラームの所業を指摘(詳しくは、ロフィルナ王国の歴史を参照)報復にかこつけた侵略など絶対に認めない方針で一致しているという。共立機構国際平和維持軍も同様の立場を取るが、それ以上に現ロフィルナ王国政府の罪を裁く方針に傾倒し、複雑怪奇な情勢となった。

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宗教
最終更新:2024年12月17日 00:17

*1 現代のブルシェク派とは全く異なる性質を持つものとして区別される。

*2 『世俗派との共存だ?進歩的で未来志向の云々なんつって、聞こえの良い言葉で誤魔化してるけど、あれ、過去にエルドラームの政治利用を試みた旧支配層の逃げ口上だからねぇ。ルドラトリス教法会議もさ、なんか如何にも健全な雰囲気を漂わせていて、俗世の行事に寛容です~、みてーなオーラを匂わせてるけど、違うからね?あいつら、フリートンの諸刃の剣を前にビビって取り繕ってるだけだから。下手に政権の闇を突っついて、自爆上等の暴露でもされようものなら国ごと全てが吹き飛びかねないからね』……とある独立系メディアにおけるブルシェク教徒の告白内容から引用。真偽の程は定かではない。

*3 聖地ブルセカを巡る王政連合・連合帝国間の領土紛争において、ブルシェク教徒に対する現地当局の圧力が懸念される。一方、大手を振って巡礼できるルドラス派との扱いの差が双方の対立に拍車をかけているとの見方も示された。帝国との協力関係を持つセトルラーム政府の立場としては、ブルシェク教徒の巡礼に関して不当に抑圧されないための働きかけを継続しているという。