『真・女神転生2』における魔界の地形は、ユダヤ教に伝わる秘儀『カバラ』を模したものとなっている。本ゲーム以外でも、『新世紀エヴァンゲリオン』や『ウィザードリィ4』といった有名な作品にも、カバラがネタのひとつとして使われているため、名前を知っているという人も多いことだろう。
このユダヤ神秘体系カバラとは、完全に不可知なる神と、神的源泉からの力の流出を表し、カバリストたちはこの神的顕現をセフィロートと呼ばれる10の段階に分ける。これらは22の回路によって結びつけられた一定のパターンに従って、形式的に配列されている。このダイヤグラムは万物創造の神の解剖図であり、その神の衣装は宇宙である。別名『生命の樹』としても知られる。
10のセフィロートは、三本の垂直、あるいは柱の中に配列されている。左手の柱は女性を、右手の柱は男性を意味する。中央の柱は他の二本を調和させ、平衡させる。
『生命の樹』の図版を見ると、まず一番上に「AIN SOPH AOUR」という言葉が目につく。これは「無限の光」を意味し、創造の場と天地創造の神を指す。これらは生の源泉であると同時にゴールでもあるのだ。
現代の西洋カバリストたちの解釈によると、『生命の樹』は人間の物質的な世界が、神的流出の諸段階によって、存在する究極的な場といかに結びついているかを示すという。また『生命の樹』は、顕現した存在の多様性が天地創造の神の統一性からいかに派生したのかを示すものでもあるから、逆に解釈していくと、それはヒトがいかに『生命の樹』の道を登り、機が熟するにおよび、神との合体を経験できるかを示すことにもなるという。
とするならば、魔王ルシファーがなぜ主人公をあたかも試すかのようにケテル城へと誘うのか、その背景を想像すると、とても興味深い。あくまで予想でしかないが、ルシファーは自らを倒し、神をも越える存在の出現を、心の奥底で切望していたのではないだろうか。神が造り出したヒトが、生命の源泉を意味するセフィロートを登りつめ、かつては神の右腕であったルシファーを倒し、さらには神の遣いであるサタンを倒し、最後は創造主をも倒してしまう。表現こそ過激ではあるが、『真・女神転生2』は、カバラの最終到達点である「神との合体」を、神を倒すことで表現したのではないだろうか。
ケテル、ビナー、コクマをつなぐ三角形の内部。神性界と呼ばれる、神の世界。原初の人間アダム・カドモンはここにおり、それはすなわち神の力そのものである。
創造界と呼ばれる。ビナー、コクマ、ゲブラー、ケセドをつなぐ四角形の内部で表現される。魂などの霊的な領域であり、集合体であるアティルトから分裂する。
ゲブラー、ケセド、ホド、ネツァク、イェソド、ティフェレトで構成された五角形の内部、形成界。人間の魂の領域であり、ここではじめて男女の区別がつけられる。
ホド、イェソド、マルクトでつながれた三角形の内部にあり、人間が生きる世界である。活動界と言われる。魂は肉体という衣をまとって生きていくと解釈される。
すべてが生まれる場所であり、無の象徴。神の息。人間の源は神の原初の思考の中にあり、ケテルから流れ出てくる。
ケテルから生まれた神の息は、風となって無に空間を作る。知恵の始まりである。ビナーとは対をなす男性的な存在。
コクマが空間を作る流れなら、ビナーはその空間に形あるものを造り出す流れ。理解は知恵の上に構築される。
ケセドは原初の愛の新鮮さや興奮、情熱といったものを造り出す。
空とは、太陽と雨の調和である。ケセドのほとばしる情熱に方向を与え、尽きることのない流れにする。
ケテルの真下にあり、原初の息に秘められたまばゆい輝きを発散させる。その太陽のようなさまが、まさに美、なのだろう。
神の息は四つの風となり、まず神秘の場所である北から吹く。北風はカリスマ性や力の源を運ぶ。
北風の対極にあり、北風の激しさを鎮める、穏やかな風。そこに判断が生まれ、正しい判断からは栄光を掴むことができる。
北風と南風の調和は、新たな創造力を生み出す。北と南の調和を取り、バランスを保つから基盤なのだ。
太陽が昇っては沈むように、始まりは常に終わりに向かっている。ケテルが原初の光なら、マルクトはすべてが終わる場所であり、始まる場でもある。ケテルがつながることで環ができ、マルクトを通して肉体と霊の交わる領域、「大地の奥深くに宿る主なる神」の霊に近づくことができる。