英語のDevilは古英語のDeofel、ラテン語のDiabolus、ギリシア語のDiabolosなどに由来し、これはまた「敵対者・反対者・反逆者」などを意味するヘブライ語Satanの直訳である。キリスト教において悪魔は、サタン、ルシファー、稀にベルゼブブとかベリアルなどと呼ばれている。
古代のヘブライ宗教においては、ヤハウェはもともと善悪両義的な神として受け取られていたが、時が経つにしたがい、善なる性格のみがヤハウェに帰せられるようになり、悪はサタンに帰せられるようになった。この区別は旧約聖書に始まったが、黙示文学のユダヤ教においては、はっきりとした二元論的性格を取るようになった。
神が土から人を形作り、その鼻に命の息を吹き込んだ。こうして誕生したのがアダムである。名の由来は、「土」をヘブライ語でアダマというところからきている。ちなみにアダムのあばら骨から造られたエヴァは、ヘブライ語で「命」の意。
アダムとエヴァはエデンで自由に暮らしていたが、蛇にそそのかされ、エデンの園の中央にあった知恵の木の実(一般にリンゴとされる)を食べてしまう。知恵の実を食べることは神に禁じられていたため、ふたりは神に背いてしまったことになる。知恵の実を食べてしまったふたりは、裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉で腰を覆い隠した(新世紀エヴァンゲリオンのNERVのマークはイチジクだが、このエピソードから取ったものだろうか?)。神に問い詰められたアダムはエヴァに罪をなすりつけ、エヴァは蛇のせいにした。そして神は罰として、アダムには労働の苦しみを、エヴァには出産の苦しみを与え、永遠の命を奪い、死が来ることを定めたのち、楽園からふたりを追放した。
Jesus。イエスという名はギリシア語のIesousを由来とする。これはヘブライ語のヨシュアYeshuaの音訳である。歴史研究によって知られる「ナザレのイエス」なる人物を指すものとして用いられている。キリスト教の創始者。
イザナギと共に国土の修理固成をおこなった女神。大地母神の性質を持つ。ヒノカグツチを生んださい、性器を火傷して死ぬが、瀕死の状態で苦しみながらも、吐しゃ物や大小便から数々の神を生成したという恐るべき神。
黄泉の国まで追ってきたイザナギが、約束を破って自分の醜い姿を覗き見てしまい逃げ出したことに怒り、現世の人間を一日に千人殺すと宣言したことでも知られる。幸いにも『真・女神転生2』に出てくるイザナミにはそうした性格は見られないが、考えようによっては、「普段は大人しい人を急に怒らせると何をしでかすか分からない」ということを示唆している神話なのかもしれない。
簡単に言うと、チンコの皮を切っちゃう宗教的儀式。近東では、ペルシアによって征服されるまでほとんど普遍的におこなわれていた儀式。一般的には成人式の儀式であるが、ユダヤ人の間では幼児に対して、普通は生後8日目におこなわれたという。なんとも迷惑な話である。
割礼をおこなうようになったのは、創世記によればアブラハムの時代からとされているが、しかし実際にいつどこで始まったものであるかは、太古の昔に埋もれて不明になっている。
魔術師。ゲームに登場するが、実在した人物。クロウリーは1898年、黄金の曙光団(イングランドのメーソン的団体。親方格のメーソンにのみ開かれた英国再生会のメンバーによって、1887年のロンドンで設立された)に入団するが、メンバーのメイザースと仲違いをし、1905年にArgenteum Astrum、銀の星という自分自身の教団を設立した。
クロウリーは自らを新たなアイオン(無限に長い時期)、ホラスの時代の声と考えた。クロウリーによるとそれは、キリスト教の時代に取って代わるものであるという。
乾雲丸・坤竜丸は、神変夢想流・小野塚鉄斎が所持する刀のこと。『丹下左膳』が元ネタのようだ。八卦では『乾』は陽を意味し、天に対応する。『坤』は陰を意味し、地に対応する。
キリスト教において、サタンは重要な位置を占める。サタンは荒野におけるキリストの誘惑者であり、この世の君、キリストによって終わる古き時代の王でもあるらしい。サタンは神により善なる性格を持つ天使として造られたが、この偉大なる天使は自由意志により罪に堕ち、多くの天使たちを味方に引き入れた。そしてサタンはその仲間ともども天から追放され、地下の世界に追いやられた。サタンは人類を誘惑して原罪に陥らしめ、神の許可のもとにこの世を治め、試み、罰しているという。
聖書とは神と人との出会いをつづった物語であり、2000年以上に渡って人々の心の拠り所となっている書物のこと。聖書には“旧約“と”新約”とふたつの聖書があるが、この「約」というのは、神と人との契約を指す。
旧約はユダヤ教の聖典として伝わったもので、神とユダヤ人との古い契約を意味する。一方新約は旧約聖書の内容を踏襲しながらイエスの死後に書かれたもので、民族を超えてイエスを信ずる者と神との新しい契約を意味する。
聖書の影響は大きく、たとえば西暦の紀元前(B.C.)はBefore Christ、キリスト前という意味であるし、紀元(A.D.)はAnno Domini、ラテン語で“我が主の年”を意味する。
アダムとエヴァの間にカイン、アベル、セトという子供が生まれ、以降子孫は増えていったが、人々は次第に神への信仰を忘れ、悪もまた地上にはびこるようになっていった。神は人を造ったことを後悔し、洪水を起こして人間も動物も、地上のすべてを拭い去ろうと決意する。しかし堕落した人間たちの中で、ノアだけは神に従う無垢な人間であったため、彼の一家だけは救済することにした。ノアは神に命じられたとおりの方舟を作り、すべての動物をひとつがいずつ乗せ、家族と共に方舟に入った。ほどなくして大洪水が始まり、地上にいた者はことごとく息絶えた。
ノアの方舟は150日間漂流したのち、トルコ、イラン、アルメニアの国境上に実在する山、アララト山に止まったと言われている。
ノアの息子たちの子孫がどんどん増えるにつれ、彼らは再び信仰心を忘れていった。そんなときバビロンに住む人々が、「天まで届く塔のある町を作って有名になろう」と言い出し、塔の建設を始めた。この様子を見た神は、「皆ひとつの言葉で話しているから、このようなことを始めたのだ」と、考えたのだという。
聖書によれば、このときまで世界にはひとつの言語しかなかったとされている。しかし人間の傲慢さのシンボルとも言えるバベルの塔が、神の怒りを買った。神は罰として言葉をバラバラにしてしまったため、言葉が通じなくなったバビロンの人々は塔の建設を続行できなくなってしまった。そして人々は各地へ散っていったのだという。この話は原因譚として、世界中でさまざまな言語が使われている理由として、語り継がれている。
2Dフィールド上で見るセンターのビルというのは、まさにこのバベルの塔といったところか?先っぽだけ宇宙に飛んでいって、メギド・アークで皆殺しにされてしまうあたり、どうもイメージが重なってしまう。
「蛭のように手足が萎えたような子」、の意。イザナギとイザナミの初めての性交から生まれた神であるが、イザナミが先に求婚の声をかけたために、不完全な子として生まれてしまったとされる。そして、葦船に入れて捨てられてしまう。
『真・女神転生2』ではなぜヒルコが天津神を裏切ったのか、という理由が一切語られていない。自分が捨てられたという恨みから、国津神に力を貸してしまったという解釈でよいのだろうか?
エンディングの最後に出てくるのはマリアだろうか?それはともかく、マリアはナザレのヨアキムとアンナの間に生まれる。夫婦は長い間子供が授からなかったが、神のお告げでようやくマリアを授かる。アンナは神への感謝の印に、我が子を生涯神に捧げると決意し、マリアが3歳になったとき、神殿へ預けた。マリアは両親とはなれ、14歳まで神殿で過ごしたといわれる。
考えてみればヒロコもまた、実の親から記憶を操作した上で引き離され、人体実験の材料にされ、メシアを生むこととなった。ただ単に処女懐妊を再現するだけでなく、実は「我が子を捧げる」という行為からして、メシア教の伝承どおりにメシアを造り上げようという壮大な計画が始まっていたのかもしれない。
メシアとはヘブライ語で“油を注がれた者”という意味があり、救世主を意味する。聖書ではしばしば預言者が神から示された人物に油を注ぐという記述があり、最初に油を注がれた者がザウル王、そしてダビデ、ソロモンと続く。
ユダヤ教とキリスト教では救世主の意味するところに違いがある。キリスト教ではイエスそのものが救世主であるとしているが、ユダヤ教ではあくまでもダビデに象徴される政治的な指導者、王国を復興して神殿を再興するなどの政治的指導性を発揮する者、イスラエルの王を意味する。
唯一神。黄金の曙光団によれば神の名ヤハウェは、宇宙における力の顕現のさまざまな段階を表すものであるらしい。Yodは第一次元的なエネルギー、Hehはエネルギーの形としての出現を示し、Vauは形成過程の安定化を示し、Hehはエネルギーの形への移動の完了を表すという。
ユダヤの教えではYHVHのYは宇宙が創造された原初の点、万物の父を指し、YHVHのHはエロヒム、万物の母を指すという。つまりヤハウェとは、父と母をひとつに組み合わせた聖なる名前で、宇宙の神秘を秘めているとされている。
またヤハウェはその行為によってさまざまな名前で呼ばれるとされており、裁きを下すときはエロヒム、悪と戦うときはツァバト、人類の罪を赦すときはエル・シャダイ、世界を慈悲の心で包むときはヤハウェであるらしい。