概要
戦闘に至るまでの背景
▲708年3月における勢力図
ロードレア国軍は、東西両戦線において、籠城ではなく自然の要害を決戦の地に定めていた。
これは、籠城をしたところで第三国の援軍があるわけでもなく、他の部隊も別方面から牽制してくる部隊との戦いによって動けず、更に、
ベルザフィリス国、
ロー・レアルス国による切り崩しの策によって、立場上は
ロードレア国領土でありながら、兵を出さずに沈黙を守る城が各地で現れていたこともあり、
ロードレア国軍は長期戦の構えをとりながら、チャンスがあれば一か八かの野戦を仕掛けられる自然の要害を戦場に選んだ為である。
ギルラ高地の戦い 両軍の戦力
戦闘経緯
メファイザスはそこに目をつけると、
ルーに西側の牽制を任せつつ、主力を集結させて東側を集中的に攻撃、10月に陣地は奪われ、
ロードレア国軍は追いつめられていく。
その後は、皮肉にも陣地が減ったことによって守りの密度が高まったこともあり守備力は高まるが、もはや逆転勝利の可能性はほぼ消滅し、祖国の滅亡を一日でも遅らせるための意地の戦いにも近い状態となっていた。
12月12日の夜、このままでは敗北が待つだけと、
ロードレア国軍は、最後の杯を交わすと決死の覚悟で夜襲を仕掛ける。
しかし、彼らが最初から勝利の可能性はほぼないと自覚していた通り、
メファイザスは
ロードレア国軍がしびれを切らして討って出た時の対処をすべて備えており、
ロードレア国軍の夜襲は第一陣を突破することすら叶わず防がれる。
戦いの結末
最終更新:2024年08月18日 01:04