概要
遠征に至るまでの背景
▲707年8月における勢力図
8月に、
ベルザフィリス、
ロー・レアルス2国から、ほぼ同時に
ロードレア制圧部隊が出陣した。
別に連合を組んだわけではなく、示し合わせた訳でもない。
それぞれの国が準備を済ませ、「相手の国が出陣する前に
ロードレア国を削る」と決意した結果、ほぼ同時期の出陣となっていた。
ただし、
ベルザフィリス国は、
ロッド国への出陣(
ノリアの戦い)も同時に行ったため、まずは先発隊を向け後に本隊を合流させる。
一方で、
ロー・レアルス国もこの進軍の最中に、
フェルスデッド国を帰順させる準備にも取り掛かっていた。
更に、お互い留守となった本拠を突かれる事を警戒して、国境に留守部隊を駐屯させる。
707年9月 旧アゾル領土への説得
メファイザスは、武力による制圧と並行して説得による勧告も行っていたが、特に旧
アゾル領土への切り崩しを熱心に行った。
この土地は、大陸の端にあったことから、
アゾル国滅亡後は大きな戦いに巻き込まれることなく発展の道を辿っていた。
そのため、
レイディック、
カルディスが戦っていた時代から
ロードレア、
ロー・レアルス国の間を降伏によって揺れ動いた土地であり、好意的にみれば民のことを第一に考え、否定的に見ればその場その場の実力者に靡く風見鳥の様な土地であった。
ノイア自身は、
メファイザスから仕官の説得を受けながらも、「一度裏切った国に出戻るのは、さすがに節操がない」と隠居し、天下を統一した時に役立ててほしいと、改良を重ねた
ノイア法令の書物だけを手渡した。
この書物を受け取った
ケルスティンは、これを参考としながら自身の修正点も加えて新たな法を作り続けたが、
ベルザフィリス国が天下を統一したため、
ノイア法令がこの地の国法になることは幻に終わった。
旧
アゾル領土が短期間で旗色を変えたことは、
ロードレア国にとっては、地方の城が陥落するよりはるかに大きな衝撃となって伝わり、この頃から国民の間でも不安と不満が爆発し、将兵のモラル低下に繋がったと言われている。
かつて鉄の掟を誇った
ロードレア国軍は、本国の目の届かない場所では正規兵ですら民衆から物資を略奪するという、野盗の様な集団になり果てた。
708年3月 フェルスデッド併合
本来なら別の国の出来事だが、これも
ノリアの戦い同様、
ロー・レアルス国が
ロードレアに全兵力を向けるための前準備であるため、広義において「ロードレア遠征の中の出来事」と含めることもある。
ただし、通常はあくまでも別々の出来事として別けることが多い。
詳細は
フェルスデッド併合参照。
708年4月~8月 クルス山地の戦い
708年9月~12月 ギルラ高地の戦い
709年1月 第2次フェルス城の戦い
709年2月~3月 ロードレア城の戦い
709年4月 ルバークの戦い
第三の対陣
実際に戦火を交えたわけではないが、この遠征にはもう一つの戦いが存在していた。
それが、後世「第三の対陣」と呼ばれることとなる
ロー・レアルス、
ベルザフィリス国境のにらみ合いである。
ただし、この牽制部隊は共に「相手から手を出さない限りは戦うな」と厳命されていたことから、遠征が終わるまでのおよそ一年に渡る対陣の間、直接戦火を交えることは一度もなかった。
対陣中、
バイアラスは
グローリヴァスに使者を送り、互いの近状を報告し合ったり、逆に味方である筈の
リヴァイルシアに、
舞姫散華のこともあって露骨な嫌悪感を見せ、その空気を察した
リヴァイルシアが
ディルセアに配置変更を申し出て、相当後方に陣を移動したといったエピソードが残っている。
また、
ディルセアが遠征本隊ではなく、牽制部隊に回されたのは、それだけ信頼されていた証という説と、この時既に
ガイヴェルドの疑心暗鬼な性格が表面化していて、
ルーディア時代からの軍師という肩書で何かと自分の行動に口を挟む彼を疎み始めていた、という両極端な説が存在する。
この対陣は、
ロードレア城陥落まで続き、その後役目を果たした両軍は撤退したが、それは決して戦いの終わりを告げる撤退ではなく、ついに最後まで残った二ヶ国による最後の決戦がはじまったことを告げる鐘の音であった。
国境牽制部隊 両軍の戦力
時系列順の遠征での主な戦い・出来事
最終更新:2024年07月14日 21:00