安寿と厨子王

「安寿と厨子王」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

安寿と厨子王 - (2025/04/10 (木) 20:16:13) の1つ前との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

&font(#6495ED){登録日}:2025/02/17 Mon 22:07:09 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 10 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- &bold(){『&ruby(あんじゅ){安寿}と&ruby(ずしおう){厨子王}』}とは、日本の童話の一つである。 *概要 中世に成立した語り物芸能の説経節((仏教の教えに導く「唱導」や仏を称える「和讃」などを、当時識字率の著しく低かった民衆に分かりやすく教えるため、操り人形や謡曲を交えて語る芝居のこと))の演目の一つであった『さんせう太夫』を、更に子供にもわかりやすくするために童話仕立てにしたものである。 江戸時代以降には絵本化されて、児童文学としても知られるようになった。 *ストーリー 時は平安。奥羽五十六郡の支配を任されていた役人・&ruby(いわきはんがんまさうじ){岩城判官正氏}は讒言によって筑紫国(福岡県)に配流されてしまう。 本国に残された妻と二人の子供、すなわち姉の安寿と弟の厨子王の母子三人は正氏に会いに行くために筑紫国へ向かおうとする。 越後に到着した際に、一行を泊めてくれそうな家が一軒もないので皆途方に暮れていた。 その地は人買いが現れるので、国主が村人に旅人を宿泊させることを禁止していたせいであった。 そこに山岡大夫という男が現れ、「&color(Olive){皆様をお泊めします}」と名乗り出た。 母親は法を犯してまでも自分たちに親切にしてくれるこの男の心遣いに感謝し、一行は山岡大夫の邸宅で一夜を過ごした。 翌朝、一行は山岡大夫の手引きで直江津にて舟に乗った。母親と姉弟が別々の舟に乗せられ、じょじょに母親の乗った舟と姉弟の乗った舟の距離が離れていく。 親子が気づいたときには、もう遅かった。この山岡大夫こそ、人買いだったのだ。 かくして母親は山岡太夫の同業者・佐渡二郎の手で佐渡に売られ、姉弟は宮崎という人買いの手に渡り、ついに山椒大夫に買われた。 山椒大夫はこの姉弟を買ったはいいが、絶望と悲しみで青白い顔をしてぶるぶる震える姉弟をどう使ったらよいかわからず持て余していた。 そこで太夫の息子の一人の三郎((三郎の兄に「太郎」「二郎」の二人がいるが、この二人は父親や弟に似ず優しい性格で、姉弟をいたわる様子を見せている。ただしこれは原典での話で、森鴎外版『山椒大夫』では二郎の役割は変わっていないものの、太郎は行方不明になっているという設定で登場しない))が、 「&color(Green){親父ィ、こいつら頭も下げねえし、聞かれても名も名乗らねえ。弱そうに見えてしぶとい奴だから、奉公はこれまで通り、男は柴刈りに、女は潮汲み((塩を生成するための海水を汲み取る作業))に従事させるのがいいんじゃねえか?}」 と助言したので、翌朝から姉弟は三郎から過酷な重労働を課せられたのだった。 彼らは苦労に苦労を重ねて山椒大夫が彼等に課す業務を日々こなしていき、父母を恋しがって人知れず涙するのだった。 ある日、安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとしたが、このことが三郎に聞かれてしまう。 逃亡を図ろうとした罰としてまず安寿が顔に焼けた火箸を押し付けられ、次に厨子王にも焼け火箸が顔に押し付けられた。 二人は傷の激痛と心の恐れとに気を失いそうになるが、この恐怖と苦痛に耐え忍び、厨子王は守り袋を取り出し仏像にぬかづいた。 すると、不思議なことに額の激痛も傷も跡形もなく消え失せていた。 そうして、守本尊の地蔵様の額を見ると、そこには十文字の傷があった。 その翌年、姉弟はついに、再会を約して逃亡を図った。 姉を残して都へと行くのをためらう厨子王であったが、安寿の強い説得を聞き入れ、厨子王はこの地を離れた。 それを見届けたのち、安寿は山椒館の近くの沼に身を投げ、この世を去った。 沼のほとりには、安寿の履いていた&ruby(くつ){沓}が転がっていた。のちに安寿の遺体は沼から引き上げられ、村人によってねんごろに埋葬されたという。 厨子王は丹後の国分寺に逃げ込み、寺の住職は厨子王の事情を知り、厨子王を追ってきた三郎から厨子王をかくまった。 そうして、厨子王は国分寺の住職の援助を得て、僧形となって清水寺に寄宿していた。 そこで梅津某の養子となり、ついに梅津某の助けで一家没落の経緯を朝廷に奏上した。 その結果、判官正氏の罪が赦された上に旧領を回復し、讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された。 しかし、その頃には父・正氏はもう亡くなっていたことを厨子王は知り、落胆するのだった。 そうして岩城家再興の機会を得た厨子王は「&color(#3B4EF0){丹後・越後・佐渡の少しの土地を頂きたい}」と願い出て、これを許可された。 やがて丹後に赴き、かつて自身をかくまってくれた国分寺の住職に会いに行き、感謝の意を表明した。 次いで姉弟を酷使した山椒大夫と子の三郎を自邸に招き((太郎や二郎は安寿姉弟を労っていたためお咎めなしとなっていた。太郎は出家し、二郎は太夫の家督を継承することを許され、領土と官位を厨子王から賜った))、当初は姉の死の原因を作り、反省の色を全く見せない山椒大夫親子に滾る怒りを覚えつつも、寛大な態度で接する。 「&color(#3B4EF0){私はあなたたちに恨みで報ずるのではなく、恩で報じたいと思うのです。大きな国と小さな国のどちらをご所望ですか?}」 それに対して、新しい国司に媚びて領土を貰おうとあらかじめ太夫と打ち合わせをしていた三郎が返答した。 「&color(Green){我が家は子沢山ですので、広い大国が欲しいです}」 それを聞いた厨子王は、 「&color(#3B4EF0){分かりました…では、お前たちにはこれまでの報いとして広い黄泉の国(=死)を与えようぞ!}」 と鋸引き((鋸で受刑者の首を斬る刑罰。刀による斬首よりも苦痛を長引かせる))の刑を宣告した。 それは、息子の三郎に父親の山椒大夫の首を鋸で引かせるというものだった。 「&color(Green){此度の国司様も、兄貴たちも、自分達の非は全部棚上げして俺が昔やったことに対して何のかのとぬかしやがる!親父ィ、安心してくれ!今俺が楽にしてやるからな!}」 さんざん悪態をついて三郎は父を処刑したが、自身も鋸引きの刑に処された。最期まで全く反省の色を見せないまま、三郎は死んだ。 そうして、越後ですべての元凶である山岡太夫を斃した。 こうして、復讐と報恩を果たした厨子王は母を探すため、佐渡に向かった。 すると、片辺鹿野浦で年老いた盲目の女性が鳥を追いながら歌っているのが聞こえた。 #center(){&color(#da81b2){&bold(){安寿恋しや ほうやれほ}}} #center(){&color(#da81b2){&bold(){厨子王恋しや ほうやれほ}}} #center(){&color(#da81b2){&bold(){鳥も&ruby(しょう){生}あるものなれば}}} #center(){&color(#da81b2){&bold(){&ruby(と){疾}う&ruby(と){疾}う逃げよ &ruby(お){逐}わずとも}}} この歌声が自身の母親の声と確信した厨子王は、年老いた女性に駆け寄りすがりついた。 「&color(#3B4EF0){お母様…!}」 「&color(#da81b2){厨子王…!}」 この時厨子王の流したうれし涙が母親の目を濡らし、見えなくなっていた母親の目が再び見えるようになり、母子は泣きながら抱き合ったのであった。 #center(){==&bold(){完}==} *原典との相違 原典では安寿の最期がやや異なっている。 安寿が厨子王を逃がすことに成功したことは同じだが、その直後にそれが三郎に露見し、激怒した三郎から凄惨な拷問を受け、ついには殺されてしまうという展開である。 そうして、厨子王は神仏の加護を受けて出世する・・・という描写がなされている。 安寿の救いのない展開に当時の人々も思うところがあったのか、文楽『由良湊千軒長者』では恋人や忠臣の尽力で存命する展開になっている。 *森鴎外『山椒大夫』との相違 明治~大正期の小説家・森鴎外はこの作品を基に鴎外なりに脚色を加えて小説『山椒大夫』を執筆した。 大体の展開は原典に沿っているが、原典で見せ所となる安寿への苛烈な拷問シーンや、厨子王が山椒大夫や山岡大夫を斃すシーンなど、残酷な描写は切り捨てている。 『山椒大夫』では山椒大夫一家は生存しており、「丹後の国主となった厨子王(終盤で成人して正道と名乗っている)から労働者に賃金を支払うよう命じられた山椒大夫の一家が、その後むしろ栄えた」というオリジナル展開となっている。 厨子王が出世する展開でも、「もともとは『梅津某』という人物に養子入りする」という設定だったが、『山椒大夫』では実在する公卿・藤原&ruby(もろざね){師実}(関白師実)の食客となっている。 また、安寿・厨子王姉弟が三郎から焼け火箸の拷問を受けるシーンは原典では現実のものとなっているが、『山椒大夫』では二人が見た悪夢の中の出来事となっている。 *そもそも「山椒大夫」とは? この物語の舞台は平安時代であるが、これこそが敵役の「山椒大夫」の名前の由来となる。 「山椒」という字が使われているが、いわゆる植物のサンショウとはほとんど関連がない。 平安時代のキーワードの一つに、権力者の私有地である「荘園」という用語があるが、病気や年貢が払えないなど、何らかの事情でその私有地から逃げ出した者を「&ruby(さんじょ){散所}」と呼んでいた。 そうした者たちを雇い、職と給料を与えるだけでなく、よその土地から人民を拉致してきたり、人身売買を行ったりすることにより労働力を手にして栄えた者が「散所の太夫」と呼ばれ、やがて訛って「さんしょう」と読まれるようになり、「山椒」の当て字がなされるようになったと推測される。 また一説に、山椒大夫が三つの庄(土地)、すなわち由良・河守・岡田を私有地としていたことから「三庄大夫」と呼ばれ、「山椒大夫」という当て字がなされるようになったとも推測されている。 *本作をモチーフとした創作、及びキャラクター -ずしおうまる(ドラゴンクエスト) --とある武士が、復讐に燃えるあまり魔物と化してしまったという設定 -マンジュ、スシ王、コショウ大夫(ヤッターマン) -中島みゆき女史が自身で構成・演出・作詞作曲・主演をつとめる『夜会』の第16回である『&bold(){夜物語 元祖・今晩屋}』の全体的なモチーフとなっている。 -ドラマ『安寿子の靴』 --1984年10月にNHKドラマスペシャルで放送。脚本家・&ruby(からじゅうろう){唐十郎}氏が脚本を手掛け、三枝健起が演出を務めた。家出をした幼い少女と、中学生の少年が鴨川の川辺で出会うところから物語は始まり、年の離れた少年と少女のふれあいと切ない別れを描いている。&br()テーマ曲『安寿子の靴』は唐十郎氏が作詞、作曲並びに歌唱は中島みゆき女史。この『安寿子の靴』は、同じく唐十郎氏が脚本とテーマ曲を手掛けたドラマ『匂いガラス』のテーマ曲(『匂いガラス』)とともにアルバム『おとぎばなしーFairy ring-』(2002年リリース)にメドレー形式で収録されている。その際に、唐十郎氏により歌詞が書き足されている。 追記・修正は生き別れたお母さんに再会してからお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,3) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 子供のころにこれを親から教えてもらったの思い出した、ドラクエのずしおうまるの -- 名無しさん (2025-02-17 22:25:40) - ↑元ネタかもねとも教えてもらった -- 名無しさん (2025-02-17 22:26:06) - 余の名はズシオの元ネタですね -- 名無しさん (2025-02-17 22:39:49) - 「アンジュって昔の日本にもあった名前だったんだ」と、妙な感想を抱いた思い出 -- 名無しさん (2025-02-17 23:36:52) - ヤッターマンではマンジュとスシ王というキャラが登場。こちらも悪党たちに囚われの身になるが、ヤッターマンに助けられて三人とも生存し、父親とも再会を果たせた模様。 -- 名無しさん (2025-02-18 00:34:58) - 東映のアニメであったよなこれ -- 名無しさん (2025-02-18 01:18:07) - FSSのマグダルとデプレのエピソードにも安寿と厨子王ネタ入ってるね。マグダルの偽名がそのままアンジュだし。 -- 名無しさん (2025-02-18 10:13:12) - 森鴎外の山椒大夫を小学生時分に読んだけど、寺に逃げ延びてからやたらあっさりとしてるなぁと思ってた 原作があったんだなぁ -- 名無しさん (2025-02-18 10:16:54) - 子供の頃、毎年夏休みに地域巡回の人形劇のある年の演目がコレで、恐怖で最後まで見られずトラウマになった。 -- 名無しさん (2025-02-18 15:44:39) - ↑4 ぐぐったら厨子王が風間杜夫さんと北大路欣也さんのダブルキャストですげえなって -- 名無しさん (2025-02-18 17:25:49) - 山椒大夫の処刑も凄まじくて厨子王は息子3人に命令して父親の鋸引きをやらせようとするんだよな。兄2人が「いくらなんでも父親は殺せない」と泣いて嘆願して勘弁してもらうけど、三男はそんな兄貴たちを腰抜けと罵り、厨子王にも怨嗟を吐きながら鋸を引いて父親を処刑する -- 名無しさん (2025-02-18 23:16:01) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2025/02/17 Mon 22:07:09 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 10 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- &bold(){『&ruby(あんじゅ){安寿}と&ruby(ずしおう){厨子王}』}とは、日本の童話の一つである。 *概要 ---- 中世に成立した語り物芸能の説経節((仏教の教えに導く「唱導」や仏を称える「和讃」などを、当時識字率の著しく低かった民衆に分かりやすく教えるため、操り人形や謡曲を交えて語る芝居のこと))の演目の一つであった『さんせう太夫』を、更に子供にもわかりやすくするために童話仕立てにしたものである。 江戸時代以降には絵本化されて、児童文学としても知られるようになった。 *ストーリー ---- 時は平安。奥羽五十六郡の支配を任されていた役人・&ruby(いわきはんがんまさうじ){岩城判官正氏}は讒言によって筑紫国(福岡県)に配流されてしまう。 本国に残された妻と二人の子供、すなわち姉の安寿と弟の厨子王の母子三人は正氏に会いに行くために筑紫国へ向かおうとする。 越後に到着した際に、一行を泊めてくれそうな家が一軒もないので皆途方に暮れていた。 その地は人買いが現れるので、国主が村人に旅人を宿泊させることを禁止していたせいであった。 そこに山岡大夫という男が現れ、「&color(Olive){皆様をお泊めします}」と名乗り出た。 母親は法を犯してまでも自分たちに親切にしてくれるこの男の心遣いに感謝し、一行は山岡大夫の邸宅で一夜を過ごした。 翌朝、一行は山岡大夫の手引きで直江津にて舟に乗った。母親と姉弟が別々の舟に乗せられ、じょじょに母親の乗った舟と姉弟の乗った舟の距離が離れていく。 親子が気づいたときには、もう遅かった。この山岡大夫こそ、人買いだったのだ。 かくして母親は山岡太夫の同業者・佐渡二郎の手で佐渡に売られ、姉弟は宮崎という人買いの手に渡り、ついに山椒大夫に買われた。 山椒大夫はこの姉弟を買ったはいいが、絶望と悲しみで青白い顔をしてぶるぶる震える姉弟をどう使ったらよいかわからず持て余していた。 そこで太夫の息子の一人の三郎((三郎の兄に「太郎」「二郎」の二人がいるが、この二人は父親や弟に似ず優しい性格で、姉弟をいたわる様子を見せている。ただしこれは原典での話で、森鴎外版『山椒大夫』では二郎の役割は変わっていないものの、太郎は行方不明になっているという設定で登場しない))が、 「&color(Green){親父ィ、こいつら頭も下げねえし、聞かれても名も名乗らねえ。弱そうに見えてしぶとい奴だから、奉公はこれまで通り、男は柴刈りに、女は潮汲み((塩を生成するための海水を汲み取る作業))に従事させるのがいいんじゃねえか?}」 と助言したので、翌朝から姉弟は三郎から過酷な重労働を課せられたのだった。 彼らは苦労に苦労を重ねて山椒大夫が彼等に課す業務を日々こなしていき、父母を恋しがって人知れず涙するのだった。 ある日、安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとしたが、このことが三郎に聞かれてしまう。 逃亡を図ろうとした罰としてまず安寿が顔に焼けた火箸を押し付けられ、次に厨子王にも焼け火箸が顔に押し付けられた。 二人は傷の激痛と心の恐れとに気を失いそうになるが、この恐怖と苦痛に耐え忍び、厨子王は守り袋を取り出し仏像にぬかづいた。 すると、不思議なことに額の激痛も傷も跡形もなく消え失せていた。 そうして、守本尊の地蔵様の額を見ると、そこには十文字の傷があった。 その翌年、姉弟はついに、再会を約して逃亡を図った。 姉を残して都へと行くのをためらう厨子王であったが、安寿の強い説得を聞き入れ、厨子王はこの地を離れた。 それを見届けたのち、安寿は山椒館の近くの沼に身を投げ、この世を去った。 沼のほとりには、安寿の履いていた&ruby(くつ){沓}が転がっていた。のちに安寿の遺体は沼から引き上げられ、村人によってねんごろに埋葬されたという。 厨子王は丹後の国分寺に逃げ込み、寺の住職は厨子王の事情を知り、厨子王を追ってきた三郎から厨子王をかくまった。 そうして、厨子王は国分寺の住職の援助を得て、僧形となって清水寺に寄宿していた。 そこで梅津某の養子となり、ついに梅津某の助けで一家没落の経緯を朝廷に奏上した。 その結果、判官正氏の罪が赦された上に旧領を回復し、讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された。 しかし、その頃には父・正氏はもう亡くなっていたことを厨子王は知り、落胆するのだった。 そうして岩城家再興の機会を得た厨子王は「&color(#3B4EF0){丹後・越後・佐渡の少しの土地を頂きたい}」と願い出て、これを許可された。 やがて丹後に赴き、かつて自身をかくまってくれた国分寺の住職に会いに行き、感謝の意を表明した。 次いで姉弟を酷使した山椒大夫と子の三郎を自邸に招き((太郎や二郎は安寿姉弟を労っていたためお咎めなしとなっていた。太郎は出家し、二郎は太夫の家督を継承することを許され、領土と官位を厨子王から賜った))、当初は姉の死の原因を作り、反省の色を全く見せない山椒大夫親子に滾る怒りを覚えつつも、寛大な態度で接する。 「&color(#3B4EF0){私はあなたたちに恨みで報ずるのではなく、恩で報じたいと思うのです。大きな国と小さな国のどちらをご所望ですか?}」 それに対して、新しい国司に媚びて領土を貰おうとあらかじめ太夫と打ち合わせをしていた三郎が返答した。 「&color(Green){我が家は子沢山ですので、広い大国が欲しいです}」 それを聞いた厨子王は、 「&color(#3B4EF0){分かりました…では、お前たちにはこれまでの報いとして広い黄泉の国(=死)を与えようぞ!}」 と鋸引き((鋸で受刑者の首を斬る刑罰。刀による斬首よりも苦痛を長引かせる))の刑を宣告した。 それは、息子の三郎に父親の山椒大夫の首を鋸で引かせるというものだった。 「&color(Green){此度の国司様も、兄貴たちも、自分達の非は全部棚上げして俺が昔やったことに対して何のかのとぬかしやがる!親父ィ、安心してくれ!今俺が楽にしてやるからな!}」 さんざん悪態をついて三郎は父を処刑したが、自身も鋸引きの刑に処された。最期まで全く反省の色を見せないまま、三郎は死んだ。 そうして、越後ですべての元凶である山岡太夫を斃した。 こうして、復讐と報恩を果たした厨子王は母を探すため、佐渡に向かった。 すると、片辺鹿野浦で年老いた盲目の女性が鳥を追いながら歌っているのが聞こえた。 #center(){&color(#da81b2){&bold(){安寿恋しや ほうやれほ}}} #center(){&color(#da81b2){&bold(){厨子王恋しや ほうやれほ}}} #center(){&color(#da81b2){&bold(){鳥も&ruby(しょう){生}あるものなれば}}} #center(){&color(#da81b2){&bold(){&ruby(と){疾}う&ruby(と){疾}う逃げよ &ruby(お){逐}わずとも}}} この歌声が自身の母親の声と確信した厨子王は、年老いた女性に駆け寄りすがりついた。 「&color(#3B4EF0){お母様…!}」 「&color(#da81b2){厨子王…!}」 この時厨子王の流したうれし涙が母親の目を濡らし、見えなくなっていた母親の目が再び見えるようになり、母子は泣きながら抱き合ったのであった。 #center(){==&bold(){完}==} *原典との相違 ---- 原典では安寿の最期がやや異なっている。 安寿が厨子王を逃がすことに成功したことは同じだが、その直後にそれが三郎に露見し、激怒した三郎から凄惨な拷問を受け、ついには殺されてしまうという展開である。 そうして、厨子王は神仏の加護を受けて出世する・・・という描写がなされている。 安寿の救いのない展開に当時の人々も思うところがあったのか、文楽『由良湊千軒長者』では恋人や忠臣の尽力で存命する展開になっている。 *森鴎外『山椒大夫』との相違 ---- 明治~大正期の小説家・森鴎外はこの作品を基に鴎外なりに脚色を加えて小説『山椒大夫』を執筆した。 大体の展開は原典に沿っているが、原典で見せ所となる安寿への苛烈な拷問シーンや、厨子王が山椒大夫や山岡大夫を斃すシーンなど、残酷な描写は切り捨てている。 『山椒大夫』では山椒大夫一家は生存しており、「丹後の国主となった厨子王(終盤で成人して正道と名乗っている)から労働者に賃金を支払うよう命じられた山椒大夫の一家が、その後むしろ栄えた」というオリジナル展開となっている。 厨子王が出世する展開でも、「もともとは『梅津某』という人物に養子入りする」という設定だったが、『山椒大夫』では実在する公卿・藤原&ruby(もろざね){師実}(関白師実)の食客となっている。 また、安寿・厨子王姉弟が三郎から焼け火箸の拷問を受けるシーンは原典では現実のものとなっているが、『山椒大夫』では二人が見た悪夢の中の出来事となっている。 *そもそも「山椒大夫」とは? ---- この物語の舞台は平安時代であるが、これこそが敵役の「山椒大夫」の名前の由来となる。 「山椒」という字が使われているが、いわゆる植物のサンショウとはほとんど関連がない。 平安時代のキーワードの一つに、権力者の私有地である「荘園」という用語があるが、病気や年貢が払えないなど、何らかの事情でその私有地から逃げ出した者を「&ruby(さんじょ){散所}」と呼んでいた。 そうした者たちを雇い、職と給料を与えるだけでなく、よその土地から人民を拉致してきたり、人身売買を行ったりすることにより労働力を手にして栄えた者が「散所の太夫」と呼ばれ、やがて訛って「さんしょう」と読まれるようになり、「山椒」の当て字がなされるようになったと推測される。 また一説に、山椒大夫が三つの庄(土地)、すなわち由良・河守・岡田を私有地としていたことから「三庄大夫」と呼ばれ、「山椒大夫」という当て字がなされるようになったとも推測されている。 *本作をモチーフとした創作、及びキャラクター ---- -ずしおうまる(『[[ドラゴンクエスト>ドラゴンクエストシリーズ]]』シリーズ) とある武士が、復讐に燃えるあまり魔物と化してしまったという設定。 -マンジュ、スシ王、コショウ大夫(『[[ヤッターマン]]』) -[[中島みゆき]]が自身で構成・演出・作詞作曲・主演をつとめる『夜会』の第16回である『&bold(){夜物語 元祖・今晩屋}』の全体的なモチーフとなっている。 -ドラマ『安寿子の靴』 --1984年10月にNHKドラマスペシャルで放送。脚本家・&ruby(からじゅうろう){唐十郎}が脚本を手掛け、三枝健起が演出を務めた。家出をした幼い少女と、中学生の少年が鴨川の川辺で出会うところから物語は始まり、年の離れた少年と少女のふれあいと切ない別れを描いている。&br()テーマ曲『安寿子の靴』は唐十郎氏が作詞、作曲並びに歌唱は中島みゆき。この『安寿子の靴』は、同じく唐十郎が脚本とテーマ曲を手掛けたドラマ『匂いガラス』のテーマ曲(『匂いガラス』)とともにアルバム『おとぎばなしーFairy ring-』(2002年リリース)にメドレー形式で収録されている。その際に、唐十郎により歌詞が書き足されている。 追記・修正は生き別れたお母さんに再会してからお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,3) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 子供のころにこれを親から教えてもらったの思い出した、ドラクエのずしおうまるの -- 名無しさん (2025-02-17 22:25:40) - ↑元ネタかもねとも教えてもらった -- 名無しさん (2025-02-17 22:26:06) - 余の名はズシオの元ネタですね -- 名無しさん (2025-02-17 22:39:49) - 「アンジュって昔の日本にもあった名前だったんだ」と、妙な感想を抱いた思い出 -- 名無しさん (2025-02-17 23:36:52) - ヤッターマンではマンジュとスシ王というキャラが登場。こちらも悪党たちに囚われの身になるが、ヤッターマンに助けられて三人とも生存し、父親とも再会を果たせた模様。 -- 名無しさん (2025-02-18 00:34:58) - 東映のアニメであったよなこれ -- 名無しさん (2025-02-18 01:18:07) - FSSのマグダルとデプレのエピソードにも安寿と厨子王ネタ入ってるね。マグダルの偽名がそのままアンジュだし。 -- 名無しさん (2025-02-18 10:13:12) - 森鴎外の山椒大夫を小学生時分に読んだけど、寺に逃げ延びてからやたらあっさりとしてるなぁと思ってた 原作があったんだなぁ -- 名無しさん (2025-02-18 10:16:54) - 子供の頃、毎年夏休みに地域巡回の人形劇のある年の演目がコレで、恐怖で最後まで見られずトラウマになった。 -- 名無しさん (2025-02-18 15:44:39) - ↑4 ぐぐったら厨子王が風間杜夫さんと北大路欣也さんのダブルキャストですげえなって -- 名無しさん (2025-02-18 17:25:49) - 山椒大夫の処刑も凄まじくて厨子王は息子3人に命令して父親の鋸引きをやらせようとするんだよな。兄2人が「いくらなんでも父親は殺せない」と泣いて嘆願して勘弁してもらうけど、三男はそんな兄貴たちを腰抜けと罵り、厨子王にも怨嗟を吐きながら鋸を引いて父親を処刑する -- 名無しさん (2025-02-18 23:16:01) #comment #areaedit(end) }

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: