&font(#6495ED){登録日}:2023/11/10 Fri 02:45:18 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 10 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- >&bold(){86年 桜花賞} >&bold(){その美しき黒い流線形。} >&bold(){嫉妬すら追いつかない。憧れすら届かない。} >&bold(){その馬が、史上初の三冠牝馬になることを、まだ誰も知らなかった。} >&bold(){魔性の青鹿毛。} > >&bold(){その馬の名は……} > >#right(){2012年JRACM「桜花賞」} &font(b,#3c5161,#4ab5af){&ruby(Mejiro Ramonu){メジロラモーヌ}}とは、日本の元[[競走馬>サラブレッド]]。 メディアミックス作品『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。 →[[メジロラモーヌ(ウマ娘 プリティーダービー)]] 目次 #contents *【データ】 生誕:1983年04月09日 死没:2005年09月22日 享年:22歳 父:モガミ 母:メジロヒリュウ 母の父:ネヴァービート 生国:日本 生産者:メジロ牧場 [[馬主]]:(有)メジロ牧場 調教師:奥平真治 (美浦) 主戦騎手:河内洋 生涯戦績:12戦9勝[9-0-0-3] 獲得賞金:3億1192万0100円 主な勝鞍:86'桜花賞(GⅠ)、86'優駿牝馬(GⅠ)、86'エリザベス女王杯(GⅠ)、86'報知杯4歳牝馬特別((現在のフィリーズレビュー。桜花賞トライアル))(GⅡ)、86'サンスポ賞4歳牝馬特別((現在のフローラステークス。オークストライアル))(GⅡ)、86'ローズステークス((当時はエリザベス女王杯トライアルだったが、現在は秋華賞トライアル))(GⅡ)、85'[[テレビ東京]]賞3歳牝馬S((現在のフェアリーステークス))(GⅢ) 受賞歴:優駿賞最優秀3歳牝馬(1985年)、優駿賞最優秀4歳牝馬(1986年)、[[顕彰馬]](1987年選出) *【誕生】 1983年4月9日生まれ、黒鹿毛の牝馬。 父モガミはシンボリ牧場と共同所有した種牡馬。競走馬としての実績はあまり残せなかったものの、父は名種牡馬リファール、母の牝系を辿ればアメリカを中心に一大勢力を築いたラトロワンヌに行き着く。 ……のだが、モガミは腹部がボテッとしていたためとても容姿が整っていたとは言い難く、気性もかの[[サンデーサイレンス]]が来日するまで気性難の代名詞になっていたほどキツいものであった。 しかしメジロラモーヌは黒光りする綺麗な馬体をしており、競馬評論家の大川慶次郎は「どうしてこんなに綺麗な馬体の仔がモガミから出てくるのだろうと思った」と述懐している。 しかし両後脚の飛節に難があり、加えて大人しかったこともあり、周囲からの期待は薄いものであった。 そのためか長く入厩先が決まらなかったものの、メジロ商事社長と個人的な親交のあった奥平真治師に預けられることになり、 これを機に幼名「俊飛」から、冠名「メジロ」と、フランス・アルプス山脈はモンブラン山系にある岩峰の一つであるラモーヌ針峰(Aiguille de l'Amone)から「メジロラモーヌ」と命名された。 &s(){なぜローマ字表記(Ramonu)にしたのかが気になるところである} 余談だが、メジロ牧場は年度ごとにテーマを決めて生産馬の馬名を名付けており、ラモーヌが生まれた83年は「海外の山関連」から取られていた。上述のラモーヌの他、 [[マックイーン>メジロマックイーン(競走馬)]]の兄で、菊花賞と有馬記念を勝ったメジロデュレン(アメリカの山)、東京大障害((中山競馬場改修のため、中山大障害(春)の名称を変更した上で距離4000mで施行された。この年1988年は他に、皐月賞も東京競馬場で施行されている))を勝ったメジロアイガー(スイスの山)など。 *【戦歴】 **3歳(1985年) 1985年10月、東京競馬場のダート1400mでデビュー。直前の調教でも調教パートナーを4,5馬身突き放すなど絶好調の情報が知れ渡り、単勝1.4倍の圧倒的1番人気。 その人気に応えたのか、スタート直後から先頭に立つと、最終コーナーからは後続をぐんぐん突き放し、2着に3秒1、着差にして&bold(){約20馬身}もの大差ぶっちぎり勝利を飾る。 2戦目はいきなり重賞挑戦となる京成杯3歳ステークス((現在の京王杯2歳ステークス))を選択。デビュー以来圧勝を続けてきた有力馬ダイナアクトレスとの対決が注目を集めたが、同馬は故障で出走を回避。のちに朝日杯3歳ステークスを勝利するダイシンフブキも出走していたが、それを抑えての1番人気に支持される。 しかしスタート直後に他馬と衝突し興奮。終始掛かりっぱなしになってしまい、5頭立ての4着に敗れる。 その上レース後には疝痛に加えてソエ(骨膜炎)を発症。調教を控えることになったもののすぐに回復し、4週間後の条件戦を勝利。 年内最終戦は再び重賞のテレビ東京賞3歳牝馬ステークスに出走。2番人気だったものの、2着ダイナフェアリーに3馬身半つけての完勝。メジロラモーヌ及び鞍上の柏崎正次の重賞初勝利となった。 その走破タイム1分34秒9は当時の3歳牝馬としては破格のタイムで、これ以前に1分35秒を切ったのはメジロラモーヌのほかに"スーパーカー"[[マルゼンスキー>マルゼンスキー(競走馬)]]と、1974年のダービー馬コーネルランサーの3頭のみであった。 1985年を4戦3勝で終え、翌年に最優秀3歳牝馬に選出されている。 **4歳(1986年) 復帰戦にはクイーンカップを選択。単枠指定に加えて単勝1.2倍という圧倒的支持を集めたが、競走前から激しく焦れ込んでしまい、先行策を取るも直線で失速し4着。 桜花賞を見据え、次走を阪神競馬場で開催される桜花賞トライアル、報知杯4歳牝馬特別に設定。鞍上は河内洋が務めることになり、以降主戦騎手となる。 レースでは中団後方につけるも、第3コーナーから失速した先行勢に進路を塞がれ、直線で最後方近くまで下がったものの直線一気の末脚を見せ、2着をクビ差差し切って勝利した。 懸念点であった稍重馬場と馬込みを難なくこなしたラモーヌは、この頃から当時の史上最強牝馬の1頭であったテスコガビーとの比較が関係者やファンの間で始まっていたという。 本番の桜花賞で5枠13番の単枠指定を受け、単勝1.6倍の1番人気に支持された。 競走前には焦れ込む様子を見せたものの、中団につけ第3コーナーから進出。直線で早めに抜け出し、追い込んだマヤノジョウオに1馬身3/4差を付けて優勝。 メジロ牧場初のクラシック制覇であり、このレースを含め桜花賞4勝((86年メジロラモーヌ、88年アラホウトク、90年アグネスフローラ、92年ニシノフラワー))を挙げるなど「桜花賞男」と称される河内にとっても初の勝利となった。 二冠目のオークスを控えたが、ここまでの2敗はいずれも東京競馬場で喫していたため、その不安を払拭するべくオークストライアルのサンスポ賞4歳牝馬特別に出走。桜花賞未出走で、3歳時に対決が期待されたダイナアクトレスとの初対決となったが、直線で先頭に立ったダイナアクトレスを一気に交わして勝利し、オークスに臨むことになる。 「トライアルを制した馬はオークスで勝てない」というジンクスも囁かれていたものの、単枠指定を受け単勝1.8倍の支持を集める。 スタート直後に躓き後方からのレース運びを余儀なくされたものの、内ラチ沿いの最短距離を進み先団に進出。最終直線の半ばで先頭に立ち、2着に2馬身半つけて勝利し1976年テイタニヤ以来となる牝馬二冠を達成。 その競走内容は[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]を管理した野平祐二から「オークス史上稀に見る強さ」と評され、鞍上の河内はインタビューにおいて「テスコガビーを超えたと思う。本当に強い馬やな」と語っていたほか、後に三冠を達成した際に「もっとも楽だった」レースにこのオークスを挙げている。 三冠最終戦となる11月のエリザベス女王杯を見据え、オークス後はメジロ牧場に戻って休養入り。8月には函館競馬場で調教が再開される予定であったが、夏負けしたため1週間で函館から美浦トレセンに戻り、笹針治療を受ける。 さらに挫石が原因と思われる歩様の異常もきたしたため、9月のクイーンステークスでの復帰予定は大幅に遅れ、10月に開催されるエリザベス女王杯トライアルのローズステークス、それも疲労が取れたかどうか半信半疑のままで復帰することになった。 先行策を取り直線で抜け出しを図ったものの中々抜け出せず、結果こそ1着だったものの「苦しい勝利」とも評された。 そして史上初の牝馬三冠がかかるエリザベス女王杯は、奥平師曰く「70%くらいの調子」で出走することになったが、単勝1.3倍の支持を集める。 レースは先団につけ、ゴールまで800m地点の第3コーナー下り坂から仕掛けて先頭に並んだ。あまりの早仕掛けに、関西テレビの杉本清アナは&bold(){「河内、河内、早いのか、これでいいのか」}と実況。 そのまま最終直線で先頭を進むが脚が鈍り、後ろからスーパーショットが追い込んできており、2頭は並んでゴール板を駆け抜ける。 結果……&bold(){クビ差}でメジロラモーヌが1着。 #center(){&bold(){ハッとさせられたゴール板前!}} #center(){&bold(){しかし、史上初の牝馬の三冠馬達成!}} 中央競馬史上初の牝馬三冠達成。それも3レース全てのトライアルも制していることから&bold(){「完全三冠」}とも呼ばれる、今後現れないであろう大記録((現代のローテーションでは、馬の疲労も考慮し桜花賞からオークスに行くのが当たり前。それも、オークスへの優先出走権が与えられる勝ち馬がオークストライアルに出走するのはまずありえないのである))とともに、史上初の牝馬三冠馬が誕生したのである。 またこの勝利によって総獲得賞金が3億を突破し、当時の歴代賞金女王の座にも輝いたほか、重賞連勝記録を6に伸ばし当時の連勝記録を更新している((のちに1988年にタマモクロスとオグリキャップ、1994年にヒシアマゾンが連勝記録に並び単独ではなくなる。2000年にテイエムオペラオーが連勝記録を8に伸ばしたが、現在はオジュウチョウサンの9連勝がトップ。なお、1998年にタイキシャトルが国内6連勝+海外1勝+国内1勝で8連勝しているが、国内レースのみでの記録ではない))。 競走後にはジャパンカップへの出走も期待されたが、メジロ牧場総帥の北野ミヤ女史から「あの子は花のうちに牧場に戻してやります」と声明が出され、年内の有馬記念を以て引退することが告知された。 引退レースとなる有馬記念のファン投票では前年のクラシック二冠馬ミホシンザン、この年の天皇賞(秋)を制しているサクラユタカオーに次ぐ第3位で、当日は&bold(){「これまでで最高の体調」}と太鼓判を押され、ミホシンザンに次ぐ2番人気の支持を集める。 レースは中団につけて直線に向き抜け出しを図ったが、1頭分空いたスペースにラモーヌの他2頭が同時に突っ込んだ結果、急ブレーキをかける形で失速。態勢を立て直すことはできず、同期のダービー馬ダイナガリバーの9着と大敗を喫する。 唯一の掲示板外での大敗を喫したが、当初の予定通り引退。 翌年の優駿賞では最優秀4歳牝馬に選出され、1971年トウメイ以来25年ぶりとなる牝馬の年度代表馬誕生も期待されたが、その栄誉はダイナガリバーのものとなった。 この決定に大川慶次郎が&bold(){「2頭選ぶことはできないのか」}と競馬会に問い合わせるも却下され、特別賞の授与も却下された、と明かしている。 2月に東京競馬場で引退式が執り行われ、エリザベス女王杯時のゼッケン13番を着けてラストランを披露。また牝馬三冠を評価され、シンボリルドルフと共に顕彰馬に選出された。 *【引退後】 引退後は故郷のメジロ牧場で繁殖入り。 とりわけシンボリルドルフとの間に生まれた牝馬メジロリベーラは「十冠ベビー」としてメディアの注目を集めたが、脚元が弱かったためわずか1戦のみで骨折を発症し引退。 受胎率の悪さも災いし、最後の種付けとなった2004年までにサンデーサイレンスや[[ラムタラ>ラムタラ(競走馬)]]、ブライアンズタイムのほか[[メジロライアン>メジロライアン(競走馬)]]、[[エルコンドルパサー>エルコンドルパサー(競走馬)]]、[[タニノギムレット>タニノギムレット(競走馬)]]といった名だたる種牡馬と交配するも大成する仔はついに現れなかった。 2005年9月22日に老衰により死去、22歳であった。 メジロ牧場内に墓が建てられ、メジロ牧場解散後に設備を引き継いだレイクヴィラファームに現在も墓が残っている。 ラモーヌの死後、メジロリベーラの孫フィールドルージュが2008年川崎記念を制したほか、メジロライアンとの仔メジロルバートの孫グローリーヴェイズが2019年と2021年に香港ヴァーズを制し種牡馬入りしているなど、その血は続いている。 *【創作作品での登場】 ・&bold(){『[[馬なり1ハロン劇場]]』} 連載開始時点で既に引退済みのため、初代三冠牝馬として要所で顔は見せるものの出番は少なめ。 [[三冠馬]]繋がりで実際に交配もしたシンボリルドルフから「妻」と呼ばれている一方で、 ルドルフにとっては子供が鳴かず飛ばずに終わった事もあり、数少ない頭が上がらない相手でもある。 ・&bold(){『新・優駿たちの蹄跡』} 第23戦の主役馬。 担当厩務員である小島浩三氏の視点で、三冠までの軌跡が描かれている。 なお、サブタイトルは「&bold(){童貞を奪った馬}」。&s(){直球過ぎる。}始まりと終わりは&bold(){墓碑からラモーヌらしき台詞だけが聞こえてくる}というとんでもないものになっている。 ちなみに本シリーズにおいて主役を張ったメジロ軍団は彼女が初である。 ・&bold(){『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』} 高貴かつミステリアスで気まぐれ、「魔性の青鹿毛」の異名通りの高校生離れした麗しさで周囲を魅了するウマ娘。 しかし彼女はそれらを一切気にかけておらず、その行動原理は「&bold(){愛するレースに全てを捧げる}」というただ一点である。 メジロドーベルやメジロアルダンらメジロ家のウマ娘の育成シナリオ内にて名前だけ登場。メジロブライトと違い、事前の情報では欠片も出てこなかった中での唐突な登場だったため、多くのファンが驚愕した。 また「シンデレラグレイ」でも名前だけ登場するなど、存在こそ各媒体で示唆されていたものの、ビジュアルは全く出てこないため素性はほぼ不明であった。 その後、2022年11月5日に開催された4thライブイベントにて正式にビジュアルが発表され、2023年2月22日のぱかライブTVでCVとプロフィールが公開。また、24日にはSSRサポートカードとして登場することも発表。&s(){実装後は即賢さSSRの人権枠として定着} そして10月19日、遂に育成キャラとして実装された。 *【余談】 メジロラモーヌは太りやすい体質だったらしく、引退後は[[ダイエット]]に苦労していたらしい。 これはメジロ牧場が火山である有珠山の山麓に設立された火山灰地であるがゆえに牧場の牧草がミネラルを含む栄養価を多量に含んでいたのも一因とされている。 >&bold(){『Queen of 1986』} > >&bold(){1986年を思い返す時、僕らはきっとキミを思い出す。} >&bold(){史上初の三冠牝馬。その偉大な記録は勿論だけれど} >&bold(){まぶたに焼きついた、あの華麗な走りが、鮮やかに} >&bold(){浮かび上ってくるだろう。1986年、キミはここにいた。} > >#right(){JRA「ヒーロー列伝」No.20} 追記・修正お願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,2) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() #comment(striction) #areaedit(end) }