&font(#6495ED){登録日}:2025/07/23 Wed 17:13:11 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 8 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 一円銀貨(通称『円銀』)とは日本で発行されていた近代銀貨である。 #contents *【一円銀貨の誕生】 一円銀貨の誕生には日本の貨幣制度の変遷が大きくかかわっている。 江戸時代、日本では『&bold(){三貨制度}』という貨幣制度が存在しており ・小判などの金貨 ・丁銀や豆板銀などの銀貨 ・寛永通宝などの銅銭 の三つの貨幣が存在していた。 そして身分((武士や商人は金貨や銀貨を使用していたのに対し、庶民は銅銭しか使っていなかった))や場所((生産量の違いから関東は金貨、関西は銀貨が主に使われていた))によって使用する貨幣が変わっているのに加え、金貨や銅銭は&bold(){貨幣の枚数}によって価値が決まる『計数貨幣』なのに対し、銀貨は&bold(){貨幣の質量}によって価値が決まる『秤量貨幣』であったため、両替する方法が貨幣によって異なっているという世界的に見ても複雑かつ特殊な貨幣制度となっていた。 しかし黒船来航によって諸外国との貿易を行うようになると大問題が発生する。 日本での金と銀のレートは金:銀=1:5であった((徳川十代将軍・家治時代に初の計数銀貨として製造された明和南鐐二朱銀は1:11程度に設定されたが、十二代・家慶の時代に幕府の赤字補填の為により小型で二倍の価値を付けた天保一分銀が大増産された為に1:5になってしまった))のに対し、欧米諸国の場合は金:銀=1:15と日本の方が金安であったのだ。 更に日本貨幣と米国貨幣の交換比率の交渉の際に日本側の『日本の一分(正確には米ドルの半分の含有銀量を含むように新造された安政二朱銀2枚)とアメリカ1ドルを交換する』という要求ではなく、アメリカ側の『日本の三分とアメリカ1ドルを交換する』という要求が通ってしまう。このため欧米諸国では、 #center{&bold(){&bold(){自国の銀を日本に持っていく}}} #center{&bold(){&bold(){↓}}} #center{&bold(){&bold(){日本で金:銀=1:5のレートで金と交換する}}} #center{&bold(){&bold(){↓}}} #center{&bold(){&bold(){交換した金を自分の国に持って帰る}}} #center{&bold(){&bold(){↓}}} #center{&bold(){&bold(){自国では金:銀=1:15のレートなので大儲けできる}}} #center{&bold(){&bold(){↓}}} #center{&bold(){&bold(){儲けた銀をまた日本に…(以下無限ループ)}}} という日本を利用した金策が完成してしまい、日本は短期間のうちに大量の金流出を招くこととなる。 そしてこの金流出の対策として品位の低い金貨を製造した結果大幅な [[インフレーション]]が発生し、日本の経済はガタガタになってしまった。 倒幕後の1868年(慶應4年)、明治政府は江戸時代より続いてきた『三貨制度』を廃止し、貨幣司を設けて、接収した旧金座および銀座で二分判、一分銀、一朱銀、天保通寳を発行することで立て直しを図ったが、貨幣製造技術が未熟かつ偽造硬貨が流通していたため、諸外国の信頼を得るには至らなかった。 そこで1871年(明治4年)、明治政府は『新貨条例』を制定。通貨の単位をこれまで使ってきた両から円に変更するとともに、大隈重信によって造幣局が設立。当時最先端の鋳造機を使用して作られた新貨幣を流通させることとなった。 その新貨幣の中で『諸外国との貿易用銀貨』として発行されることになったのが&bold(){一円銀貨}である。 デザイナーとしては明治天皇お抱えの金工師((刀の鍔や装具を作る金銀細工職人))・&bold(){加納夏雄}が二十圓、十圓、五圓、二圓、一圓金貨と共に担当した。 当初は、イギリスに発注する心算だったが、造幣局の指導に来日していたイギリス人・ウォートルスが加納の原図を見て&bold(){「これ程の名工はイギリスでも見つからないだろう」}と絶賛して彼が主任デザイナーに就任した((この時代はイギリス史上でもトップクラスのコインデザイナーであるウィリアム・ワイオンが亡くなった直後であり、その基準でも絶賛された加納のデザインセンスが傑出したものである事が良く分かる))。 *【一円銀貨の流通】 こうして対外国との貿易用として発行された一円銀貨だったが、&bold(){ハッキリ言って世界では殆ど流通しなかった。} というのもこの時すでに&bold(){メキシコ8リアル銀貨}が貿易用の銀貨としての信用を勝ち取っており((北米大陸や極東ではメキシコ8リアル銀貨、中近東や紅海沿岸アフリカではオーストリアのマリア・テレジア1ターラー銀貨が主要貿易用銀貨として地位を確立させていた。アメリカ合衆国は元々、独立時の同盟国だったフランスの同盟国であるオーストリア・ターラーを英語風の読みである「ドル」として採用したが、隣国が大産銀国のメキシコだったので、直ぐにオーストリア・ターラーよりメキシコ8リアルの流通量が多くなり、8リアル銀貨を1ドルとして通用させた。))、一円銀貨よりも銀の含有量が上回っていたのもあって一円銀貨は全く相手にされなかったのである。 これはアメリカなどの他の国も同じであり、これに対抗して銀の含有量を上げた一円銀貨も発行したのだが、後述する理由によってすぐに発行を停止してしまった。 そのため外国での一円銀貨の流通は台湾や朝鮮など後の日本の植民地に留まっている。 一方日本では、国内で流通させるはずだった金貨が金不足によって製造できないという事態に陥ったために((辛うじて改良五圓金貨だけは継続的に製造されていたが、電気化学の急激な発展によって、ナポレオン・ボナパルトが定めて以来、70年近くにわたって続いていた金銀比価15.5が急激に銀安になってしまったので製造される度に米国に流れ、フランクリン・ルーズベルト時代に米国で金の民間保有禁止令が出た為に殆どが鋳つぶされてしまった。))、明治11年に金不足を名目に国内での流通が認められる。後に日本銀行から一円銀貨との兌換を明記した紙幣『日本銀行兌換銀券』が発行され、実質的に一円銀貨は国内で使用する貨幣としてその地位を確立することとなった。 しかし明治30年に貨幣法施行による金兌換再開にともない、日本国内での一円銀貨の流通はストップ。一円銀貨の金貨との引換によって国内での役目は終えることとなった。 しかし流通停止後も台湾や朝鮮では引き続き一円銀貨が使用されることとなり、海外向けの一円銀貨の製造は大正3年まで行われることとなる。 *【一円銀貨の種類】 デザインによって一円銀貨は3種類に分けられる。 **旧一円銀貨 重さ:26.96g 直径:38.58mm 品位:銀90%,銅10% 発行年数:明治3年 日本で最初に発行された一円銀貨。 オモテには中央に宝珠を掴んでいる龍が彫られており、その周りには『大日本・明治三年・一圓』という文字が彫られている。 ウラには中央に旭日章が彫られており、上部には天皇の紋章である菊紋と桐紋があり、旭日章を囲むように菊と桐の枝が彫られている。 発行されたのは明治3年、つまり新貨条例が制定される前に作られた一円銀貨であり、新貨条例が制定されてからは後述する新一円銀貨が製造されているため、旧一円銀貨のデザインが彫られているのは明治3年のみである。 打刻機械の耐久性が不十分だったことから、「圓」の字が時期によって摩耗しており、初期型(正貝、小ハネ正貝)、中~後期型(普通圓)、後期(欠貝)、最後期(増貝圓)等のバリエーションが豊富。 **新一円銀貨 重さ:26.96g 直径:大型38.6mm,小型38.1mm 品位:銀90%,銅10% 発行年数:大型明治7~20年,小型明治20年~大正3年 新貨条例が制定された後に発行された一円銀貨。 オモテは真ん中に『一圓』と彫られており、上部には菊紋、一圓の文字を取り囲むように菊と桐の枝が彫られている ウラは一見すると旧一円のオモテと全く同じに見えるが、周辺に新たに『900・ONE YEN・416』という文字が彫られている。900というのは一円銀貨の品位、416というのは重さ(416 GRAIN)を示しており、より外国人に分かりやすいデザインとなっている。 また、新一円銀貨には大型と小型の二種類が存在しており、大型の方は小型よりも直径が0.5mm大きい。 正貨としての役割が終わった明治30年以降は計数銀貨ではなく、外地向けの銀塊と言う名目で製造が続いた。 発行された年が長く、国内で流通していたこともあるために一円銀貨の中では一番ポピュラーなもの。 **貿易銀 重さ:27.22g 直径:38.8mm 品位:銀90%,銅10% 発行年数:明治8~10年 海外における流通を上げるために作られた一円銀貨 先述の通り、日本における一円銀貨は他の国の銀貨と比べて質が劣っており、その分信用も得られていなかった。 その現状を打破すべくアメリカなどは更に含有量を増やした銀貨を鋳造し、それに日本も追従する形で作られた。 銀の含有量を増やしたことで直径が僅かに大きくなっており、重量も416 GRAINから420 GRAINに増加。 デザインもオモテに『一圓』となっていた部分は『貿易銀』と変更されており、ウラの文字も『大日本明治〇年・420 GRAINS・TRADE DOLLAR・900 FINE』と変更されている。 こうして発行された貿易銀だが銀の含有量を増やした結果、&bold(){貨幣として使わずに鋳つぶしで銀として使用する国が多発してしまった}ため、流通改善には至らなかった。 結局僅か3年で発行が停止してしまい、貿易銀としての役割も新一圓銀貨に取って代わられることとなった。 *【特殊な一円銀貨】 上記に加えてデザインや重さが異なる一円銀貨も存在する **丸銀打 オモテに&bold(){丸で囲った銀の漢字}が彫られている一円銀貨 左に打たれている場合は左打ち、右に打たれている場合は右打ちと呼ぶ 明治30年に一円銀貨の国内での流通は停止されたが台湾や朝鮮では一円銀貨の流通が盛んであったため、いきなり通用禁止にすると混乱を招くという懸念があった。そのため一円銀貨や貿易銀を一回回収して刻印を施し、刻印があるもののみ流通を認めた。 しかしいざ流通すると刻印のあるものと無いものが混在することとなり、刻印の有無による混乱が発生してしまい、結局翌年に取りやめとなった。 **荘印打 丸銀打とは異なり、漢字が彫られている一円銀貨 当時の両替商が本物である証として「刻印」を打ち込む習慣があり、中国人の両替商が多かったために漢字の刻印が多い 見栄えが悪くなるのに加えて荘印打が彫られている場合、通常の一円銀貨よりも価値は下がってしまう **修正品 荘印を消すために文字を金属で穴埋めし、再度削り取った一円銀貨 元々の銀貨の材料よりも不純物の多い金属で穴埋めすることが多いため、修正部分が黄色く変色してしまう また、金属を流し込むことでその分銀貨が重くなる場合もある やはり見栄えが悪くなるため、通常の一円銀貨よりも価値は下がってしまう **手変わり品 現代における『エラーコイン』の類 縁の形状や葉の形、漢字などが通常とは異なるものを指し、手変わりの場合はプレミアがつく場合もある *【収集の注意点】 一円銀貨は収集家の間で人気が高く、年号や状態によっては何十万もの値段がつくものも存在するが、一方でレプリカ品も非常に多い。 特に近年では3Dプリンターの進化によってデザインや大きさまで精巧に作られた贋作も非常に多く出回っており、ひと昔前よりも真贋を判断することは困難を極めている。 故にオークションから購入する場合は慎重に、どうしても確実に本物を手に入れたい場合は鑑定機関の査定が通ったものを購入することを推奨する。お値段こそ割高になるが偽物を掴まされるよりはずっとマシであろう。 追記・修正は一円銀貨の目利きに自信のある人にお願いします #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,7) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - ここ、他の貨幣項目みたいに擬人化するとしたらどういうので行く? -- 名無しさん (2025-07-23 17:20:04) - ↑サムいからそういうのいらない -- 名無しさん (2025-07-23 17:56:59) - ↑2ほいよっ[[一円硬貨]] -- 名無しさん (2025-07-23 18:39:00) - 今や一円硬貨も消えかけてるんだよな -- 名無しさん (2025-07-23 19:16:50) - ずっと昔に曾祖父さんの使ってた棚から出てきたけどレプリカだったな -- 名無しさん (2025-07-25 07:55:43) #comment #areaedit(end) }