アドルフ・ヒトラー

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アドルフ・ヒトラー - (2025/07/11 (金) 21:50:26) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/11/26 Sat 18:11:55
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&font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます

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#center(){&bold(){「弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行ってもらいたい…」}}
#center(){&bold(){「大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である」}}


アドルフ・ヒトラーはドイツ第3帝国の総統にして国家社会主義ドイツ労働者党(以下ナチ党)党首。

#center(){そして独裁者。}

&bold(){武力に依らず国民に選ばれ誕生した独裁者}であり、&font(#ff0000){民主主義の一つの極致}を体現した人物である。

その所業や強烈な人間性によって、未だに様々な方面に影響を与えており、独裁者の典型例として考えられるようになった。

なお、この項目では彼の行ったジェノサイドについてはあえて挙げない。それを記述する為にはさらに多くの項目が必要になるためである。


*■[私は夢想家だといわれた。その夢想家がいなければドイツはどうなっていたか](1889~1930)]

彼はオーストリアで生まれた。
彼はオーストリア人だった。
彼はドイツ人だった。
かつて国を捨てた男だった。

彼は画家だった。
挫折した画家であった。

彼は建物を描いた。
建物は町の絵になり&font(#ff0000){そして国家が描かれた}。

彼は兵士だった。
敗者の側に立つ兵士であった。
彼は伍長となり、一つの勲章を受けた。意匠は黒い十字だった。

彼は戦場で怪我をし、病院に送られた。
病院にいる間に戦争は終わった。愛した国は「敗者」となった。
戦争を招いた皇帝は国を見捨て、国の外へ逃げ去った。
愛した国は天文学的な賠償金を払わされることとなり、内外の領土も失った。
ある時は他の国に立ち入られ、ある時は凄まじいインフレに襲われ、他国からひたすら搾取される雌牛と化した。

戦いに負け軍に残った彼は政治と出会った。
彼は扇動家だった。
大衆を魅了する扇動家だった。

そして彼は指導者だった。
彼は路頭に迷う荒くれ者に出会った。
彼は荒くれ者に&font(#994c00){褐色の制服}を与えた。

ある時には地方で反乱を起こして牢屋送りになった。
しかし彼は裁判の場で弁舌をふるった。
自分の「愛国心」を、在りし日の「栄光」を、今の国家の「欺瞞」を……
古きを懐かしみ今を憂う裁判官達も彼の言葉に魅了された。
彼は牢獄で自分の思うことを語り、それを本にした。

そして国民が彼を望んだ。



*■[嘘を大声で、充分に時間を費やして語れば、人はそれを信じるようになる](1930~1933)]

1930年代のドイツ。
世界大恐慌の波は容赦なくドイツを襲った。
政治が混乱した。
ワイマールの終わりが始まった。

かつて軍を率い、今は国家を率いる大統領は法の隙間を突きだした。
権力は濫用され、無為無策な議会は無視され始めた。
国民は彼らを救済する英雄を渇望していた。

そんな時代に一人の男が大衆を前に熱弁を奮っていた。

#center(){&bold(){「強きドイツの復活を、新たなる生存圏を、国民に大衆車を」}}

男の熱弁は大衆を熱狂させた。
彼と彼の盟友に従う荒くれ者達は隊伍を組んだ。
鉤十字の党旗を掲げた彼の党は議会の中心を占めるようになった。


そして1933年1月30日。
男は首相になった。
決めたのは大統領の数人の側近達であった。
政治的取引と脅迫の末、密室の中でそれは決められていた。

男は政敵を憎んだ。
共産主義を憎んだ。
議会を憎んだ。

そしてその日が訪れた。
ワイマールの終わりの日が――
#center(){2月27日の寒い夜}
#center(){&font(#ff0000){ 議事堂は火に包まれた。}}

男は嘘をついた。
大きな嘘をついた。
堂々とそして大声で。

#center(){&bold(){「国会を放火したのは共産党であり社会民主党であり、あの連中はテロリストである!」}}

大衆には異論を唱える者はなかった。故に、皆が彼を支持した。

焼けた議事堂から共産主義者と社会主義者の席が無くなった。
共産党と社会民主党は排除された。
賛同しないものは排除された。

賛同者のみになった空っぽの国会で&bold(){全権委任法}は可決された。
全権委任法成立に必要な議席数は議員の総数の三分の二。
彼の政党は単独では過半数にすら到達していなかった。

しかし彼の手で排除された議員は、彼らによって「投票を棄権した」ものとされた。
カタチだけの「棄権」の続出によって全権委任法可決に必要な議席数を得た政党に変貌していた。
議会は永久に閉鎖された。

身辺を守る&font(#994c00){褐色の荒くれ者達}は総員400万人を数える大所帯となり、次第に男の言うことを聞かなくなっていた。
軍部と対立し、大衆から毛嫌いされた荒くれ者達を、男は反乱の容疑で粛清した。
大衆や軍人、そして大統領たちは満足そうに頷いていた。
彼に忠実な黒衣の私兵がその後釜に座った。

そして男を首相に「推戴」した老大統領は死んだ。
そして、男は大統領も兼務し国家元首になった。
人々はさらに熱狂し自らを&bold(){「指導者」}と名乗る男を「&font(#ff0000){総統}」と呼んだ。


#center(){&bold(){ドイツ第3帝国「総統」アドルフ・ヒトラーの誕生であった。}}


ブランデンブルグの門で松明の行進が行われた。
ヒトラー政権に対する支持率は&font(#ff0000){89.93%}、大衆は彼に自分たちの運命を委ねたのだった。

独裁者が誕生し、大衆はそれを祝福した。
 


*■[人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ](1933~1939)

ヒトラーは約束を実行し始めた。
再軍備を行いアウトバーンを建設し、かりそめの経済復興を成し遂げた。

彼は平和の祭典・オリンピックを開いた。
祭りの間、男はユダヤ人との「融和」を唱えた。
しかし共産主義者や社会主義者をあらかた排除し尽くされ、すでに次の矛先はユダヤ人に向かっていた。
「融和」はほんのひと時の平穏に過ぎなかった。
そして祭典が終わると、彼らはとてつもない苦難を味わうこととなった。

彼は「聖なる火をベルリンへと人伝いに運び、オリンピック会場に灯そう」と提案した。
計画は実行された。
火が通ったルートはその後、彼の軍隊-鉤十字をつけた軍隊が火が通った方向とは逆の方向で進んだ。
彼に忠誠を誓った選手は軒並み金色のメダルを手にした。
彼はまた、この祭典を記録した映画を作らせた。映画は多くの民を熱狂させた。

そして、ヒトラーは国債を乱発した。
軍備を整えるために、軍を抑え、変わらない支持を得るために。
銀行に国債の受け入れを強要し、帳簿にない資金を作りだし、さらに軍備を整えた。

インフレが発生した。
しかし統制経済によって抑えられ情報操作によって秘匿された。

彼が寵愛した建築家であり、後に軍需省大臣となったシュぺーアは後に回想する。
「戦争がなくとも&font(#ff0000){数年後には破滅していた}」

彼が国民に対し約束した大衆車もアウトバーンを走る日は来なかった。

破滅が迫っていた。
ヒトラーは大衆とした約束をとにかく守った。
兵を置いてはならないはずのラインラントに兵を置いた。
民族を一つにすべく[[オーストリアを併合し、>アンシュルス(1938年)]][[チェコを併合>チェコスロバキア併合(1938-39)]]した。
そして、ソ連と手を結びポーランドへと侵攻した。

鉤十字の軍の行進が始まった。
&font(#ff0000){第二次世界大戦がはじまった。}



*■[私は戦争を望む。私にとって手段はすべて正解となる](1939~1941)

軍は西へと進みついに大西洋に辿り着いた。しかし海の先の島、[[イギリス]]には手が届かなかった。

その島から爆撃機が飛び立ち、多くの街に爆弾の雨が降り注いだ。
建物も文化財も人も、何もかもが焼けた。

それでも国民はヒトラーを信じた。
ドイツの勝利を信じた。
彼の演説に皆が酔いしれ、右手を挙げ熱狂した。

やがて彼の軍は東へと向かった。
かつて手を結んだ共産主義の大国、ソ連を絶滅させるために…


*■[我々は敵を絶滅する根こそぎに、容赦なく、断固として](1941~1944)

彼の軍は東へと進み、ソビエトの地に入った。
ただ、ソビエトの地に入った彼の軍は悲惨な結末を迎えた。
&font(#0000ff){100年前、大陸軍の旗を掲げロシアの地を踏んだ欧州の西の皇帝の軍と同じ結末}が冬とともに到来した。

4年後、ある者は激戦の戦場で息絶え、ある者は捕まってシベリアの大地に消え、そして&font(#ff0000){血のように赤い労働者の旗を掲げた軍}がドイツの地を踏むことになった…


*■[音楽が終わったら、明かりを消してくれ](1944~1945)

#center(){ナチスは最初に共産主義者を攻撃した。しかし、私は沈黙していた}
#center(){&font(#ff0000){私は共産主義者ではなかったから。}}

#center(){彼等は次に社会主義者を攻撃した。しかし、私は沈黙していた}
#center(){&font(#ff0000){私は社会主義者ではなかったから。}}

#center(){彼等は次に労働組合を攻撃した。しかし、私は沈黙していた}
#center(){&font(#ff0000){私は組合員ではなかったから。}}

#center(){彼等は次にユダヤ人を攻撃した。しかし、私は沈黙していた}
#center(){&font(#ff0000){私はユダヤ人ではなかったから。}}

#center(){ある日、彼等は私のもとにやって来た。その時、私は初めて彼等に抗議した}
#center(){&font(#ff0000){しかし、その時には、何もかもが遅かった。}}

何もかもが遅すぎた。
1944年6月6日、星条旗を掲げた軍と共にドイツに家を追われた国の軍隊が家を追われた国の辺境の海岸に上陸していた。
4年前に逃げてきた道を逆に辿り始めていた。
敗北を悟った軍の長老たちは男を暗殺と権力を望んだが、全て粛清された。

抵抗する者はいなくなった。
ヒトラーは以前にもまして熱狂的に国民へ語りかけるようになった。
国民もまた彼を信じていた、信じ続けていた、&font(#ff0000){信じようとしてついに考えるのをやめてしまった。}
赤旗の軍と星条旗の軍はその間にもどんどんとドイツへと、そして彼の元へと迫って行った。
1945年4月29日。
彼は総統地下壕に連れ込んでまで大事にし続けた愛犬に毒を盛った。
そして1945年4月30日。
第3帝国が炎の中に消え、プロイセンの象徴であった議事堂に赤い旗が翻った日に、彼もまた妻となった愛人とともに自らの頭を撃ち抜き舞台から退場していった。

彼が死んだ後、彼の始めた戦いは終わった。
再び、ドイツは負けた。
そして、前回の敗北ではなかったことが起こった。
一つのドイツは引き裂かれたのだ。
国民は血によって自らの行いを償わなければならなかった。

高い壁が築かれた。
多くの家族が引き裂かれた。
一つのドイツは2つになり、&font(#ff0000){東の軍}と&font(#0000ff){西の軍}がそこに居座り続けた。
[[壁が壊されて、再び家族も国も一つになったのは40年も経ってからだった。>ベルリンの壁崩壊]]

熱の冷めた大衆は壁を見上げながら口々に罵り合う。

#center(){&font(#ff0000){「全部あの男のせいだ」と。}}


*■[私は間違っているが世間はもっと間違っている](1945~)

現在ドイツでは彼と彼の党を最大のタブーとし、大戦の責任を彼とナチスとの物として断罪し歴史の闇に葬っている。
それは、[[プラモデル]]や鉄道模型にまで及んでいる。
そして、「戦う民主主義」と称し、民主主義体制を否定する思想を再発防止のために弾圧している。

しかし思い出してほしい。

#center(){&font(#ff0000){ヒトラーを独裁者にしたのはドイツ国民自身なのである。}}

人々は英雄を望み一人の男の演説に熱狂し、彼等は民主主義を棄て全てをヒトラーに委ねた、そのことを忘れてはならない。
しかし、それまでの歴史がそうであったように歴史は生き残った者と勝者が作るものであり、敗者はそれを受容するのみである…
それが覆る日は遠い先となるか、永遠に来ない。


#center(){ヒトラーは笛吹だった、それも素晴らしい音色を奏でる笛吹だった}
#center(){人々はその笛の音に魅了され彼の奏でる桃源郷の世界を夢見ながら彼について行った}
#center(){&font(#ff0000){そして彼等はいつの日か道を踏み外し奈落へと落ちた}}

#center(){生き残った人々は息絶えた笛吹に唾を吐きかけ口々にこう言った}
#center(){&font(#ff0000){「あの男に騙された、我々は哀れな犠牲者なのだ」と…}}





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