ジェフ・ウィリアムス

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&font(#6495ED){登録日}:2011/09/07(水) 06:24:33
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ジェフ・ウィリアムスは2003年から2009年まで阪神タイガースに所属していたオーストラリア出身の[[プロ野球]]選手。ポジションはピッチャー。


[[星野仙一]]が[[中日>中日ドラゴンズ]]の監督時代から眼を付けていた様でかねてからのラブコールにより阪神へ入団。
一年目から52試合に登板して防御率1.54、25セーブの成績を挙げタイガースの18年ぶりの優勝に貢献した。

日本シリーズでは左のサイドスローの珍しさもあり[[ホークス>福岡ソフトバンクホークス]]のバッターが全く打てず王監督に「あのピッチャーには出てきて欲しくない」とまで言わせている。

2004年はオーストラリアのオリンピック代表に選出され、準決勝で日本代表を沈めた。シーズンでは安藤優也とのダブルストッパー策が失敗し成績が悪化するも何とか来季の契約を勝ち取る。

2005年〜2007年
そう、ここからこそが彼の伝説の始まりであり全盛期である。
05年から中継ぎに回り藤川球児、久保田智之と共に、JFKと呼ばれる日本プロ野球史上に残る最強リリーフ陣を結成する。
前年にブライアン・シコースキーが記録した外国人選手の年間最多登板数の62試合を更新し75試合に登板する。
この年のオフに膝を手術する。
06年は再び膝を故障し手術を受けた為シーズン開幕に遅れたもののシーズン中に復帰し、この年も安定した成績を残す。

2007年
この年は神憑り的な活躍であった。
5月3日の横浜戦で天敵村田修一にホームランを喫してから、9月18日の巨人戦で失点するまで4ヶ月間、50試合以上を投げ失点が1という常識はずれのピッチングをしていた。
疲労の為かシーズン終盤では失点する場面が増えるも防御率0.96という驚異の数字を残す。

オフには前々から来ていたメジャーリーグからの誘いを受けるか悩んで居た時にチームメイトの矢野や金本、藤川や下柳の説得により残留する事を決める。


2008年〜2009年
この2年間は近年の酷使により肩の状態が悪くなっており08年は前年の成績が嘘の様に悪化してしまう。
09年には遂に肩を痛め登録を抹消されオフには解雇された。

退団後もリハビリを続けタイガースのユニフォームを着る事を目指していたが、再び肩の故障が再発し現役引退を表明した。

その後はお世話になった阪神に恩返しがしたいと阪神の外国人選手発掘のスカウトになった。
苦しい接戦で相手チームを抑え、井川がメジャーへ移籍して先発陣が崩壊しつつあった時もチームを支え続けたウィリアムスが居たからこそ阪神がAクラス入りして優勝争いを出来るチームになったと言っても過言ではない。


【プレースタイル】
左サイドスローから繰り出される最速156km/hのストレートと切れ味抜群の[[スライダー>スライダー(変化球)]]が持ち味。
時折チェンジアップも混ぜたりするものの実質の球種は2つだったが、打者を捩じ伏せる強気の投球で魅せた投手。

左打者にとっては厄介な投手で&font(#ff0000){「球が背中から入ってくる」}と表現され、&font(#ff0000){ストライクにも関わらず打者がのけ反る事がしばしばあった。}
また、余りにもスライダーが曲がりすぎるために右打者が空振りした後に身体に当たるという珍事もあった。



【人物】
外国人選手にありがちなプライドが高い等の扱いづらさもなく、クローザーからセットアッパーに変更された時も本人は降格させられた意識は無かったと語っている。

端正な顔立ちで女性ファンも多い。
阪神タイガースを非常に愛しており、前述のメジャー球団からのオファーの際も悩んだ末に「自分を必要としてくれてる事が大事」という理由からタイガースの&font(#ff0000){倍以上の金額を提示したボストン・レッドソックス、0の桁が一つ違ったニューヨーク・ヤンキースからのオファーを蹴っている。}

他にもマイナーとメジャーリーグを行ったりきたりしてパッとしなかった頃にチャンスをくれたことも理由にしている。


このオファーを蹴った時に&font(#ffdc00){「ワールドチャンピオンのリングなんて要らないんだ、阪神タイガースで日本一になりたいのさ」}と言って断った。
 
アメリカから来た外国人選手と言えばマイナーの年俸では家族を養えないため日本へ高年俸による出稼ぎで来ている選手やメジャーに定着出来ず活躍の場を求めてくる選手がほとんどであるためファンも野球選手に取って光栄な話を断って阪神に残るわけがないと思っていたが、[[金本>金本知憲]]や下柳に矢野、[[藤川>藤川球児]]たちの必死の説得もあり上記の通り阪神タイガースへの愛着を表してファン泣かせの発言をした。

また、チーム内でもただの外国人選手という立ち位置の域を超えて伸び悩んでいる若手に熱心に指導し、新加入の外国人選手にも日本野球の特徴を教えたり、藤川がJFKのリーダーはジェフと言うあたりから人望の厚さも伺える。

こういった性格もあり引退表明には多くのファンから惜しまれた。
 


【その他】
・外国人最強セットアッパーとしてソフトバンクホークスの[[ブライアン・ファルケンボーグ]]と共に挙げられる。
・王監督に称賛されたばかりかホークスの海外担当のスカウトにジェフの様なピッチャーが欲しいとまで言わせた。
・メジャー時代に[[イチロー]]に頭部死球を与えている
・毎年夏に新聞会社へ宅配ピザのお中元を送っていた


追記・修正は背中から入ってくるスライダーにビビらなかった方だけお願いします。

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- 当時はルー・ポートのこともあったからまたハズレなんじゃないかと疑いの目で見ていたら、神のようなピッチングで優勝に貢献してくれた。あの時の感動は忘れない  -- 名無しさん  (2014-01-02 02:44:59)
- 右のファルケン、左のジェフ。縦のファルケン、横のジェフ。パのファルケン、セのジェフ。  -- 名無しさん  (2014-05-26 22:28:17)
- ステロイド購入してたけど国外だからセーフ  -- 名無しさん  (2014-11-10 04:30:13)
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