金本知憲

「金本知憲」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
金本知憲」を以下のとおり復元します。
&font(#6495ED){登録日}:2012/05/28(月) 23:20:21
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます

----
&link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧
&tags()
----


金本知憲は阪神タイガースに所属する[[プロ野球]]選手、外野手。
1968年4月3日生
右投左打

阪神タイガースで全盛期を迎えたため阪神の選手と思う人も居るが、プロのスタートは[[広島東洋カープ]]から。

92年にカープへ入団。
今でこそ超人的な肉体をものにしているがプロ入り当初は&font(#ff0000){転がして足を活かせ}と言われるほど身体が細くひょろひょろだった。
送球が前に飛ばず地面へ投げてしまうことから&font(#ff0000){「モグラ殺し」}と不名誉なあだ名もつけられてしまう。
この悔しさから筋力トレーニングを始め、功を成すこととなる。

95年からレギュラーに定着して24本塁打を記録、翌年には初のシーズン打率3割、97年には初のシーズン30本塁打を記録するなど中心選手となる。
2000年には日本プロ野球史上7人目となるトリプルスリー(3割30本30盗塁)を達成する。
2002年オフにFA宣言をして阪神へ移籍。
 

・阪神時代
03年は3番を打ち2番の赤星の盗塁をアシストするなど主軸として活躍し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献する。
日本シリーズではチームはダイエーホークスに負けたものの4試合連続でホームランを打ち敢闘賞を受賞する。
04年から新井に譲るまで不動の4番打者になりチームを牽引する。

同年は4年ぶりに3割30本を達成。この年に連続イニングフル出場(試合開始から試合終了まで交代せずに試合出場)の日本記録を更新。
更に左手首に&font(#ff0000){軟骨損傷}を追いながらも片手一本でヒットを打つなど超人ぶりを遺憾なく発揮する。

05年、この年が彼の全盛期であろう。
史上4人目の全球団から本塁打を達成。
当時と現在の現役選手では最多の32球場でホームランを放つ。
左打者に不利な浜風が吹き、ラッキーゾーン撤廃後の広い阪神甲子園球場で阪神タイガースの選手では初となる40本塁打を達成。
打線の核となり打率.327 40本塁打 125打点の自己成績を残して2年ぶりのリーグ優勝に貢献して文句なしのリーグMVPに選出される。
ホームランキングを争っていたが舎弟のつらi………[[新井さん>新井貴浩(野球選手)]]に敗れる。

06年は&font(#ff0000){連続イニングフル出場904試合の世界新記録を達成。}

しかし07年から怪我との戦いになる。
半月板損傷という重傷を背負いながら強行出場を続けたため他の部分への負担も出て衰えが隠せなくなる。

そして2010年、遂に事件は起きる。

オープン戦前の練習中に藤川俊介と交錯して右肩の棘上筋が分断する重傷を負うがまたしても強行出場。
しかし送球が&font(#ff0000){内野にすら届かず}、守備もとてもプロとは言えない程度になり、&font(#0000ff){鳥谷がレフトまで中継や守備に来たりすることから新ポジション、ショフト(ショート+レフト)を生みだしたり、介護と揶揄}されるようになる。
1500試合連続イニングフル出場を目の前にして、遂に自らスタメンを外すよう監督へ直訴する。
その後も連続試合出場記録(代打で1打席完了すれば記録に含まれる)の為に完治していない状況で試合に出続ける。
しかしこのせいで余計な失点を生み出しているのと若手選手の芽を潰しているとの指摘を受け、ファンや評論家から激しいバッシングを受ける。


これまで幾度となくバットでチームを救ってきた金本を非難するのは正直ファンも心苦しかったであろう…。
ちなみにこの記録は翌年、2アウトで代打の場面で打席に立ったが高校の後輩の藤川俊介が盗塁死してプレーを完了できなかったため&font(#ff0000){台無し}になりました。

※フルイニングに関しては球団側が1500試合フルイニング出場記念グッズを生産していたが目前で止まったため、商品はお蔵入り。経済面でも大打撃を受けてしまっていた。


・プレースタイル
全盛期はバットの&font(#ff0000){スイングスピードが150キロを超える}ほどの強打で、ホームランの打球もライナー性の物が多く打った瞬間に入ると解るものもあった。
打点王獲得や100打点も数度記録したりと勝負強さも便りになる。
無併殺打記録やトリプルスリーを達成するなど若い頃は俊足で膝を壊すまでも足は速い部類だった。
守備は上手くはないが飛び込んでキャッチするなど積極性な一面も見られた。
 

・人物
新井を始めとした後輩いじりやいたずらが有名でオールスターゲームで藤本(現スワローズ)に松井稼頭央を紹介する際に「大きい声では言えないが実は来季は阪神へ来ることになっている」と嘘を吹きこんだところ、やっとレギュラーを掴んだ藤本は本気にして試合中ずっと半泣きになっていた。
ちなみにそれを見かねた中日の福留が藤本を心配していた。

両親が韓国人で、金本も在日韓国人であったが結婚する際に日本人へ帰化した。
ファンやマスコミからの愛称はアニキ、ちなみに兄弟の中では末っ子。
清原和博の大ファンでもある。


・主な記録
連続試合フルイニング出場 &font(#ff0000){1492試合 (世界記録)}
連続イニング出場 &font(#ff0000){13686イニング (世界記録)}
連続4番先発出場 880試合 (日本記録)
&font(#ff0000){連続無併殺打 1,002打席 (日本記録)}
月間2度の3打席連続本塁打:2009年4月8日-4月10日 (プロ野球史上初)
全試合出場で規定打席未到達(2010年)プロ野球史上初
10,000打席到達 (史上8人目・大卒選手では史上初)
全球団から本塁打
通算475本塁打(歴代10位)
 
正直記録に関してはキリがないので本家wikiの観覧を推奨する。記録のデパートである。
 

<エピソード・豆知識>

・頭部死球を受けても試合に出続ける鉄人ぶり。次の打席で普通にホームランを打った。ちなみに当てた木佐貫が謝りに来た時も&font(#ff0000){「気にするな、また投げてこい」}で済ませる寛大さ。

・東京ドームの看板を直撃するホームランを打った。

・プロ野球史上初となる月間2度の&font(#ff0000){三打席連続ホームラン}の新記録を打ち立てるなど毎年4月は打棒爆発することが多い。

・調子が良い時の悪戯の矛先はコーチにまで向くこともある。

・試合中にベンチで喫煙しているところが映されてアンチに&font(#ff0000){ヤニキ}という不名誉なあだ名をつけられる。

・長打力はチームでも上位で低反発球が導入された2011年も2桁本塁打を記録したり2010年は打席数が圧倒的に少ないのに新井とホームラン数がほとんど変わらない。しかし打率が低いためこれが金本を扱い辛い理由にしているとの指摘もある。

・練習に真面目に取り組む姿は若手の意識を変え、ダメだった阪神を優勝争いをするチームに変えたと言われており走塁に意識が無かった鳥谷も金本に叱責されたことで意識が変わったと語っている。[[ダルビッシュ>ダルビッシュ有]]も渡米前にトレーニングを見に来る等他チームの選手からも尊敬を集めている。

・カープから移籍した江藤がビジターで広島市民球場に来たときにファンから激しく野次られたのを見て、自分もそうなってしまうのではないかと不安だったと明かしているが、暖かく迎え入れられて安心したと語っている。しかし舎弟の辛いさんはry

・半月板損傷や右肩の棘上筋分断は通常の選手なら確実に選手生命終了の大怪我である。
しかし2012年、衝撃の事実が発覚する。
医者曰く「棘が完全に切れたのに新しい膜が出来てる」とのこと……鉄人とか兄貴だからで済ませられるレベルの不思議じゃねえぞ。
&font(#ff0000){しかも本塁まで送球できる様になっている。}
マジで人間なんですかね…。
 

2012年9月12日、ついに現役引退を決意。
午後4時頃から緊急記者会見にを開いた。

21年のプロ野球人生の中で誇りに思うことは、フルイニング出場や安打数よりも連続無併殺打記録だと語った。 

&font(#ff0000){New!↓}
2012年10月9日、対横浜戦で4番左翼でスタメン出場
4打数1安打1盗塁
という記録を残し、ファンに惜しまれつつも21年間のプロ生活に幕を下ろした。

尚、最後のスピーチで横浜に対して辛口トークを行った。




追記・修正お願いします。
----
&link_up(△)&aname(メニュー,option=nolink){メニュー}
&link_edit(text=項目変更)&link_copy(text=項目コピー)&link_diff(text=項目変更点)&link_backup()&link_upload(text=アップロードページ)
----
#right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600)
}
#center(){&link_toppage(-アニヲタWiki-)}

#comment

復元してよろしいですか?