やしきたかじん

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&font(#6495ED){登録日}:2017/08/12 Sat 08:47:45
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関西を中心に活躍した歌手・司会者・ラジオパーソナリティ。
関西を代表するローカルタレントの一人と紹介されるが、一時期は東京でも活動していた。
ちなみに「やしきたかじん」というのはれっきとした本名であり、漢字だと「家敷隆仁」と書く。

**概要
1949年10月5日生まれ、[[大阪府]]大阪市出身。

本業は歌手だが、当初はなかなか売れず、なんとかして客の気を引くために磨き上げたトークの面白さが評価され、
次第にラジオ番組のパーソナリティや情報バラエティ番組のMCに抜擢されるようになる。
トークの面白さに定評がある歌手は少なくないが、たかじんのそれはもはや歌とトークの比重が完全に逆転し、歌手である事すら忘れられてしまうほどであった((彼と似たような歌手で同じく大阪出身の円広志がおり、共演の機会も多かった))。

その後、知名度が上がるにつれて本業の歌手活動も評価されるようになり、歌手と司会業の二足の草鞋を履くようになって芸能界でも一目置かれる重鎮となる。
氏の番組はいずれも高視聴率を誇り、「&bold(){ナニワの高視聴率男}」のキャッチコピーでも知られた。
関西の民放5局全てで冠番組を持った司会者は現在までたかじんが唯一である((たかじんと双璧をなす存在として知られた[[上沼恵美子]]でさえ、テレビ大阪でのレギュラー番組を持ったことがない。但し上沼は氏の嫌っていたNHKの番組に数多く出演しており、1994・1995年には紅白歌合戦の司会も担当している。))。

芸能界でも人脈の広さは有数であり、同業者は勿論のこと政治家にも友人・知人がいた。
ただし普段の言動から嫌われることも多く、民事訴訟レベルの争いに発展することも多々あった。

トークの腕もあって、バラエティ番組に出演している時には芸人にしか見えないのに、
歌手としては同一人物とは思えないほど美しい声でラブソングを歌いあげるという凄まじいギャップから、
しばしば&bold(){「スズムシの声を持ったゴキブリ」}と評される。


**人物
在日韓国人の父と日本人の母の間に生まれる((このことは死後初めて公表された))。
父は在日韓国人であるものの日本の国粋主義者であり((息子に「隆仁」という名前を付けたときも、「たかひと」だと天皇家を想起させて畏れ多いため「たかじん」という読み方にしたと言われている。))、また現在に続く事情からか事実婚の関係だった。
下の兄弟に教頭にまで出世した教職員がおり、兄の問題行動に常に困らされていたという。((両親のことを嫌っていたといわれるくらいに、たかじんの人生に多大な影響を与えていると思われる。))

派手好き、遊び好き、豪胆な毒舌家として知られる一方で繊細な一面もあり、
ステージではストレスから来るプレッシャーで何度も倒れそうになっていたとされ、本当は小心者で寂しがり屋でもあった。
歌手としても、繊細な持ち味の曲を得意としていた。

典型的なイッチョカミ体質((大阪弁で「何にでも口をはさむ人、首を突っ込みたがる人」の意。))で、自宅に設置してある大量のビデオデッキやHDDレコーダーでテレビ番組を片っ端から録画し、トークのネタにするための情報収集に励んでいた。
話題の守備範囲は幅広く、トークのジャンルは芸能界の構図、政治・経済、キャバクラなど風俗の裏事情、ハワイ観光のノウハウなど多岐に及ぶ。

学歴は桃山学院高校卒業、桃山学院大学中退(後に龍谷大学に再入学するも、そこも中退している)。
高校時代に所属していた新聞部はコンクール受賞の実績を残しているが、たかじんの暴走によって廃部へと追い込まれたらしい。
以来、桃山学院高校では、在校生が文化祭のゲストとして彼を呼ぼうとした時も教員側が断固拒否するなど、やしきたかじんの存在をすっかり黒歴史化してしまった。

暴走気味の行いから引き起こされた騒動は数知れず、機嫌を損ねると収録中でも帰ってしまうことがあり、スタッフや共演者は戦々恐々としていた。
かつて仲良く共演していた間柄のタレントと敵対関係((大竹まこと、トミーズ雅など))になっていることも珍しくなく、ファンや高く評価してくれていた人とは知らずに誹謗中傷してしまったがために共演を拒否されることもあった((桑田圭祐など))。

大阪ローカルタレントとして不動の地位を築いたたかじんは、90年代に東京に進出したこともあるが、彼自身の問題もあり失敗。
以降は東京を嫌い続けるスタンスを貫いていた。((ただし東京の街そのものを嫌っていたわけではなく、キー局の雰囲気を嫌っていただけであり、私用で滞在していることはあった。))
自身の関西での看板番組を東京にネットするのを拒絶するレベルだった。((但し、関東各県のUHF局が番組購入しているのは咎めていなかった。))

かねてからNHK嫌いである上に東京嫌いであり、反権威的なイメージが強い一方で、
権威ある相手から評価されると一気になびく面もあり、かつて痛烈に批判した[[ビートたけし]]から評価されると一転してベタベタの関係になる等、その点でも批判されていた。

政治的には保守、極右のスタンスであり、その傾向が顕著な番組として、よみうりテレビの『たかじんのそこまでいって委員会』があるが、
それ以外の自身の看板バラエティ番組でも似たような政治色が強く、それによって政治思想的にたかじんを評価するものもいれば逆に嫌う視聴者も増えていた。((彼の尽力で安倍晋三が復活、再登板することとなったり、橋下徹が大阪府知事、後に市長になる等、大阪はおろか日本全国における政治面でも影響力を出してしまっている。たかじん死後も関西の彼の影響を受けた極右傾向の番組はいまだ健在であり、またたかじん経営の番組制作会社製作の『ニュース女子』等、地上波レベルでも極右系統の政治番組を増やす影響を残している等、大阪はおろか日本全体の右傾化の立役者となっている。))

前述どおりに若い頃からNHKを非常に嫌い、タレント初期にレギュラー番組を持っていた朝日放送も嫌うようになる((ただ、個人的関係という点で評価する者を嫌いまではせず、朝日放送の局アナだった宮根誠司のフリー転身の手助けをしている。))。

大のハワイ好き・競馬好きでありハワイは1年の1/4から1/3を過ごすほど、競馬は中央競馬に馬主登録して6頭の馬主を経験するほど。
ただ馬主を経験する中で以下のようなバカ馬に当たったこともあるという。
-閉所恐怖症でゲート試験に合格できず、競走デビュー不能
-競走馬は負けん気の強さも大事だが、負けん気が強すぎて他の馬に噛み付く
-虚弱体質でレースに出られない
-最後に所有したドンコルレオーネは中央時代は全く芽が出ず、別の馬主に売却して地方の園田競馬場に転籍した途端10連勝する


**歌手としての作風
デビュー当初はいわゆるフォークのような楽曲を歌っており、レパートリーは本人による自作曲が中心であった。主な代表曲は、デビュー曲の「[[ゆめいらんかね]]」など。
その後、レコード会社をキングレコードからビクターに移し、自作曲よりも本業の作詞家・作曲家から提供された歌謡曲がレパートリーの中心となる。
たかじんの曲の中でも知名度が高い「やっぱ好きやねん」はこの時期に歌われた曲である。
ちなみに、機動戦士ガンダムの「砂の十字架」を歌うことになったのはちょうどこの過渡期にあたる。

ビクター時代のそれは、バラード系ポップスでありながらもどこか演歌のような味わいも兼ね備えており、
「自分の夢をどこまでも追いかけようとする男」と「ひどい目に遭わされながらも、そんな男を信じて愛し続ける女」という構図の曲が多い。

たかじん本人の音楽の好みは保守的な部類に入り、シンセサイザーに頼った音楽や、詩的な表現を廃した話し言葉中心の歌詞などは嫌っていた。
特に歌詞については並々ならぬこだわりを持ち、業界では「&bold(){作詞家泣かせのたかじん}」と恐れられていたといい、
たかじんの楽曲の作詞を数多く手掛けた作詞家の鹿紋太郎によれば、新曲づくりの際はたかじんの家に半月ほど泊まり込んで作業をすることもあったという。

そのことから、まだ若手だった頃の秋元康は「アンタの作る歌詞は『詞』ではなくてただの文章や」と手酷いダメ出しを喰らったことがあるという。((のちに秋元は当時の状況を振り返り「たかじんさんはこだわりの強い人なので、満足させる歌詞を出すのは至難の業」と語っている))
その後、皆の知るとおり秋元康は大物作詞家・プロデューサーとなったため、自分の先見性のなさを恥じていたたかじんだったが、
ある企画がきっかけで歌詞を提供してもらうことになり、ついでに当時詐欺事件の渦中にいた小室哲哉にも再起の機会を与えるべく作曲を依頼。
その結果、作詞が秋元康、作曲が小室哲哉という豪華な布陣による「その時の空」という曲が誕生し、これがたかじん最後の新曲となった。


**死去
酒や遊びなど、お世辞にも健康的とは言いがたい生活を送っていたのが災いしてか、2012年にとうとう食道がんを患い、以後療養生活に入った。
復活を目指し、2013年3月に一旦復帰するも同年5月に再び休養生活入り。その後も復活を目指していたが、2014年1月3日にこの世を去った。享年64歳。
その死は関西を中心に冠番組が放送されていた地域では衝撃を持って受け入れられた。
なお、東京嫌いで知られた氏であったが、皮肉にも亡くなったのは東京都内の病院であった。

死去が公表されたのは1月7日のこと。
これは生前「めでたい気持ちで迎えている正月に、自分の訃報で多くの人に悲しい思いをさせたくない」という本人の意向から。

彼の死後も冠番組はそのまま続いていたが、[[テレビ大阪]]の『たかじんNOマネー』以外は番組名から「たかじん」を外し、NOマネーも2015年に放送を終了した。
一方で、『たかじんのそこまで言って委員会』も2015年に『そこまで言って委員会NP』と「たかじん」の名を外しつつも、番組自体は続いている。

死去後、[[百田尚樹]]の『殉愛』で一騒動起きたのは周知の事実。((たかじん自身の家族問題はかねてから劣悪そのものであり、その結果百田に食い物にされたといえる。自業自得極まりである。))


**生前のエピソード
-大相撲大阪場所開催期間中、多くの幕内力士と飲みに出たが飲みに行った幕内力士が&bold(){ただ一人の例外もなく、全員怪我で休場に追い込まれた。}
-話のタネにと訪れたぼったくりバーに入店したものの、ぼったくりで要求された金額が予想以下のものだったために激昂して相手の要求額を大幅に上回る金額を支払い、店側をドン引きさせている。
-あるホテルのディナーショーの形式に不満を持ち、キャンセルをしたが違約金600万円を請求された。&br()これに対して「上等やないか!」とホテルに乗り込み&bold(){「600万でええんやな。ディナーショーやめさせてもらうわ」}と札束を投げ出し帰った。&br()この対応にホテル側は大慌て。対応策を示して何とかディナーショーを開催することが出来た。
-京都会館でコンサートを開いた時のこと。&br()ステージ上にはタバコと水割りを用意し、水割りが無くなるとボーイが取りに行くという形式で、代表曲が殆どなかった当時は延々としゃべり続けた。&br()その状況が延々と続いたために演奏中に京都会館の人間に電源を切られ、&br()楽器の音と照明が消えると最後には緞帳を強制的に下ろされ、数年出入り禁止になった。
-自身のレギュラーラジオ番組にて、音楽グループ「[[ECHOES]]」がゲスト出演した際、ボーカルの[[辻仁成]]の横柄でやる気のない態度((質問されても無視したり、「CD買ってもらえば分かります」としか答えない等))に、&br()&bold(){「そんなんやったらわざわざここへ来んと、CDだけ売っとったらええやろ!」とブチ切れて、録音を強制終了させ譜面台を投げつける}等、騒然となった((後年、辻はたかじん死去報道に際しこの件に触れ、当時の自分が若気の至りであのような行動に出ていたことを反省するコメントを発表している。))。&br()この一件は当時梅田の阪神百貨店にあった松下電器のショールームからの公開録音中に起きた出来事のため、大勢の観客がその様子を目撃していたが、&br()観客からは&bold(){非難されるどころか拍手喝采だった}という。&br()また、ラジオにはアシスタントとして&s(){頭に注射を打った}泰葉も出演していたが、泰葉も止めるどころか「やっちゃってください」とたかじんを煽っていた。
-東京進出の際に、深夜番組『M10』にて番組スタッフのミスが原因とはいえ常軌を逸したレベルで激昂して番組を破壊した過去がある。((後に味の素騒動と呼ばれる。))
-顔が[[吉本新喜劇]]の&s(){ポット}帯谷孝史にそっくりであり、両者対面の企画が行われたこともある。


**歌手としての代表曲
-[[やっぱ好きやねん]]
-[[ゆめいらんかね]]
-[[大阪恋物語]]
-[[東京]]
-[[最初から今まで(「冬のソナタ」の主題歌の和訳カバー)]]
-[[そのときの空]]
-&font(l){[[砂の十字架]]}


**代表的テレビ番組
-[[たかじんnoばぁ~]](よみうりテレビ)((深夜番組故に東京でも放送されていた。また、「飛ぶクスリ」でもパロディの元ネタになっていた))
-[[たかじんのそこまで言って委員会]](よみうりテレビ)
-[[たかじん胸いっぱい]](関西テレビ)
-[[たかじんNOマネー]](テレビ大阪)


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- ぼったくりバーで話のネタにならんからもっとぼったくれって切れる人  -- 名無しさん  (2017-08-12 16:48:59)
- 味の素ブチギレ事件すき  -- 名無しさん  (2017-08-12 17:09:34)
- よくまぁ芸能界で最後までやっていけたな。  -- 名無しさん  (2017-08-12 19:10:20)
- そんな破天荒な彼も晩年は病気も関係していたのか、殉愛の騒動の原因となった女性と……  -- 名無しさん  (2017-08-13 01:31:05)
- ↑2 横山やすしの破天荒さに比べたら大したことないからやっていけるだろ。  -- 名無しさん  (2017-08-13 13:47:36)
- むしろ これくらいでないと芸能界は生き残れないだろうな  -- 名無しさん  (2017-08-13 23:00:50)
- 少なくとも裏表はなかったからなあ・・・  -- 名無しさん  (2017-08-14 14:20:22)
- 今でも北新地じゃ伝説の人だしな。 飲み屋に使う金は『西のビートたけし』って言われるぐらい凄かった。  -- 名無しさん  (2017-08-14 16:34:07)
- グループ魂の曲につっこみまくるエピソードは今でも覚えてる。  -- 名無しさん  (2017-08-14 16:36:50)
- この人の経歴とかで思うのは、今なお存在し、より悪化させられている在日韓国人や朝鮮人の複雑な立場。  -- 名無しさん  (2017-08-17 13:04:20)
- ドナルド・トランプみたいのと気が合いそう。  -- 名無しさん  (2017-08-24 11:20:16)
- 同じ系統の歌手に円広志がいる。 観客は円の歌を聴きに来るんじゃなくて2~3曲我慢した後のトークを聴きに来るのは引退した某怪物MCや本人もネタにするほど。  -- 名無しさん  (2018-08-05 12:04:27)
- 砂の十字架に関しては…、「やる夫 砂の十字架」でググった方が早いか。まとめサイトが更新停止しててクロームだとずれるんだよなあ。  -- 名無しさん  (2018-08-05 12:08:55)
- 今思うと殉愛ってパワーワードすぎる  -- 名無しさん  (2018-08-23 11:40:07)
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