第二次中東戦争

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第二次中東戦争 - (2015/08/17 (月) 22:19:14) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/06/07(火) 23:28:41
更新日:2024/03/10 Sun 19:03:12
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汚いな流石大国きたない


第二次中東戦争
通称「スエズ動乱」
期間1956年10月29日〜1956年11月08日

・主要交戦国
エジプト

VS

イスラエル
イギリス
フランス




交易の要衝スエズ運河の権利をめぐり、エジプトイスラエル、イギリス・フランスの間で起きた戦争。




  • 前説
スエズ運河&エジプト革命について

スエズ運河はヨーロッパとインド・アジアを結ぶ交易の要衝。
北にポートサイド、南にイスマリア港を持つ。

1850年半ば、フランスはエジプト総督のサイド・パシャに「スエズ運河建設の有用性と伴う利益」を説く。


これを聞いた総督は
国庫が潤うよ!
やったねパシャちゃん!
と両手を上げて承認。

小麦の高騰等で潤っていたエジプトは、フランスと折半ながらも工費の資金繰りも順調。
10年に渡る工事の末、遂にスエズ運河は完成。

東西の結婚式』と名打たれた落成式には各国の貴人要人が参列。
大々的に行われた。


しかし、これが気に入らない大国が一つ。
フランスが嫌い嫌いで仕方ない国、イギリスである。
何よりも、運河完成によって希望峰回りの航路の価値が激減したことが問題だった。

イギリスは事ある毎に因縁付けては運河への嫌がらせを繰り返す。

それもあってか運河の利益は予想を下回り、更に小麦高騰も落ち着いてエジプトの国庫は次第に傾いていく。


1875年遂にエジプトは運河の株売却を決定。
この事をロスチャイルドから聞いたイギリスは、400ポンドで株の約50%を購入し筆頭株主の座をget。
その後も何かにつけてエジプトに対して軍事介入を行いエジプト王室は半ばイギリスの傀儡と化し、遂には『保護国』として半植民地と化した。


この時点で既に王室に対する国民の怒りギリギリMaxheartだったのというのに、
飛んで1949年の第一次中東戦争、エジプト軍を指揮していた王族高級将校等はイスラエル軍大攻勢を受けるや兵を置いて勝手に遁走。
指揮を欠いたエジプト軍は大壊走。

ぶっちゃけありえな〜い
と、遂に軍部にすら見放されてしまい1951年にナセル中佐率いる『自由将校軍』の手により無血クーデターが起こり、王政が廃止。

臨時大統領にナギブ将軍が選ばれ、ナセル中佐はその補佐として就任。


新体制の元「アスワン・ダム」建造等、近代化を進めていく。


しかし、金に取り付かれたナギブ将軍は旧支配者等と関係を深めていき、近代化を進めるナセルを疎んじるようになる。

明けて1953年、ナギブはナセルの暗殺を計画。
これを未然に察知したナセルはナギブを政界より追放。

正式に大統領へ就任し、自らの手でエジプトの近代化…そしてイギリスからの脱却、真の独立を果たすことを決意した。




  • 本編
ナセルはまず、エジプト保護の名目で居座るイギリスを撤兵させる。

次に西側東側どちらにも属さない第三の勢力として中東諸国の結束を呼びかける。


この辺りから、エジプトの台頭を警戒する西側諸国はエジプトへの兵器輸出を渋りだす。
困ったエジプトは東側に接近。



ソ連製の兵器をチェコ経由で購入しだした。


エジプト台頭は困るが共産化はもっと困る。
西側諸国はエジプトへの融資を停止し恫喝。

これにブチ切れたエジプトは、なんと『スエズ運河の国有化』という強硬手段にでる。

ヨーロッパへの石油の7割が通るスエズの掌握はヨーロッパ経済の掌握でもある。


この行為に「ぷっちーん」と来たイギリスフランス。
しかし、物事を戦争で片付ける時代は既に終わっている。

悩んだ末、一つの国に白羽の矢を立てた。
戦争してもあまり怒られない国
中東の特異点
ことイスラエルである。

イギリス・フランス・イスラエルは密約をかわした。
シナリオはこうである。




発作を起こしたイスラエルがスエズ運河辺りまで侵攻

偶然近場で待機していた英仏が「平和維持」に進駐

�両軍が引かない仕方無いからスエズ運河は英仏主導で国際管理としよう


ってな訳である。




そんなこんなで1956年10月29日。
打ち合わせ通りイスラエルがスエズ運河へ侵攻。
第二次中東戦争勃発である。


エジプトはソ連製の近代兵器を装備したとはいえ、イ英仏の三カ国相手には太刀打ちできず、
シナイ半島・運河のみならず、エジプト本国まで爆撃に曝された。
エジプトの降伏は目前と思われた。

だが11月に入り、双方予想外の事態が起きた。


米「おっと、それ以上の狼藉を働くのなら私が相手だキリッ


アメリカからエジプトへの助け舟である。



実は同時期、東側のハンガリーにて民主化デモがソ連の軍事介入により潰された…所謂「ハンガリー動乱」が起こっており、
アメリカはコレを例に「東側の恐ろしさ」を諸国に説いていた所、中東で西側の連中が同じ様なことをやっている。

で、
アホか!!
と突っ込んだ訳である。あとこの時期(11月)はアメリカ大統領選挙があったので、再選を狙ってたアイゼンハウアーはごたごたを起こしたくなかった。



西側の親玉に怒られた三国は早々にエジプトと停戦協定を結び撤収。

前説ばかり長かった第二次中東戦争は早々に幕を閉じた。




・その後
ズタボロにやられたエジプトだが、当初の目的であった、
イギリスからの脱却
を果たし、更にスエズ運河の権利をget。

結果ナセルは「中東の星」として一躍名を上げる。


イスラエルはエジプト軍から多数の兵器物資をget。
更に砂漠における戦車の重要性を痛感し、以降国防の方針となる。



英仏は戦費ばかりが嵩んで得る物は何もなく、くたびれ損に終わる。



アメリカは「アイゼンハワードクトリン」を打ち立て中東に対して、
困った事があったら何でも言ってくれ(キリッ
と残し去っていった。
一番困っている懸案はイスラエルです
誰か何とかして下さい




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