登録日:2011/06/07(火) 23:28:41
更新日:2024/03/10 Sun 19:03:12
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「汚いな流石大国きたない」
第二次中東戦争
通称「スエズ動乱」
期間1956年10月29日~1956年11月08日
主要交戦国
エジプト
VS
交易の要衝スエズ運河の権利をめぐり、エジプトとイスラエル・イギリス・フランスの間で起きた戦争。
前説
スエズ運河&エジプト革命について
スエズ運河はポートサイドとイスマリアの港を結ぶ、ヨーロッパとインド・アジアを結ぶ交易の要衝である。
1850年半ば、フランスはエジプト総督のサイド・パシャに「スエズ運河建設の有用性と伴う利益」を説く。
これを聞いた総督は
「国庫が潤うよ!」
「やったねパシャちゃん!」
と両手を上げて承認。
小麦の高騰等で潤っていたエジプトは、フランスと折半ながらも工費の資金繰りも順調。
10年に渡る工事の末、遂にスエズ運河は完成。
『東西の結婚式』と銘打たれた落成式には各国の貴人要人が参列し、大々的に行われた。
しかし、これが気に入らない大国が一つ。
フランスが嫌いで嫌いで仕方ない国、イギリスである。
何よりも、運河完成によってアフリカ最南端希望峰回り、即ちイギリス領のケープタウンを経由する航路の価値が激減した事が問題だった。
イギリスは事ある毎に因縁付けては運河への嫌がらせを繰り返す。
それもあってか運河の利益は予想を下回り、さらに小麦高騰も落ち着いてエジプトの国庫は次第に傾いていく。
1875年にエジプトは遂に運河の株売却を決定。
この事を聞きつけた
イギリスは、400万ポンドで全40万株の約44%を購入して筆頭株主の座をget。
この際に情報と資金をロスチャイルド家から得ている。
しかしエジプト財政には焼け石に水。
その後も何かにつけてエジプトに対して経済・軍事介入を行い、エジプト王室は半ばイギリスの傀儡と化し、遂には保護国として半植民地と化した。
この時点で既に王室に対する国民の
怒りはギリギリだったのというのに、飛んで1949年の
第一次中東戦争で、エジプト軍を指揮していた王族・高級将校等はイスラエル軍大攻勢を受けるや兵を置いて勝手に遁走。
指揮を欠いたエジプト軍は大壊走。
「ぶっちゃけありえな~い」
と、遂に軍部にすら見放されてしまい、1951年にナセル中佐率いる『自由将校軍』の手によって無血クーデターが起こり、王政が廃止。
臨時大統領にナギブ将軍が選ばれ、ナセル中佐はその補佐として就任。
新体制の元アスワン・ダム建造等、近代化を進めていく。
しかし金に取り付かれたナギブ将軍は、旧支配者等と関係を深めていき、近代化を進めるナセルを疎んじるようになる。
明けて1953年にナギブはナセルの暗殺を計画し、これを未然に察知したナセルはナギブを政界より追放。
正式に大統領へ就任し、自らの手でエジプトの近代化…そして
イギリスからの脱却、真の独立を果たす事を決意した。
本編
ナセルはまず最初に、エジプト保護の名目で居座る
イギリスを撤兵させる。
次に西側東側どちらにも属さない第三の勢力として、中東諸国の結束を呼びかける。
この辺りからエジプトの台頭を警戒する西側諸国は、エジプトへの兵器輸出を渋りだし、困ったエジプトは東側に接近。
ソ連製の兵器をチェコスロバキア経由で購入しだした。
エジプト台頭は困るが共産化はもっと困る為、西側諸国はエジプトへの融資を停止して恫喝を行う。
これにブチ切れたエジプトは、なんとスエズ運河の国有化という強硬手段にでる。
ヨーロッパへの石油の7割が通るスエズの掌握は、ヨーロッパ経済の掌握でもある。
この行為に「ぷっちーん」と来た
イギリス・フランスだが、物事を戦争で片付ける時代は既に終わっている。
悩んだ末、一つの国に白羽の矢を立てた。
「戦争してもあまり怒られない国」
「中東の特異点」
ことイスラエルである。
イギリス・フランス・イスラエルは密約をかわした。
シナリオはこうである。
1.発作を起こしたイスラエルがスエズ運河辺りまで侵攻
2.偶然近場で待機していた英仏が「平和維持」に進駐
3.両軍が引かず、仕方無いからスエズ運河は英仏主導で国際管理としよう
そんなこんなで1956年10月29日。
打ち合わせ通りイスラエルがスエズ運河へ侵攻。
第二次中東戦争勃発である。
エジプトはソ連製の近代兵器を装備したとはいえ、イ英仏の三カ国相手には太刀打ちできず、シナイ半島・運河のみならず、エジプト本国まで爆撃に曝された。
エジプトの降伏は目前と思われた。
だが11月に入り、双方予想外の事態が起きた。
米「おっと、それ以上の狼藉を働くのなら私が相手だ(キリッ」
アメリカからエジプトへの助け舟である。
実は同時期、東側のハンガリーにて民主化デモがソ連の軍事介入により潰される、所謂ハンガリー動乱が起こっており、アメリカはコレを例に東側の恐ろしさを諸国に説いていた所...だったのだが、中東で西側の連中が同じ様な事をやっている。
で、
「アホか!!」
と突っ込んだ訳である。
他にも三国はエジプト侵攻をアメリカは支持または黙認してくれると思い、アメリカに通告せず戦争を始めた事によって
東側の中東への影響拡大、下手すればアメリカは関係ないのに第三次世界大戦に発展する可能性から、アメリカはこれを危惧して停戦を通告した。
さらにこの時期はアメリカ大統領選挙があったので、再選を狙ってたアイゼンハワーはごたごたを起こしたくなかったのもある。
そしてもう1つ助け舟を出す国があった
ソ連「
いい加減にしろよお前ら」
東の親玉・ソ連もこの争いに参入。
こちらは停戦しなければ、三国に対して
武力行使も辞さないと直接的に警告。
冷戦中にもかかわらず、
米ソ両国の理解が一致して協力するという事態が発生した。
東側のみならず西側の親玉にも怒られた三国は早々に撤収…
するかと思えば、国連の常任理事国である英仏が停戦決議に対して拒否権を行使。
機能が麻痺した国連安保理にかわって、「平和の為の結集決議」制度によって国連緊急特別総会が招集される。
米ソ両国の圧力もあり、ようやく三国は停戦受諾して撤退。
さらに当時のカナダ外務大臣レスター・B・ピアソンが提案した、国際連合初のPKOとなる第一次国際連合緊急軍・通称「スエズ国連軍」が創設され、エジプト側に展開して停戦監視を行った。
前説ばかり長かった第二次中東戦争は早々に幕を閉じた。
その後
ズタボロにやられたエジプトだが、当初の目的であったイギリスからの脱却を果たし、さらにスエズ運河の権利をGet。
結果ナセルは「中東の星」として一躍名を上げ、大国と渡り合ったエジプトは中東での発言力が上昇。
第三次、
第四次中東戦争にかけて中東での立場を確立させてゆく。
一方、イスラエルはエジプト軍から多数の兵器物資を鹵獲。
さらに砂漠における戦車の重要性を痛感し、増強に着手。
センチュリオンの導入やメルカバの開発に力を注ぐようになる。
また航空機による敵基地攻撃を戦端とするドクトリンも策定し、
第三次中東戦争では大戦果を挙げる事となる。
英仏は戦費ばかりが嵩んで得る物は何もなく、くたびれ損に終わる。
イギリスはイーデン首相が半狂乱になり、泣きながら辞任を表明し、おまけに自国通貨のポンドが大幅に値下がりして経済的に弱体化し、アメリカ追従を余儀なくされた。
一方のフランスは米ソ両大国以外の第三勢力として、ド・ゴール主義に代表される独自の外交路線を打ち出す事となる。
アメリカはアイゼンハワードクトリンを打ち立て、中東に対して「困った事があったら何でも言ってくれ(キリッ」
と残し去っていった。
「一番困っている懸案はイスラエルです。誰か何とかして下さい」
- やったー米帝かっこいいー -- 名無しさん (2016-01-20 15:02:34)
- あれ?400万ポンドじゃなかったっけ -- 名無しさん (2017-10-26 04:07:49)
- 結局、ナセルにとって試合に負けて勝負に勝ったというオチ -- 名無しさん (2018-12-22 23:03:07)
最終更新:2024年03月10日 19:03