登録日:2011/06/06(月) 20:23:45
更新日:2024/12/25 Wed 17:33:50
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『確かにユダヤ人の歴史は同情すべきものである…
しかし、だからと言って我々が黙って殴られなければならない謂われは無い』
第一次中東戦争
通称「パレスチナ戦争」
1948年5月15日〜1949年2月24日
・主要交戦国
イスラエル
vs
エジプト
ヨルダン
シリア
レバノン
イラク
イスラエルの建国とそれに反発した中東諸国の間に起きた戦争。
ユダヤ人の悲願が果たされた日にしてアラブ人の悪夢の始まり。
イスラエル側の呼称は「独立戦争」。
アラブ側の呼称は「大災害」。
現在もなお続く両者による対立と悲劇はここから始まってしまった…。
とも言えるが、あるいは「前説」の通りここに到るまでには二千年以上の積み重ねもあるので、この戦争を含めて全て、なるようにしてなった結末と言えるかもしれない。
発端と原因は遡るときりがないが、ざっと分かりやすく説明しよう。
元々パレスチナは今から約2000年前にユダヤ人が住む王国があったが、
ローマ帝国によってその王国は滅ぼされてしまう。
この時にユダヤ人はパレスチナを追い出されて世界に散り散りとなっており、これを「ディアスポラ」と呼ぶ。
後にこのパレスチナの土地には後に『パレスチナ人』と呼ぶアラブの人々が住む事となる。
散り散りバラバラになったユダヤ人達は主にヨーロッパ等に住むが、その時ヨーロッパは
キリスト教が普及しており、
ユダヤ教を信じるユダヤ人は
イエス・キリストを十字架にかけて処刑した者の子孫として迫害・差別を受けてしまう。
やがて時が経ち、19世紀にユダヤ人達はかつて王国があったパレスチナの地に戻ろう、国を作ろうという運動、『シオニズム運動』を起こす事になる。
第一次世界大戦にて「ユダヤ資本」、ロスチャイルド家の莫大な資金提供を受ける為、ユダヤ人の為の国家の建国に協力する事を約束したのである。
これが世に言うバルフォア宣言である。
しかし実はイギリスは『これからの時代は石油、石油を手に入れば勝ち組だろ!』と石油利権を手に入れるべく、ヨルダンを当時支配していたオスマン帝国を内部崩壊させようとして、アラブ人達に対してヨルダンの独立を既に承認していた。
しかもこのヨルダンの領土にはイスラエルの聖地でもある「パレスチナ」が含まれていたのである。
これに対してイスラエルは「ユダヤ人に対する裏切りである」と激怒し、駐留していたイギリス軍へのテロ活動を開始した。
この状況に手を焼いたイギリスは国連にパレスチナの統治問題を委任。
「んじゃ、国連さん、後始末よろぴく」と撤収していった。
ちなみに第一次世界大戦の際に、上記の密約を交わす為にパレスチナに送り込まれたイギリス人の情報将校で、『砂漠の英雄』と呼ばれたトーマス・エドワード・ロレンスはこう嘆いたという。
『アラブ人を欺いてきた私は、名誉となる事は何一つしていないと思う。多くの人間を火中に投じて最悪の死に至らしめる事になったのだ』
ともあれ問題を丸投げされた国連…特に米ソは、先の大戦でのプロパガンダの手前イスラエルには甘々であり、『パレスチナを3等分してアラブ人・ユダヤ人・国連で分割統治』を決定。
このイスラエルの優遇にアラブ諸国は、
「人口比率的に地割りはおかしいだろ」
とか
「つーかアブラハムの子孫じゃない連中がなんで土地を占めるんだよ」
と不満が爆発。
さらに双方民間人虐殺事件等の小競り合いがデッドヒートした結果、多数のパレスチナ人が難民となって周辺国へ流入して経済混乱が発生し、さらなる不満が蓄積されていった。
1948年5月14日、イギリスが中東より撤退を開始した。
それに伴いイスラエルは遂に独立宣言。
それと同時にエジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラクの5ヶ国がイスラエルに対して一斉に宣戦布告。同時に軍事侵攻も開始し、5ヶ国の軍が一斉にイスラエル領内になだれ込んだ。
遂に第一次中東戦争の火蓋が落とされた。
・本番
当時、独立の条件として軍備を禁じられていたイスラエル。
兵力差は正規兵15万に対して民兵3万。
頼りになるのは密輸していたチェコ銃と撤退中のイギリス軍から分捕ったクロムウェル巡航戦車、M4シャーマン計六両と、先の大戦を戦い抜いた百戦錬磨の将校達のみ。
数で勝るアラブ連合は各所でイスラエルの防衛線を突破し、同月18日にはエルサレムが包囲され、旧市街地がヨルダン軍に降伏。
しかしイスラエル軍は徹底抗戦の姿勢を崩さず、残る市街地を守り抜く。
そんなこんなで明けて6月11日。
国連は両国に停戦を提案。
戦線の整備や戦後の調整も予て、両国は4週間の休戦を受け入れる。
・幕間(休戦中)
イスラエルの場合
game・overの字が頭上にチラつくイスラエル。
このままじゃ不味いと軍事組織を統合し、指揮系統を一本化してイスラエル国防軍を結成。
さらに諸外国で大量にだぶついていた兵器を分解し、『スクラップ』の名目で購入。
自国で組み立て軍備を一気に革新させた。
そんなこんなで休戦が終わり…
基本的に自国の利権以外頭に無いアラブ連合。
戦後の利権を巡り、勝利を目前にして連合内で内ゲバ発生。
時間の経過と共に志気が低下。
れんごうの あしなみが みだれる
そんなこんなで休戦が終わり…
・本番再開
7月9日、休戦終了と同時にイスラエルは反撃を開始。
同等の兵器の元、技量で遥かに上回るイスラエル軍に既にやる気のなくなっていたアラブ連合は為す術もなく敗退を重ねる。
10月、失地を次々回復したイスラエルは、残る大敵エジプト軍を領内へ押し戻す事に成功。
勢いそのままにシナイ半島へなだれ込む。
エジプトはイギリスの半支配下である。
焦ったイギリスはイスラエルに対し、「即時撤兵しないと私を相手にする事になる(キリッ」と恫喝。
ここらが落とし所と考えたイスラエルは停戦を決定。
勝手に厭戦気分が蔓延していたアラブ連合と講和。
第一次中東戦争は終結した。
・終幕
この戦争により、イスラエルは旧市街地とガザ地区は失陥したもののパレスチナのほぼ全域を得た。
対して「
古い弱い国」である事を晒してしまったアラブ諸国に
ナショナリズムの波が押し寄せる。
最後にパレスチナの地にユダヤ系の人間の移住を支援したエドムンド・ド・ロスチャイルドの言葉を。
アラブ人とユダヤ人は兄弟だ。
いずれもアブラハムの子孫で
共通の起源による類似性は非常に大きい。
アラブ人とユダヤ人は兄弟のように暮らさねばならないのだ。
追記・修正は、アラブの人々とユダヤの人々が仲良くなる事を祈りながらお値段します。
- 4週間の休戦って……ただの足止め工作やないか! -- 名無しさん (2016-10-05 16:57:22)
- 歴史にifはない、ナチスが勝ってたという無意味な考えは止めることだ -- 名無しさん (2016-11-08 21:41:18)
- 最初にイギリスの工作員が二次大戦の時に戦後はここはアラブの物だとか言って味方につけてたよな -- 名無しさん (2017-02-16 20:10:15)
- 仮にアラブ連合が勝っていたらパレスチナ難民がイスラエル難民になっていただろうし -- 名無しさん (2021-07-27 00:40:00)
- 「ユダヤの皆様、我々に手を貸していただけたあかつきには遥か古のふるさとに安息の地を築くと約束いたしましょう」「パレスチナのアラブの皆様、貴殿方はオスマンから独立し己が国を持つ正当性がある。我々も賛同しましょう」「おいどういうことだイギリス?!パレスチナは我々ユダヤ人の新たな安息の地となるはずなのに、アラブ人が『イギリスはここに我々の国を築くことを認めた』などとぬかしているぞ?!どういうことだ?!」「……という次第でして、この調停、お願いできませんかね?国際平和のために……」……こりゃ国連も困るわ。「元はお前が撒いた種だろうが」にも程があるが、かといって双方イギリスとの約束通りの義理は果たした以上どちらもパレスチナに留まる正当性は皆無とは言えないし……どうしろと。おまけに「この場所であることに意味がある」以上「お前の落ち度だろ、イギリスお前双方に植民地少し譲れ」でも解決しないだろうし -- 名無しさん (2023-10-24 23:38:07)
- 今ウクライナに侵攻しているロシアもウクライナの事を「ネオナチ」と呼び、イスラエルもハマスの事を「新たなナチス」と呼んでいる。ナチスが無い今でも両者はナチスの幻影によって狂わされて虐殺をしてしまっているなんて皮肉だよな…。 -- 名無しさん (2023-11-19 19:56:23)
- >1945年5月14日、イギリスが中東より撤退を開始した。←1948年の間違い? -- 名無しさん (2023-11-19 21:45:29)
最終更新:2024年12月25日 17:33