和服(女性)

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和服(女性) - (2014/06/07 (土) 17:21:02) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2012/03/24(土) 13:13:19
更新日:2023/10/16 Mon 06:16:19
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和服とは、日本において古くから身に付けられている衣服である。

視聴対象としての和服は和服(属性)へ、男性用のそれについては和服(男性)と言う項目にて記載されているので、
ここでは、女性用和服についてを特に記載する。


■歴史

女性が身に着けていたとされる衣類の事は、続日本記や令義解(りょうのぎげ)などの文献によると、
唐からの影響を受ける以前には、上着とズボンの割りと現代の洋服に近いスタイルだったらしい(古墳の埴輪とか見ればなんとなくわかるかも)。

718年に大宝律令を編み直した養老律令から女性の服装もわかるが、この時もやはり上着にズボン、そして、ウエストを絞めるベルトと言うスタイルであった。

現代人が女性用和服と認識出来るスタイルが発祥したのはやはり平安時代。
遣唐使を排した事により栄えた「国風文化」の下、平安女性の代名詞である「十二単」「単衣」が完成した。

この時の和服はを派手にしたり宝石をあしらうなど、西洋ドレスのごとき派手な方向へと進化していたが、重いわ、蒸れるわで実用性がない為、
鎌倉、室町の頃には袿(十二単の1つ)のみの上に小袖のみ着ると言うスタイルに落ち着き、やがて、ワンピーススタイルにまで簡略した衣服まで出てきた。


江戸時代になると、上記の袿すら改まった場くらいでしか着なくなり、袴と肩衣を合わせた裃と呼ばれるものを普段着とするようになった。
しかし、茶の湯や芝居が庶民に流行った事もあり、きらびやかな着物もまた注目され、長袂から発展した振り袖が登場したり、
「着付け」る時の帯の結び方など、現代まで通じる呉服の基礎がこの時に完成したのだった。

そして、明治、大正となり、西洋文化が流入し「洋服」がやってきても、女性の服装は長らく和服であり続け、
女性が洋服を着るのが一般的になるのは、長い時を経た終戦後になるのであった。



■現代女性と和服

現代においては、洋服が完全に定着化してしまい、晴れの舞台以外で和服を着る事など無くなってしまった。

やはり、着付けなどが面倒臭いし、洋服の浸透した現代では明らかに浮いてしまうのだ。
だが、連棉と引き継がれてきた和服の華やかでありながら奥ゆかしい魅力は今でも女性達を惹き付けており、振り袖や浴衣などは女性の憧れであり続けている。



■主な女性用和服

◆振り袖

成人式や結婚式などの晴れの大舞台と言えばこれ。
本来、振り袖とは未婚女性が身につけるもののみをさした(既婚女性は留め袖)が、現在は未婚既婚関係なく振り袖と呼ぶ。
着付けが大変なのでやはり晴れの舞台が主。

◆浴衣

夏の寝間着から発展した簡易和服。夏祭りなどのきらびやかなものの他、旅館などで貸し出されるものもある。
これにはいてないし着けてないで挑む者は現代は皆無。

若い女性の間ではギャル浴衣が人気。ギャル化粧やアクセサリーと組合わさる事も。

◆袴

弓道や剣道をする女性や神社の巫女さんが着ている。ハイカラさんが有名。より動き易い野袴を愛用する女性もいる。
振り袖でなくこちらで成人式に行く女性もいる。

◆訪問着、付け下げ

振り袖より簡易だが、それでいて公式な場にも着けていける着物。
汎用性が高く人気があり、中居さんなんかも着てる。




追記、修正は、国風文化を発展、維持してきてくれた先人に敬意を表してからお願いします。

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