翔鶴(航空母艦)

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翔鶴(航空母艦) - (2014/12/19 (金) 00:07:46) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2009/05/26(火) 19:45:02
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読み しょうかく

竣工1941年8月8日
戦没1944年6月19日
除籍1945年8月31日

全長257.5m
速度34.2n
排水量25.675t


大日本帝国海軍が保有していた航空母艦。翔鶴型航空母艦の一番艦(ネームシップ)。
翔は「羽ばたく」鶴は吉獣を表す。
二番艦の瑞鶴と共に縦横無尽に太平洋を駆け、マリアナ沖で沈むまで大日本帝国海軍機動艦隊の中核を担い、
姉妹艦の「瑞鶴」と作戦行動すると、「瑞鶴」が被弾0なのに対して「翔鶴」は被弾したため、妹の分まで攻撃を受ける「不運艦」と呼ばれたりもしたが、太平洋戦域屈指の武勲艦として名を馳せた。


**建造経緯
マル3計画において計画され、1930年代における空母赤城・加賀・飛龍・蒼龍の運用実績などを取り入れて造り上げられた。
マル3計画と言えば水雷戦の究極を目指した陽炎型駆逐艦や、戦艦の極北を目指した大和型戦艦の建造が決まった計画であり、傍から見ると「やっぱり空母軽視じゃないか!だから負けるんだ!」みたいに思われがちだが別にそんなことはなかったのである。

制限枠がなくなったのでバランスのとれた能力を持つ空母として建造され、

・機関馬力は大和型すら&bold(){凌ぐ16万馬力}
・速力は大和型にも採用されたバルバスバウを採用するなどして陽炎型駆逐艦に比肩しうる高速・&bold(){34ノット}を実現
・航続距離は18ノット航行で最長9700海里
・艦載機は最大84機の運用が可能

と、積載量は上だが脚が遅い上に再改装費にとんでもない予算を使ってしまった加賀、
海軍軍縮条約下で建造されたためサイズが小さく積載量や航続距離に不満のあった飛龍蒼龍、
脚は及第点だが改装空母故の不満の多い赤城の難点をかなり改善してみせた傑作空母に仕上がった。
ただ、航空機の進化に伴い強化が必要と考えられていた飛行甲板の装甲化は諸々のデメリットを勘案された結果されず、その他の防御面でも機銃の配置などでやや不満が残る仕上がりではあったようである。
艦橋配置も計画当初は赤城・飛龍に倣った配置だったのを変更して右舷前方配置に変更したため、飛行甲板がやや狭くなり竣工まで6ヶ月余計にかかるなど決して誰もが満足の行くものにはなり得なかった。だからといって駄作というわけではない。
普通に当時の世界最強空母の一隻だったと言えるだろう(一航戦相手に後れをとっていたのは練度の話である)。

建造時で分かった反省などを取り入れ、翔鶴型航空母艦の設計を装甲空母としてリファインした大鳳が計画されたのだから無駄ではなかったのである。
どっちにしろ、大鳳は一発で轟沈したし無駄と言われたら返す言葉もないが…

**経歴
1941年の8月に半年遅れで完成すると、即座に連合艦隊に編入され、猛訓練を開始。9月末に完成した瑞鶴と第五航空戦隊を結成した。
なお、五航戦は乗員の練度が低いとよく言われたが一航戦や二航戦が日華事変辺りで酷使に次ぐ酷使の中で&bold(){世界最狂}レベルにまで仕上がっていただけであり
五航戦も空母搭乗員としては平均以上、あるいはそれ以上に仕上がってはいる。
後のゼロ戦虎徹こと岩本徹三(瑞鶴戦闘機隊所属)らエース格のパイロットもおり、当時実戦経験に乏しい他国であれば教官として活躍できたと言われる。

1941年11月、正規空母6隻勢揃いとなり当時太平洋に配備されていた米軍空母を数で越えたここが仕掛ける大チャンスであり、外交でも手詰まりになった日本は開戦を決意。正規空母6隻勢揃いの大艦隊を組織し択捉島・単冠湾に集結。米軍太平洋艦隊の根拠地・真珠湾へと向かったのであった。
この真珠湾攻撃の詳細は省くが、五航戦の緒戦としては十分な活躍を見せ意気揚々と日本に帰国したのであった。
なお、本来であれば航続距離に余裕のある翔鶴・瑞鶴・加賀に一航戦と二航戦の搭乗員を載せて行く予定だったのだが
???「おう、ワシの二航戦の母艦を軽視すんのかワレ!(壁ドン首絞め)」
と武闘派提督が迫ったため、空母六隻に艦船燃料である重油も積んで出撃となった。
空母の配置を知られて反撃されたら早速空母を喪失する危機となっていた。

迎えた1942年。新年早々に南太平洋に出撃しラバウルを爆撃。一旦横須賀に帰還した後再び3月に南太平洋セレベス島に向け出撃するが、途中本土に米軍機動部隊が向かっているとの報を受け引き返すも発見できず、再びセレベス島へ移動。
南雲機動艦隊と合流し、シンガポールから逃げた英国東洋艦隊の根拠地であるセイロン島コロンボを空襲。
英国東洋艦隊が反撃に出て来るが、逆に空母ハーミーズや重巡ドーセットシャーなどを沈め、セイロン島に退避していた東洋艦隊をマダガスカルなどアフリカインド洋岸にまで後退させる戦果を挙げた。
しかし、東洋艦隊主力の空母インドミタブルや空母フォーミダブルを発見し仕留めることは出来なかった。

その後、5月のMO作戦に南雲機動艦隊から引きぬかれ、瑞鶴と共に参戦。米軍も要衝ポートモレスビー防衛のため空母レキシントン・ヨークタウンの二枚看板を投入。かくして、ポートモレスビーを巡って始まった珊瑚海海戦は空母機動艦隊同士による世界初の戦いとなったのである。

しかし、5月7日の海戦では翔鶴所属の偵察機の索敵ミスから油槽艦を空母と誤認し全力攻撃を仕掛けたり、そんなことをしていたら独立行動中だった軽空母祥鳳がレキシントンとヨークタウンに捕捉され滅多打ちに遭い撃沈され
ミスを取り返そうと薄暮攻撃隊を出すがこれが完璧な迎撃を受け大損害と散々な目に遭った。

翌日は翔鶴の偵察機が燃料切れ覚悟で米軍機動部隊の元へ攻撃隊を誘導。その決死の行動は実り、当時世界最大の空母であったレキシントンを撃沈、ヨークタウンを大破に追いやった。
しかし、レキシントンとヨークタウンも攻撃隊をすでに出した後であり、翔鶴に向け80機を越える攻撃隊が殺到。
翔鶴は3発の爆弾を受け大破した。なお、瑞鶴はスコールの中にいたため見逃され無傷であったという。
爆撃を受け大破した翔鶴は艦橋や飛行甲板はメッタメタだったが機関は無事であり、駆逐艦の護衛の元退避予定だったが
駆逐艦をぶっちぎって後方退避し、護衛に向かった駆逐艦から「翔鶴さんどこ行ってしまうん?僕達必要ないの?(´・ω・`)」という通信が送られたとか。
なお、駆逐艦の乗員によれば40ノット近い高速で逃げていたとか。速すぎィ!

聯合艦隊と早期講和論者山本五十六の見た悪夢ことミッドウェー海戦後、
加賀・赤城を失った一航戦再建をするべく転属となり瑞鶴・瑞鳳を率いる旗艦となった翔鶴は戦訓を元に改装を受けるとガダルカナル島を巡る泥沼の攻防戦に参陣。
8月の第二次ソロモン海戦ではミッドウェーでも大活躍した空母エンタープライズを大破させたが、艦載機29を失ってしまう。

10月の南太平洋海戦では米軍攻撃隊が例によって瑞鶴ではなく翔鶴に殺到し4発の爆弾を受けるなど再び大損害を被る。幸い機関は無事であった。
攻撃隊は好調であり、飛龍蒼龍亡き後の二航戦を背負う隼鷹の攻撃隊と共同でエンタープライズを再び大破させ、空母ホーネットを撃沈することに成功。
これで米軍はレキシントン・ホーネット・ワスプを失い、エンタープライズとサラトガはドック送りにされて一時的に太平洋で動ける空母を喪失。1942年の海軍記念日は「史上最悪の日」となった。
しかし日本側も翔鶴が大損害を受けた他に艦載機を多数失っており、翔鶴は赤城から転属になっていた「雷撃の神様」こと村田少佐を失うなど、連合艦隊全体でベテラン搭乗員の損耗が大きかった。
米軍も大損害を受けていたが、翌年以降に護衛空母群やエセックス級空母が大挙して配備される予定だったことを考えれば、連合艦隊にとってはピュロスの勝利としか言えない辛勝であった。

1943年は海戦に駆り出されることはなかったが、艦載機搭乗員を基地航空隊に送られるなどして損耗。一年間で搭乗員の練度がみるみるうちに下がっていった。

1944年、追い込まれた連合艦隊は第一機動艦隊を編成。旗艦には翔鶴が任命されたが、4月には翔鶴型の設計をリファインして建造された新鋭空母・大鳳が配属されたため旗艦を大鳳に譲り、米軍と戦う準備を整えた。
6月、サイパン・グアムに侵攻した米軍を迎え撃つべく第一機動艦隊はマリアナ沖へ進出。6月19日に米軍と会敵。戦闘に突入。マリアナ沖海戦である。
しかし、艦載機の航続距離の長さを活かすために立案されたアウトレンジ戦法は不発に終わり、航空戦で惨敗。
米軍艦載機の猛攻に晒されながら奮闘した翔鶴であったが、11時20分にガバガバの対潜網をかいくぐった米軍潜水艦カヴァラの雷撃4発を浴びエレベーターを吹き飛ばされるなど致命傷を受け、14時20分に轟沈した。
こうして、太平洋戦争の緒戦から機動艦隊の柱として戦い抜いた武勲艦・翔鶴は散った。
アメリカ最高の武勲艦であるエンタープライズを相手に二度の勝利を得ながら、最後に彼女の力を奪ったのは搭乗員の練度不足であった・・・

その翔鶴轟沈の12分後、雷撃を受けていたが軽微の損害と思われた大鳳も突然大爆発を起こし16時28分に沈没。戦闘開始して1日経たずに第一機動艦隊は壊滅状態に陥った。
そして、この海戦で瑞鶴はついに損害らしい損害を初めて受けた。翔鶴は瑞鶴にとって守り神であったのだろうか…

ちなみに武勲艦ではあるが、ディープな軍ヲタくらいにしか知れ渡っていなかった艦でもある。

**フィクションでの活躍
同期の大和型に比べると知名度で劣り、世界最高とかそういう要素もないせいか、武勲艦の割には能力が低かったり目立つことがない。
仮想戦記であれば翔鶴型どころか大鳳もすっ飛ばしたトンデモ空母や戦艦に役目を食われがちではある。

艦これにも最初のイベントに合わせて報酬として登場し、後に建造落ちした。
バランスがよく、全般的にマイルドで制空権奪取能力は高めなのだが、
最大能力では赤城や加賀、実際は搭載数で劣っていたはずの大鳳にも制空能力や火力で負けてしまうというけっこう酷目の扱いである。
翔鶴には瑞鶴のような並外れた運もないので少々立場が辛い。武勲艦なのになあ…
一時軽空母並と言われていた飛龍蒼龍のように改二が実装されれば…というところか。

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- 被害担当艦…  -- 名無しさん  (2013-12-27 21:08:58)
- この項目薄過ぎだよ…  -- 名無しさん  (2014-07-18 12:49:26)
- ↑旧アニヲタの項目で、某ブラウザゲーが無かった頃の項目だからしゃーない  -- 名無しさん  (2014-07-18 12:58:10)
- ↑追記修正せずそのままってのがなぁ…  -- 名無しさん  (2014-07-18 13:07:57)
- ちなみに他の空母(信濃・ニミッツを除く)の項目もこれと似たようなもんだから  -- 名無しさん  (2014-07-18 15:32:23)
- ↑2 あなたが追記・修正してもいいのよ?  -- 名無しさん  (2014-07-18 15:36:00)
- ドラクエ6のショウカクの名前の由来ってこれ?  -- 名無しさん  (2014-07-21 19:55:47)
- ↑相方もズイカクだしこれだろう  -- 名無しさん  (2014-08-05 18:47:06)
- 美少女vsうごくせきぞう&トロルの色違いコンビ  -- 名無しさん  (2014-08-05 22:18:42)
- 正直早期に沈んだ一航戦より蹟を継いだ彼女(?)たちの方がよほど粘り強く闘い続けてくれた忠義者だと思う。  -- 名無しさん  (2014-08-05 22:35:18)
- 艦これのせいで一部の人からはボロボロに言われているのは悲しいな、史実ではスペック通り一、二航戦よりずっと活躍しているのに  --    (2014-11-12 22:49:27)
- 終いにはズイカクと共に嘆きの牢獄警備員だしな  -- 名無しさん  (2014-11-12 23:45:17)
- ↑2 ゲームだけで知った気になる悪い意味でのにわかなど気にするな  -- 名無しさん  (2014-12-13 14:24:03)
- ↑3MIで一、二航戦が沈んで搭乗員が大量に余ったのが良かったね  -- 名無しさん  (2014-12-19 00:07:46)
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