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WW2ドイツ戦車 - (2025/05/27 (火) 00:25:48) のソース

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**WWⅡのドイツの戦車ですが,1号2号3号4号ときて5号パンター6号ティーガーとなってますが、ティーガーのほうがパンターより早く開発されてるのにナンで5号じゃないんでしょう?
設計開発が決まった順に番号がついているのです。
パンターは実戦配備されるまで、開発に時間がかかっただけです。
#right(){(2:607)}
**4号戦車の長砲身型(F2、G)がアフリカに配備されはじめたのって、いつからでしょうか?
1942年10月のエル・アラメインで50台参戦しているみたいです
生産が1942年3~7月ですから、造ってすぐに回したみたいです
#right(){(2:887)}
多分、自営業先生辺りが書かれるかも知れませんが、基本的に兵器開発には
終わりがありません。
一つのものを作り終えたら、直ぐに次世代のものの開発が始まります。
III号戦車の開発が終わった段階で、次世代の対戦車戦闘戦車の概念研究が
始まっているはずです。
IV号戦車は、歩兵支援戦車として開発が進んでいましたので、III号の後継は
必然的にV号と言うことになります。
支援戦車としてのIV号の後継としてVI号が開発されたのではないでしょうか。
しかしながら、V号が形になる前に、T-34ショックがあったために、再検討の
時間を要し、結果的にVI号の方が先に出たと考えられます。
#right(){(65:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**ティーガー1のマフラーにはキャップが付いてますが何の意味があるんですか?
マフラーのキャップって・・・
初期型は潜水装置が付いており、マフラーのキャップは
その反兆弁でしょう。
潜水時に水の浸入を防ぎ排気する弁です。
#right(){(66:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)}

**2次大戦のドイツ戦車によく観られる”千鳥足転輪”アレって生産効率悪そうだし,整備も大変だったみたいだし、なにかメリットてあったんでしょうか?
戦車の転輪はチャーチル戦車のように小さくて数があったほうが、キャタピラにかかる圧力が均等になり、軟弱地盤での活動が容易と成る。しかし、日々の整備が殺人的になるし高速走行には向かないという欠点がある。
転輪を大型化したほうが高速走行に向くが、キャタピラにかかる圧力が偏り、軟弱地盤での活動に不利になる。また、転輪と転輪の間の間隔が大きくなるため、ここでキャタピラがたわんで、酷い場合には断裂する。
この問題に対する[[ドイツ軍]]技術部の解答が複合転輪(千鳥足配置転輪)である。大型の転輪を2列に互い違いに配置することにより、キャタピラにかかる圧力を分散化させ、また、キャタピラのたわみによる断裂を防いだ。
ただし、内側の転輪を取り替える場合は外側の転輪2枚をはずさねばならないとか、外側の転輪を支える車軸が内側の転輪2枚の間にあって破損しやすいとか、内外の転輪がずれて動くため異物が挟まりやすいとか、新たな問題が発生。整備・補修のテマは酷かったらしい。
#right(){(hismed)}
**vk6501ってどんなの?
1939年当時ヘンシェル社が「最強戦車」を目指して作った大型戦車です
マイバッハのHL224型[[エンジン]]という600馬力の[[エンジン]]を搭載し、足回りとしてはヘンシェル初のトーションバー(棒バネ式)を採用しました
重量65tで目標最高速度は時速25~26キロ
旋回砲塔にはMG34と24口径7.5センチ砲が装備され、操縦席横の球形銃架にもMG34が搭載と言う構成で試作が進められましたが、
1942年にティーガーの試作の邪魔になった為中止されました

PanzerIVの発展型である、重量65トンの重戦車です。1939年にすでに開発計画はスタートしていましたが、実働機は製作されずに終わりました。

重量:65トン
乗員:5名
[[エンジン]]:マイバッハHL224、12気筒、600馬力
速度:20-25km/h
全長:7m
全幅:3.2m
全高:2.92m
武装:75mm/L24 KwK37 + MG34×2
装甲:前面80mm~100mm

の予定でした。
#right(){(7:267-268)}
1941年に軟鋼製の試作車台一両のみヘンシェルで作られたもので、VK3001(H)
(後の6号戦車)の更に重装甲型として開発されました。
特徴は多砲塔(主砲塔に7.5センチKWK L/24と7.92ミリ機銃、副砲塔に7.92ミリ
機銃)であること。
輸送用に3分割出来ることです。

試作車は軟鋼製なので余り意味はありませんでしたが、80ミリの装甲を有し、
生産型では100ミリの装甲を持つ予定でした。

なお、これの組立用にファウン社製のクレーン車も開発されています。 
#right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**ディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人だけどドイツの戦車は何故ディーゼルを採用しなかったのですか?
現代の戦車はディーゼルかタービン、昔の戦車はガソリンが普通です。
基本的には車載可能なレベルへの小型化、特に補機の小型化と信頼性が問題だったような気がします。

二次大戦中に戦車にふさわしい大出力ディーゼルエンジンを実用化して
いたのはソ連だけ(日本のは小出力)だったはずです。
#right(){(8:system)}
合成ディーゼル油を実用化するまでドイツではディーゼル油の備蓄量がガソリンの
三分の一であった為、ディーゼルエンジンに重きをなす訳にはいかなかったというのも
要因の一つのようです
合成ディーゼル油を実用化後は開発を再開したのですが、着手するのが遅かったのと
補給上の混乱を恐れた為に実際には使われなかったのではないでしょうか
#right(){(8:400)}

**友達に、ドイツの4号戦車F2型というのは実は存在しなかったと聞いたのですが本当ですか?
>43口径という中途半端な大砲がなんともいえず好きだったんですが・・・。
うろ覚えだが、「F2型」という呼称が存在しなかったという意味だったと思う。
(長砲身型は全てG型に区分だったかな?)43口径は初期G型も同じですよ。
#right(){(8:621)}

「G型登場後、F2型も運用上G型に統合して扱う事になった」が一部マニアに誤解され
「F2型なんて形式は存在しない」に化けてしまっただけです。
長砲身砲搭載F型は間違いなく製造時には「F2型」でしたし、
部隊に配布された取り扱い説明書の表紙には「Ausf.F2」と明記されてます。
#right

**1号F型と2号J型の側面に脱出口みたいなのがついてますよね。でも、キャタピラが丸出しで危険だと思うんですがどうなんですか?
>また、どうしてキャタピラ丸出しなんですか?
え~と、どうもこの側面ハッチは非常口ではなく、1号戦車F型では、
操縦手の、2号戦車J型では操縦手、無線手のそれぞれ、出入口だったようです。
つまり、小さな車体に極限まで装甲を厚くしたため、砲塔の口径が大きく
なり、上面にハッチが取り付けられなくなった。
 → さりとて砲塔部分は、一人用なので、車長が出入りするのがやっと。
 → 仕方ないから側面にハッチ取り付け。
 → でも、大柄なアーリア人が出入りするには、直径が足りないので、
    泥除けを切り取り(まぁ、泥除けの機能を果たすのは前と後にあれば
    いいから)。
 → ウマー(・д・)

てな感じではないかと思います。 
#right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**1号戦車F型のほうが2号戦車J型より重いのはどうしてですか?
車体構造が1号戦車の方が一回り大きいのと、開発に1年間のブランク
があったため、転輪、懸架装置の構造に見直しが為されている可能性がある。

あと、80ミリの前面装甲の使用面積も重量に関係してくるのではなかろうか。 
#right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**ドイツのⅠ号とⅡ号、どっちが性能良いですか?
7.62mm機関銃2門の一号よりも20mm機関砲2門の二号の方が多少使いではあったけど、ポーランド戦の時点では火力のなさや
装甲の薄さで既に問題続出だった。
ドイツ陸軍としては本当は三号と四号で戦うつもりだったのに、[[ヒトラー]]が思ってたよりも早く戦争を始めちゃったからな。
その割には開戦後に機関銃2門しか積んでないのに前面装甲80mmという、何をしたかったのかよくわからない1号戦車F型
なんていうのを作ってもいるが。
#right(){(354:201)}

**ドイツの4号戦車の砲で、75ミリ43口径の物があったと思いますが、それは75ミリ48口径と砲弾は同じなのでしょうか?
>また、できましたらロシアのT-34/76の砲弾は、全バージョンで同じだったかどうかも教えて頂けませんでしょうか? 
43口径、48口径とも砲弾も同じ物を使用します。
T-34/76もL-11、F-34、ZIS-5、全バージョン同じ砲弾を使用します。 
#right(){(9:28)}
基本的に同じ物を使用する。ただし野砲で使っても、
T-34では使わない砲弾もあるようだ。 
#right(){(9:47)}

**旧ドイツ軍戦車で最後まで現役に就いていたのは何でしょうか?
>(あくまで[[ナチス]]ドイツ製ということで戦後のヘッツアーは対象外と見なしてます…)
IV号戦車は、1939~64年までスペインが、1945~68年頃までシリアが
それぞれ使用しています。
トルコはIII号とIV号を使っていましたが、NATO加盟時に米式装備に
改変したようです。 
#right(){(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**パンターは、D型より後に開発された型が、なぜ「A」型と名づけられてるんですか?
元々は順番通りでした(A型~D型)。 
この4種は同時期に設計開発が行われ、最初にD型が完成し、
A型がD型の設計の良い点を取り入れて、D型より後に完成した、という話らしいです。

情報かく乱や書類上のミス、といった説もあるみたいですが。 
#right(){(12:495)}
F型は、ほんとうはA型(D型の後のA型)の次に生産される予定でしたが、 
A型~D型よりも設計が大きく変更され生産が遅れてしまう、 
という理由で、暫定タイプとしてG型が先行したらしいです。
#right(){(12:499)}
パンターはD型以前にプリ・プロダクションモデルが存在しました。
それぞれⅤ号A/B/C型重戦車と呼ばれましたが、生産されたのはA型のみです。
D型の生産が始まったときそれはD1型と改称されました。
D型の次がE型でなくA型になったのは、敵に対する欺瞞のためとされています。
#right(){(32:24)}

↑残念ですが、全然違います。これは、聖書(特にヨハネの黙示録)と占星術など、オカルトに基づくものです。

型式名の、「D・A・G・F」は、黄道十二宮または黄道十二星座の、獅子宮(獅子座)・金牛宮(牡牛座)・宝瓶宮(水瓶座)・天蠍宮(蠍座)を指す、「テトラモルフ」の、4体の生物「獅子=竜(※ライオンとドラゴンは同格の存在)(D)・牡牛(A)・人=巨人(G)・鷲(※蠍座は大昔には鷲座であった)=フェニックス(Ph=F)、または、鷲=鳥=翼(F)」に由来する。この円環を、Dを0時として、時計回り順に3時・6時・9時と命名し、最後に「II」=「ヤキンとボアズ」=「ヘラクレスの柱」=12時=0時で、1周して終わる。この4体の生物「竜・牡牛・巨人・鷲」は、北欧神話の故郷アイスランドの四方を守る守護者として、アイスランドの国章にもなっている。 

**ヴィルベルヴィントが英軍地上部隊に向かって、ぶっぱなしている映像を見た事が有るんですが、これって反則ではないでしょうか?
大口径機関砲による地上掃射は歩兵にとってもっとも恐ろしい攻撃のひとつです。 
榴弾による砲撃よりもはるかに制圧効果が高く、
そのうえ歩兵の身で用意できる遮蔽物はすべて役に立たない。
#right(){(13:10)}

**マウスが実戦投入されたとか・・・・・本当ですか?
そのような説もありますが、確たる証拠は現状で出てきていません。
#right(){(23:173)}
2両生産され、2号車は[[エンジン]]を事故によって破壊し、放置されました。 
1号車はクンメスドルフで爆破されたと言うことですが、別の記録に因れば、 
ソ連軍と戦闘したと言う記録もあります。 
当時のドイツは相当混乱していたので、記録も混乱していたようです。
#right(){(63:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**ドイツ軍では特にバリエーションの多い駆逐戦車・突撃砲・自走砲・砲戦車といった戦車の亜種ともいえる兵器群の存在意義とは何なんでしょうか。
兵科により車両の用途が異なり、突撃砲や[[自走砲]]は砲兵科、戦車と駆逐戦車は機甲科の所属となっています。
例えば、ドイツの場合では突撃砲は歩兵用の支援兵器として開発されましたが、
戦局の悪化と共に対戦車戦闘にも投入され、おまけに生産が容易なので戦車師団にも配備される様になりました。
又、事実上は突撃砲でも「駆逐戦車」と位置付けられた車両もあります。

ソ連やアメリカでは、ドイツ以上に生産の統一化を図っていますが、車体の流用のみに留まっています。
#right(){(28:266)}
1.運用する部隊が異なった事。
2.目標に対して手持ちの器材を利用して対処しようとしたが、目標の能力がインフレーションを起こした事。
等が原因かと。
 突撃砲は、歩兵の火力支援を行なう野砲を部隊に随伴出来る用に自走・装甲化した物です。
ところがこれの代表三突が対戦車戦闘に有効であった事から、後の駆逐戦車への流れが出来ました。
マルダーの様な対戦車[[自走砲]]は、歩兵の運用した対戦車砲を手近なシャーシに載せて自走化したもの。
敵が強力になって辛くなった戦車も、カーマゼットでより大きな砲を搭載出来るようにして駆逐洗車に。
手持ちの器材で増大する要求をこなそうとした事が、逆に多種多様な車種を生んでしまったかと。
#right(){(28:269)}

**4号の初期型など大口径短砲身の戦車がどうして「歩兵支援」になるのか
榴弾砲です。
初速が高い砲は、発射した榴弾の信管が作動する前に土等にめり込んでから爆発する為、
歩兵支援には向かないのでは? と考えられていました。
実際にはそれ以上に敵の戦車等の脅威に対処するため、初速の早い野砲や対戦車砲ベースの戦車砲が主流になります。
#right(){(28:ばばぼん♪)}
マシンガンデストロイヤー。直接照準で機銃座を狙うと、当然打
ち返される。歩兵に追随できる機動力と必要な防御力を持たせた歩
兵砲(ドイツの場合は75mm短榴弾砲)という訳。
#right(){(28:291)}

**WW2のドイツの戦車についてる「Sマイン発射機」ってのは「対人地雷発射機」なんですか?
対人地雷を戦車の上で爆発させる。そうすると、パチンコ玉みたいのが
飛び散って戦車に張り付いている敵兵を一掃する。
#right(){(31:353)}

**ドイツ軍の戦車の砲塔横に3ケタの番号がありますがどのような基準でつけているのでしょうか。
123だとすれば左から中隊・小隊・号車です。
この場合は第1中隊第2小隊3号車、0は小隊長、中隊長などを表します
800なら第8中隊長車というわけで

Sは重戦車(シュタールパンツァー)のSだと思われます。
大隊内の重戦車中隊のため特有のものを当てています。
似たようなものとしてはR01などで連隊(レギメント)本部をあらわす場合もあります。

いずれにせよ、厳密に定まっているわけではありません。
色などは連隊などにより変えていたようですが、その辺は写真資料を当たることをお勧めします。
#right(){(33:272)}

**WW2時代のドイツ軍戦車で通信手と操縦手はお互い行き来できたんかのぅ?
喉頭マイクで会話は出来たハズです。
行き来は…… 戦車によって違うと思うんだけど、難しかったんじゃないかな~
戦車被弾、脱出って時に、砲塔の位置の関係でハッチが開かず、通信手や操縦手
が脱出できなかった、って話は良く聞きますもの。
#right(){(36:ベタ藤原 ◆MNjfnp0E)}

**何故ドイツ戦車の車体前方機銃は最後までMG34だったのでしょう?
MG42が登場して、MG34は生産中止になったわけではないのです。
1942年以降多少数が減ったものの、
終戦に至るまで生産が続きました
例えば1944年にMG42は21万丁余り、MG34は6万丁余り作られています。

ここからは想像ですが、ではMG34を何処に配備するべきか。
もちろん機関銃は複雑で小火器にしては整備に手間がかかる
交換用銃身は初めとして交換部品の補給上なるべく、部隊
ごとに統一したい、MG42は汚れへの耐性が改良され
歩兵部隊向きである、また量産向きで数を確保できる。
逆にMG34の弱点、汚れへの弱さは車載する事で軽減できそう。
また比較的コンパクト
何より、戦車部隊に供給する機関銃は統一してどの戦車(ある物は
何でも使ってた)でも使い回しが聞いたほうが良いに決まっている。
いちいち付け替え改造なんでやってられないからでは。
MG34も十分世界水準を越える機関銃だし
#right(){(37:機甲自転車)}
単純にバレルジャケットの大きさと銃身の強度の問題では?
MG42をボールマウントに差し込むには無理がある…。
#right(){(37:894)}

**ツィメリットコーティングについて質問なのですが素材は何色なんでしょう?
コンクリートだからコンクリ色
#right(){(40:242)}

**スペイン内戦に派遣された二号戦車はどのタイプが何両ぐらい派遣されたんですか?
A/B/C型の15両ほどがスペインに送られたようです。
#right(){(41:眠い人 ◆ikaJHtf)}

**キャタピラ・シューってのは増加装甲によく使ってる予備のキャタピラのことでしょうか。
多分予備キャタピラのことでしょう。
戦車整備中隊は鉄道での移動を基本とし、現地で修理不可と判断された場合
即本国もしくはK工場と呼ばれる占領地の戦車修理工場へ送り返すシステムが
東部戦線のドイツでは整っていました。
とはいえ一番苦労したのは現地の戦車回収小隊なんだろうけど。
#right(){(41:572)}

**M10偽装パンターについて教えて下さい。
アルデンヌ攻勢は知ってますよね?
あの作戦で米軍の後方にSSのオットー・スコルツェニー中佐率いる[[特殊部隊]]を侵入させ
米軍の後方攪乱や、独軍主力部隊の先導をさせようという作戦(グライフ作戦)が考案されました。
そのため米軍の装備(銃、軍服、ジープ、戦車等)を集めようとしましたが、予定数に足りなかったため
パンターをM10に偽装して使うことになりました。
しかし少数の攪乱部隊の侵入には成功したものの、M10を装備した部隊は普通の戦車部隊として使われたそうです。
大日本絵画「バルジの戦い」上巻に作戦準備から結果まで詳しく載っていますので、どうぞ。
#right(){(43:296)}

**ドイツのパンサーがあんなに大きな車体になってしまったのは何故なんでしょうか?
・[[エンジン]]が高さ方向に大きい
・[[エンジン]]冷却系も意外に容積を食っている
・馬鹿食いする燃料のための燃料タンクが大きいし、ディーゼルエンジンのソ連
戦車みたいに補助タンク外付けには出来ない
・でかい砲弾を大量にしまっておくスペースもでかい

などの理由によるみたいだよ。
#right(){(44:ごっぐ ◆Cs6PCFec)}
当初、T-34と同等のものを作ろうとしていたが、結局T-34より強いものを
作りたくなって巨大化したということもあるようだ。

内燃機関の背が低くなるのは、実は、80年代くらいであり、
それまでは、オイルパンだのカムシャフトのスペースだの、今じゃ考えられないくらい、
[[エンジン]]の背が高かったのもあります。

また、
●T-34にはついていない、砲塔バスケットを採用したこと。
●T-34は、[[エンジン]]もギヤボックスも車体の後部にあるのに対し、
パンターのギヤボックスは前方のため、後ろから前方にドライブシャフトを設ける必要がある。

この二つで車高が高くなったことも付け足しておきます。
#right(){(44:541)}

**WWⅡのドイツ戦車等についてるシュルツェンって何のために付いてるのでしょうか?
対戦車榴弾対策。アレに当たって信管が作動して爆発するが、
本当の装甲板までは隙間があってメタルジェットが拡散して効果がなくなるって感じ。
#right(){(45:875)}
対戦車銃の銃弾の被帽(軟鉄のキャップ。装甲との衝突の時に潰れて、弾が兆弾するのを防ぐ)を、
シュルツェンを貫通するときに潰させて、内側の装甲には兆弾させるためにつくられた。
対戦車榴弾に対する効果もあるが、これは偶然で、もともとそのためのものでは無い。

ティーガーは装甲が厚いから無い。
パンターには車体下部を守るためにシュルツェンついてる。 
#right(){(45:876)}
もともとは対戦車ライフル対策のためだけど成型炸薬にも効果があったので 
そちらの対策として使われた。 
#right(){(俺初質スレ20501:577)

シュルツェンは元々は対戦車ライフル対策として採用された。
対戦車ライフルは戦車の主装甲を貫通できなくても、
その弱点(のぞき穴・転輪基部等)をピンポイントで狙うことにより効果を上げていた。
しかし、対戦車ライフルは口径が小さいため、薄い鉄板などでもその威力を大幅に減じることが出来る。
このため、薄い鉄板を主装甲の外側に吊り下げたのがシュルツェンである。

その後、成形炸薬弾(HEAT)のジェット噴流を拡散する効果が確認される。
戦争末期には、対戦車ライフルが減少したことと、資源節約のためにシュルツェンは金網になった。
成形炸薬弾(HEAT)だけの対策であればこれで充分だった。
#right(){(hismed)}

**III号戦車は後期のものは起動輪側の車体内部にキャタピラのアジャスターがついてたってホント?
>あと、転輪のサスペンション部でキャタピラの張りの調整することもあったってのもホントっすか?
調節とゆうか転輪自体を加工する、具体的には歯車を削ったりしたそうです。
#right(){(6:507)}

**WWⅡドイツ戦車の車体番号はどのような法則でついてるのでしょうか?
一桁目は中隊、二桁目は小隊、三桁目は車両ナンバーです。
一桁目がRの場合連隊本部(Rが付かずに二桁しかない場合もあり)
ローマ数字の場合大隊本部の車両です。
二桁目が0の場合は中隊本部車両です。
#right(){(50:854)}

**なぜドイツは鋳造砲塔、車体の戦車を作らなかったのでしょう? 
>ドイツの四号戦車などを見ると、小さな装甲板の溶接で出来ていて素人目に見ても構造的に弱そうで、生産性も悪そうですが
ドイツの冶金技術は意外と低くて、シャーマンのような滑らかな被弾径始を持った
砲塔は量産できなかったからだと言う話を聞いたことがありまつ
#right(){(54:617)}
大型の鋳物製造設備(蒸気機関車や造船関連)に空きが無かったのだと。
#right(){(54:620)}
鋳造で戦車の車体を作れるのは、当時のアメリカでもリマ・ロコモーティブ等ごく僅かです。
それでM4も鋳造はM4A1のみで、M4以降は溶接になっています(生産はM4よりM4A1の方が先)。
普通の自動車会社や機械工場では、とても生産できません。
#right(){(54:622)}

**二号Fは砲塔後部にゲペックカステンを装備していたのでしょうか?
Ⅱ号戦車はフェンダー上(右中央部と左後部)に工具箱がありますんで、
わざわざ砲塔後部につける必要はないっす。
#right(){(61:392)}

**T-34のコピーを作ろうとしたのに何でパンターみたいな大物ができたんでしょうか?
縦に高いエンジンを積んで、大きな主砲を3人乗り砲塔に収めたらあの大きさに。
#right(){(61:950)}
競作された物には、まんまT-34のコピーも有ったのですが、ドイツのオリジナリティー
を取り入れたい&確実にT-34を撃破出来る物を、と言う事でああなりました。
#right(){(61:954)}

**旧ドイツ軍の4号戦車はいつ頃まで生産を行っていたのでしょうか?
最後(最期?)まで作っています。
といっても完全に終戦まで、ということではありませんが。
爆撃で工場が止まったり、占領されたり、はたまた記録が混乱で残っ
ていなかったりで、基本的にドイツの戦車生産は45年4月以降は停止状態でした。
ともあれ4号戦車は最後まで作り続けていたということは言えます。
#right(){(62:437)}
437に付け加えるならば、Ⅳ号戦車はコストがⅤ、Ⅵ号と比べかなり安いです。
ファミリーも多く、信頼性もまずまずのものがあります。
Ⅴ号は重く、整備に多大な労力を要し、Ⅵ号は駆動系の信頼性がありませんでした。
#right(){(62:439)}

**タイガー戦車の砲は先端から付け根に向かって二段階に太くなっています。一方、パンター戦車の砲は先端から付け根までほぼ同じ太さです。
>この違いはどのような理由によるものなのでしょうか。
砲身の「たわみ」を防ぐため。
ティーガーの88mm砲は弾頭重量もあるし、射撃時に砲身にかかる負荷が高い。
パンターの75mm砲も多少だがテーバーがかかっている。
#right(){(63:831)}
砲身の構造の違い。タイガーは太い部分、細い部分を別々に造って
一つに組み合わせた分割構造の砲身。
パンターは全て一体で造った一体構造の砲身。
#right(){(63:838)}

**ティーガー1戦車にパンター戦車の砲塔を載せる計画は何故キャンセルされたのですか?
パンターの砲塔を載せるためにティーガーの車体を作るより
パンターの車体を作ったほうが賢いから
#right(){(64:18)}

**ヴィルベルヴィントがオープントップなのはレーダーが無かったからですか?
単純に、屋根の無い対空火器を流用したから。
また、車載用に大幅な改造しなかったから。

ドイツの対戦末期の対空戦車は屋根ついてます。
#right(){(64:657)}

**ティーガー2の砲塔上面にある突起物で前方左側にある短いアンテナのような物が生えた奴と後部のピルツの両側にあるのは何でしょう? 
コマンダーキューポラの正面ペリスコープには
二本の針金が溶接してあり、これと一本の突起w
と合わせる簡易照準器です。
後部のピルツの両側:これはね
付いている砲塔とない砲塔があります。バールとか長い物を
取り付けるようです。固定する為のボルトが付いてますが
実際何に使うか不明です。 
#right(){(66:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)}

**ツィメリットコーティングって何年の何月ごろから使われ始めたんですか?
>それと廃止された時期も知りたいんですが。
ティーガーⅠにおいてツィメリットコーティングの塗布が始められたのは1943年9月製造
の車両番号250501からです。
また、1944年9月9日の指示によりすべての戦車への工場での塗布が停止され、さらに44年10月7日には
受領した戦車への現場部隊での塗布の停止が指示されています。
#right(){(68:名無し軍曹)}

**映画「プライベートライアン」にキングタイガーが出ても考証的にOKなんですか?
ノルマンディー戦全体なら、ごく初期の物が投入されている。
が、そもそも、米軍が戦車を保有してない戦地に重戦車を投入できるほどドイツはお大尽ではないです。
(ドイツには戦地で突撃砲は見ても、戦車は見たことない歩兵が多かったとか。)

タイガーはT-34の改造でらしく見える。(テリーサバラスの頃からあった手法)
マーダーはスェーデンが兵員輸送車に使ってた38(t)のスェーデン仕様版をベースに使ってる。


てな訳で、らしく見せられる車種が選ばれたようですね。
ホントなら、三号突撃砲あたりかなあ。
#right(){(68:466)}

**パンターG型の車体表面に妙な小さい横線模様があるのですが、これは何なのでしょうか?
ツィーメリットコーティングと呼ばれる磁気式吸着爆雷防止用のコンクリート等で塗られたものです
後期のドイツ戦車には良く塗られていました。
#right(){(70:758)}

**中近東で第二次大戦中のドイツ戦車(4号戦車、3号突撃砲)が使われてたのはなんで?
第二次大戦が終了して、東欧を中心として各国に遺棄された兵器が再使用
されています。
例えば、フランスは新型戦車が揃うまで、5号戦車が使われたり、Fw-190が
使用されたりしましたし、チェコも同じように、東側の体制に組み込まれるまでは、
旧ドイツの兵器体系でした。

これらは自国に生産工場があったり、賠償で得たりしたものですが、兵器体系が
整備されるに従って、これらの兵器は不要となり、国外に売却されています。
その売却先の一つが中東諸国だった訳です。
#right(){(80:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**4号戦車の短砲身型も徹甲弾を中心に使っていたんでしょうか?
WW2の戦車で徹甲弾を主用してた戦車なんてイギリスの戦車だけだろ。
しかも、アレは機関銃の効果を過大評価してただけだし。
#right(){(82:400)}

**ドイツの怪戦車「ラーテ」ってなんでレール移動にしなかったのでしょうか?
そもそもラーテ自体がどこまで本気で作る気があったかわからん代物なのでなんともいえないが
少なくとも用法は自走砲的なもので間違いないでしょう。

レール移動にしなかったのはレールが敷けないところに持っていくためだと思います 
#right(){(83:25)}

**アメリカ国内に現存する、ヤクトパンターをご存知の方いらっしゃいますか?
多分アメリカはアバディーンにしかなかったと思う
パンターやケーニヒスティーガーならばパットンミュージアムに有ったと思う
#right(){(92:275)}

**強力なタイガーの量産に注力し、パンサーの開発を取りやめたほうが効率が良かったのではないか
そんなこと総統閣下が認めない
#right(){(95:956)}
パンサーは中戦車。
タイガーは重戦車。
#right(){(95:957)}
逆だよ。重いわ鉄を食うわ整備しづらいわ、ティーガーなんぞ量産したら負けるぞ。
ま、パンターでも負けたが。女子工員がそのまま使える戦車でないとやはり戦争には勝てんだろう。
あ、T-34だぜ。念の為。
#right(){(95:959)}
957に中戦車と重戦車とある。
この二つでは運用方法が異なる。

中戦車において重んじられるべきは、
総合的な戦闘能力だ。
機動力、装甲、火力、この3つが程よくバランスが取れているのがいい。
3者のバランス良く、装甲師団の運用を妨げず、ということが重要なんだ。
装甲師団だとどのような作戦目標や任務を預かるかわからない。
であるから、オールマイティさを追求しなけりゃならん。

重戦車は、その機動力をある程度まで犠牲にして、
装甲と火力を重点化している。
すなわち、固定化してしまった戦線で、
無理やりに突破口を開かなきゃならんとか、
重要な目標に突進してくる数的に優勢な敵戦車部隊を撃砕しなけりゃならんとか、
そういう機動力はある程度なくても、強力なハンマーになりかつ撃破されにくい、
というシチュエーションで用いられるべき戦車なんだ。

戦車の使用が一般的になってくるWW2の中盤戦あたりから、
こうした機能的分化を考えないといけなくなってくるんだ。
#right(){(95:960)}

**ヤークトパンターは何処に良好な状態の展示品があるか
取りあえず、ドイツ・ムンスターの戦車学校に一台残ってたと思う。
他にも米英露の戦車関連博物館で見れるんじゃないかなあ。
#right(){(95:902)}
ヤークトパンターが見られるのはアメリカのアバディーン戦車展示場、フランスの
ソミュール戦車博物館、イギリスの王立戦争博物館、ボービントン戦車博物館、
ドイツのムンスター戦車博物館、ロシアのクビンカ戦車博物館で実車が見れます。
#right(){(95:916)}

**大戦時どうしてドイツ軍は丸型鋳造砲塔を採用しなかったのでしょうか?
設備と資源が足りなかったから。ニッケルもモリブデンも無しの表面硬化鋼
板に頼ってるんだから、鋳造にしようが無いだろ。
#right(){(103:864)}
鋳造後の窒化だってやってできなくはないから、理由は量産性でしょう。
#right(){(103:870)}

**パンターの場合、タイガーと違って昼飯の角度の有効性に多少疑問があります。
>傾斜装甲では多少角度の変化をつけたところで大した効果は得られない、むしろ横腹を曝しやすくなるだけ
>危険だ・・・と以前どこかのスレで拝見した覚えがあるのですが。

>以上の話は本当のことでしょうか?
本当の事、としか言えませんが…
ティーガーの砲塔側面80mmに対してパンターAは45mmしかありません。
45度から撃たれたとして換算するとティーガーの80mmは約130mmに相当
するのに対してパンターの45mmは約80mmです。

ティーガーの正面装甲は100mmですからいわゆる昼飯の角度をつけた
ほうが防御力が上がるわけですがパンターの場合は傾斜角をつけても
正面装甲(100mm)で受けた方が貫徹されにくいのです。
#right(){(112:290)}
初めから垂直面で傾斜している装甲に水平面での傾斜を加える利と
側面を取られやすくなるリスクを天秤にかけてください。
#right(){(112:301)}
納得された後で申し訳無いが、先に出た回答の問題点を三つばかり申しますとね、
昼飯の角度で避弾傾始を改善するにしても、敵を撃つからには、砲塔は正面向けるしか無い。
昼飯の角度の利点を考える時には、避弾傾始を無視しないこと。
パンターの砲塔正面の一番装甲の厚い部分は、傾斜が浅く、むしろ弱点と成りやすい部位として知られていた。
#right(){(112:302)}
第二次世界対戦~戦後第2世代くらいまでの戦車は避弾傾始が有効とされてるけど、
それでも砲塔を例に昼飯時語るのは確かに変だ。
車体は昼飯でも砲身は敵に向けるからな。

おそらく、なんだが。
パンターとティーガー1の砲塔を引き合いに出してるのは、傾斜装甲の利点を、
傾斜によって着弾方向への装甲厚を増してる点だけに求めてるのからでは無いかと。

ただし、砲撃せずに距離を詰めてるだけの時の話なら砲塔を昼飯時ってのは有りなんだろうけどな。
#right(){(112:308)}

**アルデンヌ戦でタイガーⅡのポルシェ砲塔型は参戦しなかったんですか?
1944年の暮れにはティーガーⅡはほぼ全車ヘンシェル砲塔型だったと思う。

ポルシェ砲塔型のティーガーⅡが実戦投入されたのはフランス戦だけの筈。
#right(){(112:653)}

**駆逐戦車エレファントの中はどうなっていたんでしょうか?
>一見広そうですが・・・
画像がちょっと出せないけど、見た目のわりには狭い。
8.8cm砲の砲尾が巨大で、砲と弾薬の間に乗員席がある感じ。

もちろん、居住性なんて全く考慮されてないことは言うまでもなし。
#right(){(113:267)}

**SS第2師団 ダス・ライヒの重戦車大隊は、1944年のノルマンディーではティーガーⅠの何型を装備していたのでしょうか?
お尋ねになられているのは、SS第2戦車連隊ダス・ライヒの重戦車中隊を基幹として
編成されたSS第102重戦車大隊のことだと思います。

さて、先日ちょうど同じような質問があったところなので回答させていただくと、
SS102大隊の装備したティーガーⅠはいわゆる後期生産型と思われます。
44年春に編成を開始した同大隊は45両のティーガーを受け取っていますが、
これらはすべて工場から出たばかりの新品車両です。

また、写真等でも中期型はSS101大隊では確認されていますが、SS102大隊の所属と確定したものはないようです。
(先日撃破されたSS102の中期型ティーガーではないかとされた写真があると書きましたが、
これは『パンツァーズ・イン・ノルマンディー』によるもので、他の写真集ではSS101のものとされていました) 
#right(){(113:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
>SS101大隊というのは、SS第2戦車連隊ダス・ライヒ所属ということでしょうか?
重戦車大隊は師団に所属するのではなく、軍直轄の独立大隊として編成されました。
SS102重戦車大隊の基幹部隊はSS第2戦車連隊第8(重)戦車中隊です。これが44年に再編成されて
重戦車大隊になりました。
つまり、再編成された時点でダス・ライヒ師団とは全く別の部隊になったわけです。

SS第102重戦車大隊はノルマンディー戦時には第2SS装甲軍団の直轄重戦車大隊として行動しています。
#right(){(113:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
ということはSS101はノルマンディー時には第2SS装甲軍団の直轄重戦車大隊ではなかったということでしょうか?
SS101重戦車大隊は第1SS装甲軍団の直轄部隊でした。
第1SS装甲軍団は第1装甲師団『LSSAH』と第12装甲師団『ヒトラーユーゲント』
によって編成されていました。
同様に第2SS装甲軍団は第9装甲師団『フルンズベルグ』と第10装甲師団『ホーエンシュタウフェン』
によって編成されていました。
#right(){(113:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}

**ドイツの4号とか3号戦車の砲塔や車体横に鉄板の追加装甲が付けられていますが役に立っているのでしょうか?
シェルチェンですか?
あれは14.5mm対戦車ライフルによる狙撃を防ぐためのものです
後期には成形炸薬弾による攻撃を防ぐ効果もありました。
#right(){(113:734)}
HEAT弾には効果があるだーよ。
#right(){(113:741)}
車体横のシュルツェンは簡単に取り外しできたのでよく脱落した。
またシュルツェンの厚さは砲塔のが8mm、車体の物は5mmあった。
車体横のシュルツェンは末期には成形炸薬弾対策として金網製のものもあった。
#right(){(113:746)}

**ドイツ四号戦車の砲塔の前面左についている、八角形ものはなんですか?
「クラッペ」と称される、砲手用の視察孔です。
初期のIV号戦車では砲塔側面にもいくつかついてるますが、あれの小さいものです。
#right(){(114:339)}
>ありがとうございますっ
>するとあれは、外せるんでしょうか
ヒンジが付いていて、上に向かって開く感じですね。
F型などでの写真でつが。
#right(){(114:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
各型とも上にヒンジのついた開閉式になっています。

一部車両は防弾性向上のために溶接してしまった場合もあります。
#right(){(114:346)}

**ティーガー、ケーニヒスティーガー戦車の敵戦車撃破数:生産台数のデータってありませんか?
わかるデータだけ提示します。
ティーガーⅠ&ケーニヒスティーガーを装備した重戦車大隊&重戦車中隊のスコアです。
(両車の区別はつけられませんのであしからず)

第501重戦車大隊:450両
第502重戦車大隊:1.400両以上
第503重戦車大隊:1.700両以上
第504重戦車大隊:250両
第505重戦車大隊:900両
第506重戦車大隊:400両
第507重戦車大隊:600両
第508重戦車大隊:100両
第509重戦車大隊:500両
第510重戦車大隊:200両
グロスドイッチェランド戦車連隊第13中隊:100両
グロスドイッチェランド戦車連隊第三大隊:500両
SS第101重戦車大隊:500両
SS第102重戦車大隊:600両
SS第103重戦車大隊:500両
SS第1戦車連隊第13中隊(LAH師団):400両
SS第2戦車連隊第8中隊(ダス・ライヒ師団):250両
SS第3戦車連隊第9中隊(トーテンコップフ師団):500両

合計一万両弱を撃破したことになります。これに対して生産数は、
ティーガーⅠ:1.353両
ケーニヒスティーガー:496両
となっています。
#right(){(115:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}

**第2次大戦中、ドイツの1号・2号・3号戦車はそれぞれ何時頃まで前線で使われていたのでしょうか?
二号、三号ならば派生型は終戦まで使ってます。
#right(){(118:135)}
使ったという意味なら終戦まで現役で使われてます
姿を変え用途を変え全軍に配備されていました
#right(){(118:138)}
二号戦車および三号戦車は、その車台が自走砲として終戦まで用いられました。
一号戦車も一部の部隊の指揮通信車としてかなり末期まで使用されていたと思われます。
純粋な戦車としては、一号戦車は1941年の夏頃まで、
二号戦車は1943年の春頃まで、三号戦車は1944年の秋頃まで前線で使用されていたようです。
#right(){(118:143)}

**虎戦車や豹戦車を作った技師たちの製造技術が米ソの兵器に影響を及ぼしたって話をあんま聞かないんですが、
>この分野の技術は戦後どうなったんでしょ?
早い話が、そうでしょう。
装甲など、細かい技術では見るべき物は有ったかもしれませんが、
音速域の空力データみたいな技術史を塗り替えるぐらいの先進的な技術は、
戦車に関しては見出せなかったって事でしょう。
自動車の技術に関しては米国の方が遥かに進んでいましたし、
重戦車を投入しなかったのは、ロジスティクスの都合ですし、
ソ連に関しては、運用方法が全く違いますし。
#right(){(118:449)}
と言うか、以下の理由でドイツ人が戦中の技術に拘ってしまう様な愚考はしません。
はっきり言ってしまうと、工業界側の事情等、様々な制約と折り合いを付ける形で戦中のドイツ戦車が存在します。
戦後はそれらの制約が取り払われてしまったのだから、後は要求仕様に従ってベターな形を目指すだけなのです。
その仕様面は、戦中の停車戦闘&精密射撃より機動性を重視する物に変化しています。
AMX30と比べれば、当時西側に存在した技術で、
あの仕様に従って作れば自ずとあれが出来ると言うのが判るかと思います。
#right(){(118:551)}
追加のトリビアだけどね、そもM26以降の米戦車に見られる
「トーションバーサスペンション&オイルダンパー」の構成、ドイツは3号戦車で実現してるのね。
アメリカ側の導入タイミングから考えると、模倣の可能性は高い。
そう言う意味じゃ独→米→独に技術継承された感じ。

側面バスルの無いレイアウトも3号で使われてるけど、
まあ、砲塔バスケット付けた4号以降には側面バスルがあるんで、
被段率が下がる効果は理解してなかったかと。
#right(){(118:554)}

**ヤークトティーガーで、ポルシェ博士の足回りを用いたものが保存されているでしょうか
イギリスのボービントン戦車博物館"Bovington Tank Museum"にありますです。
#right(){(118:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}

**Jagd-Panzer IV, with 75mm Pak39 L/48 の実車写真を見た事がないのですが、試作車両ということでしょうか。
48口径砲を搭載した四号駆逐戦車はまとめて
"Panzerjager IV Ausf. F (Sdkfz 162)"でよろしいかと。細かいことは
ttp://combat1.hp.infoseek.co.jp/4GOU-K.htm で読んでください。

後に登場した70口径7.5cm対戦車砲PaK42を搭載したいわゆる「ラング」は
"Panzer IV/70 (V) (Sdkfz 162/1)"つまりIV号戦車/70(V)と呼ばれてます。 
#right(){(120:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
正面両サイドが丸いのは試作のOシリーズ。
軟鋼製。
#right(){(120:194)}

**独軍は短砲身7.5cm砲を実はⅢ号戦車にも搭載できることを、後から気が付いてⅢ号戦車N型が出来あがったというのは本当でしょうか?
N型に7.5センチ砲を搭載したのは
もう主力戦車としては使えなくなった3号に
余った7.5センチ砲(長砲身のを生産&搭載し始めたんで短砲身のが余剰になった)を
載せて支援車輌として使おうとしたという、
再利用みたいなことを意図したからであって
別に後から気付いて載せた、というわけではない。
#right(){(123:156)}
いいえ。
正しくは“知らなかったと言うより考えていなかった”くらいの話かと思います。
当時は片手装填の有利さが根強く支持されていたので、
主力の戦車には片手で装填出来る砲を搭載し、別枠で強力な砲を搭載した物を
配備しておく方が有利と言う発想がありました。それに従っただけでしょう。

なお、ドイツ人は短砲身75mm砲を運用するだけなら、
四号戦車にはかなり余裕を持たせてあることを知っています。
逆を言えば四号戦車の砲塔と、その砲塔リングより小さい物でも
同砲は使えることは知っていたのは確実です。
#right(){(123:158)}

**駆逐戦車と突撃砲の違いを教えてください
駆逐戦車→戦車兵
突撃砲→砲兵
#right(){(125:806)}
駆逐戦車は戦車を駆逐する為の指名打者みたいなもの。
主砲が固定されておらず通常の戦車と同じく旋回砲塔が付いているものもある。

突撃砲は対戦車戦から歩兵支援まで幅広く使われる。
基本的に主砲が固定されている。
#right(){(125:807)}
ドイツ国防軍の場合、駆逐戦車は兵科が戦車、突撃砲は砲兵
アメリカ陸軍の場合当初、戦車駆逐車で対戦車戦闘を行い戦車で歩兵支援を行う予定だった。
#right(){(125:809)}
突撃砲にはドイツ式とソ連式の定義があります。
ドイツ式はガイシュツなので省きます。
ソ連式の場合SU=突撃砲架と言う意味で、それを持つ物が突撃砲となります。
SU76などは自走砲と呼びたい所ですが、この場合の突撃の定義自体が
ドイツとロシアでは違うと考えると良い様で。
(ニュアンスの違う物を一つの語に訳してしまうことは少なく無いし。)
それと、先の回答者が何故か駆逐戦車の質問に対して戦車駆逐車について
まで説明してますが、両者はまるで別物なので混同しないように。
#right(){(125:851)}

**Ⅱ号F/GのジャッキとⅢ号戦車系列のジャッキは、おなじでつか?
違う。
1号系列と同じ物
#right(){(127:714)}

**ドイツ戦車に「福」の漢字を逆さまにしたマークをペイントしているものがありますが、これは一体どういうつもりでやっているんですか?
「倒福」でググるといろいろな知識を得られると思います。

ドイツと中国国民党とは交流もありますので、このマークが使われても
おかしくはありません。
#right(){(127:679)}
中国では有名なもので、中華料理店、中華街でもよくある
知られたシンボルです。
#right(){(127:687)}

**ドイツの計画車両である重戦車マウスですが128mmと75mm砲を同軸装備しています。
>大きさの違う主砲を2門も搭載しているのはなんでなんででしょうか。 
128mm砲で射たなきゃならないような敵はそう多くないのです。
現実的にも128mm砲弾はそうたくさんは積み込めません。
75mm砲はそういう、もっと数が多く、128mm砲では大げさすぎるような目標に使用するのです。 
#right(){(128:411)}
その答えでけっして間違ってるわけではいないのだが、
75ミリ下せばそのぶん砲弾積めるじゃないか、と誰もが思うなw
#right(){(128:413)}

**キングタイガーの同軸機銃はMG42でしょうか?
戦車で同軸機銃をMG42にしたものは無かった筈だが。

MG34なら車載型はバレルジャケットを肉厚のものにして、破損し辛いようになっている
(バレルジャケットの放熱/軽量穴が歩兵用に比べて少ない) 
#right(){(128:577)}
>同軸機銃と前方車載銃(?)の銃身の形にちがいがありますか?
>同軸機銃は防盾からどの位飛び出しているのですか?
>使用してない時は外しているのか、装着していても奥にあって見えないのか、気になります。
・同軸機銃と前方車載銃(?)の銃身の形には違いがありますか?
 ない。戦車の搭載機銃は全部車載型。
 ただキューポラ(戦車長用展望塔)についてる対空機銃は歩兵用のもの(これは
 MG42を使ってることもあった)を付けてる事が多い。
・同軸機銃は防盾からどの位飛び出しているのですか?
 ケーニヒスティーガー(キングタイガー)に関して言えば同軸機銃は防盾からは露出してない。
 ドイツの場合Ⅴ号パンター以降の戦車の同軸機銃は防盾からは露出していない
 (露出させると破損/戦闘損傷が激しくなる為)
・使用してない時は外しているのか、装着していても奥にあって見えないのか
 ドイツに限らず戦車の同軸機銃は常に装着されている。戦闘状態なら尚更。
 基地祭などで公開展示されている時は外している。演習時にも外していることがある。

陸上自衛隊の戦車は駐屯地祭で公開された時には外してあった(砲塔上の対空機銃は付けたまま)。
#right(){(128:581)}

**ミヒャエル・ビットマンの最期の搭乗車って写真が残ってるのでしょうか?
ヴィットマンが最後に乗車したティーガーの写真は撃破後のものがいくつか存在する。

ちなみにこの007号車は元々ヴィットマンの乗車ではなく、SS第101重戦車大隊長の指揮戦車だった。
またこの写真はヴィットマンの乗車と知って撮影されたものではないようだ。 
#right(){(130:397)}※リンク消滅



**パンターのカマボコ型防盾は、下部に砲弾が当たると砲弾が滑って戦闘室を破壊するといいますが、戦闘室を破壊されて放棄されたパンターの写真を見た事がありません。 
本当の話なんでしょうか? 
手元の資料をめくると、「シュトルム&ドランクNo.5 パンター」の111ページに 
米第703戦車駆逐大隊が鹵獲したパンターに対し90mm砲で試験射撃を行った写真が 
掲載されています。 
それを見ると、1~5と番号が書き込まれた命中痕のうち1・2番が正面装甲を貫通。 
3番が防盾下部に命中の後無線手席上面を貫通、4・5番が防盾を叩き割っています。 
また、104ページには戦闘室上面の吹き飛んだパンターの写真も掲載されています。 

G型後期から防盾下部を垂直に近い形状に変更したという事実からしても、跳弾による 
戦闘室への被害は実際にあったとみて何ら不思議はありません。 
そもそも戦争末期の混乱の中で無意味な設計の変更がなされるはずもないですし。 
#right(){(559:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**WWII のドイツ戦車は優秀だが生産性の低いのが欠点、ということがよく言われますが、 
>T32 を鹵獲、模造して大量生産するようなことをしていれば、その後の戦局を多少なりとも有利に展開できたんでしょうか。 
>逆に、資源の問題から、少数精鋭の設計をせざるを得なかった、というような面はあるのでしょうか。 
とりあえずドイツでは不足してたアルミニウムがエンジンに使われてたのでT-34のコピーは無理 
でもパンターは相当T-34の影響を受けてる 
シャーマンやT-34みたいな鋳造砲塔は生産性がよいが、冶金技術が高いわりに何故か鋳造がヘタなドイツにはそれができなかった 
あとレアメタルの不足から装甲に表面硬化処理をせねばならずそれも工数を増やしていた 
まあ確かにドイツ人は凝り性だったが(挟込式転輪とか)生産性を気にしてなかったわけではない 

それに大きな装甲板の溶接が行える設備のある工場や砲塔に必要なベアリングの供給が最初から限られているので、 
ヘタに性能を落として生産性を上げてもあまり意味が無いどころか戦力低下につながる恐れがある 
主力の戦車の生産ができない工場では突撃砲や駆逐戦車を大量生産して戦車数の不足を補っていたので数を気にしていなかったわけではない 
#right(){(573:396)}
**大戦中のドイツの駆逐戦車は視認性が悪いようですが
>ヤクトパンター、ラング、ヘッツァー等の駆逐戦車にはキューポラが付いていません
>三号突撃砲の代用で出た筈のヘッツァーなど、ハッチを閉めると車長席からは後方しか視認出来ません
駆逐戦車は基本的に前しか見えなくてOKだから。

装甲の厚い前面を敵に向けながら、主に待ち伏せ攻撃す為の車両だしね。
例え全週視界が確保されてても、砲をすぐに横に向けたりはできないから
あんまり意味がないし。

とは言え戦車兵達には不評ではあったようだ。

ただ、姿勢が低く発見され難いのがメリットの一つの駆逐戦車にキューポラを
設けると、発見される確率が高まるとは言える。
ヤクトパンターのように「今更そんなこと気にしてどないすんねん」みたいな
バカでかい車両もあるが・・・。
#right(){(326:586)}
**四号短砲身や三号NのHEAT弾に対する乗員の評判ってどんなもんでしたか? 
独ソ戦の開戦当初は成形炸薬弾はトーチカなどにしか使用を許可されておらず、公式的な 
記録はほとんどない。 
戦車相手に特殊な榴弾を使ったとされる記録があり、成形炸薬弾のことだと主張する人も 
居るが、短砲身75mm砲の場合、近距離なら遅発作動信管をつけた榴弾も非常に高い貫通力 
を持つ(近距離では徹甲弾と逆転する)とする資料もあるため、そちらの可能性もある。 

アフリカ戦では英軍の評価として、3号が75mm砲を搭載して危険な相手に戻ったとしている。 
おそらく、ドイツ側でタングステンの使用制限がきつくなった時点で、3号の長砲身型 
(MK3スペシャル)が硬芯徹甲弾を打ち尽くした頃合で3号の脅威度が低下。 
成形炸薬弾で再び危険な相手に。ってことかと思う。 
また、時期的に積極的な侵攻をしなくなっているので、アナグマの武器としては低初速でも 
使い勝手は良かったのかも知れない。 

東部戦線では、ティーガーの補助、軽量さを生かして偵察・通信・連絡などに就く。 
が、組み立て中の車台を突撃砲生産材料に回している所から、言うほど使い道も無かったし、 
運用上の制限も多いはずの突撃砲の方がまだ有益と言うレベルでしょ。 

なお、突撃砲F8型のベースとして、M型車台が使われていると言う説は、車体前方上面の 
ハッチは似ているだけで構造が異なる(防水シールの有無・開閉ではなく取り外し式)ことが 
判明して誤りと判ったので、3号戦車が突撃砲に転用されだすのは5年ほど前あたりまで信じ 
られていた説より少し後のタイミングらしいと言うことで注意されたい。 
#right(){(607:264)}
**三号戦車の役割について。敵戦車を撃破するために作られたのですよね? 
Ⅲ号戦車に求められたのは機動力を生かした敵戦線の突破・攪乱で、対戦車戦闘は二の次。 
そもそも当初Ⅲ号戦車は3.7cm砲を戦車砲として搭載しており、5cm砲搭載型のG型が 
生産されたのは1940年に入ってから。 
グデーリアンは当初から5cm砲の搭載を主張していたが、兵器局に押し切られる格好で 
3.7cm砲の搭載が決定した。しかし、ターレットリングを広く取っておく配慮がなされたため、 
5cm砲の搭載が比較的容易にできた。 
#right(){(321:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**突撃砲と駆逐戦車って別な必要あるんですか? 
突撃砲は元々歩兵支援のために対陣地・歩兵用の榴弾砲を搭載する車輌 
駆逐戦車は元から対戦車砲を搭載して対戦車戦闘をする車輌 
東部戦線のT-34ショックで対戦車火力の強化が急務となり、対戦車用の長砲身砲を搭載するだけのキャパシティがあった突撃砲が長砲身化されて駆逐戦車として使われるのが常態化してしまった 

IFVはある程度の攻防力のある歩兵の移動手段であり、突撃砲や駆逐戦車とは丸きり異なる 
敵MBTに対しても自衛戦闘くらいはできるようにATMを搭載したIFVはあるが、ATMを搭載することがIFVの必要条件ではない 

今では全装軌で済ましている用途の車輌が半装軌式が一般的だったのは、その頃の技術では全装軌式の路上機動力と価格・生産性、全装輪式の路外機動力がそれぞれ非常に劣っていたので半装軌式にすることで弱点を補っていたから 

シュトルムティーガーは駆逐戦車化する前の突撃砲本来の用途を任務とするより攻防力を強化された車輌 
用途を限定しすぎてあんまり使えなかったが 

APCにATM付けただけじゃIFVにはならない 
機関砲ないし低圧砲を搭載し機関砲に耐える装甲を備えないとIFVとは言えない 
#right(){(632:51)}
**ティーガー、パンターのお値段は?
ティーガーは300,000ライヒスマルク、Bf109の初期型でその半額くらい。 
パンターは125,000ライヒスマルクとお買い得。 
#right(){(639:34-40)}
**WW2後期のドイツ戦車についてなんですが、なんで車載機銃がいつまでもMG34だったんですか?
>時期的に、MG42に変わっててもおかしくないのに。
バレルジャケットの強度や形状がボールマウントに適応していないため。
このため、同軸機関銃のみをMG42に換装して、前方機関銃はMP44突撃銃に
変更する予定だった。
#right(){(305:520)}
**パンテルの75mmはティーゲルの88mmよりも装甲貫徹力で勝っていたと聞きましたが、それなら何故ティーゲルに75mmを搭載しなかったんでしょうか?
そういうアイディアもあった。

実際ティーゲルのヘンシェル社案ではパンターのものによく似た砲塔に
75mmゲルリッヒ砲(超硬弾頭を使用した、砲口に行けば行くほど内径が細く
なっている砲。砲身内圧を無理やり上げて初速を増し、威力を増やす)を
搭載する予定だった。

ティーゲルⅠは重戦車として陣地攻撃に使うことが想定されていたので、
最終的には榴弾の威力を考慮して88mm砲が採用された。

で、実際パンターと同じ75mm砲に換装する案もあったが、パンターの生産に
支障が出るので没った。
#right(){(305:805)}
**ティーゲルより総合的にはパンターの方が優れた兵器と思えてなりません。当時のナチスではどのような見解だったのでしょうか?
ティーゲルⅠはその戦闘能力の高さが絶賛されたが、現場では「重くて大きくて
整備が面倒ですぐ壊れる」と不評だったし、軍需関係者には「1両作るのに金と
資材と手間がかかり過ぎる」とやっぱり不評だった。

パンターは生産コストは安かった(ティーゲルと比べればの話だが)が、初期型は
やたら故障する上に新機軸が多くて取り扱いが面倒で現場にも不評だった。
#right(){(305:824)}
**4号戦車F2型で搭載された75mm43口径砲弾はG型以降の75mm48口径砲にも使用できたのでしょうか?
弾薬は一緒。
ただしパンテルの75mm砲とⅣ号の75mm砲は弾薬の共通性はない。
#right(){(300:21)}
**四号戦車乗りがティーガーに機種転換したことありましたか?
多くのティーガー重戦車大隊は既存の戦車連隊から兵員を抽出して編成されていますので、
当然四号戦車からティーガーに機種転換した戦車乗りも多かったでしょう。
例として挙げると、第506重戦車大隊は第9装甲師団第33戦車連隊第Ⅲ大隊を基幹として
編成されています。
#right(){(300:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**パンテルの75mmの方がティーゲルⅠの88mmより装甲貫徹力が上だったと聞きましたが、実際はどうなのでしょう?
ティーガーⅠの8.8cmKwK36L/56は、初速においてパンターの7.5cmKwK42L/70に劣ります。
・8.8cmKwK36:773m/s 
・7.5cmKwK42:925m/s(Pzgr39使用時の比較)
これにより、実際の装甲貫徹力は
・8.8cmKwK36:100mm 
・7.5cmKwK42:111mm(垂直装甲板に対してPzgr39使用時。射距離1000m)
となっています。
#right(){(300:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**2号戦車は訓練用戦車で、戦闘に向かないですよね? 
Ⅱ号戦車は訓練用を兼ねていたものの完全に実戦投入を前提とされた軽戦車・偵察戦車であり 
使用する20mm徹甲弾は射距離100mで20mm、500mで14mmの装甲貫徹力を有し 
軽戦車クラスとしては十分な火力を備えていますし、またそのように運用されました。 

なお後に高速徹甲弾を採用したことで、射距離100mで49mm、500mで20mmにまで貫徹力を向上させ、 
BTクラス相手なら十分撃破可能な能力を獲得しています。 
#right(){(650:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)}
フランス戦時のドイツ戦車部隊 

Ⅰ号戦車 1077両、内554両が戦闘に参加 
Ⅱ号戦車 1092両、内955両が戦闘に参加 
35(t)戦車 128両、内10両は指揮戦車 
38(t)戦車 228両 
Ⅲ号戦車 339両 
Ⅳ号戦車 290両、内280両が戦闘に参加 
#right(){(650:376)}
**ティーガーとIS-2どっちが強い?
>ティーガーIIだと余裕でIS-2に勝ってしまうので、56口径8.8cm砲のティーガーIの話で。 
オスプレイのザロガの著書によると、距離1000mで互いの前面を撃ち抜いて撃破できる、とある。 
1500以上だとティーガーはIS-2を撃ち抜けず、反面IS-2は(完全撃破は無理でも)榴弾でもダメージを与えられる。 
ただしその距離だと、ティーガーの方が命中率がずっと高く、また発射速度は遙かに勝る。 
ティーガーIとIS-2の最初の遭遇戦では、ティーガーが距離3000から砲撃を開始したがダメ。もっと近づいてから3輌の撃破に成功。 
ちなみにIS-2の砲塔全面装甲最大165mmってのは、幅広になった防盾と砲塔前面の重なっている、さらにほんの一部の箇所ね。 

参考サイト
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02a2.htm 
>そのキングタイガーですらIS-3には惨敗してしまうのだが。 
IS-3の主砲である122mmカノン砲は 
距離550mで152mm貫徹、以下1000m-142mm、1500m-133mm、2000m-122mm 
だがティーガーⅡの装甲は砲塔全面180mm、車体前面150mm(ただし傾斜50度)なので正面からの貫徹は不可能 

一方でティーガーⅡの主砲である88mm71口径砲は 
距離500mで207mm貫徹、以下1000m-190mm、1500m-174mm、2000m-159mm 
IS-3の装甲は砲塔全面220mm、車体前面110mmで、傾斜など考慮しても1000m以下なら抜かれる 

結論としてティーガーⅡの戦闘能力は単体としてならIS-3を楽に凌ぎ、第二次大戦最強戦車の名を欲しいままにできる。 
ではIS-3に価値がないかというとそうではなく、IS-3はティーガーⅠを凌ぐ戦闘能力をわずか45t級の
車体に詰め込んだ点に最大の意義がある。 

ただしIS-2にせよ3にせよ、照準能力や速射能力ではドイツ戦車にはるか劣っており、 
1対1での勝ち目は非常に乏しかった。 
ドイツ軍のパンターにせよティーガーにせよ、3000m超の長射程で命中弾を送り込む能力を持っており 
正面きってなら常にアウトレンジを狙えたからだ。 
ソ連軍は数を頼みに懐に飛び込むことで、多くの犠牲と引き換えに勝利を収めるのが常だった。 
>当時の戦車で3000m先の目標に当てるなんて相当熟練した戦車兵じゃないと不可能だぞ
ドイツ軍だけは例外。 
光学照準器の優秀さが他国と段違いなので、マジで有効射程3000m以上ある。 
ゆうか氏の調べたところでティーガーⅡは4000m~5000mで狙い撃てる。 
>有効射程が3000m以上でも命中率は一桁だな。よって殆ど無意味。
3000mでは平均20~30%の命中率。 
砲弾の無駄ではあるのでよほど数の差があって最初から数減らしたいとかじゃなきゃそこまではやらん。 
だが2000m前後での砲戦は普通にやらかしており、待ち伏せ状態なら5割内外は命中させた。 
そしてこの距離でティーガーは大抵の、ティーガーⅡはISを含む全ての戦車に有効打を与えることができた。 
#right(){(650:677-696)}
**ドイツ戦車の稼働率
1945年3月15日の報告初によると、全線に配備されたドイツ戦車の稼働率は 
IV号戦車 62%、パンター 48%、ティーガーII 59%。 
…パンター、そんなに最終減速器の故障が多かったのか? 
ティーガーIIは数が少ないので大事に使ってたんだろうか。 

ティーガーの整備が集中して、徹底して行われてたのは事実。 
だがパンターの場合、もうⅣ号を上回る数が配備されてた。 
それでいてⅣ号よりは気難しいんだからこの稼働率は妥当な線だと思うよ。 

むしろ信頼性の塊の如く言われてたⅣ号でも6割程度なんだなーと。 
#right(){(650:705-706)}
**Ⅱ号C型軽戦車の機関砲弾はベルトリンクで繋がれているのでしょうか?
Ⅱ号戦車の機関砲(Sdkfz222等の20mm搭載装甲車も同じ)は
弾倉式です。
#right(){(297:561)}
**Panzerkampfwagenと戦車とはどうちがうのでしょうか? 
正確には 
PanzerもKampfwagenもPanzerkampfwagenも日本語訳で「戦車」の用語がある一方 
Panzerは「戦車」「機甲」「装甲」 
Kampfwagenは「戦車」「戦闘車両」 
Panzerkampfwagenは「戦車」「装甲戦闘車両」 
となります。 
日本語訳だと似た意味になりますがドイツではきちんと区別があります。
#right(){(674:743)}
**タイガー戦車には、幾つか華々しい戦果の逸話が有りますが、パンター戦車にも有りますか?
「バルクマン パンター」あたりでぐぐれ

米英軍はパンサーの前面装甲の厚さを良く知っていたらしく..
パンターに乗っていた戦車兵の話で前進しても敵の気配も判らなかったのに
旋回して町に側面を向けると
とたんに辺り中から砲弾が飛んできた

SS戦車隊から引用
#right(){(288:29-30)}
**WW2のドイツ戦車の照準器は性能が良かったそうですが?
ドイツにはカール・ツァイスやライカなど優れた光学メーカーがあり 
19世紀終わりの実用カメラが普及したころから技術的に優位だったから。 
また国家も政策として光学を国の主要産業に位置付けていたから。 
いうなれば今の日本でトヨタや日産があるから自動車産業が優れてるのと一緒。 
#right(){(690:751)}
**ドイツ軍の戦車って一両いくらぐらいするの? 
当時の価格は、下記です。 

「3号戦車 9万6200ライヒス・マルク 
4号戦車 10万3500ライヒス・マルク 
5号パンター戦車 12万5000ライヒス・マルク #とてもリーズナブル 
6号ティーガーI戦車 30万0000ライヒス・マルク 
3万1000ライヒス・マルク 主砲の8.8cmKwK戦車砲のみでの価格 
6号ティーガーII戦車 35万0000ライヒス・マルク 日本購入価格 
3号突撃砲G型 8万2500ライヒス・マルク 武装・無線等付属品無しでの価格 
ヘッツァー 5万4000ライヒス・マルク 」 

下記、 資料室> お値段>ドイツ兵器のお値段>1945年以前(大戦終結まで) を参照ください。 
ttp://www.geocities.jp/kanabow11/price/german_old.html 
#right(){(691:霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I)}
**WW2 でドイツ軍戦車に行われたツゥメリットコーティングの材質は何なのでしょうか? 
材質はポリビニール、木質繊維、硫化バリウム、 
硫酸亜鉛、黄土の混合物。 
開発製造はベルリンのツインメル化学工業社。 
#right(){(102:一等自営業 ◆BVruYgneoI)}
**ドイツ戦車にあるシュルツェンがなぜ現代の戦車やWW2の連合軍戦車付いていないのですか 
必要性を認めなかったからでしょう。 
そもそもシュルツェンはドイツ軍では3号・4号戦車の各所に付いていた視察孔や車体側面を 
ソ連兵に対戦車銃で狙い撃ちされたためにその対策として取り付けられたものです。 
成形炸薬弾に対する効果が認められたのはその後だったりします。 
要するに車体に元々ある程度の装甲があるのならば必要ないものなわけで。 
ましてやドイツ軍は対戦車銃なんてあまり使ってませんし。 

もっともパンツァーファウスト対策には土嚢を積み上げたり、T-34/85がベッドの 
スプリングを溶接したり現場ではいろいろやっていましたが。 
#right(){(105:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**シリアで使用されていた4号戦車などの詳細を教えてくれないでしょうか? 
シリアは1946年仏より独立後、ブルガリア・ハンガリーといった東欧諸国やスペインなどから 
Ⅳ号戦車・Ⅳ号駆逐戦車・Ⅲ号突撃砲等を数は不明ですが購入しています。 
これらの戦車のスペアパーツはフランスにあった撃破されたドイツ車両のスクラップヤード 
から調達された部品でした。 
しかし60年代にはパーツも尽きたのかゴラン高原に作られた陣地にトーチカ代わりに 
配備されました。 

1965年のイスラエルとシリアの「水戦争」(ヨルダン川の水利を巡る紛争)において 
Ⅳ号戦車はゴラン高原からイスラエル軍に対して射撃を行いましたが、イスラエルの 
センチュリオン戦車に対しては明らかに力不足でした。 
生き残ったⅣ号戦車はさらに1967年の六日戦争でもイスラエル軍に対して砲撃を行いますが、 
ゴラン高原はイスラエルに突破され、最後のⅣ号戦車がM50アイシャーマンに撃破されて 
その生涯を閉じました。 
#right(){(137:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**パンターD型は後期にどんな改修がされたのでしょうか?
パンターD型は1943年7月以降、いわゆる後期型に生産が切り替わっています。
その内容は質問にあったものを除けば、
・簡略化のためにヘッドライトを二つから一つに省略
・車長キューポラ上に対空機関銃を取り付けられるリングマウントが追加
・転輪をリムボルトを追加して16個から24個にした強化型に変更
・砲防盾上の双眼鏡式照準機用の穴に雨除けを追加
・履帯を改良し、ハの字型の滑り止めを追加

また、シュルツェンの追加は5月から、ツィンメリットコーティングは9月から
行われています。
発煙弾投射機の廃止は5月に行われた野戦試験で小火器による誘爆が問題になったためです。
転輪の補強もこの時期から検討されています。生産簡略化の検討も同様と思われ。
下二つはクルスク戦の戦訓による改良です。(9月生産分に実施)
#right(){(240:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**Ⅲ号戦車とⅣ号戦車の共通化車台がありますが、これを使った新型戦車の計画はなかったんでしょうか?
一応計画案としては、Ⅳ号戦車の砲塔/エンジンをそのまま流用して 
傾斜面を多用して装甲厚を強化した車体に組み合わせた物が提示されてます。 
転輪は6組でリーフスプリングを使用、ギヤボックスや起動輪はⅢ号戦車のものを 
使用していました。 
44年3月にクルップ社と試作の契約にまではこぎつけてますが、Ⅳ号戦車ラングの 
開発を優先するために計画は中止されています。
#right(){(194:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}

**Ⅵ号戦車の輸送用履帯について教えてください 列車輸送の際、どうして戦闘用履帯からはき替えるのか
貨物列車の車両限界の関係かと…。 

貨車にも幅があります。 

そのままでは積載できないか、積載できたとしても横に出っ張りがあれば、 
カーブなどで貨車が傾いたときに側部を擦ったり、下手をすれば転覆、脱線に繋がりかねません。

従って、狭軌履帯に取り替えて、外側転輪を外し、幅を狭めて貨車に積載したものと思われます。
#right(){(11:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**大戦時に日本はタイガー1号を購入しましたが、結局日本には送る手段が無かったと聞きました。
>この購入したタイガーはその後、どうなったんでしょうか? 
日本が購入したティーガーE型は1943年9月にヘンシェル社に日本への発送命令が出されて、
10月にケーニヒスボルンの陸軍機甲兵站部から日本に送る準備が始められました。
10月7日に日本に対して請求書が送られ、この時の価格は645,000マルクとなっています。
10月末には日本への発送が整いボルドー経由で送り出されましたが、戦況の悪化により
しばらくそこで待機を命じられました。
1944年2月28日にはヘンシェル社は日本からの代金の振込みを確認したのですが、
最終的に9月21日付の通知書により日本へ引き渡されないことが決定し、
ドイツ陸軍が貸与という形で使用できることになりました。

なお、出荷を断念したティーガーは1944年1月にSS101重戦車大隊に
車体番号”455”として引き渡されています。

なお、出荷の候補としてはパンター戦車も上がっていました。

ヘンシェル社には日本でのライセンス生産をにらんで組み立て説明図を日本に送るよう
要請があり、これに答えてマイクロフィルムに納めた説明図2組が作られました。
しかし、結局日本に送られることは無く現物は終戦時に米軍に接収されています。
#right(){(292:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**キングタイガーでヘンシェル、ポルシェとの違いを教えてください。
普通キングタイガーと呼ばれてるのがヘンシェル砲塔です。
丸っこいカッコワルイ形のがポルシェ砲塔です。
言うまでも無く殆ど全部がヘンシェルです。
#right(){(22:203)}
**アルデンヌ作戦に虎Ⅰはどのくらい参加されたのですか?
う~んと、独立重戦車大隊と3個SS師団の重戦車中隊、グロースドイッチェランド
師団の重戦車中隊に配備されているので、参加兵力から探れるのではないでしょうか。

ちなみに、TigerBはフェルトヘルンハレ師団に5両、それ以外は陸軍とSS独立重戦車大隊に配備されています。

両数とかは、末期の混乱した情勢ですから算出するのは難しいかも知れませんね。
#right(){(24:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**第501重戦車大隊ティーガーI型142号車って何色だったのでしょうか?
1942年11月にチュニジア派遣なので、ゲルプ塗装が自然ではないでしょうか。
古い資料ではオリーブグリンになってたりしてますね。
工場ではジャーマングレイで、派遣前の整備段階でゲルプに塗装されたと
考えられます。 
#right(){(27:一等自営業 ◆O8gZHKO.)}

**タイガーⅠの前期型と後期型の違いって何ですか?
簡略で説明致します。
コマンダーキューポラが円筒形で、ハッチが上に空く・・・前期型
コマンダーキューポラがパンター、ケーニヒスティーゲルと同じ
形(正確には違うが)で、ハッチが横スライドする。・・・後期型
転輪も大きく違う。
マイナーチェンジを何回もしてますんで、大日本絵画のタイガー関係の本をお買い求めください。
#right(){(29:一等自営業 ◆O8gZHKO.)}

**タイガー戦車のポルシェ砲塔てF―ポルシェ博士の設計なの?
もちろん答えはYES。
なんたって「フェルディナント」という名前の駆逐戦車があったくらいだからね。
あとはトーションバーサスペンションを戦車に使ったのもかれ。
#right(){(29:名無し軍曹)}

**6時間の戦闘で227発の対戦車銃弾、14発の52㎜弾11発の76.2㎜弾、地雷3発踏んで60㎞自走できたティーガーⅠ
>何処の部隊の何号車か分かる人いますか?
『TIGER』や『重戦車大隊記録集』によると1943年1月10日における
第503重戦車大隊の141号車、とある。

ただしArmourModelling12号のWEHRMACHTには
1943年2月11日における第503重戦車大隊第3中隊のサーベル少尉車、とある

たぶん前者が正しい
#right(){(31:526)}
**ティーガーの前面についているぎざぎざのものはなんですか。
前面に装着した増加装甲代わりの予備キャタピラです。 
#right(){(32:名無し軍曹)}

**ティーガー1の横に時々付いている角材(柱みたいな奴)は悪路脱出用ですか?
悪路脱出用でよいと思われ。今でも戦車が戦場でスタックしたら木材なんかで脱出する応急処置は習うらしい。
自衛隊は知らないけど。
装備してたり、してなかったりするのは戦場で戦車兵達が応急処置的に積んでるだめと思われ。
#right(){(37:556)}

**ケルシャーはティーガ-の初期型にしか乗ってないんですか?
マリナーファ戦では砲塔ナンバー<213>の初期型ティーガーに登場していた 
ケルシャー曹長ですが、直後の7月26日にアウツグラニ村で乗車を撃破され、 
彼と砲手以外のクルーは戦死し、彼も負傷しています。 
復帰後乗り換えたティーガーは中期型以降のティーガーである確立が高いし、 
いずれにせよ1945年には502(511)重戦車大隊はティーガーⅡに改変されています。
#right(){(41:670)}

**「昼飯の角度」はタイガー戦車を敵の砲撃にたいして斜めに向けて被弾に傾斜角をつけて防御する、という意味らしいのですが
>なぜ「昼飯の角度」なのか
この言葉はドイツ軍のティーガーのマニュアルである「ティーガーフィーベル」
に用いられていた言葉です。
それによると、「昼飯の角度」とは砲塔を昼食の時間である1時の方向に旋回させ、
敵に相対します。(あくまでも例えなのでなんで1時やねんという突っ込みは却下)
すると側面装甲の角度が敵に対して約60度になり、十分な傾斜角を得られる訳です。
「ティーガーフィーベル」は「シュトルムアンドドランクシリーズNo.1 ティーガー」デルタ出版
および「ティーガー重戦車写真集」大日本絵画に掲載されており、特に後者は
イラストが小林源文先生の物に差し替えられており、一読をお勧めします。
#right(){(44:908)}
ティーガーフィーベルという。ドイツの戦車兵教本に書いて
あるのです。ドイツ軍では飯の時間がズレてるのかな?
それ以上説明不可。
#right(){(50:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)}

**キングタイガーの装甲のギザギザは何でしょうか?
戦争後期の独逸戦車には大抵ついていますギザギザ。
あれは磁気吸着爆雷よけにプラスチックを塗ったものです。
実際にはそんなものを連合軍は使わなかったけどね。
#right(){(51:498)}

**独逸タイガー戦車の後ろのケツの所のタンクみたいのは燃料タンクなんでしょうか?
あれは「ファイフェルフィルター」といって、いわゆる吸気フィルターです。
生産簡略化のため、中期型からは廃止されましたが。
#right(){(57:名無し軍曹)}

**ロイヤル虎と王虎の違いは?
キングタイガーは言うまでもなくKonigsTiger(oはウムラウト付)を英語に直したものですが、
ロイヤルタイガーはそれとは別に連合軍が与えた識別名称です。
主にアメリカ兵によってその名で呼ばれたとのことです。
#right(){(62:名無し軍曹)}

**WW2時のドイツ戦車の型式名はなぜローマ数字表記なんですか?
ドイツでローマ数字を常用しているからです

ナチスの行進風景は、ローマ帝国の凱旋式そのものです(鷲の紋章も、敬礼の仕方も)
#right(){(64:358)}

**三号突撃砲の天井ハッチから突き出た蟹眼鏡は単なる潜望鏡なんですか?
あれは砲隊鏡と呼ばれるテレスコープ望遠鏡です。
もともと砲兵が射撃観測用に使うもので、突撃砲でも潜望鏡代わりに使用されています。
覗くと格子状のレティクルパターンが刻まれていて、広げて測距儀代わりにも使えたはずです。
#right(){(65:名無し軍曹)}

**Ⅴ号戦車とⅥ号戦車はどっちの方が強いんですか?
使い方次第です。
万能のⅤ号パンターと、攻防に特化したⅥ号ティーガー。
どちらにも勝つチャンスはあります。
#right(){(87:ゆうか ◆9a1boPv5wk)}

**WW2時のドイツ軍の戦車は5人乗りだったそうですが、戦車戦のエースと呼ばれていた人たちは、なにをやってた人なんですか?
戦車の指揮を取る戦車長と呼ばれるポジションです。
撃破スコアは戦車長の名前で後世の記録に残っていますが、
特に優秀な砲手は勲功の対象になっています。

例えばかの有名なミハエル・ヴィットマンの砲手であるヴァルタザール・ヴォルは
ヴィットマンの敵戦車80両の撃破に寄与したとして騎士十字章を授与されています。
またオットー・カリウスの砲手だったハインツ・クラマー軍曹は後にカリウスの推薦で
騎士十字章を授与されました。
#right(){(92:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}

**WW2時代のドイツですが、何ゆえ戦車用ディーゼルエンジンを開発できなかったのでしょうか?
ドイツの技術者もそう考えましたがヒトラー総統が許さなかった。
#right(){(93:86)}
T-34のエンジンのコピーについてですが、エンジンブロックがアルミ合金でした
航空機最優先使用のアルミを戦車にまで廻せず、コピーは断念されています
#right(){(93:91)}

**ドイツは駆逐戦車なんて代物を作ったの?素直に戦車だけ作っていたほうが効率いいような気がするんだけど。
戦車を作るのが間にああなかった事と、
第一戦を離れざるおえなくなった車体の再利用と言った面が有ります。

攻撃力不足の為、二戦級に落ちた車体を改造し、ワンランク上の砲を搭載すれば、
運用方法によって第一戦で使用出来ますから。

あと、工場によっては、Ⅴ号、Ⅵ号戦車が製造出来ないラインも有りますから、
そのような工場には、旧式の車体で済む駆逐戦車や突撃砲を製造させていた訳です。
#right(){(95:893)}
ちなみに、ソ連もアメリカも、駆逐戦車は製造していますし、イギリスの
ファイァフライも駆逐戦車的な存在です。
#right(){(95:894)}
ちなみに、同様の意見は、ドイツの戦車の生産建て直しと、戦車兵の育成を監督した、
装甲兵総監であるハインツ・グデーリアン上級大将も申し述べていますね。

でもまあ、>>893のような前線での兵力不足と生産現場の事情の両面から、
やむをえないということですね。
グデーリアン自身も、歩兵部隊の対戦車火力の補充のために、
ヘッツァーの生産を促進せざるを得ませんでしたし。
#right(){(95:896)}

**WW2 でドイツ軍戦車に行われたツゥメリットコーティングの材質は何なのでしょうか?
>また、チダデレ作戦に参加したティーゲルⅠに、そのコーティングはされていたのでしょうか?
チタデレではツゥメリットコーティングはまだです。
材質はポリビニール、木質繊維、硫化バリウム、
硫酸亜鉛、黄土の混合物。
開発製造はベルリンのツインメル化学工業社。
#right(){(102:一等自営業 ◆BVruYgneoI)}
>どのように戦車に貼り付けたのでしょうか?
The compositionof zimmerit was analyzed by C.S.A.R. and found to be the following:
Polyvinyl Acetate-25%, as binder or glue; Wood Fiber-10%, as filler;
Barium Sulphate-40%; Zinc Sulphide-10%;
Ochre Pigment-15%, for thedark yellow color.

このポリビニール・アセテートが接着剤だね。
#right(){(102:629)}


**ティーガとタイガーの違いを教えて下さい
ドイツ語読みと英語読みの違い。

カタカナで正確に書けるわけもありませんが、

ティーガ(ティーガーでもいいけど):ドイツ語
タイガ(タイガーでもいいけど):英語
ティジェル:フランス語
#right(){(378:228)}
**連合軍の兵士はティーガーのような重戦車相手にどうやって戦ったんでしょうか? 
>具体的な方法を教えてください 
チームプレイにより、囮に引き付けて接近戦に持ち込むとか。 
一つ言えるのは、M4は極初期の砲安定装置を装備した戦車であり、あまり起伏の激しくない 
ところでは行進間射撃が出来た。 
ドイツ戦車と比較すると砲塔の旋回速度が速く、エンジンは中低速トルクが出しやすく扱いやすく 
信頼性が高い。 
以上のようなことから、機動しながらの接近戦ではむしろ有利と言われている。(パットン評価) 

なお、半島国家のイタリアや、生垣や自然の植物が豊富なフランス西部では戦車は中短距離で 
出会い頭の接近戦や引き付けて待ち伏せを行うことが多く、結果として遠距離砲撃戦は起こり 
にくかった。 

他方、戦場が独仏国境に近づくと季節や植生の変化で遠距離砲撃戦の頻度が増えたが、米軍の 
装甲強化・76mm砲搭載型の配備率アップ・ドイツ側の練度低下で米軍側がドイツ側を圧倒 
することが多くなっている。 

それでも米軍が当初見積もりより大量の戦車を失ったのは事実で、特に75mm砲搭載型の 
消耗は多く、米軍がイギリスにシャーマンファイアフライを作ってもらいたくても作れない 
状況があった。 
また、米軍の場合、大戦末期はM36戦車駆逐車の配備も行われている。 
その他、105mm砲搭載の自走砲タイプのM4が成形炸薬弾を使用して良好な対戦車兵器 
になった例もある。 

イギリスの方は、シャーマンファイアフライを分散配置した。 大戦末期になるとファイアフライ 
を作りたいが75mm砲型が供給されないので作れないと言う状況に陥っている。
#right(){(582:698)}
**よく漫画や映画で、タイガーなどドイツ戦車がT-34の76mm跳ね返して戦闘を続けたりしていますけど、あれって衝撃波は車内まで響いてるんですか?
>もしくは何かそれらを緩和する装置みたいなものがあるんでしょうか?乗員は無事なのかといつも疑問です 
一応搭乗員はクッション材入りのヘルメットを被ったり(でもナチスドイツ軍の場合 
戦争初期以外は戦車兵用のクッション材入りヘルメットは支給してない)、車内の 
要所要所にクッション材入りのパッドが張ってあったりはするし、衝撃に弱い装備は 
ゴムのクッション材を介してとりつけてあったり、はするが、「衝撃緩和装置」みたいな 
特別な装置はナンニモナシ。 

なので、被弾すると物凄い音と衝撃が車内に響いた。 

被弾して、貫通もされてないし悠々弾き返したのに、搭乗員が音と衝撃でパニックになって 
勝手に戦車捨てて我先に逃げ出した、って話がよくある。
#right(){(584:762)}
**タイガー戦車はなぜ傾斜装甲を採用しなかったんですか? 
しばしば、『知らなかったから』と書かれるがデマ。
傾斜装甲のアイデア自体は大したものではなく、各国で知られていた。
ドイツ軍も早くからハーフトラックに傾斜装甲を採用している。

ただ、知らなかった訳ではないが軽視していたというのはあるのだろう。
装甲板による防御に過剰な自信を持っていたというのが一番大きい理由だろう。
それが、T-34ショックによって、ひっくり返され、第二次大戦後半のドイツ戦車は傾斜装甲ばかりになる。

傾斜装甲に付いては、しばしばその有効面が強調されるが、マイナス面もある。
まず、傾斜装甲と言うのは、その傾斜する角度から狙って貰わないと機能しない。
不整地での戦闘では車体が傾く事はしばしばあり、そうなると傾斜装甲は機能しない。
また、傾斜装甲を採用すると車内の有効体積が著しく減少する。
特に有効体積の減少が大きく、各国の技術者は分かっていても傾斜装甲を採用できなかった。
ちなみに、ソ連軍は乗員の居住性を無視することで、あるいは砲弾搭載量を減少させることで、この問題を解決した。
T-34のコピーとして開発が開始されたはずのドイツ軍パンター戦車は、傾斜装甲を採用しても車内の有効体積を確保しようとしたため、むやみに巨大化してしまった。
#right(){(His-med 2012-04-02)}

**タイガー戦車の操縦席の巨大なハンドルは、どういう仕組みで作動していたのでしょうか?
当時のドイツ戦車のハンドルは曲がろうとする側に切る角度によって、内側の起動輪を減速させる。
つまり、ハンドルの操作で内側と外側の起動輪の回転が変化して車体が旋回する。
以下の2種類がある。
1.ダブルラディアス方式
  大曲率用クラッチ→小曲率用クラッチの順に2種類のクラッチをスムーズに切り替える。
  要するに、ハンドルを切る角度で、
   1)大きな半径の旋回のために片側の起動輪の回転を少し落とす
   2)小さな半径の旋回のために起動輪の回転を大きく落とす
  と言う感じで切り替えが出来る。
2.シングルラディアス方式
  直進用より小曲率用のクラッチ→ブレーキの順に作動する。
  要するに、ハンドルを切る角度で、
   1)大きな半径の旋回のために片側の起動輪の回転を少し落とす
   2)ブレーキで片側の起動輪を止めてしまう。
  と言う感じで切り替えが出来る。

ティーガーは1。パンターは2で、1の方が圧倒的に操作が楽だが構造が複雑になる。

とは言え、ティーガーIは極初期の20台を除き、右側のキャタピラを左側にも履かせている。
シングルピンで方向性のあるキャタピラなので、長距離を直進すると微妙に針路がブレたそうで、実はひたすら真っ直ぐ
走ることが出来なかったりする。
#right(){(297:493)}
**ティーガー、ケーニヒスティーガー戦車の各々の敵戦車撃破数:生産台数みたいなデータってありませんか? 
わかるデータだけ提示します。 
ティーガーⅠ&ケーニヒスティーガーを装備した重戦車大隊&重戦車中隊のスコアです。 
(両車の区別はつけられませんのであしからず) 

第501重戦車大隊:450両 
第502重戦車大隊:1.400両以上 
第503重戦車大隊:1.700両以上 
第504重戦車大隊:250両 
第505重戦車大隊:900両 
第506重戦車大隊:400両 
第507重戦車大隊:600両 
第508重戦車大隊:100両 
第509重戦車大隊:500両 
第510重戦車大隊:200両 
グロスドイッチェランド戦車連隊第13中隊:100両 
グロスドイッチェランド戦車連隊第三大隊:500両 
SS第101重戦車大隊:500両 
SS第102重戦車大隊:600両 
SS第103重戦車大隊:500両 
SS第1戦車連隊第13中隊(LAH師団):400両 
SS第2戦車連隊第8中隊(ダス・ライヒ師団):250両 
SS第3戦車連隊第9中隊(トーテンコップフ師団):500両 

合計一万両弱を撃破したことになります。これに対して生産数は、 
ティーガーⅠ:1.353両 
ケーニヒスティーガー:496両            となっています。 
#right(){(115:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**アヴェンジャー30mm機関砲でタイガーⅠ戦車の正面装甲を掃射した場合、金属疲労で貫徹したりはしないですかね? 
WW2ドイツの重戦車達の10cmを超えるような装甲は、鋼板を軽く焼き入れしたあと、 
改めて表面だけを硬度焼き入れするという2重方法で作ってある。 
これは分厚い鋼板をムラ無く硬度焼入れするのが難しい上に、あまり硬くしすぎると 
衝撃で割れやすくなるから。 

なので30mm程度の機関砲弾ごときで金属疲労は起こすまい。 
もっとも記録写真を見ると大口径砲を何発もくらって弾痕を繋ぐ形で装甲板が割れてる 
ヤクトティーガーやケニヒスティーゲルがいるので、割れる時は割れるようだが。 
>金属疲労ってもっと柔らかい鉄じゃないと起きないんですね。 
金属疲労は鉄の硬度にはあんまり関係なく起きる。 
ただ一般的に言うなら硬い鉄の方が衝撃に弱く、割れたり砕けたりしやすい。 

ティーゲルⅠに30mm機関砲弾を正面から大量にぶち込んだら、貫通する弾は 
ないかもしれないが少なくとも戦闘不能状態には追い込める。 
前面クラッペも照準器も衝撃で壊れること確実だし、搭乗員も衝撃と着弾轟音で戦闘 
不能状態だろう。 
#right(){(272:551-554)}
**イタリア戦線で、タイガー戦車とアメリカ駆逐艦が撃ち合ったとの記述を雑誌で読んだ事があるんですが
1943年、シチリア島に上陸した連合軍に対し、ドイツ軍は即座に反撃に出た。
ティーゲル戦車を中核とした大隊規模の戦車部隊は橋頭堡にあと一歩という
所まで迫ったが、指揮官のパットン将軍は支援の巡洋艦と駆逐艦に味方を
巻き添えにするのを覚悟で支援砲撃を要請。
戦史に珍しい戦車と軍艦の撃ち合いが行われた。

ティーゲルが如何に強力でも12.7cmと15cmのつるべ撃ちには敵う筈もなく、
ドイツ軍側はほぼ全滅。
連合軍艦隊の損害は数隻が小破しただけだった。
#right(){(266:385)}
**ティーガーⅠの上面装甲は25mmしか無いので、曲射弾道で上面装甲に直撃されるとかなり危険ではないのでしょうか。
実際に東部戦線ではソ連軍の重榴弾砲(150mm以上)に上部装甲を貫通される事態が発生しています。
このため、44年3月以降の生産分では砲塔の天井の装甲を厚さ40mmに変更しています。
ただ、やはり命中する確立としては803氏のおっしゃるとおりそれほど高いものではないと思います。
#right(){(262:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**ポルシェ・ティーガーはガソリンエンジンを二基積んで、それで発電してモーター回して……という複雑な構造をとっていますが、
>設計した人はどういうメリットがあると考えてたんですか?
内燃機関直結発電の電動式にすれば、変速機がなくても 
車両を走らせられる。 
WWⅡの頃はまだ自動変速機の技術が未発達だったので、 
変速機は複雑なギアのカタマリで、そして激しく重かった。 
ギアを入れるのも繋ぐのも熟練の技術が必要で、そして体力 
が必要だった。 
また、エンジンが後ろにあっても変速機を後ろに置くと、操作 
レバーが長くなり過ぎて、人力ではギアチェンジが更に大仕事に。 
(でも動力補助機構をつけたら更に複雑にそして重くなる) 
さらにさらに後ろのエンジンから前部の変速機へと動力を伝える 
動力シャフトは、パワーをロスし構造の複雑化も招いた。 

といったような欠点を解消できると思われていた訳>電動戦車 

実際には内燃機関に加えて発電機とモーターというものが加わった分 
整備が面倒になり、しかも過大な加重がかかる戦車では相互の動力 
伝達が不具合を起こしまくって故障続出、走らせるだけでも一苦労、 
という大失敗に終わった。 

尚エンジンは片方だけでも両方の発電機を回せるが、その構造がさらに 
機構の複雑化を招いた上に、実際はエンジン一つの出力ではマトモに走れ 
るだけの電力を発電させる事が出来なかった。 

現場では片方のエンジンが壊れた時は、相互連結を切って片方のエンジン 
+発電機だけ動かし、無理矢理片側の発電機の配線を両方のモーターに 
繋いで動かしたそうな。 
もちろん電力不足で「摺り足のようにしか走らない」し、エンジンと発電機 
に過負荷がかかってすぐにもう片方のエンジンと発電機も壊れたそうだが。
#right(){(220:123)}
**4号D型の短砲身75mm砲は、独ソ戦開戦時の主力だった3号の5cm短砲身よりも徹甲弾の貫通力は低いんですか?
24口径75mmと42口径50mmだと大差ないが後者が若干貫徹力が高い 
まあT-34相手じゃどちらも能力不足だが
#right(){(俺初質スレ2049:756)}
**クルスクに投入されたポルシェタイガーの写真をみますと、車体に増加装甲がボルト止めされています。
>ただでさえ機動性が低いの車体重量増になって、まともに運用できたんでしょうか?
フェルディナントと一緒に行動できればいいから重くなってもいい 
というか城塞作戦で機動力はそれほど問題とはされてない 
速度は速くはないがフェルディナントの車体はそこそこの走破性を示してる
#right(){(俺初質スレ2049:835)}

**ポルシェタイガーの足回りはヘンシェル社のタイガーに装備するのは無理だったんでしょうか?
ポルシェ式のサスペンションは、車体の動揺が大きくて、実用性が皆無 
戦後の戦車でポルシェ式を採用した例が無いことを見ても、欠陥は明らかかと
#right(){(俺初質スレ2050:197)}
**タイガー戦車って、簡易化できるところがなかったのですか?
部分部分は簡略化を進めてはいたよ 
潜水機能廃止とか照準器まわりとか転輪とか 

しかし根本をいじる前にパンターとかⅡとか生産することにはなってたからね
#right(){(俺初質スレ2050:546)}

**4号戦車の砲塔が載せられたパンターがあったと思ったんですが何処の部隊の車輌だったか教えて下さい。
第653重駆逐戦車大隊のベルゲパンター指揮戦車
Ⅳ号戦車砲塔はボルトで固定されてたので砲塔は旋回しない、
攻撃時は車両そのものを指向しなければならなかった。
#right(){(63:37)}
ここ
http://www.achtungpanzer.com/pz3.htm#panzer4
見る限り,
実験的にKwK42 L/70を乗っけたやつと
PzKpfw IV Ausf F2/H mit 75mm KwK 42 L/70 (experimental)
パンターFの砲塔を乗っける計画
Panzer IV Ausf H with Schmalturm turret (project)
があったらしいけど,部隊配備はされて無いんではなかろうか。
(もしかしたら大日本絵画「ジャーマンタンクス」あたりで実は実戦に・・・・
なんて話しが出てるかも知れないけど)
#right(){(63:39)}

**フランスは二次大戦後パンターだけで編成された戦車部隊がありましたがどうしてセンチュリオンやシャーマンじゃなかったのでしょうか。
パンターはドイツ軍が置いてったものだから無料 
センチュリオンは生産されたばかりだし高価 
シャーマンはたくさんあったけどアメリカも無料ではくれないし性能悪い 
 どれにすると思う?
#right(){(俺初質スレ20501:783)}

**パンターって戦後しばらくフランス国内で作ってなかったけ(部品かもしれんが)。
造ってたよ 
 ていうかフランスは戦中、ドイツの戦車や航空機の製造を請け負っていて 
戦後も残った半完成品を中心にかなりの数を製造してる 
有名なのはシュトルヒで、ドイツのエンジンの部品を使い果たしたあとは 
 エンジンをアメリカの空冷星型に換えたタイプまで造った
#right(){(俺初質スレ20501:785)}

**ドイツ戦車の牽引ワイヤーって真っ赤っかに錆びるもんなんですか?
末期ドイツ戦車の塗装によくあるレッドプライマー(錆止め)じゃないの
#right(){(俺初質スレ30501:774)}
**ティーガー2は鉄道輸送できたの?
もちろん。 

自走なんかしたら前線にたどり着く前に相次いで機械故障で脱落する。
ノルマンディ戦で実際にあったことだし。
#right(){(俺初質スレ50505:947)}

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