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WW2艦船・軽巡・重巡 - (2025/04/22 (火) 00:02:50) のソース
#CONTENTS ---- **2次大戦時の艦船のスクリューを現代の技術で作ったものと交換するとどの程度違いがありますか? たいして変わりません スピードくらいしか変わらないです 重工業はおもったより進歩してないです当時よりは #right(){(2:4)} そんなことはありません。 例えば、プロペラのキャビテーションを(ある程度)防止できる。(簡単に言うとプロペラ表面がぼろぼろになるのを防ぐ) 他には、潜水艦でいうとハイスキュープロペラを採用することによりキャビテーション防止と静粛性の増加などがあり、 昔と今の違いは一般的にはわかり難いですが、キャビテーションを防止できるということは、 ドックに入るのを少なくでき燃費も良くなりコスト面で大分違ってきます。 #right(){(FAQ掲示板)} **第二次大戦の頃の軍艦のトイレは、汚物をタンクに溜めたののですか? 汚物捨管があって、そこから垂れ流しです。 #right(){(14:370)} **Eボートてなんですか? Germanyの魚雷艇です。 ただ、Germanyの場合、快速の頭文字を取ってSボートと呼んでいましたが、 これに悩まされた英国など連合国側はこの艇のことをE-Boat(Eは敵を意味 するEnemy(綴りあってたかな?)の略)と呼んでいました。 #right(){(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **なんで「水雷艇」って兵器は無くなったんですか? [[対艦ミサイル]]が発達したから。 もともと、長距離を疾駆する兵器として魚雷が使われたわけであって、 それよりも射程の長いものが発達してきて、それが小型艦艇にも載る ので有れば、何も魚雷を装備する必要はないですから。 水雷艇というものが廃れてきたと言う意味で有れば、航洋性が余り無くて使われる水域が限られているため、 艦隊に随伴するのであれば、航洋性を確保するためには、大型化するしかないわけです。 で、水雷艇が脅威だから、水雷艇駆逐砲艇を作り、それを大型化して水雷艇の用途も兼ね備え、 水雷艇駆逐艦となり、最終的に大型化し駆逐艦に吸収されたということになるでしょう。 #right(){(18:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **モニター艦『エレブス』って、いったい何が目的の艦船なのですか? 沿岸を艦砲砲撃するためのものです。ノルマンディー上陸作戦にも参加しています。 #right(){(22:929)} **WWⅡ時の戦艦や巡洋艦等の水上艦の砲はその交換はどこでどのように行ったのでしょうか。 とりあえず、摩耗して(規定された数だけ撃って)もすぐに弾を撃てなくなるわけではないので、 戦闘中に規定回数に達してもかまわず撃ち続けます(命中率は落ちますが)。 交換方法ですが、作業能力があれば工作艦ですませることもありますし、 なければ当然どこか適当な後方まで下がって行います。 予備砲身は後方に貯蔵されており、自信がスペアを搭載していることはないです。 ちなみに大型の砲の場合、砲身自体が二重構造となっており(外筒と内筒)、 その場合交換するのは内側だけです。 #right(){(43:724)} **イギリスのインコンパラブルって、カレイジャスやフューリアスと同じ流れなんですか? まあ、率直に言えば。 発案者のフィッシャー提督の頭の中にはどうやら 「上陸支援用大型砲艦」という発想が根強く染み込んでいたようですね。 WW2時代の戦艦は、基本が「対戦艦戦用大型戦闘艦」という定義だったわけですが その定義で見ればたしかにインコンパラブルの設計は奇妙なものに映るでしょうね。 でももとから戦艦を撃つために作られた艦艇じゃないので、いいんです、あれで。 用途が狭すぎて、結局は建造されていてもトンデモ艦と呼ばれるか、あるいは たまたま投入された対艦戦闘で一撃死した公算が高いでしょうが…… #right(){(44:72)} **第二次大戦時のノルマンディ上陸作戦で使われてた上陸艇って船のどこから発進するんですか? LCVPなど小型のものは普通の内火艇と同じく、貨物船(AK)のボート ダビッドから水面に下ろして発進しました。 また、ドック型揚陸艦(LSD)では内部に巨大なドックを設けてあり、 艦尾のドアを開けて発進させるようになっています。 LCT(8)、LSTは一応自力航行が可能です。 #right(){(45:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )} **巡洋戦艦フッドは当時の英国でも今のマニアの間でも妙に人気のある艦のようですが、何が特筆すべき性能やエピソードでもあったんでしょうか? 当時最大の排水量を持っていた艦だからだと思います。 そんでもって悲劇的な最後を遂げた点が愛着を持たれているのでしょう。 イギリス人は「勝利より敗北を愛でる」とか言われていたと思いますので。 #right(){(50:マルサッカ)} **二次大戦の時に使われていた「水上機母艦」とは一体どんなものだったのでしょうか? 基本構成は、発進の[[カタパルト]]、収納のクレーン、機体整備場兼駐機場の平らな甲板です #right(){(50:171)} **大戦中膨大な数の船舶が沈められた割には流出した油の被害はどうだったのでしょうか? 現代のタンカーは何十万トンの排水量でその分、多くの石油を輸送している わけですが、当時は精々が1万トンClassです。 なので、それが被雷しても、海洋汚染は微々たるものと言う認識だったかと思います。 #right(){(53:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 戦争中ということもあり、油の被害について全く調査されていないのが原因です。 うろ覚えですが、沈没した[[日本海軍]]の軍艦から少しずつ流出している重油が問題となり、 現地住民が補償を日本に求めたと言う話を聞いたことがあります。 #right(){(53:122)} **第二次世界大戦中の軍艦の戦記などを読むとよく「応急修理をしてしのいだ」というような記述が出てきますが、どれくらいの量と種類の工具や資材を積んでいるのですか? 駆逐艦ぐらいだと、角材ぐらいしか積んでません。工具もほとんどない。 巡洋艦ぐらいになると、多少の工作機械を積んでますが、これも小さな部品を作れる程度です。 応急用の艦首とかは、泊地に帰ってから工作艦などの手助けを得ます。 #right(){(53:778)} **昔のイタリア艦についてふと疑問に思ったんですが甲板の赤と白のストライプって何か意味があるんですか? 空中から見た時の対空識別標識です。 ドイツ艦が艦首甲板上に、ハーケンクロイツを描いているのと同じです。 #right(){(54:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **イギリスのX艇って、何ですか? 特殊潜航艇の英国版です。 #right(){(55:781)} **大戦中の潜水艦とか補助艦艇で「ディーゼル機関搭載」の艦艇は、軽油仕様ではないのですか? 船舶用ディーゼルエンジンは潜水艦に限らずたいてい重油で動きますよ。 重油というと、ナホトカ号事件のときに見たような真っ黒な油を想像するでしょうが、 重油にもいろいろあって、ディーゼルエンジン用燃料に使用される重油は 「A重油」と呼ばれ、色も真っ黒ではなく成分もかなり軽油に近いものです。 その他にB・C重油とそれぞれ呼ばれる重油があり、一般的なイメージはこれですね。 (ナホトカ号が漏洩したのはC重油でした。) #right(){(56:名無し軍曹)} **空母赤城などに搭載された重油石炭混焼缶のメリットはどのようなものなのでしょうか? 石炭は国産で安いから。巡航時には石炭焚いてれば十分。 艦隊には明治に作ったフネが残ってるから、燃料の統一は基地レベルじゃ無理。 #right(){(56:150)} 重油だけだと補給が大変だから。八八艦隊計画艦なので重油消費を抑制する狙いがあり。 そのため同時期計画の川内級も混焼缶。 重油と石炭が両方とも使えれば片方がなくても船は動くという考え。 #right(){(56:151)} **戦中ばかばか沈められたタンカー、軍艦の油流出は当時も問題だったんですか 当時は数万トン以上の大型タンカーは無かったのです。 (日本だと戦時標準船のタンカーは最大でも一万トンだった筈) #今は100万トンタンカーなんてのもフツーです。 あと、 座礁=浅い海=沿岸近く 撃沈=深い海=陸地遠い っていう違いもあるかもしれませんね。 #right(){(57:90)} **大戦頃の巡洋艦に最新鋭の装備をしても無駄ですか? 用途によってはまったく無駄というわけでは無いけど、基本的に限界はある。 #right(){(76:813)} Italyでは、大戦中の軽巡洋艦にPolarisミサイルを搭載できる(実際には 搭載しませんでしたが)ように改造したりしていますが、外観は殆ど当時の 巡洋艦の儘でした。(最後部の砲塔を取り払って、サイロを突っ込んだんだか) 他に大戦中の巡洋艦に近代兵器を搭載した例としては、米国のCleveland 級軽巡洋艦(後部砲塔を撤去してテリアまたはタロスSAMを搭載、Baltimore 級重巡洋艦(後部上構と砲塔を撤去してテリアSAMを搭載)、Oregon City級 重巡洋艦(上構、砲塔を全て撤去して、タロスとターターSAMを搭載、Baltimore 級の2隻も同じ改造を受ける)があります。 英国では、Swiftsure級の改造型であるTiger級がそれにあたりますが、1946年 から1959年まで掛けて改造されています。 フランスは、軽巡洋艦De Grasseが大改造を受けましたが、1938年着工のもの が防空巡洋艦として1956年に竣工し、オランダが、1938年着工のDe Ruyter級 軽巡洋艦2隻のうち1隻をテリアSAM搭載のミサイル巡洋艦に改造しています。 いずれも、長い期間を経て建造されているため、一線にいた期間は短く、また、 大改造するにも船体が若いならいざ知らず、老朽艦では費用対効果が望めず、 結果的に大改造が難しいと思いますよ。 #right(){(76:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **重巡:CAのAはどういう意味でしょうか?armored? ロンドン条約の甲(原文ではA)巡洋艦の意味。装甲巡洋艦はACRだったが、 ワシントン条約で規定されている「1万t、20cm砲以下」の巡洋艦は条約以前の基準では全部が軽巡洋艦。 ロンドン条約で甲、乙に分けられたので乙は今まで通りCL、甲をCAとして分けた。 ネットで甲巡で検索すると「超甲巡」が出てくるが、コレの「甲」と同じ。 #right(){(82:675)} **南米ABC三国に身売りしたブルックリン級のその後の艦名についてご教授を。 南米の各国に譲渡・売却されたブルックリン級は以下の6隻です。 CL-40”ブルックリン”→チリに譲渡”オイギンズ O'Higgins” CL-41”フィラデルフィア”→ブラジルに売却”Barroso” CL-43”ナッシュビル”→チリに売却”Capitan Prat”→”Chacabuco” CL-46”フェニックス”→アルゼンチンに譲渡”ゲネラル・ベルグラーノGeneral Belgrano” CL-47”ボイス”→アルゼンチンに売却”Nueve de Julio” CL-49”セント・ルイス”→ブラジルに譲渡”Tamandare” #right(){(84:名無し軍曹)} Argentina Phoenix -(譲渡)→ Diecisiete de Octobre → General Belgrano Boise -(譲渡)→ Nueve de Julio Brazil Philadelphia -(譲渡)→ Barroso St. Louis -(譲渡)→ Tamandare (これはSt. Louis級だけど) Chile Brooklyn -(譲渡)→ O'Higgins Nashville -(譲渡)→ Prat → Chacabuco #right(){(84:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **英国駆逐艦の「フロチラ・リーダー」と同意の日本語である「ナントカ駆逐艦」のナントカの読み方を教えて下さい 嚮導艦(きょうどうかん)。 「きょう」か「こう」で変換して出てこないなら辞書登録するしかないかな。 #right(){(93:709)} 嚮導駆逐艦では きょう‐どう【嚮導】キヤウダウ 先に立って導くこと。また、その人。案内。 (軍隊用語) 部隊が横隊に編成されている場合、その両翼に配置して整頓・行進など の基準とする者。 ―‐かん【嚮導艦】 #right(){(93:716)} **波浪貫通型双胴船の高速フェリーが、実用化してる国もあるそうです >軍艦としても、小はミサイル艇から大は空母まで、可能性があると思うんですが、実用化されていない、理由(欠点)は何でしょうか? 強度とコストの折り合い #right(){(94:660)} 双胴船は港の作りも変えねばならないそうだから、 それで流れたっぽい。 #right(){(94:675)} **新聞にヘリ空母のことが載っていましたが、その空母はヘリを4機搭載できるとのことです。 ところでその4機のヘリは、どういう使い道になるのですか? 対潜ヘリ4機使って潜水艦狩りします。 WWIIの時に米軍の潜水艦攻撃を受けて国内輸送船団が壊滅的打撃を受けてしまい、 日本国内は大変貧しくなりました。映画のホタルの墓なんかでもご覧になったかと思います。 その時の教訓を受けて、[[海上自衛隊]]は潜水艦狩りに特化した装備を確保しています。 はっきりいって海自は潜水艦狩りマニアの集団です。 ヘリ空母もその一環です。 長時間対潜哨戒を行なう場合、多数のヘリが必要です。案外ヘリは滞空時間が短い為です。 そういう場合、ローテーションでヘリを展開させる事が望ましいのはお判りかと思います。 基準排水量13500トンもあるのに4機しかヘリが居ないというのは不思議に思うかもしれません。 これは、艦隊を構成する他の護衛艦が運営するヘリをヘリ空母で整備・補修することを可能にする為です。 因みに、径空脅威に対しては、こんごうなどの[[イージス艦]]が得意とする分野になりますから、 エリアディフェンスはそれらに任せる・・・と思います。 #right(){(96:677)} ぶー。対潜ヘリは3機です。 もう1機は掃海・輸送ヘリで[[ハリアー]]よりもでかいという大物です。 #right(){(96:685)} **仮装巡洋艦は英語だとどのように呼ぶのでしょうか? 仮装巡洋艦はconverted cruiserで良いかと。 #right(){(101:33)} 仮装巡洋艦は多分、Armed Merchant CruiserまたはMerchant Cruiserだと思う。 #right(){(101:62)} **友人が、第二次大戦中の日本海軍の巡洋艦は重巡洋艦&軽巡洋艦ともに、ゲテモノだといってました >[[イギリス]]の巡洋艦というのは、わが国のそれに比べ、主砲の数も、魚雷発射管の数も 圧倒的に劣っているような気がします。高雄型と、ケント型を比べると一目瞭然だと思います。 >軍艦なのだから、攻撃力が高いほうが有利なはずなのに >どうして日本の巡洋艦はゲテモノ等というのか分かりません。 艦型や兵装の違いは、用兵思想の違いによるものなので、一概にどうとは言えない。 #right(){102:652)} そんな事を宮崎駿が初版の雑草ノートで言っていたので受け売りだと思う。 #right(){102:654)} 無理に忖度するなら、巡洋艦というものを「準主力艦」でも「水雷戦隊旗艦」でもなく 「航洋性を最重要視した戦闘艦艇」と定義するならば日本の巡洋艦はまさに奇形となりましょう。 というか、日本の巡洋艦を「奇形」と呼ぶような定義つけはそれくらいしか思いつきません。 ただ、[[日本海軍]]が巡洋艦を準主力艦として整備したのにはちゃんと理由があります。 #right(){102:655)} (英国人が考えている)巡洋艦の本来の任務は、植民地の警護と通商保護です。 それゆえに長大な航続距離と居住性を兼ね備えたフネを本来の「巡洋艦」と 呼んでいるのにはそれなりに正当性があるでしょう。 兵装が貧弱であっても、巡洋艦は必要なときに必要な場所にいれば それでいいのです(とイギリス人は考えていた)。 艦隊に組み込んでどうこうする、ってのは(英国人の想定によると) 巡洋艦の任務ではありません。 #right(){102:657)} 植民地を有する[[イギリス]]は、軍艦を世界中に送り込む必要がある。 必然的に英軍艦の行動時間は長くなるので、航続距離や乗組員の居住性を重視しなければならない。 それに比べ日本の軍艦は太平洋を越えてやってくる敵(米国)艦隊を迎撃するという戦略に沿って作られている。 また米国に比べ相対的に兵力の劣る日本は、個艦の戦闘力を高めることでこれに対抗しようとした。 武装を強化することはメリットがある反面、 乗組員の疲労が大きい。 重心が上になるので復元力が減少する。 一隻でも喪失した場合の艦隊全体の戦闘力の低下が大きい。 こんなところかな。 #right(){102:661)} **ポルトガル海軍の長命艦「ヴァスコ・ダ・ガマ」級に付いての写真を誰か持っていないでしょうか? 流石に差し上げることは出来ませんよ(苦笑。 Conway's All The World's Fighting Ships 1865-1905 (なお、このシリーズは5分冊で、1865-1905、1906-1921、1922-1946、1946-1982(I,II) となっています。) Jane's Fighting Ships 1931(1932は誤り)の復刻本。 を、Amazonなり、西山洋書なり古書店なり、国会図書館なりで探して下しい。 昔の本なので、新刊本は難しいかも知れませんが。 #right(){(103:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}※10数年前の本→昔の本に修正 **日露戦争時のロシア艦に「カレイエツ」号というのがあったそうです。 >カレイエツとはロシア語で「韓国人」という意味なのでしょうか。 光人社NF文庫「小艦艇入門」砲艦の章「あわれコレーツ」にも載っている。 日本では「仁川沖海戦」と呼んでおり、 コレーツ(カレイエツ)は、まぎれもなくロシア語で「コリア」を意味する。 大筋で信じてよい。 #right(){(105:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)} >ちなみに日本人は「イポーニツ」 #right(){(105:719)} **DDのうち、片方はDestroyerというのはわかるのですが、もう片方のDはどういう意味なのでしょうか。 誤解を避けるためにDを二つ重ねただけです。 同様の呼称はBB(戦艦)CC(巡洋戦艦)FF(フリゲイト)SS(潜水艦)等々。 #right(){(105:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} そのまんま Destroyer のD。 とはいっても DestroyerDestroye ということではなく、 駆逐艦(Destroyerr)という艦種の中の通常型駆逐艦(素のDestroyer)という意味。 #right(){(105:754)} **「致遠」は、日本人にとっての「大和」「長門」のように中国人の愛国心をかき立てる軍艦なんでしょうか? 人によるんじゃないですかね?軍ヲタ以外の日本人に「大和」「長門」をどう思う?と尋ねても、 なにそれ?って反応が一番多いんじゃないでしょうか。 ちなみに、大学の研究室にいる中国人留学生(♀ 国営企業社長令嬢)にこの記事を見せたところ、 「歴史の授業で習った気はするが、船の名前までは覚えてなかった」 だそうです。 #right(){(114:902)} **レンデル式砲艦のレンデルというのは、考案者の名前なのですか? >つづりはRendellであっているのでしょうか? ググレば普通に出て来るが? 「Rendel Gunboat」で検索しろ。 英語圏の資料がワンサカ出て来ます。 #right(){(119:805)} もしかするとウムラウトの置き換えの「Raender」だとヒットするかも。 砲艦のドイツ語は知らないですが。 #right(){(119:806)} 綴りは「Rendell」の方が多くヒットするかな、どっちでも正解だけど。 >804 イギリス人よ。 #right(){(119:807)} **巡洋艦に搭載されている飛行機は空母のように滑走路がありませんが発進できるのですか >またちゃんと元の船に戻れるのですか 付いていたものもあります。 第一次大戦後の一部の巡洋艦・戦艦には、砲塔上に滑走台というのがあり、 そこから艦上機を発艦させていました。 着陸は陸上基地です。 一般的には水上機を搭載し、[[カタパルト]]から撃ち出す、或いは艦を停止させて、 クレーンで水上に降ろすやり方もあります。 #right(){(121:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大発って何ですか? >ダイハツという車の会社と関係があるのでしょうか? ダイハツ:大阪発動機 大発:大型発動機艇 #right(){(124:689)} 「大発」は帝国陸軍の使用した揚陸艇(のハシリ)です。 読みは「ダイハツ」でいいです。 #right(){(124:691)} 大発(大発動艇)は陸軍運輸部が開発した戦車・重量兵器用陸用舟艇です。 大正13年の訓令事項により ・武装兵約60名を搭載しえること ・馬匹・野砲・軍需品を搭載しえること ・重量六トンを限度とすること などを条件として開発されました。、 大正14年に試作型であるA型(LB-A)が完成し、さらに改良型として船首の一部を 歩板にしたB型・船底肋骨を2本にしたC型・大型化して戦車の揚陸を可能としたD型が 製造されました。 D型は全長14.88メートル、自重9.5トンで八九式中戦車が搭載可能でした。 さらに戦車の重量増に対応して97式中戦車(13.5トン)搭載可能な15トン型特大発動艇 「〇セ(丸の中にセ)-LB」や26トン戦車搭載可能な30トン型大発動艇を 超大発動艇(S-N-LB)として試作しています。これは大型発動艇とも呼ばれました。 この他にも木製大発動艇・折畳式大発動艇などが開発されました。 また、兵員揚陸用として小発動艇が存在し、A~C型が製造されました。これは C型で自重3.5トン、武装兵20名または物資3トンが搭載可能でした。 #right(){(124:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **偵察機を積んでいた駆逐艦ってありますか? アメリカのフレッチャー級に試験的に魚雷発射管を降ろしてカタパルトと水上機を 積んでた艦はある。 運用成績はあんまり芳しくなかったそうだが。 #right(){(128:853)} **航空戦艦がどこの国でも研究のみで採用されなかったのはなぜですか? 中途半端だから。 同じ大きさの空母と比べると載せられる飛行機が少ないし飛行甲板が 短くなるので航空機の運用力で劣る。 同じ大きさの戦艦と比べると砲塔の数が少ないので攻撃力が低いし 飛行甲板がある分装甲防御で劣る(空母部分も戦艦並の装甲にしたら 重くなりすぎる)。 結局どっちにも十分な能力がないので存在意義がない。 #right(){(458:580)} >伊勢/日向という航空戦艦が実在したんではないんですか? >そりゃ戦局には寄与しませんでしたけど あれ、実質的に航空機運用した事ないぞ。役に立ったのは北号作戦で物資を空の格納庫に 詰め込んでの強攻輸送船といった方が正しいぞ。 伊勢/日向はなし崩しに改造しただけなので。 しかも、実戦機を搭載して「航空戦艦」として実戦運用されたことは一度もない。 第2次世界大戦前には、三段飛行甲板時代の赤城に20センチ連装砲ではなく36センチ砲載っけた ような「航空戦艦」「戦艦空母」が各国で構想されていた。 #right(){(475:337-339(原文より一部修正)} **航空戦艦なんてまじめに考えていたのは日本だけですか? >他の国でも検討した例が結構あるのでしょうか WW1とWW2の間にアメリカでも似たような艦が考えられています。 ワシントン条約に巡洋艦の排水量25%を航空兵装に割り当ててもよい という規定のおかげでどこもこのようなものは構想されてますね。 ロシアのモスクワ級とかキエフ級とか スウェーデンのゴッドランド級航空巡洋艦を実際に建造してます。 アメリカでも同じようなフネを計画していたとは言われています。 あと日本の航空戦艦は真面目に考えていたわけではなく妥協したと言うのが正しいです。 本来は正規空母の予定でしたが期間などの問題からあの形になりました。 #right(){(333:70,71,72)} **二次大戦のイギリス駆逐艦や巡洋艦を見れば(カウンティ級のぞく)平甲板のアメリカ駆逐艦と違って艦首甲板が一段高い構造になってますがなんでそうしているんですか? あれは船首楼という船の一形式です。 利点は見てのとおり、艦首部の甲板位置が高いため、波をかぶりにくいこと。 一方で一段下がることで強度上の連続性がなくなるデメリットもありますから、 平甲板型にして甲板位置を全体的に高める手法も用いられます。 船の形式には船首楼や平甲板の他、船尾楼等様々な種類がありますので 一度調べてみてください。 #right(){(338:772)} **軍艦の艦種で、「護衛駆逐艦」というものがありますが、「護衛巡洋艦」というものはないのでしょうか 護衛駆逐艦は、WW2のときに輸送船団を護衛するために作られた、量産の効く艦。 んで、巡洋艦とは、まあ、優れた航行性能を持ち、準主力として艦隊のワークホースになる艦。 「量産」と「優れた航行性能」は事実上相反する能力なので、当初から「護衛巡洋艦」と名づけられた艦はないです。 ただ、老朽巡洋艦が船団護衛専従みたいになることはあった。 #right(){(294:751)} **WW2時の艦艇のレーダー対策 >現代では垂直的構造物を控えレーダーの反射を押さえていますが,この簡単そうな原理は60年前でも >対策設計できたと厨房ながら思いますた。このような対策を施した兵器はあったのでしょうか? 当時の計算技術では、電波反射の複雑な計算が出来ないので、かなり厳しい。 実際、戦争末期、[[日本海軍]]のいくつかの潜水艦は、レーダー対策として、司令塔に斜めに傾けた板を貼り付けたりした。 しかし、若干レーダーに写りにくくなった程度で、あまり効果が無かった。 ステルスとは、そう簡単に作れる物じゃないのです。 後期の[[Uボート]]には、そのような考えでセイルに逆テーパーをかけた物が有ります。 #right(){(356:265,325)} **ドイツ海軍に「偵察艦」という艦種があった様なのですが、分類としては戦闘艦艇に入るんでしょうか? アメリカ風にいうなら「偵察巡洋艦」。フランス風にいうと「通報艦」。 ワシントン条約後の艦種分類では軽巡洋艦に入る。 艦隊決戦に先立って敵の主力艦隊を捜索する艦で、航続力が長くて速力が それなりに高く、通信機器が充実いて(艦にもよるが)索敵水上機を搭載 して広範囲の索敵ができる巡洋艦。もちろん戦闘艦艇。 敵国の同種の艦との戦闘を考慮しているため、それなりに武装はしているが、 主任務は戦闘ではなく偵察。 アメリカの「オマハ級」軽巡洋艦が典型的なこの「偵察艦」。 #right(){(291:673)} **ドイツ海軍所属のGrilleという偵察艦と言う艦種のグリーレなる艦が出てきたけど、テスト船? 総統ヨットのGrilleは、再軍備の暁には駆逐艦の主力機関となる高圧蒸気機関の試作も兼ねています。 平時には、要人の接待用ですが、戦時には機雷敷設艦、そして、Narvikでの艦隊旗艦兼防空指揮艦に なっています。 そう言えば、1940~41年計画で偵察巡洋艦が計画され、Spaehkreuzer1~3が建造されていましたっけ。 >海運王とかが持ってる、豪華客船とかその類似のクラスのヨットなのでしょうか? まぁ、排水量2,560tですから(ぉ。 Yachtの定義的には、「快速船《個人所有で宿泊設備つきの遊覧用の豪華な船 通例[[エンジン]]付きで帆のないものが多い》となっているので、あながち間違い ではありません。 堀江謙一さんが太平洋に漕ぎだしているのは、Sailing Boatと言われるそうな。 ちなみに、Grilleは賠償で英国に引き渡された後に、米国に渡り、其処で個人に 売却されて、1951年に座礁して失われています。 #right(){(291:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦中のドイツ軍やソ連軍に、旧軍の装甲艇のような河川警備用の艦艇というのはありましたか? ソ連の場合は、1932年建造のUdarnyi、Aktivnyi、1934~39年建造のZheleznyakov級の河用砲艦を建造したほか、 42tのType1124BKA、29tのType1125BKAの二種類の砲艇が作られました。 前者は、T-28またはT-35の[[戦車砲]]塔を2基流用したもの、後者はT-34/76 1940年型の砲塔1基を装備したものです。 なお、後者には一部カチューシャが搭載されています。 これらは、1941年の[[独ソ戦]]時には、85隻が発注され、68隻が建造中で、1941年8月18日には更に110隻が発注されています。 更に、その後継艇として、MBKが建造されました。 これは、T-34/85の砲塔2基を装備したもの、もしくは一部には10cm砲を搭載したものがあり、1944年から引き渡されました。 全三種の艇は1935~45年までに最低270隻建造され、90隻が失われています。 ドイツの場合は、1943~45年に掛けて20隻が建造されたLS1級と1945年に建造されたKS級があります。 これらは何れも河川用魚雷艇で、前者は、JunkersかDBのDieselを搭載して、450mm魚雷発射機2基を持ち、20mm機関砲を 装備しており、後者はガソリンエンジンで53.3cm魚雷発射機2基を装備したものです。 砲艇として用いられたものとして専用のものはありませんが、ドナウなどでは捕獲艇が用いられています。 #right(){(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **英国の対空砲艦というのはどのような艦なのですか? 対空砲艦には二種類有り、一つは1,800~6,800総トンの貨物船(前身は特設巡洋艦として徴用したもの) に、4インチ連装高角砲を艦の前後に2基当て装備し、4連装2ポンド砲を船橋側面に2基配備したものが Defaultの武装でした。 Alynbank、Foylebank、Palomares、Pozarica、Prince Robert、Ppringbank、Tynwald、Ulster Queenの各船 です。 このうち、Prince Robertはカナダ海軍のもので、元来特設巡洋艦だったものこの艦種に転換したものです。 後に、2ポンド砲は撤去され、40mmボフォース機関砲を4門と20mmエリコン機関砲を9門装備しています。 なお、武装強化では、他の生残りの艦は順次20mmエリコンが6門追加されています。 Springbankには、これに加えて、Fulmar戦闘機を1機[[カタパルト]]に装備していました。 1943年に生き残ったAlynbank、Prince Robert、Palomares、Ulster Queenのうち、Alynbankは1944年に閉塞船 としてノルマンディーに沈められ、残りは対空指揮艦となりました。 もう一つのものは、350~3,000t級の沿岸貨物船を改造したもので、6隻のスクリュー船と26隻の外輪船がこの 任務に当たっています。 後者のうち20隻は、特設掃海艇から改造されたものです。 武装は、初期の頃は2ポンド砲を艦の規模にも依りますが、2~6門と若干の機関銃、後に、2ポンド砲は20mm エリコン機関砲に換装されています。 また、一部の艦は12ポンド砲1門、2ポンド砲2門、最大の艦である、Coronationは、20口径3インチ砲2門、2ポンド 砲2門を装備していました。 なお、この沿岸対空砲艦で喪われたのは、4隻ありました。 CAM-Shipは簡易的なもので、Hurricane戦闘機を[[カタパルト]]にくくりつけただけで、回収は考えていません。 乗員は、護衛艦艇の近くに着水して救助されるものです。 その装備位置は各艦まちまちですが、大抵の島型貨物船の場合、煙突後部のスペースに備えているものが、 多かったようですが、大型船の場合、艦尾にもあります。 いずれも、機体は横向きに撃ち出されるよう、固定されています。 北欧空戦史とか北海の戦い(朝日ソノラマ・絶版)に写真とかが掲載されていたか、と記憶しています。 #right(){(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ドイツや英国の防空巡洋艦というのはどんなものだったんでしょうか? 外輪船改造は沿岸用で、船団護衛用に大型船を改造したものがあります。 ドイツの場合は、宿泊船として使われていた小型巡洋艦Gazelle級のArcona、Medusaを 1942年に対空砲台に改造していますし、ノルウェーやデンマークの海防戦艦を占領後に 接収して、練習艦兼防空砲台としています。 英国の防空巡洋艦は、C級の改造型で、Caledon、Coventry、Curlew、Cairo、 Calcuttaが改造されています。 主兵装はいずれも4in連装高角砲を3~4基に換装され、ポムポム砲を2基程度装備して います(後に撤去され、40mm単装砲と20mm機関砲に換装されていますが) またD級のDelhiは、1941~42年にかけて米国改造されたため、5in単装両用砲5門、 ポムポム砲2門に換装されています。 #right(){(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2の艦船で現役なのはありますか? >確かパキスタンであったような 2001年の段階では、Pakistanの旧英国大戦型駆逐艦は、英国の軍艦大バーゲンの際に 退役しています。 旧英国大戦型駆逐艦は、EgyptにZ級が1隻あり、EgyptはBlack Swan級護衛駆逐艦も1隻 未だに保有していますね。 旧米国大戦型駆逐艦・護衛駆逐艦は、MexicoにEdsall級護衛駆逐艦が1隻、C.Lawence級 護衛駆逐艦が3隻、ついでに、自前調達で、1936年建造のフリゲートが1隻、Philippinesに Cannon級護衛駆逐艦(Viet Nam流れだったかな)が1隻、Auk級コルベットが1隻、その本家 Viet Namには、南から鹵獲したBarnegat級水上機母艦改造護衛駆逐艦が1隻があります。 旧米国の駆逐艦では、Gearing級のFRAM改造型が台湾に7隻、同じく韓国に5隻、Mexicoに2隻 供与されており、Fletcher級がMexicoに1隻あります。 このほか、第二次大戦中に計画され、戦後完成したものとして、旧英国のDaring級駆逐艦が1隻 Peruが保有し、PeruはNetherlandsの軽巡洋艦を未だに保有しています。 #right(){(127:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の駆逐艦とか潜水艦にはアクティブソナーはあったんでしょうか。 >それと米軍の行動中の潜水艦を駆逐艦で沈めたことはどの位あるんでしょうか。 一応、駆逐艦には、あると言えばありますが、潜水艦には無かったかと。 対潜用水測兵器としては、聴音機が最初米国製MV式、次いで、国産の九三式になりました。 探信儀は、九三式をずっと用いています。 後にGermanyのS装置を基にした、三式探信儀が誕生して以後はそれに切り替えられています。 また、後に聴音機は、四式が実用化され、松級の一部はこれを搭載しています。 ついでに、英国式のASDICを国産化したものも駆逐艦ではない、一部艦艇に搭載されていましたが、 後に三式に統一されています。 米軍の行動中の潜水艦を駆逐艦で沈めたのは、1942年2月のSharkを皮切りに、3月にPerch、1943年 1月にArgonaut、3月にGrampus、11月にSculpin、1944年2月にTrout、10月にShark(II)、11月にGlowler と、最低でもこれくらいはありますね。 #right(){(127:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **F型ライターとは、どんな船なんでしょうか?また、MGBとどう違うのか教えてください。 F型ライターとは、ドイツ海軍が第二次大戦中量産した、輸送艇MFPのことです。 用は自走艀で、排水量220t、長さ47.0m、主機ディーゼル(390馬力)、速力7.5kts/h、滞貨重量105tまたは兵員200名を輸送 出来る、米国のLCUに相当するもので、この艇体を利用して、砲や対空火器を増備した砲艇のD型、機雷敷設用のAM型など がありました。 MGBはMotor Gun Boat、これは、英国で主に使用されたMotorboat型高速砲艇で、MFP-DとMGBがしばしば戦闘を繰り広げて います。 Camper & NicholsonのMGBの場合、排水量115t、長さ35.7m、主機Packardガソリンエンジン(1350hp)×3、速力は31kts/hに達し、 兵装は、6ポンド砲1門を艇首に、20mm連装機銃1基、同単装機銃2門、45cm魚雷発射管4門と強力な武装を誇っています。 これらは、元々、ドイツ海軍のE-Boatに対抗する為のものでした。 #right(){(257:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WWⅡでアメリカが駆逐艦等を改装した機雷敷設艦の一覧でも分りませんか? WWIIの米国駆逐艦改装機雷敷設艦と言うことで良いのでしょうか? Flush-Decker'sを改造したもので、 Gamble(DD123 → DM15) Ramsay(DD124 → DM16) Montgomery(DD121 → DM17) Breese(DD122 → DM18) Tracy(DD214 → DM19) Preble(DD345 → DM20) Sicard(DD346 → DM21) Pruitt(DD347 → DM22) Sumner級改造のものが、 Robert H. Smith(DD735 → DM23) Thomas E. Fraser(DD736 → DM24) Shannon(DD737 → DM25) Harry F. Bauner(DD738 → DM26) Adams(DD739 → DM27) Tolman(DD740 → DM28) Henry A. Wiley(DD749 → DM29) Shea(DD750 → DM30) J. Willoam Ditter(DD751 → DM31) Linsey(DD771 → DM32) Gwin(DD772 → DM33) Adam Ward(DD773 → DM34) #right(){(149:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **「護衛駆逐艦」「護送駆逐艦」とはなんでしょうか? 米国海軍的言い回しですと、Destroyer Escortになります。 英国海軍なら、Escort Destroyer。 駆逐艦の様に艦隊決戦に用いず、船団護衛に主に用いられるもので、魚雷発射管は殆ど搭載せず、 砲口径も小さく、対空火器と対潜装備を充実させたものです。 更に量産が効くように、各種装備は簡略化され、速度も船団維持と潜水艦の速力より高いくらいなので、 余り出せませんし、それを前提に、ディーゼル主機とかディーゼル電気推進、タービン艦でも、ボイラーは 三連成機関となっています。 #right(){(153:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **アメリカは太平洋戦争末期に台風にやられてえらい被害を受けたそうですけど、なんでそんな被害を受けてしまったのでしょうか? >軍艦だったら荒天に備えるのは当たり前だと思うのですが 航空機の進歩に対応するため補助艦は対空火器を山盛り乗せたせいでトップヘビーになっていた。 そこに台風の直撃を受けることで被害が拡大した。ぶっちゃけ、ぶっちゃけ、友鶴事件の再現。 空母の艦載機被害はシャッターで塞いでいるだけの開放型格納庫の欠点がモロに出たため。 あと、日本近海ってのは4つの海流と大陸性、海洋性の気団が入り乱れてオマケに台風も来る世界でも有数の海難地帯 戦国時代に欧州から来た船がやたら難破したり、江戸時代末期に漂流者がやたら欧米の船に拾われたのもこの環境が要因。 アメリカ沿岸の運用環境を想定した米海軍の航洋性は日本近海でははっきり言って甘過ぎた。 だから戦後に空母はエンクローズド化して、補助艦は軒並み再設計になった。 #right(){(725:648)} *重巡洋艦・軽巡洋艦 **日本海軍巡洋艦 八十島 とは何でしょうか? 中華民国の「平海(ピンハイ)」を1937年、揚子江で攻撃し座礁させ捕獲した巡洋艦です。 1944年6月に復旧工事が終わり、海防艦として編入されその後軽巡に類別変更。 船団護衛に就いていましたが11月に米機の攻撃で沈没しました。 武装は12.7センチ高角砲2門で他は機関砲程度です。 実はコレ、播磨造船所設計なんですけどね。 日本へ里帰りと言った所でしょうか #right(){(13:307)} より正確には、江南上海造船所で建造され播磨造船所で艤装されました。 もともとは、主として長江などの河川での使用を予定していたようです。 #right(){(13:310)} **世界中の条約型重巡(変な言葉だな)に対20センチ防御能力を持ってるやつなんていたっけ? イタリアのザラ級とアメリカのウイチタ、日本の高雄級は耐えられる事になっとります。 アメリカは水雷防御、日本は砲塔防御を犠牲にし、イタリアは二軸推進で速度の要求を切り下げて実現してます。 #right(){(21:247)} 【旧海軍の条約型重巡洋艦】 [[日本海軍]]の重巡は条約後設計された第一艦「妙高」級で既に対20.3センチ砲弾防御として、 ヴァイタルパート舷側にインクラインド・アーマー(傾斜装甲)100ミリを持っています。 この次に続く「高雄」級は「妙高」級とほぼ同様の設計でしたが、「妙高」級で散布界問題 (弾着の分布範囲が広い面積に散らばってしまうこと)が起こり、原因として細長い船体 の前と後ろに設置された主砲塔の発射の衝撃によって船体が歪む等などが疑われ、その対 策として5基ある砲塔の間隔を1砲塔分短縮するなどの設計変更が実施されています。 防御力に関しても「妙高」級と同様ヴァイタルパートには対20.3センチ砲弾防御とされま したが、そのうち弾火薬庫部の舷側部のみ5インチに増厚されており、同艦出現当時列国の 1万t重巡中最も厚い装甲を有するものとなりました。 艦中央断面図では戦艦「土佐」巡洋戦艦「天城」級に類似した防御様式となっています。 散布界問題については、同時に発射される砲弾同士が空中で飛翔中相互に空力的干渉を起 こしていることが原因であったことが判明し、後に発砲遅延装置(連装砲塔の左右の主砲 の発射を0.04秒ずらす装置)を開発することで解決を見ました。 昭和5年にロンドン軍縮条約が締結され、この制限下に設計されたのが「最上」級です。 条約の重巡枠を「高雄」級の建造で使い果たしてしまった海軍は、重巡勢力の劣勢を補う 為に軽巡の等級区分で重巡に匹敵する艦を整備することとし、主砲には条約の上限である 15.5センチ砲を採用することとしました。 しかしこの頃既に軍令部は無条約時代突入必至との予想から、短期間に主砲を20.3センチ 連装砲に換装する事を考えており、その為砲塔のリングサポート径をあらかじめ20.3セン チ連装砲塔に近い直径として設計建造されていました。 さらに防御力についても等級こそ軽巡に類別されていたものの、「妙高・高雄」級と同じく 重巡の主砲20.3センチ砲弾に対してヴァイタルパートを防御するものとして建造されており、 実態は重巡といえるものであった事が同艦の最大の特徴となっています。 ヴァイタルパートを守る舷側装甲は「妙高・高雄」級よりも8度傾斜を増して20度とし、 NVNC甲鈑のテーパード・アーマー100(上端)-25(艦底)ミリとした上、弾火薬庫部の舷側 は140-30ミリとする事で水中弾防御をも考慮し、「妙高・高雄」級より強化された防御とな っていました。 艦中央断面図を見ると、戦艦「大和」級とほぼ同じ防御様式として設計されています。 なお、「最上」級は友鶴事件/第四艦隊事件による復元性・船体強度の性能改善工事が昭和 12年まで、主砲換装は条約明け後の昭和14年から15年にかけて4隻全て工事を終了しました。 続いて建造された「利根」級は先の「最上」級を踏襲した艦形でしたが、主砲配置を艦首集中 配置とし後甲板を水上機施設にするなど独特の形態を持っており、条約にとらわれずに設計さ れているなどから、防御力についても「最上」級より一段と強化されたものとなっていました。 舷側装甲は「最上」級と同じ20度の傾斜をもったインクラインド・アーマーでテーパーさせた NVNC甲鈑100(上端)-65ミリ(下甲板)-DS鋼18+16ミリ(艦底)、弾火薬庫は145-55ミリ、 しかし「最上」級が舷側装甲を性能改善後のバルジ装着でも水線付近で露出していたのに比べ 完全なインターナル・アーマーとなっており、水平甲鈑でも弾火薬庫は40ミリ(最上)から56 ミリとなっている上「最上」級には見られなかった上甲板の防御も実施されており、日本重巡 の中では最強と評されるものになっていました。 防御力が非常に強化されていながら甲鈑重量・防御材重量は「高雄・最上」級よりも計量に造ら れていたのは主砲塔を1基減じ艦首集中配置をとったことが大きく影響しているようです。 本艦も基本的な防御様式としては戦艦「大和」級とほぼ同じと見て良いでしょう。 残念乍ら日本重巡の主砲塔防御は全て軽量化の為機銃弾・弾片防御に対する25ミリ程度でした。 #right(){(21:259)} **カナリアス級の装甲厚をどなたか知りませんか? カナリアスの装甲ですが、水線に2inchの装甲を持ち、弾薬庫が4.5inch、バルクヘッドが1~2inch、 天蓋が3inch、デッキ部が1.38inch、砲塔が1inch、司令塔が1inchとなっているようです。 一方のケント級は弾薬庫が1~4inch、側部が1inch、砲塔とバルクヘッドが1inchとなっています。 http://www.bismarck-class.dk/other_craft_involved/spanish_ship_involved/spanish_ship_involved.html #right(){(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **アメリカのボルチモア級とオレゴン・シティ級の違いは? ボルチモア級では2本に分けられていた煙突を1本とし、 艦橋を小型化して艦の中央に配置しています。 #right(){(47:名無し軍曹)} **オレゴンシティ級とデ・モイン級の戦歴は? いずれも戦争直後の竣工ですので、第二次大戦には間に合いませんでした。 しかし、1950年の[[朝鮮戦争]]では仁川上陸作戦などの支援砲撃に活躍し、ヴェト= ナム戦争でも艦砲射撃に活躍しています。 なお、オレゴンシティ級の4番艦「ノーサンプトン」は未成艦としてスクラップの予定 でしたが、指揮艦に改造されています。 このほか、2番艦オルバニーはミサイル巡洋艦に改造されています。 ヴェト=ナム戦争時、トンキン湾で、北のミグを撃墜したのもこの艦だったかも。 また、デ・モイン級も同様です。 こちらは、ヴェト=ナム戦争時の艦砲射撃に多用されました。 1970年、デ・モインは何らかの理由で砲塔が爆発し、2番砲塔を撤去しています。 #right(){(50:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **重巡インディアナポリスは原爆を運んでいたそうですが巡洋艦内のスペースってそんな余裕があるもんなんですか? 爆弾2発ぐらい、どうと言う事は無いですよ。飛行機に積める物が1万tの 重巡に積めない訳は有りませんから。それに原爆自体、 そんなに大きい物では有りませんし。 なぜ重巡が選ばれたかと言うと、貨物船等に比べると、速度が速く、防御力 が有るから、と言ったところでしょう。ちなみに、この原爆輸送の任務は、 海軍当局にも秘密だったそうです。 #right(){(54:77)} **太平洋戦争時の日米両国の重巡、軽巡、駆逐艦の役割の違いについて教えてください。 >重巡は大砲撃ってひたすら敵艦を撃つのが任務ということならば、重巡≒安い戦艦、という感じで運用されていたのでしょうか? 鋭い見方です。 重巡にはワシントン条約で激減した戦艦群の穴埋め、 つまり準主力艦としての役割も期待されています。 後にロンドン条約の影響で、これに大型軽巡が加わり、 1万トン巡洋艦=準主力艦とでも言うべき状況が作り出されます。 ここで準主力艦といいましたが、かつて旧式化した戦艦は ド級艦にはかなわぬものの、二線戦力としてはそれなりに使い道があり、 戦力として計算できるものでした。 これがワシントン条約で一気に姿を消し、従来二線戦力として 後方や海外拠点を任せていた戦力が著しく不足をきたす状況になったわけです。 #right(){(54:ゆうか ◆9a1boPv5wk)} 巡洋艦そのものは条約によって上限を1万トンに制限され、備砲は8インチと6インチで区切られました。 なにせ上限が決まっているために武装、装甲、機関、燃料(航続力)等の要素を取捨選択しなければなりません。 ただ巡洋艦と言う艦種そのものが速度を重視しますので、戦艦のように正面切った殴り合いを想定していませんし (防御まで重量をまわせない)巡洋艦には巡洋艦でないとできない雑多な任務がありましたから 「決戦の勝利によって祖国に勝利をもたらす」ことを期待された戦艦の単純な廉価版、 ということではないのです。 日米ともに「プチ戦艦」的な巡洋艦を計画し、米海軍は実際に建造しちゃいましたが、 あまりパッとしないものでした。むしろ8インチ砲搭載艦を5割ばかし拡大して バランスを取り直した方が運用側からは好評だったようです。 しかし「戦艦を投入すればより効果的であったであろう」局面において、 損傷や燃料事情で動けない戦艦の代わりに巡洋艦が投入された例はありますので、 「やすい」の意味を「易い」使いやすい、とするならば、別に間違ってはいないということになります。 #right(){(54:ふみ)} **ウースター級軽巡の性能希望 >+同艦についても CL-144 Worcester、CL-145 Roanoakeまでは建造されています。 CL-146 Vallejo、CL-147 Garyは1945年8月に建造取りやめが決定しました。 CL-154~159は、1945年3月に建造が取りやめられています。 基準排水量:14,700t/全長x幅x喫水:207.1x21.5x7.5 主缶:バブコック&ウィルコックス4基・蒸気タービン4軸/120,000shp 速力:33kt/h 重油2,400t搭載 航続力:15ktで8,000nm 兵装:152mm47口径連装両用砲×6、76mm50口径連装砲×10、単装砲×2(CL-154~は127mm単装半自動砲搭載予定) 装甲:水線/127mm、甲板/89mm、砲塔/165mm、司令塔/127mm 乗員:1,560名 #right(){(70:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **海自の掃海艇は船体が木製だそうですが、WW2当時の海軍の掃海艇も木製だったのでしょうか? 艦隊掃海艇と言われているものは、鋼製が主です。 ただ、磁気機雷が出現すると、鋼製の掃海艇は用を為さないので、木製の 掃海艇が主流となりました。 あ、鋼製でも非磁化鋼製のものはありましたね。 現在でも、木製の掃海艇はありますが、最近はFRPが主流となりつつあります。 #right(){(76:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **重巡洋艦と軽巡洋艦の違いってなんですか? ワシントン条約で定義されたスペック(排水量と備砲)の違い #right(){(76:740)} ロンドン条約っていう戦前の軍縮条約できめられた基準。155mmを越える 備砲を持つのが重巡。それ以下が軽巡。203mmを越える事はその前のワシン トン条約で禁止されてた。 それ以前の基準で「軽巡」と言った場合には、戦艦並みの排水量と備砲の 「装甲巡洋艦」や「巡洋戦艦」に対する用語。 現代(第二次大戦後)ではどちらも歴史上の用語。死語だね。 #right(){(76:741)} **重巡高雄の装甲は同時代の重巡と比較して薄弱なのでしょうか? 砲塔は断片防御程度の装甲しか無かったことは事実。 でも要所はそれなりの装甲有り。 まあ,その辺のメリットとデメリット,他国との比較は以下の過去ログ 「条約型重巡を語る」スレ http://yasai.2ch.net/army/kako/1015/10153/1015340993.html 「WWII最強巡洋艦決定スレッド」 http://yasai.2ch.net/army/kako/1013/10135/1013559599.html #right(){(86:876)} **1等輸送艦の断面図(前後方向の)が乗っているサイトか本の名前教えてもらえませんか? 断面図は無いですねぇ。 [[日本海軍]]特務艦船史に図面はありますが…。 ひょっとしたら戦時船舶か世界の艦船辺りにあるかもしれないですけど。 舷窓があるところを見ると何らかの船室があったものと推定されます。 但し、補給物資は艦橋と罐室の間の2カ所の船倉に積まれていたようです。 #right(){(87:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦当時のオランダ海軍についてなんですが、何故デ・ロイテルはジャワ級三番艦セレベスの代艦となったのでしょうか? Sumatra級は1915~16年に計画され、着工は1916年です。 第一次大戦の資材不足で竣工は1925年で、足かけ9年を要しています。 軍事技術は日進月歩で、De Ruyterが計画された1938には、起工後22年となり、 早晩旧式化するのは目に見えていました。 また、海軍拡張計画が周辺諸国の情勢ですんなり通ったのも原因のようです。 #right(){(92:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **中国の軽巡洋艦寧海はどのような経緯で日本で建造されたのかどなたかご存じでしたら御教授ください。 1930年(民國19年)に海軍六年造艦計画案というのが提出されました。 これは、1931~36年の間に、空母1、装甲巡洋艦1、巡洋艦2、駆逐艦28、潜水艦24、 その他艦艇106を建造すると言う、一大建艦計画でした。 ところが、当時の中国は軍閥が群雄割拠し、政府の統制が及ばず、財政的裏付けが ありませんでしたので、これは砂上の楼閣に終わりました。 1934年(民國23年)、海軍は再び建艦計画を提出します。 これは、身の丈にあったものに修正され、旗艦として2400t級嚮導艦2隻、800t級駆逐艦 16隻、600t級潜水艇21隻、800t級敷設艦4隻、600t級掃海艇8隻、水上機、爆撃機150機 と言うものでした。 当時、中国には上海に江南造船所がありましたが、その造艦能力は小型艦の建造が 手一杯で、駆逐艦、機雷戦艦艇まで。 とても大型艦の建造まで手が回りません。 また、魚雷艇、潜水艇に関しては、ドイツに発注しているのですが、最終的に大型艦の建造 技術を習得するためには、ドイツの技術は高すぎました。 英国や米国への発注は価格が高く、イタリアへの発注もバランス面から見送られています。 (空軍戦力の整備はこの頃、主にイタリアが供給源でした) そうなると、近くの日本が最善と言うことになりますが、大手はこれに応じるものはなく、当時 鈴木商店の破綻と神戸製鋼所からの分離独立で青息吐息だった播磨造船所がその仕事に 飛びついた訳です。 ちなみに、満州事変などでいくらか国際関係はぎくしゃくしていたものの、蒋介石自体は日本 を余り敵視することはなく、日本への発注は拘りがなかったようです。 設計は艦政本部で行い、江南造船所で建造が出来るよう、レシプロ機関を用いるなど、その 技術は当時の中国の身の丈にあっていたようです。 #right(){(93:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦中のアメリカの防空巡洋艦てどんな感じでしょうか。 米防空巡「アトランタ」級に「ウースター」級でつね。 「アトランタ」 基準排水量6,000㌧、速力33ノット、12.7㎝連装砲塔八~六基 「ウースター」 基準排水量14,700㌧、速力33ノット、15.2㎝連装砲塔六基、7.6㎝連装砲塔十基 「アトランタ」のMk-38は有名なので省略して 「ウースター」のMk-16は 発射速度毎分12発、仰角78度、最大射程23,900mの優秀な砲です。 #right(){(98:ギコ猫ソフト ◆GOa3cju/wk)} **阿賀野の船体は細すぎて6インチ連装積むのもやっとだったという話を聞いたのですが >同じ船体の大淀が三連装積めるのはナゼなんですか? 阿賀野の船体については、確かに細いです。 が、船体が細すぎて連装砲が積めなかったと言うのは、疑問です。 阿賀野が15cm砲を6門しか搭載できなかったのは、水雷戦隊の旗艦となるために、水雷兵装を充実 (防弾有り次発装填装置付の61cm4連装魚雷発射管2基)することで、設計重量に余裕が無くなり、 砲は最低限で我慢したためで、水雷兵装を撤廃した場合、後8~10門にすることも出来たようです。 但し、砲塔よりも缶の搭載に無理を生じさせています。 即ち、十分な幅がなかったため、一缶一区画が作れず、結果として中央隔壁が作れなかったと言う 問題が生じています。 阿賀野の水線幅は15.5mであり、加古、青葉級と実はさほど変わっていません。 大淀はそれよりも1m以上幅が広く作られています。 排水量で見れば、およそ1.5倍近くなっています。 元々、改阿賀野級では排水量8,250t(阿賀野は6,600t)となっていましたから、 用兵側もその当たりのことは考慮していたものと思われます。 #right(){(99:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **軽巡「大淀」は一見すると艦の前半分の形状が最上型に似てるのですが、これは設計を流用したものなのでしょうか? 最上型ではなく、阿賀野型の改良版です(船体は同じ)。 #right(){(99:49)} **海防艦(とくに第二号丁型)について調べようと思っているのですが、良い資料(HP・文献等)はないでしょうか? 「海防艦戦記」という分厚い本が30年近く前に原書房から発売されている。 前艦艇の記録が載っているが、各艦に統一書式はなく、それぞれ個性がある。 戦時の行動表(戦闘記録も)もあれば、乗組員や戦死者の名簿もあれば 前艦が網羅されているので役に立つ。 ただし、丙型・丁型の起工・進水日時は殆ど載っていない。 #right(){(109:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)} **WW2 英国の対空砲艦というのはどのような艦なのですか? 対空砲艦には二種類有り、一つは1,800~6,800総トンの貨物船(前身は特設巡洋艦として徴用したもの) に、4インチ連装高角砲を艦の前後に2基当て装備し、4連装2ポンド砲を船橋側面に2基配備したものが Defaultの武装でした。 Alynbank、Foylebank、Palomares、Pozarica、Prince Robert、Ppringbank、Tynwald、Ulster Queenの各船 です。 このうち、Prince Robertはカナダ海軍のもので、元来特設巡洋艦だったものこの艦種に転換したものです。 後に、2ポンド砲は撤去され、40mmボフォース機関砲を4門と20mmエリコン機関砲を9門装備しています。 なお、武装強化では、他の生残りの艦は順次20mmエリコンが6門追加されています。 Springbankには、これに加えて、Fulmar戦闘機を1機[[カタパルト]]に装備していました。 1943年に生き残ったAlynbank、Prince Robert、Palomares、Ulster Queenのうち、Alynbankは1944年に閉塞船 としてノルマンディーに沈められ、残りは対空指揮艦となりました。 #right(){(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2 英国のCAM船はどのような改装を施されているのですか? 350~3,000t級の沿岸貨物船を改造したもので、 6隻のスクリュー船と26隻の外輪船がこの任務に当たっています。 後者のうち20隻は、特設掃海艇から改造されたものです。 武装は、初期の頃は2ポンド砲を艦の規模にも依りますが、2~6門と若干の機関銃、 後に、2ポンド砲は20mmエリコン機関砲に換装されています。 また、一部の艦は12ポンド砲1門、2ポンド砲2門、最大の艦である、Coronationは、 20口径3インチ砲2門、2ポンド砲2門を装備していました。 なお、この沿岸対空砲艦で喪われたのは、4隻ありました。 CAM-Shipは簡易的なもので、Hurricane戦闘機を[[カタパルト]]にくくりつけただけで、回収は考えていません。 乗員は、護衛艦艇の近くに着水して救助されるものです。 その装備位置は各艦まちまちですが、大抵の島型貨物船の場合、 煙突後部のスペースに備えているものが、多かったようですが、大型船の場合、艦尾にもあります。 いずれも、機体は横向きに撃ち出されるよう、固定されています。 北欧空戦史とか北海の戦い(朝日ソノラマ・絶版)に写真とかが掲載されていたか、と記憶しています。 #right(){(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 丸にも2,3年に1回ぐらい載るな>CAM-Ship #right(){(119:204)} **WW2の独海軍に防空巡洋艦はあったのでしょうか? ドイツ海軍では、実際に前ド級艦が第二次大戦に生き残っている。 SchlesienとSchleswig-Holsteinの二隻。 練習艦として生き残った物の、大戦中には実戦に参加している。 レーダーを備え、対空火器の大幅な増設も施されている。 さらには、商船を改造して特設航空機指揮艦として Togoという艦がある。夜間戦闘機用の指揮艦としてレーダーを積んで使われた。 はたまた、ノルウェーから鹵獲した海防艦を改造した防空艦Thetis、Nympheや 1903年就役の古ぼけた軽巡を改装した防空艦Arconaなんてのもある。 #right(){(119:929)} 余談ですが、Braunschweig級戦艦のHessenも生き残っており、 しかも、第二次大戦を生き延びて最後はソ連艦になっています。 また、Deutschland級のHannoverは宿泊練習艦になっていますね。 #right(){(119:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **利根と筑摩は川の名前なのに、何故重巡扱いなのでしょうか? 計画時は軽巡だったが、艦名を決定した後に重巡に艦種が変わったから。 #right(){(124:77)} ちなみに書類上は、最後まで二等巡洋艦(軽巡)のまま。 これは主砲の変更を秘匿するためらしい。 #right(){(124:80)} それを言ったら最上級も同じなのだが。 #right(){(124:81)} **震洋が体当たりに成功した例は0ですか? 震洋の戦果についてはこちらでもどうぞ http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinyo-his.htm 水雷艇より低速のボートが水雷艇より肉薄(当たり前)するわけで 水雷艇と同様の対処でより容易に撃破されたでしょう。 戦没者1300余命に対し認められた戦果2隻という事です。 #right(){(125:92)} **タイがイタリアに発注したタクシン級軽巡洋艦の要目を教えてください。 艦容など詳しくは海人社の「第二次大戦のイタリア軍艦」とかをご覧下さい。 排水量:5,500t 全長:153.8m×全幅:14.47m×喫水:5.25m 主機:Geard Turbine:2軸 Boiler3基:45,000shp/30kts 水上機1機、[[カタパルト]]1基。 装甲:水線帯60mm、甲板30mm 武装:152mm連装砲×3(前1、後2)、76mm単装対空砲×6(舷側に3基づつ)、 13.2mm単装対空機銃×8(艦橋周辺)、53.3cm三連装TT×2(前部砲塔下) #right(){(125:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **イギリスの巡洋艦ホーキンスは、同クラスの他艦のように改装をされず19cm砲を積んでいたようですが、 >この艦は他国に説明する時など重巡に分類されていたのでしょうか? London条約では、排水量10,000t、備砲が8インチ以下のものが甲級巡洋艦、 備砲6インチ以下のものを乙級巡洋艦としていました。 建造時のJane's Fighting Shipsでは、Cavendish級をLight Cruiserに区分して います。 しかし、Washington条約以後、これらの区分は取り払われ、単にCruiserと言う表記 になっています。 これは、Conwayでも一緒です。 従って、対外向け説明では、Cruiserとしか説明していないと言うことになりましょうか。 とは言え、Cavendish級甲巡と規定されていることには変わりなく、実際に1936年の 第二次London条約では、備砲の面から損であり、主砲換装が試みられ、一部の艦 で施行されています。 #right(){(129:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ロンドン海軍軍縮条約が明けた後も、巡洋艦の主砲が8インチどまり(例外あり)だったのはなぜですか? 超甲巡やアラスカ級は? それはさておき、既に「重巡洋艦の主砲は8インチ」ということで兵器体系を構築 してしまったわけで、前提となる軍縮条約がなくなったからといって急に兵器体系は変えられない。 仮に第2次世界大戦が発生しなかったら、巡洋艦の主砲口径もまた変わっていっただろう。 もっとも、ロンドン条約開け後には日米英とも 「8インチでも既に「8インチの主砲とそれに耐えられる装甲」を備えると巡洋艦としては 使い勝手の悪い大きさになってしまう、それならもっと大きい砲を積んでやる・・・って、 それじゃ巡洋戦艦だから”戦艦”として考えると装甲が弱すぎる・・・」 といったジレンマというか限界の壁にぶち当たった事を考えると、 8インチ主砲に装甲はほとんどなし、という「条約型巡洋艦」は ある意味「巡洋艦」という兵器としては完成の域に達してたと言えない事もない、かも。 #right(){(129:856)} **太平洋戦争時の日本巡洋艦の探照灯はどのぐらい先まで、届いたのでしょうか? 15キロくらい。 戦艦用のものは20キロくらいは届いた。 >直前に立って探照灯見たら危険? 確実に失明する。 というか、光熱で火傷しかねない。 軍艦に装備されてる探照灯は15キロ先でも新聞が普通に読めるくらいの 光を発生させられる。 10キロ先で夜間用双眼鏡で光源を見てしまって失明した例があるので、 直前に立って直視したりしたらそれこそ「視覚細胞が蒸発」するだろう。 #right(){(327:584-589)} **利根や高雄は何で2番砲塔が一番高いの? >前から順番に高く配置にして直後の砲身と砲塔が重なるようにすればスペースも小さくまとめられるし、 >前方に全火力を集中するってこともできると思うのですが つ トップヘビー 台座高を1とすると、真ん中だけ高い場合は合計1 雛壇にすると第二砲塔が1、第三砲塔が2で合計3 台座を積み上げた分だけ重くなって、重心も上に寄るの 3番や4番を一段高くすると、2番の砲身が1番の砲塔後端と干渉しないように 間隔を空けなきゃならない。 2番を一段高くして3番を逆方向にすれば、砲のある部分の長さを短くでき 排水量を減らせる。また弾薬庫を1箇所にまとめることも出来る。 最上の場合は甲板の上に楼があるレイアウトの為にそれが出来ず、利根は 艦尾の砲塔を艦首部に持ってきたレイアウトとしてあぁなっている。 #right(){(334:952,954)} **巡洋艦にはあって駆逐艦には無い機能とは何ですか? 艦長ポストの階級差くらいです。 はっきり言って、大きさや能力での区別はありません。 アメリカなどは、艦長の階級ポストの数を確保するために巡洋艦とクラス分けしてるだけとも言われてます。 大きさや能力で区別するのは、ワシントン条約が終了した段階でなくなったのです。 #right(){(494:206)} その昔、海軍軍縮条約の時代は備砲と排水量で駆逐艦と巡洋艦の区別がされてたが、 それが破棄されてからは明確に区別するものはない 軽巡並みの多きさの駆逐艦もあるし、現代の巡洋艦の備砲は過去の駆逐艦クラスしかないものも (その分、条約時代にはなかったミサイル兵装が整っているのだが) なんで、巡洋艦にはあって駆逐艦には無い機能などないし、名称以外では両者の違いは現代では無い #right(){(494:216)} **日本の重巡の中で最上型だけが主砲を伝統的じゃない配置をしてますが、これには軽巡→重巡への改装等の深い理由があるのでしょうか >従来配置の方が戦闘員の転換等も楽な気がしますが それまでのひな壇式配置は「前部には3基あるのに艦首方向には実質的に2基しか撃てないから勿体無い。 敵にT字を取られた時の事を考えると艦首方向に指向できる火力は多い方がいい」という意見が出たので この配置に。 でも砲身が干渉しない並べ方にしたら装甲貼って防御しなければいけない部分が長くなり、重量的に 不利になった上に、よく考えると 「2番砲塔は艦首方向には一定距離以内は射撃できない(砲身水平の零距離射撃したら1番砲塔に 当たるだけ」 なので「2番砲塔だけ撃てません」という状況が生じることがわかったので、あまり意味がないと 次からは止めた。 さらに、20cm砲塔に換装したら砲身が長くなったため2番砲塔は常に仰角をかけないと一番砲塔の 「後頭部」をドツいてしまうという問題が発生し、結局 「この配置にした意味ってあったんか? むしろデメリットが増えただけじゃないのか?」 ということに。 #right(){(596:65)} **アラスカ級は超弩級戦艦? アラスカ級は大型巡洋艦(艦種記号CB)だぞ? 公式には大型巡洋艦、実質は巡洋戦艦の末裔、といったところか ただワシントン・ロンドン条約の頃以外では艦種なんてその国が勝手に決めるものだから 公式の艦種は実情にそぐわないかも 少なくとも超弩級戦艦では無い #right(){(軍事板FAQ作成本部2)} **日本の条約型重巡は軒並み排水量1万トンを軽くオーバーしていますが、これは明らかにワシントン条約違反ですよね? ワシントン条約に「戦艦・空母以外は1万トン・8インチ砲まで」という規定があります。 妙高は1万トン目標でしたが高雄は9850トン目標。 ちなみに米英仏伊、条約参加国全てが排水量超過艦をこさえているので、お互い様ていうか 相手にツッコんだら自分もツッコまれる、ていうのも大きいのです。 アメリカなんかは作ってみたら想像外に軽く出来ちゃったクチで、当時の技術水準じゃなかなかピタリとは収まらないので ある程度黙認ていうか、紳士ルールで申告された数字を信じることにした、と言った方が妥当なところでしょう。 で、条約時代、一番重く出来上がったのはイタリアの重巡洋艦ダターリ。 日本のは第二次改装で1万3000トン級になってダントツに重くなったけどね。 #right(){(318:194)} **旧海軍の夕張は最終的に、どのような改装がされたのですか? 1943年の時点では、一番砲塔は撤去されて、5.5in/L50連装砲塔が艦の前後に2基、 単装砲塔跡地に、25mm三連装機銃を其々2基充て装備し、後部砲塔脇の2基を含め 12門、13.2mm連装機銃が4基、煙突脇と艦橋脇に2基ずつで8挺、61cm連装魚雷発射管 が2基で、機関換装で58,943shpになりましたが、満載排水量は4,448tとなり、速力は32kts に低下しています。 あ、ただ、福井さんの記録では、25mm三連装機銃を1基減らされ、12.7cm/L40の単装が 1基追加、13.2mm連装機銃が4基が25mm連装機銃4基に換装、25mm単装機銃8門が追加 とされています。 ただ、手元資料では傍証が見あたらず、これについては実施されたか不明です。 或いは計画値かもしれません。 #right(){(315:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **巡洋艦と巡洋戦艦と戦艦の違い 大雑把に言えば、 同等の相手とガチで殴り合うことを前提にした装甲と主砲を持っているのが戦艦。 戦艦よりも小口径の主砲を搭載し、厚い装甲は持たず速度を活かした行動をとることを前提にしたのが巡洋艦。 戦艦なみの主砲と巡洋艦なみの速度を持っているのが巡洋戦艦。 ロンドン海軍軍縮条約でカテゴリーAに分類された大型の巡洋艦が重巡洋艦。 第一次大戦前に建造された限定的な装甲を持った巡洋艦が装甲巡洋艦。 [[イギリス]]のクイーンエリザベス級のように就役当時は同時期の巡洋戦艦なみの速度を出せる戦艦もあった。 日本の金剛級のように改修で戦艦なみの装甲の強化を行った巡洋戦艦もあった。 つまり巡洋艦や戦艦の「明確な定義」などというものはなく、その時代時代で違っている。 #right(){(633:576)} .>>576 その説明だと明確な定義が無いのは巡洋艦と装甲巡洋艦だと思うが… 艦種定義はともかく運用でカテゴリー分けをするなら 厚い装甲を持ち高火力で戦闘での主力中核を担う代わりに速度をある程度犠牲にしてるのが戦艦だし 巡洋艦は遠隔地に派遣するために速度と航続能力を重視している (旧日本海軍の巡洋艦みたいに重武装で戦艦を補佐・補完する奴もあるけど) クイーンエリザベス級の様な機関の効率化等によって高速化した戦艦は 戦艦そのものの運用を変化させたというわけじゃあない それだと他の艦艇も技術進歩で速度が向上したら、旧来の運用や艦種区別をはみ出した事になるのか?ってなる また、金剛級の場合は改装によって巡洋戦艦から戦艦に艦種変更になったと言うべき そして、巡洋戦艦は運用そのものが戦艦に分類される以上、巡洋艦に混ぜたり明確な定義が~とか 言うべきじゃない あれはれっきとした戦艦カテゴリ(少なくとも巡洋艦として運用ってのに向いてる艦とは言えない) #right(){(633:578)} **現代、ロシアを除くほとんどの国で、重巡洋艦が廃れたのは何故ですか? >戦艦に続き、重巡洋艦も時代に合わなくなったんですか? ただ単に、重巡、軽巡という区別自体が、ワシントン条約によって規定されたものなので、 条約の満了に伴い区分がなくなっただけ。 用兵思想の違い。 米海軍は、大型の原子力空母を艦隊の中核・主力攻撃力としているので、 重巡洋艦の様な巨大な艦が必要なかった。 その他の海軍は、限られた予算で、できるだけ数を揃えようと言う事で、 建造費や維持費が掛かる大型の艦は運用しないだけ。 決して、重巡洋艦が時代遅れになったわけではない。 ただ、今後は、アメリカを水上艦艇を対地攻撃の主力に置こうと考えているので、 アメリカで重巡洋艦が復活する可能性はある。 日本も、防衛大綱の定数削減で、それの穴埋めに重巡洋艦を数隻程度持つ可能性はある。 >タイコンデロガ級は、誰がどう見ても軽巡洋艦じゃないですか コスト削減のため、スプルーアンス級駆逐艦の設計を流用したから。 ただでさえ、高価なイージスシステム積むので、船体を有り物で済ませたから。 あと、大佐級のポスト問題もあるから、巡洋艦と言いはる必要もあった。 だから、アメリカでは、デモイン級、ウースター級を最後に重巡、軽巡なんて区分を廃止しているから、 巡洋艦という区分になってる。 #right(){(661:153-160)} **二次大戦中の日本海軍の巡洋艦は重巡洋艦&軽巡洋艦ともに、ゲテモノだと聞きました。 >イギリス海軍の巡洋艦こそが、巡洋艦本来の姿だといってたのですが。 英国と日本の巡洋艦は、そもそもの利用方法が違います。 日本の場合は、米国との艦隊決戦に於いて水雷戦隊を率い、敵戦艦部隊に 突っ込んで漸減を行なう兵力として設計されています。 このため、居住性、航続性能を犠牲にして多数の砲、魚雷を搭載しています。 (一応、条約型巡洋艦を前提に話をしています。以下同じ) 一方の英国の場合は、世界中に遍くある植民地警備用に以前から使用していた 装甲巡洋艦が老朽化したため、それに代わって、武装、装甲はそこそこで価格の 安い、一方で居住性の良い艦を建造しています。 攻守共にバランスの取れた艦であるのが巡洋艦の理想型でしょうが、日本の場合、 攻のみが突出している部分を指して、「ゲテモノ」と称しているのかも知れませんね。 一方で、英国の場合は、隻数と武装の狭間で揺れ動いてたりするのですが。 #right(){(102:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **イギリスの巡洋艦ホーキンスは、19cm砲を積んでいたようですが、この艦は重巡に分類されていたのでしょうか? >条約などの絡みで重巡に分類すると損だと思うのですが。 London条約では、排水量10,000t、備砲が8インチ以下のものが甲級巡洋艦、 備砲6インチ以下のものを乙級巡洋艦としていました。 建造時のJane's Fighting Shipsでは、Cavendish級をLight Cruiserに区分して います。 しかし、Washington条約以後、これらの区分は取り払われ、単にCruiserと言う表記 になっています。 これは、Conwayでも一緒です。 従って、対外向け説明では、Cruiserとしか説明していないと言うことになりましょうか。 とは言え、Cavendish級甲巡と規定されていることには変わりなく、実際に1936年の 第二次London条約では、備砲の面から損であり、主砲換装が試みられ、一部の艦 で施行されています。 #right(){(129:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第一次ソロモン海戦の時に日本側の重巡が魚雷で大戦果をあげたのに対して米重巡はそもそも魚雷を装備していなかった訳ですが、 >このような兵装の違いはどのような思想から出てきたのでしょうか。 アメリカ重巡は、ペンサコラ級、ノーザンプトン級が竣工時に21インチ3連装魚雷発射管2基を装備。こちらも大戦開始までに撤去。 ポートランド級以降は、最初から魚雷発射管を装備しなくなった。 ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約により、日本は艦艇保有数がアメリカの約6割に制限されたので、 数の劣勢を質で補おうとして、個艦の攻撃力を重視するようになり、重巡洋艦も「重雷装」になったが (まあもっとも、平賀譲造船中将は、重巡の魚雷搭載量の増大には反対していたけど) アメリカにしてみれば、日本の1.6倍以上の海軍力が「国際条約によって保障」されているので そこまで「無理」する必要性を感じなかったんだね。 で、「重巡洋艦は砲戦だけやってりゃ良い」という考え方になり、魚雷は積まないようになった。 あと、当時の海軍軍縮条約で排水量が一万トンに制限されていたので (というか、ワシントン条約において戦艦の新規建造が禁止され、新たに造って良い水上戦闘艦艇が 「排水量一万トン以内、主砲は8インチ(20.3cm)以内」と定められた為、この規定に収まるフネとして 「誕生」したのが「(条約型)重巡洋艦」と言った方が良いかな) 魚雷発射管積む余裕が有るなら、その分のリソースを他に回せ、というコトですな。 しつこいようだが、一万トン以内に収めなきゃならないからね。 何を重視するかは、国によって違っていた。 日本は攻撃力重視、アメリカは攻防バランス重視、ブリテンは航続性能重視、イタリアはスピード重視(ただしザーラ級は防御重視)、 フランスは、当初はスピード重視だったが、後に防御重視になった。 #right(){(261:シア・クァンファ(夏光華) ◆23wgJy2eAo)} **エルジッククルーザーってなんですか? 防護巡洋艦(通報艦などの艦種に機関部などの重要区画のみ水平防御力を持た せたもの)の俗称です。 名前の由来は英国アームストロング社のエルジック造船所が初めて手がけたの に因みます。日本ではエルジック式巡洋艦と訳されることが多いかな #right(){(261:713)} **高雄型の防御重量を教えてください。 高雄型の防御甲鈑重量は2368トン #right(){(俺初質スレ433:402)} **ミッドウエー海戦で空母を4隻も喪失してしまった事で、大和・武蔵を除く全ての戦艦を空母に改装する計画があった様ですが、伊吹以外に重巡洋艦を空母に改装する案はなかったんでしょうか? >戦艦の空母への改装は改造工事期間がかかりすぎる事と、戦艦屋さんの反対で信濃のみが着工された様ですが、 >巡洋艦だと工数も戦艦よりかは短く、やってみる価値はある様に思えるのですが? 重巡は前線で使うからだと思います。 実際ソロモン戦線では常に第一線で使われていたために 基本的に改装なんてしている時間がなかったと思われます。 伊吹のように未完成状態の艦は別としてね。 >伊吹の搭載機数は? 伊吹の搭載予定機数は27機です。 また、実際に試験したわけではありませんが、小さいので新鋭機の発着は困難という予想が立てられていました。 もともと、伊吹は主砲塔の搭載も終わり、艦橋の偽装を除いて、巡洋艦としての形が見えるくらいまでに艤装作業が進んでいました。 それなのに無理やり空母改装なんてするものだから、改造は困難を極め作業は遅れ、結局完成しせずに終戦。 巡洋艦として完成させた方が良かったという意見もあります。 巡洋艦では工数が少ないとはいえ、もともと他の艦種として進水したものをを空母に改装するのは困難ですよ。 それに、新鋭機が使えない上に護衛空母程度の搭載機数しかないようので、わざわざ改造するほどの手間をかけてまで他の巡洋艦を改造するよりは、輸送船改造のほうがメリットが大きいと思います。 他の艦では利根型巡洋艦を空母に改装する計画も検討されましたが、実施には至っていません。 #right(){(150:565-572)} **巡洋艦に搭載された零式三座水偵や零式水上観測機は対潜哨戒を行っていたのでしょうか? 巡洋艦に搭載されていた水上機は、偵察、着弾観測の為の物で対潜哨戒は行っていませんでした。 また、主砲を使用した際は、利根型以外は爆風で搭載機も被害を受けてしまうので、壊れる事は折込 済みで運用していました。 具体的には、砲雷撃戦が始まる前に、偵察、観測の為にさっさと投射してしまい、海戦の最中は回収も 無理なので放置。海戦後に余裕が有ったら回収すると言う形で、半場使い捨てに近い運用だった様です。 元々、水上機の外洋での着水性能にも期待は出来ない物でしたし。 で、遭遇戦でいきなり砲雷撃戦に成ったら壊れるに任せると言った訳です。 だから、当然、巡洋艦搭載機は爆装はしていません。 #right(){(157:612)} **日本海軍の重巡は魚雷発射管の上に高射砲をおいたり、発射管の後ろに予備の魚雷を搭載しているのですが、どうやって魚雷を補給しているのでしょうか? 旧海軍では高射砲ではなく高角砲と呼んでいました。 高角砲は、魚雷発射管上やその周囲の甲板上などの作業の邪魔になるような位置には配置されず、 上部の甲板上にあっても揚弾薬筒や支筒などが干渉しない箇所に配置されていたのでので問題はありませんでした。 発射管後方の魚雷は主に次発装填のためのものであり、邪魔なら片付ければよく必要なら装填すればよいものです。 魚雷は積み込まれた後に魚雷発射管・次発装填装置・予備魚雷の格納場所に運ばれますが、 これらが露天甲板上に無い場合は船体側面や上部構造物の開口部から搬入されます。 積み込まれた魚雷は天井や甲板上の軌条に沿って所定の位置まで移動します。 重巡は露天甲板下に魚雷発射管を装備したものが多いですが、上に書いた通り側面の開口部などから積み込みました。 魚雷発射管のある開口部からやその脇に開口部を設けて魚雷の搬入口とした場合もありますし、 上部構造物の前面や後面の通路から積み込む場合もありました。 側面の写真を見ると開口部の直ぐ傍に魚雷積み込み用のダビットが付いているのが見えることもあります。 #right(){(159:603)} **5500t軽巡は太平洋戦争時は既に老朽化していましたが、元々の軽巡としての実力はどの程度の評価だったんでしょうか? 14inって巡洋戦艦ですがな(苦笑。 最初の天龍型はC級の軽巡洋艦を目標に設計され、それより高速で、魚雷兵装強化され、 適度な軽防御を持ち、装甲嚮導艦としての任務を果たすべきものでした。 5500t型も、英国の軽巡洋艦に範を取って建造されたもので、駆逐艦が大型化したため、 従来の3000t程度の艦ではその指揮が取りきれない、また、相手が駆逐艦から敵の軽巡 洋艦となったため、より大きな口径の砲を搭載し、より高速を発揮する機関を持ち、そのため 更に大型化する必要がありました。 但し、砲に関しては、6inでは小柄な日本人では装填などで体力を消耗することと、速射性能 を求めたため、5.5inとしました。 また、速度は一般に33ktsと喧伝されましたが、実際は36ktsを発揮し、この艦型の保有は、 各国にとっては脅威だったようです。 5500t型の競争相手は、米国のOmaha級、英国のE級、Hawkins級でしたが、軍縮条約が無ければ、 軍令部の方針では、更に8000t級まで大型化する可能性はありました。 事実、古鷹とか加古はその具現化と言えます。 砲塔に関しては、駆逐艦と大して変わらないので、余り問題にはならなかったのではないか、と思います。 乾舷もそれなりに高いので、稜波性もあるでしょうし。 #right(){(164:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 5500トン級と同期といえば,アメリカのオマハ級ですね。 どちらも偵察巡洋艦なので,長期単独行動を前提に計画されています。 5500トン級が優れているのは最高速力で,36ノット対34ノット。 この速力を出せば,来航する米軍の先陣を切る平甲板型駆逐艦を制圧できます。 ご指摘の14cm主砲ですが,駆逐艦を漬していくには十分です。 これが15cmとなると,人力で砲弾を運ぶ効率が低下します。 15cm砲は毎分6発,14cm砲は毎分10発撃てるわけですから,14cmがお得。 逆にオマハ級が優れているのは砲力で,14cm7門対15.2cm10門。 数も破壊力も5500トン級を上回るので, [[日本側]]はオマハ級をアウトレンジできる古鷹型を開発する必要が生じました。 もうひとつは航空偵察力で,1機[[カタパルト]]なし対2機[[カタパルト]]つき。 長良型の艦橋格納庫は,発艦はできても,偵察から帰ってきた偵察機を収納できません。 その点,煙突と後マストの隙間に格納スペースを用意していたオマハ級に先見の明ありです。 さて,波浪の影響ですが,5500トン級が細い分,不利ではあります。 のちに竣工した吹雪型駆逐艦にも劣るといわれます。 しかしWW1明けの水準では優れた安定性を持っていた部類です。 5500トン級が難渋する波浪の中では,敵駆逐艦は行動できませんから。 #right(){(164:鷂 ◆53cmjHPmWw )} **金剛の代艦となる巡洋艦の案があったって聞いたことあるんだけど、どんな船ですか。 1941年に策定された夜戦部隊指揮艦用の「超甲巡」795号艦と796号艦です。 ワシントン条約で建造された重巡洋艦は、防御とか主砲に難を持っていました ので、重巡洋艦よりも大きくそして防御力の強い艦として計画されたものです。 Franceのダンケルク級とか、Germanyのシャルンホルスト級がそれに近い 存在です。 排水量34000トン、速力33Knot、主砲31センチ3連装砲×3、10センチ高角砲 連装×8、水上偵察機3機です。 米国もこれに対抗して、アラスカ級を建造していますが、結構中途半端な感じ になりました。 日本でも中途半端な艦になる可能性があったかもしれません。 #right(){(マイナーな未成艦を語ろう:眠い人 ◆ikaJHtf2)} *日本軍艦船 **震洋やマルレは、木製のようですが、夜間に出撃したかどうかわかりませんが、連合軍のレーダーに引っ掛かる可能性があったのでしょうか? 海の上には波があり、シークラッターという複雑なエコーが常に流動しています。 これは潜水艦のシュノーケルや水上艦のステルス化が一定以上進まない原因なのですが、 逆に補足する側にとっても障害になります。 つまり、ある程度波のある海上に浮かんでいるだけで、隠れ蓑をまとっているのと 同じ効果があるのです。 そのため、対水上レーダによる小型木造船の遠距離補足には現代でもある程度の 限界があります。 マラッカ海峡付近の海賊はこの原理を利用し、パンチュンという小型高速の 動力付き木造船を駆使して気付かれる前に大型タンカー等の死角に入り込もうと する手口を使っています。 ただし、いってしまえばそれまでの事で、人員の少ない民間船ならともかく 警戒要因の多い警備や軍用艦船にとっては、闇夜に紛れて油断の合間を縫う 程度の効果しかなく、戦時下で警戒を厳にしていると厳しいものがあるでしょう。 なにせ、旧軍は夜間の対魚雷警戒すら目視で航跡を発見する方法で対処しています。 #right(){(657:378)} **戦標船改E型の「焼玉エンジン」ってなんでしょうか? 「焼玉エンジン」は、ピストンで圧縮されたガスを、バーナーで熱した鋳物の球に接触して爆発させる機関で、通常は重油を燃料とする。 戦時中、特に、終戦間近には、石油不足で、魚油などが使 われた。 浦安市郷土博物館に実演展示されています #right(){(5:834)} **かなり前の神戸新聞の投稿欄に祖父が呉海軍工廠で特殊潜航艇を作っていた(回天か?)という50代くらいの女性の投稿があったのですが、 >彼女の投稿によると祖父は設計の重要な立場に居たらしく家には資料があるとか。 >そして彼女は祖父のことを誇りに思い、特殊潜航艇の他にも「水陸両用魚雷」なる物も開発していたと証言。 >ソースは示せず、恐縮ですが、はたしてそんな兵器は存在するのでしょうか? 確証はありませんが、特4式内火艇のことではないでしょうか? 設計が呉工廠造船調査部で 製造が三菱重工、さらに改修が呉工廠で行われています。 設計は堀元美少佐一人で行われたそうなので(また堀氏は潜航艇建造には不参加) この改修の際に関わられたの工廠関係者の方ではないかと #right(){(10:名無し厨尉)} 単に第二次大戦前までの「海防艦」というのは、単に旧式、二線級となった 軍艦の総称で、海防戦艦的な用途に使われたというのは些か穿ちすぎの ような気がします。 単に「予備艦」という艦種であれば、そこに配属される将兵の士気にも関わ りますし、国民の視線も冷ややかでしょう。 多少なりとも、軍艦っぽいネーミングにしてイメージ向上を行ったのが真相 ではないでしょうか。 #right(){(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} **旧日本海軍の給油艦知床型(一番艦能登呂)は軍艦でしょうか? 旧海軍で軍艦は以下のものだけです。(太平洋戦争末期) 戦艦 航空母艦 1等巡洋艦 2等巡洋艦 水上機母艦 潜水母艦 敷設艦 練習戦艦 練習巡洋艦 というわけなので[[日本海軍]]の中では給油艦である知床型は軍艦ではないです。 #right(){(18:バッチ3)} **「梨」→「わかば」の改装はどんなものだったのですか? 昭和20年屋代島沖で沈められました。 大蔵省が業者に売却して、昭和29年に引き上げられ、スクラップとして払い下げましたが、状態が良かったために、 その業者が防衛庁に売り込みを図り、紆余曲折の末、護衛艦となったものですね。 「梨」→「わかば」は、沈没していたために、多分船体内部の洗浄、機関修理は実施したでしょうが、 機関を撤去してまでするのであれば、貧乏所帯の海自は買わなかったでしょう。 あとは、武装を米式の対潜護衛艦並みに、更に電測兵装を追加しているだけのようです。 他にも枚挙に暇がありませんが、比較的有名なのが真珠湾で沈んだ戦艦の再生、 ツーロン港で自沈した駆逐艦の再生というのがあります。 #right(){(24:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **丹陽こと雪風が賠償艦として、国民党に貰われていったエピソードは有名ですが >丹陽は具体的に何年ごろから何年ごろまで、中華民国の旗艦だったのでしょうか? 丹陽について細かい話をこちらを見てください。 nttp://homepage1.nifty.com/HARPOON/UMAX15.html なお、文中に出てくるグリーヴス級駆逐艦とは DD421ベンソンとDD427ヒラリーPジョーンズで、54年に中華民国に引渡されております。 その他リヴァモア級駆逐艦2隻(DD431プランケット/DD456ロッドマン)も 59年と54年に引き渡されています。 #right(){(33:名無し軍曹)} **戦時中、帆船日本丸が輸送船として瀬戸内海を走ってたと聞いたのですが、知ってる方教えて下さい。 運輸省管轄で、石炭輸送を行っていたそうです。 #right(){(11:名無し厨尉)} **正規工作艦明石の歴史と性能について教えて 昭和9年度の軍縮条約下に於ける第二次補充計画によって建造が計画され、 1937年に佐世保工廠で起工、1939.7.31に竣工しています。 この艦は当時最新鋭だった、米海軍の工作艦メデューサ級をタイプシップとして 建造されており、艦内には日本でも最新鋭のドイツ、米国製の精密加工機械を装備していました。 1942年の改○5計画によって三菱横浜にて同型2隻を建造する計画でしたが、 資源不足、戦局の推移によって実現しませんでした。 実現したら、「三原」「桃取」になっていたようです。 太平洋戦争勃発時はフィリピン攻略部隊に属し、以後はトラック島に在泊し、 その陸上工作部と共同で損傷艦の修理に活躍しました。 1944.2.17~18に掛けての米軍のトラック空襲で大破し、3.30にパラオで空襲を受けて沈没しました。 排水量9000t、全長158.5×全幅20.5×喫水6.25m、機関タービン10,000shp、速力19.2kt、 武装として12.7cm連装高角砲2門を艦の前後に装備し、艦内に工作機械114台を設置、 工員433名が17の工場に分かれて、勤務していました。 #right(){(47:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **旧日本海軍の艦艇は大和級戦艦からバルバスバウが装備されていますが中身はバウソナーなのでしょうか? 詳細な資料が手元にないのですが、バルバスバウを装備しているのは大和型戦艦と翔鶴型空母 くらいです。 あとの艦はたいていスプーンバウかクリッパーバウのはず。 ソナーにしても装備している艦はそんなに多くなく、海防艦などがハルソナーを装備していて バウソナーは装備していません。 バウソナーを装備しだしたのは戦後の艦です。 それに、大和型戦艦のバルバスバウって今の商船みたいに大きくないです。 #right(){(51:名無し軍曹)} 大和の艦首には水中聴音器が装備されてます。 #right(){(51:437)} **日本の軍艦で、艦命符字で大和・JGAA、長門・JGIA、赤城・JQSAってありますが、何の略? 国際無線符合 現在のフネにもあるよ。 #right(){(53:8)} **防空駆逐艦「秋月」には射撃用のコンピュータが積まれていたのですか? そんな事実はありません。 #right(){(60:742)} 電波探信儀はレーダーです。コンピュータとは呼ばないほうがよいでしょう。 1.戦艦にも電探は積まれていました。 2.陸軍では電波警戒機という名でレーダーを使用していました。 #right(){(60:745)} えー秋月級に限らず、高射砲を装備している艦にはだいたい「高射装置」という 対空射撃用の照準装置が付いていました。これは機械式計算機を組み込んだもので (これについては高射装置以外の管制装置も同じですが)、様々な情報を入力すると 射撃諸元を示すようになっていました。 なお、このような射撃装置は海軍の一部の防空陣地にも設置されていたといいます。 陸軍については私の手元に資料がないもので・・・。 上のレスにもありますが機械式計算機ですのでコンピュータとは言い難いですね。 また、最近の調査で秋月級の初期の艦も装置自体は1基しか積んでいなかった という説がでてきたようです。 #right(){(60:747)} >普通の高射砲部隊には射撃指揮コンピュータ等配備されていたのでしょうか? 佐貫マタオ氏の書いた本にドイツの高射砲部隊には単純なアナログコンピュータと いうべきものが装備されていたとか書いていたような気がします。 #right(){(60:748)} **内火艇の火はどういう意味ですか? 大辞林第二版より [内火艇]ないかてい 内燃機関で走る小艇。 #right(){(61:822)} **太平洋戦争中の駆逐艦は弾火薬庫にすら装甲なしですか? 駆逐艦以下の艦に関しては、装甲などありません。 条約型巡洋艦にしても、排水量の制限から搭載砲以下の装甲に甘んじて います。 (例えば、高雄型では機関部で3.9in、弾薬庫で4.9inしかありません) 駆逐艦については、弾片防御程度ですから、精々小口径機関砲とか機関 銃弾を防ぐくらいしか出来ません。 #right(){(69:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **旧海軍所属の駆逐艦「雪風」は、めでたい船と言う話と不吉な船と言う話と両方聞いた事があるのですが実際はどうなんでしょう 幾多の激戦を潜り抜けて最後まで生き残ったわけで乗組員にとっては”幸運艦” だったが、雪風ともに行動する他の艦の乗組員にとっては 「あいつと一緒にいると自分たちのフネは沈められてあいつだけ生き残る」 と死神扱いだった。 どうでもいいがSF小説の方の「雪風」はこのエピソードから来てるんだろうなぁ。 #right(){(80:261)} **日本海軍巡洋艦「夕張」はなぜ重そうな連装砲が上で軽そうな単装砲が下なのでしょうか? 前の方は幅が狭くて連装砲塔が乗せられなかった。 #right(){(85:820)} **1等輸送艦の断面図(前後方向の)が乗っているHPか本の名前教えてもらえませんか? 断面図は無いですねぇ。 [[日本海軍]]特務艦船史に図面はありますが…。 ひょっとしたら戦時船舶か世界の艦船辺りにあるかもしれないですけど。 舷窓があるところを見ると何らかの船室があったものと推定されます。 但し、補給物資は艦橋と罐室の間の2カ所の船倉に積まれていたようです。 #right(){(87:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **巡洋艦三隅は何処から命名したのですか。 三隈川。 阿蘇山から発し、有明海に注ぐ。下流の名称は筑後川。 一等巡洋艦(重巡)には山の名を付けるのが旧海軍の規定だが、 最上型4隻と利根型2隻は書類上二等巡洋艦(軽巡)として扱われるので、川の名が付いている。 #right(){(90:334)} 大分県日田盆地の川の名前。 阿蘇外輪山の北壁に発するせせらぎの幾つかが北流して、熊本県北端 の杖立辺りで合流し、杖立川となって大分に入り、日田の辺りで玖珠川と 合流すると三隈川となります。 これが西流を続け、筑後平野に達すれば、筑後川となります。 なお、三隈の河川名の由来は、付近に日隈、月隈、星隈という三つの水蝕 残丘の名前を合わせたものと言われています。 #right(){(90:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **旧日本海軍で、砲艦の定義は何? 砲艦には色々ある。基本的に航行性を犠牲にして巨砲を積む。 500トンクラスに20cm砲を積んだ船も在れば、 モニター級は戦艦並の砲を持つ。 #right(){(91:389)} **旧日本海軍の砲艦は太平洋戦争が始まる頃までは軍艦扱いだったそうです。 >外交上の配慮だったそうですが、砲艦が軍艦であると外交上どういう利点があるのでしょうか? 砲艦は軍艦にしといたほうが相手に何かと押しが利きやすい #right(){(91:385)} >さっぱり答になっていない。軍艦と称するとなぜ押しが利くのか? 政治を知れ、砲艦は外地警備任務に当たるのだ。 難しい判断を迫られることも多いし、艦長は大佐があたる。 (河川用の小型艦は中佐が任命される)駆逐艦、潜水艦は中佐が艦長だ。 #right(){(91:388)} 388がいうように、外地で(例えば中国)紛争とか事件とかトラブった場合に現地邦人を保護したりすることもある。 とまあ外交官としての役割もあり、それなりの地位があったほうが良い。 だから中佐が指揮する補助艦艇ではなく、軍艦扱いにして大佐を載せた。 #right(){(91:391)} 小艦とはいえ、一国の利益を代表して沿岸国の政府に睨みを利かせるためには、 砲艦は正規の海軍大佐が指揮する正規の"軍艦”でなければならなかったのです。 #right(){(91:396)} **巡洋艦長良って、防空能力を強化したって聞いたのですが、活躍できたのでしょうか。 防空巡洋艦に改装されたのは、「長良」と同型の「五十鈴」です。 改装後は空母機動部隊の護衛などに用いられていますが、特に防空艦としての 特色を発揮することもなく、潜水艦によって沈められています。 巡洋艦「木曾」は存在します。「揖斐」は海軍・[[海上自衛隊]]を通じ、存在しません。 #right(){(98:299)} **5,500t型軽巡は作戦行動期間も短いから我慢してくれるだろうと言う思いで兵員室をボイラー上に設置したのでしょうか? 5,500t型軽巡は設計時に南方の植民地警備を視野に入れてなかったから 無理に兵装を積み込んだ関係で普通はやらないボイラーの真上や煙路付近 に兵員室を設けるはめになった。 それに日本の軍艦が通風能力が不足しているのも辛い原因の一つかも。 #right(){(99:185)} **旧海軍の松型駆逐艦等は主砲の砲員がむき出しになっていますよね。 >何ゆえ従来型のしっかり守られた砲塔でなく、あのような設計にしたのでしょうか? アレは「砲塔」じゃなくて「露砲塔」 なんでって予算がなかったから、そんだけ。 #right(){(102:748)} それは素直に友人に問うてみる方が良いでしょう。 人それぞれの主観がありますから、こちらでは回答しにくいと思います。 英国と日本の巡洋艦は、そもそもの利用方法が違います。 日本の場合は、米国との艦隊決戦に於いて水雷戦隊を率い、敵戦艦部隊に 突っ込んで漸減を行なう兵力として設計されています。 このため、居住性、航続性能を犠牲にして多数の砲、魚雷を搭載しています。 (一応、条約型巡洋艦を前提に話をしています。以下同じ) 一方の英国の場合は、世界中に遍くある植民地警備用に以前から使用していた 装甲巡洋艦が老朽化したため、それに代わって、武装、装甲はそこそこで価格の 安い、一方で居住性の良い艦を建造しています。 攻守共にバランスの取れた艦であるのが巡洋艦の理想型でしょうが、日本の場合、 攻のみが突出している部分を指して、「ゲテモノ」と称しているのかも知れませんね。 一方で、英国の場合は、隻数と武装の狭間で揺れ動いてたりするのですが。 #right(){(102:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **なぜ日本重巡古鷹は苦労して単装×6門を連装×3門に改装したのですか? 露天砲塔と一応全周囲装甲で覆ってある砲塔の どっちが乗員が安心して戦えるか分かってますか? #right(){(102:963)} まずは、射撃制御がやりやすいから。 6つの砲塔を制御して一つの目標に集弾させるより、連想の砲塔3つを制御する方が遥かに容易。 単装の砲塔がたくさんあると、集弾性が劣る。 あと、砲塔がたくさんあるとそれだけ人員もたくさんいるし、艦上のスペースも食う。 全体としてコンパクトにまとめづらくなる。 それと、その後建造された重巡と砲塔を同型で揃えておいたほうが、 保守点検整備修理の観点からも効率的。 #right(){(102:969)} **米重巡ボルチモア級は重巡としては反則的に強力だという話を見たことあるのですがなぜなのでしょうか? ボルティモア級はロンドン軍縮条約の失効後に建造されたため、排水量等に制限のあった 条約型重巡に対し優位に立つことが出来ました。 #right(){(103:834)} **結構な活躍を見せてる特設水上機母艦ですが、まとまった資料が見つかりません。 >なにかお勧めの資料ありませんか? かつて「丸スペシャル・水上機母艦」(潮書房)というのが出ておりました. このシリーズは後に合本されて,「写真 日本の軍艦」 (光人社)というタイトルで再刊されております. 他に,福井静夫氏の全集にも若干載っていたと記憶しておりますが, いずれにしても特設水上機母艦については,それほど詳しい記述はありません. もしかしたら二式水戦やゼロ観の本のほうが,作戦行動については詳しいかも. #right(){(109:転載君)} **秋月型の長十センチ高角砲用には、ドイツの88のように徹甲弾などはあったのでしょうか? 十センチ高角砲は対空用の通常弾(榴弾)と演習弾のみ。 そもそも駆逐艦には徹甲弾がない。あとは演習弾とか、星弾とかね。 #right(){(116:775)} **大戦中の日本の大型艦っていくどと蒸気タービンを機関としてるのに燃料がねえから作戦行動がとれないっておかしくないですか? >蒸気機関って石炭と水で動くはずなんで、石炭は日本で取れるんで問題ないんじゃないですか? それは石炭燃焼缶の場合だろ。海軍のフネは重油燃焼缶だったので、大規模な改造が必要。 石炭を動力源にするか、重油を動力源にするかで、同じ蒸気タービンと言えど、出力や特性が全然違ってくる。 フェラーリ持ってきて、アルコールでも動くんじゃね?って言うのと一緒。 石油は液体なのでポンプで圧力を掛ければボイラー内に入っていくが、石炭は固体なので人が投げ込まねばならない。 また、石油はバーナーを奥まで伸ばせるのでボイラーの厚みを大きく出来るが、石炭だと人の投げ込める距離以上は 無意味なので厚く出来ない。 その分大型化できず数を揃えなければならなくなる。 このため石油が世界中の港の多くて入手できるようになると石炭専焼ボイラーや混焼ボイラーは廃れ、重油専焼ボイラーが主流となる。 また、日本国内で取れる石炭はあまり質が良くない。 蒸気機関だって、確かに燃料は選ばないがそれは構造が単純だから、釜に入れればとりあえず燃えるだけであって 蒸気を発生させるのに必要な燃料を投入しなければ、燃費の問題で逆に非効率になったり、出力不足で動きません なんてことも普通だ。 極端な話、石炭の代わりに木炭とか紙とかで蒸気機関動力船を動かせなんて、どれだけ燃料積むんだよってことになるし #right{(507:290-315)} **標的艦となった摂津に積まれた遠隔無線誘導装置の製造国・メーカーを教えてください 海軍の技術研究本部電気部が昭和三年に開発しました。 システムは速力管制装置と針路管制装置を組み合わせた物です。 動力の電動機と電池を使用して無線操縦をします。 但し、ボイラーの自動噴燃装置はドイツのアスカニア社が開発した物を輸入して機関の遠隔管制に使用しました。 参照図書はなんと! 歴史群像2001年12月号のp12です。 我ながら歴群を見直しましたね。 追記、 システムの予算化は昭和9年に認められました。 摂津の標的艦としての完成は昭和12年です。 操作関係に関してはWikiの標的艦摂津に記載されています。 #right(){(601:不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk)} **旧日本海軍の艦艇の艦首には、フレアはあってもナックルは一部の駆逐艦にしかない、という印象なのですが、実際はどうだったのでしょうか。 当時の日本の軍艦はより良好な凌波性や高い速力を追求しまくっていたので、より自然なライン を追求した当然の結果と思われる。艦首/艦尾形状、舵など、あらゆる部分について、熱心な トライ&エラーが繰り返されていた。 ところが戦時になり、テクがどうこう言う前に「数」が足りなくなったので、「松」型駆逐艦に至って ようやく簡素化されナックルになった。性能低下が心配されたが、予想に反して大したデメリット は出なかったという。それまでが"凝りすぎ"だったというわけ。 #right(){(299:105)} **日本軍の輸送艦で最大搭載量の艦ってなに?またどれくらい積めるの 二次大戦の輸送船は枢軸・連合とも一般商船を徴用したものがほとんどで、専用の輸送艦は開戦後に建造されている。 連合軍側最大の輸送船は豪華客船として有名なクイーン・メリーで8万1237総トン。 日本で最大は日本水産の捕鯨母船第3図南丸が1万9206総トンで、タンカーとして使った。 タンカー以外の特設運送艦では、日本郵船の浅間丸型1万6947総トンが最大かな。 まあ単純に排水量で言うと、戦艦や正規空母でさえ輸送任務についてるけど。 日本ではそもそも1万総トン超える商船自体数える程しかないし、新田丸型とか氷川丸型とかほとんどが豪華客船だな。 #right(){(俺初質スレ431:689)} **帝国海軍で「内火艇」を「うちびてい」と呼んでいたらしいけど、これって一体どこから出た呼び方なんじゃろか。 http://www.warbirds.jp/ansq/21/B2001408.html >以上から見て、明治大正期には「うちびてい」と言っていたものが、昭和に入って遅くとも昭和10年までには「ないかてい」と呼称が変更されたものと考えます。 #right(){(684:370)} **第二次大戦時に艦船の探照灯は、どれぐらい使用されたんでしょうか? [[日本海軍]]の戦術では、夜襲に於て探照灯を使用した射撃と言うのがデフォでした。 従って、夜襲を行う場合は、探照灯を結構使用しています…としか回答出来ないなぁ。 但し、連合国の電探精度が上がると逆に目標にされて悲惨な目に遭うわけですが。 #right(){(286:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **帝国陸軍の河川用装甲砲艇は、日本軍の武装解除後に国共内戦やベトナム独立戦争で使用されたんでしょうか? 残念ながら、陸戦兵器の整備に手一杯で、(中国共産党の場合は)次いで空軍の整備、 水上兵力は後回しとなり、結局使用されていません。 尤も、利用する場所がありませんし。 #right(){(278:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大発って何ですか?ダイハツという車の会社と関係があるのでしょうか? 大発(大発動艇)は陸軍運輸部が開発した戦車・重量兵器用陸用舟艇です。 大正13年の訓令事項により ・武装兵約60名を搭載しえること ・馬匹・野砲・軍需品を搭載しえること ・重量六トンを限度とすること などを条件として開発されました。、 大正14年に試作型であるA型(LB-A)が完成し、さらに改良型として船首の一部を 歩板にしたB型・船底肋骨を2本にしたC型・大型化して戦車の揚陸を可能としたD型が 製造されました。 D型は全長14.88メートル、自重9.5トンで八九式中戦車が搭載可能でした。 さらに戦車の重量増に対応して97式中戦車(13.5トン)搭載可能な15トン型特大発動艇 「〇セ(丸の中にセ)-LB」や26トン戦車搭載可能な30トン型大発動艇を 超大発動艇(S-N-LB)として試作しています。これは大型発動艇とも呼ばれました。 この他にも木製大発動艇・折畳式大発動艇などが開発されました。 また、兵員揚陸用として小発動艇が存在し、A~C型が製造されました。これは C型で自重3.5トン、武装兵20名または物資3トンが搭載可能でした。 #right(){(124:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **大戦中、日本ではコンクリート製の輸送船が作られ、これが結構優れものだったと言いますが、 >コンクリートで軍艦(砲雷撃艦は無理でしょうが、空母・護衛艦など)を作るのは無理でしょうか? コンクリ船建造時の担当官の考え方としては、 (1) 本格的な量産は考えない。コンクリ船は鋼船の補助的な存在程度のものであって、これにより 幾分の補いは付くが、これだけに頼る訳にはいかない。 (2) 鋼材の供給力が十分に成った時には廃止されるべきものであって、戦時中と雖も、便法とされる べきものである。 と言うものであり、期待はしていません。 逆に、 (1) 船価は、鋼船の二倍になるので、特別の措置を必要とする。 (2) 建造地には、冬期でもコンクリート工事施工可能な温暖な地を必要とすること。 (3) 線材として、甲造船の際に余る鋼材を充てることになっていたが、甲造船そのものが少なくなったので、 線材が利用出来なくなったこと。 (4) コンクリートも良質のものが必要であること。 (5) 鋼材の使用量は確かに少なくなるが、逆に型枠に使用する木材の使用量が二倍以上必要となること。 と言うデメリットが発生しており、また、普通のコンクリートでは、耐水性の問題で、没水部を薄板鋼板で覆っています。 耐水性コンクリートとして硫酸銅セメントを用いることが考えられ、小型船が進水間際まで行きました。 このほか、マグネシヤセメント船も研究されましたが、これとて、 (1) 一隻当り所要資材のうち鋼材の使用量は余り減らないし、木材も従来の木造船の半分を消費する。 (2) マグネシヤの原料は朝鮮あるいは関東州であり、内地にはない。 (3) 構造から鑑みても、木造船に比べて工数と建造機関が掛かりすぎる。 と言う理由で、研究はされたものの、実用は見送られています。 #right(){(128:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **対潜兵器の「捕獲網」は、どのように使うのでしょうか? >日本の正規捕獲網艇は燕と鴎の2隻なので、2艘曳きトローリングと同じ要領と思っていましたが >特設捕獲網艇の場合、特設駆潜艇2隻と特設捕獲網艇1隻で1個駆潜隊を編制すると最近知りました。 >1隻でどうやって曳くのでしょうか? 一四式一型あるいは二型が用いられています。 これは、長さ100m、幅35mの鋼索製の網で、五枚を一組とし、網の上方には浮子を、 下方には海底に達する索を取付け、重錘を以て海上に沈着させるものです。 特設捕獲網艇は、最大500~1000総トンの貨客船、客船、貨物船で、改造要領は、 船尾楼甲板上に鉄骨木製の捕獲網敷設台を設けます。 これは、大きく外舷から張り出した矩形平面のもので、両側には網を掛ける柵が 立っています。 後部船倉を網庫として、捕獲網は網庫内に四組搭載し、二組を敷設台上に組立て てから敷設します。 敷設台後方には網用錨ダビッドがあり、網は台の後端から滑り落ちる仕掛けです。 要は曳航するのではなく、落っことして、置いておく様な感じでしょうか。 #right(){(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の戦時標準船の「改E」系列は、きわめて評判が悪いようですが、 >やはり改Eの大量産と言う方針は誤りだったのでしょうか? 1941年秋の状況で無限と言うほどの船腹量が必要になってきますが、 D型以上の建造は施設的にも材料的にも行き詰まってきたことで、その 改善が見込めず、全くの応急用としてのE型船量産という着眼点はそれ なりに良かった訳でして。 その特徴として、 (1)小型であるため建造技術が簡単で必ずしも専門家、熟練工を多数必要としない、 (2)建造施設を簡易、かつ、急速に設備しうる。 (3)量産思想に依って、工作し得る程度の大きさである (4)主要材料である厚板は、造船材を作成していない中小製鉄所の設備、技術でも量産可能。 と、誠に以て、良いことずくめで、特に軍備と競合しないので、海軍としては魅力的に写ったのだと 思いますが、量産したは良いものの…。 (1)冬季北方、日本海での使用は困難(航行できないと言うが、こんな所を走らせるために作ったんじゃない、 と設計者は切って捨てていますが。) (2)低速である(軽荷状態で強風を船首方向から受けると操舵、保針に困難が生じる、というのは認めましょう。) (3)居住性不良(思想と観点の問題と、設計者は切って捨てていますが) (4)工事粗漏(造船所の責任と、設計者は切って捨てていますが) (5)機関故障(焼玉機関は焼玉としては出力過大だけど、これは油と発動機工場の質低下に帰する、と設計者は切って捨てていますが) (6)焼玉揚貨機の不調(工作不良と運航者の問題と、設計者は切って捨てていますが) と例によって、基礎技術の伴わない状況が出てきています。 また、船型の改善が難しく、播磨造船所では、貨物船を油槽船に切り替えるために、月間10隻の竣工予定が、7隻に落ち込んだりして います。 #right(){(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の駆逐艦で主砲塔を一基下ろして、機銃を載せるという改装をした艦があったと思うのですが 樅級は1943年頃から3番砲を撤去して代償に対空火器と電探を装備。 神風級は1943~44年に掛けて4番12cm砲を撤去してその跡と艦橋前部に25mm連装機銃2基づつを装備。 若竹級も12cm砲を2基降ろして対空機銃を増備。 睦月級は12cm砲1~2門を降ろして対空機銃を増備。 吹雪級は1943年後期頃から12.7cm3番砲塔を降ろして25mm三連装機銃2基と換装し、艦橋前面に25mm連装 機銃1基と2,3番魚雷発射管中間に25mm三連装機銃2基を追加。 初春級は1944年に入って、単装砲塔を撤去し、25mm三連装機銃1基と換装。 白露級も初春級と同様。 朝潮級は1944年頃に12.7cm2番砲塔を撤去して吹雪級と同様の改装を実施。 夕雲級は1944年以降に12.7cm2番砲塔を撤去して25mm三連装機銃2基と換装。 但し、最後期に建造されたものは、砲塔撤去が無かったです。 ついでに、千鳥級は後部主砲を撤去し、25mm連装機銃2基、単装4基を増強、 鴻級も同様ですが、25mm単装機銃の門数が5基になっています。 #right(){(155:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **特設航空機運搬艦に飛行艇は積めますか? 飛行艇は搭載できません。 大艇の補充は基本的には空輸になっていた筈。 空運乙は、若干機(2~3機)の水偵を後部上甲板上に露天格納するほか、主翼、胴体を分解して船倉内に10機が搭載 出来るようになっています。 また、前後部の船倉、甲板間貨物倉の大部分がドラム缶入りのガソリン、爆弾、魚雷の格納所であり、前部は人員と各種 雑物件の収容所となっていました。 りおん丸の場合は、前部中甲板区画は航空隊兵員、飛行場設営隊員など500名分の居住区画、船橋楼内の上甲板区画 が船固有の兵員室、船尾楼は准士官以上の居住区で、40名収容。 貨物倉内の一部には機械工場、木工工場、鍛冶、熔接工場が設置され、石炭庫と真水タンクを増設しています。 なお、名古屋丸は潜水母艦からの改造であり、船倉内に解体機を搭載しませんでした。 #right(){(156:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本海軍は機動部隊防空のための秋月型を多数製造しましたが、秋月型以外に防空目的の駆逐艦を設計したのでしょうか? 駆逐艦と言うより、当初は巡洋艦を志向しています。 英国の旧式軽巡洋艦改造の防空巡洋艦を手本に、旧式化した天龍型とか5500t型軽巡洋艦の主砲を 高角砲に換装し、高射装置を完備、雷装を全廃して直衛艦とするのが一番最初。 ところが、これは予算が可成り掛かる上に、防空性能不十分、しかも、旧式と言えど、未だ十分に水雷 戦隊旗艦として役に立つこともあり、又、これらは艦隊決戦に際し、重雷装艦とすることが考えられまし たので、防空巡洋艦構想は後に多摩が改造されただけでした。 で、その替わりに新型の防空巡洋艦を設計します。 これは大淀型とほぼ同じ9000tで、10cm高角砲の連装砲塔を12基搭載、高射装置は4基搭載という立派 なものでしたが、これは威力十分な替わりに船価が高く、実現の見込み無く、一艦で対応する巡洋艦よりも、 数隻で対応する駆逐艦の大型化という方向に進んでいきます。 当初は、駆逐艦ではなく、直衛艦という種別でこの艦は呼ばれました。 これで設計されたのが、W-115計画案で、原案は魚雷発射管無し、第二案で、魚雷発射管1基を搭載し、 第三案はそれが二基に増えました。 結局第三案は過大に過ぎ、第二案を元に計画が進められています。 なお、○5計画では、島風型のボイラーと主機を採用し、速力を33ktsから37ktsに向上、基準排水量を300t 増して3000tとし、魚雷発射管には新設計の6連装を1基搭載し、機器配置は缶-機-缶-機の交互配置を 日本の駆逐艦では初めて採用する予定でした。 #right(){(238:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本軍の特設工作船ってどんな船かわかります? 「特設」と言うのは、民間の船を徴用して、海軍の籍に入れたものです。 特設工作艦(工作船でなく)なら、民間の6,000総トンの貨物船に工作施設を備え、 損傷応急修理を目的とし、工作施設は戦況の最後まで機能を果たさなければ ならず、しかも、この艦を失えば、味方の修理能力が落ちることから、敵からも執拗に ねらわれたため、損耗の最も多い艦種です。 その施設は、例えば、上甲板に作業場、飛行機工場、電気・航海・光学・無線工場を 持ち、第二甲板には各科倉庫、機械工場、工具室、魚雷工場、木工場を、船艙内に新設 した甲板には索具および塗具倉庫、救難要具および鋼材などの材料庫、造兵・造機材料庫、 補機室、鍛冶工場、溶接工場、造船・造兵材料庫、そして、船艙には弾薬庫、救難関係倉庫、 糧食庫、修理材料庫、鍛冶工場、鋳物工場を備えています。 専門の工作艦には、明石、そして旧式戦艦の改造である朝日がありましたが、1941年の松栄丸を 皮切りに、山彦丸、八海丸、山霜丸、白沙、そして、2TM改造の慶昭丸が改造されています。 これら特設艦は全部撃沈されています。 #right(){(162:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦初期の日本の揚陸艦って神州丸くらいしか聞きませんが、当然他にもありますよね? 1935年に神州丸が播磨造船で建造されました。 これは極秘に建造されたもので龍城とかMT船という名称で呼ばれました。 船内に上陸用舟艇を20隻収容し、上陸地に近づくと、船尾のドアを開けて、後部に舟艇を出すLSD的用法を 想定していたほか、九一式戦闘機と九七式軽爆撃機を20機装備し、[[カタパルト]]で発進させ、上空援護に当たる 様になっていました(これは実際には遣われていませんが)。 [[日中戦争]]では、杭州湾上陸戦などで用いられました。 太平洋戦争では、ジャワ上陸作戦に投入されましたが、味方巡洋艦の魚雷が命中して撃沈、後引き揚げられて、 再使用され、1945年1月にフィリピンで撃沈されています。 この同型船として、民間船として陸軍が資金を出す形で、建造されたのが、あきつ丸、にぎつ丸、熊野丸、ときつ丸 の4隻です。 但し、ときつ丸は建造中止になりました。 あきつ丸、にぎつ丸は、日本海運の客船として建造され、途中で、上甲板上面全部に飛行甲板を取付け、空母兼 上陸用舟艇母艦となりました。 これらは主に、対潜用空母として、三式連絡機、カ号観測機を搭載することになっており、空母的な外観が 色濃くなっています(1944年には更に飛行甲板を延長する予定でした)。 あきつ丸は1944年11月15日に撃沈、にぎつ丸は1944年1月12日に撃沈されています。 熊野丸は川崎汽船の持ち船として建造されましたが、こちらも、船橋構造物は撤去した空母的外観になって います。 但し、完成が1945年3月になったので、使用されず、敗戦後、引揚げ船となって、1947~51年まで、川崎汽船 の貨物船として使用されました。 航空機設備を持たないものとしては、同じく民間船として陸軍が資金を出す形で、摩耶山丸、吉備津丸、玉津丸、 高津丸、日向丸、摂津丸の6隻です。 これらは、後部に上陸用舟艇20~25隻程度を搭載しています。 摩耶山丸、玉津丸はいずれも、三井造船で建造され、前者は三井商船、後者は大阪商船で使用予定でした。 しかし、1942~44年に完成と同時に陸軍に引き渡され、前者は1944年11月17日に撃沈、後者も1944年8月19日に撃沈 されました。 高津丸は浦賀船渠で建造され、1944年完成、こちらは山下汽船の持ち船でした。 1944年11月のオルモック湾上陸を果たしましたが、二度目の上陸戦で撃沈。 吉備津丸、日向丸、摂津丸は日立因島で建造された戦時標準船1Aの改造で、吉備津丸は1943 年完成、1945年8月7日に触雷沈没、日向丸は1945年完成で、3月30日に触雷沈没、摂津丸は 1945年完成で、実戦に参加せずに終わりました。 戦後、摂津丸は引き揚げ業務に従事後、日本水産に引き渡されて捕鯨船団の冷凍船となりまし たが、南氷洋で事故によって沈んでいます。 なお、ときつ丸は、1944年10月に進水しましたが、1945年3月に工事中止、戦後に工事再開し、 1946年3月2日に日本海運の商船として引き渡されました。 >戦争中に建造されたのは何隻でしょう? 21隻が「太平洋戦争中に」建造されました。 22号については、1945年4月25日に呉工廠で進水しましたが、6月23日に90%完成状態で、 工事中止となっています。 なので、太平洋戦争中には21隻竣工。 しかし、22号は戦後工事を再開し、完成させていますので、輸送艦1号型としては、22隻建造 されています。 蛇足ですが、残りの23~46号は1945年3月に全部キャンセルされ、解体、鋼材は他に転用され ました。 #right(){(219:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本の防空駆逐艦は米国と比較して低性能だったのでしょうか? 一応、秋月を想定しているとして…。 日本の駆逐艦の場合は、対空機関砲としては25mm機関砲しかなく、それも、複葉機全盛の 時代に導入された代物でした。 その上は10cm高角砲であり、中口径の機関砲が無かった(毘式は無いに等しい)ので、 弾幕がどうしても薄くなりがちでした。 対空射撃完成機構については、九四式高射装置であり、これは優秀なものと言えるでしょう。 砲側の高射装置は、当初は複雑な構造の方位板測的装置と射撃盤を装備する予定でしたが、 結果的に簡便な照準器になっていますので、高射装置が破壊された後の戦闘力は落ちます。 末期には、九四式高射装置が供給不足となったので、2基取り付けるべきものを1基にしたりして いますし…。 また、米国に比べると電子機器の性能が少し劣っていたため、夜間の対空戦闘は困難でした。 更に個艦戦闘ではなく、集団的な戦闘となると米側の方が上を行きます。 運用とかについては、米軍の方に一日の長があります。 #right(){(201:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 秋月型 12隻 フレッチャー型 175隻 アレン・M・サムナー型 70隻 43年後半辺りの米海軍の場合だと レーダーで捕捉→待機していた戦闘機が向かい迎撃→余ったのを各艦迎撃って流れが出来てる 一方[[日本海軍]]でもそういった考えは有ったけど態々数を増やした戦闘機に爆装させて 米艦隊に突入させたりレーダーや航空機の誘導がお粗末だったり #right(){(201:738)} **秋月級は防空駆逐艦であるのに初期は対空機銃装備が少ないのは、どうしてなんでしょうか? 秋月型設計時は、まだ本格的な対空戦闘なんて経験してないし。 訓練でさえ駆逐艦が本格的な対空訓練したのは昭和15年以降。 その後機銃は需要ばかり増えるけど、生産供給能力は全く不充分で、昭和19年のマリアナ戦あたりで漸く安定してくる。 軍縮明けで新造艦が増えただけでなく、開戦後は特設艦艇や徴用商船まで武装しなくちゃならん。 供給能力が足りないから、小艦艇は後回しで戦後や空母が優先になる。 #right(){(俺初質スレ710:591)} **「艦」と「艇」はどう違うのですか? 「艦」と「艇」を分ける明確な基準はありません。 最小の「艦」は佐久間艇長で有名な第6潜水艦。全長22m強・排水量60t弱。 最大の「艇」は元セニャーウィンの見島。全長79m、排水量5000t弱。 [[日露戦争]]後に量産した駆逐「艦」を大正末にそのまま掃海「艇」に流用したこともあり、 サイズは基準ではないです。 任務が同じで「艦」と「艇」が対応して違いが見られるのは ・駆逐艦と水雷艇(境界は600t) ・敷設艦と敷設艇(とはいえ規定なし。最小敷設艦八重山は1100t、最大敷設艇神島は770tで大きく違う) ・潜水母艦と潜水艦母艇(これも規定なし。潜水艦母艇の運用は近海に限定された巡洋艦崩れの老朽艦) 大正8年に潜水艇はすべて潜水艦に改称され、潜水艇に留め置かれたものは1隻もなく、 明確な区別があるとはいえません。 砲艦と砲艇、海防艦と海防艇は任務そのものが明確に違うので、同列には扱えません。 戦闘に用いる「艦」と「艇」に明確な区別はないと書きましたが 「特務艦」と「特務艇」は明確に違いがあります。 特務艦は実戦には参加せず、後方支援を行うもので、戦闘時は沈まないよう逃げるか祈るか…。 特務艇は沿岸部や軍港に限定されますが、戦闘となれば射撃に機雷敷設に爆雷投射に突撃していく戦闘用の船です。 「砲艇」は日華事変時には実在しました。 「砲艦」では進入できないクリークや池でパトロールや機銃掃射などを行うもので、 類別表には記載されない「雑役船」扱いです。 「海防艇」は終戦に間に合わなかった幻の類別で 「海防艦」が船団護衛をするのとまったく違い、こちらは回天運搬船でした。 #right(){(207:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)} **日本では漁船を改造した特設掃海艇や特設駆潜艇を数多く作りましたが、これらには爆雷や掃海具は当然として、砲や機銃は装備されたのでしょうか? ソースが大昔の丸スペ(49号)で申し訳ないが 開戦前から特設駆潜艇は徴用が進められていたが 当初の砲装備は艇首に8cm砲・短8cm砲などで機銃類は装備されていなかった その後特設艇にも対空火力の必要性が言われるようになり 18年以降は7.7mm機銃や13mm機銃を増備するようになった 特設監視艇についてはこの本では分からないが、 その後建造された哨戒特務艇が25mm機銃4挺と爆雷のみ、駆潜特務艇は機銃1挺と爆雷のみであることを考えると 特設監視艇の装備も精々が機銃1挺程度と推察される 余談だがこの丸スペの44P上に第7昭南丸(355総トン)のほぼ真横から見た写真が載っていて キャプションでは「前檣と船檣の間に94式爆雷投射機を装備」と書いてあるが どう見ても大型の迫撃砲があるようにしか見えない 蛇足だが。 大内健二氏の光文社文庫本シリーズを読むと答が書いてあるよ。 戦う日本漁船とか特設艦艇入門とか。 #right(){(721:657-659)} **足柄が酷評されたように日本艦船は海外の人からは、カッコ悪く見えるんでしょうか? 足柄が酷評されたのは居住性に対して。 近海迎撃用に特化された[[日本海軍]]の巡洋艦に対して、遠隔地の植民地警護という 長期間の任務が考慮されてる英海軍の巡洋艦と比べれば違いがあって当然の話し。 #right(){(俺初質スレ20501:802)} **「魚雷艇」と「水雷艇」って、定義されるような違いがあるのでしょうか? ちょっと違う 水雷艇駆逐艦の由来となった19世紀末ごろの水雷艇は、かなり小型の船体に汽車缶と呼ばれるボイラーと レシプロ機関からなる蒸気機関を載せ、船体の上部に魚雷発射管を1、2門ないし数門積んだもの。 あまりに小さすぎて航洋性、居住性が悪く駆逐艦に取って代わられた。 なお、ロンドン軍縮条約で駆逐艦の定数が制限された時、日本は条約の抜け道をくぐるために水雷艇を 復活させたが、これはあくまで条約の範囲以下にするためにサイズを小さくした駆逐艦なので混同しないように。 #right(){(534:253)} **真珠湾攻撃の被害艦に「標的艦ユタ」がありますが、コイツは有事の際には現役復帰させるつもりだったのですか? 戦艦が払底すればそういう事態もあり得たかも判りませんが、我が国に 於いても標的艦「摂津」は遂にそのままになりましたし、標的艦から戦艦に 戻すのは膨大な労力を有します。 #right(){(65:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **綾波という名前の艦艇が複数個建造されていたという話は本当ですか? >「ごめんなさい知らないの。多分、私は三艘目だから…」 駆逐艦(だっけ)綾波級ということでは? だとしたら相当数でしょう。 933のいう某作品の登場人物の名は、軍艦からとったものが多い。 #right(){(8:934)} 大戦前の吹雪型駆逐艦に「綾波」(実質1番艦)というのがありましたが、 その前に先代があったかどうかは資料を掘り出さないと判りません。 戦後、戦後型対潜護衛艦第一号として護衛艦「あやなみ」が建造 されています。 #right(){(8:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)} 帝国海軍時代は、2代あります。 戦後も、護衛艦あやなみがあります(退役)。 先日1番艦たかなみが進水した4.600t級護衛艦に使われるのでは、と言われています。 レイたん、ハァハァ(;´Д`) ・・・・ #right(){(8:943)} **魚雷艇の航洋性がないのは分かるのですが戦闘力としてはどんな物なのでしょう? >攻撃は一回限りとしても、小さすぎてなかなか被弾しないような気もするのですが。 >例えば、魚雷艇2~3隻で戦艦一隻と対峙した場合どちらが勝つでしょう? 夜間、狭い海域で島陰や陸地の陰に隠れて奇襲攻撃をかける、という使い方しないと 魚雷艇で戦艦と戦うなんてのは無謀。 戦艦には「副砲」や「両用砲」というものが、それこそ魚雷艇程度を潰すなら 対空機関砲でも、それらの副武装が山のようにあるので。 とはいえ戦艦にとって魚雷艇は厄介な相手で、「駆逐艦」も元々はそういった 小型の魚雷攻撃艦艇を戦艦の廻りから追い払う為に作られた(だから、「駆逐艦」 の「駆逐」とは「水雷艇駆逐艦」の略なのだ)し、戦艦はある時期まで近距離戦用の 小型速射砲を砲塔の上に積んでたりした。 実際[[日本海軍]]はレイテ決戦のとき、狭い海峡に夜間突入して(スリガオ海峡海戦)、 アメリカの魚雷艇に戦艦を沈められる大損害を蒙っている。 #right(){(316:873)} ----