重巡・軽巡 - (2010/03/26 (金) 19:13:54) の1つ前との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
#CONTENTS
----
**日本海軍巡洋艦 八十島 とは何でしょうか?
中華民国の「平海(ピンハイ)」を1937年、揚子江で攻撃し座礁させ捕獲した巡洋艦です。
1944年6月に復旧工事が終わり、海防艦として編入されその後軽巡に類別変更。
船団護衛に就いていましたが11月に米機の攻撃で沈没しました。
武装は12.7センチ高角砲2門で他は機関砲程度です。
実はコレ、播磨造船所設計なんですけどね。
日本へ里帰りと言った所でしょうか
#right(){(13:307)}
より正確には、江南上海造船所で建造され播磨造船所で艤装されました。
もともとは、主として長江などの河川での使用を予定していたようです。
#right(){(13:310)}
**世界中の条約型重巡(変な言葉だな)に対20センチ防御能力を持ってるやつなんていたっけ?
イタリアのザラ級とアメリカのウイチタ、日本の高雄級は耐えられる事になっとります。
アメリカは水雷防御、日本は砲塔防御を犠牲にし、イタリアは二軸推進で速度の要求を切り下げて実現してます。
#right(){(21:247)}
【旧海軍の条約型重巡洋艦】
日本海軍の重巡は条約後設計された第一艦「妙高」級で既に対20.3センチ砲弾防御として、
ヴァイタルパート舷側にインクラインド・アーマー(傾斜装甲)100ミリを持っています。
この次に続く「高雄」級は「妙高」級とほぼ同様の設計でしたが、「妙高」級で散布界問題
(弾着の分布範囲が広い面積に散らばってしまうこと)が起こり、原因として細長い船体
の前と後ろに設置された主砲塔の発射の衝撃によって船体が歪む等などが疑われ、その対
策として5基ある砲塔の間隔を1砲塔分短縮するなどの設計変更が実施されています。
防御力に関しても「妙高」級と同様ヴァイタルパートには対20.3センチ砲弾防御とされま
したが、そのうち弾火薬庫部の舷側部のみ5インチに増厚されており、同艦出現当時列国の
1万t重巡中最も厚い装甲を有するものとなりました。
艦中央断面図では戦艦「土佐」巡洋戦艦「天城」級に類似した防御様式となっています。
散布界問題については、同時に発射される砲弾同士が空中で飛翔中相互に空力的干渉を起
こしていることが原因であったことが判明し、後に発砲遅延装置(連装砲塔の左右の主砲
の発射を0.04秒ずらす装置)を開発することで解決を見ました。
昭和5年にロンドン軍縮条約が締結され、この制限下に設計されたのが「最上」級です。
条約の重巡枠を「高雄」級の建造で使い果たしてしまった海軍は、重巡勢力の劣勢を補う
為に軽巡の等級区分で重巡に匹敵する艦を整備することとし、主砲には条約の上限である
15.5センチ砲を採用することとしました。
しかしこの頃既に軍令部は無条約時代突入必至との予想から、短期間に主砲を20.3センチ
連装砲に換装する事を考えており、その為砲塔のリングサポート径をあらかじめ20.3セン
チ連装砲塔に近い直径として設計建造されていました。
さらに防御力についても等級こそ軽巡に類別されていたものの、「妙高・高雄」級と同じく
重巡の主砲20.3センチ砲弾に対してヴァイタルパートを防御するものとして建造されており、
実態は重巡といえるものであった事が同艦の最大の特徴となっています。
ヴァイタルパートを守る舷側装甲は「妙高・高雄」級よりも8度傾斜を増して20度とし、
NVNC甲鈑のテーパード・アーマー100(上端)-25(艦底)ミリとした上、弾火薬庫部の舷側
は140-30ミリとする事で水中弾防御をも考慮し、「妙高・高雄」級より強化された防御とな
っていました。
艦中央断面図を見ると、戦艦「大和」級とほぼ同じ防御様式として設計されています。
なお、「最上」級は友鶴事件/第四艦隊事件による復元性・船体強度の性能改善工事が昭和
12年まで、主砲換装は条約明け後の昭和14年から15年にかけて4隻全て工事を終了しました。
続いて建造された「利根」級は先の「最上」級を踏襲した艦形でしたが、主砲配置を艦首集中
配置とし後甲板を水上機施設にするなど独特の形態を持っており、条約にとらわれずに設計さ
れているなどから、防御力についても「最上」級より一段と強化されたものとなっていました。
舷側装甲は「最上」級と同じ20度の傾斜をもったインクラインド・アーマーでテーパーさせた
NVNC甲鈑100(上端)-65ミリ(下甲板)-DS鋼18+16ミリ(艦底)、弾火薬庫は145-55ミリ、
しかし「最上」級が舷側装甲を性能改善後のバルジ装着でも水線付近で露出していたのに比べ
完全なインターナル・アーマーとなっており、水平甲鈑でも弾火薬庫は40ミリ(最上)から56
ミリとなっている上「最上」級には見られなかった上甲板の防御も実施されており、日本重巡
の中では最強と評されるものになっていました。
防御力が非常に強化されていながら甲鈑重量・防御材重量は「高雄・最上」級よりも計量に造ら
れていたのは主砲塔を1基減じ艦首集中配置をとったことが大きく影響しているようです。
本艦も基本的な防御様式としては戦艦「大和」級とほぼ同じと見て良いでしょう。
残念乍ら日本重巡の主砲塔防御は全て軽量化の為機銃弾・弾片防御に対する25ミリ程度でした。
#right(){(21:259)}
**カナリアス級の装甲厚をどなたか知りませんか?
カナリアスの装甲ですが、水線に2inchの装甲を持ち、弾薬庫が4.5inch、バルクヘッドが1~2inch、
天蓋が3inch、デッキ部が1.38inch、砲塔が1inch、司令塔が1inchとなっているようです。
一方のケント級は弾薬庫が1~4inch、側部が1inch、砲塔とバルクヘッドが1inchとなっています。
http://www.bismarck-class.dk/other_craft_involved/spanish_ship_involved/spanish_ship_involved.html
#right(){(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**太平洋戦争時の日本巡洋艦の探照灯はどのぐらい先まで、届いたのでしょうか?
15キロくらい。
戦艦用のものは20キロくらいは届いた。
>直前に立って探照灯見たら危険?
確実に失明する。
というか、光熱で火傷しかねない。
軍艦に装備されてる探照灯は15キロ先でも新聞が普通に読めるくらいの
光を発生させられる。
10キロ先で夜間用双眼鏡で光源を見てしまって失明した例があるので、
直前に立って直視したりしたらそれこそ「視覚細胞が蒸発」するだろう。
#right(){(327:584-589)}
**利根や高雄は何で2番砲塔が一番高いの?
>前から順番に高く配置にして直後の砲身と砲塔が重なるようにすればスペースも小さくまとめられるし、
>前方に全火力を集中するってこともできると思うのですが
つ トップヘビー
台座高を1とすると、真ん中だけ高い場合は合計1
雛壇にすると第二砲塔が1、第三砲塔が2で合計3
台座を積み上げた分だけ重くなって、重心も上に寄るの
3番や4番を一段高くすると、2番の砲身が1番の砲塔後端と干渉しないように
間隔を空けなきゃならない。
2番を一段高くして3番を逆方向にすれば、砲のある部分の長さを短くでき
排水量を減らせる。また弾薬庫を1箇所にまとめることも出来る。
最上の場合は甲板の上に楼があるレイアウトの為にそれが出来ず、利根は
艦尾の砲塔を艦首部に持ってきたレイアウトとしてあぁなっている。
#right(){(334:952,954)}
**巡洋艦にはあって駆逐艦には無い機能とは何ですか?
艦長ポストの階級差くらいです。
はっきり言って、大きさや能力での区別はありません。
アメリカなどは、艦長の階級ポストの数を確保するために巡洋艦と暮らすわけしてるだけとも言われてます。
大きさや能力で区別するのは、ワシントン条約が終了した段階でなくなったのです。
#right(){(494:206)}
**日本の重巡の中で最上型だけが主砲を伝統的じゃない配置をしてますが、これには軽巡→重巡への改装等の深い理由があるのでしょうか
>従来配置の方が戦闘員の転換等も楽な気がしますが
それまでのひな壇式配置は「前部には3基あるのに艦首方向には実質的に2基しか撃てないから勿体無い。
敵にT字を取られた時の事を考えると艦首方向に指向できる火力は多い方がいい」という意見が出たので
この配置に。
でも砲身が干渉しない並べ方にしたら装甲張って防御しなければいけない部分が長くなり、重量的に
不利になった上に、よく考えると
「2番砲塔は艦首方向には一定距離以内は射撃できない(砲身水平の零距離射撃したら1番砲塔に
当たるだけ」
なので「2番砲塔だけ撃てません」という状況が生じることがわかったので、あまり意味がないと
次からはやめた。
さらに、20cm砲塔に換装したら砲身が長くなったため2番砲塔は常に仰角をかけないと一番砲塔の
「後頭部」をドツいてしまうという問題が発生し、結局
「この配置にした意味ってあったんか? むしろデメリットが増えただけじゃないのか?」
ということに。
#right(){(596:65)}
**アラスカ級は超弩級戦艦?
アラスカ級は大型巡洋艦(艦種記号CB)だぞ?
公式には大型巡洋艦、実質は巡洋戦艦の末裔、といったところか
ただワシントン・ロンドン条約の頃以外では艦種なんてその国が勝手に決めるものだから
公式の艦種は実情にそぐわないかも
少なくとも超弩級戦艦では無い
#right(){(軍事板FAQ作成本部2)}
----
#CONTENTS
----
**日本海軍巡洋艦 八十島 とは何でしょうか?
中華民国の「平海(ピンハイ)」を1937年、揚子江で攻撃し座礁させ捕獲した巡洋艦です。
1944年6月に復旧工事が終わり、海防艦として編入されその後軽巡に類別変更。
船団護衛に就いていましたが11月に米機の攻撃で沈没しました。
武装は12.7センチ高角砲2門で他は機関砲程度です。
実はコレ、播磨造船所設計なんですけどね。
日本へ里帰りと言った所でしょうか
#right(){(13:307)}
より正確には、江南上海造船所で建造され播磨造船所で艤装されました。
もともとは、主として長江などの河川での使用を予定していたようです。
#right(){(13:310)}
**世界中の条約型重巡(変な言葉だな)に対20センチ防御能力を持ってるやつなんていたっけ?
イタリアのザラ級とアメリカのウイチタ、日本の高雄級は耐えられる事になっとります。
アメリカは水雷防御、日本は砲塔防御を犠牲にし、イタリアは二軸推進で速度の要求を切り下げて実現してます。
#right(){(21:247)}
【旧海軍の条約型重巡洋艦】
日本海軍の重巡は条約後設計された第一艦「妙高」級で既に対20.3センチ砲弾防御として、
ヴァイタルパート舷側にインクラインド・アーマー(傾斜装甲)100ミリを持っています。
この次に続く「高雄」級は「妙高」級とほぼ同様の設計でしたが、「妙高」級で散布界問題
(弾着の分布範囲が広い面積に散らばってしまうこと)が起こり、原因として細長い船体
の前と後ろに設置された主砲塔の発射の衝撃によって船体が歪む等などが疑われ、その対
策として5基ある砲塔の間隔を1砲塔分短縮するなどの設計変更が実施されています。
防御力に関しても「妙高」級と同様ヴァイタルパートには対20.3センチ砲弾防御とされま
したが、そのうち弾火薬庫部の舷側部のみ5インチに増厚されており、同艦出現当時列国の
1万t重巡中最も厚い装甲を有するものとなりました。
艦中央断面図では戦艦「土佐」巡洋戦艦「天城」級に類似した防御様式となっています。
散布界問題については、同時に発射される砲弾同士が空中で飛翔中相互に空力的干渉を起
こしていることが原因であったことが判明し、後に発砲遅延装置(連装砲塔の左右の主砲
の発射を0.04秒ずらす装置)を開発することで解決を見ました。
昭和5年にロンドン軍縮条約が締結され、この制限下に設計されたのが「最上」級です。
条約の重巡枠を「高雄」級の建造で使い果たしてしまった海軍は、重巡勢力の劣勢を補う
為に軽巡の等級区分で重巡に匹敵する艦を整備することとし、主砲には条約の上限である
15.5センチ砲を採用することとしました。
しかしこの頃既に軍令部は無条約時代突入必至との予想から、短期間に主砲を20.3センチ
連装砲に換装する事を考えており、その為砲塔のリングサポート径をあらかじめ20.3セン
チ連装砲塔に近い直径として設計建造されていました。
さらに防御力についても等級こそ軽巡に類別されていたものの、「妙高・高雄」級と同じく
重巡の主砲20.3センチ砲弾に対してヴァイタルパートを防御するものとして建造されており、
実態は重巡といえるものであった事が同艦の最大の特徴となっています。
ヴァイタルパートを守る舷側装甲は「妙高・高雄」級よりも8度傾斜を増して20度とし、
NVNC甲鈑のテーパード・アーマー100(上端)-25(艦底)ミリとした上、弾火薬庫部の舷側
は140-30ミリとする事で水中弾防御をも考慮し、「妙高・高雄」級より強化された防御とな
っていました。
艦中央断面図を見ると、戦艦「大和」級とほぼ同じ防御様式として設計されています。
なお、「最上」級は友鶴事件/第四艦隊事件による復元性・船体強度の性能改善工事が昭和
12年まで、主砲換装は条約明け後の昭和14年から15年にかけて4隻全て工事を終了しました。
続いて建造された「利根」級は先の「最上」級を踏襲した艦形でしたが、主砲配置を艦首集中
配置とし後甲板を水上機施設にするなど独特の形態を持っており、条約にとらわれずに設計さ
れているなどから、防御力についても「最上」級より一段と強化されたものとなっていました。
舷側装甲は「最上」級と同じ20度の傾斜をもったインクラインド・アーマーでテーパーさせた
NVNC甲鈑100(上端)-65ミリ(下甲板)-DS鋼18+16ミリ(艦底)、弾火薬庫は145-55ミリ、
しかし「最上」級が舷側装甲を性能改善後のバルジ装着でも水線付近で露出していたのに比べ
完全なインターナル・アーマーとなっており、水平甲鈑でも弾火薬庫は40ミリ(最上)から56
ミリとなっている上「最上」級には見られなかった上甲板の防御も実施されており、日本重巡
の中では最強と評されるものになっていました。
防御力が非常に強化されていながら甲鈑重量・防御材重量は「高雄・最上」級よりも計量に造ら
れていたのは主砲塔を1基減じ艦首集中配置をとったことが大きく影響しているようです。
本艦も基本的な防御様式としては戦艦「大和」級とほぼ同じと見て良いでしょう。
残念乍ら日本重巡の主砲塔防御は全て軽量化の為機銃弾・弾片防御に対する25ミリ程度でした。
#right(){(21:259)}
**カナリアス級の装甲厚をどなたか知りませんか?
カナリアスの装甲ですが、水線に2inchの装甲を持ち、弾薬庫が4.5inch、バルクヘッドが1~2inch、
天蓋が3inch、デッキ部が1.38inch、砲塔が1inch、司令塔が1inchとなっているようです。
一方のケント級は弾薬庫が1~4inch、側部が1inch、砲塔とバルクヘッドが1inchとなっています。
http://www.bismarck-class.dk/other_craft_involved/spanish_ship_involved/spanish_ship_involved.html
#right(){(32:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**太平洋戦争時の日本巡洋艦の探照灯はどのぐらい先まで、届いたのでしょうか?
15キロくらい。
戦艦用のものは20キロくらいは届いた。
>直前に立って探照灯見たら危険?
確実に失明する。
というか、光熱で火傷しかねない。
軍艦に装備されてる探照灯は15キロ先でも新聞が普通に読めるくらいの
光を発生させられる。
10キロ先で夜間用双眼鏡で光源を見てしまって失明した例があるので、
直前に立って直視したりしたらそれこそ「視覚細胞が蒸発」するだろう。
#right(){(327:584-589)}
**利根や高雄は何で2番砲塔が一番高いの?
>前から順番に高く配置にして直後の砲身と砲塔が重なるようにすればスペースも小さくまとめられるし、
>前方に全火力を集中するってこともできると思うのですが
つ トップヘビー
台座高を1とすると、真ん中だけ高い場合は合計1
雛壇にすると第二砲塔が1、第三砲塔が2で合計3
台座を積み上げた分だけ重くなって、重心も上に寄るの
3番や4番を一段高くすると、2番の砲身が1番の砲塔後端と干渉しないように
間隔を空けなきゃならない。
2番を一段高くして3番を逆方向にすれば、砲のある部分の長さを短くでき
排水量を減らせる。また弾薬庫を1箇所にまとめることも出来る。
最上の場合は甲板の上に楼があるレイアウトの為にそれが出来ず、利根は
艦尾の砲塔を艦首部に持ってきたレイアウトとしてあぁなっている。
#right(){(334:952,954)}
**巡洋艦にはあって駆逐艦には無い機能とは何ですか?
艦長ポストの階級差くらいです。
はっきり言って、大きさや能力での区別はありません。
アメリカなどは、艦長の階級ポストの数を確保するために巡洋艦と暮らすわけしてるだけとも言われてます。
大きさや能力で区別するのは、ワシントン条約が終了した段階でなくなったのです。
#right(){(494:206)}
**日本の重巡の中で最上型だけが主砲を伝統的じゃない配置をしてますが、これには軽巡→重巡への改装等の深い理由があるのでしょうか
>従来配置の方が戦闘員の転換等も楽な気がしますが
それまでのひな壇式配置は「前部には3基あるのに艦首方向には実質的に2基しか撃てないから勿体無い。
敵にT字を取られた時の事を考えると艦首方向に指向できる火力は多い方がいい」という意見が出たので
この配置に。
でも砲身が干渉しない並べ方にしたら装甲張って防御しなければいけない部分が長くなり、重量的に
不利になった上に、よく考えると
「2番砲塔は艦首方向には一定距離以内は射撃できない(砲身水平の零距離射撃したら1番砲塔に
当たるだけ」
なので「2番砲塔だけ撃てません」という状況が生じることがわかったので、あまり意味がないと
次からはやめた。
さらに、20cm砲塔に換装したら砲身が長くなったため2番砲塔は常に仰角をかけないと一番砲塔の
「後頭部」をドツいてしまうという問題が発生し、結局
「この配置にした意味ってあったんか? むしろデメリットが増えただけじゃないのか?」
ということに。
#right(){(596:65)}
**アラスカ級は超弩級戦艦?
アラスカ級は大型巡洋艦(艦種記号CB)だぞ?
公式には大型巡洋艦、実質は巡洋戦艦の末裔、といったところか
ただワシントン・ロンドン条約の頃以外では艦種なんてその国が勝手に決めるものだから
公式の艦種は実情にそぐわないかも
少なくとも超弩級戦艦では無い
#right(){(軍事板FAQ作成本部2)}
**日本の条約型重巡は軒並み排水量1万トンを軽くオーバーしていますが、これは明らかにワシントン条約違反ですよね?
ワシントン条約に「戦艦・空母以外は1万トン・8インチ砲まで」という規定があります。
妙高は1万トン目標でしたが高雄は9850トン目標。
ちなみに米英仏伊、条約参加国全てが排水量超過艦をこさえているので、お互い様ていうか
相手にツッコんだら自分もツッコまれる、ていうのも大きいのです。
アメリカなんかは作ってみたら想像外に軽く出来ちゃったクチで、当時の技術水準じゃなかなかピタリとは収まらないので
ある程度黙認ていうか、紳士ルールで申告された数字を信じることにした、と言った方が妥当なところでしょう。
で、条約時代、一番重く出来上がったのはイタリアの重巡洋艦ダターリ。
日本のは第二次改装で1万3000トン級になってダントツに重くなったけどね。
#right(){(318:194)}
----
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: