旧日本軍戦車 - (2010/05/19 (水) 19:47:15) の1つ前との変更点
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#CONTENTS
----
**日本軍戦車の黄帯迷彩って、本当に効果があったのでしょうか?
日本戦車の黄色迷彩は集団の時、台数がわかりにくくなる効果があるらしいです。
#right(){(7:665)}
**四式中戦車関係の文献史料って現存してるのでしょうか。
独立した資料はありませんが、デルタ出版の本(日本の戦車)とか、
世界戦車戦史(図書出版:絶版)に掲載されていたか、と記憶しています。
あと、文林堂の日本の戦車写真集とか…くらいでしょうか。
あとは、米国国立公文書館くらいにありそうですけど…。
#right(){(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**戦前・戦中の日本戦車に多用されたシーソー式の懸架装置についての質問です。
>この方式を採ることによる、主な長所と欠点はなんだったのでしょうか?
うろ覚えで資料が出てこないので恐縮ですが、
(長所)
履帯の設置性に優れている
走行性、防弾性が板バネ式に比べると勝っている。
(短所)
上下動が激しく、それがなかなか減衰しない。
即ち、行動中の砲の照準が付け難い。
#right(){(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**旧日本陸軍はロシア・ソ連が仮想敵国だったはずなのに,なんであんなに戦車がしょぼいんですか?
当時,戦車に戦車を当てるのは「愚作」とどこの国でもされてました.
WW2が始まるまでは,戦車の仕事は歩兵の支援である,とされていました.
もちろん,歩兵の支援も現在に至るまで戦車の重要な仕事ですが,当時はそれ「だけ」でよいとされていました.
武装,装甲,機動力,いずれもその前提で作られており,砲は初速の遅い短砲身でしたから,装甲を貫通させる目的には適していませんでした.
(でも,先見の明のあったいくつかの国は,戦車に長砲身砲を搭載しています.ソ連もその国の一つ)
また,戦車の部隊運用法も,その方針に則って,少数ずつの分散配置が普通だったため,戦車同士が遭遇する確率は低いと見なされていました.
ノモンハンの影響なんかでT-34とか作られましたが,本格的に対戦車戦闘を考慮して作られた戦車はティーガーが最初じゃないかな?
で,対戦車砲ですが,こちらもノモンハンで37ミリが通用しなかったため,1式47ミリ速射砲が作られてます.
こいつはBTシリーズが一応仮想敵だったんで,更に装甲の厚いM4なんかには通用せず,最終的に有効な対戦車砲は作られませんでした.
**旧日本軍の戦車は米戦車に比べてかなり装甲が薄かったそうですが,何故もっと装甲を厚く出来なかったのですか?
満州の泥寧期や朝鮮半島を含む国内の道路事情を考え,重量を押さえていた.
また,港湾施設のクレーンの能力に限界が有った事と,輸送用船舶の床面強度に限界が有った事も,重量上の制約の一因と言われる.
それなのに,燃料事情から採用したディーゼルエンジンがソ連の物より著しく重い.
結果として,装甲が貧弱になった.
ただ,第二次世界大戦前までは日本軍の戦車の装甲は諸外国戦車や米戦車と大して変わりは無い.
大陸での本格的な戦車戦を経験しなかったのと,海に囲まれた国土と想定される戦場等から,限られた国力を航空機や艦船を作る事に突っ込んだ為,戦車は後回しにされた.
(軍事板)
**「三式飛行戦車」これってなにか分かりますか?
詳しいデータは覚えてないけど、確か2式軽戦車をグライダーの翼をつけた奴
空挺部隊用だったはず、無論失敗作
#right(){(24:460)}
**チハ チヌ ホニとか言うけれど、この法則ってどうなってるの?
前の字は戦車の中戦車・軽戦車・砲戦車等の属性
後ろはイロハ順
つまりチハ車は「中戦車で、3番目に製作された戦車」
ホニ車は「砲戦車で~」というわけ
皇紀は関係ありません
#right(){(27:103)}
**旧日本軍の”砲戦車”っていったいどういう意味で付いた名前なんでしょ?
直協支援用装甲戦闘車両
#right(){(29:833)}
**日本の戦車は手榴弾一発であぼーんされるものなんでしょうか?
中に放り込まないと無理でしょうね。
日本の戦車はエンジンだけは燃えにくいので。
#right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**第2次大戦中、日本軍の戦車がアメリカ軍の戦車を撃破したことってあるんですか?
もちろんあります。
至近距離から側面や背面を打ち抜いたり
障害物を乗り越えようとして車体下部を晒したところを狙撃したり
挙句の果てには爆雷つんで体当たりをしたりと、およそ思いつく事はやっています。
さらに鹵獲M3軽戦車でM3中戦車を撃破した例もあります
スチュアートなどの軽戦車ならばビルマなどで
チハ車でも榴弾を多数命中させるとかで撃破できたそうです。
シャーマンになると47mm速射砲や90式野砲、
それを搭載した戦車なら辛うじで可能です。
有名なところだとルソン島で機動砲兵第2連隊の
一式砲戦車がシャーマンをいくらか撃破したらしいです。
#right(){(39:270-271)}
**日本軍の戦車ですが、開戦前ならともかくM4やらパンターやらT-34やら出てきた大戦中盤以降になっても、デザインに進歩が見られないように思うのですが
なんででしょうか?
日本には「T-34ショック」は生じてないのでパンターのような方向性への進化は
起きようがない。
ドイツから情報は入っていたらしいが。
替わりに「M3スチュアートショック」「M4シャーマンショック」が発生し、それらは
一式砲戦車(とりあえず対戦車戦闘できる長砲身の砲載せろ)や三式中戦車(泥縄的に75mmカノン砲装備に改良)
三式砲戦車(砲塔廻んなくてもいいから三式中戦車の数が欲しい)となって結実してる。
これらはドイツで言うならIV号F2型や75mmL48装備の対戦車自走砲/駆逐戦車の位置にある
だろう。
そして、これらの上位機種として四式や五式といった重戦車が開発されていた。
この2種は戦前からの重戦車開発の流れと戦争での戦訓が合わさったものなので、ティーゲルに
相当する位置にある。
あと、「戦争で対峙したソビエトの戦車にショックを受け、急遽それまでの設計思想を捨てて改良した」
と言う位置には、ノモンハンでの「BTショック」を受けて開発された九七式改や一式戦車が
ある。
#right(){(480:454)}
**大戦中の戦車って、トランスミッションがよく壊れたらしいけど日本軍の戦車ってどうなの?
いやよく壊れた。
でも、あの当時はどこの国のもトランスミッションがデリケートですぐ壊れるのは結構当たり前。
別に日本のだけに限った話ではなく、どこもそんなもの。
アメリカのものだけはわりとマトモな出来だったが、やっぱり荒っぽく扱うとすぐに壊れた。
ソビエトの戦車は起動輪が後ろにある=トランスミッションが後部にある、のでどれもレバーが
延々とロッドを介して操作することになるため、レバー操作がやたら重くて大変だと不評だった。
「ハンマーでブッ叩かないと切り替わらない」と言われ、でも実際にそんなことした日には
当然レバーとロッドが壊れる。
ドイツの戦車は作動そのものは快調だが丁寧に操作しないとすぐに壊れる繊細な作りな上
頻繁かつ綿密な調整と整備を必要とした。
戦車は重い車体を無理やり走らせてるので別に設計に欠陥がなくてもトランス
ミッションが壊れやすく、ずっと後になってトルクコンバーター式のトランス
ミッションが普及するまでは変速機関係は戦車のウィークポイントであり続けた。
#right(){(534:556)}
**チハは57mm砲を長砲身化して攻撃力を向上させることは、できなかったんでしょうか?
優秀な砲を拡大していくと言う発想は当時よく見られた傾向。
日本も長砲身57mm砲を完成させている。試作のみね。
ただし、57mm砲を長砲身にしたと言う発想じゃなく一式47mm機動砲の拡大型。
装甲貫徹力は 1000mにて60mmと言われている。
ただし、日本製の鋼板撃ってテストした可能性があるから、アメリカやイギリスの
装鋼材に対してもそのような性能が出るかどうかは俺の調べた範囲では判らない。
何故チハに積まないか?と言い出すとおかしな話になる
チハ車はノモンハンの戦訓から47mm砲の新砲塔を搭載することにした。
だが、欧州戦の情報や実際にアメリカの戦車など研究した結果からより高い火力を
持ったチト車を開発する。
つまり新主砲を搭載する新戦車が必要と考えたんだと判るよね。
そこから急場しのぎにでもチハに積めるような物では無かったと想像出来る。
もう一つ、57mm砲が完成した時点で一式中戦車の生産が始まっており、その意味
でも積む意味が無い。新型戦車に積むって決定で良いじゃないですか。
ところが完成した試作砲は貫通力が低いのでチト車には使わないことにした。
(47mm砲より上かどうかは問題ではなく、情勢に適応しない。)
また、貫通力の割りに重い点が問題視され、砲そのものが不採用になったので
他の車種や砲戦車への搭載も当然されていない。
完成していない訳でもないし、合理性云々より出来事の時系列を理解しなければ
ならないよ。
#right(){(349:74)}
**「日本の戦車は港のクレーン能力によって重量を制限された」などと言われますが、単に輸送船からランプを使って自走で積み降ろしすれば良かったんでは?
当時輸送に使われてた貨物船は今のバルクキャリアの様なタイプが殆ど、
RoRo船なんかは車両を大量輸送する時代になって現れた。
当時にもフェリーは有ったが艀に毛が生えたような物で、外洋を長距離航海出来るような物じゃない。
でバルクキャリアはクレーン無しじゃ重量物の積み下ろしは出来ない、
舷側までのランプを作っても(それ自体長大で強度が必要な大変な物になるが)船倉に降ろせない。
それなら舷側を切り取ってランプをつけ、船倉にもランプを付け多層にすればRoRo船になるが、
そんな(当時は)普段使わないものが海上輸送の主体となるほど転がっているわけない。
要は重車両を輸送・運用するインフラが全く整ってない事が問題で、クレーンの能力だけに理由を求めるのもやや一面的。
#right(){(567:485)}
**五式中戦車や、計画のみで終わったホリ車の主砲には半自動装填機を組み込む予定だったようですが、
>なぜこんな複雑で厄介そうな、ドイツ軍ですら採用していないような機構にしようとしたんでしょう?
>チビの日本兵の装填手だと、巨大な砲弾を抱えて砲尾に突っ込むだけの体力が無いとでも思ったんでしょうか?
いくつも勘違いがある。
半自動装填装置自体は簡素な装置で、事前に装填主が装置に砲弾を装填しておくことで
ここ一番の連射性能を上げるだけ。
何故それが必要かと言うと、一つには日本人の体格の問題。
アメリカの場合は数十tある兵器を人力操作する上で、特にパワーアシストの開発
に注力せずに体格の良い者を戦車兵にすることで対応した。
(戦後、自衛隊がアメリカの戦車を運用しようとした時に体格の差が問題になった。)
日本では47mm砲の時点で問題を抱えており、戦車長が砲の操作をアシストしていた。
にも関わらず、戦車の乗員が定数割れしたまま運用することもあるような始末。
砲塔の動力旋回にも頓着せずに主砲が47mmの高初速砲になっても肩押し式の主砲を
好むくらいで、逆に主砲が75mmクラスになった所で装填・排莢操作の自動化の必要
性を認識した。(つまり体格が原因で着眼点が少し他国と違っていた。)
当時でも自動装填装置はアメリカがベルト式の物を研究しており、実用化も可能な
レベルに近づいていたが、ま、ドイツ相手にはもっと他の研究に注力すべきと判断
したんですな。
もう一点。殊更にドイツのテクノロジーが優れていたと言うような事実もない。
赤外線暗視装置など開発が他国より目立って先行した技術もあるが逆も多い。
ドイツが出来なかったから難しい技術などと言うことは無い。
#right(){(343:288)}
**日本戦車の戦闘力不足の一因ってやっぱり馬力不足?
馬力は関係ない。
統制型の次は航空用ガソリンエンジンの再利用、ディーゼルターボ開発をしていた。
エンジンに関しては無いなら作っている。それが理由で戦車開発が出来ない要因にはなってない。
まず、機甲戦力を持ち始めた当時、戦車の開発・配備にかけられる予算が過小だったために安価に数を
揃えられないかと言う思想が根付いてしまい、転換できない派閥があったとされる。
一式や新砲塔チハはBT-7に対抗すべく作った訳だが、太平洋戦争に突入後、敵方がM3軽戦車
程度しか保有しておらず、対抗可能と判断したために、その後の戦車開発がスローペースになっている。
もう一つは、省力化機器や土木作業機械、自動車工学が未発達だったことや、(当時併合していた朝鮮
半島を含む)自国内や満州、南方戦線の道路事情が悪かったことも大きい。
(実際、ソ連側が満州に侵攻した際もT-34やM4よりBT-7Mの方が使いやすかったとされる。)
我が国の運用者には、戦車が30tクラスになると既に限界を超えてしまうと言う発想があり、逆にそれ
より重い戦車を運用するための技術開発が遅れていた。
(当時の日本人の体格では75mm長砲身砲の操砲は困難になってしまっているくらいで、アシスト装置が
無ければ装填はおろか、操縦操作なども困難だろうと思われる。)
情報の見誤り・軽視もあった。
開戦前~大戦前期にかけて、欧州、と言うよりもソ連戦車に引っ張られて各国の戦車が重厚長大に
なっていく過程で、それを後追いした。(先回りして強力な物を作ろうと言う発想が無かった。)
ドイツの駐在武官から、欧州戦の情報は入っていたが思いっきり軽視して対応が遅れている。
まあ、こんな話がある。
ソ連軍人がまだ友好的な頃、ドイツの4号戦車を見学して、その余りのショボさに「強力な
戦車を隠している」と信じて疑わなかった。 ドイツ側はその態度からソ連はより強力な
戦車を開発していると早い時期に予想出来たし、その後もスパイ情報があったが軽視していた。
我が国はさらにその後で欧州の戦車が75mm砲を撃ち合っていると聞いたが、なかなか自分達に
波及する話とは思えない訳で、M3軽戦車にワンサイドで勝てる戦車を作っている内にエラいことに
なってしまった。
#right(){(569:639)}
チリ車(五式)のエンジンは既存の航空用(BMWのライセンス品で練習機に使っていた)
で800馬力。 ドイツのHL230より高出力だったりするけど。
そもそも、日本の戦車は戦闘力不足のものしか無いと言うのが誤りで、試製100t戦車・120t戦車では10cmカノンを搭載している。
これらの戦車では、航空用エンジンを2基、伝達ギアでリンクさせており、強力なエンジンが無いなら無いなりの工夫をしている。
馬力不足と言われても他国同様に航空用エンジン引っ張り出したり、アメリカのH型パワーパックのようにまとまりは良くなくても
エンジン2基の連結でさらなる馬力アップも行っている。
100t戦車の場合、操作系に油圧アシスト装置を導入したり後方駆動を採用するなど、一部M4シャーマンより進歩的な部分のある。
ところがテストしてみると、不整地では重すぎでスタックしまくり、舗装道路では舗装を壊すので。
過荷重でテスト以前の問題。44年末まで放置した後、解体。
120t戦車は車体のみでテストすると流石に操縦性や抗堪性に問題ありと判断されている。
作れないでも無いし、作っても見たが、いきなりハードル上げすぎてるって言うのが実状。
#right(){(570:283)}
**砲塔はチハとかでも自動で回転したんだよね?
手動です
Ⅳ号J型も手動です
#right(){(321:726)}
**97式中戦車改はなぜ一式機動砲をそのまま流用して搭載せず、砲身をやや切り詰めた一式戦車砲をわざわざ採用したのでしょうか?
これは単純にチハ改や、本命のチヘの砲塔に収めるにあたって後座長が問題となったからです。
狭い砲塔の中の戦車兵さんたちにとっては、高速で後退してくる砲は正に恐怖なのです。
ハ号の戦車砲も九四式速射砲より短砲身の物になってますね。(後に換装されてますが)
#right(){(315:11)}
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#CONTENTS
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**日本軍戦車の黄帯迷彩って、本当に効果があったのでしょうか?
日本戦車の黄色迷彩は集団の時、台数がわかりにくくなる効果があるらしいです。
#right(){(7:665)}
**四式中戦車関係の文献史料って現存してるのでしょうか。
独立した資料はありませんが、デルタ出版の本(日本の戦車)とか、
世界戦車戦史(図書出版:絶版)に掲載されていたか、と記憶しています。
あと、文林堂の日本の戦車写真集とか…くらいでしょうか。
あとは、米国国立公文書館くらいにありそうですけど…。
#right(){(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**戦前・戦中の日本戦車に多用されたシーソー式の懸架装置についての質問です。
>この方式を採ることによる、主な長所と欠点はなんだったのでしょうか?
うろ覚えで資料が出てこないので恐縮ですが、
(長所)
履帯の設置性に優れている
走行性、防弾性が板バネ式に比べると勝っている。
(短所)
上下動が激しく、それがなかなか減衰しない。
即ち、行動中の砲の照準が付け難い。
#right(){(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**旧日本陸軍はロシア・ソ連が仮想敵国だったはずなのに,なんであんなに戦車がしょぼいんですか?
当時,戦車に戦車を当てるのは「愚作」とどこの国でもされてました.
WW2が始まるまでは,戦車の仕事は歩兵の支援である,とされていました.
もちろん,歩兵の支援も現在に至るまで戦車の重要な仕事ですが,当時はそれ「だけ」でよいとされていました.
武装,装甲,機動力,いずれもその前提で作られており,砲は初速の遅い短砲身でしたから,装甲を貫通させる目的には適していませんでした.
(でも,先見の明のあったいくつかの国は,戦車に長砲身砲を搭載しています.ソ連もその国の一つ)
また,戦車の部隊運用法も,その方針に則って,少数ずつの分散配置が普通だったため,戦車同士が遭遇する確率は低いと見なされていました.
ノモンハンの影響なんかでT-34とか作られましたが,本格的に対戦車戦闘を考慮して作られた戦車はティーガーが最初じゃないかな?
で,対戦車砲ですが,こちらもノモンハンで37ミリが通用しなかったため,1式47ミリ速射砲が作られてます.
こいつはBTシリーズが一応仮想敵だったんで,更に装甲の厚いM4なんかには通用せず,最終的に有効な対戦車砲は作られませんでした.
**旧日本軍の戦車は米戦車に比べてかなり装甲が薄かったそうですが,何故もっと装甲を厚く出来なかったのですか?
満州の泥寧期や朝鮮半島を含む国内の道路事情を考え,重量を押さえていた.
また,港湾施設のクレーンの能力に限界が有った事と,輸送用船舶の床面強度に限界が有った事も,重量上の制約の一因と言われる.
それなのに,燃料事情から採用したディーゼルエンジンがソ連の物より著しく重い.
結果として,装甲が貧弱になった.
ただ,第二次世界大戦前までは日本軍の戦車の装甲は諸外国戦車や米戦車と大して変わりは無い.
大陸での本格的な戦車戦を経験しなかったのと,海に囲まれた国土と想定される戦場等から,限られた国力を航空機や艦船を作る事に突っ込んだ為,戦車は後回しにされた.
(軍事板)
**「三式飛行戦車」これってなにか分かりますか?
詳しいデータは覚えてないけど、確か2式軽戦車をグライダーの翼をつけた奴
空挺部隊用だったはず、無論失敗作
#right(){(24:460)}
**チハ チヌ ホニとか言うけれど、この法則ってどうなってるの?
前の字は戦車の中戦車・軽戦車・砲戦車等の属性
後ろはイロハ順
つまりチハ車は「中戦車で、3番目に製作された戦車」
ホニ車は「砲戦車で~」というわけ
皇紀は関係ありません
#right(){(27:103)}
**旧日本軍の”砲戦車”っていったいどういう意味で付いた名前なんでしょ?
直協支援用装甲戦闘車両
#right(){(29:833)}
**日本の戦車は手榴弾一発であぼーんされるものなんでしょうか?
中に放り込まないと無理でしょうね。
日本の戦車はエンジンだけは燃えにくいので。
#right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**第2次大戦中、日本軍の戦車がアメリカ軍の戦車を撃破したことってあるんですか?
もちろんあります。
至近距離から側面や背面を打ち抜いたり
障害物を乗り越えようとして車体下部を晒したところを狙撃したり
挙句の果てには爆雷つんで体当たりをしたりと、およそ思いつく事はやっています。
さらに鹵獲M3軽戦車でM3中戦車を撃破した例もあります
スチュアートなどの軽戦車ならばビルマなどで
チハ車でも榴弾を多数命中させるとかで撃破できたそうです。
シャーマンになると47mm速射砲や90式野砲、
それを搭載した戦車なら辛うじで可能です。
有名なところだとルソン島で機動砲兵第2連隊の
一式砲戦車がシャーマンをいくらか撃破したらしいです。
#right(){(39:270-271)}
**日本軍の戦車ですが、開戦前ならともかくM4やらパンターやらT-34やら出てきた大戦中盤以降になっても、デザインに進歩が見られないように思うのですが
なんででしょうか?
日本には「T-34ショック」は生じてないのでパンターのような方向性への進化は
起きようがない。
ドイツから情報は入っていたらしいが。
替わりに「M3スチュアートショック」「M4シャーマンショック」が発生し、それらは
一式砲戦車(とりあえず対戦車戦闘できる長砲身の砲載せろ)や三式中戦車(泥縄的に75mmカノン砲装備に改良)
三式砲戦車(砲塔廻んなくてもいいから三式中戦車の数が欲しい)となって結実してる。
これらはドイツで言うならIV号F2型や75mmL48装備の対戦車自走砲/駆逐戦車の位置にある
だろう。
そして、これらの上位機種として四式や五式といった重戦車が開発されていた。
この2種は戦前からの重戦車開発の流れと戦争での戦訓が合わさったものなので、ティーゲルに
相当する位置にある。
あと、「戦争で対峙したソビエトの戦車にショックを受け、急遽それまでの設計思想を捨てて改良した」
と言う位置には、ノモンハンでの「BTショック」を受けて開発された九七式改や一式戦車が
ある。
#right(){(480:454)}
**大戦中の戦車って、トランスミッションがよく壊れたらしいけど日本軍の戦車ってどうなの?
いやよく壊れた。
でも、あの当時はどこの国のもトランスミッションがデリケートですぐ壊れるのは結構当たり前。
別に日本のだけに限った話ではなく、どこもそんなもの。
アメリカのものだけはわりとマトモな出来だったが、やっぱり荒っぽく扱うとすぐに壊れた。
ソビエトの戦車は起動輪が後ろにある=トランスミッションが後部にある、のでどれもレバーが
延々とロッドを介して操作することになるため、レバー操作がやたら重くて大変だと不評だった。
「ハンマーでブッ叩かないと切り替わらない」と言われ、でも実際にそんなことした日には
当然レバーとロッドが壊れる。
ドイツの戦車は作動そのものは快調だが丁寧に操作しないとすぐに壊れる繊細な作りな上
頻繁かつ綿密な調整と整備を必要とした。
戦車は重い車体を無理やり走らせてるので別に設計に欠陥がなくてもトランス
ミッションが壊れやすく、ずっと後になってトルクコンバーター式のトランス
ミッションが普及するまでは変速機関係は戦車のウィークポイントであり続けた。
#right(){(534:556)}
**チハは57mm砲を長砲身化して攻撃力を向上させることは、できなかったんでしょうか?
優秀な砲を拡大していくと言う発想は当時よく見られた傾向。
日本も長砲身57mm砲を完成させている。試作のみね。
ただし、57mm砲を長砲身にしたと言う発想じゃなく一式47mm機動砲の拡大型。
装甲貫徹力は 1000mにて60mmと言われている。
ただし、日本製の鋼板撃ってテストした可能性があるから、アメリカやイギリスの
装鋼材に対してもそのような性能が出るかどうかは俺の調べた範囲では判らない。
何故チハに積まないか?と言い出すとおかしな話になる
チハ車はノモンハンの戦訓から47mm砲の新砲塔を搭載することにした。
だが、欧州戦の情報や実際にアメリカの戦車など研究した結果からより高い火力を
持ったチト車を開発する。
つまり新主砲を搭載する新戦車が必要と考えたんだと判るよね。
そこから急場しのぎにでもチハに積めるような物では無かったと想像出来る。
もう一つ、57mm砲が完成した時点で一式中戦車の生産が始まっており、その意味
でも積む意味が無い。新型戦車に積むって決定で良いじゃないですか。
ところが完成した試作砲は貫通力が低いのでチト車には使わないことにした。
(47mm砲より上かどうかは問題ではなく、情勢に適応しない。)
また、貫通力の割りに重い点が問題視され、砲そのものが不採用になったので
他の車種や砲戦車への搭載も当然されていない。
完成していない訳でもないし、合理性云々より出来事の時系列を理解しなければ
ならないよ。
#right(){(349:74)}
**「日本の戦車は港のクレーン能力によって重量を制限された」などと言われますが、単に輸送船からランプを使って自走で積み降ろしすれば良かったんでは?
当時輸送に使われてた貨物船は今のバルクキャリアの様なタイプが殆ど、
RoRo船なんかは車両を大量輸送する時代になって現れた。
当時にもフェリーは有ったが艀に毛が生えたような物で、外洋を長距離航海出来るような物じゃない。
でバルクキャリアはクレーン無しじゃ重量物の積み下ろしは出来ない、
舷側までのランプを作っても(それ自体長大で強度が必要な大変な物になるが)船倉に降ろせない。
それなら舷側を切り取ってランプをつけ、船倉にもランプを付け多層にすればRoRo船になるが、
そんな(当時は)普段使わないものが海上輸送の主体となるほど転がっているわけない。
要は重車両を輸送・運用するインフラが全く整ってない事が問題で、クレーンの能力だけに理由を求めるのもやや一面的。
#right(){(567:485)}
**五式中戦車や、計画のみで終わったホリ車の主砲には半自動装填機を組み込む予定だったようですが、
>なぜこんな複雑で厄介そうな、ドイツ軍ですら採用していないような機構にしようとしたんでしょう?
>チビの日本兵の装填手だと、巨大な砲弾を抱えて砲尾に突っ込むだけの体力が無いとでも思ったんでしょうか?
いくつも勘違いがある。
半自動装填装置自体は簡素な装置で、事前に装填主が装置に砲弾を装填しておくことで
ここ一番の連射性能を上げるだけ。
何故それが必要かと言うと、一つには日本人の体格の問題。
アメリカの場合は数十tある兵器を人力操作する上で、特にパワーアシストの開発
に注力せずに体格の良い者を戦車兵にすることで対応した。
(戦後、自衛隊がアメリカの戦車を運用しようとした時に体格の差が問題になった。)
日本では47mm砲の時点で問題を抱えており、戦車長が砲の操作をアシストしていた。
にも関わらず、戦車の乗員が定数割れしたまま運用することもあるような始末。
砲塔の動力旋回にも頓着せずに主砲が47mmの高初速砲になっても肩押し式の主砲を
好むくらいで、逆に主砲が75mmクラスになった所で装填・排莢操作の自動化の必要
性を認識した。(つまり体格が原因で着眼点が少し他国と違っていた。)
当時でも自動装填装置はアメリカがベルト式の物を研究しており、実用化も可能な
レベルに近づいていたが、ま、ドイツ相手にはもっと他の研究に注力すべきと判断
したんですな。
もう一点。殊更にドイツのテクノロジーが優れていたと言うような事実もない。
赤外線暗視装置など開発が他国より目立って先行した技術もあるが逆も多い。
ドイツが出来なかったから難しい技術などと言うことは無い。
#right(){(343:288)}
**日本戦車の戦闘力不足の一因ってやっぱり馬力不足?
馬力は関係ない。
統制型の次は航空用ガソリンエンジンの再利用、ディーゼルターボ開発をしていた。
エンジンに関しては無いなら作っている。それが理由で戦車開発が出来ない要因にはなってない。
まず、機甲戦力を持ち始めた当時、戦車の開発・配備にかけられる予算が過小だったために安価に数を
揃えられないかと言う思想が根付いてしまい、転換できない派閥があったとされる。
一式や新砲塔チハはBT-7に対抗すべく作った訳だが、太平洋戦争に突入後、敵方がM3軽戦車
程度しか保有しておらず、対抗可能と判断したために、その後の戦車開発がスローペースになっている。
もう一つは、省力化機器や土木作業機械、自動車工学が未発達だったことや、(当時併合していた朝鮮
半島を含む)自国内や満州、南方戦線の道路事情が悪かったことも大きい。
(実際、ソ連側が満州に侵攻した際もT-34やM4よりBT-7Mの方が使いやすかったとされる。)
我が国の運用者には、戦車が30tクラスになると既に限界を超えてしまうと言う発想があり、逆にそれ
より重い戦車を運用するための技術開発が遅れていた。
(当時の日本人の体格では75mm長砲身砲の操砲は困難になってしまっているくらいで、アシスト装置が
無ければ装填はおろか、操縦操作なども困難だろうと思われる。)
情報の見誤り・軽視もあった。
開戦前~大戦前期にかけて、欧州、と言うよりもソ連戦車に引っ張られて各国の戦車が重厚長大に
なっていく過程で、それを後追いした。(先回りして強力な物を作ろうと言う発想が無かった。)
ドイツの駐在武官から、欧州戦の情報は入っていたが思いっきり軽視して対応が遅れている。
まあ、こんな話がある。
ソ連軍人がまだ友好的な頃、ドイツの4号戦車を見学して、その余りのショボさに「強力な
戦車を隠している」と信じて疑わなかった。 ドイツ側はその態度からソ連はより強力な
戦車を開発していると早い時期に予想出来たし、その後もスパイ情報があったが軽視していた。
我が国はさらにその後で欧州の戦車が75mm砲を撃ち合っていると聞いたが、なかなか自分達に
波及する話とは思えない訳で、M3軽戦車にワンサイドで勝てる戦車を作っている内にエラいことに
なってしまった。
#right(){(569:639)}
チリ車(五式)のエンジンは既存の航空用(BMWのライセンス品で練習機に使っていた)
で800馬力。 ドイツのHL230より高出力だったりするけど。
そもそも、日本の戦車は戦闘力不足のものしか無いと言うのが誤りで、試製100t戦車・120t戦車では10cmカノンを搭載している。
これらの戦車では、航空用エンジンを2基、伝達ギアでリンクさせており、強力なエンジンが無いなら無いなりの工夫をしている。
馬力不足と言われても他国同様に航空用エンジン引っ張り出したり、アメリカのH型パワーパックのようにまとまりは良くなくても
エンジン2基の連結でさらなる馬力アップも行っている。
100t戦車の場合、操作系に油圧アシスト装置を導入したり後方駆動を採用するなど、一部M4シャーマンより進歩的な部分のある。
ところがテストしてみると、不整地では重すぎでスタックしまくり、舗装道路では舗装を壊すので。
過荷重でテスト以前の問題。44年末まで放置した後、解体。
120t戦車は車体のみでテストすると流石に操縦性や抗堪性に問題ありと判断されている。
作れないでも無いし、作っても見たが、いきなりハードル上げすぎてるって言うのが実状。
#right(){(570:283)}
**砲塔はチハとかでも自動で回転したんだよね?
手動です
Ⅳ号J型も手動です
#right(){(321:726)}
**97式中戦車改はなぜ一式機動砲をそのまま流用して搭載せず、砲身をやや切り詰めた一式戦車砲をわざわざ採用したのでしょうか?
これは単純にチハ改や、本命のチヘの砲塔に収めるにあたって後座長が問題となったからです。
狭い砲塔の中の戦車兵さんたちにとっては、高速で後退してくる砲は正に恐怖なのです。
ハ号の戦車砲も九四式速射砲より短砲身の物になってますね。(後に換装されてますが)
#right(){(315:11)}
**日本が試作したという100トン重戦車について教えて下さい
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta0248.htm
1940年、100t重戦車
(走行テストで100tの重量を走行装置部分が支えられず自壊)
荒地走行テストでずぶずぶ沈んでしまったとか...
日本の道路を走れなかったとか(幅が広すぎ)
速度はエレファント以下...
装甲もたいした厚さではなく役に立たないので分解されました。
#right(){(312:559)}
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