「欧州海戦関係」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

欧州海戦関係 - (2010/03/03 (水) 19:01:15) の1つ前との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

#CONTENTS ---- **映画「U―571」見た人間だけど,当時の魚雷には音波探信みたいのはついていなかったの? もしなかったら,潜水艦同士よく当てたなー,と関心するよ.  存在します,  連合軍側は航空機投下型の音響誘導式対潜魚雷を,43年中頃から実戦使用していました.  また,対音響魚雷曳航囮も英国は開発しておりました.  ドイツでは,Uボートに搭載されたG7e魚雷で,音響誘導式の「ガイアー」(禿鷹)と,有線誘導式の「レルヒエ」(雲雀),そして1943年に実戦配備された音響誘導魚雷「ツァウンケーニヒ」(ミソソザイ)がそうです.  また「ボールド」(図々しい)と言う名の対アズティック音響囮魚雷も存在します.  また,潜水艦の潜水艦による魚雷攻撃での撃沈例ですが,これも存在します.  英国V級潜水艦「ヴェンチュラー」による「U-864」の撃沈です.  2隻は2時間40分もの長時間(当時としては)の交戦を行い.ASW潜水艦として改造を受けていたヴェンチュラーは潜航状態でアズティック(ソナー)により,こちらも潜航状態のU-864をピンポイントで探知,ヴェンチュラーは魚雷4本の斉射によりU-864を葬り去りました. **「ジパング」という漫画で,第二次世界大戦時の太平洋戦線のアメリカの潜水艦が,ボトム(海底に沈む事)を二日以上(三日以上?)してるんですが,艦内の二酸化炭素濃度は有害レベルにならないのでしょうか?  1957年8月中旬にウラジオストックの偵察任務についていた米潜水艦”ガジオン"SS-567は,ソ連水上艦に発見されたため実に64時間の連続潜航を余儀なくされました.  この結果,艦内の二酸化炭素濃度もかなり危険なレベルに達したたため,やむなく浮上しました.  幸い,ソ連は”ガジオン"を沈めようとはしませんでした.  艦内には二酸化炭素を吸収するため水酸化リチウム結晶入りの容器がおかれていましたが,完全に吸収することは出来ず,また一酸化炭素を吸収することは出来ませんでした.  要するに,二日以上の連続潜航は非常に困難だということです. (名無し軍曹) **有名な映画「眼下の敵」じゃ,魚雷1発命中程度じゃ駆逐艦が沈まなかったんだけど,魚雷の威力ってその程度のものなの?  駆逐艦は魚雷1本当たれば轟沈します.  「眼下の敵」の米護衛駆逐艦の被雷シーンの方がぬるいのです.  2千トン以下の駆逐艦クラスで土手っ腹に潜水艦の21インチ魚雷(炸薬300キロ以上)を喰らったら,まず船体が折れます.  ただし当たり所(艦首や艦尾等)では,吹き飛んだ艦首や艦尾以外の残った部分で自力航行出来て帰投した幸運な例もありますが.  土手っ腹に魚雷喰らって搭載魚雷が誘爆して・・・となったら,まさに轟沈でしょう.  「眼下の敵」って魚雷1本当てた時点でUボート側の勝ちなんだけど.あの映画見た元Uボート乗りって憤慨したろうなぁ. (軍事板) **第二次大戦当時,アメリカは一週間に空母を一隻投入とかしてきたと聞きましたが,当時のアメリカの輸送艦とかはどうだったんでしょうか?やはり一週間に一隻とか建造してたんでしょうか?  アメリカが量産した戦時標準船「リバティ船」でぐぐると,とてつもない数値が出てきますよ.  全部で2700隻ほど,初期は1隻200日ぐらい,最速では5日でできたのもあったり….  で,これはあくまでも「リバティ級」貨物船だけの話であって,T2級タンカーなどのほかの輸送船を加えると…もういや….  ちなみに,船名には人名をつけるというルールがあったのだが,新興国の悲しさで早々に名前がつきて(まあ歴史が長くても3000人は難しいが), そんで現役のちょっとした有名人(町長とか芸人とかのレベルらしい)をつけまくったそうな. (鷂 ◆Kr61cmWkkQ) **WWⅡ時のドイツ海軍の艦名の命名基準ってどうなっていたのですか?  目安的には…. 戦艦は,政治家の名前, 巡洋戦艦,重巡洋艦は概ね軍人の名前,(例外はGraf Zeppelin), 軽巡洋艦は都市の名前, 駆逐艦は,国家社会主義労働者党の関係者の名前が多かったのですが,途中で,Z+連番に変わりました. 水雷艇は,猛禽類や猛獣の名前ですが,途中からT+連番に変わっています. 残りのものは練習艦を除き,英数字+連番になっています. (眠い人 ◆gQikaJHtf2)  ちなみに,戦後もロンメルといった艦があった. **沿岸砲台との撃ち合いは水上艦艇が不利,というのはよく言われることだが,必ずそうだとも言えないのではないか?水上艦艇側が15cm以上の砲を100門以上揃えるのは難しくないけど砲台側は数で不利.精度では有利だが,固定目標なので被弾もし易い.  沿岸砲台が固定だから被弾しやすいといっても,撃つ船の方が動揺してるんだから固定とは言えない.  逆に砲台から見たら,船がいくら揺れても位置は変わらない~予測がつくから,こっちは固定した的を撃ってることになる.  また,砲台は重量,体積の制限が少ないから,揚弾機から装填機から贅沢してじゃかすか撃てる.  船は砲台を重くしたらトップヘビーで転覆するから,最小限でガマンする必要がある.  装甲についても同じ.  条件次第には違いないが,そりゃあ沿岸砲台はずるい. (軍事板) **第二次大戦の時 アメリカの大西洋艦隊に、戦艦とか空母はあったのですか? >おもな任務は、商船の護送と潜水艦狩りだったのでしょうか? 戦艦、空母はありましたよ。 戦艦は、船団護衛(Germanyにも通商破壊用の戦艦がありましたし)と、 上陸部隊支援用に使用されていました。 New York、Nevada、New Mexico、Mississippi、Idaho、Massachusetts、Wyomingが大西洋艦隊にいました。 空母は護衛空母が主です。 米英航路の維持が目的で、商船護衛と潜水艦狩りです。 正規空母はRanger、Waspがいましたが、Waspは太平洋艦隊に引き抜かれて、撃沈しています。 #right(){(13:眠い人 ◆ikaJHtf2)} **映画『U・ボート』の様に、発狂することってあり得ると思うのですがその場合、帰港する迄はどのようにしているのですかねぇ。 20年ほど前、君と同じ質問を退役西ドイツ海軍少将に質問したことがある。 彼は元駐日海軍武官で、大の親日家。 彼は個人的体験をもとに以下のように回答した。 「1943年某月某日、自分のUボートは、北大西洋へ出撃。 出撃数日後で艦長が発狂。彼は鎮静剤を打たれたうえ、ベッドに抑制された。 指揮を引き継いだ軍医の指揮のもと、艦はノルウェーのトロンヘイムに入港。艦長交代後、再出撃。 その後、艦はコンボイ追跡中にカナダのコルヴェットとUSCGの哨戒艦の攻撃を受けて沈没。 生存者は自分を入れて数名のみ。」 うろ覚えだが、こんな答が返ってきた。 はぐらかされたような気もしたが、それ以上質問ができるような雰囲気では無かったので、話題を打ち切った。 #right(){(13:463)} **ビスマルク撃沈作戦って何ですか? 作戦っつーか、そう命名された戦闘があった。 ビスマルク追撃戦。 以下、保存テキストのコピペ(出典忘れた) 連合国の輸送艦隊撃破を目的にしていた戦艦ビスマルクは、アイスランド沖でイギリス艦隊に発見される。 ロイヤルネイビーの威信を懸けたイギリスは戦艦キングジョージ五世以下、6隻の艦船で取り囲むが、 逆に巡洋戦艦フットを撃沈されビスマルクを取り逃がす。 ついにイギリスは、地中海で作戦行動中の空母アークロイヤルを呼び戻し、ビスマルクを航行不能に陥れる。 戦艦主砲の一斉射撃でビスマルクは沈んだ。 #right(){(13:872)} **WW2のときソ連の艦隊は何やってたの? 戦闘初期はバルト海、黒海などで軍民の救出 戦争中期は黒海は艦砲射撃、小規模な上陸作戦 戦争末期はバルト海でドイツ船舶の攻撃 #right(){(27:781)} **独UボートU-864は1945年にJumo004Bジェットエンジン、V-2誘導装置、水銀65tを日本に輸送中に撃沈されたということですが、これらは莫大な価値があると思うのですが、日本政府が一体いくらで購入したとかの記録は残っているのでしょうか? >http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Caesar >別スレで知ったのですが、 >独UボートU-864は1945年にJumo004Bジェットエンジン、V-2誘導装置、水銀65tを日本に輸送中に >撃沈されたということだそうです。 >質問ですが >これらは莫大な価値があると思うのですが、日本政府が一体いくらで購入したとかの記録は >残っているのでしょうか? >またどうやって払ったのでしょう? 他の件はともかく、本件は、1944年に締結された、 「日独製造権および原材料供給協定」による、両国勝利の後による日本政府支払い、 それまではドイツ政府の立替払いによる、結果的に空手形になったものなので、結局 日本政府の支払いは無しだ。 #right(){(484:477)} **大戦中、イギリスの潜水艦はUボートほど活躍できなかったんでしょうか? そんなことはありません。イギリスの潜水艦は北海等では哨戒に、地中海では通商破壊などで大活躍しています。 有名どころではリュッツォーを大破させたスピアフィッシュ、地中海の通商破壊で活躍したアップホルダー、 足柄をしとめたトレンチャントなどがいます。 特にマルタを根拠地に北アフリカ向け輸送船の通商破壊を行ったアップホルダーを始めとするイギリス潜水艦の活躍は、 船体と同じ重さの金に相当するとまで言われています。 #right(){(484:704)} **フランスにはカタログデータでは素晴らしい戦艦があったのに、大戦中は何していたんでしょうか? リシュリュー級の事か? 1番艦リシュリュー:フランス降伏の時点で完成度95パーセント。 艤装工事未了のまま、士官候補生を乗せてダカールに脱出。 同艦を手に入れようとしたイギリスはダカール攻略を試みるが挫折。 この際にリシュリューは損傷し、そのまま数年間放置。 その後、自由フランスの手に渡り、アメリカに回航して修理&改装。 修理完了後は、太平洋方面に進出。対日戦に参加。 2番艦ジャン・バール:フランス降伏の時点で完成度80パーセント程度。 主砲塔は1基だけ搭載済み。この状態でカサブランカに脱出。 そのまま数年間放置。 アメリカが北アフリカ上陸作戦を行った際、米新鋭戦艦マサチューセッツと撃ち合い、大破着底。 戦争終了後、フランス本国に戻って工事再開、1955年竣工。 完成していないんじゃ、どーしよーも無い。 #right{(357:267)} **第二次世界大戦時の英国空母の艦載機は何であんな酷い様なのですか? 相手がドイツだったから、高性能機を開発する必要がなかったため。 それと、空母の搭載数が少なかった為、一機で種々の用途に使える機体を欲した為、中途半端な機体のオンパレードとなってしまった。 WWIでイギリス陸軍航空隊とイギリス海軍航空隊を統合してイギリス空軍になっていて、1937年までは空母艦載機もイギリス空軍の管轄でした。 陸上基地から運用される戦闘機の開発にも予算的に苦労していたのに、海軍のために空軍が艦載機の開発をまじめにやるわけも無く。 航空隊を取り戻したからと航空機開発行政をどうこうするには、2年と言う時間はあまりにも短かったということです。 そもそも仮想敵たるドイツとアメリカ(ある時期まではそうだったのよ)が空母を主体としてないし、 日本みたいに戦艦戦力で劣ってた訳じゃないから「暫減作戦」の必要もないわけだし。 別に最初から対潜用の通商護衛を意識してた訳ではないが、それぐらいしか現実には活躍する場がなかったということ。 タラント空襲やビスマルク追撃戦、地中海の戦いがそうであるように、イギリスの空母は 「相手に対抗しがたい手段で相手を一方的にボコる」兵器としてとても役に立ったかと。 #right{(541:506-529)} **スウェーデン船籍のStureholmという商船は何故英国の船団に所属していたんでしょうか? >HX84船団で反転してジャーヴィスベイの生存者を拾い上げ、HX92船団で撃沈されたStureholmという商船がありましたが、 >デンマーク船のように英政府に傭船されていたとか、それともアメリカへの独航が不能であるために付属していったとか? >また、当時のスウェーデンの海上通商路がどういった状態で保持されていたのか教えて下さい。 多分、英国に傭船されたものと思われます。 Swedenの船舶は中立国船舶ですが、大西洋にドイツ潜水艦が跳梁跋扈するようになると、 連合国との物資を運んでいた場合、中立違反として咎められる場合もあります。 従って、連合国の港に繋留されっぱなしになるケースもあり、船を維持する為に、連合国との 傭船契約を結ぶケースも出て来ました。 例えば、日米の外交官と引揚げを希望する民間人を交換する為、米国国務省は1942年 5月にグリプスホルム号を傭船し、ニューヨークからリオデジャネイロを経由してロレンソ・ マルケス(今のモザンビーク)まで、航海を行っています。 また、ニューヨークに戻った後は米国政府に1日4,000ドルで傭船され、主にニューヨークに 停泊していましたが、1943年には第2次日米交換船の米国側船舶として用いられました。 海上通商路については、アイスランド航路など北海航路、南米航路、米国航路を維持して いましたが、ドイツの米国への宣戦布告と、米国によるアイスランド占領により、南米航路 以外の航路は閉じられます。 南米航路は2ヶ月に2隻、座席数8程度なので、座席チケットの争奪は正に戦いでした。 この航路を取る場合は、事前に英国大使館の武官とドイツ大使館の武官から海域を通る 許可証を得る必要があります。 Sweden船は基本的に、船腹に大きく国旗が描かれ、船名と所属国(SVERIGE)と書かれて います。 出航する船は行先により船団を組んでいき、Sweden領海を出るまで、海軍の護衛を受けます。 そして、夜間航行の際には、国旗と船名を確認出来るよう、常に灯りを煌々と付ける様にしていました。 ノルウェー海域に入るとドイツ水上機が近付いて船名を確認し、クリスチャンサンドまでは、ドイツの 指令の下、沿岸海域を航行し、場合によっては臨検を受ける事になります。 クリスチャンサンドでドイツ海軍の検査を受け、問題がない事を確認した後、ノルウェー領海を抜けると フェロー諸島まで、英国側の指令の下、航行を続けます。 航海の3日目に、英国側の航空機が近付いて船名を確認し、フェロー諸島に停泊。 英国側の検査を受け、大西洋に入っていきます。 なお、10日の間、機雷原や不意の魚雷攻撃に備える為、船長は一睡も出来ません。 そして、大西洋を抜けて、南米に向かう形になります。 #right(){(554:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第二次世界対戦では敵艦に乗り込み白兵戦を行い敵艦を略奪する行為は行われいたのですか? 1940年に英駆逐艦コサックがノルウェーのフィヨルドに停泊していたドイツの補給艦アルトマルクに横付けして、白兵戦の末に拿捕した事件がある。 アルトマルクはポケット戦艦シュペーへの補給を任務としていて、シュペーが沈めた船の乗員が収容されていたがこの時救出された。 #right(){(339:245)} **「ツェルベルス作戦」は何故わざわざ昼に英仏海峡を突破したのですか? >夜で不都合な理由は? ブレスト出港が夜間になるため発見されにくい 英仏海峡突破中に戦闘機の支援を受けられる そして何よりイギリスの不意をつけるといった利点が昼間突破にはあった 実際、イギリスは突破をかけるなら夜間だろうと想定して準備をしていたが 完全に不意を疲れて昼間突破を喰らってる 魚雷艇や沿岸砲台を制圧するため。 夜間そういう攻撃は防ぎようがないが 昼間なら戦闘機隊がカバーできる。 つまり援護なしの奇策ではなく強力な援護での正攻法を選んだということ。 敵の航空機による妨害も増すがそれ以上に味方戦闘機の援護の効果が高いと判断してのこと。 #right(){(580:643,644)} **ビスマルク座乗のルッチェンス艦隊司令について質問です。 >・なぜ大破したプリンス・オブ・ウェールズを追撃、撃沈しなかったのでしょうか? >・なぜ数的不利の中で重巡シェフィールドを分離させて、あえて単艦になったのでしょうか? POWを撃沈しなかった事は未だに謎とされている。 ただ、撃沈を主張するリンデマン艦長と、リュチェンスの間では意見の衝突はあったらしい。 推察としては、砲撃戦なんて当時の作戦の趣旨からは外れたもので、戦艦同士の艦隊戦なんて ご法度・・・と堅く司令部から通達されてたので、これ以上の撃ち合いを避けた・・・との説。 POWに時間をかけてる内に、その他の英国艦の包囲が狭まる事を恐れたのでは?との説も。 それから、随伴・分離したのは、重巡洋艦プリンツオイゲンですが、速力も航続力も充分残ってた オイゲンだけでも退避させて、生き残らせてやりたい。との考えでは? 何しろ、当時のリュッチェンス自身の考えを記録したものが一切ないので、推察の域は出ないが。 これは、個人的な意見だが、色々と推察するに、最初の打ち合いでビスマルクが思った以上に被害を 受けた段階で、リュチェンス自身、負け戦と思い始めたのでは・・・・と思う。 ビスマルク出撃の目的は通商破壊で、こっそりと大西洋に出るのが大目的 イギリスの軍艦と撃ちあいするのは相手が駆逐艦や哨戒艇でも避けたいところです。 実際、WW2のドイツ巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウが イギリスの仮装巡洋艦ラワルピンディに見つかり、イギリス艦隊に攻撃されるのを避けるために 大西洋への進出を取りやめたこともあります。 #right(){(331:890,892)} **ドイツやイタリアの駆逐艦の対潜能力は日本の駆逐艦と比較して、どの程度のものだったんでしょうか? >日本の駆逐艦は対潜能力が低くかった為、潜水艦からも良い攻撃目標にされてしまったのは有名ですが 駆逐艦に関して言えば、対潜能力は日本と同程度か音響兵器の性能が上であった分、 勝っていると言えます。 但し、対潜戦術については同等レベルでしょう。 また、ドイツ、イタリアに関しては、潜水艦に撃沈されるよりも、空爆で破壊されることの 方が遙かに多いでしょう。 潜水艦にやられたのはドイツよりイタリアの方が多いですが、潜水艦の出没海域とか 動きやすさを考えれば、北海やバルト海より、地中海の方が遙かに動きやすいので、 一概には言えませんし。 #right(){(323:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **アメリカの潜水艦は第二次大戦中の大西洋でどんな活動をしていたのですか 参戦前の初期(1941年6月)より、Uボートの哨戒任務に使用されています。 その中には自軍の艦艇による誤攻撃で失われた艦もあります。 1942年には、86回の哨戒活動を行っています。 1942年9月には英国に初めて米国の潜水艦4隻が配備され、11月のトーチ作戦に 参加しました。 但し、これらの艦の任務は主に偵察並びに揚陸部隊の誘導に当たっています。 欧州方面では更にビスケー湾を中心に27回哨戒任務を行いますが、戦果は0でした。 結局、1943年7月にこれら大西洋域での活動は中止され、太平洋方面への回航が行われ ています。 これは、Uボートの活動が猖獗を極めたというのもありますが、逆に米国の大型(英国や ドイツに比べ)潜水艦であり、大西洋や欧州水域での通商破壊に向いていないと言うことも あります。 #right(){(323:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
記事メニュー
目安箱バナー